Variable face of TT

年譜

BIOGRAPHY

(池藤なな子・秋山邦晴・中野洋一編)

By courtesy of Shinchosha and Schott Japan Company Ltd.


1930
10月8日、東京で生まれる。生後1ヶ月、父の勤務先の大連(現・旅大)に母とわたる。

1937(7歳)
小学校入学のため、単身帰国。本郷、富士前小学校に入学。

1943(13歳)
京華中学校に入学。

1947(17歳)
鈴木博義と神田の古賀書店(現存)で、戦前の楽譜を漁る。平尾貴四男の「フルート小奏鳴曲」 などに興味を持つ。 平尾貴四男に師事したいと考え、鈴木と平尾宅を訪れるが、その希望は入れられず、二人は失望して帰る。

1948(18歳)
京華高等学校卒業。清瀬保二に師事、作曲を学ぶが、おもに独学。

1950(20歳)
12月、東京で、新作曲派協会第7回作品発表会で、ピアノのための《2つのレント》が、藤田晴子により初演され、 読売ホールの楽屋を初対面の秋山邦晴湯浅譲二のふたりが感激して訪れる。 しかしこのデビュー作品は一般には不評だった。
音楽以前である」山根銀二(東都新聞・評)。

1951(21歳)
新作曲派協会第8回作品発表会で、《妖精の距離》が諏訪晶子(ヴァイオリン)、伊東昭子(ピアノ)により初演。
評論家瀧口修造のもとに集まっていた、他の作曲家、画家、演奏家、詩人たちとともに<実験工房>結成。
実験工房:<音楽>武満徹、鈴木博義、湯浅譲二、園田高弘<詩・評論>秋山邦晴<美術>北代省三山口勝弘福島秀子、駒井哲郎、 大辻清司、今井直次<技術>山崎英夫

1952(22歳)
8月、実験工房第4回発表会で《遮られない休息・I》が園田高弘のピアノにより初演。

1954(24歳)
新日本放送(現在の毎日放送)の朝の歌の時間に《さようなら》(詩・秋山邦晴)を作曲。
劇団「四季」に所属していた若山浅香と結婚。

1955(25歳)
7月、実験工房第7回発表会で《室内協奏曲》が外山雄三指揮N響メンバーにより初演。
10月、新日本放送の芸術祭参加ドラマ「炎」(作・井上靖)の音楽をミュージック・コンクレートで制作、この音楽をもとに《ルリエフ・スタティク》を完成。

1956(26歳)
2月、実験工房主催「ミュージック・コンクレート、電子音楽のオーディション」で《ルリエフ・スタティク》を初演。
新日本放送の委嘱で《ヴォーカリズムA・I》を作曲、放送。同時に《木・空・鳥》《クラップ・ヴォーカリズム》の2曲も完成。

1957(27歳)
《ルリエフ・スタティク》《ユリディス・ラ・モル》《ヴォーカリズムA・I》の3曲が、 黛敏郎、諸井誠の共作による電子音楽《7のヴァリエーション》との組み合せでLPレコードになる。(ユニヴァーサル・レコードPBU1)
6月、東京で、東京交響楽団委嘱、《弦楽のためのレクイエム》が、上田仁指揮同交響楽団により初演。
ぼくはこの曲を書きながら、しばしば早坂文雄氏を憶い、その死を悼みました。」 武満徹
この音楽は実にきびしい(intense)、全くきびしい。このような、きびしい音楽が、あんな、ひどく小柄な男から生まれるとは……ドナルド・リチー (音楽芸術昭和34年7月号「東京のストラヴィンスキー」)

1958(28歳)
7月、NHK委嘱の《黒い絵画》がイタリア放送コンクール、イタリア賞受賞。
8月、《ソン・カリグラフィーI》が20世紀音楽研究所主催の第2回現代音楽祭(軽井沢)作曲コンクール第1位。
11月、NHK委嘱、オーケストラのための《ソリチュード・ソノール》が外山雄三指揮NHK交響楽団によって放送初演され、この作品によって芸術祭個人奨励賞受賞。

1959(29歳)
8月、「石原慎太郎や大江健三郎をはじめとした(後の)「若い日本の会」のメンバーが中心となってシンポジウムが行われた」 (小熊英二「〈民主〉と〈愛国〉」p.692 p.928)。 このときの江藤淳・浅利慶太・石原慎太郎・大江健三郎・城山三郎・武満徹・谷川俊太郎・羽仁進・山川方夫・吉田直哉の発言は、「三田文学」1959年11月号に掲載され、 翌年には河出新書房社から上梓されている。

1960(30歳)
9月、《弦楽のためのレクイエム》が第1回東京現代音楽祭ドイツ大使賞受賞。
5月、安保条約締結に抗議する若い芸術家たちと「若い日本の会」を結成。「5月30日に開かれたこの会の集会招請状には、江藤淳・浅利慶太・石原慎太郎・大江健三郎・開高健・武満徹・寺山修司・谷川俊太郎など、 当時の20代の新進作家たちが名を連ねた。そしてこの会の特徴は、指導部や綱領をもたない、メンバー各自の自発的な集まりである点にあった」 (小熊英二「〈民主〉と〈愛国〉」p.516)。 武満とは関係ないが、最近、60年安保と自衛隊の治安出動をめぐる新たな「証言」 (朝日新聞「自衛隊50年」取材班「自衛隊 知られざる変容」p.370-371)が明らかになった。

1961(31歳)
8月、《環(リング)》が第4回現代音楽祭(大阪)ドイツ大使賞受賞。

1962(32歳)
2月、映画『もず』『不良少年』の音楽で第16回毎日映画コンクール音楽部門賞受賞。以降、さまざまな映画音楽賞を数多く受賞している。

1963(33歳)
6月、《環礁》がパリのユネスコ/国際音楽評議会(IMC)の国際作曲家会議第5位。

1964(34歳)
3月、ハワイ大学イースト・ウェスト・センターの<今世紀の芸術>祭にジョン・ケージとともに招かれる。
10月、東京で、NHK交響楽団が東京オリンピック芸術展示公演のために委嘱した《テクスチュアズ》が、高橋悠治、岩城宏之指揮NHK交響楽団により初演。
5月、『武満徹←1930…∞』を自費出版。
本書の題名は『武満徹←1930…∞』である。∞はもちろん無限大記号、1930年は著者の生年だ。彼は永生不死を願ってこんな題名をつけたわけではない。 現在の瞬間において、つねに無限大の世界に連なっていなければならぬという決意と自負こそ、この題名の意味であろう。この美しい本が自費出版であるということは、 彼の決意と自負の純粋さを端的に示しているようだ」 大岡信

1965(35歳)
6月、《テクスチュアズ》がパリのユネスコ/IMCの国際作曲家会議最優秀作品賞受賞。

1967(37歳)
2月、アーロン・コープランド指揮サンフランシスコ交響楽団が、クーセヴィツキ財団委嘱作品 《地平線のドーリア》をムジカ・ヴィヴァ・フェスティバルで演奏会初演(レコード初演は前年に若杉弘指揮読売日本交響楽団)。同作品により 西海岸音楽批評家賞受賞。
10月より6カ月間、ロックフェラー3世財団の招きにより、ニューヨークに滞在。
11月9、10、11、13日、ニューヨーク・フィルハーモニック創立125周年記念委嘱作品《ノヴェンバー・ステップス》が、小澤征爾指揮、鶴田錦史(琵琶)、横山勝也(尺八)で初演。

1968(38歳)
<オーケストラル・スペース>シリーズを一柳慧とともに企画。

1969(39歳)
1月14、15日、トロントで、RCAビクター委嘱《アステリズム》が、高橋悠治(ピアノ)、小澤征爾指揮トロント交響楽団により初演。
10月、オーストラリア・ムジカ・ヴィヴァのキャンベラ・スプリング・フェスティバル、テーマ作曲家。

1970(40歳)
3月から始まった、大阪の万国博覧会、鉄鋼館<スペース・シアター>の音楽監督として「今日の音楽」ほかの演奏会を企画。
11月、東京で、日本ロッシュ音楽基金委嘱、《ユーカリプスI》が、オーレル・ニコレ、ハインツ・ホリガー、ウルスラ・ホリガー、 ポール・ザッヒャー指揮コレギアム・ムジクス・チューリッヒにより初演。

1971(41歳)
6月、シカゴのラヴィニア・フェスティヴァルで、同フェスティヴァル委嘱、《カシオペア》が、ツトム・ヤマシタ、小澤征爾指揮シカゴ交響楽団によって初演。
8月、マールボロ音楽祭、ゲスト作曲家。
10月、パリ国際音楽週間(SMIP)「現代音楽の日々」、テーマ作曲家。
同月、エッセイ集『音、沈黙と測りあえるほどに』を新潮社より出版。

1972(42歳)
2月、カリフォルニア工科大学<エンカウンターズ>シリーズ、ゲスト作曲家。
12月、ヤニス・クセナキスやモーリス・フルーレなどフランスの音楽家たちとともに、インドネシアを訪問。 このときの経験を基に小泉文夫『おたまじゃくし無用論』(インナーブックス)の推薦文を書く (資料提供:大林徳吾郎氏)

1973(43歳)
5月、<ロンドン・ミュージック・ダイジェスト>シリーズ、テーマ作曲家。
同月、東京の西部劇場<今日の音楽>の音楽監督に就任。この現代音楽祭は92年まで毎年開催された。
8月、小説『骨月-あるいは a honey moon』を私家版で出版。
9月13日、東京で鶴田錦史の委嘱による《秋》が、鶴田(琵琶)、横山勝也(尺八)、小澤征爾指揮新日本フィルハーモニー交響楽団により初演。
10月30日、東京で、国立劇場委嘱、雅楽《秋庭歌》が宮内庁式部職楽部により初演。

1974(44歳)
11月、東京で、日生劇場が音楽シリーズ100回記念として、<武満徹フェスティヴァル>開催。

1975(45歳)
1月、エール大学客員教授。同大学からサンフォード賞を受ける。
2月、トロントの<ニュー・ミュージック・コンサーツ>シリーズ、ゲスト作曲家。
3月、ルーカス・フォス指揮ブルックリン・フィルハーモニアの<ミート・ザ・モダン>シリーズ、ゲスト作曲家。
9月1日、東京で、FM東京『TDKオリジナル・コンサート』200回記念委嘱、《カトレーン》が、アンサンブル・タッシ、小澤征爾指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団により初演。この作品により芸術祭大賞を受賞。
10月、エッセイ集『樹の鏡、草原の鏡』を新潮社より出版。

1976(46歳)
2月、《カトレーン》が尾高賞受賞。
4月、中国人民対外友好協会の招きで、日本音楽家代表団の一員として中国を訪問。

1977(47歳)
10月、ビートルズなどのポピュラー・メロディーをギター独奏のために編曲した《ギターのための12の歌》が、荘村清志の演奏によりレコード初演。
11月30日および12月1、2、3日、サンフランシスコで、ラルフ・I・ドルフマン博士夫妻がサンフランシスコ交響楽団のために委嘱した《鳥は星形の庭へ降りる》 が、エド・デ・ワールト指揮同交響楽団により初演。
12月、ニューヨーク州立バッファロー校<現代音楽の夕べ>、テーマ作曲家。

1978(48歳)
7月、<国際現代芸術の出会い>フェスティヴァル(ラ・ロシェル)、国際現代音楽フルート・コンクール審査員。
9月、ワシントンのアメリカ音楽国際演奏コンクール審査員。
10月から12月にわたってパリで開催された<パリの秋>フェスティヴァルで、建築家の磯崎新とともに「日本の時空間<間>」展の芸術顧問。 日本の現代音楽と伝統音楽の演奏会17回を企画・構成する。
10月19日、ニューヨークのビーコン劇場で、ピータ・ゼルキンとタッシの企画・演奏による<タケミツ・フェスティヴァル>開催。

1979(49歳)
5月、東ドイツ芸術アカデミー名誉会員。 9月28日、東京で、国立劇場委嘱、雅楽《秋庭歌》が、東京楽所により初演。

1980(50歳)
1月、川田順造との共著『音・ことば・人間』を、岩波書店より出版。
3月、ヴァンクーヴァー現代音楽祭、テーマ作曲家。カナダ国営放送(CBC)作曲コンクール審査員。
4月、エッセイ集『音楽の余白から』を新潮社より出版。
5月24日、東京で、民音現代作曲音楽祭委嘱、《遠い呼び声の彼方へ!》が、アイダ・カヴァフィアン(ヴァイオリン)、尾高忠明指揮東京都交響楽団に より初演。
6月、日本芸術院賞受賞。

1981(51歳)
1月、《遠い呼び声の彼方へ!》が、尾高賞受賞。
2月より、NHKの連続テレビ・ドラマ『夢千代日記』の音楽を担当。
同月、カリフォルニア大学サン・ディエゴ校客員教授。カル・アーツ現代音楽祭、ゲスト作曲家。
同月、トロントで、《海へ》の第1部「夜」が、ロバート・エイトケン(アルト・フルート)、レオ・ブローウェル(ギター) により初演。第2部「白鯨」、第3部「鱈岬」を加えた全曲の初演は、小泉弘佐藤紀雄により、東京で、5月31に行われた。
同月23日、ニューヨークで、東京クァルテット結成10周年記念委嘱、弦楽四重奏のための《ア・ウェイ・ア・ローン》が、同クァルテットにより初演。
同月から3月にかけて、ニューヨークのジャパン・ソサエティ主催により、音楽を担当した映画13本の連続上映会。
4月、小澤征爾との対談集『音楽』を新潮社より出版。
9月、ドイツのDAAD招聘作曲家。ベルリン芸術週間<ジャパン・イン・ベルリン>、ゲスト作曲家。
11月、モービル音楽賞受賞。

1982(52歳)
6月27日、札幌で、ネザーランド・ダンス・シアター委嘱、《夢の時》が、岩城宏之指揮札幌交響楽団により初演。また、同演奏会で、《ア・ウェイ・ア・ローン》 と《海へ》の弦楽オーケストラ版も初演された。
10月21日、東京で、早稲田大学創立百周年記念委嘱、《星・島(スターアイル)》が、岩城宏之指揮早稲田大学交響楽団により初演。
10月26日、ロンドンで、ロンドン・シンフォニエッタがグルベンキアン財団の寄付により委嘱した、室内オーケストラのための《雨ぞふる》が、 オリヴァー・ナッセン指揮同オーケストラにより初演。

1983(53歳)
4月、トロントの<ニュー・ミュージック・コンサーツ>シリーズ、ゲスト作曲家。
同月から6月にかけて、ハーヴァード大学、ボストン大学、エール大学、コロラド大学などで講義。
6月、ニューヨーク・フィルハーモニックの現代音楽祭<ホライゾン>に参加。
同月から7月にかけて、コロラド音楽祭、ゲスト作曲家。
11月、<国際現代音楽の出会い>フェスティヴァル(メッツ)の作曲家会議に出席。

1984(54歳)
3月12日、東京で、岩城宏之指揮東京混声合唱団が、<武満徹の合唱作品>特別演奏会。 《死んだ男の残したものは》(詩:谷川俊太郎)、《さようなら》(詩:秋山邦晴)、《〇と△のうた》(詩:武満徹) の混声合唱版の初演を含む、混声合唱のための『うた』10曲と《風の馬》が演奏される。
同月、映画エッセイ集『夢の引用』を岩波書店より出版。
6月、オールドバラ音楽芸術祭、テーマ作曲家。
7月、アメリカ芸術文学アカデミー・インスティテュート名誉会員。
10月2日、バーミンガムで、フィーニー財団がバーミンガム市交響楽団のために委嘱した《虹へ向かって、パルマ》が、 ジョン・ウィリアムス(ギター)、ピーター・ウォルドン(オーボエ・ダモーレ)、サイモン・ラトル指揮同交響楽団によって初演。

1985(55歳)
1月、朝日賞受賞。
2月から3月にかけて開催された、バンフ・センターの<現代音楽の日々>、テーマ作曲家。
5月、フランス政府より、芸術文化勲章受賞。
9月9日、京都で、京都信用金庫創立60周年記念委嘱、《夢窓》が、小澤征爾指揮京都市交響楽団により初演。
11月、ロンドン・シンフォニエッタが第1回<レスポンス>で、<スポットライティング・タケミツ>開催。
12月、エッセイ集『音楽を呼びさますもの』を新潮社より出版。

1986(56歳)
1月、メルボルン・サマー・フェスティヴァル、ゲスト作曲家。
2月、フランス芸術院名誉会員。
5月、デンマーク放送局、ゲスト作曲家。
6月から7月にかけて開催されたロンドンのアルメイダ国際現代音楽祭、テーマ作曲家。
8月、タングルウッド現代音楽フェスティヴァル、テーマ作曲家。
10月15日、東京で、サントリーホールが開設記念国際作曲委嘱シリーズ第1回として委嘱した《ジェモー》が、 ブルクハルト・グレツナー(オーボエ)、ヴィンコ・グロボカール(トロンボーン)、新日本フィルハーモニー交響楽団、 東京フィルハーモニー交響楽団、井上道義および尾高忠明の指揮により初演。以降、シリーズ監修者を務める。
同月、イギリスBBC2テレビが特集番組『13 Steps around Toru Takemitsu』を製作、放送。

1987(57歳)
2月、映画『乱』の音楽によりロサンゼルス映画批評家賞受賞。
6月、『夢と数』をリブロポートより出版。
8月11日、エディンバラ国際フェスティヴァルで、スコットランド郵政局がユーディ・メニューインのために委嘱した《ノスタルジア-アンドレイ・タルコフスキーの追憶に-》 がメニューイン(ヴァイオリン)、ピーター・マックスウェル=デーヴィス指揮スコティッシュ・チェンバー・オーケストラにより初演。
9月、グラスゴーのスコティッシュ・ナショナル・オーケストラ<ムジカ・ノーヴァ>フェスティヴァル、テーマ作曲家。
11月、香港で開催された国際現代音楽協会/アジア作曲家連盟(ISCM/ACL)作曲コンクール審査員。

1988(58歳)
4月、ダラスのサザン・メソジスト大学ヴォイセス・オヴ・チェンジ、テーマ作曲家。
7月、第1回ニューヨーク国際芸術フェスティヴァル芸術顧問委員。芸術監督としてジャパン・ソサエティにおける4晩の演奏会を企画。
9月、京都音楽賞大賞受賞。

1989(59歳)
2月7日、ニューヨークのイサム・ノグチ追悼演奏会で、フルートのための《巡り-イサム・ノグチの追憶に-》が、ポーラ・ロビソンにより初演。
10月、日本文化デザイン会議賞国際文化デザイン大賞受賞。
同月、第1回飛騨古川音楽大賞受賞。
11月、ニューヨークで、コロンビア大学ドナルド・キーン日本文化センターとフリッツ・ライナー現代音楽センターが<音の心象 武満徹の音楽> を開催、講演会、演奏会、展覧会などが行われた。
同月29、30日<パリの秋>フェスティヴァルで、同フェスティヴァルがフランス革命200周年を記念して委嘱した《ア・ストリング・アラウンド・オータム》 が今井信子(ヴィオラ)、ケント・ナガノ指揮パリ管弦楽団により初演。

1990(60歳)
3月8、9、10、13日、シカゴでシカゴ交響楽団がジョン・C・ステットソン夫妻の寄付により創立100周年を記念して委嘱した《ヴィジョンズ》がダニエル・バレンボイム 指揮同交響楽団により初演。
5月、ストックホルム・ニュー・ミュージック・フェスティヴァル、テーマ作曲家。
6月、イギリスのリーズ大学名誉音楽博士。
同月、リーズ・フェスティヴァル、テーマ作曲家。同月30日、バーミンガム市交響楽団が、英国芸術振興会の助成により同フェスティヴァルのために委嘱した、 《マイ・ウェイ・オブ・ライフ》(詩=田村隆一)が、フランソワ・ル・ルー(バリトン)、オペラ・ノース合唱団(混声合唱)、サイモン・ラトル指揮同交響楽団により初演。
7月、イギリスのダラム大学名誉音楽博士。
同月、アヴィニヨン・フェスティヴァル、テーマ作曲家。
11月、大江健三郎との共著『オペラをつくる』を岩波新書として出版。
同月、ハダースフィールド現代音楽祭、テーマ作曲家。
12月、国際モーリス・ラヴェル賞受賞。
この年、還暦(60歳)を記念する演奏会が東京を始め、ボストン、サン・フランシスコ、ロンドンなど、世界各地で開かれる。

1991(61歳)
1月、都民文化栄誉章授章。
同月、《ヴィジョンズ》その他の作品により、毎日芸術賞授賞。
5月、サントリー音楽賞授賞。
10月、ユネスコ/IMC音楽賞授賞。
同月から11月にかけて、ジャパン・フェスティヴァルの催しのひとつとして、ロンドンのバービカン・センターを中心に行われた<タケミツ・シグネチュア>芸術監督。

1992(62歳)
4月、シアトル・スプリング、テーマ作曲家。引き続き、ヴァンクーヴァー・ニュー・ミュージックに参加。
5月、1973年から毎年開催され音楽監督を務めていた<今日の音楽>が、第20回を区切りに終了。
11月、ポーランドの国際現代音楽協会(ISCM)主催<20世紀音楽の巨匠>シリーズの第1回テーマ作曲家。ワルシャワで「タケミツ・デイズ」が開催される。

1993(63歳)
5月、武生国際音楽祭、テーマ作曲家。
6月、オールドバラ音楽芸術祭、テーマ作曲家。《群島S.》がナッセン指揮ロンドン・シンフォニエッタにより初演される。
7月、東京オペラシティ文化施設運営委員会顧問就任(95年11月からは芸術監督)。
9月、ベルリン・フェスティヴァル、ベルリン芸術週間のゲスト作曲家。
10月、国際交流基金賞(日本)授賞。
11月、ウィーン・モデルン、テーマ作曲家。
同月より12月にかけて、自筆の楽譜や絵画などの視覚的作品を集めた「武満徹展 −眼と耳のために−」が、東京・文房堂ギャラリーで開催される。
12月、国際現代音楽協会(ISCM)名誉会員。

1994(64歳)
1月、東京カルテット演奏のCDに収録されている《ア・ウェイ・ア・ローン》が、第36回グラミー賞最優秀現代作品部門にノミネートされる。
同月、英国の王立音楽院名誉会員。
3月、NHK放送文化賞授賞。
4月、映画音楽作曲家としての活動に焦点をあてたドキュメンタリー映画『Music for the Movies - Toru Tamemitsu』(邦題『光と音の詩 武満徹の映画音楽』)が製作される。
5月、アジア作曲家連盟(ACL)名誉会員。
7月、札幌のパシフィック・ミュージック・フェスティヴァル、テーマ作曲家。
10月、《ファンタズマ/カントス》により、ルイヴィル大学グロマイヤー作曲賞授賞。
同月、ボストンのジャパン・ソサエティ創立90周年を記念する一連の行事に参加。ボストン美術館におけるシンポジウム、ニュー・イングランド音楽院やボストン交響楽団の演奏会など。

1995(65歳)
1月、リチャード・ストルツマンのクラリネット独奏、尾高忠明指揮BBCウェールズ交響楽団演奏のCDに収録されている《ファンタズマ/カントス》が、 第37回グラミー賞最優秀現代作品部門にノミネートされる。
3月、グスタッド映画音楽祭、第1回テーマ作曲家。
同月、ロサンゼルスの映画音楽保存協会功労賞授賞。
12月1日、ニューヨークで、リンカーン・センター・チェンバー・ソサエティが、武満徹65歳記念演奏会。

1996
1月29日、スイスのバーゼルで開かれたオーレル・ニコレ70歳記念演奏会で、ニコレの70歳を祝して作曲した《エア》が、植村泰一により初演。
2月、グレン・グールド賞授賞。
2月20日、癌のため東京都内の病院で死去。享年65歳。