オリセンを訪ねる
 〜歴史探訪@〜
(01/6)

前身は陸軍代々木連兵場跡に建設された米軍駐留施設、ワシントン
 ハイツ。昭和39年、東京五輪に伴い一帯が代々木公園ほかに改装
 されるとともに、東京五輪選手村に転用され、同40年より特殊法人
 として発足した。その後文部省所管の国立施設となり、中央省庁
 再編に伴い、本年4月より独立行政法人化。正式名称は(独)国立
 オリンピック記念青少年総合センター。

かつてLC総会などAIESEC関係者の利用が盛んだったのは、安価と
 無法地帯並みの低管理体制故と思われるが、この度訪れて驚いた
 のは眺望が一変していること。平成3年より改築に入りほぼ完成
 に近付いているが、独房の如き鉄パイプも剥出しの宿泊棟はじめ
 全く過去の痕跡を留めていない。

起伏の多い土地に建築されたため、坂を利用した建造物の構造に
 僅かにかつての面影も見られるが、柵を乗り越え深夜の入退場に
 利用された北門近辺も工事最終区域として現在改装中であり、
 利便性は如何に。各宿泊棟にはシーツ配布所が装備されており、
 シーツ管理にうるさい構図は不変のようだ。

「カルチャー棟」裏。山側から通路
で2階につながる構造に、ここが
旧本館?跡であることが伺える。
現在も学生団体の利用は
 多いようだが、AIESEC各
 委員会も利用しているの
 だろうか。

なお次回の「歴史探訪」は、
 仮面ライダーのショッカー
 基地としてもお馴染みの
 八王子セミナーハウスを
 予定している(勿論、
 飽く迄予定に過ぎない)。
 ◎コラム 元NC事務所
88年秋まで日本委員会事務所が置かれた
永田町・栄ビル。旧NC事務所は4F
だったが、移転前の半年程入居した1F
は現在、三和銀のATMと化している。
NC事務所はこの後、恵比寿、信濃町を
経て現在は飯田橋と転々。なお、中国の
AIESEC加盟により台湾が在籍するため
"National"の呼称を外し、"Membership
Comittiee"でMC事務所と改称された。
田中外相が聞いたら泣いて喜ぶか。井戸を掘るのも大変だ。
安倍の韓国漫遊記
(01/5)
 −粥川夫妻は平成13年4月29日より
  5月4日、韓国ソウルを訪問した。
  以下はそのレポートである。−

 今回初めてソウルを訪れてみて先ず
  驚いたのは日本語の通用度である。
  大方の日本人旅行者の多分に漏れず
  我々も「地球の歩き方」や「るるぶ」を
  両手にソウル市を闊歩したため、

[度付サングラスを購入し
怪しい流入者に変身]
 日本人の多く訪れる名所、店舗に赴くことの多かったが故の
 印象とも言えるが、仕舞いにはソウルっ子の集まるような、
 韓国語オンリーの店に違和感を覚えさせる程の日本語大国
 振りは尋常ではない。
流石に大統領御自らCMに出て観光収入に活路を見い出そうと
 する国だけある、というのも事実ではあるが、一方で泰や越南
 のように世界に冠たる観光名所に乏しく、かつ殆どがハングル
 表記のため欧米人であれ漢字文化圏民であれ、等しく文字が
 読めない上に、英語も通じにくい。更には物価は日本よりは
 安い程度となると、東南アジアからの来訪も期待し難く、結局
 は観光客と言っても大半は日本人に限られると言っても過言
 ではなかろう。
 従って、女性向けにお買い物やエステ、男性向けには夜の
  部を充実させる、その涙ぐましい副産物が垢擦り師や焼肉
  店員の操る片言の日本語という構図である。勿論今や福岡
  にハングルの看板が溢れるが如く、海外客流入策としては
  当然の帰結ではあるが、経済格差が高きから低きに押し
  流れる絵図を綺麗に見せられる様で、日帝に対する韓国の
  複雑な感情に併せて鑑みれば、日韓両国の交流というのは
  言う程易くないという思いも禁じ得ない。
 南北統一をも視野に入った今日、実現すれば日本が多大な
  出費を、道義的にも経済的にも強いられるのは疑い得ない。
  蛇足ではあるが、我が国としては統一を既定路線と捉え、実現に向け米中並びにアジア各国との
  金銭面を含めた協同支援体制の音頭取りを早急に始めることが必要ではないか。

 その他、印象的な事象を列挙する。
  ○地下鉄−移動の大半をこれに頼ったが営団−都営の構造
   に酷似するも、乗換案内等日本より数段使い易い。
  ○食物−焼肉は日本のものに慣れた舌には味付カルビは
   合わないのではないか。冷麺は日本より美味。また明洞
   の餃子は大変美味しゅうございました。
  ○市場−ソウルの活気が肌に感じられる、というのはよく
   ある感想だが、渋谷にも登場した「東大門市場」はメイン
   が布類のバイヤー市場で舞踏隊衣装の買付に好適か。
  ○野球−ストライク・ボールの一球一球に両スタンドが
   一喜一憂し、野次とともに歓声が轟く姿は野球の原点。
   同時にそれだけ観客が少ないのはプロ野球界の危機とも言える。イニング交替時には4名の
   チアガールがお立ち台に登場(写真は、LG対ロッテ戦、蚕室球場にて)。

 板門店視察記

[青い建物が会議場。奥は北朝鮮の板門閣]
板門店は北緯38度線の約8km南、ソウル北方60kmに位置
 し1953年、朝鮮戦争休戦協定が結ばれ、以降両国国境
 から南北2kmの非武装地帯の中心地として、停戦会議
 所が置かれている。
観光は原則として外国人のツアー客に限られ、その多く
 は日本人であろうと思われる。ソウルから約6〜7時間
 のツアーだが、板門店在留は1時間にも満たない。
板門店ではまず展望台から北の板門閣を眺め、次に会議
 場を視察、撮影ポイントはこの2点に限られている。
 我々の訪問時には偶然にも北の板門閣からも、日本人
 と思しき観光客が我々を眺めていた。すわ、日本人も
 好んで旅する朝鮮民主主義人民共和国、というプロパガンダ
 かとの思いが過ぎったが、考えてみれば往路のバスでガイド
 氏が朝鮮戦争を語り、国連軍キャンプに付いてはスライドで
 レクチュア、漸く辿り着いた板門店で「北」と御対面という、
 このツアーそのものこそ壮大な「南の反共宣伝」ではなかった
 か。と右と左が逆転したかの様な奇妙な錯覚にも囚われる。
ともあれ、見学には韓国人小学生の社会科見学と見られる
 一団も訪れており、このような国威の発揚と、米韓合同の
 対外的国策遂行の発信は、我が国も充分見習うべきであろう。

[会議場内。マイク線が国境になる]