津島通信

AUGUST 2000
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◆CONTENTS◆


【きむたく日記】

(暇な時に更新しております。)

今月のスケジュール(ゼミ生向け)

SUN MON TUE WED THU FRI SAT
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年休

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年休

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出張

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年休

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夏期休暇

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夏期休暇

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感想をお聞かせ下さい。
kimutaku@cc.okayama-u.ac.jp

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 ¶ 西田谷洋氏『語り 寓意 イデオロギー』2000.3.15,翰林書房より刊行,4500円也!

 ¶ 真杉秀樹氏『反世界の夢 日本幻想文学論』1999.12.10,沖積舎,3500円

     T部は,夏目漱石「夢十夜」,泉鏡花・谷崎潤一郎・横光利一・梶井基次郎・中島敦・山川方夫の論考,U部は中井英夫論,V部は平野啓一郎「日蝕」評などがあります。

 ¶ 玉井敬之監修『漱石から漱石へ』2000.5,翰林書房より,刊行中。お値段,8,000円(税別)


「きむたく日記」

8月30日水曜日晴のち曇

     昨日新聞でも報道されたが,9月23日(土)にウィンドウズ98の後継OS「ウィンドウズ・ミレニアム・エディション」(通称Me)が販売されるそうだ。98ユーザは,アップグレード版を6400円で購入できる(年末まで)。僕も生協にMeの予約に行ってきた。「22日には入りますゼ」と言われる。
     図書館で論文の資料をコピーし,研究室で読む。他,ゼミ生のレポート添削……というより日本語添削。
     11月に開催される日本近代文学会関西支部大会で,「トリ」で発表することが正式に決まった。運営委員の西尾先生から留守電にメッセージあり(「トリ」というところで笑っている。ワシは北島三郎か!)。5人発表の最後だから,20〜25分くらいの発表時間しかないはずだ。それ以上喋っていると,チーンチーンと伴奏がつくことになるので,長い報告は物理的に不可能だ。報告のタイトルは,オ・タ・ノ・シ・ミ(?)。
     空が曇り始めた。岡山に何十日ぶりの降雨か!「雨あめ,降れ降れ,もっと降れ,ワタシのいいひと連れて来い〜♪」とくらぁ。(←バカ?)

8月28日月曜日晴

     暑い!一体秋はどうしてんねん!と,関西弁になってしまうほど暑い。このままだと氷片のような理性は,溶解してしまいそうである。
     生協ブックセンターで,石原千秋『教養としての大学受験国語』(ちくま新書),岡野薫子『太平洋戦争下の学校生活』(平凡社ライブラリー)を購入。前者はいわずとしれた漱石研究者の「受験」研究書(?)第2弾である。斜め読みしていると,さりげなく同業者(K井H雄氏)の著書を持ち上げたり,日大文理学部のSTAFFを持ち上げたり,結構国文学研究にも配慮した(?)内容になっている。偏差値でなくて,スタッフを見て大学に入れというお言葉もあったが,教員のレベルが分かるような情報は誰がどこで開示しているのだろうか。それが無い以上,大学のランクが,教員のランクを代替していると考える生徒・父兄がいてもしようがないのではないだろうか。僕はイナカの人間なので,そのように考えて受験し,大学の講義内容も「こんなものだ」と思っていた。

     今では,都市部/イナカの落差はそれほどでもなくなってきているだろうが,僕が受験生の頃,予備校はおろか塾も近辺にはなかった。都市部の生徒が受験に必要な情報を,それらの機関で獲得するのに対して,僕等イナカの高校生は受験情報の不足を補うのは,蛍雪時代とか通信添削に頼る他はなかったのである。思えば,このころに福武書店(現ベネッセ)は勃興したのであった。Z会もこの頃であった。
     もっとも,これらの受験情報で大学合格を狙うのは,あまり出来の良い生徒ではない証拠のようなものである。僕が一時期勤務した京都の進学校洛星中学・高等学校の生徒には,予備校に通う子もいたが,「そんなの行かなくても大学ぐらいいけますよ」と(平然と)いう生徒がいて,本当に一発で東大法学部に入ってしまったものであった。ま,このレベルの人たちの話をすると何もいえなくなるのは当然だが。
     今思えば,都市部とイナカでは,相当な情報格差があり,それがライフスタイルは勿論,人生そのものに大きな影響を与えていたといえるだろう。
     ところで,僕の受験生の頃というのは……,17年前!?。嗚呼,青春を倍生きてしまった。まあいい,3倍4倍生きている人もいるのだから(笑)。

     館内をうろついていたら,事務官につかまって,共通費で購入している図書を,僕が引き取るように言われ,強引に持っていかされてしまった。本を積載した台車で,国語研究室の書庫にガラガラと運び,書架にドタバタと並べる。僕は,教官兼雑用係なのであろうか?
     今年度後期から岡大教育学部は,学内LANが稼動する。全教官がアドレスをもち,連絡事項は書類ではなく,メールで配信されるシステムに移行するのである。この移行措置によってわが教室でも,教授の先生方が皆戦々恐々として,PCの導入される9月を迎えようとしている。しかし,戦々恐々はかれらよりも僕である。LANシステムのワーキンググループの先生から,「木村サン,サポート宜しくね」と直々に言われてしまった。「フン。PCの講習で習った事は,翌日忘れているワイ」と豪語するセンセイ方に,ワタシはどう対処すればよいのであろうか!

8月26日土曜日晴

     1週間ぶりに大学に出勤。
     紀伊國屋書店から『山川方夫全集』3(筑摩書房)と石崎等『夏目漱石テクストの深層』(小沢書店)が届いていた。論文の校正作業をして,速達で発送する。
     帚木蓬生『逃亡』下巻を読了する。作者の父親の体験談に基づく作品らしい。戦地憲兵として活躍した主人公が,敗戦を期に戦犯として追われる身になり,逃避行を続ける物語。国家のために身命を捧げた人間が,それゆえに戦勝国から戦犯として弾劾され,同胞からも追い立てられるという,悲惨極まりない内容だ。救いは,主人公を待つ妻や子供達の成長の過程も平行して描かれていることだ。米国や天皇に対する一連の叙述には,興味深いものがあった。臭いものに蓋をするだけでは,戦争は終わったことにはならない。

8月18日金曜日曇りのち晴

     学生・院生のレポートを全て読み終えたので,大学に出勤して,Web上から成績入力をする。こんなもので,本当に登録されているのだろうかと思い少々不安だ。もしホストに登録されていなければ,履修者たちの運命はどうなるのだろう。
     研究室で論文の校正。急いで書き上げたものだったので,引用をチェックしてみると,ミスが出てくるわ出てくるわ。校正の度に,自分の杜撰さに自己嫌悪に陥るのだが,果たして今回も同じ轍を踏んでしまった。

8月10日木曜日晴

     読書と論文書きに勤しむ。同人誌「敍説」の原稿を書くことになったのだが,難渋するかと思っていたら,案外に捗る。編集者の方,ご安心下さい(一応)。
     しかし,座ってばかりのせいか,今までにない「腰痛」というものを覚えるようになった。シクシクと痛むのである。この若さで(!),と言うのはおこがましいのであろうか。運動不足のような気もする。このザマでは,到底夏休み中の甥っ子達の相手はつとまらない。

     明日帰省するので,何を車に積んでいこうかと書棚を眺めていると,3年のゼミ生来訪。友人からお土産(もみじ饅頭)をたくさん貰ったので,おすそ分けに持って来てくれたのである。感激していると,一言。
     「さすがに一人で全部食べると,太りますんで」
     ……さすが,ワタシの教え子。

8月8日火曜日晴

     昨日取材で,京都に行った。夕方,雷雨があって閉口した。京都御苑では,カップルが松の木の下で雨宿りしていて,落雷に撃たれたそうだ。
     時間が余ったので,四条河原町の高島屋でやっていた「アンネ・フランク展」(8日まで)を見に行った。考えてみれば,アンネについては,有名な日記を読んだきりで,それ以外の情報を持っていない。
     アンネの祖父は,一代で財を成した銀行家ということで,アンネの父オットーは,随分裕福な幼・少・青年時代を送ったようだ。10歳でヴァイオリン(?)をひく写真や,ニューヨークで撮影した青年時代のポートレイトがあった。アンネもそのような豊かな階層文化の中で成長していたのである。
     展示物をみると,アンネというよりフランク一族・オットー中心のような気がした。オットー愛用のライカ,小さな花柄のティーセットや,旅行用の衣装ダンス,アンネたちが遊んだままごとセット等など。アンネのあの有名な日記のレプリカ(赤いチェック模様の布表紙?の冊子)や,A3位はあろうかと思われる大きな学習ノート(初公開)もあった。後者はエジプト文明の発祥についてナイル川の洪水と治水から述べられていた。太い筆記体からは,整った几帳面な性格が感じられた。アンネの手紙や葉書もあった。
     ノートを片手に展示物のメモをとり,見物客の間を縫うように走る小学生集団。,退屈して大声を出し,「静かにしろっ」とお兄ちゃんに怒鳴られる妹,会場の真中で,大声で世間話をしているお婆さんたち。あまり落ち着いて見られなかった。

     今年はじめに倒産した駸々堂のあとは,どうなったのだろうと見に行くと,なんと渋谷にあるようなブックファーストが進出していてビックリした。京都の街も久しぶりだったが,マクドや吉野屋はあるし寺町筋には有名コンビニまで出来ていて,すごく違和感を放っていた。どこにいっても同じような風景が広がっている。資本主義経済は画一性をもたらすようだ。
     で,BOOK1stの中をのぞいてみると,殆んど駸々堂の配列を利用していることが分かり,なんだぁと安心&呆れもする。しかし,異変に気が付いた。駸々堂時代にはあったはずの国文学関係のコーナーが綺麗に消失していたのである。店内を3周したが見つけられず,「文学界」を購入したあと,もう一度見てまわると,店内の一番「奥」,従業員の部屋の扉の左横に国文学関係のコーナーを「発見」することができた(ワーイ?)。スペースは書架1つ分である。実はジュンク堂でも,国文学のコーナーは,一番「奥」の「隅」に替えられていて寂しい思いをさせられていたのだった。
     もうこれ以上はいうまい。書店でのこの扱いにこそ,国文学研究をめぐる社会的な動向が伺えることなど,今更いうまでもあるまい。友人はこのレポートについて,「真夏の怪談だね」とウィットで答えてくれた。
     僕の近代文学関係の書籍の購入も,もう殆んどが注文である。書店に置いていない事の方が多い。翰林・若草すべて注文だ。東京都市部ではまだこの感覚は分からないかもしれないけれど。

     新幹線車中で読んだ「文学界」9月号では,坪内祐三氏が,殆んど文学作品を読まずに文学部にはいり,ゼミで詳細に藤村を読むような文学体験の例や,島田雅彦を知らない(読んでいないということではなくて。ま,知らんでも良いとは思うけど)文学部の学生の話を紹介したりしていて,「文学すること」の変質ぶりに心胆寒からしめてくれたのであった。

8月4日金曜日晴

     今集中講義を受講している3年ゼミ生は,セミ取り,バッタ取り,メダカとりをしているのだそうだ。なんとも楽しそうな集中講義である。映画観放題のような集中講義はないものか。でも,それだと冷房の聞いた館内で,皆楽しそうに,夢をみているのだろうなぁ。
     夢といえば,これは「悪夢」の部類だと思うのだが,今日の「毎日新聞」(NET版)が,ケネディ大統領(1963年ダラスにて暗殺)とマレーネ・ディートリヒ(注)の「関係」について報じている。1回きり30分程度の「関係」だったようだが,ケネディ45歳,ディートリヒ60歳だったというのだから,なんともはや。お子様達には読ませたくない記事ではある。

     生協ブックセンターで,村上龍『希望の国のエクソダス』文芸春秋を購入。他,磯田光一『戦後史の空間』(新潮文庫)・帚木蓬生『逃亡』(上)(下)。紀伊國屋書店からも注文書小俣和一郎『精神病院の起源近代編』(太田出版),吉田司『増補新版ひめゆり忠臣蔵』(太田出版)が届く。前者は,『メディア・表象・イデオロギー』の中で柴市郎氏も取り上げていたテーマで,最近個人的に関心が強まりつつある。後者は,削除の箇所が空欄で表現されている。古本で,もとのヤツを探すしかないか。
     こうして楽しいお盆を迎えられそうだが,その前にレポートの査読を片付けないと。まだ一つも読んでいない/読みたくないワタシであった。

(注)ドイツ生まれの女優。頽廃美で一斉を風靡。代表作に「歎きの天使」がある。ナチス時代に,ナチスを批判してアメリカへ渡る。92年死去。

8月2日水曜日晴

     年休。
     昨夜TBSの筑紫さんの深夜プログラムで柳美里の「命」のドキュメントをやっていた。つくづく柳美里というのは,スキャンダル時代にふさわしい「私小説家」であると思う。ただこのどうしようもない嫌悪感とは別に,彼女を見つづけることで「現代」というものも浮かび上がってくるように思う。少なくとも,彼女が在日韓国人の生活者として生きようとすることで,日本のオヤクショがどのような問題を「外国人」に押し付けているのかというのはよく分かるのだ。その時に彼女は徹底的に怒り,抗議することで,日本に対する「他者」としての相貌を露わにする。それは人間関係においても,家族関係においても同様である。良識的なもの・伝統的なものをカッコに括って,最悪自他ともにぶっ壊してしまうような脅威。我々の日常性や良識的なものによって構成されているアイデンティティの輪郭を抹消してしまう,実に不快な「違和」として,柳美里はそこに在る。

8月1日火曜日晴

     年休。