心(こヽろ) 先生の遺書(八十一)

「一週間ばかりして私は又Kと御嬢さんが一所に話(はな)してゐる室(へや)を通(とほ)り抜(ぬ)けました。其時(とき)御嬢さんは私の顔(かほ)を見るや否や笑ひ出(だ)しました。私はすぐ何(なに)が可笑(おか)しいのかと聞(き)けば可(よ)かつたのでせう。それをつい黙(だま)つて自分(じぶん)の居間(いま)迄来(き)て仕舞つたのです。だからKも何時(いつ)ものやうに、今帰(かへ)つたかと声を掛ける事(こと)が出来なくなりました。御嬢さんはすぐ障子を開(あ)けて茶(ちや)の間(ま)へ入(きい)つたやうでした。
 夕飯(ゆふめし)の時(とき)、御嬢さんは私を変(へん)な人(ひと)だと云ひました。私は其時も何故(なぜ)変(へん)なのか聞(き)かずにしまひました。たヾ奥さんが睨(にら)めるやうな眼(め)を御嬢さんに向けるのに気が付(つ)いた丈でした。
 私は食後(しよくご)Kを散歩に連(つ)れ出(だ)しました。二人(ふたり)は伝通(でんづう)院の裏手(うらて)から植物園の通(とほ)りをぐるりと廻(まは)つて又富坂(とみざか)の下(した)へ出(で)ました。散歩としては短(みぢ)かい方(はう)ではありませんでしたが、其間(そのあひだ)に話(はな)した事(こと)は極めて少(すく)なかつたのです。性質からいふと、Kは私よりも無口(むくち)な男でした。私も多弁な方(はう)ではなかつたのです。然し私は歩(ある)きながら、出来(でき)る丈(だけ)話(はなし)を彼(かれ)に仕掛(しかけ)て見(み)ました。私の問題は重に二人(ふたり)の下宿してゐる家族に就(つ)いてでした。私は奥さんや御嬢さんを彼が何(ど)う見てゐるか知りたかつたのです。所が彼は海(うみ)のものとも山(やま)のものとも見分(みわけ)の付(つ)かないやうな返事ばかりするのです。しかも其返事は要領を得ない癖(くせ)に、極めて簡単でした。彼は二人(ふたり)の女に関してよりも、専攻の学科の方(はう)に多くの注意を払つてゐる様に見えました。尤もそれは二学年目の試験が目(め)の前(まへ)に逼(せま)つてゐる頃(ころ)でしたから、普通の人間(にんげん)の立場(たちば)から見(み)て、彼(かれ)の方(はう)が学生らしい学生だつたのでせう。其上(うへ)彼(かれ)はシユエデンボルグが何(ど)うだと斯(か)うだとか云つて、無学な私を驚ろかせました。
 我々が首尾よく試験を済(す)ましました時(とき)、二人(ふたり)とももう後一年(あといちねん)だと云つて奥さんは喜(よろ)こんで呉(く)れました。さう云ふ奥さんの唯一の誇(ほこり)とも見られる御嬢さんの卒業も、間(ま)もなく来(く)る順になつてゐたのです。Kは私に向(むか)つて、女といふものは何にも知らないで学校を出(で)るのだと云ひました。Kは御嬢さんが学問以外に稽古してゐる縫針(ぬひはり)だの琴だの活花(いけばな)だのを、丸で眼中に置いてゐないやうでした。私は彼の迂濶を笑つてやりました。さうして女の価値はそんな所(ところ)にあるものでないといふ昔(むかし)の議論を又彼の前(まへ)で繰(く)り返(かへ)しました。彼は別段反駁もしませんでした。其代り成程といふ様子も見せませんでした。私には其所(そこ)が愉快でした。彼(かれ)のふんと云つた様な調子が、依然として女を軽蔑してゐるやうに見えたからです。女の代表者として私の知つてゐる御嬢さんを、物(もの)の数(かず)とも思つてゐないらしかつたからです。今(いま)から回顧すると、私のKに対する嫉妬は、其時にもう充分萌(きざ)してゐたのです。
 私は夏休みに何処(どこ)かへ行こうかとKに相談しました。Kは行きたくないやうな口振(くちぶり)を見(み)せました。無論彼(かれ)は自分の自由意志で何処(どこ)へも行ける身体(からだ)ではありませんが、私が誘(さそ)ひさへすれば、また何処(どこ)へ行つても差支(さしつか)へない身体(からだ)だつたのです。私は何故(なぜ)行きたくないのかと彼(かれ)に尋ねて見(み)ました。彼は理由も何(なん)にもないと云ふのです。宅(うち)で書物(もつ)を読(よ)んだ方(はう)が自分の勝手(かつて)だと云ふのです。私が避暑地へ行つて涼(すヾ)しい所(ところ)で勉強した方(はう)が、身体(からだ)の為(ため)だと主張すると、それなら私一人(ひとり)行(い)つたら可(よ)からうと云ふのです。然し私はK一人(ひとり)を此所(こヽ)に残(のこ)して行く気(き)にはなれないのです。私はたヾでさへKと宅(うち)のものが段々(だん\/)親(した)しくなつて行くのを見(み)てゐるのが、余り好(い)い心持(こヽろもち)ではなかつたのです。私が最初希望した通りになるのが、何で私の心持(こヽろもち)を悪(わる)くするのかと云はれヽば夫迄です。私は馬鹿に違(ちがひ)ないのです。果(はて)しのつかない二人(ふたり)の議論を見るに見かねて奥さんが仲へ入(はい)りました。二人(ふたり)はとう\/一所に房州へ行く事(こと)になりました。


心(こヽろ) 先生の遺書(八十二)

「Kはあまり旅(たび)へ出(で)ない男でした。私にも房州は始(はじめ)てでした。二人(ふたり)は何(なん)にも知(し)らないで、船(ふね)が一番先(いちばんさき)へ着(つ)いた所(ところ)から上陸したのです。たしか保田(ほた)とか云ひました。今(いま)では何(ど)んなに変(かは)つてゐるか知(し)りませんが、其頃は非道(ひど)い漁村でした。第一(だいち)何処(どこ)も彼処(かしこ)も腥(なまぐ)さいのです。それから海(うみ)へ入(はい)ると、波(なみ)に押し倒されて、すぐ手(て)だの足(あし)だのを擦(す)り剥(む)くのです。拳(こぶし)のやうな大きな石(いし)が打ち寄せる波(なみ)に揉(も)まれて、始終ごろ\/してゐるのです。
 私はすぐ厭(いや)になりました。然しKは好(い)いとも悪(わる)いとも云(い)ひません。少(すく)なくとも顔付(かほつき)丈は平気なものでした。其癖(そのくせ)彼は海(うみ)へ入(はい)るたんびに何処(どこ)かに怪我(けが)をしない事(こと)はなかつたのです。私はとう\/彼(かれ)を説(と)き伏(ふ)せて、其所(そこ)から北条に行(ゆ)きました。北条と館山は重(おも)に学生の集(あつ)まる所でした。さういふ意味から見て、我々には丁度手頃(てごろ)の海水浴場だつたのです。Kと私は能く海岸の岩(いは)の上(うへ)に坐(すわ)つて、遠い海(うみ)の色(いろ)や、近(ちか)い水の底を眺(なが)めました。岩の上(うへ)から見下(みおろ)す水は、又特別に綺麗(れい)なものでした。赤い色だの藍(あゐ)の色だの、普通市場に上(のぼ)らないやうな色(いろ)をした小(こ)魚が、透(す)き通(とほ)る波(なみ)の中(なか)をあちらこちらと泳いでゐるのが鮮(あざ)やかに指(ゆび)さヽれました。
 私は其所(そこ)に坐(すわ)つて、よく書物をひろげました。Kは何もせずに黙(だま)つてゐる方(はう)が多かつたのです。私にはそれが考(かんが)へに耽(ふけ)つてゐるのか、景色(けしき)に見惚(みと)れてゐるのか、若(も)しくは好(す)きな想像を描(ゑが)いてゐるのか、全く解(わか)らなかつたのです。私は時々(とき\゛/)眼(め)を上(あ)げて、Kに何(なに)をしてゐるのだと聞(き)きました。Kは何(なに)もしてゐないと一口(ひとくち)答(こた)へる丈でした。私は自分の傍(そば)に斯(か)うぢつとして坐(すわ)つてゐるものが、Kでなくつて、御嬢さんだつたら嘸愉快だらうと思ふ事(こと)が能(よ)くありました。それ丈(だけ)ならまだ可(い)いのですが、時(とき)にはKの方(はう)でも私と同じやうな希望を抱(いだ)いて岩(いは)の上(うへ)に坐(すわ)つてゐるのではないかしらと忽然疑ひ出(だ)すのです。すると落(お)ち付(つ)いて其所(そこ)に書物をひろげてゐるのが急に厭(いや)になります。私は不意に立(た)ち上(あが)ります。さうして遠慮のない大(おほ)きな声(こえ)を出(だ)して怒鳴(どな)ります。纏(まと)まつた詩だの歌(うた)だのを面白さうに吟(ぎん)ずるやうな手緩(てぬる)い事(こと)は出来(でき)ないのです。只(たヾ)野蛮人の如くにわめくのです。ある時(とき)私は突然彼(かれ)の襟頸(くび)を後(うしろ)からぐいと攫(つか)みました。斯(か)うして海(うみ)の中(なか)へ突(つ)き落(おと)したら何(ど)うすると云つてKに聞(き)きました。Kは動きませんでした。後向(うしろむき)の侭(まヽ)、丁度好(い)い、遣(や)つて呉れと答へました。私はすぐ首筋(くびすじ)を抑えた手を放(はな)しました。
 Kの神経衰弱は此時もう大分(だいぶ)可(よ)くなつてゐたらしいのです。それと反比例に、私の方は段々(だんだん)過敏(びん)になつて来(き)てゐたのです。私は自分より落付(おちつ)いてゐるKを見て、羨(うらや)ましがりました。又憎(にく)らしがりました。彼は何(ど)うしても私に取(と)り合(あ)ふ気色を見せなかつたからです。私にはそれが一種の自信の如く映(うつ)りました。然しその自信を彼(かれ)に認(みと)めた所で、私は決して満足出来(でき)なかつたのです。私の疑(うたが)ひはもう一歩前(まへ)へ出(で)て、その性質を明(あき)らめたがりました。彼は学問なり事業なりに就いて、是から自分(じぶん)の進(すヽ)んで行くべき前途(ぜんと)の光明を再び取(と)り返(かへ)した心持になつたのだらうか。単にそれ丈ならば、Kと私との利害に何の衝突の起る訳はないのです。私は却つて世話のし甲斐(がひ)があつたのを嬉(うれ)しく思ふ位なものです。けれども彼の安心がもし御嬢さんに対してであるとすれば、私は決して彼を許(ゆる)す事(こと)が出来(でき)なくなるのです。不思議にも彼(かれ)は私の御嬢さんを愛してゐる素振(そぶり)に全く気が付(つ)いてゐないやうに見えました。無論私もそれがKの眼(め)に付(つ)くやうにわざとらしくは振舞ひませんでしたけれども。Kは元来さういふ点(こと)にかけると鈍(にぶ)い人(ひと)なのです。私には最初からKなら大丈夫という安心があつたので、彼をわざ\/宅(うち)へ連(つ)れて来(き)たのです。


心(こヽろ) 先生の遺書(八十三)

「私は思ひ切つて自分の心(こヽろ)をKに打(う)ち明(あ)けやうとしました。尤も是(これ)は其時に始(はじ)まつた訳(わけ)でもなかつたのです。旅(たび)に出(で)ない前(まへ)から、私にはさうした腹(はら)が出来(でき)てゐたのですけれども、打(う)ち明(あ)ける機会をつらまへる事(こと)も、其機会を作り出(だ)す事(こと)も、私の手際(てぎは)では旨(うま)く行かなかつたのです。今(いま)から思ふと、其頃(ころ)私の周囲にゐた人間(にんげん)はみんな妙でした。女に関(くわん)して立ち入つた話などをするものは一人(ひとり)もありませんでした。中(なか)には話(はな)す種(たね)を有(も)たないのも大分(ぶ)ゐたでせうが、たとひ有(も)つてゐても黙(だま)つてゐるのが普通の様でした。比較的自由な空気を呼吸してゐる今の貴方(あなた)がたから見たら、定めし変に思はれるでせう。それが道学の余習なのか、又は一種のはにかみなのか、判断は貴方(あなた)の理解に任せて置きます。
 Kと私は何でも話(はな)し合(あ)へる中(なか)でした。偶(たま)には愛とか恋とかいふ問題も、口(くち)に上(のぼ)らないではありませんでしたが、何時(いつ)でも抽象的な理論に落ちてしまふ丈でした。それも滅多には話題にならなかつたのです。大抵は書物の話(はなし)と学問の話と、未来の事業と、抱負と、修養の話(はなし)位で持(も)ち切(き)つてゐたのです。いくら親(した)しくつても斯(か)う堅(かた)くなつた日(ひ)には、突然(とつぜん)調子を崩(くず)せるものではありません。二人(ふたり)はたヾ堅(かた)いなりに親(した)しくなる丈です。私は御嬢さんの事(こと)をKに打ち明(あ)けやうと思(おも)ひ立(た)つてから、何遍歯掻(はが)ゆい不快に悩(なや)まされたか知れません。私はKの頭(あたま)の何処(どこ)か一ヶ所を突(つ)き破(やぶ)つて、其所(そこ)から柔らかい空気を吹(ふ)き込んでやりたい気がしました。
 貴方(あなた)がたから見て笑止千万な事(こと)も其時(とき)の私には実際大困難だつたのです。私は旅先(たびさき)でも宅(うち)にゐた時(とき)と同じやうに卑怯でした。私は始終機会を捕(とら)える気でKを観察してゐながら、変(へん)に高踏的な彼の態度を何(ど)うする事(こと)も出来(でき)なかつたのです。私に云はせると、彼(かれ)の心臓の周囲は黒(くろ)い漆(うるし)で重(あつ)く塗(ぬ)り固(かた)められたのも同然でした。私の注(そヽ)ぎ懸(か)けやうとする血(ち)潮は、一滴(いつてき)も其心臓の中(なか)へは入(はい)らないで、悉(こと\゛/)く弾(はじ)き返(かへ)されてしまふのです。
 或時はあまりにKの様子が強くて高(たか)いので、私は却つて安心した事(こと)もあります。さうして自分の疑(うたがひ)を腹(はら)の中(なか)で後悔すると共に、同じ腹(はら)の中(なか)で、Kに詫(わ)びました。詫(わ)びながら自分が非常に下等な人間(にんげん)のやうに見えて、急に厭(いや)な心持(こヽろもち)になるのです。然し少時(しばらく)すると、以前の疑(うたがひ)が又逆戻(ぎやくもど)りをして、強く打ち返(かへ)して来(き)ます。凡(すべ)てが疑ひから割(わ)り出(だ)されるのですから、凡てが私には不利益でした。容貌もKの方(はう)が女に好(す)かれるやうに見えました。性質も私のやうにこせ\/してゐない所が、異性には気に入るだらうと思はれました。何処(どこ)か間(ま)が抜(ぬ)けてゐて、それで何処(どこ)かに確(しつ)かりした男らしい所のある点も、私よりは優勢に見(み)えました。学力(がくりき)になれば専門こそ違ひますが、私は無論Kの敵でないと自覚してゐました。ー凡て向ふの好(い)い所(ところ)丈が斯う一度に眼先(めさき)へ散(ち)らつき出すと、一寸(ちよつと)安心した私はすぐ元(もと)の不安に立ち返(かへ)るのです。
 私達は三四日してから北条を立(た)ちました。Kは落(お)ち付(つ)かない私の様子を見(み)て、厭(いや)なら一先(ひとまづ)東京へ帰(かへ)つても可(い)いと云つたのですが、さう云はれると、私は急に帰(かへ)りたくなくなりました。実はKを東京へ帰(かへ)したくなかつたのかも知れません。二人(ふたり)は房州の鼻(はな)を廻(まは)つて向(むか)ふ側(がは)へ出(で)ました。我々は暑(あつ)い日(ひ)に射られながら、苦(くる)しい思ひをして、上総の其所一里(そこいちり)に騙(だま)されながら、うん\/歩(ある)きました。私にはさうして歩(ある)いてゐる意味が丸で解(わか)らなかつた位です。私は冗談半分Kにさう云ひました。するとKは足(あし)があるから歩(ある)くのだと答へました。さうして暑(あつ)くなると、海(うみ)に入(はい)つて行(い)かうと云つて、何処(どこ)でも構(かま)はず潮(しほ)へ漬(つか)りました。その後(あと)を又強い日(ひ)で照(て)り付(つ)けられるのですから、身体(からだ)が倦怠(だる)くてぐた\/になりました。


心(こヽろ) 先生の遺書(八十四)

「斯(こ)んな風にして歩(ある)いてゐると、暑(あつ)さと疲労とで自然身体(からだ)の調子が狂つて来(く)るものです。尤も病気とは違(ちが)ひます。急に他(ひと)の身体(からだ)の中(なか)へ、自分の霊魂が宿替(やどがへ)をしたやうな気分になるのです。私は平生の通りKと口(くち)を利(き)きながら、何処(どこ)かで平生の心持と離(はな)れるやうになりました。彼に対する親(した)しみも憎(にく)しみも、旅中限(かぎ)りといふ特別な性質を帯びる風(ふう)になつたのです。つまり二人(ふたり)は暑(あつ)さのため、潮(しほ)のため、又歩行のため、在来と異(こと)なつた新(あた)らしい関係に入(い)る事(こと)が出来(でき)たのでせう。其時(そのとき)の我々は恰も道(みち)づれになつた行商のやうなものでした。いくら話(はなし)をしても何時(いつ)もと違(ちが)つて、頭(あたま)を使(つか)ふ込(こ)み入(い)つた問題には触(ふ)れませんでした。
 我々は此(この)調子でとう\/銚子(ちょうし)迄(まで)行つたのですが、道中(どうちう)たつた一つの例外があつたのを今に忘れる事(こと)が出来(でき)ないのです。まだ房州を離れない前(まへ)、二人(ふたり)は小湊(こみなと)といふ所で、鯛(たい)の浦(うら)を見物しました。もう年(ねん)数も余程経(た)つてゐますし、それに私には夫程興味のない事(こと)ですから、判然とは覚えてゐませんが、何でも其所(そこ)は日蓮の生れた村(むら)だとか云ふ話でした。日蓮の生れた日(ひ)に、鯛が二尾磯(いそ)に打ち上(あ)げられてゐたとかいふ言(いひ)伝へになつてゐるのです。それ以来村の漁師が鯛(たひ)をとる事(こと)を遠慮して今(いま)に至つたのだから、浦には鯛が沢山ゐるのです。我々は小舟を傭(やと)つて、其鯛をわざ\/見に出掛(でか)けたのです。
 其時私はたヾ一図に波(なみ)を見てゐました。さうして其波の中(なか)に動(うご)く少し紫がかつた鯛の色を、面白い現象の一つとして飽かず眺(なが)めました。然しKは私程それに興味を有(も)ち得なかつたものと見えます。彼は鯛よりも却つて日蓮の方(はう)を頭(あたま)の中(なか)で想像してゐたらしいのです。丁度其所(そこ)に誕生寺といふ寺(てら)がありました。日蓮の生れた村だから誕生寺とでも名を付(つ)けたものでせう立派な伽藍でした。Kは其寺(てら)に行つて住持に会つて見(み)るといひ出しました。実をいふと、我々は随分変(へん)な服装(なり)をしてゐたのです。ことにKは風(かぜ)のために帽子を海(うみ)に吹き飛ばされた結果、菅笠(すげがさ)を買(か)つて被(かぶ)つてゐました。着物(きもの)は固(もと)より双方とも垢(あか)じみた上(うへ)に汗(あせ)で臭(くさ)くなつてゐました。私は坊さんなどに会ふのは止(よ)さうと云ひました。Kは強情だから聞(き)きません。厭なら私丈(だけ)外(そと)に待(ま)つてゐろといふのです。私は仕方(しかた)がないから一所に玄関にかヽりましたが、心(こヽろ)のうちでは屹度断(ことわ)られるに違ないと思つてゐました。所が坊さんといふものは案外丁寧なもので、広(ひろ)い立派な座敷へ私達を通(とほ)して、すぐ会(あ)つて呉れました。其時分の私はKと大分(だいぶ)考が違(ちが)つてゐましたから、坊さんとKの談話にそれ程耳(みヽ)を傾(かたむ)ける気も起りませんでしたが、Kはしきりに日蓮の事(こと)を聞(き)いてゐたやうです。日蓮は草(さう)日蓮と云はれる位で、草書が大変上手であつたと坊さんが云つた時(とき)、字の拙(まづ)いKは、何だ下(くだ)らないといふ顔をしたのを私はまだ覚えてゐます。Kはそんな事(こと)よりも、もつと深い意味の日蓮が知りたかつたのでせう。坊さんが其点でKを満足させたか何(ど)うかは疑問ですが、彼(かれ)は寺(てら)の境内を出(で)ると、しきりに私に向(むか)つて日蓮の事(こと)を云々し出(だ)しました。私は暑(あつ)くて草臥(くたび)れて、それ所(どころ)ではありませんでしたから、唯(たヾ)口(くち)の先(さき)で好(い)い加減な挨拶をしてゐました。夫(それ)も面倒になつてしまひには全く黙(だま)つてしまつたのです。
 たしかその翌(あく)る晩(ばん)の事(こと)だと思ひますが、二人(ふたり)は宿(やど)へ着(つ)いて飯(めし)を食(く)つて、もう寐(ね)やうといふ少(すこ)し前(まへ)になつてから、急に六(む)づかしい問題を論じ合ひ出(だ)しました。Kは昨日(きのふ)自分の方(はう)から話(はなし)しかけた日蓮の事(こと)に就いて、私が取(と)り合(あ)はなかつたのを、快(こヽろ)よく思つてゐなかつたのです。精神的に向上心がないものは馬鹿だと云つて、何だか私をさも軽薄ものヽやうに遣(や)り込(こ)めるのです。ところが私の胸(むね)には御嬢さんの事(こと)が蟠(わだか)まつてゐますから、彼(かれ)の侮蔑に近い言葉をたヾ笑つて受(う)け取る訳(わけ)に行きません。私は私で弁解を始めたのです。


心(こヽろ) 先生の遺書(八十五)

「其時(とき)私はしきりに人間(にんげん)らしいといふ言葉(ことば)を使(つか)ひました。Kは此人間(にんげん)らしいといふ言葉のうちに、私が自分の弱点の凡てを隠(かく)してゐると云ふのです。成程後(あと)から考へれば、Kのいふ通りでした。然し人間(にんげん)らしくない意味をKに納得させるために其言葉を使(つか)ひ出した私には、出立点が既に反抗的でしたから、それを反省するやうな余裕はありません。私は猶の事(こと)自説を主張しました。するとKが彼の何処(どこ)をつらまえて人間(にんげん)らしくないと云ふのかと私に聞(き)くのです。私は彼(かれ)に告げました。ー君(きみ)は人間(にんげん)らしいのだ。或は人間(にんげん)らし過(す)ぎるかも知れないのだ。けれども口(くち)の先(さき)丈では人間(にんげん)らしくないやうな事(こと)を云ふのだ。又人間(にんげん)らしくないやうに振舞(ふるま)はうとするのだ。
 私が斯(か)う云つた時(とき)、彼(かれ)はたヾ自分の修養が足(た)りないから、他(ひと)にはさう見えるかも知れないと答へた丈で、一向私を反駁(ぱく)しやうとしませんでした。私は張合(はりあひ)が抜けたといふよりも、却つて気の毒になりました。私はすぐ議論を其所(そこ)で切(き)り上(あ)げました。彼の調子もだん\/沈(しづ)んで来(き)ました。もし私が彼の知つてゐる通り昔(むかし)の人(ひと)を知るならば、そんな攻撃はしないだうと云つて悵然としてゐました。Kの口(くち)にした昔(むかし)の人(ひと)とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのです。霊のために肉を虐(しいた)げたり、道(みち)のために体(たい)を鞭(むちう)つたりした所謂難行苦行の人(ひと)を指(さ)すのです。Kは私に、彼がどの位其ために苦(くる)しんでゐるか解(わか)らないのが、如何にも残念だと明言しました。
 Kと私とはそれぎり寐(ね)てしまひました。さうして其翌(あく)る日(ひ)から又普通の行商の態度に返(かへ)つて、うん\/汗(あせ)を流しながら歩(ある)き出したのです。然し私は路(みち)々其晩の事(こと)をひよい\/と思ひ出しました。私には此上(うへ)もない好(い)い機会が与へられたのに、知らない振(ふり)をして何故(なぜ)それを遣(や)り過(す)ごしたのだらうといふ悔恨の念が燃(も)えたのです。私は人間(にんげん)らしいといふ抽象的な言葉を用ひる代(かは)りに、もつと直截で簡単な話(はなし)をKに打ち明けてしまへば好(よ)かつたと思ひ出したのです。実を云ふと、私がそんな言葉を創造したのも、御嬢さんに対する私の感情が土台になつてゐたのですから、事実を蒸溜(りう)して拵らえた理論などをKの耳(みヽ)に吹(ふ)き込(こ)むよりも、原(もと)の形(かたち)そのまヽを彼の眼(め)の前に露出した方(はう)が、私にはたしかに利益だつたでせう。私にそれが出来(でき)なかつたのは、学問の交際が基調を構成してゐる二人(ふたり)の親(した)しみに、自(おのづ)から一種の惰性があつたヽめ、思ひ切つてそれを突(つ)き破(やぶ)る丈の勇気が私に欠(か)けてゐた事(こと)をこヽに自白します。気取(きど)り過(す)ぎたと云つても、虚栄心が祟(たヽ)つたと云つても同じでせうが、私のいふ気取(きど)るとか虚栄とかいふ意味は、普通のとは少し違(ちが)ひます。それがあなたに通じさへすれば、私は満足なのです。
 我々は真黒(まつくろ)になつて東京へ帰(かへ)りました。帰つた時(とき)は私の気分が又変(かは)つてゐました。人間(げん)らしいとか、人間(にんげん)らしくないとかいふ小理窟(こりくつ)は殆(ほと)んど頭(あたま)の中(なか)に残(のこ)つてゐませんでした。Kにも宗教家らしい様子が全く見(み)えなくなりました。恐らく彼の心(こヽろ)のどこにも霊がどうの肉(にく)がどうのといふ問題は、其時宿(やど)つてゐなかつたでせう。二人(ふたり)は異人種(しゆ)のやうな顔(かほ)をして、忙(いそ)がしさうに見える東京をぐる\/眺(なが)めました。それから両国(ごく)へ来(き)て、暑(あつ)いのに軍鶏(しやも)を食(く)ひました。Kは其(その)勢で小石川迄歩(ある)いて帰らうと云ふのです。体力(りよく)から云へばKよりも私の方(はう)が強いのですから、私はすぐ応じました。
 宅(うち)へ着(つ)いた時、奥さんは二人(ふたり)の姿(すがた)を見(み)て驚ろきました。二人(ふたり)はたヾ色(いろ)が黒(くろ)くなつたばかりでなく、無暗(むやみ)に歩(ある)いてゐたうちに大変瘠(や)せてしまつたのです。奥さんはそれでも丈夫そうになつたと云つて賞(ほ)めて呉れるのです。御嬢さんは奥さんの矛盾が可笑しいと云つて又笑ひ出しました。旅行前(まへ)時々(とき\゛/)腹(はら)の立(た)つた私も、其時丈は愉快な心持(もち)がしました。場合が場合なのと、久し振(ぶり)に聞いた所為(せゐ)でせう。


心(こヽろ) 先生の遺書(八十六)

「それのみならず私は御嬢さんの態度の少し前(まへ)と変(かは)つてゐるのに気が付(つ)きました。久(ひさ)し振(ぶり)で旅(たび)から帰つた私達が平生の通(とほ)り落付(おちつ)く迄には、万事(ばんじ)に就(つ)いて女の手が必要だつたのですが、其世話をして呉れる奥さんはと兎に角、御嬢さんが凡て私の方(はう)を先(さき)にして、Kを後廻(あとまは)しにするやうに見えたのです。それを露骨に遣(や)られては、私も迷惑したかも知れません。場合によつては却つて不快の念さへ起しかねなかつたらうと思ふのですが、御嬢さんの所作は其点で甚だ要領を得てゐたから、私は嬉(うれ)しかつたのです。つまり御嬢さんは私だけに解(わか)るやうに、持前(もちまへ)の親切(しんせつ)を余分(よぶん)に私の方(はう)へ割(わ)り宛(あ)てヽ呉(く)れたのです。だからKは別に厭(いや)な顔(かほ)もせずに平気でゐました。私は心の中(うち)でひそかに彼に対する凱歌(がいか)を奏しました。
 やがて夏(なつ)も過(す)ぎて九月の中頃(なかごろ)から我々はまた学校の課業に出席しなければならない事(こと)になりました。Kと私とは各自(てんでん)の時間の都合で、出入(でいり)の刻限(こくげん)にまた遅速(ちそく)が出来(でき)てきました。私がKより後(おく)れて帰(かへ)る時(とき)は一週に三度ほどありましたが、何時(いつ)帰つても御嬢さんの影(かげ)をKの室(へや)に認(みと)める事(こと)はないやうになりました。Kは例の眼(め)を私の方(はう)に向(む)けて、「今帰つたのか」を規則の如(ごと)く繰(く)り返(かへ)しました。私の会釈(えしやく)も殆んど器械の如く簡単で且つ無意味でした。
 たしか十月の中頃と思ひます、私は寐坊をした結果、日本服の侭(まヽ)急(いそ)いで学校へ出た事(こと)があります。穿物(はきもの)も編上(あみあげ)などを結(むす)んでゐる時間が惜しいので、草履を突(つ)つかけたなり飛び出(だ)したのです。其日(ひ)は時間割からいふと、Kよりも私の方(はう)が先(さき)へ帰(かへ)る筈になつてゐました。私は戻(もど)つて来(く)ると、其積(つもり)で玄関の格子をがらりと開(あ)けたのです。すると居(ゐ)ないと思つてゐたKの声(こえ)がひよいと聞(き)こえました。同時に御嬢さんの笑ひ声が私の耳(みヽ)に響(ひヾ)きました。私は何時(いつ)ものやうに手数(てかず)のかヽる靴(くつ)を穿(は)いてゐないから、すぐ玄関に上(あ)がつて仕切(しきり)の襖(ふすま)を開(あ)けました。私は例の通り机の前(まへ)に坐(すわ)つてゐるKを見ました。然し御嬢さんはもう其所(そこ)にはゐなかつたのです。私は恰もKの室(へや)から逃(のが)れ出(で)るやうに去る其後姿(うしろすがた)をちらりと認(みと)めた丈でした。私はKに何(ど)うして早く帰(かへ)つたのかと問ひました。Kは心持(こヽろもち)が悪(わる)いから休(やす)んだのだと答へました。私が自分の室(へや)に這入(はい)つて其侭(そのまヽ)坐(すわ)つてゐると、間(ま)もなく御嬢さんが茶を持(も)つて来(き)て呉(く)れました。其時(とき)御嬢さんは始めて御帰りといつて私に挨拶をしました。私は笑ひながらさつきは何故(なぜ)逃げたんですと聞(き)けるやうな捌(さば)けた男ではありません。それでゐて腹(はら)の中(なか)では何(なん)だか其事(こと)が気にかヽるやうな人間(にんげん)だつたのです。御嬢さんはすぐ座(ざ)を立(た)つて縁側伝(づた)ひに向(むか)ふへ行(い)つてしまひました。然しKの室(へや)の前(まへ)に立(た)ち留(ど)まつて、二言(こと)三言(みこと)内(うち)と外(そと)とで話(はな)しをしてゐました。それは先刻(さつき)の続(つヾ)きらしかつたのですが、前(まへ)を聞(き)かない私には丸(まる)で解(わか)りませんでした。
 そのうち御嬢さんの態度がだん\/平気になつて来(き)ました。Kと私が一所に宅(うち)にゐる時(とき)でも、よくKの室(へや)の縁側へ来(き)て彼の名を呼びました。さうして其所(そこ)へ入(はい)つて、ゆつくりしてゐました。無論郵便を持(も)つて来(く)る事(こと)もあるし、洗濯物を置(お)いて行く事(こと)もあるのですから、其位の交通は同じ宅(うち)にゐる二人(ふたり)の関係上、当然と見なければならないのでせうが、是非御嬢さんを専有したいといふ強烈な一念に動かされてゐる私には、何(ど)うしてもそれが当然以上に見えたのです。ある時は御嬢さんがわざ\/私の室(へや)へ来(く)るのを回避(ひ)して、Kの方ばかりへ行くやうに思はれる事(こと)さへあつた位です。それなら何故(なぜ)Kに宅(うち)を出(で)て貰(もら)はないのかと貴方(あなた)は聞(き)くでせう。然しさうすれば私がKを無理に引張(ひつぱ)つて来(き)た主意が立(た)たなくなる丈です。私にはそれが出来ないのです。


心(こヽろ) 先生の遺書(八十七)

「十一月の寒(さむ)い雨(あめ)の降(ふ)る日(ひ)の事(こと)でした。私は外套を濡(ぬ)らして例の通り蒟蒻(こんにやく)閻魔を抜(ぬ)けて細(ほそ)い坂路(さかみち)を上(あが)つて宅(うち)へ帰(かへ)りました。Kの室(へや)は空虚(がらんど)うでしたけれども、火鉢には継(つ)ぎたての火(ひ)が暖(あたヽ)かさうに燃(も)えてゐました。私も冷(つめ)たい手(て)を早く赤い炭の上(うへ)に翳(かざ)さうと思つて、急(いそ)いで自分の室(へや)の仕切(しきり)を開(あ)けました。すると私の火鉢(ひばち)には冷(つめ)たい灰が白(しろ)く残(のこ)つてゐる丈で、火種(だね)さへ尽(つ)きてゐるのです。私は急に不愉快になりました。
 其時(とき)私の足音(あしおと)を聞(き)いて出(で)て来(き)たのは、奥さんでした。奥さんは黙(だま)つて室(へや)の真中(まんなか)に立(た)つてゐる私を見(み)て、気(き)の毒(どく)さうに外套を脱(ぬ)がせて呉(く)れたり、日本服を着(き)せて呉(く)れたりしました。それから私が寒(さむ)いといふのを聞(き)いて、すぐ次(つぎ)の間(ま)からKの火鉢を持(も)つて来(き)て呉れました。私がKはもう帰(かへ)つたのかと聞(き)きましたら、奥さんは帰(かへ)つて又出(で)たと答(こた)へました。其日(ひ)もKは私より後(おく)れて帰(かへ)る時間割(じかんわり)だつたのですから、私は何(ど)うした訳(わけ)かと思ひました。奥さんは大方(おほかた)用事(じ)でも出来(でき)たのだらうと云つてゐました。
 私はしばらく其所(そこ)に坐(すわ)つたまヽ書見(しよけん)をしました。宅(うち)の中(なか)がしんと静(しづ)まつて、誰(だれ)の話(はな)し声も聞(き)こえないふちに、初冬(はつふゆ)の寒さと侘(わ)びしさとが、私の身体(からだ)に食(く)ひ込(こ)むやうに私は感じ出(だ)しました。私はすぐ書物を伏(ふ)せて立(た)ち上(あが)りました。私は不図(ふと)賑(にぎ)やかな所(ところ)へ行きたくなつたのです。雨はやつと歇(あが)つたやうですが、空(そら)はまだ冷(つめ)たい鉛(なまり)のやうに重(おも)く見えたので、私は用心(じん)のため、蛇(じや)の目(め)を肩(かた)に担(かつ)いで、砲兵工廠の裏手(うらて)の土塀について東(ひがし)へ坂(さか)を下(お)りました。其時分はまだ道路の改正が出来(でき)ない頃(ころ)なので、坂の勾配(かうばい)が今(いま)よりもずつと急でした。道幅(みちはヾ)も狭(せま)くて、あヽ真直(まつすぐ)ではなかつたのです。其上(うへ)あの谷(たに)へ下(お)りると、南(みなみ)が高(たか)い建物(たてもの)で塞(ふさ)がつてゐるのと、放水(みづはき)がよくないのとで、往来はどろ\/でした。ことに細(ほそ)い石橋(いしばし)を渡(わた)つて柳町(やなぎちよう)の通りへ出(で)る間(あひだ)が非道(ひど)かつたのです。足駄(あしだ)でも長靴(ながぐつ)でも無暗(むやみ)に歩(ある)く訳(わけ)には行かないのです。誰でも路(みち)の真中(まんなか)に自然(しぜん)と細(ほそ)長く泥(どろ)が掻(か)き分(わ)けられた所(ところ)を、後生大事に辿(たど)つて行かなければなりません。其幅は僅か一二尺しかないのですから、手もなく往来に敷(し)いてある帯の上(うへ)を踏(ふ)んで向(むかふ)へ越(こ)すのと同じ事(こと)です。行く人(ひと)はみんな一列になつてそろ\/通(とほ)り抜(ぬ)けます。私は此細帯(ほそおび)の上(うへ)で、はたりとKに出合(であ)ひました。足(あし)の方(はう)にばかり気を取(と)られてゐた私は、彼と向(む)き合(あ)ふ迄、彼の存在に丸(まる)で気が付(つ)かずにゐたのです。私は不意に自分の前(まへ)が塞(ふさ)がつたので偶然眼(め)を上(あ)げた時、始めて其所(そこ)に立(た)つてゐるKを認(みと)めたのです。私はKに何処(どこ)へ行(い)つたのかと聞(き)きました。Kは一寸(ちよつと)其所迄(そこまで)と云つたぎりでした。彼(かれ)の答へは何時(いつ)もの通(とほ)りふんといふ調子でした。Kと私は細(ほそ)い帯(おび)の上(うへ)で身体(からだ)を替(かは)せました。するとKのすぐ後(うしろ)に一人(ひとり)の若(わか)い女が立(た)つてゐるのが見えました。近眼(きんがん)の私には、今迄それが能く分(わか)らなかつたのですが、Kを遣(や)り越(こ)した後(あと)で、其女の顔(かほ)を見ると、それが宅(うち)の御嬢さんだつたので、私は少(すくな)からず驚ろきました。御嬢さんは心持(こヽろもち)薄赤(うすあか)い顔(かほ)をして、私に挨拶をしました。其時分の束髪は今と違(ちが)つて廂(ひさし)が出(で)てゐないのです、さうして頭(あたま)の真中(まんなか)に蛇(へび)のやうにぐる\/巻(ま)きつけてあつたものです。私はぼんやり御嬢さんの頭(あたま)を見(み)てゐましたが、次(つぎ)の瞬間(しゆんかん)に、何方(どつち)か路(みち)を譲(ゆづ)らなければならないのだといふ事(こと)に気(き)が付(つ)きました。私は思(おも)ひ切(き)つてどろ\/の中(なか)へ片足(かたあし)踏(ふ)ん込(ご)みました。さうして比較的通(とほ)り易(やす)い所(ところ)を空(あ)けて、御嬢さんを渡(わた)して遣(や)りました。
 私は柳町(やなぎちよう)の通りへ出(で)ました。然し何処(どこ)へ行(い)つて好(い)いか自分にも分(わか)らなくなりました。何処(どこ)へ行(い)つても面白くないやうな心持(もち)がしました。私は飛泥(はね)の上(あ)がるのも構はずに、糠(ぬか)る海(み)の中(なか)を自棄(やけ)にどし\/歩(ある)きました。それから直(す)ぐ宅(うち)へ帰(かへ)つて来(き)ました。


心(こヽろ) 先生の遺書(八十八)

「私はKに向(むか)つて御嬢さんと一所に出(で)たのかと聞(き)きました。Kは左右(さう)ではないと答(こた)へました。真砂町(まさごちよう)で偶然出会(であ)つたから連(つ)れ立(だ)つて帰(かへ)つて来(き)たのだと説明しました。私はそれ以上に立ち入つた質問(しつもん)を控(ひか)えなければなりませんでした。然し食事(しよくじ)の時(とき)、又御嬢さんに向つて、同じ問(とひ)を掛(か)けたくなりました。すると御嬢さんは私の嫌(きらひ)な例の笑(わら)ひ方(かた)をするのです。さうして何処(どこ)へ行(い)つたか中(あ)てヽ見ろと仕舞(しまひ)に云ふのです。其頃(ころ)の私はまだ癇癪持(かんしやくもち)でしたから、さう不真面目(ふまじめ)に若い女から取り扱はれると腹(はら)が立(た)ちました。所(ところ)が其所(そこ)に気の付(つ)くのは、同じ食卓(しよくたく)に着(つ)いてゐるものヽうちで奥(おく)さん一人(ひとり)だつたのです。Kは寧(むし)ろ平気でした。御嬢さんの態度になると、知つてわざと遣(や)るのか、知らないで無邪気に遣(や)るのか、其所(そこ)の区別が一寸(ちよつと)判然しない点がありました。若(わか)い女として御嬢さんは思慮に富(と)んだ方(はう)でしたけれども、其若い女に共通な私の嫌(きらひ)な所(ところ)も、あると思へば思へなくもなかつたのです。さうして其嫌(きらひ)な所(ところ)は、Kが宅(うち)へ来(き)てから、始めて私の眼(め)に着(つ)き出(だ)したのです。私はそれをKに対する私の嫉妬に帰(き)して可(い)いものか、又は私に対する御嬢さんの技巧と見傚(みな)して然るべきものか、一寸(ちよつと)分別に迷(まよ)ひました。私は今でも決して其時の私の嫉妬心を打ち消す気はありません。私はたび\/繰り返(かへ)した通り、愛の裏面に此感情の働(はたら)きを明(あき)らかに意識してゐたのですから。しかも傍(はた)のものから見ると、殆んど取(と)るに足(た)りない瑣事(さじ)に、此感情が屹度首(くび)を持(も)ち上(あ)げたがるのでしたから。是は余事(よじ)ですが、かういふ嫉妬は愛(あい)の半面ぢやないでせうか。私は結婚してから、此感情がだん\/薄(うす)らいで行くのを自覚しました。其代り愛情の方も決して元(もと)のやうに猛烈ではないのです。
 私はそれ迄躊躇してゐた自分の心(こヽろ)を、一思(ひとおも)ひに相手の胸(むね)へ擲(たヽ)き付(つ)けやうかと考へ出(だ)しました。私の相手といふのは御嬢さんではありません。奥さんの事(こと)です。奥さんに御嬢さんを呉(く)れろと明白な談判を開(ひら)かうかと考へたのです。然しさう決心しながら、一日(いちにち)\/と私は断行の日を延(の)ばして行(い)つたのです。さういふと私はいかにも優柔な男のやうに見えます、又見えても構(かま)ひませんが、実際私の進(すヽ)みかねたのは、意志の力(ちから)に不足があつた為(ため)ではありません。Kの来(こ)ないうちは、他(ひと)の手(て)に乗(の)るのが厭(いや)だといふ我慢が私を抑え付(つ)けて、一歩も動(うご)けないやうにしてゐました。Kの来(き)た後(のち)は、もしかすると御嬢さんがKの方(はう)に意があるのではなからうかといふ疑念(ねん)が絶(た)えず私を制するやうになつたのです。果して御嬢さんが私よりもKに心を傾(かた)むけてゐるならば、此恋は口(くち)へ云(い)ひ出(だ)す価値のないものと私は決心してゐたのです。耻(はぢ)を掻(か)かせられるのが辛(つら)いなどヽ云ふのとは少し訳(わけ)が違(ちがひ)ます。此方(こつち)でいくら思つても、向(むか)ふが内心他(ほか)の人(ひと)に愛(あい)の眼(まなこ)を注(そヽ)いでゐるならば、私はそんな女と一所になるのは厭(いや)なのです。世の中(なか)では否(いや)応なしに自分の好(す)いた女を嫁(よめ)に貰(もら)つて嬉(うれ)しがつてゐる人(ひと)もありますが、それは私達より余つ程(ぽど)世間(せけん)ずれのした男か、さもなければ愛(あい)の心理がよく呑(の)み込(こ)めない鈍物(どんぶつ)のする事(こと)と、当時の私は考へてゐたのです。一度貰つて仕舞(しま)へば何(ど)うか斯(か)うか落ち付(つ)くものだ位の哲理では、承知する事(こと)が出来(でき)ない位私は熱してゐました。つまり私は極めて高尚な愛の理論家だつたのです。同時に尤も迂遠な愛の実際家だつたのです。
 肝心の御嬢さんに、直接此私といふものを打ち明(あ)ける機会も、長く一所にゐるうちには時々(とき\゛/)出(で)て来(き)たのですが、私はわざとそれを避(さ)けました。日本の習慣として、さういふ事(こと)は許(ゆる)されてゐないのだといふ自覚(じかく)が、其頃(ころ)の私には強くありました。然し決してそれ許(ばかり)が私を束縛(そくばく)したとは云へません。日本人(じん)、ことに日本の若い女は、そんな場合に、相手に気兼(きがね)なく自分の思つた通りを遠慮せずに口(くち)にする丈の勇気に乏(とぼ)しいものと私は見込(みこ)んでゐたのです。

「見傚して」の「傚」は、原稿では右の旁が「力」。


心(こヽろ) 先生の遺書(八十九)

「斯(こ)んな訳(わけ)で私はどちらの方面へ向(むか)つても進(すヽ)む事(こと)が出来(でき)ずに立(た)ち竦(すく)んでゐました。身体(からだ)の悪(わる)い時(とき)に午睡(ひるね)などをすると、眼(め)だけ覚(さ)めて周囲のものが判然(はつきり)見えるのに、何(ど)うしても手足の動(うご)かせない場合がありませう。私は時(とき)としてあヽいふ苦(くる)しみを人(ひと)知れず感(かん)じたのです。
 其内(そのうち)年(とし)が暮(く)れて春(はる)になりました。ある日奥さんがKに歌留多(かるた)を遣(や)るから誰(だれ)か友達を連(つ)れて来(こ)ないかと云つた事(こと)があります。するとKはすぐ友達(ともだち)なぞは一人(ひとり)もないと答へたので、奥さんは驚(おど)ろいてしまひました。成程Kに友達といふ程(ほど)の友達(ともだち)は一人(ひとり)もなかつたのです。往来で会(あ)つた時挨拶をする位のものは多少ありましたが、それ等だつて決して歌留多などを取(と)る柄(がら)ではなかつたのです。奥さんはそれぢや私の知(し)つたものでも呼(よ)んで来(き)たら何(ど)うかと云ひ直しましたが、私も生憎そんな陽気な遊(あそ)びをする心持(こヽろもち)になれないので、好(い)い加減な生返事(なまへんじ)をしたなり、打(う)ち遣(や)つて置(お)きました。所が晩(ばん)になつてKと私はとう\/御嬢さんに引(ひ)つ張(ぱ)り出(だ)されてしまひました。客(きやく)も誰(だれ)も来(こ)ないのに、内々(うち\/)の小(こ)人数丈で取(と)らうといふ歌留多(かるた)ですから頗(すこぶ)る静(しづか)なものでした。其上(うへ)斯ういふ遊技を遣(や)り付(つ)けないKは、丸(まる)で懐手(ふところで)をしてゐる人(ひと)と同様でした。私はKに一体(たい)百人一首の歌(うた)を知つてゐるのかと尋ねました。Kは能く知らないと答へました。私の言葉を聞(き)いた御嬢さんは、大方(かた)Kを軽蔑するとでも取(と)つたのでせう。それから眼(め)に立つやうにKの加勢をし出(だ)しました。仕舞には二人(ふたり)が殆んど組(くみ)になつて私に当(あた)るといふ有様(ありさま)になつて来(き)ました。私は相手次第では喧嘩を始(はじ)めたかも知れなかつたのです。幸ひにKの態度は少しも最初と変(かは)りませんでした。彼の何処(どこ)にも得意らしい様子を認めなかつた私は、無事(ぶじ)に其場(そのば)を切(き)り上(あ)げる事(こと)が出来(でき)ました。
 それから二三日経(た)つた後(のち)の事(こと)でしたらう、奥さんと御嬢さんは朝(あさ)から市ヶ谷にゐる親類の所(ところ)へ行くと云つて宅(うち)を出(で)ました。Kも私もまだ学校の始まらない頃(ころ)でしたから、留守居(るすゐ)同様あとに残(のこ)つてゐました。私は書物(しよもつ)を読(よ)むのも散歩に出(で)るのも厭(いや)だつたので、たヾ漠然と火鉢(ひばち)の縁(ふち)に肱(ひぢ)を載(の)せて凝(ぢつ)と顋(あご)を支(さヽ)へたなり考へてゐました。隣(となり)の室(へや)にゐるKも一向音(おと)を立(た)てませんでした。双方とも居(ゐ)るのだか居ないのだか分(わか)らない位静でした。尤も斯(か)ういふ事(こと)は、二人(ふたり)の間柄として別に珍(めづ)らしくも何ともなかつたのですから、私は別段それを気にも留(と)めませんでした。
 十時頃になつて、Kは不意に仕切(しきり)の襖(ふすま)を開(あ)けて私と顔を見合せました。彼は敷居(しきゐ)の上(うへ)に立つた侭(まヽ)、私に何(なに)を考へてゐると聞(き)きました。私はもとより何(なに)も考へてゐなかつたのです。もし考へてゐたとすれば、何時(いつ)もの通り御嬢さんが問題だつたかも知れません。其御嬢さんには無論奥さんも食(く)つ付(つ)いてゐますが、近頃ではK自身が切り離(はな)すべからざる人(ひと)のやうに、私の頭(あたま)の中(なか)をぐる\/回(めぐ)つて、此問題を複雑(さづ)にしてゐるのです。Kと顔(かほ)を見合せた私は、今迄朧気(おぼろげ)に彼を一種の邪魔ものヽ如く意識してゐながら、明らかに左右(さう)と答へる訳(わけ)に行かなかつたのです。私は依然として彼の顔(かほ)を見(み)て黙(だま)つてゐました。するとKの方からつか\/と私の座敷へ入(はい)つて来(き)て、私のあたつてゐる火鉢の前に坐(すわ)りました。私はすぐ両肱(ひぢ)を火鉢(ひばち)の縁(ふち)から取(と)り除(の)けて、心持(こヽろもち)それをKの方(はう)へ押(お)し遣(や)るやうにしました。
 Kは何時(いつ)もに似合(にあ)はない話(はなし)を始(はじ)めました。奥さんと御嬢さんは市ヶ谷の何処(どこ)へ行(い)つたのだらうと云ふのです。私は大方(おほかた)叔母さんの所(ところ)だらうと答へました。Kは其叔母さんは何だと又聞(き)きます。私は矢張り軍人(ぐんじん)の細君だと教へて遣(や)りました。すると女の年始は大抵十五日過(すぎ)だのに、何故(なぜ)そんなに早く出掛(でか)けたのだらうと質問するのです。私は何故(なぜ)だか知らないと挨拶するより外に仕方がありませんでした。


心(こヽろ) 先生の遺書(九十)

「Kは中々(なか\/)奥さんと御嬢さんの話(はなし)を已(や)めませんでした。仕舞(しまひ)には私も答(こた)へられないやうな立(た)ち入(い)つた事迄(ことまで)聞(き)くのです。私は面倒よりも不思議の感に打(う)たれました。以前私の方(はう)から二人(ふたり)を問題にして話(はな)しかけた時(とき)の彼(かれ)を思ひ出すと、私は何(ど)うしても彼(かれ)の調子の変(かは)つてゐる所(ところ)に気が付(つ)かずにはゐられないのです。私はとう\/何故(なぜ)今日(けふ)に限(かぎ)つてそんな事(こと)ばかり云ふのかと彼(かれ)に尋(たづ)ねました。其時(とき)彼(かれ)は突然(とつぜん)黙(だま)りました。然し私は彼(かれ)の結(むす)んだ口元(くちもと)の肉(にく)が顫(ふる)へるやうに動(うご)いてゐるのを注視(し)しました。彼(かれ)は元来無口(むくち)な男(をとこ)でした。平生から何(なに)か云はうとすると、云ふ前(まへ)に能(よ)く口(くち)のあたりをもぐ\/させる癖(くせ)がありました。彼(かれ)の唇(くちびる)がわざと彼(かれ)の意志に反抗するやうに容易(たやす)く開(あ)かない所(ところ)に、彼(かれ)の言葉(ことば)の重(おも)みも籠(こも)つてゐたのでせう。一旦声(こえ)が口(くち)を破(やぶ)つて出(で)るとなると、其声には普通の人(ひと)よりも倍(ばい)の強い力(ちから)がありました。
 彼の口元(くちもと)を一寸(ちよつと)眺(なが)めた時、私はまた何(なに)か出(で)て来(く)るなとすぐ疳付(かんづ)いたのですが、それが果して何(なん)の準備なのか、私の予覚は丸(まる)でなかつたのです。だから驚(おど)ろいたのです。彼(かれ)の重(おも)々しい口(くち)から、彼の御嬢さんに対する切(せつ)ない恋(こひ)を打(う)ち明(あ)けられた時(とき)の私を想像して見(み)て下(くだ)さい。私は彼(かれ)の魔法棒のために一度(いちど)に化石(くわせき)されたやうなものです。口(くち)をもぐ\/させる働(はたらき)さへ、私にはなくなつて仕舞つたのです。
 其時(そのとき)の私は恐(おそ)ろしさの塊(かたま)りと云ひませうか、又は苦(くる)しさの塊(かたま)りと云ひませうか、何(なに)しろ一(ひと)つの塊(かたま)りでした。石(いし)か鉄(てつ)のやうに頭(あたま)から足(あし)の先(さき)までが急に固(かた)くなつたのです。呼吸をする弾力性さへ失はれた位に堅(かた)くなつたのです。幸(さひは)ひな事(こと)に其状態は長く続(つヾ)きませんでした。私は一瞬間の後(のち)に、また人間(にんげん)らしい気分を取り戻(もど)しました。さうして、すぐ失策(しま)つたと思ひました。先(せん)を越(こ)されたなと思ひました。
 然し其先(そのさき)を何(ど)うしやうといふ分別は丸(まる)で起りません。恐らく起(おこ)る丈の余裕がなかつたのでせう。私は腋(わき)の下(した)から出(で)る気味のわるい汗(あせ)が襯衣(しやつ)に滲(し)み透(とほ)るのを凝(ぢつ)と我慢して動かずにゐました。Kは其間(そのあひだ)何時(いつ)もの通(とほ)り重(おも)い口(くち)を切(き)つては、ぽつり\/と自分(じぶん)の心(こヽろ)を打(う)ち明(あ)けて行きます。私は苦(くる)しくつて堪(たま)りませんでした。恐(おそ)らく其苦(くる)しさは、大(おほ)きな広告のやうに、私の顔(かほ)の上(うへ)に判然(はつき)りした字(じ)で貼(は)り付(つ)けられてあつたらうと私は思ふのです。いくらKでも其所(そこ)に気の付(つ)かない筈はないのですが、彼(かれ)は又(また)彼で、自分の事(こと)に一切(さい)を集中してゐるから、私の表情などに注意する暇(ひま)がなかつたのでせう。彼の自白は最初から最後(さいご)まで同じ調子で貫(つら)ぬいてゐました。重(おも)くて鈍(のろ)い代(かは)りに、とても容易な事(こと)では動(うご)かせないといふ感(かん)じを私に与(あた)へたのです。私の心は半分其自白を聞(き)いてゐながら、半分何(ど)うしやう\/といふ念に絶(た)えず掻(か)き乱(みだ)されてゐましたから、細(こま)かい点になると殆んど耳(みヽ)へ入(はい)らないと同様でしたが、それでも彼(かれ)の口(くち)に出(だ)す言葉(ことば)の調子だけは強く胸(むね)に響(ひヾ)きました。そのために私は前(まへ)いつた苦痛ばかりでなく、ときには一種の恐(おそ)ろしさを感ずるやうになつたのです。つまり相手は自分より強いのだといふ恐怖の念が萌(きざ)し始めたのです。
 Kの話(はなし)が一通(ひととほ)り済(す)んだ時(とき)、私は何(なん)とも云ふ事(こと)が出来(でき)ませんでした。此方(こつち)も彼(かれ)の前(まへ)に同じ意味の自白をしたものだらうか、夫(それ)とも打ち明(あ)けずにゐる方(はう)が得策だらうか、私はそんな利害を考へて黙(だま)つてゐたのではありません。たヾ何事(なにごと)も云へなかつたのです。又云ふ気にもならなかつたのです。
 午食(ひるめし)の時(とき)、Kと私は向(むか)ひ合(あは)せに席(せき)を占(し)めました。下女に給仕をして貰(もら)つて、私はいつにない不味(まづ)い飯(めし)を済(す)ませました。二人(ふたり)は食事中(じちう)も殆んど口(くち)を利きませんでした。奥さんと御嬢さんは何時(いつ)帰るのだか分(わか)りませんでした。