医療裁判が終わりました。

1998年11月24日(火)

 東京地裁で和解が成立し裁判が終わりましたので、ご報告させていただきます。
 今年の春に鑑定が出て、完全に医者のミスであると言うことがはっきりし、夏には裁判所から原告勝訴の内容で和解勧告が出されていました。
 これに対して、11月16日(月)の時点で被告病院側は全面的に勧告を受け入れると言う結論だったのですが、我々としては謝罪のない和解には応じられないとして、文書での謝罪と院長本人が私達の面前で謝罪することを条件として、一旦は和解を蹴っていました。

 11月24日(火)に再び行われた和解の席で、院長本人が出廷して我々夫婦に頭を下げました。また、謝罪の文言についても和解条項の中に「心から陳謝する」と入りました。これで、私達の目的は全て達成しましたので、和解を受け入れ裁判を終了させることに致しました。
 終わってみるとあっけないものでした。和解の席も約10分足らずで、「えっ、もう終わり?」という感じでした。正直言って、医者が我々の前に出てきて謝るとは思っていませんでしたし、判決を覚悟していましたので、尚更、あっけなく感じたのかもしれません。
 裁判官が言っていたのですが、和解でなく判決となった場合には、一審(東京地裁)は我々の全面的勝訴となったそうです。但し、そうなると被告側は必ず控訴して来ますので、舞台を東京高裁に移して、また何年続くか分からない控訴審が続くことになったと思います。
 勝訴判決が出た場合には、我々は即刻病院の資産(動産・不動産・預貯金等)を差し押さえる予定でした。病院としては差し押さえられると営業(診療)を続けることができなくなりますので、控訴して裁判所に保証金を支払い営業を続ける必要があったのです。

 私達が勝つことが非常に難しいと言われる医療裁判をやってきたのは、智子が何故、重度の障害を負わなければならなかったのか?真実はどうなのか?と言うことと、もし医療ミスがあったのならば、素直に謝って欲しいと言うことだけでした。お金の問題ではありません。気持ちの問題でした。
 真実は明らかになりましたし、実際にミスを犯した医師からの謝罪はありませんでしたが、病院からの謝罪はありましたので、私達としてはこれ以上の不毛な闘いを続ける意味が無くなりました。

 提訴してから3年4ヶ月、準備期間を含めると約4年間、長かったのか短かったのかよく分かりません。でも、一つ言えるのはここまでやってきて良かった、と言うことです。悔いが残らない闘いができたと思っています。
 また、ここまでやって来られたのは、皆様の暖かい励ましや応援のおかげだと思っております。本当にありがとうございました。なんとお礼を言っていいものやら、感謝の言葉もありません。

 早いもので、来月で智子も6才になります。これからは智子のために何をしてあげられるのか、何をしてあげるのが一番良いのかを考えていこうと思います。


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