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名前: HAPPY
<E-mail>
題名: Re: 聖子さんのセルフと松本隆さん。
日付: 2000/10/07 23:45:39
返答先リンク: msg5/03227
すごくインパクトのある書き込みですね。
好き嫌いの違いはいくら語ったって平行線だからまぁ置いといて、
でも「セルフ作品はどれも大嫌い」なら、その間の7、8年というのは
ファンとしては相当つらかった時期ってことですね。
自分なら、ファンは続けられない。
だけどそういうファンもいるわけだ。
「永遠の少女」で、聖子さんの変化が顕著になったという点は同感です。
ただ、その「変化」は聖子さんに限ったことではなくて、松本さんだって変化してるわけです。
もちろんレコード会社だって、周りのスタッフの方々だってそれこそ80年代とは全く違う。
聖子さんの変化を、少なくとも自分のようなファンとは正反対の捉え方をした結果、
「永遠の少女」は世に出たのだと思います。
往年のファンだからあのアルバムが支持できるわけではないし、
逆にセルフ支持のファンでもあのアルバムが好きなファンだって必ずいる。
要は「いまの松田聖子」に対して期待する部分の違いです。
それと、9月のモンマルトルさんの↓のコメントについて。
>10代向けの音楽ばかりになってしまった現在のJ-Pop界で、
>かつてのアイドル松田聖子に存在意義があるとすれば、
>こういう上質の「大人のための極上ポップス」をリスナーに提供できる点にこそある!!
>と確信したのでした。
自分もそういう部分は確かにあるだろうなと思います。
だけども、大切なことを忘れちゃいけない。
松田聖子は、いまも現役の「アイドル」なんですよ。
ライブ会場のグッズ売り場に長蛇の列ができている光景なんかを見れば、
いかに聖子さんの「アイドル性」が高いかが一目瞭然です。
「大人のポップス」を唄うアーティストのグッズをそんなに欲しがりますか?
ライブでのあの「大歓声」は、「アーティスト松田聖子」に向けたものでしょうか?
もちろん80年代前半の「アイドル」と、いまここで言ってる「アイドル」は
必ずしも同義ではないですね。
つまり、アイドル特有の「虚像性」とか、いつまでも「華やかさ」を失わないこととか、
それに何よりも「我が道を行く」「成功は自分の手で掴む」という「力強さ」とか、
そういうことを全部ひっくるめて、やっぱりみんなどこかで松田聖子に
憧れの念を抱いている。
そういう意味で、松田聖子は「いつまでもアイドル」だということです。
聖子さんの存在意義は数知れないけれども、自分は何と言っても
年齢とは全く関係なく「いつまでもアイドルな松田聖子」という点が、
最大の、それはもう奇跡的な「存在意義」だと、はっきりそう思います。
他に誰がいます?今までにもいましたか?
20年たって、40歳まであと数年にせまっても「聖子ちゃん」なんて呼ばれちゃうんだから。
これは、誰にも真似できない。
松本さんが考える「大人のための極上ポップス」が「永遠の少女」だとしても、
あのアルバムに「松田聖子のアイドル性」はどこにも感じられない。
「華」がありますか?あの「力強さ」はどこへ行ってしまったのでしょう?
「大人のポップス」を唄えるアーティストは他にもいるし、松本さんの
「永遠の少女」は、他のアーティストでやればいいと思う。
あるいは聖子さんでやるにしても、もっとレールを長く敷いて、3年先あるいは5年先に
聖子さんの「アイドル性」が変わった時にやるべきだ。
くどいようですが、「松田聖子」は聖子さん以外にあり得ないんです。
松田聖子の「アイドル性」を無視して、どんなに色鮮やかな情景あふれる詞で、
どんなに最先端のポップスを唄っても、それは「松田聖子」ではない。
だから自分は、「月のしずく」よりも「感謝しているヨ!」を支持するんです。