堀内一三の大越漫遊記
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 −粥川夫妻は平成13年8月25日より31日、ヴェトナムに赴いた。以下はそのレポートである。−

 まず圧倒されるのは
  街路を埋めるバイク
  の量。信号は満足に
  整備されず、かつ
  必ずしも守られぬ
  道々に、中央線も
  構わず走るバイクの
  群れと、警笛を乱打
  しながらそれを掻き
  分け先を急ぐ、まだ
  絶対数の少ない乗用車達。伝統運搬機関であるシクロ(手押し車)は今や衰退の一途を辿っている。
 余りにバイクが普及したためか、
  ベトナム人は足が退化している
  のではと疑う程、歩かない。
  テクテク歩くのは観光客ばかり
  だから一寸立ち止まると、すぐ
  さまシクロやバイクタクシーが
  わんさか寄ってくる。

 更に亜熱帯の南部は雨期には
  スコールがあるが傘は使わず
  雨合羽、女性は日焼を嫌うため
  完全防備の過激派スタイルで
  搭乗などバイクに関するエピソ
  ードにはこと欠かない。
 コラムT メコン三角州へ
ホーチミン滞在3日目はベトコン作成のクチトンネル遺跡
 見物はパスしてメコンデルタ・クルーズへ。マングローブ
 林を手漕ぎボートで進む様は、奄美拡大再生産状態。
メコン川最下流の島を巡り、家内製手工業のココナツ飴
 製作見学など優雅な一日を過ごす。
 さてホーチミンは日本人観光客、取り分け女性の姿が目立つ。中心部のドンコイ通りはお買い物
  客御用達で、市内の平均物価よりは可成り高いのだが、それでも日本の4〜5分の1、幾つかの
  巨大な市場を訪れれば、更にその数分の1で服飾や装飾品が手に入ること請け合い、というのが
 魅力なのだろう。カラオケは市民の必需品となり、昨今は足揉
 マッサージが急速に増殖する(タイの様な伝統的なマッサ−ジの
 慣習はない)など日本の影響も大きく、外貨獲得に寄与しつつ
 ある様だ。

一転して首都・ハノイには日本人は少ないが、仏進出後の新しい
 街ホーチミンに対し、千年の歴史を持つハノイは観光スポット
 も少なくない。大乗仏教国のため他の東南アジア諸国の様な
 派手さには欠けるが、長きに渡る中国の影響と湖の地形を旨く
 利用した寺院は不思議な情景を醸し出している。
 ホーチミンよりは幾分鄙びた
 雰囲気だが、少々自転車量が
 増えるとは言え、バイク天国
 に変わりない。街中が商店街
 の如しで、とくに旧王朝期に
 街区毎に商売を集めた名残で
 スーツならスーツ、便器なら
 便器、ペンキならペンキと
 通りにより売り物が分かれて
 いるのは一寸社会主義的か。
 都市部には大型ホテルの建設も相次ぎ、"活気に溢れる"という通り相場の形容詞のままだが、
  一歩街路を入れば最貧が同居し、郊外は一面の田畑を牛が耕す光景が果てなく広がる。
  サイゴン陥落から四半世紀を越え、社会主義国家であることが目認出来るのは首都に並ぶ
  スローガンの立看板とホーチミン主席の廟見学に並ぶ長蛇の列ぐらいかも知れない。
  国民の9割が農業に従事するヴェトナム、工業化をはじめとするドイモイの行方は決して
  安穏としてはいないが、日々街並みの変わりゆくこの国に、何れの日にか再び訪れてみたい。
 コラムU 食と芸術
ヴェトナムで食べられる物があるのか
 と諸兄に心慮戴いたが案ずることなし、
 海鮮鍋に海老・イカの揚げ物、浅蜊酒
 蒸しなど平らげる毎日。これら全て
 典型的ヴェトナム料理で流石海鮮国。

また民族音楽は琴や木琴、一本の弦を
 棒で張りを調節することで音程を付け
 る弦楽器(当初は糸が見えなかったの
 で勝手にヴェトナムのテルミンと名付
 けた)などを用い、中華風でもあり、
 沖縄風でもあり。

ハノイでは水上人形劇が名高く、歴史
 的物語を魚や龍、農民・武士らの人形
 を用い演ずる笑いあり感動ありの60分。
 操演が巧みで水上に出没し、水飛沫が
 上がる様が美しい。ラストでやけに
 大きなお人形がと思いきや腰まで水中
 下で舞台裏で操る人形師の方々登場で
 吃驚。約500円で音楽テープのお土産
 付きは是非お薦めしたい。