てっちゃんの旅
高橋 洋 2003年5月9日
 あと5日で黄金週間が始まろうという4月21日、急に「旅をしよう!」と思い立った。1月にソニーに復帰して以来、尋常ならざる仕事量の下苛酷な労働を続けてきたが、21日に急遽仕事が一段落着き、黄金週間の後半ならば時間が取れそうな状況になったのである。精神的にも肉体的にも疲れ果てていた私は、独りでじっくりと時を過ごし、物思いに耽る時間と場所を必要としていた。
 幾多の経験を積んだツアーコンダクターは、思い立つと行動が早かった。とにかく5日前である。SARSはともかく、今から準備をして独りで海外に行く気はしない。国内ならば…そう、「てっちゃんの旅」である。
 何を隠そう、私は中学生時代鉄道少年をやっていた。てっちゃんにも様々な類型があるが、私はローカル線をカタコトとひたすら鉄道に揺られ、景色を眺め、街を眺め、そこに住む人々の生活を感じるのが好きだった。何をするというのでもない、ただ鉄道に乗っている時間が至福の時なのである。眠たければ目を瞑り、車窓からの絶景には目を見張り、美味しい駅弁に舌鼓を打つ。こんなに贅沢な時間の過ごし方が他にあるだろうか。
 だからと言って、てっちゃんは、どこでもいいからただ鉄道に乗られれば嬉しいのではない。やはり都会とは異次元の鄙びた田舎のローカル線、更に渓谷沿いや海岸の絶景が眺められれば、それに越した事はない。だからてっちゃんが旅をする時には、まず時刻表片手に一心不乱に旅程を組む事から始まる。時刻表なんてややこしくて見るのも嫌だという人が世の中にはいるようだが、てっちゃんは例外無く時刻表が大好きである。別に旅行の予定が無くても、時刻表さえ与えておけば何時間でも静かに眺めているだろう。何線に乗り、何駅で乗り換えて…ここは乗り継ぎが悪いから先にこっちへ行って、この駅で駅弁を買って…と、頭の中で何通りもの旅程を組んでしまう。
 こうして21日の週は、最新の時刻表を購入することから始まり、プランニングだけで楽しく楽しく過ごしてしまった。そして28日にJRの周遊券を購入し、いよいよ29日から休暇を取って出発進行。目指すはてっちゃんなら誰でも知っている「五能線」。更にてっちゃんを卒業した者としては、ただ鉄道に乗るだけではひねりが無いので、「一日一泉」、温泉を制覇して行くことにしたのだ。

●ほっとゆだ
 4月29日午前7時過ぎ。眠たい目を擦りながら、東京駅始発の東北新幹線やまびこの自由席を確保した。今回は「十和田・田沢湖周遊きっぷ」(3300円)を購入し、岩手から秋田・青森を放浪する予定である。往路の切符はオーソドックスに東北新幹線ということで、黄金週間と言うのに自由席が埋まらない列車は北へ向かって出発した。
 岩手県一関で新幹線を降り在来線に乗りかえると、二駅で「平泉」に到着する。そう、藤原氏の栄華と中尊寺で知られる名所である。10時28分に平泉に到着し、源義経が住んでいたと言われる高館(たかだち)から北上川を一望した上で、中尊寺に向かう。バックパックを駅で預けずに20分ほど歩いたため少々疲れたが、中尊寺、その中でも金色堂はなかなかのものであった。観光客も多く、そう、街中桜が一杯散っていた。今回北東北を旅行して実感したのは、桜の季節は4月下旬だということである。これまでにもテレビで、弘前城の桜は黄金週間が満開とか見た事があるが、本当に至る所で桜が数多く咲いていた。北国の春は、東京よりも1ヶ月遅いのである。
 とは言え、この日は天気も良く、歩いていると汗ばむぐらいの陽気であった。昼食後平泉を程々に切り上げ更に東北本線を北上し、13時45分に北上駅に到着する。本日の目玉は北上線、その中でも「ほっとゆだ」である。北上線とは、東北本線の北上駅と奥羽本線の横手駅を結ぶ、奥羽山脈を横断するローカル線である。60km少々の距離を、各駅停車が80分程度かけて走る。その丁度中間にある、中心的な駅が「ほっとゆだ」である。元々この界隈は、湯川温泉や湯本温泉という、いかにもという名前の温泉を複数有し、「湯田温泉峡」と呼ばれている。湯田町川尻地区にあるこの駅は以前「陸中川尻」と呼ばれていたが、10年程前に「ほっとゆだ」と改称した。そう、ここには駅舎の中に温泉があるのである。
 13時57分に北上駅を発車した三両編成の気動車は、徐々に山間に入っていく。北上市へ通っている高校生が下りていき、乗客も少なくなってきた頃、錦秋湖が見えてきた。錦秋湖は、北上川の支流・和賀川をダムで堰き止めて出来た、全長15kmにも渡る細長い人造湖である。青が深いゆったりした河の流れのような湖に目を奪われる。特に紅葉の時期は絶景とのこと。どこまでも続く錦秋湖を縫って列車が走るうちに、14時44分に「ほっとゆだ」に到着した。
 半月前に訪れた長野県の上諏訪駅には、プラットホームの傍に無料の「足湯」があった。ここほっとゆだでは、一度改札口を出るものの、同じ駅舎に温泉があるのだ。入浴料わずか200円。脱衣場で裸になり、確かに駅舎の中で温泉に浸かった。露天でもなく、質素な浴場である。しかし、湯気が充満する、臭いも本格的な温泉であった。私のような旅行者は他にいなかったが、地元のじっさま方が集い、「んだ、んだ」とさっぱり理解不能な会話をしていた。ゆっくり40分程入浴し、番台の前でビールを飲みながらぼーっとする。たまに地元民がその温泉に出入りする以外は、静かに時が流れる。
 その後錦秋湖畔をぶらぶらし、16時47分発の列車に乗り込む。雪が残る北上線の後半を制覇して秋田県の横手に入り、その夜は秋田市へ。インターネットで予約しておいた駅前のビジネスホテルにチェックインし、夕食へ。秋田藩佐竹氏の居城久保田城の夜桜をさっと散策し、その後繁華街へきりたんぽ鍋を食べに行った。ホテル代5500円に夕食代は3000円。ホテルへ帰る頃には雨が降り始めていた。

●弘前城
 翌日4月30日、朝7時に起きると大雨だった。困った。本日の旅程にとって、天気、それも快晴は必要条件である。そう、本日は日本海に沈む夕陽を眺めることが、最大の目玉であった。思いきって旅程を変えようかとも考えつつチェックアウトをすると、雨が降っているだけでなく、寒い寒い。気温は10度少々だろうか。長袖シャツ一枚の人など周りに誰も居ない。とは言え、秋田駅から奥羽本線を北へ向かう内に雨は止んで来た。先の予定はともかく、本日午前の目的地である弘前駅に10時50分に到着。そう、弘前城の桜祭りである。
 駅前から市内巡回の100円バスで弘前城へ。さすが、観光客でいっぱいだ。三の丸の追手門の外から枝垂桜が観光客を集めており、桜吹雪が美しい。お堀はまっピンクに染まっており、水の中は全く見えない。追手門をくぐり、三の丸からさらに二の丸へ入っていくと、とにかく桜、桜、桜。これでもかこれでもかと、城内桜だらけなのだ。本丸へ渡る橋越しというより、桜越しに天守閣が見えるところで、それも最高潮に達する。雨は止んだものの非常に寒い中、それでも観光客は多かったが、桜の数の方が圧倒的に多かった。日本に名立たるこの桜攻撃には、男独りながら、嬉しくなってしまった。

●五能線
 本日の目玉、いや今回のてっちゃんの旅の最大の目玉は、「五能線」に乗る事である。五能線などと言われても多くの人は聞いたことが無いだろう。青森県の五所川原市から秋田県の能代市を結ぶ超ローカル線である。全長150km近くもあるが、一部区間を除けば一日五往復しか列車が走らない。しかし、青森県西部の風光明媚な深浦海岸沿いの殆ど波打ち際を延々と走る、てっちゃんにとっては全国でも一番人気の路線なのだ。
 弘前駅に戻り、駅弁を買い込んで12時31分発の五能線・深浦行き各駅停車に乗りこむ。てっちゃんとしては、憧れの五能線を前にして、否応無しに気持ちが高ぶる。気動車は定刻に発車し、まずはリンゴ畑が続く津軽平野をのんびり進み、五所川原市を経て突如右手に海が見えた所が鰺ヶ沢であった。この頃から雲行きは安定し、曇りながらも時折光が差しこむようになってきた。これは良い。そして五能線は、いよいよ深浦海岸と呼ばれる風光明媚な日本海に面した海岸に分け入ってきた。
 とにかくすごい。越前の東尋坊と宮崎県青島の鬼の洗濯岩を足したような、奇岩奇石が続く風光明媚な海岸を列車はゆっくり進む(写真:五能線の車窓より)。日本海の荒波と相俟って、どうしようもなく淋しい情景がこれでもかと展開される。線路は波打ち際に続いており、海が荒れた時には列車が停まったりするとのこと。駅名で言っても、千畳敷、大戸瀬、風合瀬(かそせ)、驫木(とどろき)、追良瀬(おいらせ)と、いかにもという駅名が続く。そして列車は14時56分に深浦駅に到着した。
 ここで50分程乗り継ぎの時間があった。この時点までで気持ちは大いに盛り上がってきた。やはり五能線はすごい。更に天気も持ち直してきたことで、本日の目玉の第二弾である夕陽観賞を決行することにした。15時42分深浦発東能代行きの各駅停車に乗り、15分程で二駅先の無人駅・艫作(へなし)に到着。日帰り入浴にも拘らず宿からは送迎の車が来てくれ、海岸へと連れて行ってくれた。岬の上に近代的な建物が見えてきた。更に先へと坂を下り、旅館の前で停まる。ここが一軒宿の黄金崎不老ふ死温泉である。

●黄金崎不老ふ死温泉
 雑誌の秘湯特集などには必ず登場する、知る人ぞ知る秘湯。それも、山の中の鄙びた温泉…というよくあるイメージではなく、日本海に突き出た岬の先の、海の傍にある掘っ建て小屋。それがここ黄金崎不老ふ死温泉の有名な露天風呂である。
 フロントで日帰り入浴である旨を告げ、600円を支払い荷物を預ける。何はともあれ、まずは海岸の露天風呂を確認に行く。旅館入り口前の坂をさらに下ると、そこには日本海の大海原が広がっている。先ほどまでの深浦海岸同様のごつごつした岩場の海の傍に、例の掘っ建て小屋があった。こんな所に温泉があっていいのか!!!これまでの温泉の既成概念を破る反則技だ。ただ手前に人の高さほどの石垣を作っただけで、その裏にはひょうたん状の湯船があり、その先には180度の眺望で日本海が広がっている。何と言う開放感!!とにかく、その湯船の縁の向こうはもう海であり、手を伸ばせが波に触ることができる。波が打ち寄せ、引いているその岩場の上には何百羽というウミネコが群れ、甲高い声を上げている。
 かつて不老ふ死温泉は、混浴のこの露天風呂だけでやっていたらしいが、人気が出るにつれ、旅館の方も改築に増築を重ねた。今では本館には近代的で大きな男女別内風呂があり、そこからも窓越しに日本海を眺められる。それでも部屋が足りないので、数年前に崖の上に新館を建設し、収容人員も2倍になり、新しい露天風呂も造った。しかし、どんなに近代的になろうとも、やはり波打ち際の露天風呂に勝るものはないようで、女性のために湯船をもう一つ設け、二つの湯船の間に仕切りの石垣を設けた。ということで、今では残念ながら男女別なのだが、仕切りがない時には眺望は270度にまで達しただろう。それほどの開放感、遮る物の無い日本海の傍の露天風呂である。
 念願の露天風呂を確認した上で、一旦は本館に戻り、はやる気持ちを抑えてまずは内風呂に入る。まだ16時過ぎだ。洗い場もある内風呂で汗を流した上で、満を持して露天風呂へ向かえばいい。内風呂は広く清潔な浴場でジャグジーまであり、申し分無く快適だ。お湯は露天風呂と同じ源泉の赤茶色。鉄分が多いからとのことだが、いかにも効能が高そうな泉質だ。体を湯に沈めるともう外から体が見えない程の濁り具合で、湯船の縁には鉄分が堆積している。海が近くだからか、さすがにお湯はしょっぱい。17時近くまで内風呂を堪能した上で、本館2階の休憩場で一休みをする。ビールがたまらなく美味しい。
 17時40分、そろそろということで、本日のメインエベント、不老ふ死温泉の露天風呂へ参戦する。残念ながら雲は厚く垂れ込めたままだが、同じように夕陽目当ての客で既にそこは一杯だった。屋根も無ければ囲い壁も無い。海を背にして石垣に向かって着ているものを脱ぐ。10個程脱衣籠が置いてあったが、既に全て使われていたので、その籠を置く台の隅に自分が脱いだものを重ねて置く。裸になると、次に開ける戸も無く、降りかえれば目の前にひょうたん型の湯船があるのみ。湯船は15名ぐらいの客で隙間も無い状況だったが、何とか体を湯に滑り込ませる。
 筆舌に尽くし難いとはこのことであろう。私の稚拙な筆力では、この感動をとても伝えられない。茶色く濁ったお湯に体を沈め日本海を眺めると、ウミネコが群れる岩場が目の前に広がっている。海面が自分の目線なのだ。海に囲まれているような錯覚さえ覚える。お湯は熱過ぎず、何時間浸かっていても苦にならない。写真でお分かりの通り、風呂に入っている全員が同じ方角を向いて座っている。残念ながら最後まで夕陽は見えず、徐々に暗くなるにつれて客も減ってきた。日の入りの時刻である18時半頃まで、波打ち際の露天風呂を満喫した。
 旅館で夕食の後、艫作駅へ戻る。また宿の人に車で送ってもらった。
  「五能線は素晴らしいですね。もっと観光客が来てもいいのではないですか?」
  「いやあ、それでも最近は、JRがリゾートしらかみ号を走らせてくれ、お客様が増えたんですよ」
  「そうですね、白神山地が世界遺産に指定されたんですよね」
 そう、白神山地のシンボルである十二湖は艫作駅のすぐ南であり、この辺りは本当に観光資源に恵まれている。確かに不老ふ死温泉は黄金週間中でもあり賑わっていたが、列車はガラガラだし、国道を走る車も限られていた。実際、19時59分に艫作駅を出発した東能代行き五能線最終列車は、1時間以上もの間私独りが乗客だった。
 そんなことを考えながら21時23分に能代駅に到着した。その夜はここまでとし、能代駅前に宿泊する。能代はバスケットボールの能代工業高校で有名な人口5万人ぐらいの都市だが、夜ともなると死んだように寂しい。駅前には(恐らく街中に)コンビニもなかった。さっさとビジネス旅館に向かう。素泊まり4500円。

●鳥海山
 5月1日。昨日とは打って変わって快晴。6時半に起床すると、明らかにほっぺがすべすべだ。五能線をもう一駅、奥羽本線と接続する東能代駅へ。これで五能線は完走したことになり、奥羽線に乗り換えて秋田へ向かう。秋田まで各駅停車で1時間以上かかるのだが、東能代からスーツ姿の通勤客が多数乗りこんだのには驚いた。途中の駅で更に通勤・通学客を乗せ、一杯になったところで9時前に秋田駅に到着した。ここで羽越本線に乗り換える。羽越線は、秋田から日本海岸沿いに新潟市のすぐ南の新津市までを結ぶ幹線。10時前から南下を始めると、進行方向左手(南南東)に鳥海山の威容が見えてきた。
 鳥海山は、秋田と山形の県境にまたがる標高2236mの独立峰である。蔵王山よりも八甲田山よりも岩手山よりも高く、実は福島以北の東北地方では最高峰なのだ。5月というのに、山の上半分が雪に覆われている。富士山ほど完璧なコニーデではなく、噴火の影響か山の上部は割れているが、その不均整さにこそ迫力を感じる。羽越線は少しずつ鳥海山に近づき、羽後本荘の辺りから日本海岸に沿って鳥海山の西端を回り始める。この辺りから海岸線が迫ってきて、五能線に負けないぐらい風光明媚な景色が続く。仁賀保(にかほ)、金浦(このうら)、象潟(きさかた)と印象的な駅名が続き、山形県に入る頃には鳥海山は真東にあった。結局、庄内平野の中心都市・酒田に昼前に到着するまで2時間近く、鳥海山は目の前で表情を変え続けてくれた。
 酒田は、江戸時代庄内平野や最上川上流の米を集めて畿内や江戸へ送る基地として、大いに栄えたとのこと。その頃の倉庫街が今でも残っており、「おしん」の撮影で使われたことで有名である。多少街中をぶらつき、とある寿司屋に入った。
  「この辺りは初めてなんですけど、お寿司は有名なんですか?」
  「そうだねえ。まあ、米所で港が近いとそんなに悪くはないと思うんだけどねえ」
  「今日は秋田から羽越線をここまで来たんですが、象潟の辺りとか風光明媚でいいですね」
  「まあねえ、我々には見なれてるけどねえ」
  「天気も良いし、この後瀬波温泉まで行くのですが、日本海に沈む夕陽が楽しみです」
  「我々にとっては、夕陽は海に沈むものなんでねえ。海から昇って来たら大変だからねえ」
 とまあ、素っ気無い。1600円の上握りでまずまずの味であった。その後鳥海山を写真に収めるために街中を歩き回った上で(左写真)酒田駅へ戻り、14時26分発の新津行き羽越線に乗る。
 酒田までの列車は山の手線のような横掛けシートの列車であったが、酒田からの列車は昔の東海道線のようなボックス型であった。当然てっちゃんとしては、景色が見易く旅行気分が高まるボックス型の方が望ましいが、今回旅行してみて北上線も奥羽線も横掛けシートだった。庄内平野を横切り、鳥海山から遠ざかって行くと、再び日本海が近づいてきた。先程の象潟海岸同様の岩場が車窓の右側に続く。羽越線は本当に飽きさせない。五能線は「瀬」の付く駅名が多かったが、今回は「川」。越後寒川、今川、桑川、越後早川。そう、気付いたら新潟県に入っていた。16時45分に村上駅に到着。

●瀬波温泉
 村上市は、新潟県北東部・岩船地方の中心都市。この近くに瀬波温泉がある事でも有名である。本日の目玉は、瀬波温泉に浸かりながら日本海に沈む雄大な夕陽を眺めることだった。今晩の宿である瀬波ビューホテルに電話し、送迎に来てもらう。運転手は観光ホテルの人だけあって、饒舌だった。
  「今日は天気がいいですからね。いい夕陽が眺められると思いますよ」
  「瀬波温泉は夕陽で有名ですが、完璧な夕陽が眺められるのは、年に数十日しかないんですよ」
  「この辺りでは鮭が名物で、ほら、あの家の軒先にも鮭を何匹も吊るしてますよね」
  「ここも昔は15軒の宿があったのですが、最近は12軒になってしまいました」
 村上駅から10分程で海が見えてきた。温泉街には閉鎖された建物や更地が目立つ。すぐに瀬波ビューホテルに到着。30室程の中型ホテルで、設備はやや古めかしかったが、全室オーシャンビューで日本海が眺められる。
 ここから眺める日本海も素晴らしい。これまでの風光明媚な岩場とはまた異なり、砂浜が続く海岸の向こうに静かな日本海が広がり、朴訥な西日が眩しい。ここにも内風呂とそれに隣接した露天風呂があるが、ホテルと海との間に人が歩く事ができる砂浜の海岸があるため、不老ふ死温泉のような訳には行かない。また、泉質には特徴が無く、普通のお湯を沸かしただけと言われても信じてしまいそうだ。それでも、露天風呂から眺める日本海の夕陽はやはり美しい(写真:瀬波温泉の夕陽)。水平線の向こうに沈むまでたっぷり夕陽を眺め、風呂から上がる。今晩はこのまま自分の部屋で食事をし、ゆっくり過ごせる。今回の旅行の中で、初めて本当にのんびりくつろいだ。  5月2日、朝8時頃目を覚ました。この日もまた快晴で、窓から眺める日本海がどこまでも青い。朝食の後に再び温泉に入る。昨日の夕陽の時でも入浴者は5、6人だったが、朝の9時前ともなると、自分以外誰もいない。平日とは言えど、黄金週間中にこれでは経営は相当苦しいに違いない。そもそも温泉宿で一人客を受け入れることも珍しい。などと余計なことを考えつつ、10時にチェックアウト。一泊二食付きで8000円。
 宿の近くの海岸を当ても無く歩く。暖かい太陽が降り注ぎ、やわらかな風が心地よい。コンクリートの岸壁の上に座りこみ、しばらくぼおーっとする。何もしない時間が贅沢だ。その内更なる欲求を抑えきれずにその場で寝転んでしまった。ガイドブックを頭に敷き、ホテルの予約書類のコピーを顔に被せ、そのまま1時間少々まどろむ。気付いたら12時。そろそろ活動を始める。そう、本日は村上を出発して新潟まで行かなければならない。今回の旅行の中で一日としては最短の移動距離だ。村上名物の鮭のはらこ飯を食べた後で、14時57分発の羽越線に乗る。あれだけ寝てもまだ眠い。あっという間に新潟駅に到着。16時5分。

●小林亭
 1週間前、五能線に乗ろうと決めた時に併せて思いついたのが、新潟へ行こうということ。言うまでも無く、小林(大祐・裕子)夫妻が居るからである。実は1年半前にも、急遽福島県のこれまたてっちゃんには有名なローカル線・只見線に乗ろうと思いついた時に、無理をすればその日の内に東京まで帰れるのに、新潟まで足を伸ばして二泊もお世話になってしまった。向こうも折角のお休みなのに、嫌な顔一つせずに大歓迎してくれた。この前の囲卓の会@上諏訪温泉には来られなかっただけに、尚更会いたくなったのだ。今回もメールで「5月2日泊りたいのだけど…」と一報を入れておいたら、向こうから電話をしてきてくれた。
 16時過ぎ、新潟駅西口で小林夫人・ひろりんと1月以来の再会。その後、今夜の夕食の買い物に付き合う。新潟の繁華街をお惣菜屋から魚屋、スーパーまで慣れた足取りで渡り歩く。18時前に小林亭に戻り、ひろりんが食事の準備をする間に、お風呂にも入らせてもらう。20時頃大祐が帰宅し、3人で豪華手作り晩御飯が始まった。前回も美味しいものを食べさせてもらったが、今回も白身のお刺身や、分厚い油揚げのトースター焼きなど、地元素材に舌鼓を打った。
 全くの偶然だが、この黄金週間の前半彼らも東北を旅行していた。フェリーで車ごと秋田港へ入り、稲庭でうどんを打った後で、角館、玉川温泉。それから岩手県で前沢牛を食べ、中尊寺。ここが29日だったとのことで、丁度私とすれ違ったようである。更に夕方峠道が閉鎖されたため急遽ルートを変更し鳴子温泉と、私が行った箇所よりも全般的に南だったが、彼らも北国の春を満喫したようだ。その他、いつも通りのCookDoネタ(味の素の商品戦略)、私が絶不調だった上諏訪温泉麻雀の報告、更にはてっちゃん流時刻表の見方など、夜2時まで語り合ってしまった。
 5月3日憲法記念日。それでも9時には起床した。というより、朝食を用意してくれているひろりんに起こされた。私が秋田で稲庭うどんを食べ損なった話をしたところ、名人が打った稲庭うどんを朝食として食べさせてくれるとのこと。稲庭うどんはやはりつるつるして美味しい。その後小林号に乗って新発田市内を観光し、その近くの名物釜飯屋で昼食を取る。更には城山温泉という地元の名泉にまで連れて行ってくれた。若干白みがかったお湯がぬるぬるして気持ちが良い。これで今回の旅行では四泉目。小林家では新潟に赴任して以来、毎週末のように日帰りで温泉に行くらしい。更に夜には新潟名物のへぎ蕎麦屋にも連れて行ってもらい、たらふく食べた。

●東北論
 今回、小林夫妻と一番盛り上がった話は東北論である。東北は奥が深い。全然人に知られていないような名所、絶景、名泉が至る所にある。風光明媚な深浦海岸、夕陽がこの世のものとは思われない黄金崎不老ふ死温泉、本格的湯治場の玉川温泉、奥羽山中にもまだまだ知られていない秘湯が無数にあるようだし、稲庭うどんにきりたんぽに前沢牛と、美味しいものも盛りだくさんだ。
 しかし、東北の人々はそれらをPRしようとしない。頑固で、口数が少なく、どちらかと言えば都会に対して劣等感を抱いているためか、東北の良さを自慢しようとしない。旅行代理店や広告代理店の力の入れようにもよるのだろうが、京都や神戸の人々は、明らかに自分の街に自信を持っており、それを効果的にPRする。
 もっと多くの人が五能線に乗り、黄金崎不老ふ死温泉の夕陽を眺めに来て欲しい。今のままでは余りにももったいないと思う。列車ががらがらで夜の街が死んだように淋しいというのは、正当な評価を受けていないようで、残念に思う。一方で、観光化・商業化が進めば、当然東北の本来の良さは失われていくだろう。これは東北に限らず、過疎地について言える最も難しい、矛盾を孕んだ課題であろう。都会人の身勝手という見方も成り立つが、少なくともこのエッセーの読者には、是非とももっと東北の奥まで訪れてみて欲しい。

 5月3日の夜、小林夫妻に別れを告げ、再び独りで新潟駅のプラットホームに立つ。本当は2日の夜一泊しただけで、3日のお昼頃には新潟から退散する予定だった。そうメールにも書いておいたのだが、優しい二人に脅迫されて、結局24時間以上お世話になってしまった。しかも、こちらが泊まり込んだにも拘らず、鮭の切り身やら名物油揚げのお土産付きである。これだから鴨夫婦は恐ろしい(写真:鴨夫婦と共に)。
 22時54分新潟駅発の寝台急行きたぐにに乗り込む。きたぐには大阪行きである。そう、まだ休暇は残っているので、西宮の実家にも帰ることにした。実家には結局一泊しかできなくなってしまったが、5日に東海道新幹線で東京へ戻ることにより、東日本一周旅行は完結することになる。これだけの距離を鉄道に乗り続ける旅行も久しぶりだった。もっとゆっくり車中でいろんな想いに耽ろうと考えていたが、結局車窓を眺めることと眠ることに多くの時間を費やしてしまった。いずれにしろ、独りでぶらぶら行き当たりばったり、贅沢な旅行だったと思う。
 総走行距離2500km、乗車券23000円、特急料金等15000円。このてっちゃんの旅を高いと見るか安いと見るか。少なくとも私にとっては、この間得られたものがかけがえの無い貴重なものであったことは、言うまでも無い。寝台車の心地よい揺れの中、北国の旅の余韻に浸りながら、きたぐにの夜は更けていった。

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