津島通信

OCTOBER 2000
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◆CONTENTS◆


【きむたく日記】

(暇な時に更新しております。)

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感想をお聞かせ下さい。
kimutaku@cc.okayama-u.ac.jp

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 ¶ 小田島本有氏『小説の中の語り手「私」』2000.10.20,近代文芸社,2,000円(税別)

 ¶ 玉井敬之監修『漱石から漱石へ』2000.5,翰林書房より,刊行中。お値段,8,000円(税別)

 ¶ 西田谷洋氏『語り 寓意 イデオロギー』2000.3.15,翰林書房より刊行,4500円也!

 ¶ 真杉秀樹氏『反世界の夢 日本幻想文学論』1999.12.10,沖積舎,3500円

     T部は,夏目漱石「夢十夜」,泉鏡花・谷崎潤一郎・横光利一・梶井基次郎・中島敦・山川方夫の論考,U部は中井英夫論,V部は平野啓一郎「日蝕」評などがあります。


「きむたく日記」

10月31日火曜日曇時々晴

     午前1:40頃,一人ベッドの上で「狂骨の夢」を読んでいたら,「ありゃ」と揺れを感じた。また鳥取西部の地震かと思っていたら,今INETのニュースで,三重県南部を震源とする地震だったことが分かった。今月は,地震の多い月だ。地震活動が活発化していることはもう間違いない。地震キライの僕にとっては,全く気分が悪いことである。
     かくして,今世紀最後の10月は,N川氏のスキャンダル辞任と地震で終わった。
     今日は,雑用による割り込みもなく,静穏に仕事に専念できた。誰も来ないということは,こんなに創造的なんだなぁと改めて実感させられる。もっとも伊土先生が,「室内の写真を撮ってあげましょう」(施設改修の資料作りのため)と,各研究室をまわられてはいたのだが(ありがとうございます)。
     帰宅前にメールチェック。友人から,吉屋信子論を書いたよ―んとのこと。実に,勤勉だ。

10月27日金曜日曇のち晴

     2限と4限を90分しゃべりまくって疲れた。安眠妨害も良いところである(笑)。2限で今話題になっている講義中のメール交信を見つけて,厳重注意。机の上で堂々と操作するというのはどういう神経をしているのだろう。こういうことをするのは,ボクの怖さを知らない2年生なのである(初めて見た顔だった)。怒気を発したので,教室の空気が冷えてしまった。
     生協で『岩波ことわざ辞典』をようやくGET。「悪女のふかなさけ」の悪女というのは,ブ○のことを言うらしい。僕は,性格の方かと思っていた(経験からではないので,念のため)。面白い。子育ての最中の友人達には,この言葉を紹介しよう。
    「子を持てば七十五(しちじゅうご)度泣く」。「七十五」には,多いの意味しかないが,なぜ「七十五」かは分からないとのこと。三田佳子さんも,泣いているだろう。  →三田佳子さんは,2男に小遣いを50万/月与えていたそうだ。「そりゃ,小遣いじゃねぇよ。」と思ったお父さんも多いだろう。三田さんちの子供に生まれたかった。(10.31)

10月26日木曜日晴

     昨日の「笑っていいとも」に漱石の子孫という事で,次女(恒子)の系統の家族が出演したようだ。中には,金髪のギャル(死語)も混ざっていたようだ。とりあえず「増刊号」(日曜)のエア・チェックをしなければと思う。
     明日の講義ノートを作成したり,同人誌の論文の仕上げ作業をする。インターネットに文献リストを作成するソフトがあったので,ダウンロードして試用してみる。

10月25日水曜日曇

     12:40からゼミ。内田百閧フ「道連」を取り上げる。恐怖の内容を便宜的に3種類に分けて読解する。初読の感想を聞いた時に,サッパリ分からんといっていた4年生たちも,一応得心はしてくれたようである。
     国語研究会が間近にせまってきた。発表題目を模造紙に書く作業を,書道ゼミのTさんにお願いしたが,ようやくそれが仕上がりだしてきた。「今日の午前2時まで,頑張って書いてたんですよ!」という彼女のご尽力には,地下4q位頭が下がる。
     「そんなに無理しなくてもいいんですよ」と言いながら,同時刻の午前2時まで学生(T大法学部4年Hクン)と長電話(これまた雑談)してたなどとは,口が裂けても言えないワタシであった。

10月23日月曜日雨

     雨のせいか,低血圧でシンドイ。癖毛の髪の毛も,まとまらぬ。午前中大学院の講義をこなす。
     午後,雑務の書類を作成。しまいにはいやになって,借りたままで結局読めなかった図書を図書館に返却しにいく。ついでに,論文をコピーし,ドゥルーズの『差異と反復』も借りてくる。帰途,生協のブックセンターに,岩波のことわざ辞典は入荷してるかいなと見に行くが,ナシ。代わりに,渡邊澄子編『女性文学を学ぶ人のために』世界思想社,野口悠紀雄『IT時代の社会のスピード』ダイヤモンド社などを購入。
     『女性文学〜』は,取り上げる作家が,教科書的ではないのか。メジャーという意味では,吉屋信子の項目があっても良いと思う。所謂「文学史」から排除されるところにこそ,制度的発想の境界が確認できると思うのだ。ところでこの本の執筆者の一人が,「だよーん」と原稿を書いているのを僕は見かけたことがある。「さすが奇蹟的な仕上がりでございますわね」。
     さて,講義準備に追われる日々も,ようやく一段落した。ようやくユックリ眠れる。ワーイ。

10月22日日曜日曇

     今日は近代文学会の2日目である。岡大仲間のK山R太郎氏の発表もあったはずなのだが,雑用に追われて講義ノートを作らねばならず,今回は学会を欠席せざるを得なかった。申し訳ない。大会の様子は,また人づてに聞けるだろう。ノートもなんとか,19:00過ぎには出来上がった。
     そういえば,今日って日曜日(安息日)じゃないの?クリスチャンじゃないから,死ぬまで休みなどないのサ。以下,ローカルな話題。

     午前中,郷里から畑の木でとれた治郎柿が送られてきた。大きいがあまり甘くなかったので,苦情の電話をいれてやる。父の話では,最近郷里に熊(ヒグマ)が出没するらしく,畑の木にも爪あとが残っていたらしい。甥っ子たちの住む隣の地区では,日中徘徊する熊に人間が出くわし,大騒動になった。甥っ子たちはランドセルに鈴をつけて,熊よけにしているのだそうだ。父は,妹から熊への対処法を教わったらしく,「死んだ真似は効かんって,知ってたか?」と言いながら,自慢げに対処法を僕に講義するのであった(視線を合わせながら,ゆっくりと後退すべし)。そろそろ冬眠なのだなぁと思ったが,熊も食料難で大変なことである。

10月21日土曜日晴

     所属している就職・学生委員会の主催行事のボーリング大会に出席。学生・教職員の交流行事も,そろそろ見直しの時期ではないかと思う。書類作成や会議に時間を割かれ,教育・研究に十分時間が取れない不満が,昨夜の歓迎会でも教授連から噴出していたが,これなども学生諸君には申し訳ないが,取りやめたい行事だ。これがないだけでも,睡眠時間を削っている僕などはありがたいのだから。おかげで,日本近代文学会の秋季大会にもいけない。
     講義ノートも満足に作れない環境というのは,異常ではないのか。しかもこの異常に誰も気づき,強い不満を抱きながら,それが止められないという「異常さ」の中に教育学部はあるようだ。
     岡山ロイヤルホテルで,委員4名は委員長に昼食をご馳走になる。ありがとうございました。
     解散してから,大学に出勤し,昨日の雑務の残りを済ませる。講義ノート作りと論文作成。

10月20日金曜日雨

     講義と会議・校務に追われた一日。18:00からは,新任の先生の歓迎会があり,雑務を途中で切り上げて参加する。5分遅刻。歓迎会が終わってから,研究室にもどろうと思ったが,もはや気力が尽きてそのまま21:00過ぎに帰宅。

10月13日金曜日晴

     昨日帰宅したら,「解釈と鑑賞」(三島由紀夫特集号)が献本されていた。……苦し紛れの小論が載っており絶句。
     東京書籍から『新宮澤賢治語彙辞典』の増補冊子(無料)が送られてきた。案内をみた夜にFAXで発注したのだが,想像以上に早く届いた。ただし,3箇所誤植があり,修正箇所を切り貼りする。

10月12日木曜日晴

     朝刊(「朝日新聞」)の片隅に「岡大」云々の記事が見えた(インターネットのニュースでは,女子学生にポーズを取らせて写真まで撮っていたという。分からん趣味だ)。東京工業大学は,白川先生のノーベル化学賞受賞で,今鼻高々なのに……。白川先生曰く,「失敗の原因をよく考えることです。私の場合は,それがノーベル賞につながりました。」僕が学生に同じことをいっても,全然説得力はないが,白川先生がいうと違いますなぁ。さて,岡大は……。学長のヒスが恐ろしい。
     昨日今日と大変暑い。残暑がぶり返した印象。午前中,養護実習の訪問指導に行くために,4月以来久しぶりにスーツを着なければならず閉口する。教務の係なので,養護の学生の教育実習にまで動員させられるわけである。しかし,小学校・中学校も訪ねてみると面白いもので,同じように運営されているようでいて微妙に雰囲気が違うのがおもしろい。今日は,平井小学校に行った。いつも行く古本屋の近所であった。
     あと1日で実習を終える学生たちは,疲れた様子もなく元気そうであった。教頭先生から聴取したかぎりでも苦情はなく,6日の地震の際にも,遠足で出払っていた教員の代わりを立派に務めたということで,こちらも嬉しくなった。教頭先生の余談だと,鳥取西部地震の際市役所の職員も避難行動をとっていなかったようである。今回の地震では奇跡的に死者は出なかったが,一歩間違えば,市役所の機能や岡大の機能は失われていたことになる。大学の教官スタッフは取替えがきくが,行政事務菅はどうなのかなと思う。大学に戻り報告書を作成する。
     ゼミ生から,「カレシに栗ご飯を作ったので」と,おすそ分けを頂戴する。レンジで暖めながら,涙が出た(この「涙」を,解釈せよ!)。

     

10月11日水曜日晴

     暑い。9:30から教室会議。大学院の合格候補者を決定し,11:00からの会議に原案として提出。他教務・教室関係の懸案の審議。11:00から大学院の合格判定会議。
     午後,14日の卒論中間発表会の草稿について,ゼミ生の指導。

10月10日火曜日

     講義準備。テキストのプリントを作成する。何をしゃべろうかと頭をひねる。

10月6日金曜日曇

     論文を見直していたところ,13:30過ぎ頃に地震あり。最初は「あれ?」と思った程度だったが,次第に横に激しく揺れておさまらなかったので,慌てて机の下にもぐりこむ。阪神・淡路大震災の記憶が蘇る。揺れが収まってから,机の下から出て,建物の外に避難する。PTSDが出て,頭痛がして気分が悪かった。偶々外にいた女子学生が,顔を引きつらせて立ちすくんでいる。「建物がミシミシ音をたてていました」と語る。普段の僕なら,「そりゃ壮観だね」位は言うのだが,洒落をいう元気もなかった。あとから,先生方が3名出てこられた。余震を警戒しての行動だが,それ以外の人間は館内に留まったままである。岡山では滅多に地震がないために,対処行動が身についていないのだ。
     10分ほど様子を見てから館内に入り,懇話室のTVでニュースを見る。鳥取県西部が震源で,M7.1,東部の境港で震度6強を記録していた。岡山市は,震度5弱で,僕が京都で阪神・淡路を体験したのとほぼ同じ震度である。鳥取の混乱している様子や,新幹線が運転を見合わせている報道が続いた。TVを見ている最中,微弱な余震を感じた。
     同じ教室の森先生がTVを見に来て「怖かったー」と言われる。
     「どこにいたんですか」
     「研究室だけど」
     「逃げなくちゃ駄目ですよ!」
     「えー,そうなん?」
     皆,被害がなかったので大した地震ではないように思っていることに強い違和感を覚える。被害が出てから対処行動を学んでも,遅すぎるということが理解できていないのだ。関東の人たちのように地震に慣れてしまうのも問題だが,岡山県人はそれ以前の問題で,地震の場合の対処行動を再教育する必要がある。精神的にも無防備な処に災害があれば,その被害は甚大なものになるのは理の当然なのに。
     僕の横で,同じ教室の田中先生(家を建てたばかり)が呟いた。「地震保険に入ろう」
     地震がないので,岡山が好きだったのに……。とりあえず非常食・水を買いにいこう。あとは,懐中電灯と何?(人のことはいえないか)

     いや,まてよ。地震でパソコンの上に本が大量に落ちてきて,HDが壊れたから論文のデータがなくなったと言う事はできないか。締め切りが延ばせないものかなぁ。姑息?

     震度は,阪神・淡路大震災以上のものがあったようですが,被害も軽微の部類で,なによりでした。家屋倒壊の報もあるようで,その方たちにはお気の毒なのですが……。
     お見舞いメールをいただいた方たちにはお礼を申し上げます。ありがとうございました。ショックはありましたが,今は回復しました。(18:13)

10月5日木曜日晴

     花巻に旅行に行っていたゼミ生が帰ってきた。賢治記念館で「銀河鉄道の夜」の原稿の複製が載ったパンフを買ってきたというので,てっきり僕への土産かと喜んだ。が……
    「センセイにはこれを」
     と,彼女がさし出したのは,カールの牛タン味(みちのく限定版パック)と関東でしか入手できないというムースポッキーだった。
     で,牛タン味のカールをつまみながら,これを書いている。なぜ牛タンが,みちのくの味なのか分からない。

     昨日,帰宅してポストをあけると,締切のある「白いワニ」が居た。今年で2回目の来訪である。両足をワニにかまれていて,さらに頭に噛み付かれたカンジ。でも,今日はもう開き直ったのサ。書いてやる!

10月2日月曜日晴

     今日は学生がウヨウヨいるなぁと思っていたら,後期の一般科目の授業が始まっていたのだった。廊下を歩いていたら,稲田利徳先生に呼び止められる。新しい国語学の先生伊土先生を紹介される。国語教室は,4月に書道の今井先生,10月に伊土先生をお迎えして,ようやく以前の人数になるのだが,3月に国語教育の先生が退官されるので人事が大変慌しい。
     生協で,windows Meを購入する。「1万円です」といわれて,一瞬呆然。「期間限定版」を注文すると6,400円だが,それ以外は10,000円になるのを知らなかった。あわてて,「期間限定版」を出して来てもらう。研究室のPCにインストール。プロダクトIDの入力が,5つもあって閉口する。時間は40分ほどかかる。生協で購入した「文学界」10月号の柄谷・アンダーソンの講演記録を斜め読み。ふと開いた石原・町田対談は,町田のヘコヘコぶりと都知事さんの妄想狂ぶりが,とってもおかしくて笑える。とにかく,天狗堂主人お勧めの号である。さてMeを使った感想としては,「Meは別段買う必要はなかった」の一語につきる。ビデオ編集とかする人には有用性もあるだろうが,一人身のワタシに,一体ビデオで何を撮れというのか!(脱線)

     ゼミ生(3年)がやってきて,「明日から花巻に行くんですよ」と自慢。「お土産買ってきてぇー」とおねだりして,気味悪がられる。セクハラではないゾ(多分)。
     紀伊國屋書店から,注文書が届く。『夏目漱石事典』(勉誠出版)は渋々購入。今更の感強し,しかも6,000円(怒)。黒崎政男や鷲田清一の本も届くが,一番の楽しみは斎藤惇夫の『ガンバとカワウソの冒険』(岩波少年文庫)である。いつだったかの『図書』の巻頭にエッセイがあって,少年の頃に読んだガンバシリーズの『冒険者たち』の感動したところを大人になってから再読し,同じ箇所で涙したというのがあったが,実は僕も帰省中にところどころを読み返して同じ体験をしていたのである。さぁ,今夜はガンバに会いに行こう!

10月1日日曜日晴

     日曜日であるが大学に出勤。FAXをくれた古書店に途中立ち寄って,『梶井基次郎全集』の別巻を購入する。梶井全集は,これにて配本完了。来月からは,三島由紀夫全集の刊行が始まる。これが今のところの楽しみである。他の本を見ていると,坂東眞砂子の『死国』『狗神』『桃色浄土』『山はは』などの初版が並んでいて,思わず買ってしまう。他に「新潮」(1995.11)に村上春樹「メイキング・オブ・『ねじまき鳥クロニクル』」なる一文があるのを見つけ,院生のためにと購入。300円也。
     大学に着くと,合宿から帰ってきたばかりの幼児教育の学生たちが館内に入れず困惑していた。僕が車から降りると,その中の一人が歩みより,電子ロックを開錠して欲しいと声をかけてきた。彼女たちに「面が割れ」ていたのに,ヒヤリとする。
     研究室で論文の仕上げ作業をしようとしていると,ゼミ生Hが来室。明日から1ヶ月間におよぶ教育実習なので,夏休みの課題のレポートを提出すべく,日曜日にもかかわらずわざわざ持参してきたのである。Hは夏休み中の出来事など,1時間ほど雑談して機嫌よく帰っていった。明日からの実習について不安を漏らしていたが,元気に勤め上げて貰いたいものだ。