父(ちヽ)の元気は次第に衰ろへて行(い)つた。私を驚ろかせたハンケチ付(つき)の古(ふる)い麦藁(むぎわら)帽子が自然と閑却されるやうになつた。私は黒(くろ)い煤(すヽ)けた棚(たな)の上(うへ)に載(の)つてゐる其帽子を眺(なが)めるたびに、父(ちヽ)に対(たい)して気の毒な思(おもひ)をした。父(ちヽ)が以前のやうに、軽々(かるがる)と動(うご)く間(あひだ)は、もう少し慎(つヽし)んで呉(く)れたらと心配した。父(ちヽ)が凝(ぢつ)と坐(すは)り込むやうになると、矢張り元(もと)の方(はう)が達者だつたのだといふ気(き)が起(おこ)つた。私はよく母(はヽ)と父(ちヽ)の健康に就(つ)いて話(はな)し合(あ)つた。
「全(まつ)たく気の所為(せゐ)だよ」と母(はヽ)が云つた。母(はヽ)の頭(あたま)は陛下の病(やまひ)と父(ちヽ)の病(やまひ)とを結び付(つ)けて考へてゐた。私にはさう許(ばかり)とも思(おも)へなかつた。
「気ぢやない、本当に身体(からだ)が悪(わる)かないんでせうか。何(ど)うも気分より健康の方が悪(わる)くなつて行くらしい」
私は斯(か)う云つて、心(こヽろ)のうちで又遠くから相当の医者でも呼んで、一(ひと)つ見せやうかしらと思案した。
「今年(ことし)の夏(なつ)は御前(まへ)も詰(つま)らなからう。折角卒業したのに、御祝(おいわひ)もして上(あ)げる事(こと)が出来(でき)ず、御父(おとう)さんの身体(からだ)もあの通りだし。それに天子様(さま)の御病気で。ーいつその事(こと)、帰(かへ)るすぐに御客(きやく)でも呼ぶ方(はう)が好(よ)かつたんだよ」
私が帰つたのは七月の五六日で、父や母が私の卒業を祝ふために客を呼(よ)ばうと云ひだしたのは、それから一週間(かん)後(ご)であつた。さうして愈(いよ\/)と極(き)めた日はそれから又一週間の余(よ)も先(さき)になつてゐた。時間(じかん)に束縛(そくばく)を許(ゆる)さない悠長な田舎(いなか)に帰(かへ)つた私は、御蔭(かげ)で好(この)もしくない社交上の苦痛から救(すく)はれたも同(おな)じ事(こと)であつたが、私を理解しない母(はヽ)は少(すこ)しも其所(そこ)に気が付(つ)いてゐないらしかつた。
崩御の報知が伝(つた)へられた時(とき)、父(ちヽ)は其新聞を手にして、「あヽ、あヽ」と云つた。
「あヽ、あヽ、天子様(さま)もとう\/御かくれになる。己(おれ)も…」
父(ちヽ)は其後(あと)を云はなかつた。
私は黒(くろ)いうすものを買(か)ふために町(まち)へ出(で)た。それで旗竿(はたさを)の球(たま)を包(つヽ)んで、それで旗竿(はたざを)の先(さき)へ三寸幅(はヾ)のひら\/を付(つ)けて、門(もん)の扉(とびら)の横(よこ)から斜(なヽ)めに往来へさし出(だ)した。旗(はた)も黒(くろ)いひら\/も、風(かぜ)のない空気のなかにだらりと下(さが)つた。私の宅(うち)の古(ふる)い門(もん)の屋根は藁(わら)で葺(ふ)いてあつた。雨(あめ)や風(かぜ)に打(う)たれたり又吹(ふ)かれたりした其(その)藁(わら)の色(いろ)はとくに変色(へんしよく)して、薄(うす)く灰色(はいいろ)を帯(お)びた上(うへ)に、所々(ところ\゛/)の凸凹(でこぼこ)さへ眼(め)に着(つ)いた。私はひとり門(もん)の外(そと)へ出(で)て、黒(くろ)いひら\/と、白(しろ)いめりんすの地(ぢ)と、地(ぢ)のなかに染(そ)め出(だ)した赤(あか)い日(ひ)の丸(まる)の色(いろ)とを眺めた。それが薄汚(うすぎた)ない屋根(やね)の藁(わら)に映(うつ)るのも眺(なが)めた。私はかつて先生から「あなたの宅(うち)の構(かまへ)は何(ど)んな体裁ですか。私の郷里の方(はう)とは大分(だいぶ)趣が違(ちが)つてゐますかね」と聞(き)かれた事(こと)を思ひ出した。私は自分の生(うま)れた此(この)古(ふる)い家(いへ)を、先生に見せたくもあつた。又先生に見せるのが耻(は)づかしくもあつた。
私は又一人(ひとり)家(いへ)のなかへ這入(はい)つた。自分の机の置いてある所へ来(き)て、新聞を読みながら、遠い東京の有様を想像した。私の想像は日本一の大きな都(みやこ)が、何(ど)んなに暗(くら)いなかで何(ど)んなに動(うご)いてゐるだらうかの画面(ぐわめん)に集められた。私はその黒(くろ)いなりに動(うご)かなければ仕末(しまつ)のつかなくなつた都会の、不安でざわ\/してゐるなかに、一点の燈火の如(ごと)くに先生の家(いへ)を見た。私は其時(そのとき)此燈火が音(おと)のしない渦(うづ)の中(なか)に、自然と捲(ま)き込(こ)まれてゐる事(こと)に気が付(つ)かなかつた。しばらくすれば、其灯(ひ)も亦ふつと消(き)えてしまふべき運命を、眼(め)の前(まへ)に控(ひか)えてゐるのだとは固(もと)より気が付(つ)かなかつた。
私は今度(こんど)の事件に就(つ)いて先生に手紙を書(か)かうかと思つて、筆(ふで)を執(と)りかけた。私はそれを十行ばかり書(か)いて已(や)めた。書(か)いた所は寸々(すんずん)に引(ひ)き裂(さ)いて屑籠(くづかご)へ投(な)げ込んだ。(先生に宛(あ)てヽさう云(い)ふ事(こと)を書(か)いても仕方(しかた)がないとも思つたし、前例に徴して見ると、とても返事を呉(く)れさうになかつたから)。私は淋しかつた。それで手紙を書(かく)のであつた。さうして返事が来(く)れば好(い)いと思ふのであつた。
八月の半(なかば)ごろになつて、私はある朋友から手紙を受(う)け取(と)つた。その中(なか)に地方の中学教員の口(くち)があるが行かないかと書いてあつた。此朋友は経済の必要上、自分でそんな位地を探(さが)し廻(まは)る男であつた。此口(くち)も始めは自分の所(ところ)へかヽつて来(き)たのだが、もつと好(い)い地方へ相談が出来(でき)たので、余(あま)つた方(はう)を私に譲る気で、わざ\/知らせて来(き)てくれたのであつた。私はすぐ返事(じ)を出(だ)して断(ことわ)つた。知(し)り合(あ)ひの中(なか)には、随分骨(ほね)を折(を)つて、教師の職にありつきたがつてゐるものがあるから、其方(そのはう)へ廻(まわ)して遣(や)つたら好(よ)からうと書(か)いた。
私は返事(へんじ)を出(だ)した後(あと)で、父(ちヽ)と母(はヽ)に其話(そのはなし)をした。二人(ふたり)とも私の断(ことわ)つた事(こと)に異存はないやうであつた。
「そんな所(ところ)へ行かないでも、まだ好(い)い口(くち)があるだらう」
斯ういつて呉れる裏(うら)に、私は二人(ふたり)が私に対して有(も)つてゐる過分な希望を読(よ)んだ。迂濶な父(ちヽ)や母(はヽ)は、不相当な地位と収入とを卒業したての私から期待(たい)してゐるらしかつたのである。
「相当の口(くち)つて、近頃ぢやそんな旨(うま)い口(くち)は中々(なか\/)あるものぢやありません。ことに兄(にい)さんと私とは専門も違(ちが)ふし、時代も違(ちが)ふんだから、二人(ふたり)を同じやうに考へられちや少し困(こま)ります」
「然し卒業した以上は、少くとも独立して遣(や)つて行つて呉れなくつちや此方(こつち)も困(こま)る。人(ひと)からあなたの所(ところ)の御二男(ごじなん)は、大学を卒業なすつて何(なに)をして御出(おいで)ですかと聞(き)かれた時(とき)に返事(へんじ)が出来(でき)ない様ぢや、おれも肩身(かたみ)が狭(せま)いから」
父(ちヽ)は渋面(しうめん)をつくつた。父(ちヽ)の考へは古(ふる)く住(す)み慣(な)れた郷里から外(そと)へ出(で)る事(こと)を知(し)らなかつた。其郷里の誰彼(だれかれ)から、大学を卒業すればいくら位月給が取(と)れるものだらうと聞(き)かれたり、まあ百円位なものだらうかと云はれたりした父(ちヽ)は、斯(か)ういふ人々(ひとびと)に対(たい)して、外聞(ぐわいぶん)の悪(わる)くないやうに、卒業したての私を片付(かたづ)けたかつたのである。広(ひろ)い都(みやこ)を根拠地(こんきよち)として考へてゐる私は、父(ちヽ)や母から見(み)ると、丸で足(あし)を空(そら)に向(む)けて歩(ある)く奇体な人間(にんげん)に異(こと)ならなかつた。私の方でも、実際さういふ人間(にんげん)のやうな気持(きもち)を折々起した。私はあからさまに自分の考(かんが)へを打ち明(あ)けるには、あまりに距離の懸隔の甚しい父(ちヽ)と母(はヽ)の前に黙然(もくねん)としてゐた。
「御前(まへ)のよく先生々々といふ方(かた)にでも御願(ねがひ)したら好(い)いぢやないか。斯(こ)んな時(とき)こそ」
母(はヽ)は斯(か)うより外(ほか)に先生を解釈する事(こと)が出来なかつた。其先生は私に国へ帰(かへ)つたら父(ちヽ)の生(い)きてゐるうちに早く財産を分(わ)けて貰(もら)へと勧(すヽ)める人(ひと)であつた。卒業したから、地位の周旋をして遣(や)らうといふ人(ひと)ではなかつた。
「其先生は何(なに)をしてゐるのかい」と父(ちヽ)が聞(き)いた。
「何(なん)にもして居ないんです」と私が答へた。
私はとくの昔(むかし)から先生の何(なに)もしてゐないといふ事(こと)を父(ちヽ)にも母(はヽ)にも告(つ)げた積(つもり)でゐた。さうして父(ちヽ)はたしかに夫(それ)を記憶してゐる筈であつた。
「何(なに)もしてゐないと云(い)ふのは、また何(ど)ういふ訳かね。御前(まへ)がそれ程尊敬する位な人(ひと)なら何(なに)か遣(や)つてゐさうなものだがね」
父(ちヽ)は斯(か)ういつて、私を諷(ふう)した。父(ちヽ)の考へでは、役に立つものは世の中(なか)へ出てみんな相当の地位を得て働らいてゐる。必竟やくざだから遊(あそ)んでゐるのだと結論してゐるらしかつた。
「おれの様な人間(にんげん)だつて、月給こそ貰(もら)つちやゐないが、是でも遊んでばかりゐるんぢやない」
父はこうも云つた。私は夫(それ)でもまだ黙(だま)つてゐた。
「御前のいふ様な偉(えら)い方(かた)なら、屹度何(なに)か口(くち)を探(さが)して下(くだ)さるよ。頼(たの)んで御覧なのかい」と母(はヽ)が聞(き)いた。
「いヽえ」と私は答(こた)へた。
「ぢや仕方(しかた)がないぢやないか。何故(なぜ)頼(たの)まないんだい。手紙(てがみ)でも好(い)いから御出(おだ)しな」
「えヽ」
私は生返事(なまへんじ)をして席(せき)を立つた。
父(ちヽ)は明(あき)らかに自分の病気を恐れてゐた。然し医者の来(く)るたびに蒼蠅(うるさ)い質問を掛(か)けて相手(あひて)を困(こま)らす質(たち)でもなかつた。医者の方(はう)でも亦遠慮して何(なん)とも云はなかつた。
父(ちヽ)は死後(しご)の事(こと)を考へてゐるらしかつた。少(すく)なくとも自分が居なくなつた後(あと)のわが家(いへ)を想像して見るらしかつた。
「小供に学問をさせるのも、好(よ)し悪(あし)しだね。折角修業をさせると、其小供は決(けつ)して宅(うち)へ帰(かへ)つて来(こ)ない。是(これ)ぢや手(て)もなく親子(おやこ)を隔離するために学問させるやうなものだ」
学問をした結果兄(あに)は今遠国にゐた。教育を受けた因果で、私は又東京に住(す)む覚悟を固(かた)くした。斯(か)ういふ子(こ)を育(そだ)てた父(ちヽ)の愚痴は、もとより不合理ではなかつた。永年(ながねん)住(す)み古(ふる)した田舎家(いなかや)の中(なか)に、たつた一人(ひとり)取(と)り残(のこ)されさうな母(はヽ)を描(ゑが)き出(だ)す父(ちヽ)の想像はもとより淋しいに違(ちが)ひなかつた。
わが家(いへ)は動(うご)かす事(こと)の出来(でき)ないものと父(ちヽ)は信じ切(き)つてゐた。其中(なか)に住(す)む母(はヽ)も亦命(いのち)のある間(あひだ)は、動(うご)かす事(こと)の出来(でき)ないものと信じてゐた。自分が死んだ後(あと)、この孤独な母(はヽ)を、たつた一人(ひとり)伽藍堂(がらんどう)のわが家(いへ)に取(と)り残(のこ)すのも亦甚しい不安であつた。それだのに、東京で好(い)い地位を求(もと)めろと云つて、私を強(し)ひたがる父(ちヽ)の頭(あたま)には矛盾があつた。私は其矛盾を可笑しく思(おも)つたと同時に、其御蔭(おかげ)で又東京へ出(で)られるのを喜(よろ)こんだ。
私は父(ちヽ)や母(はヽ)の手前、此地位を出来る丈の努力で求めつヽある如くに装(よそ)ほはなくてはならなかつた。私は先生に手紙を書(か)いて、家(いへ)の事情を精(くわ)しく述(の)べた。もし自分の力(ちから)で出来る事(こと)があつたら何でもするから周旋して呉れと頼んだ。私は先生が私の依頼に取(と)り合(あ)ふまいと思ひながら此手紙を書(か)いた。又取(と)り合(あ)ふ積(つもり)でも、世間(せけん)の狭(せま)い先生としては何(ど)うする事(こと)も出来(でき)まいと思ひながら此手紙を書(か)いた。然し私は先生から此手紙に対する返事(へんじ)が屹度来(く)るだらうと思つて書いた。
私はそれを封じて出(だ)す前(まへ)に母(はヽ)に向(むか)つて云つた。
「先生に手紙(てがみ)を書(か)きましたよ。あなたの仰(おつ)しやつた通り。 一寸(ちよつと)読(よ)んで御覧なさい」
母(はヽ)は私の想像したごとくそれを読(よ)まなかつた。
「さうかい、夫(それ)ぢや早(はや)く御出(おだ)し。そんな事(こと)は他(ひと)が気(き)を付(つ)けないでも、自分で早(はや)く遣(や)るものだよ」
母(はヽ)は私をまだ子供のやうに思つてゐた。私も実際子供のやうな感(かん)じがした。
「然し手紙ぢや用は足(た)りませんよ。何(ど)うせ、九月にでもなつて、私が東京へ出(で)てからでなくつちや」
「そりや左右(さう)かも知れないけれども、又(また)ひよつとして、何(ど)んな好(い)い口(くち)がないとも限(かぎ)らないんだから、早く頼(たの)んで置くに越(こ)した事(こと)はないよ」
「えヽ。兎に角返事(へんじ)は来(く)るに極(きま)つてますから、さうしたら又御話(おはな)ししませう」
私は斯(こ)んな事(こと)に掛(か)けて几帳面な先生を信(しん)じてゐた。私は先生の返事の来(く)るのを心待(こヽろまち)に待(ま)つた。けれども私の予期はついに外(はづ)れた。先生からは一週間経(た)つても何(なん)の音信(たより)もなかつた。
「大方(おほかた)どこかへ避暑にでも行(い)つてゐるんでせう」
私は母(はヽ)に向(むか)つて云訳(いひわけ)らしい言葉(ことば)を使(つか)はなければならなかつた。さうして其言葉(ことば)は母(はヽ)に対(たい)する言訳(いひわけ)ばかりでなく、自分の心(こヽろ)に対(たい)する言訳(いひわけ)でもあつた。私は強(し)ひても何(なに)かの事情を仮定(かてい)して先生の態度を弁護しなければ不安になつた。
私は時々(とき\゛/)父(ちヽ)の病気を忘れた。いつそ早(はや)く東京へ出(で)てしまはうかと思つたりした。其父(ちヽ)自身もおのれの病気を忘れる事(こと)があつた。未来を心配しながら、未来に対(たい)する所置は一向取(と)らなかつた。私はついに先生の忠告通り財産分配の事(こと)を父(ちヽ)に云ひ出す機会を得ずに過ぎた。
九月始めになつて、私は愈(いよ\/)又東京へ出(で)やうとした。私は父(ちヽ)に向つて当分今迄通り学資を送つて呉れるやうにと頼(たの)んだ。
「此所(こヽ)に斯(か)うしてゐたつて、あなたの仰(おつ)しやる通りの地位が得られるものぢやないですから」
私は父(ちヽ)の希望する地位を得るために東京へ行くやうな事(こと)を云つた。
「無論口(くち)の見付(みつ)かる迄で好(い)いですから」とも云つた。
私は心(こヽろ)のうちで、其口(そのくち)は到底私の頭(あたま)の上(うへ)に落ちて来(こ)ないと思つてゐた。けれども事(じ)情にうとい父(ちヽ)はまた飽(あ)く迄も其反対を信(しん)じてゐた。
「そりや僅(わづか)の間(あひだ)の事(こと)だらうから、何(ど)うにか都合してやらう。其代(そのかは)り永(なが)くは不可(いけな)いよ。相当の地位を得次第独立しなくつちや。元来学校を出(で)た以上、出(で)たあくる日(ひ)から他(ひと)の世話になんぞなるものぢやないんだから。今(いま)の若(わか)いものは、金(かね)を使(つか)ふ道(みち)だけ心得てゐて、金(かね)を取(と)る方(はう)は全く考へてゐないやうだね」
父(ちヽ)は此外(このほか)にもまだ色々(いろ\/)の小言(こごと)を云つた。その中(なか)には、「昔(むかし)の親(おや)は子(こ)に食(く)はせて貰(もら)つたのに、今(いま)の親(おや)は子(こ)に食(く)はれる丈だ」などヽいふ言葉があつた。それ等を私はたヾ黙(だま)つて聞(き)いてゐた。
小言(こごと)が一通(ひととほり)済(す)んだと思つた時(とき)、私は静(しづ)かに席(せき)を立(た)たうとした。父(ちヽ)は何時(いつ)行くかと私に尋ねた。私には早(はや)い丈(だけ)が好(よ)かつた。
「御母(おかあ)さんに日(ひ)を見(み)て貰(もら)ひなさい」
「さう為(し)ませう」
其時(とき)の私は父(ちヽ)の前(まへ)に存外(ぞんがわい)大人(おとな)しかつた。私はなるべく父(ちヽ)の機嫌(きげん)に逆(さから)はずに、田舎(いなか)を出(で)やうとした。父は又私を引(ひ)き留(と)めた。
「御前(まへ)が東京へ行くと宅(うち)は又淋(さみ)しくなる。何(なに)しろ己(おれ)と御母(おかあ)さん丈なんだからね。そのおれも身体(からだ)さへ達者なら好(い)いが、この様子(やうす)ぢや何時(いつ)急に何(ど)んな事(こと)がないとも云へないよ」
私は出来(でき)るだけ父(ちヽ)を慰(なぐ)さめて、自分の机を置いてある所(ところ)へ帰つた。私は取(と)り散(ち)らした書物の間(あひだ)に坐(すは)つて、心細(こヽろぼそ)さうな父(ちヽ)の態度(たいど)と言葉(ことば)とを、幾度(いくたび)か繰(く)り返(かへ)し眺(なが)めた。私は其時又蝉(せみ)の声を聞(き)いた。其声(こえ)は此間中(このあひだぢう)聞(き)いたのと違(ちが)つて、つく\/法師の声(こえ)であつた。私は夏(なつ)郷里に帰(かへ)つて、煮(に)え付(つ)くやうな蝉(せみ)の声(こえ)の中(なか)に凝(ぢつ)と坐(すは)つてゐると、変に悲(かな)しい心持(こヽろもち)になる事(こと)がしば\/あつた。私の哀愁はいつも此虫(このむし)の烈(はげ)しい音(ね)と共に、心(こヽろ)の底(そこ)に沁(し)み込(こ)むやうに感(かん)ぜられた。私はそんな時(とき)にはいつも動(うご)かずに、一人(ひとり)で一人(ひとり)を見詰めてゐた。
私の哀愁は此夏帰省した以後次第(しだい)に情調を変(か)へて来(き)た。油蝉(あぶらぜみ)の声(こえ)がつく\/法師の声(こえ)に変(かは)る如(ごと)くに、私を取り巻(ま)く人(ひと)の運命が、大(おほ)きな輪廻(りんえ)のうちに、そろ\/動(うご)いてゐるやうに思(おも)はれた。私は淋しさうな父(ちヽ)の態度(たいど)と言葉を繰(く)り返(かへ)しながら、手紙を出(だ)しても返事(へんじ)を寄(よ)こさない先生の事(こと)をまた憶(おも)ひ浮(うか)べた。先生と父(ちヽ)とは、丸(まる)で反対の印象を私に与(あた)へる点に於て、比較の上(うへ)にも、連想の上(うへ)にも、一所(しよ)に私の頭(あたま)に上(のぼ)り易(やす)かつた。
私は殆(ほと)んど父(ちヽ)の凡(すべ)ても知り尽(つく)してゐた。もし父(ちヽ)を離(はな)れるとすれば、情合(あひ)の上(うへ)に親子(おやこ)の心残(こヽろのこ)りがある丈であつた。先生の多くはまだ私に解(わか)つてゐなかつた。話すと約束された其人(ひと)の過去もまだ聞(き)く機会を得ずにゐた。要するに先生は私にとつて薄暗(うすぐら)かつた。私は是非とも其所(そこ)を通り越して、明(あか)るい所(ところ)迄(まで)行かなければ気が済(す)まなかつた。先生と関係の絶(た)えるのは私にとつて大(おほ)いな苦痛であつた。私は母(はヽ)に日(ひ)を見(み)て貰(もら)つて、東京へ立(た)つ日取(ひどり)を極(き)めた。
私が愈(いよ\/)立(た)たうといふ間際(まぎは)になつて、(たしか二日前(ふつかまへ)の夕方(ゆふがた)の事(こと)であつたと思ふが、)父(ちヽ)は又突然引(ひ)つ繰(くり)返(かへ)つた。私は其時(とき)書物や衣類を詰(つ)めた行李をからげてゐた。父(ちヽ)は風呂へ入(はい)つた所(ところ)であつた。父(ちヽ)の脊中(せなか)を流(なが)しに行(い)つた母(はヽ)が大きな声を出して私を呼んだ。私は裸体(はだか)の侭(まヽ)母(はヽ)に後(うしろ)から抱(だ)かれてゐる父(ちヽ)を見(み)た。それでも座敷へ伴(つ)れて戻(もど)つた時(とき)、父(ちヽ)はもう大丈夫だと云(い)つた。念の為(ため)に枕元(まくらもと)に坐(すは)つて、濡手拭(ぬれてぬぐひ)で父(ちヽ)の頭(あたま)を冷(ひや)してゐた私は、九時頃(ごろ)になつて漸く形(かたち)ばかりの夜食(やしよく)を済(す)ました。
翌日(よくじつ)になると父(ちヽ)は思(おも)つたより元気が好(よ)かつた。留(と)めるのも聞(き)かずに歩(ある)いて便所(べんじよ)へ行(い)つたりした。
「もう大丈夫」
父は去年の暮(くれ)倒れた時(とき)に私に向(むか)つて云(い)つたと同じ言葉(ことば)を又繰(く)り返(かへ)した。其時は果(はた)して口(くち)で云つた通りまあ大丈夫であつた。私は今度も或は左右(さう)なるかも知れないと思つた。然し医者はたヾ用心が肝要だと注意する丈で、念を押しても判然(はつきり)した事(こと)を話(はな)して呉(く)れなかつた。私は不安のために、出立の日(ひ)が来(き)てもついに東京へ立(た)つ気(き)が起(おこ)らなかつた。
「もう少(すこ)し様子を見(み)てからにしませうか」と私は母(はヽ)に相談した。
「さうして御呉(く)れ」と母(はヽ)が頼(たの)んだ。
母(はヽ)は父(ちヽ)が庭(には)へ出(で)たり脊戸(せど)へ下(お)りたりする元気を見(み)てゐる間(あひだ)丈は平気でいる癖(くせ)に、斯(こ)んな事(こと)が起(おこ)るとまた必要以上に心配したり気を揉(も)んだりした。
「御前(まへ)は今日(けふ)東京へ行く筈ぢやなかつたか」と父(ちヽ)が聞(き)いた。
「えヽ、少し延(の)ばしました」と私が答へた。
「おれの為(ため)にかい」と父(ちヽ)が聞(き)き返(かへ)した。
私は一寸(ちよつと)躊躇(ちうちよ)した。さうだと云へば、父(ちヽ)の病気の重(おも)いのを裏書(うらがき)するやうなものであつた。私は父(ちヽ)の神経を過敏にしたくなかつた。然し父(ちヽ)は私の心(こヽろ)をよく見抜(みぬ)いてゐるらしかつた。
「気の毒(どく)だね」と云つて、庭(には)の方(はう)を向(む)いた。
私は自分の部屋に這入(はい)つて、其所(そこ)に放(はう)り出(だ)された行李を眺(なが)めた。行李は何時(いつ)持(も)ち出(だ)しても差支ないやうに、堅(かた)く括(くヽ)られた侭(まヽ)であつた。私はぼんやり其前(まへ)に立(た)つて、又縄(なは)を解(と)かうかと考へた。
私は坐(すは)つた侭(まヽ)腰(こし)を浮(う)かした時の落付(おちつ)かない気分で、又三四日を過(す)ごした。すると父(ちヽ)が又卒倒した。医者は絶対(ぜつたい)に安臥(あんぐわ)を命(めい)じた。
「何(ど)うしたものだらうね」と母(はヽ)が父(ちヽ)に聞(き)こえないやうな小(ちい)さな声で私に云つた。母の顔は如何にも心細(こヽろぼそ)さうであつた。私は兄と妹に電報を打(う)つ用意をした。けれども寐てゐる父(ちヽ)には、殆んど何(なん)の苦悶(くもん)もなかつた。話(はなし)をする所などを見ると、風邪(かぜ)でも引いた時(とき)と全く同(おな)じ事(こと)であつた。其上食慾は不断(ふだん)よりも進(すヽ)んだ。傍(はた)のものが、注意しても容易に云ふ事(こと)を聞(き)かなかつた。
「何(ど)うせ死(し)ぬんだから、旨(うま)いものでも食(く)つて死(し)ななくつちや」
私には旨(うま)いものといふ父(ちヽ)の言葉が滑稽にも悲酸にも聞(き)こえた。父(ちヽ)は旨(うま)いものを口(くち)に入(い)れられる都(みやこ)には住(す)んでゐなかつたのである。夜(よ)に入(い)つてかき餅(もち)などを焼(や)いて貰(もら)つてぼり\/噛(か)んだ。
「何(ど)うして斯(か)う渇(かは)くのかね。矢張(やつぱり)心(しん)に丈夫の所(ところ)があるのかも知れないよ」
母(はヽ)は失(しつ)望していヽ所(ところ)に却(かへ)つて頼(たの)みを置(お)いた。其癖(くせ)病気の時(とき)にしか使はない渇(かは)くといふ昔風(むかしふう)の言葉(ことば)を、何(なん)でも食(た)べたがる意味に用ひてゐた。
伯父が見舞に来(き)たとき、父(ちヽ)は何時迄(いつまで)も引(ひ)き留(と)めて帰(かへ)さなかつた。淋(さむ)しいからもつと居(ゐ)て呉れといふのが重(おも)な理由であつたが、母(はヽ)や私が、食(た)べたい丈物(もの)を食(た)べさせないといふ不平を訴(うつ)たへるのも、其目的の一(ひと)つであつたらしい。
父(ちヽ)の病気は同じやうな状態で一週間以上つヾゐた。私は其間(あひだ)に長い手紙を九州にゐる兄宛(あにあて)で出(だ)した。妹へは母(はヽ)から出(だ)させた。私は腹(はら)の中(なか)で、恐らく是が父(ちヽ)の健康に関して二人(ふたり)へ遣(や)る最後の音信(たより)だらうと思つた。それで両方へ愈といふ場合には電報を打(う)つから出(で)て来(こ)いといふ意味を書(か)き込(こ)めた。
兄(あに)は忙(いそ)がしい職にゐた。妹は妊娠中(にんしんちう)であつた。だから父(ちヽ)の危険が眼の前(まへ)に逼(せま)らないうちに呼(よ)び寄(よ)せる自由は利(き)かなかつた。と云(い)つて、折角都合して来(き)たには来(き)たが、間(ま)に合(あ)はなかつたと云はれるのも辛(つら)かつた。私は電報を掛(か)ける時機について、人(ひと)の知らない責任を感じた。
「さう判然(はつきり)りした事(こと)になると私にも分(わか)りません。然し危険は何時(いつ)来(く)るか分(わか)らないといふ事(こと)丈は承知してゐて下(くだ)さい」
停車場のある町(まち)から迎(むか)へた医者は私に斯う云つた。私は母(はヽ)と相談して、其医者の周旋で、町の病院から看護婦を一人(ひとり)頼(たの)む事(こと)にした。父(ちヽ)は枕元(まくらもと)へ来(き)て挨拶する白い服(ふく)を着(き)た女を見(み)て変な顔(かほ)をした。
父(ちヽ)は死病に罹(かヽ)つてゐる事をとうから自覚(じかく)してゐた。それでゐて、眼前にせまりつつある死(し)そのものには気が付(つ)かなかつた。
「今(いま)に癒(なほ)つたらもう一返東京へ遊(あそ)びに行(い)つて見(み)やう。人間(にんげん)は何時(いつ)死(し)ぬか分(わか)らないからな。何(なん)でも遣(や)りたい事(こと)は生(い)きてるうちに遣(や)つて置(お)くに限る」
母(はヽ)は仕方なしに「其時(とき)は私も一所に伴(つ)れて行(い)つて頂(いたヾ)きませう」などヽ調子を合(あは)せてゐた。
時(とき)とすると又非常に淋(さみ)しがつた。
「おれが死(し)んだら、どうか御母(かあ)さんを大事(だいじ)にして遣(や)つてくれ」
私は此「おれが死(し)んだら」といふ言葉に一種の記憶を有つてゐた。東京を立(た)つ時(とき)、先生が奥(おく)さんに向(むか)つて何遍(なんべん)もそれを繰り返(かへ)したのは、私が卒業した日(ひ)の晩(ばん)の事(こと)であつた。私は笑を帯びた先生の顔と、縁喜(えんぎ)でもないと耳(みヽ)を塞(ふさ)いだ奥(おく)さんの様子とを憶(おも)ひ出(だ)した。あの時(とき)の「おれが死(し)んだら」は単純な仮定であつた。今私が聞(き)くのは何時(いつ)起(おこ)るか分らない事実(じじつ)であつた。私は先生に対する奥さんの態度を学(まな)ぶ事(こと)が出来(でき)なかつた。然し口(くち)の先(さき)では何(なん)とか父(ちヽ)を紛(まぎ)らさなければならなかつた。
「そんな弱い事(こと)を仰(おつ)しやつちや不可(いけま)せんよ。今(いま)に癒(なほ)つたら東京へ遊びに入(い)らつしやる筈ぢやありませんか。御母(かあ)さんと一所に。今度入らつしやると屹度吃驚(びつくり)しますよ、変(かは)つてゐるんで。電車の新(あた)らしい線路丈でも大変増(ふ)えてゐますからね。電車が通(とほ)るやうになれば自然町並(まちなみ)も変(かは)るし、その上(うへ)に市区改正もあるし、東京が凝(ぢつ)としてゐる時(とき)は、まあ二六時中(じちう)一分(ぷん)もないと云つて可(い)い位です」
私は仕方がないから云(い)はないで可(い)い事(こと)迄喋舌(しやべ)つた。父(ちヽ)はまた満足らしくそれを聞(き)いてゐた。
病人があるので自然家(いへ)の出入(でいり)も多くなつた。近所にゐる親類などは、二日に一人(ひとり)位の割(わり)で代(かは)る\/見舞(みまひ)に来(き)た。中(なか)には比較的遠くに居て平生疎遠なものもあつた。「何(ど)うかと思つたら、この様子ぢや大丈夫だ。話(はなし)も自由だし、だいち顔(かほ)がちつとも瘠(や)せてゐないぢやないか」などヽ云つて帰るものがあつた。私の帰つた当時はひつそりし過(す)ぎる程静(しづか)であつた家庭が、こんな事(こと)で段々ざわ\/し始めた。
その中(なか)に動(うご)かずにゐる父(ちヽ)の病気は、たヾ面白くない方(はう)へ移つて行くばかりであつた。私は母(はヽ)や伯父と相談して、とう\/兄(あに)と妹(いもと)に電報を打(う)つた。兄(あに)からはすぐ行くといふ返事が来(き)た。妹の夫(おさと)からも立(た)つといふ報知(しらせ)があつた。妹は此前懐妊(くわいにん)した時(とき)に流産したので、今度こそは癖(くせ)にならないやうに大事を取(と)らせる積(つもり)だと、かねて云ひ越(こ)した其夫(おつと)は、妹(いもと)の代りに自分で出て来(く)るかも知れなかつた。
斯(か)うした落付(おちつき)のない間(あひだ)にも、私はまだ静(しづ)かに座(すは)る余裕を有(も)つてゐた。偶(たま)には書物を開(あ)けて十頁(ページ)もつヾけざまに読む時間(じかん)さへ出て来(き)た。一旦(たん)堅(かた)く括(くヽ)られた私の行李は、何時(いつ)の間(ま)にか解(と)かれて仕舞つた。私は要(い)るに任(まか)せて、其中(そのなか)から色々(いろ\/)なものを取(と)り出(だ)した。私は東京を立(た)つ時(とき)、心(こヽろ)のうちで極(き)めた、此夏中(なつぢう)の日課を顧(かへり)みた。私の遣(や)つた事(こと)は此日課の三ヶ一にも足(た)らなかつた。私は今迄も斯(か)ういふ不愉快を何度(ど)となく重(かさ)ねて来(き)た。然し此夏(なつ)程思(おも)つた通り仕事(しごと)の運(はこ)ばない例(ためし)も少(すく)なかつた。是が人(ひと)の世(よ)の常(つね)だらうと思ひながらも私は厭(いや)な気持(きもち)に抑(おさ)え付(つ)けられた。
私は此不快(ふくわい)の裏(うち)に坐(すは)りながら、一方(いつぽう)に父(ちヽ)の病気を考へた。父(ちヽ)の死(し)んだ後(あと)の事(こと)を想像した。さうして夫(それ)と同時(じ)に、先生の事(こと)を一方に思ひ浮べた。私は此不快な心持(こヽろもち)の両端に地位、教育、性格の全然異(こと)なつた二人(ふたり)の面影(かげ)を眺(なが)めた。
私が父(ちヽ)の枕元(まくらもと)を離(はな)れて、独(ひと)り取(と)り乱(みだ)した書物の中(なか)に腕組(うでぐみ)をしてゐる所(ところ)へ母(はヽ)が顔(かほ)を出した。
「少し午眠(ひるね)でもおしよ。御前(まへ)も嘸(さぞ)草臥(くたび)れるだらう」
母は私の気分を了解してゐなかつた。私も母(はヽ)からそれを予期する程の子供でもなかつた。私は単簡に礼を述(の)べた。母(はヽ)はまだ室(へや)の入口(いりくち)に立(た)つてゐた。
「御父(おとう)さんは?」と私が聞(き)いた。
「今(いや)よく寐(ね)て御出(おいで)だよ」と母(はヽ)が答(こた)へた。
母(はヽ)は突然這入(はい)つて来(き)て私の傍(そば)に坐()すはつた。
「先生からまだ何(なん)とも云つて来(こ)ないかい」と聞(き)いた。
母(はヽ)は其時(そのとき)の私の言葉を信じてゐた。其時(そのとき)の私は先生から屹度返事(へんじ)があると母(はヽ)に保証した。然し父(ちヽ)や母(はヽ)の希望するやうな返事(へんじ)が来(く)るとは、其時(そのとき)の私も丸(まる)で期待(きたい)しなかつた。私は心得があつて母(はヽ)を欺(あざ)むいたと同じ結果に陥(おちい)つた。
「もう一遍手紙を出(だ)して御覧(らん)な」と母(はヽ)が云(い)つた。
役(やく)に立(た)たない手紙を何通(なんつう)書(か)かうと、それが母の慰安になるなら、手数を厭ふやうな私ではなかつた。けれどもこ斯(か)ういふ用件で先生にせまるのは私の苦痛であつた。私は父(ちヽ)に叱(しか)られたり、母(はヽ)の機嫌を損(そん)じたりするよりも、先生から見下(みさ)げられるのを遙(はる)かに恐(おそ)れてゐた。あの依頼に対して今迄(いままで)返事(へんじ)の貰(もら)へないのも、或はさうした訳(わけ)からぢやないかしらといふ邪推もあつた。
「手紙(てがみ)を書(か)くのは訳(わけ)はないですが、斯(か)ういふ事(こと)は郵便(びん)ぢやとても埒(らち)は明(あ)きませんよ。何(ど)うしても自分で東京へ出(で)て、ぢかに頼(たの)んで廻(まは)らなくつちや」
「だつて御父(おとう)さんがあの様子ぢや、御前(まへ)、何時(いつ)東京へ出(で)られるか分(わか)らないぢやないか」
「だから出(で)やしません。癒(なほ)るとも癒(なほ)らないとも片付(かたづか)ないうちは、ちやんと斯(か)うしてゐる積(つもり)です」
「そりや解(わか)り切(き)つた話(はなし)だね。今(いま)にも六(む)づかしいといふ大(たい)病人を放(ほう)ちらかして置(お)いて、誰(だれ)が勝手(かつて)に東京へなんか行(い)けるものかね」
私は始め心(こヽろ)のなかで、何(なに)も知らない母(はヽ)を憐れんだ。然し母(はヽ)が何故(なぜ)斯(こ)んな問題を此(この)ざわ\/した際(さい)に持(も)ち出(だ)したのか理解出来なかつた。私が父(ちヽ)の病気を余所(よそ)に、静(しづ)かに坐(すは)つたり書見したりする余裕のある如(ごと)くに、母(はヽ)も眼(め)の前(まへ)の病人を忘(わす)れて、外(ほか)の事(こと)を考へる丈(だけ)、胸(むね)に空地(すきま)があるのか知(し)らと疑(うたぐ)つた。其時(とき)「実(じつ)はね」と母(はヽ)が云ひ出(だ)した。
「実は御父(とう)さんの生(い)きて御出(おいで)のうちに、御前(まへ)の口(くち)が極(きま)つたら嘸(さぞ)安心(しん)なさるだらうと思ふんだがね。此様子ぢや、とても間(ま)に合(あ)はないかも知れないけれども、夫(それ)にしても、まだあヽ遣(や)つて口(くち)も慥(たしか)なら気(き)も慥(たしか)なんだから、あヽして御出(いで)のうちに喜(よろ)こばして上(あ)げるやうに親(おや)孝行をおしな」
憐(あは)れな私は親孝行の出来(でき)ない境遇にゐた。私は遂に一行の手紙も先生に出(だ)さなかつた。
兄(あに)が帰つて来(き)た時(とき)、父(ちヽ)は寐ながら新聞を読んでゐた。父(ちヽ)は平生から何(なに)を措(お)いても新聞丈(だけ)には眼(め)を通す習慣であつたが、床(とこ)についてからは、退屈のため猶更(さら)それを読(よ)みたがつた。母(はヽ)も私も強ひては反対せずに、成るべく病人の思ひ通りにさせて置(お)いた。
「さういふ元気なら結構なものだ。余程(よつぽど)悪(わる)いかと思つて来(き)たら、大変好(い)いやうぢやありませんか」
兄(あに)は斯(こ)んな事(こと)を云ひながら父(ちヽ)と話(はなし)をした。其賑(にぎ)やか過(す)ぎる調子が私には却つて不調和に聞(き)こえた。それでも父(ちヽ)の前(まへ)を外(はづ)して私と差(さ)し向(むか)ひになつた時(とき)は、寧(むし)ろ沈(しづ)んでゐた。
「新聞なんか読(よ)ましちや不可(いけ)なかないか」
「私もさう思ふんだけれども、読まないと承知しないんだから、仕様がない」
兄(あに)は私の弁解(かい)を黙(だま)つて聞(き)いてゐた。やがて、「能く解(わか)るのかな」と云つた。兄(あに)は父(ちヽ)の理解力が病気のために、平生よりは余程鈍(にぶ)つてゐるやうに観察したらしい。
「そりや慥(たしか)です。私はさつき二十分許(ばかり)枕元(まくらもと)に坐(すは)つて色々(いろ\/)話(はな)して見たが、調子の狂(くる)つた所(ところ)は少(すこ)しもないです。あの様子ぢやことによると未(ま)だ中々(なか\/)持(も)つかも知れませんよ」
兄(あに)と前後(ぜんご)して着(つ)いた妹の夫(おつと)の意見は、我々よりもよほど楽観的であつた。父(ちヽ)は彼に向(むか)つて妹の事(こと)をあれこれと尋ねてゐた。「身体(からだ)が身体(からだ)だから無暗(やみ)に汽車になんぞ乗(の)つて揺(ゆ)れない方(はう)が好(い)い。無理をして見舞(みまひ)に来(こ)られたりすると、却つて此方(こつち)が心配だから」と云つてゐた。「なに今(いま)に治(なほ)つたら赤ん坊の顔でも見(み)に、久(ひさ)し振(ぶり)に此方(こつち)から出掛(でかけ)るから差支ない」とも云つてゐた。
乃木大将の死(し)んだ時(とき)も、父(ちヽ)は一番さきに新聞でそれを知つた。
「大変だ大変だ」と云つた。
何事(なにごと)も知らない私達は此突然な言葉に驚ろかされた。
「あの時(とき)は愈(いよ\/)頭(あたま)が変(へん)になつたのかと思つて、ひやりとした」と後(あと)で兄(あに)が私に云つた。「私も実は驚ろきました」と妹の夫(おつと)も同感(どうかん)らしい言葉つきであつた。
其頃(そのころ)の新聞は実際田舎(いなか)ものには日毎(ひごと)に待(ま)ち受(う)けられるやうな記事(きじ)ばかりあつた。私は父(ちヽ)の枕元(まくらもと)に坐(すは)つて鄭寧にそれを読(よ)んだ。読む時間のない時は、そつと自分の室(へや)へ持(も)つて来(き)て、残(のこ)らず眼(め)を通した。私の眼(め)は長(なが)い間(あひだ)、軍服を着(き)た乃木大将と、それから官女見(み)たやうな服装(なり)をした其夫人の姿(すがた)を忘れる事(こと)が出来(でき)なかつた。
悲痛な風(かぜ)が田舎(いなか)の隅(すみ)迄吹(ふ)いて来(き)て、眠(ねむ)たさうな樹(き)や草(くさ)を震(ふる)はせてゐる最中に、突然私は一通の電報を先生から受取(うけと)つた。洋服を着(き)た人(ひと)を見(み)ると犬が吠えるやうな所では、一通の電報すら大事件であつた。それを受取(うけと)つた母(はヽ)は、果(はた)して驚ろいたやうな様子をして、わざ\/私を人(ひと)のゐない所(ところ)へ呼(よ)び出(だ)した。
「何(なん)だい」と云つて、私の封を開(ひら)くのを傍(そば)に立(た)つて待(ま)つてゐた。
電報には一寸(ちよつと)会(あ)ひたいが来(こ)られるかといふ意味が簡単に書(か)いてあつた。私は首(くび)を傾(かたむ)けた。
「屹度(きつと)御頼(おたの)もうして置(お)いた口(くち)の事(こと)だよ」と母(はヽ)が推断して呉れた。
私も或は左右(さう)かも知れないと思つた。然しそれにしては少(すこ)し変(へん)だとも考へた。兎に角兄(あに)や妹の夫(おつと)迄呼び寄(よ)せた私が、父(ちヽ)の病気を打遣(うちや)つて、東京へ行く訳(わけ)には行かなかつた。私は母(はヽ)と相談して、行かれないといふ返電を打(う)つ事(こと)にした。出来る丈簡略な言葉で父(ちヽ)の病気の危篤に陥いりつヽある旨(むね)も付(つ)け加へたが、夫(それ)でも気が済(す)まなかつたから、委細手紙として、細(こま)かい事情を其日(ひ)のうちに認(した)ためて郵便で出した。頼(たの)んだ位地の事(こと)とばかり信(しん)じ切(き)つた母(はヽ)は、「本当に間(ま)の悪(わる)い時(とき)は仕方(しかた)のないものだね」と云つて残念さうな顔をした。
私の書(か)いた手紙は可(か)なり長いものであつた。母(はヽ)も私も今度こそ先生から何とか云つて来(く)るだらうと考へてゐた。すると手紙を出(だ)して二日目(ふつかめ)にまた電報が私宛で届いた。それには来(こ)ないでもよろしいといふ文句だけしかなかつた。私はそれを母(はヽ)に見せた。 「大方(おほかた)手紙で何(なん)とか云つてきて下(くだ)さる積(つもり)だらうよ」
母(はヽ)は何処迄(どこまで)も先生が私のために衣食の口(くち)を周旋して呉(く)れるものと許(ばかり)解釈してゐるらしかつた。私も或は左右(さう)かとも考へたが、先生の平生から推して見ると、何(ど)うも変(へん)に思はれた。「先生が口(くち)を探(さが)してくれる」。これは有(あ)り得べからざる事(こと)のやうに私には見えた。
「兎に角私の手紙はまだ向(むかふ)へ着(つ)いてゐない筈だから、此(この)電報は其前(まへ)に出(だ)したものに違(ちがひ)ないですね」
私は母(はヽ)に向(むか)つて斯(こ)んな分(わか)り切(き)つた事(こと)を云つた。母(はヽ)は又尤(もつと)もらしく思案しながら「左右(さう)だね」と答へた。私の手紙を読まない前(まへ)に、先生が此(この)電報を打(う)つたといふ事(こと)が、先生を解釈する上(うへ)に於て、何(なん)の役(やく)にも立(た)たないのは知れてゐるのに。
其日(そのひ)は丁度主治医が町(まち)から院長を連(つ)れて来(く)る筈になつてゐたので、母(はヽ)と私はそれぎり此事件に就(つ)いて話(はなし)をする機会がなかつた。二人(ふたり)の医者は立(た)ち合(あひ)の上(うへ)、病人に浣腸(など)などをして帰つて行つた。
父(ちヽ)は医者から安臥を命(めい)ぜられて以来、両便(べん)とも寐(ね)たまヽ他(ひと)の手(て)で始末(しまつ)して貰(もら)つてゐた。潔癖な父(ちヽ)は、最初の間(あひだ)こそ甚しくそれを忌(い)み嫌(きら)つたが、身体(からだ)が利(き)かないので、已を得ずいや\/床(とこ)の上(うへ)で用を足(た)した。それが病気の加減で頭(あたま)がだん\/鈍(にぶ)くなるのか何(なん)だか、日(ひ)を経(ふ)るに従つて、無精な排泄を意としないやうになつた。たまには蒲団や敷布(しきふ)を汚(よご)して、傍(はた)のものが眉(まゆ)を寄(よ)せるのに、当人は却つて平気でゐたりした。尤も尿の量は病気の性質として、極めて少(すく)なくなつた。医者はそれを苦(く)にした。食慾も次第に衰へた。たまに何か欲(ほ)しがつても、舌(した)が欲(ほ)しがる丈で、咽喉(のど)から下(した)へは極僅(ごくわづか)しか通(とほ)らなかつた。好(すき)な新聞も手(て)に取(と)る気力がなくなつた。枕(まくら)の傍(そば)にある老眼鏡は、何時迄(いつまで)も黒(くろ)い鞘(さや)に納められた侭(まヽ)であつた。子供の時分から仲(なか)の好(よ)かつた作(さく)さんといふ今では一里ばかり隔(へだた)つた所(ところ)に住(す)んでゐる人(ひと)が見舞(みまひ)に来(き)た時(とき)、父(ちヽ)は「あヽ作(さく)さんか」と云つて、どんよりした眼(め)を作さんの方(はう)に向(む)けた。
「作さんよく来(き)て呉(く)れた。作さんは丈夫で羨ましいね。己(おれ)はもう駄目(だめ)だ」
「そんな事(こと)はないよ。御前(まへ)なんか子供は二人(ふたり)とも大学を卒業するし、少し位(ぐらゐ)病気になつたつて、申し分(ぶん)はないんだ。おれを御覧よ。かヽあには死(し)なれるしさ、子供はなしさ。たヾ斯(か)うして生(い)きてゐる丈の事(こと)だよ。達者だつて何(なん)の楽(たの
)しみもないぢやないか」
浣腸をしたのは作さんが来(き)てから二三日あとの事(こと)であつた。父(ちヽ)は医者の御蔭で大変楽(らく)になつたといつて喜(よろ)こんだ。少し自分の寿命に対(たい)する度胸が出来(でき)たといふ風に機嫌(きげん)が直(なほ)つた。傍(そば)にゐる母(はヽ)は、それに釣(つ)り込(こ)まれたのか、病人に気力を付(つ)けるためか、先生から電報のきた事(こと)を、恰も私の位置が父(ちヽ)の希望する通り東京にあつたやうに話(はな)した。傍(そば)にゐる私はむづがゆい心持(こヽろもち)がしたが、母(はヽ)の言葉を遮(さへぎ)る訳にも行かないので、黙(だま)つて聞(き)いてゐた。病人は嬉(うれ)しさうな顔(かほ)をした。
「そりや結構です」と妹の夫(おつと)も云つた。
「何(なん)の口(くち)だかまだ分(わか)らないのか」と兄(あに)が聞(き)いた。
私は今更(いまさら)それを否定する勇気を失(うしな)つた。自分にも何(なん)とも訳の分(わか)らない曖昧な返事をして、わざと席(せき)を立(た)つた。
父(ちヽ)の病気は最後の一撃を待(ま)つ間際(まぎは)迄進(すヽ)んで来(き)て、其所(そこ)でしばらく躊躇するやうに見(み)えた。家(いへ)のものは運命の宣告(せんこく)が、今日(けふ)下(くだ)るか、今日(けふ)下(くだ)るかと思つて、毎夜(まいよ)床(とこ)に這入(はい)つた。
父(ちヽ)は傍(はた)のものを辛(つら)くする程の苦痛を何処(どこ)にも感じてゐなかつた。其点になると看病は寧(むし)ろ楽(らく)であつた。要心のために、誰(だれ)か一人位(ひとりぐらゐ)づヽ代(かは)る\/起(お)きてはゐたが、あとのものは相当の時間(じかん)に各自(めい\/)の寐床(ねどこ)へ引き取(と)つて差支(さしつかへ)なかつた。何(なに)かの拍子で眠(ねむ)れなかつた時(とき)、病人の唸(うな)るやうな声(こえ)を微(かす)かに聞(き)いたと思ひ誤(あや)まつた私は、一遍半夜(よなか)に床(とこ)を抜(ぬ)け出(だ)して、念(ねん)のため父(ちヽ)の枕元(まくらもと)迄行(い)つて見た事(こと)があつた。其夜(そのよ)は母(はヽ)が起きてゐる番に当つてゐた。然し其母(はヽ)は父(ちヽ)の横(よこ)に肱(ひぢ)を曲(ま)げて枕(まくら)としたなり寐入(ねい)つてゐた。父(ちヽ)も深い眠(ねむ)りの裏(うち)にそつと置(お)かれた人(ひと)のやうに静(しづか)にしてゐた。私は忍(しの)び足(あし)で又自分の寐床(ねどこ)へ帰(かへ)つた。
私は兄(あに)と一所の蚊帳(かや)の中(なか)に寐(ね)た。妹の夫(おつと)だけは、客扱(きやくあつか)ひを受(う)けてゐる所為(せゐ)か、独り離れた座敷(ざしき)に入(い)つて休(やす)んだ。
「関(せき)さんも気の毒(どく)だね。あヽ幾日(いくにち)も引(ひ)つ張(ぱ)られて帰(かへ)れなくつちあ」
関といふのは其人(ひと)の苗字であつた。
「然しそんな忙(いそ)がしい身体(からだ)でもないんだから、あヽして泊(とま)つてゐて呉(く)れるんでせう。関さんよりも兄(にい)さんの方(はう)が困(こま)るでせう、斯(か)う長(なが)くなつちや」
「困(こま)つても仕方(しかた)がない。外(ほか)の事(こと)と違(ちが)ふからな」
兄(あに)と床(とこ)を並(なら)べて寐(ね)る私は、斯(こ)んな寐物語(ねものがた)りをした。兄(あに)の頭(あたま)にも私の胸(むね)にも、父(ちヽ)は何(ど)うせ助(たす)からないといふ考があつた。何(ど)うせ助(たす)からないものならばといふ考もあつた。我々は子(こ)として親(おや)の死(し)ぬのを待(ま)つてゐるやうなものであつた。然し子としての我々はそれを言葉(ことば)の上(うへ)に表はすのを憚(はヾ)かつた。さうして御互(おたがひ)に御互(たがひ)が何(ど)んな事(こと)を思つてゐるかをよく理解し合つてゐた。
「御父(とう)さんは、まだ治(なほ)る気でゐるやうだな」と兄(あに)が私に云つた。
実際兄(あに)の云ふ通(とほ)りに見(み)える所(ところ)もないではなかつた。近所のものが見舞にくると、父(ちヽ)は必ず会(あ)ふと云つて承知しなかつた。会(あ)へば屹度(きつと)、私の卒業祝ひに呼ぶ事(こと)が出来なかつたのを残念がつた。其代り自分の病気が治(なほ)つたらといふやうな事(こと)も時々(とき\゛/)付(つ)け加へた。
「御前(おまへ)の卒業祝ひは已(や)めになつて結構だ。おれの時(とき)には弱(よは)つたからね」と兄(あに)は私の記憶を突(つ)ツついた。私はアルコールに煽(あほ)られた其時(とき)の乱雑(ざつ)な有様を想ひ出して苦笑した。飲(の)むものや食(く)ふものを強(し)ひて廻(まは)る父(ちヽ)の態度も、にが\/しく私の眼(め)に映(うつ)つた。
私達はそれ程仲(なか)の好(い)い兄弟ではなかつた。小(ち)さいうちは好(よ)く喧嘩をして、年(とし)の少(すく)ない私の方がいつでも泣(な)かされた。学校へ這入(はいつ)てからの専門の相違も、全く性格の相違から出(で)てゐた。大学にゐる時分(じぶん)の私は、ことに先生に接触した私は、遠くから兄(あに)を眺(なが)めて、常(つね)に動物的だと思つてゐた。私は長く兄(あに)に会(あ)はなかつたので、又懸け隔(へだた)つた遠くに居たので、時(とき)から云つても距離(きより)からいつても、兄(あに)はいつでも私には遠かつたのである。それでも久(ひさ
)し振(ぶり)に斯(か)う落ち合つてみると、兄弟(だい)の優(やさ)しい心持(こヽろもち)が何処(どこ)からか自然に湧いて出た。場合が場合なのもその大きな源因になつてゐた。二人(ふたり)に共通な父(ちヽ)、其父(ちヽ)の死(し)なうとしてゐる枕元(まくらもと)で、兄(あに)と私は握手したのであつた。
「御前是(これ)から何(ど)うする」と兄(あに)は聞(き)いた。私は又全く見当の違(ちが)つた質問(しつもん)を兄(あに)に掛(か)けた。
「一体家(うち)の財産は何(ど)うなつてるんだらう」
「おれは知らない。御父(とう)さんはまだ何(なん)とも云はないから。然し財産つて云つた所で金(かね)としては高(たか)の知れたものだらう」
母は又母(はヽ)で先生の返事(へんじ)の来(く)るのを苦(く)にしてゐた。
「まだ手紙は来(こ)ないかい」と私を責(せ)めた。