心(こヽろ) 先生の遺書(五十一)

 「先生先生といふのは一体誰(だれ)の事(こと)だい」と兄(あに)が聞(き)いた。
 「こないだ話(はな)したぢやないか」と私は答(こた)へた。私は自分で質問して置(お)きながら、すぐ他(ひと)の説明を忘れてしまふ兄(あに)に対(たい)して不快の念を起(おこ)した。
 「聞(き)いた事(こと)は聞(き)いたけれども」
 兄(あに)は必竟聞(き)いても解(わか)らないと云(い)ふのであつた。私から見ればなにも無理に先生を兄(あに)に理解して貰(もら)ふ必要はなかつた。けれども腹(はら)は立(た)つた。又例の兄(あに)らしい所(ところ)が出(で)て来(き)たと思つた。
 先生々々と私が尊敬する以上、其人は必ず著名の士でなくてはならないやうに兄(あに)は考へてゐた。少(すく)なくとも大学の教授位だらうと推察してゐた。名(な)もない人(ひと)、何(なに)もしてゐない人(ひと)、それが何処(どこ)に価値を有(も)つてゐるだらう。兄(あに)の腹(はら)は此点に於て、父(ちヽ)と全(まつた)く同じものであつた。けれども父(ちヽ)が何(なに)も出来(でき)ないから遊(あそ)んでゐるのだと速断(そくだん)するのに引きかへて、兄(あに)は何(なに)か遣(や)れる能力があるのに、ぶら\/してゐるのは詰(つま)らん人間(にんげん)に限(かぎ)ると云つた風(ふう)の口吻(ふん)を洩(も)らした。
 「イゴイストは不可(いけな)いね。何(なに)もしないで生(い)きてゐやうといふのは横着な了簡だからね。人(ひと)は自分の有(も)つてゐる才能を出来る丈働(はた)らかせなくつちや嘘(うそ)だ」
 私は兄(あに)に向(むか)つて、自分の使(つか)つてゐるイゴイストの意味が能(よ)く解(わか)るかと聞(き)き返(かへ)して遣(や)りたかつた。
 「それでも其人(そのひと)の御蔭(おかげ)で地位が出来(でき)ればまあ結構だ。御父(とう)さんも喜(よろ)こんでるやうぢやないか」
 兄(あに)は後(あと)から斯(こ)んな事(こと)を云つた。先生から明瞭な手紙の来(こ)ない以上、私はさう信ずる事(こと)も出来ず、またさう口(くち)に出(だ)す勇気もなかつた。それを母(はヽ)の早呑込(はやのみこみ)でみんなにさう吹聴してしまつた今(いま)となつて見ると、私は急にそれを打(う)ち消(け)す訳(わけ)に行かなくなつた。私は母(はヽ)に催促される迄(まで)もなく、先生の手紙(てがみ)を待(ま)ち受(う)けた。さうして其手紙(てがみ)に、何(ど)うかみんなの考へてゐるやうな衣食の口(くち)の事(こと)が書(か)いてあれば可(い)いがと念じた。私は死に瀕(ひん)してゐる父(ちヽ)の手前(てまへ)、其父(ちヽ)に幾分でも安心させて遣(や)りたいと祈りつヽある母(はヽ)の手前、働らかなければ人間でないやうにいふ兄(あに)の手前、其他妹の夫(おつと)だの伯父だの叔母だのヽ手前、私のちつとも頓着してゐない事(こと)に、神経を悩(なや)まさなければならなかつた。
 父(ちヽ)が変な黄色(きいろ)いものを嘔(は)いた時(とき)、私はかつて先生と奥さんから聞(き)かされた危険を思ひ出(だ)した。「あヽして長(なが)く寐(ね)てゐるんだから胃も悪(わる)くなる筈だね」と云つた母(はヽ)の顔(かほ)を見(み)て、何も知らない其人(そのひと)の前(まへ)に涙(なみだ)ぐんだ。
 兄と私が茶の間(ま)で落ち合つた時(とき)、兄(あに)は「聞(き)いたか」と云つた。それは医者が帰り際(ぎは)に兄(あに)に向(むか)つて云つた事(こと)を聞(き)いたかといふ意味であつた。私には説明を待(ま)たないでも其意味が能く解(わか)つてゐた。
 「御前(まへ)此所(こヽ)へ帰つて来(き)て、宅(うち)の事(こと)を監理する気はないか」と兄(あに)が私を顧みた。私は何とも答へなかつた。
 「御母(おかあ)さん一人(ひとり)ぢや、何(ど)うする事(こと)も出来(でき)ないだらう」と兄(あに)が又云つた。兄(あに)は私を土(つち)の臭(にほひ)を嗅(か)いで朽(く)ちて行つても惜(お)しくないやうに見てゐた。
 「本(ほん)を読む丈(だけ)なら、田舎(いなか)でも充分出来るし、それに働らく必要もなくなるし、丁度好(い)いだらう」
 「兄(にい)さんが帰(かへ)つて来(く)るのが順ですね」と私が云つた。
 「おれにそんな事(こと)が出来(でき)るものか」と兄(あに)は一口(ひとくち)に斥(しりぞ)けた。兄(あに)の腹(はら)の中(なか)には、世(よ)の中(なか)で是(これ)から仕事(しごと)をしやうといふ気が充(み)ち満(み)ちてゐた。
 「御前が厭(いや)なら、まあ伯父さんにでも世話を頼(たの)むんだが、夫(それ)にしても御母(おかあ)さんは何方(どつち)かで引き取(と)らなくつちやなるまい」
 「御母(おかあ)さんが此所(ここ)を動(うご)くか動(うご)かないかヾ既に大きな疑問(もん)ですよ」
 兄弟はまだ父(ちヽ)の死なない前(まへ)から、父(ちヽ)の死んだ後(あと)に就いて、斯(こ)んな風(ふう)に語(かた)り合(あ)つた。


心(こヽろ) 先生の遺書(五十二)

 父(ちヽ)は時々(とき\゛/)囈語(うはこと)を云ふ様(やう)になつた。
 「乃木大将に済(す)まない。実に面目次第がない。いへ私もすぐ御後(おあと)から」
 斯(こ)んな言葉をひよい\/出(だ)した。母(はヽ)は気味を悪(わる)がつた。成(な)るべくみんなを枕元へ集(あつ)めて置きたがつた。気のたしかな時(とき)は頻りに淋(さび)しがる病人にもそれが希望らしく見えた。ことに室(へや)の中(うち)を見廻して母(はヽ)の影(かげ)が見えないと、父(ちヽ)は必ず「御光(みつ)は」と聞(き)いた。聞(き)かないでも、眼(め)がそれを物語つてゐた。私はよく起(た)つて母(はヽ)を呼(よ)びに行(い)つた。「何か御用ですか」と、母(はヽ)が仕掛(しかけ)た用を其侭にして置(お)いて病室へ来(く)ると、父(ちヽ)はたヾ母(はヽ)の顔(かほ)を見詰(みつ)める丈で何も云はない事(こと)があつた。さうかと思ふと、丸で懸け離(はな)れた話(はなし)をした。突然「御光(みつ)御前(まへ)にも色々世話になつたね」などと優(やさ)しい言葉(ことば)を出す時(とき)もあつた。母(はヽ)はさう云ふ言葉(ことば)の前(まへ)に屹度(きつと)涙(なみだ)ぐんだ。さうして後(あと)では又(また)屹度丈夫であつた昔(むかし)の父(ちヽ)を其対照として想ひ出すらしかつた。
 「あんな憐(あは)れつぽい事(こと)を御言(おい)ひだがね、あれでもとは随分酷(ひど)かつたんだよ」
 母(はヽ)は父(ちヽ)のために箒で脊中(なか)をどやされた時の事(こと)などを話(はな)した。今迄何遍(べん)もそれを聞(き)かされた私と兄(あに)は、何時(いつ)もとは丸で違(ちが)つた気分で、母(はヽ)の言葉(ことば)を父(ちヽ)の記念(かたみ)のやうに耳(みヽ)へ受(う)け入(い)れた。
 父(ちヽ)は自分の眼(め)の前(まへ)に薄暗(うすぐら)く映(うつ)る死(し)の影(かげ)を眺(なが)めながら、まだ遺言らしいものを口(くち)に出(だ)さなかつた。
 「今(いま)のうち何(なに)か聞(き)いて置く必要はないかな」と兄(あに)が私の顔(かほ)を見(み)た。
 「左右(さう)だなあ」と私は答へた。私はこちらから進んでそんな事(こと)を持(も)ち出すのも病人のために好(よ)し悪(あ)しだと考へてゐた。二人(ふたり)は決しかねてついに伯父に相談をかけた。伯父も首(くび)を傾(かたむ)けた。
 「云ひたい事(こと)があるのに、云はないで死(し)ぬのも残念だらうし、と云(い)つて、此方(こつち)から催促するのも悪(わる)いかも知(し)れず」
 話(はなし)はとう\/愚図(ぐづ)々々になつて仕舞つた。そのうちに昏睡が来(き)た。例の通り何(なに)も知らない母(はヽ)は、それをたヾの眠(ねむり)と思ひ違(ちが)へて反(かへ)つて喜(よろ)こんだ。「まああヽして楽(らく)に寐(ね)られヽば、傍(はた)にゐるものも助(たす)かります」と云つた。
 父(ちヽ)は時々(とき\゛/)眼(め)を開(あ)けて、誰(だれ)は何(ど)うしたなどと突(とつ)然聞(き)いた。其誰(そのだれ)はつい先刻迄(さつきまで)そこに坐(すは)つてゐた人(ひと)の名(な)に限(かぎ)られてゐた。父(ちヽ)の意識には暗(くら)い所(ところ)と明(あか)るい所と出来(でき)て、その明(あか)るい所(ところ)丈が、闇(やみ)を縫(ぬ)ふ白い糸のやうに、ある距離を置(お)いて連続(ぞく)するやうに見(み)えた。母(はヽ)が昏睡状態を普通の眠(ねむり)と取り違(ちが)へたのも無理はなかつた。
 そのうち舌(した)が段々縺(もつ)れて来(き)た。何(なに)か云ひ出(だ)しても尻(しり)が不明瞭に了(おは)るために、要領を得ないで仕舞ふ事(こと)が多くあつた。其癖(そのくせ)話(はな)し始(はじ)める時(とき)は、危篤(とく)の病人とは思はれない程、強い声を出(だ)した。我々は固より不断以上に調子を張(は)り上(あ)げて、耳元(みヽもと)へ口(くち)を寄(よ)せるやうにしなければならなかつた。
 「頭(あたま)を冷(ひ)やすと好(い)い心持(こヽろもち)ですか」
 「うん」
 私は看護婦(かんごふ)を相手に、父(ちヽ)の水枕(みづまくら)を取(と)り更(か)へて、それから新らしい氷を入(い)れた氷嚢を頭(あたま)の上(うへ)へ載(の)せた。がさ\/に割(わ)られて尖(とが)り切(き)つた氷の破片が、嚢(ふくろ)の中(なか)で落ちつく間(あひだ)、私は父(ちヽ)の禿(は)げ上(あが)つた額(ひたひ)の外(はづれ)でそれを柔らかに抑えてゐた。其時(とき)兄(あに)が廊下伝(づたひ)に這入(はいつ)て来(き)て、一通の郵便を無言の侭(まヽ)私の手に渡した。空(あ)いた方(はう)の左(ひだり)手を出(だ)して、其郵便を受け取つた私はすぐ不審(ふしん)を起(おこ)した。
 それは普通の手紙に比(くら)べると余程(よほど)目方(めかた)の重(おも)いものであつた。並(なみ)の状袋にも入れてなかつた。また並(なみ)の状袋に入れられべき分量でもなかつた。半紙(はんし)で包(つヽ)んで、封じ目を鄭寧に糊(のり)で貼(は)り付(つ)けてあつた。私はそれを兄(あに)の手から受(う)け取(と)つた時(とき)、すぐその書留(かきとめ)である事(こと)に気が付(つ)いた。裏(うら)を返(かへ)して見(み)ると其所(そこ)に先生の名がつヽしんだ字で書いてあつた。手(て)の放(はな)せない私は、すぐ封を切る訳(わけ)に行かないので、一寸(ちよつと)それを懐(ふところ)に差(さ)し込(こ)んだ。


心(こヽろ) 先生の遺書(五十三)

 其日(そのひ)は病人の出来(でき)がことに悪(わる)いやうに見えた。私が厠へ行かうとして席(せき)を立(た)つた時(とき)、廊下で行き合つた兄(あに)は「何所(どこ)へ行く」と番兵のやうな口調で誰何した。
 「何(ど)うも様子が少し変(へん)だから成(な)るべく傍(そば)にゐるやうにしなくつちや不可(いけ)ないよ」と注意した。
 私もさう思ってゐた。懐中した手紙は其侭(まヽ)にして又病室へ帰(かへ)つた。父(ちヽ)は眼(め)を開(あ)けて、そこに並(なら)んでゐる人(ひと)の名前を母(はヽ)に尋(たづ)ねた。母(はヽ)があれは誰(だれ)、これは誰(だれ)と一々説明して遣(や)ると、父は其度(たび)に首肯(うなづ)いた。首肯(うなづ)かない時(とき)は、母(はヽ)が声を張(は)りあげて、何々(なに\/)さんです、分(わか)りましたかと念(ねん)を押した。
 「何(ど)うも色々(いろ\/)御世話になります」
 父は斯(か)ういった。さうして又昏睡(こんすい)状態に陥った。枕辺(まくらべ)を取り巻(ま)いてゐる人は無言の侭(まヽ)しばらく病人の様子を見詰(みつ)めていた。やがて其中(うち)の一人(ひとり)が立(た)つて次(つぎ)の間(ま)へ出(で)た。すると又一人(ひとり)立(た)つた。私も三人目(さんにんめ)にとう\/席(せき)を外(はづ)して、自分の室(へや)へ来(き)た。私には先刻(さつき)懐(ふところ)へ入(い)れた郵便物の中(なか)を開(あ)けて見やうといふ目的(もくてき)があつた。それは病人の枕元(まくらもと)でも容易に出来(でき)る所作(しよさ)には違(ちがひ)なかつた。然し書かれたものヽ分量があまりに多過ぎるので、一息(ひといき)にそこで読(よ)み通す訳(わけ)には行かなかつた。私は特別の時間を偸(ぬす)んでそれに充(あ)てた。
 私は繊維の強い包み紙(かみ)を引(ひ)き掻(か)くやうに裂(さ)き破(やぶ)つた。中(なか)から出(で)たものは、縦横(たてよこ)に引(ひ)いた罫(けい)の中(なか)へ行儀よく書(か)いた原稿様のものであつた。さうして封じる便宜(べんぎ)のために、四(よ)つ折に畳(たヽ)まれてあった。私は癖(くせ)のついた西洋紙を、逆(ぎやく)に折り返(かへ)して読(よ)み易(やす)いやうに平(ひら)たくした 。
 私の心は此多量(たりよう)の紙(かみ)と印気(いんき)が、私に何事(なにごと)を語るのだらうかと思つて驚ろいた。私は同時(じ)に病室の事(こと)が気にかヽつた。私が此かきものを読(よ)み始(はじ)めて、読み終らない前に、父(ちヽ)は屹度何(ど)うかなる、少なくとも、私は兄からか母(はヽ)からか、それでなければ伯父からか、呼(よ)ばれるに極(きま)つてゐるといふ予覚があつた。私は落(お)ち付(つ)いて先生の書(か)いたものを読(よ)む気(き)になれなかった。私はそわ\/しながらたヾ最初の一頁を読んだ。其頁は下(しも)のやうに綴(つヾ)られてゐた。
 「あなたから過去を問(と)ひたヾされた時、答へる事(こと)の出来なかつた勇気のない私は、今あなたの前(まへ)に、それを明白に物語る自由を得たと信じます。然し其自由はあなたの上京を待(ま)つてゐるうちには又失はれて仕舞ふ世間的の自由に過ぎないのであります。従つて、それを利用出来る時(とき)に利用しなければ、私の過去をあなたの頭(あたま)に間接の経験として教(おし)へて上(あ)げる機会を永久に逸するやうになります。さうすると、あの時(とき)あれ程堅(かた)く約束した言葉が丸で嘘(うそ)になります。私は已を得ず、口(くち)で云ふべき所を、筆で申し上(あ)げる事(こと)にしました」
 私は其所(そこ)迄読(よ)んで、始(はじ)めて此長いものが何のために書(か)かれたのか、其理由を明らかに知る事(こと)が出来た。私の衣食の口(くち)、そんなものに就いて先生が手紙を寄(よ)こす気遣(きづかひ)はないと、私は初手から信じてゐた。然し筆(ふで)を執(と)ることの嫌な先生が、何(ど)うしてあの事件を斯(か)う長(なが)く書(か)いて、私に見(み)せる気になったのだらう。先生は何故(なぜ)私の上京する迄(まで)待(ま)つてゐられないだらう。
 「自由が来(き)たから話(はな)す。然し其(その)自由はまた永久に失はれなければならない」
 私は心(こヽろ)のうちで斯(か)う繰(く)り返(かへ)しながら、其意味を知るに苦(くる)しんだ。私は突然不安に襲(おそ)はれた。私はつヾいて後(あと)を読(よ)まうとした。其時(とき)病室の方(はう)から、私を呼ぶ大きな兄の声が聞(き)こえた。私は又驚ろいて立ち上(あが)つた。廊下を馳(か)け抜(ぬ)けるやうにしてみんなの居る方(はう)へ行つた。私は愈父(ちヽ)の上に最後の瞬間が来(き)たのだと覚悟した。


心(こヽろ) 先生の遺書(五十四)

 病室には何時(いつ)の間(ま)にか医者が来(き)てゐた。なるべく病人を楽(らく)にするといふ主意から又浣腸を試みる所(ところ)であつた。看(かん)護婦は昨夜(ゆふべ)の疲(つか)れを休(やす)める為(ため)に別室で寐(ね)てゐた。慣(な)れない兄(あに)は起(た)つてまご\/してゐた。私の顔(かほ)を見ると、「一寸(ちよつと)手(て)を御貸(か)し」と云つた侭(まヽ)、自分は席(せき)に着(つ)いた。私は兄(あに)に代(かは)つて、油紙(かみ)を父(ちヽ)の尻(しり)の下(した)に宛(あ)てがつたりした。
 父(ちヽ)の様子は少しくつろいで来(き)た。三十分程枕元(まくらもと)に坐(すは)つてゐた医者は、浣腸の結果を認(みと)めた上(うへ)、また来(く)ると云つて、帰(かへ)つて行(い)つた。帰(かへ)り際(ぎは)に、若(も)しもの事(こと)があつたら何時(いつ)でも呼(よ)んで呉れるやうにわざ\/断(ことわ)つてゐた。
 私は今(いま)にも変(へん)がありさうな病室を退(しりぞ)いて又先生の手紙を読まうとした。然し私はすこしも寛(ゆつ)くりした気分になれなかつた。机の前に坐(すは)るや否や、又兄(あに)から大きな声(こえ)で呼(よ)ばれさうでならなかつた。左右(さう)うして今度(こんど)呼(よ)ばれヽば、それが最後(さいご)だといふ畏怖が私の手を顫(ふる)はした。私は先生の手紙(てがみ)をたヾ無意味に頁(ページ)丈剥繰(はぐ)つて行(い)つた。私の眼(め)は几(き)帳面に枠(わく)の中(なか)に嵌(は)められた字画(じくわく)を見(み)た。けれどもそれを読(よ)む余裕はなかつた。拾(ひろ)ひ読(よ)みにする余裕すら覚束(おぼつか)なかつた。私は一番仕舞(しまひ)の頁(ページ)迄順々に開(あ)けて見(み)て、又(また)それを元(もと)の通りに畳(たヽ)んで机の上に置(お)かうとした。其時(とき)不図(ふと)結末に近(ちか)い一句が私の眼(め)に這入(はい)つた。
 「此手紙があなたの手に落ちる頃(ころ)には、私はもう此世(このよ)には居ないでせう。とくに死んでゐるでせう」
 私ははつと思(おも)つた。今迄ざわ\/と動いてゐた私の胸(むね)が一度(いちど)に凝結(ぎようけつ)したやうに感じた。私は又逆(ぎやく)に頁(ページ)をはぐり返(かへ)した。さうして一枚に一句位づヽの割(わり)で倒(さかさ)に読(よ)んで行(い)つた。私は咄嗟の間(あひだ)に、私の知らなければならない事(こと)を知(し)らうとして、ちら\/する文字を、眼(め)で刺(さ)し通(とほ)さうと試みた。其時(とき)私の知らうとするのは、たヾ先生の安否だけであつた。先生の過去、かつて先生が私に話(はな)さうと約束した薄暗(うすぐら)いその過去、そんなものは私に取(と)つて、全く無用であつた。私は倒(さかさ)まに頁(ページ)をはぐりながら、私に必要な知識を容易に与(あた)へてく呉(く)れない此長い手紙を自烈(じれつ)たさうに畳(たヽ)んだ。
 私は又父(ちヽ)の様子を見(み)に病室の戸口(とぐち)迄行(い)つた。病人の枕辺(まくらべ)は存外静(しづ)かであつた。頼(たよ)りなささうに疲(つか)れた顔(かほ)をして其所(そこ)に坐(すは)つてゐる母(はヽ)を手招(てまね)ぎして、「何(ど)うですか様子は」と聞(き)いた。母(はヽ)は「今少(すこ)し持(も)ち合(あ)つてるやうだよ」と答へた。私は父(ちヽ)の眼(め)の前(まへ)へ顔(かほ)を出(だ)して、「何(ど)うです、浣腸して少しは心持(こヽろもち)が好(よ)くなりましたか」と尋(たづ)ねた。父(ちヽ)は首肯(うなづ)いた。父(ちヽ)ははつきり「有難(ありがた)う」と云つた。父(ちヽ)の精神は存外(ぞんぐわい)朦朧としてゐなかつた。
 私は又病室を退(しり)ぞいて自分の部屋(へや)に帰つた。其所(そこ)で時計(とけい)を見ながら、汽車の発着表を調(しら)べた。私は突然立(た)つて帯を締(し)め直(なほ)して、袂(たもと)の中(なか)へ先生の手紙(てがみ)を投(な)げ込(こ)んだ。それから勝手口(ぐち)から表へ出(で)た。私は夢中(ちう)で医者の家(いへ)へ馳(か)け込んだ。私は医者から父(ちヽ)がもう二三日(にさんち)保(も)つだらうか、其所(そこ)のところを判然(はつきり)聞(き)かうとした。注射(しや)でも何でもして、保(も)たして呉(く)れと頼(たの)まうとした。医者は生憎留守(るす)であつた。私には凝(ぢつ)として彼(かれ)の帰(かへ)るのを待(ま)ち受(う)ける時間がなかつた。心(こヽろ)の落付(おちつき)もなかつた。私はすぐ俥(くるま)を停車場へ急(いそ)がせた。
 私は停車場の壁(かべ)へ紙片(かみぎれ)を宛(あ)てがつて、其上(うへ)から鉛筆で母(はヽ)と兄(あに)あてヾ手紙(てがみ)を書(か)いた。手紙はごく簡単なものであつたが、断(ことわ)らないで走(はし)るよりまだ増(ま)しだらうと思(おも)つて、それを急(いそ)いで宅(うち)へ届(とヾ)けるやうに車夫に頼(たの)んだ。さうして思ひ切(き)つた勢で東京行の汽車に飛び乗(の)つてしまつた。私はごう\/鳴(な)る三等列車の中(なか)で、又袂(たもと)から先生の手紙を出(だ)して、漸く始(はじめ)から仕舞迄眼(め)を通(とほ)した。


心(こヽろ) 先生の遺書(五十五)

 「‥‥私は此夏(なつ)あなたから二三度(ど)手紙を受け取りました。東京で相当の地位を得たいから宜(よろ)しく頼(たの)むと書(か)いてあつたのは、たしか二度目(にどめ)に手(て)に入(い)つたものと記憶してゐます。私はそれを読(よ)んだ時(とき)何(なん)とかしたいと思つたのです。少なくとも返事(じ)を上(あ)げなければ済(す)まんとは考へたのです。然し自白すると、私はあなたの依頼に対して、丸(まる)で努力をしなかつたのです。御承知の通り、交際区(く)域の狭(せま)いといふよりも、世の中(なか)にたつた一人(ひとり)で暮(くら)してゐるといつた方(はう)が適切な位の私には、さういふ努力を敢(あへ)てする余地が全くないのです。然(しか)しそれは問題ではありません。実(じつ)をいふと、私はこの自分を何(ど)うすれば好(い)いのかと思ひ煩(わず)らつてゐた所なのです。此侭(まヽ)人間(にんげん)の中(なか)に取(と)り残されたミイラの様に存在して行かうか、それとも‥‥其時分の私は「それとも」といふ言葉を心(こヽろ)のうちで繰(く)り返(かへ)すたびにぞつとしました。馳足(かけあし)で絶壁(ぜつぺき)の端(はじ)迄来(き)て、急に底(そこ)の見えない谷(たに)を覗(のぞ)き込(こ)んだ人(ひと)のやうに。私は卑怯でした。さうして多くの卑怯な人(ひと)と同じ程度に於て煩悶したのです。遺憾ながら、其時(とき)の私には、あなたといふものが殆んど存在してゐなかつたと云つても誇(こ)張ではありません。一歩進(すヽ)めていふと、あなたの地位、あなたの糊口の資(し)、そんなものは私にとつて丸(まる)で無意味なのでした。何(ど)うでも構(かま)はなかつたのです。私はそれ所(どころ)の騒ぎでなかつたのです。私は状差(さし)へ貴方(あなた)の手紙(がみ)を差(さ)したなり、依然として腕組(ぐみ)をして考へ込んでゐました。宅(うち)に相応の財産があるものが、何(なに)を苦(くる)しんで、卒業するかしないのに、地位々々といつて藻掻(もが)き廻(まは)るのか。私は寧(むし)ろ苦々(にが\/)しい気分で、遠くにゐる貴方(あなた)に斯(こ)んな一瞥(べつ)を与へた丈でした。私は返事(へんじ)を上(あ)げなければ済(す)まない貴方(あなた)に対(たい)して、言訳(いひわけ)のために斯(こ)んな事(こと)を打(う)ち明(あ)けるのです。あなたを怒(おこ)らすためにわざと無躾(ぶしつけ)な言葉を弄するのではありません。私の本意は後(あと)を御覧(らん)になれば能(よ)く解(わか)る事(こと)と信(しん)じます。兎に角(かく)私は何(なん)とか挨拶すべき所を黙つてゐたのですから、私は此怠慢の罪をあなたの前(まへ)に謝(しや)したいと思ひます。
 其後私はあなたに電報を打(う)ちました。有体(ありてい)に云(い)へば、あの時(とき)私は一寸(ちよつと)貴方(あなた)に会(あ)ひたかつたのです。それから貴方(あなた)の希望通り私の過去を貴方(あなた)のために物語(ものがた)りたかつたのです。あなたは返電を掛(か)けて、今東京へは出(で)られないと断(ことわ)つて来(き)ましたが、私は失望して永(なが)らくあの電報を眺(なが)めてゐました。あなたも電報丈(だけ)では気(き)が済(す)まなかつたと見(み)えて、又後(あと)から長(なが)い手紙(てがみ)を寄(よこ)こして呉れたので、あなたの出京出来ない事情が能(よ)く解(わか)りました。私はあなたを失礼な男だとも何(なん)とも思ふ訳(わけ)がありません。貴方(あなた)の大事(だいじ)な御父(とう)さんの病気を其方退(そつちの)けにして、何(なん)であなたが宅(うち)を空(あ)けられるものですか。その御父(とう)さんの生死(しやうし)を忘(わす)れてゐるやうな私の態度(たいど)こそ不都合です。ー私は実際あの電報を打(う)つ時(とき)に、あなたの御父(とう)さんの事(こと)を忘れてゐたのです。其癖(くせ)あなたが東京にゐる頃(ころ)には、難症だからよく注意しなくつては不可(いけな)いと、あれ程忠告したのは私ですのに。私は斯(か)ういふ矛盾な人間(げん)なのです。或は私の脳髄よりも、私の過去が私を圧迫する結果(けつくわ)斯(こ)んな矛盾な人間(にんげん)に私を変化させるのかも知れません。私は此点(てん)に於ても充分私の我(が)を認(みと)めてゐます。あなたに許(ゆる)して貰(もら)はなくてはなりません。
 あなたの手紙(てがみ)、ーあなたから来(き)た最後(さいご)の手紙(てがみ)ーを読んだ時(とき)、私は悪(わる)い事(こと)をしたと思ひました。それで其意味の返事(へんじ)を出(だ)さうかと考へて、筆(ふで)を執(と)りかけましたが、一行も書(か)かずに已(や)めました。何(ど)うせ書(か)くなら、此手紙(このてがみ)を書(か)いて上(あ)げたかつたから、さうして此手紙を書(か)くにはまだ時機が少(すこ)し早過(はやす)ぎたから、已(や)めにしたのです。私がたヾ来(く)るに及ばないといふ簡単な電報を再(ふたヽ)び打つたのは、それが為(ため)です。


心(こヽろ) 先生の遺書(五十六)

 「私はそれから此手紙(てがみ)を書き出しました。平生筆(ふで)を持(も)ちつけない私には、自分の思ふやうに、事件なり思想なりが運(はこ)ばないのが重(おも)い苦痛でした。私はもう少しで、貴方(あなた)に対する私の此義務を放擲する所でした。然しいくら止(よ)さうと思つて筆(ふで)を擱(お)いても、何(なん)にもなりませんでした。私は一時間経(た)たないうちに又書(か)きたくなりました。貴方(あなた)から見(み)たら、是(これ)が義務の遂行を重んずる私の性格のやうに思はれるかも知れません。私もそれは否みません。私は貴方(あなた)の知つてゐる通り、殆んど世間(せけん)と交渉のない孤独な人間(にんげん)ですから、義務といふ程の義務は、自分の左右前後を見廻(まは)しても、どの方角(がく)にも根(ね)を張(は)つて居りません。故(こ)意か自然か、私はそれを出来(でき)る丈切(き)り詰(つ)めた生活をしてゐたのです。けれども私は義務に冷淡だから斯(か)うなつたのではありません。寧ろ鋭敏過(す)ぎて刺戟に堪へる丈の精力がないから、御覧(らん)のやうに消極的な月日(つきひ)を送(おく)る事(こと)になつたのです。だから一旦約束した以上、それを果(はた)さないのは、大変厭(いや)な心持(こヽろもち)です。私はあなたに対(たい)して此厭(いや)な心持(こヽろもち)を避(さ)けるためにでも、擱(お)いた筆を又取(と)り上(あ)げなければならないのです。
 其上私は書きたいのです。義務は別として私の過去を書(か)きたいのです。私の過去は私丈の経験だから、私丈の所有と云つても差支ないでせう。それを人(ひと)に与へないで死(し)ぬのは、惜(おし)いとも云はれるでせう。私にも多少そんな心持(こヽろもち)があります。たヾし受け入(い)れる事(こと)の出来(でき)ない人(ひと)に与へる位なら、私はむしろ私の経験を私の生命(いのち)と共に葬つた方(はう)が好(い)いと思ひます。実際こヽに貴方(あなた)といふ一人(ひとり)の男が存在してゐないならば、私の過去はついに私の過去で、間接にも他人(たにん)の知識にはならないで済んだでせう。私は何(なん)千万とゐる日本人のうちで、たヾ貴方丈(あなただけ)に、私の過去を物語りたいのです。あなたは真面目(まじめ)だから。あなたは真面目(まじめ)に人生そのものから生(い)きた教訓を得たいと云つたから。
 私は暗(くら)い人世の影(かげ)を遠慮なくあなたの頭(あなた)の上(うへ)に投(な)げかけて上(あげ)ます。然し恐れては不可(いけま)せん。暗(くら)いものを凝(ぢつ)と見詰(みつ)めて、その中(なか)から貴方(あなた)の参考になるものを御攫(つか)みなさい。私の暗(くら)いといふのは、固(もと)より倫理的(りんりてき)に暗(くら)いのです。私は倫理的に生(うま)れた男です。又倫理的に育(そだ)てられた男です。其倫理上の考は、今(いま)の若(わか)い人(ひと)と大分(たいぶ)違(ちが)つた所があるかも知れません。然し何(ど)う間違(まちが)つても、私自身のものです。間(ま)に合(あは)せに借(か)りた損(そん)料着(ぎ)ではありません。だから是(これ)から発達しやうといふ貴方(あなた)には幾分か参考になるだらうと思ふのです。貴方(あなた)は現代の思想問題に就(つ)いて、よく私に議論を向(む)けた事を記憶してゐるでせう。私のそれに対する態度(たいど)もよく解(わか)つてゐるでせう。私はあなたの意見を軽蔑迄(まで)しなかつたけれども、決して尊敬を払ひ得る程度にはなれなかつた。あなたの考へには何等の背景もなかつたし、あなたは自分の過去を有(も)つには余(あま)りに若過(わかす)ぎたです。私は時々(とき\゛/)笑つた。あなたは物足(ものたり)なさうな顔(かほ)をちよい\/私に見(み)せた。其極(きよく)あなたは私の過去を絵巻物(えまきもの)のやうに、あなたの前に展開(かい)して呉(く)れと逼(せま)つた。私は其時(そのとき)心(こヽろ)のうちで、始めて貴方(あなた)を尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹(はら)の中(なか)から、或(ある)生(い)きたものを捕(つら)まへやうといふ決心を見せたからです。私の心臓を立(た)ち割(わ)つて、温(あたヽ)かく流れる血潮(ちしほ)を啜(すヽ)らうとしたからです。其時(そのとき)私はまだ生(い)きてゐた。死(し)ぬのが厭(いや)であつた。それで他日を約(やく)して、あなたの要求を斥ぞけてしまつた。私は今自分で自分の心臓を破(やぶ)つて、其血(ち)をあなたの顔(かほ)に浴(あび)せかけやうとしてゐるのです。私の鼓動が停(とま)つた時(とき)、あなたの胸(むね)に新(あた)らしい命(いのち)が宿(やど)る事(こと)が出来(でき)るなら満足です。


心(こヽろ) 先生の遺書(五十七)

 「私が両親を亡(な)くしたのは、まだ私の廿歳(はたち)にならない時分でした。何時(いつ)か妻(さい)があなたに話(はな)してゐたやうにも記憶してゐますが、二人(ふたり)は同じ病気で死(し)んだのです。しかも妻(さい)が貴方(あなた)に不審(ふしん)を起(おこ)させた通り、殆んど同時といつて可(い)い位に、前後して死んだのです。実をいふと、父(ちヽ)の病気は恐るべき腸窒扶斯(ちふす)でした。それが傍(そば)にゐて看護をした母(はヽ)に伝染したのです。
 私は二人(ふたり)の間(あひだ)に出来(でき)たたつた一人(ひとり)の男の子(こ)でした。宅(うち)には相当の財産があつたので、寧ろ鷹揚に育(そだ)てられました。私は自分の過去を顧(かへり)みて、あの時(とき)両親が死なずにゐて呉(く)れたなら、少なくとも父(ちヽ)か母(はヽ)か何方(どつち)か、片方(かたはう)で好(い)いから生(い)きてゐて呉(く)れたなら、私はあの鷹揚な気分を今迄持(も)ち続(つヾ)ける事(こと)が出来(でき)たらうにと思ひます。
 私は二人(ふたり)の後(あと)に茫然として取り残(のこ)されました。私には知識もなく、経験もなく、また分別もありませんでした。父(ちヽ)の死ぬ時(とき)、母(はヽ)は傍(そば)に居(い)る事(こと)が出来(でき)ませんでした。母(はヽ)の死ぬ時(とき)、母(はヽ)には父(ちヽ)の死(し)んだ事(こと)さへまだ知らせてなかつたのです。母(はヽ)はそれを覚(さと)つてゐたか、又は傍(はた)のものヽ云ふ如く、実際父(ちヽ)は回復期に向ひつヽあるものと信じてゐたか、それは分(わか)りません。母(はヽ)はたヾ伯父に万事(じ)を頼(たの)んでゐました。其所(そこ)に居合(ゐあは)せた私を指(ゆび)さすやうにして、「此子(このこ)をどうぞ何分(なにぶん)」と云ひました。私は其前(まへ)から両親の許可を得て、東京へ出る筈(はづ)になつてゐましたので、母(はヽ)はそれも序に云ふ積(つもり)らしかつたのです。それで「東京へ」とだけ付(つ)け加(くわ)へましたら、伯父がすぐ後(あと)を引(ひ)き取つて、「よろしい決して心配しないがいヽ」と答(こた)へました。母(はヽ)は強い熱に堪へ得る体質の女なんでしたらうか、伯父は「確(しつ)かりしたものだ」と云つて、私に向つて母(はヽ)の事(こと)を褒(ほ)めてゐました。然しこれが果(はた)して母(はヽ)の遺言であつたのか何(ど)うだか、今考へると分(わか)らないのです。母(はヽ)は無論父(ちヽ)の罹(かヽ)つた病気の恐るべき名前を知つてゐたのです。さうして、自分がそれに伝染してゐた事(こと)も承知してゐたのです。けれども自分は屹度此病気で命(いのち)を取(と)られると迄(まで)信じてゐたかどうか、其所(そこ)になると疑(うたが)ふ余地はまだ幾何(いくら)でもあるだらうと思はれるのです。其上(そのうへ)熱(ねつ)の高(たか)い時(とき)に出(で)る母(はヽ)の言葉は、いかにそれが筋道(すぢみち)の通(とほ)つた明(あきら)かなものにせよ、一向記憶となつて母(はヽ)の頭(あたま)に影(かげ)さへ残(のこ)してゐない事(こと)がしば\/あつたのです。だから‥‥然しそんな事(こと)は問題ではありません。たヾ斯(か)ういふ風(ふう)に物(もの)を解(と)きほどいて見たり、又ぐる\/廻(まは)して眺(なが)めたりする癖(くせ)は、もう其時分から、私にはちやんと備はつてゐたのです。それは貴方(あなた)にも始(はじ)めから御断(ことわ)りして置かなければならないと思ひますが、其実例(じつれい)としては当面の問題に大(たい)した関係(けい)のない斯(こ)んな記(き)述が、却つて役(やく)に立ちはしないかと考へます。貴方の方(はう)でもまあ其の積で読んで下(くだ)さい。此性(せう)分が倫理的に個人の行為やら動作の上(うへ)に及んで、私は後来益(ます\/)他(ひと)の徳義心を疑(うたが)ふやうになつたのだらうと思ふのです。それが私の煩悶や苦悩に向つて、積極的に大きな力(ちから)を添へてゐるのは慥(たしか)ですから覚(おぼ)えてゐて下さい。
 話が本筋をはづれると、分(わか)り悪(にく)くなりますからまたあとへ引き返(かへ)しませう。是でも私は此長い手紙を書(か)くのに、私と同じ地位に置(お)かれた他(ほか)の人(ひと)と比(くら)べたら、或は多少落(お)ち付(つ)いてゐやしないかと思つてゐるのです。世(よ)の中(なか)が眠(ねむ)ると聞(き)こえだすあの電車の響(ひヾき)ももう途絶(とだ)えました。雨戸(あまど)の外(そと)にはいつの間(ま)にか憐れな虫の声が、露(つゆ)の秋をまた忍(しの)びやかに思ひ出(だ)させるやうな調子で微(かす)かに鳴(な)いてゐます。何(なに)も知らない妻(さい)は次(つぎ)の室(へや)で無邪気にすや\/寐入(ねい)つてゐます。私が筆(ふで)を執(と)ると、一字一劃(くわく)が出来上(できあが)りつヽペンの先(さき)で鳴(な)つてゐます。私は寧ろ落付(おちつ)いた気分で紙(かみ)に向つてゐるのです。不馴(ふなれ)のためにペンが横(よこ)へ外(そ)れるかも知れませんが、頭(あたま)が悩乱して筆がしどろに走(はし)るのではないやうに思ひます。


心(こヽろ) 先生の遺書(五十八)

 「兎(と)に角(かく)たつた一人(ひとり)取(と)り残(のこ)された私は、母(はヽ)の云ひ付(つ)け通(どほ)り、此伯父を頼(たよ)るより外(ほか)に途(みち)はなかつたのです伯父は又一切(いつさい)を引き受(う)けて凡ての世話をして呉(く)れました。さうして私を私の希望する東京へ出(で)られるやうに取(と)り計(はから)つて呉(く)れました。
 私は東京へ来(き)て高等学校へ這入(はい)りました。其時の高等学校の生徒は今よりも余程殺伐で粗野でした。私の知つたものに、夜中(よる)職人と喧嘩をして、相手(あひて)の頭(あたま)へ下駄で傷(きづ)を負はせたのがありました。それが酒を飲(の)んだ揚句(あげく)の事(こと)なので、夢中に擲(なぐ)り合(あひ)をしてゐる間(あひだ)に、学校の制帽をとう\/向(むか)ふのものに取(と)られてしまつたのです。所(ところ)が其帽子の裏(うら)には当人の名前がちやんと、菱形(ひしがた)の白いきれの上(うへ)に書(か)いてあつたのです。それで事(こと)が面倒になつて、其男はもう少しで警察から学校へ照会される所でした。然し友達が色々(いろ\/)と骨を折つて、ついに表沙汰にせずに済(す)むやうにして遣(や)りました。斯(こ)んな乱暴な行為を、上品な今(いま)の空気のなかに育(そだ)つたあなた方(がた)に聞(き)かせたら、定(さだ)めて馬鹿(ばか)々々しい感じを起すでせう。私も実際馬鹿々々しく思ひます。然し彼等は今の学生にない一種質朴な点をその代りに有(も)つてゐたのです。当時私の月々(つき\゛/)伯父から貰(もら)つてゐた金(かね)は、あなたが今、御父(とう)さんから送(おく)つてもらふ学資に比(くら)べると遙かに少(すく)ないものでした。(無論物価も違(ちが)ひませうが)。それでゐて私は少しの不足も感じませんでした。のみならず数(かず)ある同級生のうちで、経済の点にかけては、決して人(ひと)を羨(うらや)ましがる憐(あは)れな境遇にゐた訳(わけ)ではないのです。今から回顧すると、寧(むし)ろ人(ひと)に羨(うら)やましがられる方(はう)だつたのでせう。と云ふのは、私は月々(つき\゛/)極つた送金の外(ほか)に、書籍費、(私は其時分から書物を買(か)ふ事(こと)が好(すき)でした)、及び臨時の費用を、よく伯父から請求して、ずん\/それを自分の思ふ様に消費する事(こと)が出来たのですから。
 何も知らない私は、伯父を信じていた許(ばかり)でなく、常(つね)に感謝の心(こヽろ)をもつて、伯父をありがたいものヽやうに尊敬してゐました。伯父は事業家でした。県会議員にもなりました。其関係からでもありませう、政党にも縁故があつたやうに記憶してゐます。父(ちヽ)の実(じつ)の弟ですけれども、さういふ点で、性格からいふと父とは丸で違(ちが)つた方へ向(む)いて発達した様にも見えます。父(ちヽ)は先祖から譲(ゆづ)られた遺産を大事(じ)に守(まも)つて行く篤実一方(いつぱう)の男でした。楽(たのし)みには、茶だの花だのを遣(や)りました。それから詩集などを読む事(こと)も好(す)きでした。書画骨董といつた風のものにも、多くの趣味を有(も)つてゐる様子でした。家(いへ)は田舎(いなか)にありましたけれども、二里ばかり隔(へだた)つた市(し)、ー其市(し)には伯父が住(す)んでゐたのです、ー其市(そのし)から時々(とき\゛/)道具屋が懸物(かけもの)だの、香炉だのを持(も)つて、わざ\/父(ちヽ)に見せに来(き)ました。父(ちヽ)は一口(ひとくち)にいふと、まあマンオフミーンズとでも評したら好(い)いのでせう、比較的上品な嗜好を有(も)つた田舎(いなか)紳士だつたのです。だから気性からいふと、濶達(くわつたつ)な伯父とは余程の懸隔がありました。それでゐて二人(ふたり)は又妙に仲(なか)が好(よ)かつたのです。父(ちヽ)はよく伯父を評して、自分よりも遙(はる)かに働(はたら)きのある頼(たの)もしい人(ひと)のやうに云つてゐました。自分のやうに、親(おや)から財産を譲(ゆづ)られたものは、何(ど)うしても固有の材幹(さいかん)が鈍(にぶ)る、つまり世の中(なか)と闘(たヽか)ふ必要がないから不可(いけな)いのだとも云つてゐました。此言葉は母(はヽ)も聞(き)きました。私も聞(き)きました。父(ちヽ)は寧(むし)ろ私の心得になる積で、それを云つたらしく思はれます。「御前もよく覚(おぼ)えてゐるが好(い)い」と父(ちヽ)は其時(とき)わざ\/私の顔(かほ)を見(み)たのです。だから私はまだそれを忘(わす)れずにゐます。此位私の父から信用されたり、褒(ほ)められたりしてゐた伯父を、私が何(ど)うして疑がふ事(こと)が出来(でき)るでせう。私にはたヾでさへ誇(ほこり)になるべき伯父でした。父(ちヽ)や母(はヽ)が亡(な)くなつて、万事其人(ひと)の世話にならなければならない私には、もう単(たん)なる誇(ほこり)ではなかつたのです。私の存在に必要な人間になつてゐたのです。


心(こヽろ) 先生の遺書(五十九)

 「私が夏休みを利用して始めて国へ帰(かへ)つた時、両親の死(し)に断(た)えた私の住居(すまひ)には、新(あた)らしい主人(しゆじん)として、伯父夫婦が入れ代つて住んでゐました。是は私が東京へ出る前(まへ)からの約束でした。たつた一人(ひとり)取(と)り残(のこ)された私が家(いへ)にゐない以上、左右(さう)でもするより外(ほか)に仕方(しかた)がなかつたのです。
 伯父は其頃市(し)にある色々(いろ\/)な会社に関係してゐたやうです。業務の都合から云へば、今迄の居宅(きよたく)に寐起(ねおき)する方(はう)が、二里も隔(へだヽ)つた私の家(いへ)に移るより遙かに便利だと云つて笑ひました。是は私の父母が亡(な)くなつた後(あと)、何(ど)う邸(やしき)を始末して、私が東京へ出るかといふ相談の時(とき)、伯父の口(くち)を洩(も)れた言葉であります。私の家(いへ)は旧い歴史(し)を有(も)つてゐるので、少しは其界隈で人(ひと)に知られてゐました。あなたの郷里でも同じ事(こと)だらうと思ひますが、田舎では由緒のある家を、相続人があるのに壊(こわ)したり売(う)つたりするのは大事件です。今の私ならその位の事は何(なん)とも思ひませんが、其頃はまだ子供でしたから、東京へは出(で)たし、家(うち)は其侭(まヽ)にして置(お)かなければならず、甚だ所置に苦(くる)しんだのです。
 伯父は仕方なしに私の空家(あきや)へ這入(はい)る事(こと)を承諾して呉(く)れました。然し市(し)の方(はう)にある住居も其侭(まヽ)にして置いて、両方の間(あひだ)を往(い)つたり来(き)たりする便宜を与へて貰はなければ困るといひました。私に固より異議のありやう筈がありません。私は何(ど)んな条件でも東京へ出(で)られヽば好(い)い位に考へてゐたのです。
 子供らしい私は、故郷を離れても、まだ心(こヽろ)の眼(め)で、懐(なつ)かしげに故郷の家(いへ)を望んでゐました。固より其所(そこ)にはまだ自分の帰(かへ)るべき家(いへ)があるといふ旅人(たびびと)の心(こヽろ)で望んでゐたのです。休(やす)みが来(く)れば帰(かへ)らなくてはならないといふ気分は、いくら東京を恋(こひ)しがつて出(で)て来(き)た私にも、力(ちから)強くあつたのです。私は熱心(ねつしん)に勉強し、愉快に遊んだ後(あと)、休みには帰(かへ)れると思ふその故郷(ふるさと)の家(いへ)をよく夢(ゆめ)に見(み)ました。
 私の留守(るす)の間(あひだ)、伯父は何(ど)んな風に両方の間(あひだ)を往来(ゆきヽ)してゐたか知りません。私の着(つ)いた時(とき)は、家族のものが、みんな一つ家(いへ)の内(うち)に集(あつ)まつてゐました。学校へ出る子供などは平生恐らく市(し)の方(はう)にゐたのでせうが、是(これ)も休暇のために田舎(いなか)へ遊(あそ)び半分(はんぷん)といつた格(かく)で引き取(と)られてゐました。
 みんな私の顔(かほ)を見て喜(よろ)こびました。私は又父(ちヽ)や母(はヽ)の居(ゐ)た時(とき)より、却(かへ)つて賑(にぎ)やかで陽気になつた家(いへ)の様子を見(み)て嬉(うれ)しがりました。伯父はもと私の部屋になつてゐた一間(ひとま)を占領してゐる一番目の男の子を追ひ出(だ)して、私を其所(そこ)へ入(い)れました。座敷の数(かず)も少(すく)なくないのだから、私はほかの部屋で構(かま)はないと辞退したのですけれども、伯父は御前の宅(うち)だからと云つて、聞(き)きませんでした。
 私は折々(をり\/)亡(な)くなつた父(ちヽ)や母(はヽ)の事(こと)を思ひ出す外(ほか)に、何の不愉快もなく、其一夏(ひとなつ)を伯父の家族と共に過(す)ごして、又東京へ帰(かへ)つたのです。ただ一(ひと)つ其夏(そのなつ)の出来事(できごと)として、私の心(こヽろ)にむしろ薄暗(ぐら)い影(かげ)を投(な)げたのは、伯父夫婦が口(くち)を揃(そろ)へて、まだ高等学校へ入(はい)つたばかりの私に結婚を勧(すヽ)める事(こと)でした。それは前後(ぜんご)で丁度三四回も繰(く)り返(かへ)されたでせう。私も始めはたヾ其突然なのに驚(おど)ろいた丈(だけ)でした。二度目には判然(はつきり)断(ことわ)りました。三度目には此方(こつち)からとう\/其理由を反問しなければならなくなりました。彼等の主意は単簡でした。早く嫁(よめ)を貰(もら)つて此所(こヽ)の家(いへ)へ帰(かへ)つて来(き)て、亡(な)くなつた父(ちヽ)の後(あと)を相続しろと云ふ丈なのです。家(いへ)は休暇(やすみ)になつて帰(かへ)りさへすれば、それで可(い)いものと私は考へてゐました。父(ちヽ)の後(あと)を相続する、それには嫁(よめ)が必要だから貰(もら)ふ、両方とも理窟としては一通(ひととほ)り聞(き)こえます。ことに田舎(いなか)の事情を知つてゐる私には、能(よ)く解(わか)ります。私も絶対にそれを嫌(きら)つてはゐなかつたのでせう。然し東京へ修業に出たばかりの私には、それが遠眼鏡(めがね)で物(もの)を見(み)るやうに、遙か先(さき)の距離に望(のぞ)まれる丈でした。私は伯父の希望に承諾を与へないで、ついに又私の家(いへ)を去りました。


心(こヽろ) 先生の遺書(六十)

 「私は縁談の事(こと)をそれなり忘れてしまひました。私の周囲(ぐるり)を取り捲(ま)いてゐる青年の顔(かほ)を見ると、世帯染(しよたいじ)みたものは一人(ひとり)もゐません。みんな自由です、さうして悉(こと\゛/)く単独らしく思はれたのです。斯(か)ういふ気楽な人(ひと)の中(うち)にも、裏面(りめん)に這入(はい)り込んだら、或は家庭の事情に余儀なくされて、既(すで)に妻(つま)を迎(むか)へてゐたものがあつたかも知れませんが、子供らしい私は其所(そこ)に気が付(つ)きませんでした。それから左右(さう)いふ特別(とくべつ)の境遇に置かれた人(ひと)の方(はう)でも、四辺(あたり)に気兼(きがね)をして、なるべくは書生に縁の遠いそんな内輪の話(はなし)は為(し)ないやうに慎しんでゐたのでせう。後(あと)から考へると、私自身が既に其組(くみ)だつたのですが、私はそれさへ分(わか)らずに、たヾ子供らしく愉快に修学の道(みち)を歩(ある)いて行(い)きました。
 学年の終りに、私は又行李を絡(から)げて、親(おや)の墓(はか)のある田舎へ帰つて来(き)ました。さうして去年と同じやうに、父(ちヽ)母(はヽ)のゐたわが家(いへ)の中(なか)で、又伯父夫婦と其子供の変(かは)らない顔(かほ)を見ました。私は再び其所(そこ)で故郷(ふるさと)の匂(にほひ)を嗅(か)ぎました。其匂(にほひ)は私に取(と)つて依然として懐(なつ)かしいものでありました。一学年の単調を破(やぶ)る変化としても有難(ありがた)いものに違なかつたのです。
 然し此(この)自分を育(そだ)て上(あげ)たと同じ様な匂(にほひ)の中(なか)で、私は又突然結婚問題を伯父から鼻の先(さき)へ突(つ)き付(つ)けられました。伯父の云ふ所は、去年の勧誘を再び繰(く)り返()したのみです。理由も去年と同(おな)じでした。たヾ此前(このまへ)勧(すヽ)められた時(とき)には、何等(なんら)の目的物がなかつたのに、今度(こんど)はちやんと肝心(かんじん)の当人を捕(つら)まへてゐたので、私は猶困(こま)らせられたのです。其当人といふのは伯父の娘(むすめ)即ち私の従妹(いとこ)に当る女でした。その女を貰(もら)つて呉(く)れヽば、御互のために便宜である、父(ちヽ)も存生中(ちう)そんな事(こと)を話(はな)してゐた、と伯父が云ふのです。私もさうすれば便宜だとは思ひました。父が伯父にさういふ風(ふう)な話(はなし)をしたといふのも有(あ)り得べき事(こと)と考へました。然しそれは私が伯父に云はれて、始めて気(き)が付(つ)いたので、云はれない前(まへ)から、覚(さと)つてゐた事柄(ことがら)ではないのです。だから私は驚ろきました。驚ろいたけれども、伯父の希望に無理のない所(ところ)も、それがために能(よ)く解(わか)りました。私は迂濶なのでせうか。或はさうなのかも知れませんが、恐らく其従妹(いとこ)に無頓着であつたのが、重(おも)な源因になつてゐるのでせう。私は小供のうちから市(し)にゐる伯父の家(うち)へ始終遊(あそ)びに行きました。たヾ行く許(ばかり)でなく、能(よ)く其所(そこ)に泊(とま)りました。さうして此従妹(いとこ)とは其時分(じぶん)から親(した)しかつたのです。あなたも御承知でせう、兄妹(きやうだい)の間(あひだ)に恋(こひ)の成立した例(ためし)のないのを。私は此公認された事実を勝手に布衍してゐるかも知れないが、始終接触して親(した)しくなり過(す)ぎた男女の間(あひだ)には、恋に必要な刺戟の起(おこ)る清新な感(かん)じが失(うし)なはれてしまふやうに考へてゐます。香(かう)をかぎ得るのは、香(かう)を焚(た)き出(だ)した瞬間(しゆんかん)に限(かぎ)る如(ごと)く、酒を味はうのは酒を飲(の)み始(はじ)めた刹那にある如く、恋の衝動にも斯(か)ういふ際(きは)どい一点(てん)が、時間の上(うへ)に存在してゐるとしか思はれないのです。一度平気で其所(そこ)を通り抜(ぬ)けたら、馴(な)れヽば馴(な)れる程、親(した)しみが増(ま)す丈で、恋の神経はだん\/麻痺して来(く)る丈(だけ)です。私は何(ど)う考へ直(なほ)しても、此従妹(いとこ)を妻(つま)にする気(き)にはなれませんでした。
 伯父はもし私が主張するなら、私の卒業迄結婚を延ばしても可(い)いと云ひました。けれども善は急(いそ)げといふ諺(ことわざ)もあるから、出来るなら今(いま)のうちに祝言(げん)の盃(さかづき)丈は済(す)ませて置(お)きたいとも云ひました。当人に望(のぞみ)のない私には何方(どつち)にしたつて同(おな)じ事(こと)です。私は又断(ことわ)りました。伯父は厭(いや)な顔(かほ)をしました。従妹(いとこ)は泣(な)きました。私に添(そ)はれないから悲(かな)しいのではありません、結婚の申し込(こみ)を拒絶されたのが、女として辛(つら)かつたからです。私が従妹(いとこ)を愛(あい)してゐない如く、従妹(いとこ)も私を愛してゐない事(こと)は、私によく知れてゐました。私はまた東京へ出ました。