三軒茶屋にキムチ鍋 〜恵比寿倶楽部'01
(01/8)

 武藤潤氏(KO87)ご推奨の三軒茶屋は「はなほ」
  にて8/18、開催。総勢約30名が集結し、永野
  景子氏(TO88)の華麗な司会、お馴染み武藤康
  氏(KO87)の可憐な(?)合いの手で、11年目の
  旧交を温めた。

 白井建史氏(HO88)、井上渚氏(HI89)、片山
  史子氏(NZ90)ら懐かしい顔ぶれも交え、各人
  が近況報告。
(左は、働く幹事団。今会設営に幾多の会合を繰り返したと言う。単に飲み会を重ねてたとの噂も
 [失礼!]。右は選出された来年度新幹事団の決意表明。)
二次会はカラオケ。
 久保雅子氏(IUC87)
 の変わらぬ歌唱力
 に、明年は「歌姫・
 チャコのディナー
 ショー」の開催も
 内定を見た。
なお次期幹事には、高橋洋氏(TO88)、ニュージーランドより帰国間もない中楯龍氏(TO89)、
 片山史子氏(NZ90)が選出され、本年同様「独身三人衆」による運営が決定している。
堀内一三の新潟紀行 〜小林夫妻を訪ねる
(01/7)

 粥川善洋は去る7/24、新潟県に来訪し小林大祐氏・裕子氏
  夫妻(SP88)宅を訪問、歓待を頂戴した。以下はその
  レポートである。

 新潟市は人口50万を数える日本海最大の都市。市の中心部
  を信濃川が流れ「水の都」と呼ばれる。この日午後、私は
  JR新潟駅万代口から徒歩にて散策を始めた。駅から川
  までがビジネス街で百貨店・スーパーから遊戯場までの
  複合施設「万代シティ」を左に眺め歩を進めると、やがて
  万代橋に出る。昭和4年に現在の3代目が竣工した由緒
  正しいこの橋を越え、向う岸は旧繁華街だが、官々
  接待も激減した昨今、花街の灯も消えつつあるよう
  だ。川の両岸は堤防がなだらかに整備され丁度隅田
  川沿いを鄙びさせた印象。隣橋まで岸縁を歩み一周
  し約2キロ強の行程を終えた。

 19時過、大祐氏と合流。駅の南側は閑静な住宅地の
  風情で小林邸も駅から自動車で数分のところにある。
  ことほど左様に街全体が小振りで生活範囲が身近な
  ところがまず利点だろう。

万代橋を望む。下流には更に新橋梁を
建設中。
小林邸を訪問し裕子夫人とも
 再会。ノボノルディスク時代
 の経験を活かし、新潟病院で
 短時間勤務の日々とのこと。

ここから夕食を頂戴する。
 旬の枝豆に始まり、刺身、更
 には土用の丑前日で鰻と豪奢
 に感謝感激。地の日本酒に
 些か酩酊し宴を終えた。
 小林夫妻によれば、新潟の特色は以下の通り。
  @米、酒、魚、更には野菜も美味い。町中の普通の店でもご飯が美味い。
  A威容に道路発達、田中元総理には足を向けて寝られない(西山ICを見よ)。
  B従って住みやすいが、夜は早く独身や若者には幾分寂しい街か。かつ冬は家で
   ジッとしてるのみ。

 なお新潟県には長岡市をはじめ他にも独自の文化圏を持つ都市も多い。ぜひ小林夫妻の
  在住中に新潟ゴルフの会乃至は麻雀の会、c/w佐渡ツアーなぞ実現しませんか?
  乞う御賛同者!。

さようなら安倍晋太郎
(01/7)

 もうお気付きかと思われるが、この7月から本誌表紙頁が一部修正された。
  1997年1月の画像貼付開始以来、冒頭を飾ってきた故・安倍晋太郎元外相
  の似顔絵が消えている。

 改めて述べるまでもないが、本誌主幹と安倍氏を結ぶ線は、戸川五三六著
  「覇道への暗躍」における役名のみである。しかしながら当の安倍氏の運命
  が暗転するとともに愛着が増し、91年5月遂に鬼籍に入られた際には、皆様
  から一方ならぬ励ましを頂戴したこともある。

 では今般、その安倍氏にお引取り願ったのは何故かと言えば
   @なぜ安倍氏なのかを説明するために「覇道」から紐解かざるを得ず手間。
   A安倍氏と地縁、血縁等の誤解を避ける、かつ政治的な主張にも特段の類似がない。
   B既に十回忌を迎え歴史上の人物に帰した。
  等の理由による。

 これを以て「安倍晋太郎」名は、ほぼ休筆状態の戸川五三六執筆作品の一出演者として
  余生(?)を過ごすこととなった。引き続き、評論家・音楽プロヂューサーの
堀内一三
  健在なのでご愛好をお願いしたい。なお氏の似顔絵は「小説吉田学校」の後継である、
  鈴木棟一氏著「永田町の争闘」より拝借したことを付記しておく。長年のフロントマン
  としての活躍に改めて経緯を評する次第である。