荒川線開業時の電停名は「下尾久」でしたが、1958年(昭和33年)に「尾久町一丁目」と変更になり、1964年(昭和39年)の住居表示変更にともない、現在の電停名になりました。
石門通りの中程を曲がり、その奥の小道に地蔵堂があります。もと阿遮院持。
お堂の横には『暦応(1338年〜42年)の頃、しばしば起こる地震に村人が不思議に思ってこの地を訪れたところ、地より二尺(約60センチメートル)ばかりの異形な石が生えていたという。』と、記されています。しかし、「新編武蔵風土記稿」には『社はなし。高さ四尺ばかりの自然石、二つ並べり』と記されています。扉の一部から中を覗くと石が見えます。風土記には「先年掘んとせいしに掘出し得ず。由て権現に崇め祭れりと云」とも書かれているので、実際の大きさは不明のままだと思われます。またこの石は「出世石尊」と呼ばれ、石神として崇め祀るようになったと伝えられています。この石を祀る講は「出世講」と呼ばれ、現在も続けられているそうです。石神信仰は関東周辺に広く分布しており、下尾久字石神といわれたこの周辺の字名も、これに因んだものと考えられています。
真言宗豊山派の阿遮院は、阿遮羅山阿遮院蓮華寺と号します。尾久における最古の寺院と伝えられていますが、開基・創立については不詳です。下尾久字大門と云われたこの周辺の字名は、当寺の大門が建っていたことに由来するともいわれています。本尊は阿遮羅明王(不動尊、梵名アシャラナータ)。1338年(建武5 年)の板碑が所蔵され、境内には1701年(元禄14年)の光明真言三百六十万遍供養塔(荒川区登録文化財)があります。
弘法大師霊場:武蔵國豊島八十八ヶ所霊場 第63番札所、御府内二十一ヶ所霊場第 19番札所、荒川邊八十八ヶ所霊場 第10番札所。
尾久の原防災通りの中程にぬりえ美術館がありましたが、2022年10月30日に閉館しました。年輩の方には懐かしい「きいちのぬりえ」や世界各国のぬりえを集めた美術館でした。【2023年9月現在、建物はまだ残っていました】
石門通りを直進し、尾久の原公園を越えると、隅田川の川岸に到着します。八幡神社所蔵の「上尾久村絵図」には、このあたりは「死馬捨場」と記されています。馬自体の必要性がなくなった今では、何の痕跡も残ってはいませんでした。