津島通信

February 2000
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◆CONTENTS◆


【きむたく日記】

(暇な時に更新しております。)

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「きむたく日記」

2月29日火曜日晴

     うるうの日ということで,29日をコンピュータが認識できるか話題になっていたが,どうやら自宅も研究室のPCも問題なく動いている。
     昨夜電子メールで,生協ブックストアから注文書の入荷連絡があったので,朝一番に受け取りにいく。注文書の他,村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』(新潮社),玄月『蔭の棲みか』(文芸春秋),野田正彰『気分の社会のなかで』(中央公論新社),V・F・アルミニヨン『イタリア使節の幕末見聞記』(講談社学術文庫)を購入する。
     文学部の大学院を受けたゼミ生の合格発表の掲示がされているはずなので,それを知ろうと,文学部の建物をうろうろする。掲示を見つけたが,番号だけで名前が分からない。教育学部は,名前・受験番号を掲示するので,一目瞭然なのだが。文学部教務係の事務官に聞こうと思ったが,身分証を携帯していなかったので,あきらめる。革ジャンにジーンズ姿では,教育学部の教官と名乗っても信じてもらえそうになかったのもある。

2月24日木曜日晴

     13:00より17:00まで3年生のゼミ。後期は『明暗』を取り上げたが,女性が圧倒的に多いこともあって,お延・お秀・清子・継子という女性像に関心が集まったように思う。彼女・彼らとの討論を通して,お延・お秀の相違点がなぜ析出されるのかや,継子の女性像が明確に理解できるようになったし,現代女性にも通じる問題として,提起できたように思う。一言でいうと,彼女・彼らはいい迷惑だったかもしれないが,僕は漱石文学の魅力を再認識できた。今日の報告者などは,「女性が対等に男性と関わるために,経済的に自立することがいかに大切かが分かりました。だから就職活動がんばりまーす」(意訳)と,決然(?)と言い放ったのだった。僕は,フェミニズムの授業をしていたのではないのですが……。
     紀伊國屋書店から,ルイス・フロイス『日本史1』(中公文庫)が,ようやく届く。学生からは鬼・悪魔視されている僕だが,実はキリスト教の受容にも関心があって,キリスト教史を勉強するために,大学を受け直そうかと思ったくらいなのだ。誤解の無いように申し添えると,キリスト教に関心があるのではなく,そういう宗教に関わった人間像に興味があるのである。西洋文化の受容という事なのかな。ともあれ,生協ブックセンターにも置いていないし,紀伊國屋書店・丸善の店頭にもなく,取り寄せしなければいけないことにはムカツク次第である。
     ムカツクといえば,これは自分のミス(横着の報い)なのだが,先日の廃棄品のなかにまだ捨ててはいけないものがあり,回収しなければいけないものがあったことが事務サイドの指摘で判明した。人足がいるうちにと思って,「全て捨ててしまえ,構わん構わん」と豪語していたのが,この結果である(泣)。
     寒風吹きすさぶ中,朝早くから廃棄品の山の中で泣きながら,「お宝」を探している僕を,個別学力試験の下見に来た学生が冷ややかに一瞥して通り過ぎるのであった。

2月22日火曜日曇

     久しぶりに静穏な日を迎える。レポートもない。講義・会議もない。学生もいない。静かな環境で自分の仕事ができるのは本当にありがたい。おまけに図書館から,「坊っちやん」の原稿(複製)が返却されてきた。HPのテキストデータの更新ができるわけである。後は,やる気のみ。
     生協ブックセンターで,宮本盛太郎・関静雄『夏目漱石--思想の比較と未知の探求』(ミネルヴァ書房,2000.2.15),佐伯順子『恋愛の起原』(日本経済新聞社,2.14),フラナリー・オコナー『賢い血』(ちくま文庫)を購入する。佐伯氏の本は,岩波の『「色」と「愛」の比較文化史』の簡易版という趣である。1500円なので,カラオケ1回分と考えれば,学生にも手ごろな価格帯だろう。

2月21日月曜日曇

     10:00より国語研究室の書架を移動したり,不要な備品を廃棄する作業を行う。備品とは言い条,過去に退官した教官が廃棄手続きが面倒なので,研究室内に放置していったものが多く,院生ともども埃にまみれながら2時間働いた。
     夜。18:00よりゼミの追い出し。4年生は,やはり教育実習が1番の思い出らしく,憤懣・不平・子ども評・先生評,なかなか聞きごたえがあった。

2月19日土曜日曇のち雨

     10:00より卒業論文口頭試問を行う。僕が指導した5人のゼミ生は午後からである。卒論指導が十分出来たわけではないので,副査の先生にそれぞれの論文がどのようにうつるかと思うと緊張した。しかし,そういう時に限ってトラブルも起こるもので,口頭試問を終えた最初のゼミ生に2番目の学生を呼びに行かせたところ,
    「先生,来てません!」
    「何ーっ」(怒)

     このパターンは2回目である,しかも同一人物。後で,事情を聞くと時間を間違えて友達と遊んでいたのだそうだ。試問にやってきたソヤツは,唇が真っ白になるほど青ざめていたのであった。
     夜,4年生の追コンが開催された。4年生は1・2次会の会費が8千円とかで,2次会に行かなくても徴収されたようだ。3年生が殆んど居なくて,これにも呆れたが,8千円とは高い。

2月17日木曜日晴

     今日,ようやく成績表も提出し,「苦役」から解放された。しかし,校正作業や会議・連絡の雑務などで時間は瞬く間に過ぎ去り,気が付いたら終業の時間(17:00)であった。久しぶりに自分の研究課題にとりくめると思ったのだが。
     生協ブックセンターで書籍の注文ついでに,『日本の近代7』と『現代思想』臨時増刊号(現代思想のキーワード)を購入する。
     今日は,「デジタル・ディバイドdigital divide」と「学府」なる言葉を覚えた。
     国語学のY先生(51)が用事で研究室に見え,立ち去り際にこう聞かれた。
     「ときに木村さん,チョコ貰った?」
     ……やはり,気になる男心。

     気になるといえば,明日Windows2000(日本語版)が発売されるようだが,発売前に早速バグ(プログラムミス)が2つあったという報道がされている。特に1つは,日本語の処理の問題なので,今更のミスにあきれ果てる。個人的には,2000へのバージョンアップには殆んど関心がない。友人達がしたら,その後ぐらいで「検討しようか」位の関心の低さなのである。
     注)Windows2000は,企業ユーザ用のOSであるWindowsNTの後継OSで,個人ユーザ用のOSではないというアナウンスが,MS社よりなされた。僕も誤解していた。Windows98の後継OSは,「Windows ミレニアム」というのだそうである。(2.22記)

2月16日水曜日晴

     冷え込んで寒い一日。修士論文の口頭試問の日。いずれも青菜に塩・散華玉砕・因幡の白兎といった感じ(?)。学位論文の審査であるから,発言するどの教官の姿勢にも厳しいものがあった筈。来年度の院生も,しっかり頑張っていただきたいものです。
     学部長選挙と教官会議をすませ,19:00前に退出。父よりTEL。積雪は,60から70センチになったという。甥っ子の学校は警報のために休校。道路は渋滞しているとのこと。なんと20年ぶりの大雪とか。岡山市は,雪がちらついても積もりはしないが,新見市などの県北はたいへんな模様。

2月10日木曜日晴

     レポート読みで一日を過ごす。しかし,それもイヤになって研究室内の前任者(18年前退職)の使っていた書架・ロッカーといった備品を研究室の外に出す肉体労働をする。これで,ようやく新しい書架をいれて,本を機能的に収納できる態勢となる。で,「備品廃棄の会」の会員をメールで募る。1名のみ協力の申し出あり。すばらしい方だ。
     今日締め切りのレポートの提出あり。レポートにチョコがついてくるのですが,これはあっちの意味でしょうか,それともこっちの意味でしょうか。とにかく「紙袋」に入れて持ち帰ります(ちょっと自慢?)。

2月9日水曜日晴

     朝起きて,新聞を取りに出たら,「そこは雪国だった」。あたり一面雪化粧をしていて,道路には車が列をなして停まっていた。
     大学に出勤して,教務学生係に書類を提出に行く。事務官のMさまと立ち話。彼女はご近所さんなので,今朝の出勤事情を聞く。バスに乗ろうとしたが,いくら待ってもバスは来ないし待ち人も50人くらいになったので,乗るのをあきらめ頑張って自転車で出勤したそうだ。途中路面が凍結していたので,転んだりして死ぬかと思ったとのこと。県北に住む他の事務官の方も,出勤できないということで,空席になっていた。日本各地こんな状態なんだろう。学部棟の日当たりの悪い北側駐車場は,雪は勿論のこと,凍結した地面を踏むとバリバリ音がするのであった。
     さて,今日もレポート読みと卒論読みである。合間に,ルソーや「李歐」(高村薫)を読む。
     京都の先輩のメールで,デビッド・ゾペッティ(玉井ゼミの後輩)の「アレグリア」(「すばる」)が良いとのこと。僕は未読なのだが,芥川賞も期待されるということだ。彼のデビュー作「いちげんさん」は,映画化もされたが,興行的にはかなり苦戦しているようだ。ホラーばやりの今日,恋愛ものは苦しいのだろう。

2月5日土曜日晴

     昨日は,大学から帰るさ遠回りして,万歩書店(平井店)に行った。「梶井基次郎全集」の第3巻が,3700円で出ていたので購入する。これはラッキーだった。店の主人が,「お探しでしたら全巻揃えましょうか」と言ってくれたので,あと別巻(6月頃刊行予定)だけだがと入手をお願いしておく。
     石光真人編著『ある明治人の記録』(1971,中公新書)・大佐古一郎『広島昭和二十年』(1975,中公新書)を見つけて購入する。前者は明治の政治小説「佳人之奇遇」の作者東海散士こと柴四朗の実弟柴五郎の回想録である。山口の宇部にいた時,時々会津の話題がローカルニュースで流れ,幕末以来の確執がいまだに存在している事を改めて実感させられることがあったが,この本に目を通すと長州への恨みが骨髄に徹するのも諾なるかなと思わせられる。愛する家族の死,寒さと飢餓。僕なら,70代先まで(長州を)祟ってやると言いたくなる。津村節子『流星雨』(1990.4,岩波書店)でも会津の話は読んだ記憶があるが,改めて敗者の歴史の悲惨さに思いを馳せたのであった。ちなみに中公新書では,星亮一『敗者の維新史』(荒川勝茂の日記,1990)もあるので,関心のある方は購入されたい。
     後者は,新聞記者の体験した昭和20年の記録(日記)である。被爆の様子は勿論の事,被爆直後に目撃したアメリカ兵捕虜の姿や,相生橋で市民のリンチを受けて殺された米兵の犯人探しをするMPの話,栄養失調で60歳の老婆のようになっている12歳の女の子の姿などが点綴される。
     「非人間的」な卒論査読の修羅場から逃れ,人間的な時間を送れた至福(?)の一時であった。ローマ皇帝の夢を見るべく,マルクス・アウレーリウス『自省録』(岩波文庫)を読みながら就寝。こりゃ,まさしくフーコーの言う「自己への配慮」の産物である。
     で,今日は午後から研究室に出勤して,査読と試験の採点作業。「酒と薔薇の日々」ならぬ,「査読と採点の日々」である。

2月3日木曜日晴

     今日で後期の講義・演習がすべて終了した。やれやれである。しかしよく考えたら明日から試験期間に突入である。採点・レポートの査読,修論は終わったが卒論の査読。そのた雑用は山のよう。……現実逃避したい。
     生協から注文しておいた『電子メディア時代の文章法』(1370円)が届いたという連絡があったので,購入。カタカナとアルファベットが多く,それを縦書きしているものだからツライ。はっきり言って読む気がうせる。そろそろこういう特集の場合は,横書きにして欲しいものだ。ちなみに僕の講義用ノート・レジュメはすべて横書きであるが,学生から苦情が来た事はない。

2月2日水曜日晴

     昨日の朝刊で,書籍小売店の駸々堂が自己破産した由報じていた。経営規模の拡大で生じた損益にリストラが追いつかなかったということだ。駸々堂は,四条にジュンク堂ができるまで,新刊を買うときは外せない書店だった。待ち合わせなどにも利用して,京都時代の思い出としては欠かせない場所だったのだが,残念なことである。

     駸々堂のケースはともかく,インターネットの普及によって,人件費やスペースの問題から,小売の店舗販売はどんどんなくなっていくと思われる。出版社が,インターネットを通じて読者に直接販売するようになれば,出版社と消費者を結ぶラインさえ確保されればよいので,「書籍小売業」は不要になるのである。書店が街から消え,黒い猫やらコンビニなどで書籍を受け取るのはほぼ確実である。ジーサマになった僕も,孫の手を引いて,コンビニで書籍を受け取ってるのだろうか(?)。
     だが,本を直接書店で「発見」するということもあるので,「情報網」や「検索」に引っかからない本は買えないというような味気ないことでは困る。ディジタル化も良いのだが,社会に必要な機能をすべてディジタル化すればいいというような発想は安易で危険だと思う。しかし,効率化と利潤追求の論理の中では,このような個人の思いは,大勢に呑み込まれていくのだろう。ましてやそれがグローバル・スタンダードであれば,あきらめるしかない。

2月1日火曜日晴

     現代文学の最終講義の日だったのに,昨日作成した講義ノートを記録したFDを忘れた。半べそかきながら講義ノートを思い出し,記憶をメモに書き写していく。なんとか格好がついたので,一応安堵する。講義のためにファイルとメモをもって研究室を出かけた時,卒論関係の教務事項で学生がやってきた。荷物を机において指示を出し,急いで講義室に向かう。
     出席カードを配布し,「今日は最終講義だ,がんばるぞ」と,ファイルの下を探し,中を開けてみて,僕は真っ青になった。メモが,無かった。講義は,クソ度胸で乗り切ったが,良心が痛んだ。これも「冥府魔道」かもしれない。院生(M2)をからかい過ぎた罰があたった。
     朝刊の広告で見た,高村薫『半眼訥訥』(文芸春秋)を購入。『レディ・ジョーカー』をゼミ生に借りて読んで以来,この人の骨太の発言には一目置いているが,共感できる所が多い。柳美里の「告発調」より,はるかに受容しやすいなぁと思う。しかし講義では,「仮面の国」や「ゴールドラッシュ」(1998)に言及しながら,柳美里の「存在」(良い事を言おうとして,見事にはずしている場合が多いが)には注意しておくことが必要だというたばかりなのであった。