三ノ輪橋

2001.11.11更新

 
『三ノ輪橋』という停留所名は、その昔この場所にあった橋の名前に由来します。橋は、石神井川の支流として王子から分流した音無川に架けられていて(現在の日光街道と交差するところ)、長さは五間四尺(約10メートル)幅三間(約6メートル)であったとされています。明治41年に農業用水としての役目を終えた音無川は、現在は暗渠(地下に作った水の通り道)となっているので、橋も消えてしまいました。

都電荒川線の片一方の終点ですが、『早稲田』同様、車庫はありません。線路が途切れているので、辛うじて終点とわかるくらい。昔の路線図には、『三ノ輪車庫前』という停留所があるので、車庫はあったみたいです。
ただし、この車庫は、旧21系統(千住四−水天宮)、31系統(三輪橋−都庁前)が、使用していたもので、現在の荒川線とはつながってなかったみたいです。車庫があった場所は、都営住宅になっていますが、痕跡は何も残っていませんでした。
 
※三ノ輪橋は薔薇が奇麗な駅として「関東の駅百選」に選ばれています。5月〜6月が見頃。

 



荒川ふるさと文化館

荒川の歴史・文化に関する情報の発信基地として平成10年5月1日にできた施設です。常設展示室には、原始時代の遺跡からの出土品から近代工場で製造した製品など、実物のほか、レプリカ、復元家屋、ジオラマなどから郷土の歩みを知ることができます。郷土学習室では、さまざまな資料が閲覧できます。

昭和41年頃のくらしと景観。


●観覧料・使用料
 ◇展示室−常設展:100円
 ◇展示室−特別展:1,000円以下で教育委員会が定める額。
 ◇郷土学習室−無料
 ◇視聴覚室−1時間:1,200円
 ◇研修室−1時間:800円
  ※視聴覚室・研修室は使用できない場合があります。要確認。
●開館時間
 午前9時30分〜午後5時(入館は4時半)
●休館日
 ◇毎週月曜日/12月29日〜1月4日
  館内整理日で休館の日があります。要確認。



円通寺 (旧上野の黒門)

1868年5月15日に旧幕臣の彰義隊と新政府軍が戦った上野戦争ゆかりの門。上野山内「袴越し」にあった黒門は、上野八門のうちで表門にあたり、両軍攻防の重要な拠点であった。上野戦争で、放置されていた多数の遺体を当時の円通寺仏磨和尚と寛永寺御用商人三河屋幸三郎とが集めて火葬した縁で、1907年に帝室博物館よりこの地に移された。門には弾痕が残り当時を語っている。しかし、修復されていて実在のままではありません。弾痕の部分はくり抜いて新しい木材の同じ場所に埋め込まれているそうです。外にあるのに保存状態がいいなぁと思ったら、なるほどです。


浄閑寺(投込寺)

浄閑寺は浄土宗の寺院で栄法山清光院と号する。安政2年(1855)の大地震の際、江戸は猛火に包まれたが、新吉原の楼主たちは遊女が逃亡するのをおそれて大門を閉ざしてしまった。そして、逃げ場を失い炎に包まれて死んでいった大勢の新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られた。そのことから「投込寺」とも呼ばれる。寺内には新吉原総霊塔が立てられていて、そこには「生きては苦界 死しては浄閑寺」と花又花酔の川柳が掲げられている。(写真左)
遊女の暗く悲しい生涯に思いを馳せた作家永井荷風は、しばしば浄閑寺を訪れている。「今の世のわかき人々」にはじまる荷風の詩碑(『偏奇館吟草』の中の「震災」)は、このような縁で建てられたそうです。(写真右下)
 




小塚原刑場跡

江戸のお仕置き場(刑場)は品川の鈴ヶ森と千住の小塚原の2つであった。小塚原の名は「骨ヶ原」が転じたものとも言われている。小塚原の刑場では、明治のはじめに刑場が廃止されるまでに、はりつけ、斬罪、獄門などの刑が執行されていた。首切地蔵はこの刑死者を弔うために寛保元年(1741)に造られた。


回向院(えこういん)

千住の小塚原の刑場で処刑された人々を葬った寺。安政の大獄で刑死した吉田松陰の墓などがある。



そのなかでも目を引いたのが鼠小僧次郎吉の墓。(写真右)ちょと見にくいですが、墓に金網がかけられています。死んでもまだ逃げ出すからという話もあるのですが、墓のかけらを持っていると、賭け事に強くなるという迷信が本当みたいです。
境内に入って右側の壁にはめ込まれている観臓記念碑は、明和8年(1771)3月4日、蘭学者の杉田玄白、前野良沢らが処刑された死体を解剖したのを記念したもの。これを機会に杉田らはドイツの医学書『解体新書』の翻訳に着手する。


余談ですが、山谷が近いのでホームレスの人が多いです。ちょっと恐いです。昼間っから酒入ってます。この“とび出し多し”って当たり屋?などと深読みしてしまいます。
『あしたのジョー』に出てくる泪橋もこの近くだけど、橋はありません。


鷲(おおとり)神社


 

11月の酉の日には“酉乃市”が、ひらかれます。大和朝廷の英雄・日本武尊(やまとたけるのみこと)が、東夷征討の際に浅草の鷲神社で勝利を祈願し、志を遂げて再度お礼参りをしたのが11月の酉の日であったことから、酉の日に市がたつようになったそうです。当初は戦の神様として崇められましたが、江戸時代は「泰平の世」だったので、商売の神様として崇められるようになりました。威勢のいい掛け声を聞きながら華やかな熊手を眺め、露店で舌鼓を打つのも又よしです。たこやきやら串焼きやら数々の露店が並んでいます。昔ここで食べた“えび入りたこやき”(えびはすり身にしてあったと思う)は絶品でした。酉の市の熊手ですが、日本武尊がお礼参りの際、社前に松の熊手をかけたのが由来とされています。財を「掻き込む」として縁起物となっています。神社で売っている熊手「かっこめ」は700円と御手頃価格。



一口茶屋

 
電停入り口のたいやき屋。(以前は今川焼き屋だった気がするんだけど…)
いろんな味があるので、食べ比べてみました。



小倉         ★★★☆☆
ココア&クリーム   ★★★★★
ココア&チョコ    ★★★★★
白あん        ★★★☆☆
ウグイス       ★★★★☆
ツナマヨネーズ    ★★☆☆☆
シャウエッセンチーズ ★☆☆☆☆
桜あん(期間限定)  ★★★★☆
           (★5つが最高)
【寸評】
●「ココア&クリーム」と「ココア&チョコ」は子供に人気。
  ココアのほろ苦さと甘さがマッチしています。
●「ツナマヨネーズ」と「シャウエッセンチーズ」は不評。
  甘さとしょっぱさのミスマッチが馴染んでいなかったのが敗因か。
●「桜あん」はあんの味に好き嫌いがあったものの、抹茶味の皮が好評。
  ただし期間限定品。

以上、5人の意見を総合した結果です。でも、味って個人の好き嫌いで左右されてしまうので、あてにせず食べ比べてみてください。上記8種類買っても千円でおつりがきます。(1998.4月現在)

写真の前二つが、一番人気のココア味。皮が美味です。
最新作として、「カレー」と「ピザ」が発売されていましたが、味は共に★★☆☆☆って感じ…。
 
都電に乗りながら、たいやきをパクつくってのもいいもんですよ。混んでいる時はダメだけどね。



あめみや

都電グッズが多数置いてある喫茶店。まだ入った事はないんだけど、いろいろなものが並べてありました。


ディスカウントセンター大栄商事

昔から気になっていた店だったので、のぞいてみました。中には、昔のレコードやカメラ、おもちゃが所狭しと置かれていました。お宝グッズが見つかるかも。
・・・それにしても、とても怪しい店だ。

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