荒川二丁目

2000.11.5更新

 

「荒川七丁目」から向かうと大きくカーブして「荒川二丁目」に到着。創業時は「三河島」という電停名だったそうです。住宅表示の変更に伴い電停名も変更されてます。

三河島というのは古い地名であり、地名の起こりには諸説があとの事です。
  1. 昔、三筋の川の中州にあったのでこの名が生まれた。
  2. 徳川家康が関東に入国した時、故郷の三河を捨ててきた下役にこの土地を与えたから。
  3. 長禄年間(1457〜59)に木戸三河守の領地だったから。
  4. 小田原北条氏の家臣細川三河守の領地だったから。
その真偽はわかりませんが、戦国時代からの地名だったそうです。
その三河島の名が残っている「三河島下水処理場」の上には「荒川自然公園」があります。


荒川自然公園

 


 
下水処理場の上に人工の地盤が築かれ、昭和49年に開園。人工の地盤の上にあるとは思えない景観です。臭いもないです。
公園内には、水遊びが出来る人工の川や徒渉池、自転車に乗れる交通園などもあります。

徒渉池(子供プールのもっと縮小版みたいなもの)
7/20〜8/31 月曜休み
9:30-16:30
小学生以下のみ可。
3歳以下は親同伴の事。

           ♪ こんな足こぎの車もあります。→



三河島処理場・妻夫塚

日本で最初の本格的な下水処理場施設である「三河島処理場」は大正3年に建設が着手されました。同年から始まった第一次世界大戦の影響による財政面の制約などの理由から、工事の進行に打撃を受けましたが、大正11年(1922)に完成。施設の南側にある煉瓦造りの建物は当時のまま現存していると聞きます。
三河島処理場では、荒川区、台東区の全部、文京区、豊島区の大部分と千代田区、新宿区、北区の一部の下水処理を行っています。
三河島字八千代田、字次郎田前と呼ばれていたこの地に『妻夫塚』と呼ばれた塚があったそうです。正平七年(1352)武蔵野合戦における戦死者を葬った所と伝わってますが、詳細は不明。明治43年に三河島処理場の敷地に編入され、現在では正確な塚の位置を確認することは出来ないそうです。

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