津島通信

NOVEMBER 2000
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◆CONTENTS◆


【きむたく日記】

(暇な時に更新しております。)

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kimutaku@cc.okayama-u.ac.jp

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 ¶ 小田島本有氏『小説の中の語り手「私」』2000.10.20,近代文芸社,2,000円(税別)

 ¶ 玉井敬之監修『漱石から漱石へ』2000.5,翰林書房より,刊行中。お値段,8,000円(税別)

 ¶ 西田谷洋氏『語り 寓意 イデオロギー』2000.3.15,翰林書房より刊行,4500円也!

 ¶ 真杉秀樹氏『反世界の夢 日本幻想文学論』1999.12.10,沖積舎,3500円

     T部は,夏目漱石「夢十夜」,泉鏡花・谷崎潤一郎・横光利一・梶井基次郎・中島敦・山川方夫の論考,U部は中井英夫論,V部は平野啓一郎「日蝕」評などがあります。


「きむたく日記」

11月30日木曜日

     やっと22匹の白ワニ退治に成功。20匹のはずが,2匹オーバーしてしまった。でも締切には間に合った。この解放感といったら……。神様,生きてて良かった。「自分を誉めてあげたい」という有森さんの言葉を呟いてみる。
     とか言っていたら,「先生〜っ」と卒論指導のアポをとっていたゼミ生がやってきた(泣)。

     19:29,明日の講義準備のために,居残。原稿の締切をクリアしたことで有頂天になっていたら,明日講義があるのを忘れていた。コンビニでお弁当や夜食,いちご大福まで買ってきて,長期戦を覚悟する。これで明日寝ているヤツがいたら……,クソー訴えてやる!((C)ダチョウ倶楽部)。


11月29日水曜日曇のち晴

     今朝の朝刊(朝日)に,HIVに感染した男性の精子からウイルスを除去して,体外受精させ,母胎に着床させる施術が,12月に新潟大で実施される模様だということが報じられていた。海外では,2000例あるそうだ。妊娠する場合,相手男性がHIVウイルスに感染していると奥さんや子どもが2次感染する危険性があったが,完璧ではないにしても可なりの確度で,安全に妊娠できるようになったわけである。HIV・エイズは種や社会の再生産に影響を与える病であるが,その脅威という「意味」が,ひとつ解消されるという朗報である。

     午前中,ゼミ生の卒論指導。午後,4年生ゼミ。太宰の「たづねびと」の発表。
     終了後,原稿の締切1日前なので,研究室で仕上げの作業をしながら,「小枝」を食べていると(注),卒論の相談でゼミ生がやってきた。一応「食べる?」といってお愛想で「小枝」を差し出すと,「チョコレートをたべるとにきびが出るんです」と彼女は遠慮した。
     論文の内容の相談を聞いている最中,頑張って説明している彼女が話しながら手をふと「小枝」に延ばした。と,見るや瞬く間に次々手が伸びて「小枝」が消化されていくではないか。彼女が「満足して」帰っていった時,「僕の小枝」は4本しか残っていなかったのであった(多少誇張がありますが,多少です)。

    (注)僕は,脳の疲労回復には糖分の補給がいいと聞いたので,頭を使う論文作成時には,甘いものを食べる習慣がある(それと,良い論文は別問題)。で,いろいろお菓子を買ってくるのだが,ゼミ生の中には,それを知っていて,(1)差し入れを持ってきてくれる優しい人,(2)差し入れを狙って来襲するヤツがいる。
     ちなみに食べきれないものは,他の学生にもお裾分けする。それを学生たちは,「餌付け」と呼んでいるらしい(ゼミ生から聞いた)。


11月27日月曜日曇のち晴

     午前中大学院の講義。「他人の夏」についての討議を行う。午後,3年のゼミ生の卒論指導というかお説教。
     フロリダの集計が発表されて,ブッシュ氏が勝利したようだ。
     ある友人曰く,「負けた方に日本の首相をやって欲しい」。
     自民党や野党から出すよりはまだマシかもしれないと思い,肯ける感想であった。イチローに松井を出すという条件で,なんとかならんだろうか。
     執筆中の論文に引用した学術文庫を紛失したので,表町の丸善まで探しに行く(泣)。ついでにくるみパンとごまパンを買ってくる。


11月25日土曜日曇時々雨

     さて原稿の締切が5日後に近づいてきた。ので,研究室で一心不乱,支離滅裂(?)に原稿書きをする。キムタクは2歳上の工藤静香につかまったらしいが,きむたくは20匹の白いワニ(書けずに白いままの用紙)につかまっているのであった。
     来客が来ない土曜日の研究室での静かな時間は貴重である,と思っていたら今は学祭なので,妙な音楽や歌声や花火の上がる音までするのであった。
     静かにしろっ!キーッ。


11月24日金曜日

     10:00から大学院の修士論文中間発表会。この時期に,内容を潰された院生もいてお気の毒であったが,獅子は我が仔を(鍛えるために)千尋の谷に突き落とすともいうから,恨まないことである。
     帰途,紀伊國屋書店にいって,本を購入。上野千鶴子『上野千鶴子が文学を社会学する』(朝日新聞社)のほか,11冊買った。「漱石の疼痛,カントの激痛」(講談社現代新書)は,病気をテーマとしていることから購入。漱石の疼痛とは,痔のことだが,カントは痛風だったらしい。生涯独身だったカントに親近感のようなものを持っていたが,痛風は御免である。
     TVで「小さな留学生」の再放送をしていた。日本を離れた時,5年生だった張素は,現在13歳で北京の月檀中学(日本語が外国語として唯一設置されている)の2年生だそうだ。165センチの長身で,モデルにでもなれると思ったが,中日友好のための外交官になるのだという。わずか2年間で身につけたあの流暢な日本語は,まだ崩れてはいなかった。教育TVで,シンガポールの人が,これからの子どもは,世界の為に働く人間を意識しながら教育を受けることになるということを言っていたが,張素などは,まさにそのような志の高い子どもといえよう。
     さて,日本にそのような子どもは,いるのか,いないのか。いないのなら,僕らの世代が育てていかなければならない。


11月23日木曜日

     出張から帰って,メール・郵便物を処理する。
     出張中,例の「フライパンの猫」(橋本龍太郎)氏の内閣不信任案賛成騒動があったが,結局「猫」氏の腰砕け=「名誉ある撤退?」で,内閣が信任される結果に終わってしまった。あの涙を流す「猫」氏の姿に,感動した人もいるようだが,なんとか政局が動くと思っていた僕を含めた国民の方が,むしろ泣きたいくらいだったに違いない。亡くなった東野英心さんの名セリフ「父ちゃん,情けなくって涙がでらぁ」(「暴れはっちゃく」)を思い出す。
     今朝の朝日の解説員の記事は,自民党の堕落振りを身をもって教えてくれたのが「猫」氏であるという皮肉な意見を紹介していたが,同感である。出処進退を誤った「猫」氏は,総裁・総理の座どころか,政治家としての信頼をあの放言首相以上に失ってしまったといえよう。世紀末の風景と言えばそれまでであるが,自民党政治はもう形容のしようがない状態に陥っているのではないか。そしてそれをどうする事も出来ず,隔靴掻痒の感で愚痴っているだけの僕を含めた国民のどうしようもなさも,真実困ったものである。
     キムタクがパパになろうが,入籍しようが,知ったことか!このままで新世紀を迎えようというのか!


11月16日木曜日

     出勤途中車の中から,警察官や日の丸の小旗をもった一般市民が沿道に出ているのを見る。ジャンバーにリュックを背負ったジーンズ姿の私服警官もいる。制服・一般・私服・制服という順である。天皇・皇后が,岡山に来ているということだったが,このことらしいと理解する。30M置きくらいの警官の配置は,随分とものものしく寒々しい。

     Netscape6が公開されたので,インストールしてみるが,ここのHPが正しく表示されなかった。デザインは随分格好いいのだが,惜しい。
     さて,今日は午後から,附属小学校の共同立案授業を見に行く。同行するほかの2名の先生と国語(小学2年)の授業を見るわけだが,小学校免許をとるだけで,国語教室ではない学生が運営する国語の授業は,一体どんなものになるのか。こわいもの見たさと興味と義務での参会なのであった。

     附小の共同立案授業は,昨年に引き続き「かさこじぞう」であった。共同立案授業というのは,小学校での実習が多教科に渡るために,クラスに配当された教生が知恵を出し合って教案を立て,1名が実施するという研究授業である。当日の授業者たちは,この授業で,子供たちにどういう力を身につけさせるのか,作品のテーマは何かという2点について,教材研究が出来ていなかったと思う。国語を教えるのは初めてだということだったが,そのハンデを割り引いていも,深刻な授業内容といわざるを得ない。子どもたちこそ,いい迷惑である。小学校の先生の授業というものが,この延長に過ぎないということはないだろうが,吹雪の中の地蔵さまの心境がわかるような時間であった。学部の授業を受けていてこの惨状が,導き出されているのであろうか。「こどもたち」のために,彼等をどうすればいいのだろうと思う。
     帰途,行啓渋滞に巻き込まれて閉口。


11月15日水曜日

     恐怖の耐久教官会議の日。おまけに教室会議の開催も予告された。
     14:00からはじまり,17:00に10分間トイレ休憩をとり,終わったのは19:10。それから教室会議にうつり,20:20に終わる。帰宅したのは,21:00前であった。
     NHKニュースを見ながら軽食(レンジ食品)を摂って入浴。講義ノートを見直してメールチェックをして返事を書いてから寝る。嗚呼,空しい。


11月13日月曜日

     大学院の演習。山川方夫「他人の夏」で盛り上がる。独我論というキーワードを使った報告なのだが,他者の捉え方でいろいろ意見が分かれて面白かった。僕は,フッサールあたりの独我論を考えていたが,報告者は柄谷行人を持って来ていた。慎一が自分の父親の考え方(独我論)に違和感を覚え始めている存在なのではないか,と意見を述べておく。
     昼休み中,生協に書籍を購入しに行き,東儀秀樹のCDと文庫本6冊を購入。13:00からゼミ生の卒論指導。14:00から校務の打ち合わせ。


11月11日土曜日

     第14回国語研究会の研究発表会の日。僕は昨年来の事務局担当で,学部生と大学院生の協力を得て,運営にあたることとなった。午後に今年度で退官される先生がレジュメを必要人数分もってこなかったために,会の進行を止めて休憩にし,コピーに走ることになった。それ以外はトラブルもなく,人数も昨年よりもさらに増えた印象だ。
     昨年卒業した,M山さんが来ていて,ゼミの院生と僕が「似ている」と云ったのにはビックリした。これは困ったものだ。深い意味はないにしても,知らず知らず影響関係にあることを指摘されたように思う。彼を,僕のコピーにしてはいけないと思う。彼もそれは感じたはずだ。「これはヤバイ」と。
     懇親会のあと,デカプリンの店で,1個500円のプリンを購入。事務局の仕事を終えた解放感から,機嫌よく大学構内の駐車場に向かって歩いていたら,前からI田先生が自転車で走って来られた。ご自宅の方向ではない。
     「先生,どうなさったんですか!」と呼びかける僕に,
     「か,鞄を店に忘れた!」


11月10日金曜日

     オムニバスの講義が入って,2限から4限までが連続になってしまった。喋りつづけて,疲労困憊。4限の特講が終わる頃には,ヘロヘロになっていた。
     年をとってからは勤まらん商売だと思う。


11月9日木曜日

     そろそろ卒業写真の撮影のシーズンである。
    4年生の世話役M尾君が,15日の13:00から撮影しますと連絡しにきてくれた。そして,にこやかにだが,キッパリとこういった。
    「先生,正装でお願いします」
    「わかりました」と,セーターとジーンズ姿の僕は答えたものだ。


 11月7日火曜日晴

     生協のブックセンターで,川崎洋編『こどもの詩』(文春新書)を買う。こんな詩があった。

    がれき
                      村田佳奈恵(神奈川・小二)

     こう戸の大しんさいのニュースで
     がれきという言ばを知った
     がれきは「あっても何のやくにもたたないもののたとえ」とじ書に
     のっていた
     でも こう戸のはがれきじゃない
     ぜったいちがう
     こう戸の町にあるのは
     こわれてしまった
     たからものなんだ

     一部大人の手が加わっているような感じを受けたが,子供もいうもんだと思う。


11月6日月曜日晴

     4日(土)に甲南女子大学で開催された日本近代文学会関西支部大会で,口頭発表をしてきた。司会は宮川康氏にしていただいた。僕を含めて5人全員,25分で話をまとめきれず,あとで閉会の挨拶で浅田支部長から「内容を捨てることも覚えましょう」といわれ,まったく汗顔の至りであった。
     しかし,一番最後というのは,会場に入ってから最後まで緊張感を持続させねばならないので,一番気疲れするということも分かった。待ちくたびれたのと緊張で,ヘロヘロだった。声がかすれていたので,自分でもビックリした。
     会場では3人の質疑を受け,閉会後は木股先生から,「作品それ自体に関する評価はどうなの?」と聞かれたところから,甲南山手駅で東口君(立命館大学大学院)に別れるまで,のべ17人からご意見・感想・批判(←ありがとうございました)・苦情(「内容を端折るな」←申しわけありません。でも,内容は全て文章化していたので,レジュメを読んでもらえれば分かるんですけど)を受けた。中には絡んでるだけ?というのもあったけれど。サッカーボールの気持ちが分かったような気がする。
     「日本近代文学」63集で,「〈癩〉=「遺伝」説の誕生」を書かれていた奈良崎英穂を僕は女性だと思い込んでいたら,信時さんに「男性だ」といわれてビックリする。あとで懇親会のときにお話をしたが,「よく間違われます」と笑っておっしゃっていた。そもそも奈良崎氏のハンセン氏病関連の論文で,病気と文学への関心を拓かれたのだから,僕の論文は奈良崎氏にインスパイアされたといっても良いくらいなのである。ちょっと感動した。
     懇親会場にはいなかったけれども,M脇君の姿を久々に見ることもでき,楽しめた関西支部大会であった。レジュメを「持って帰って」(須田さん)といわれたのには,荷物になるので実に閉口したけれども。

     今日は,午前中大学院の講義。午後,雑用と講義ノート作り。「敍説」の原稿を,松本常彦氏宛発送する。白いワニは,あと1匹だ。


11月3日金曜日晴

     1日の北山氏について,もう少し書いておきたい。
     HIV・エイズに対して,差別するのではなく,病気をもっているだけの人間であると理解し,共生することが大事だということが,しばしば言われ,僕も論文に書いてきた。そのことが逆にHIV・エイズに対する風当たりの強さを物語っていることはいうまでも無い。最近でも,警視庁就職を希望し公務員試験を受けた受験生が,HIVに感染している事を知らされ(それまで知らなかった)から,「免疫が落ちている事や激務を理由」に採用辞退の書類にサインをさせられたことから,東京都を訴える裁判を起こした事例がある。北山氏は「個人的に差別を感じない」そうだが,まず感染者・患者に差別はあるのだということをわれわれはしっかり弁えておくべきだろう。その上で「闘う闘わない,は個人の自由」だということなら,僕も理解できる。ただ,それで果たして良いのかという問題は残るだろう。
     また北山氏は,「タンザニアの恋人にHIV感染を告げたことを後悔している」ということを2回繰り返された。僕は,この発言に違和感を抱いた。彼が知らなければ,第2,第3の北山氏が作られるし,最悪の場合子供にまで感染する。悲劇は拡大するわけである。北山氏は,アフリカではHIVの医療代が高額であることから,むしろ知らないほうが苦痛を覚えることもなく人間的な生活を送ることが出来たのではないかと考えているのかもしれないし,ただ単に愛情から,苦しめる結果になったことだけを,後悔しているのかもしれない。しかし,「告げる」ことは,正しい選択であった。愛する人を感染させて,それで何も知らず生きていくというのは,果たして「人間」的であろうか?講演という場において,「後悔」を連発された北山氏に,こうして僕は「異論」を持つ事になった。
     「共感」という言葉に,僕はHIV・エイズを担う人への積極的な励ましとか好意のような意味をこめていたらしい。しかし,今は違う。HIV・エイズを担う人にもいろいろある。闘う人もいれば,闘わない人もいるのである。これは人間である以上,当たり前のことなのだが,僕は何時の間にか血友病で感染させられた人のように,全てのHIV感染者・エイズ患者は,生存権を侵害された「闘う存在」なのだと思い込んでいたようだ。それが特別視であることは言うまでもない。今回の経験を踏まえて,HIV・エイズに共感するということは,どういうことなのかをもう一度考え直してみたいと思う。


11月2日木曜日雨のち曇

     今朝の岡山は雨音で目を覚ますくらいの大雨だった。警報も出た。でも午後には雨が上がり,蒸し暑くなった。
     雑用とゼミ生の指導。限定チョコの差し入れをいただく。
     土曜日の発表用にレジュメを印刷して,綴じる作業をする。中腰でやっていたら腰が痛くなった。トホホである。「手伝ってあげます」とゼミ生が協力してくれた。今更だが,この資料作り&運搬さえなければ,報告は苦にならないのだが……。県外なので,車で行くわけにもいかず,当日雨でもふれば気分は最悪である。1週間前に原稿を送れば,会場校が印刷してくれるというサーヴィスはないのだろうかと思う。
     翰林書房に本代を郵便振替で入金。ついでに年賀状も購入した。お姉さんが,ティッシュとお年玉を入れる袋をくれた。そうか,「この季節」でもあるのだなぁと,甥っ子たちの顔が想起されるのであった。

    ※11月7日のヤフーのニューズによると,PC用年賀はがきは80%が売約済みだそうで,初日に26%もさばいたという。早めに購入して良かった。


11月1日水曜日雨

     終日雨。今日は,『神様のくれたHIV』の著者北山翔子(ペンネーム)氏が,岡大で講演されるので,折角の機会なので聞きに行って来た。講演自体は,著書の内容を紹介するような内容だった。講演が終わったあと,学生たちの反応を見たかったので居残りを決めたが,授業の単位として講演を課していたのか,残ったのは僕をいれても10名ちょいくらいの人数であった。
     15:25位から,居残った人間を中心に質疑があり,そこで「裏話」として紹介された厚生省の姿勢が興味深かった。昨年「後天性免疫不全症候群に関する特定感染症予防指針」を策定する会議に委員として北山氏は出席されていたそうだが,予防施策の対象としてリストアップされたのは,青少年,男性同性愛者や外国人,セックスワーカーとその利用者であったそうだ。僕はこれを聞いてビックリした。これを現在厚生省は,HIV・エイズのリスクグループと考えているのかと。1987年当時に松本・神戸・高知で起ったエイズパニックで,事実上感染が一般家庭の水際まで来ている事が確認され,上記のグループについてはほとんど無意味なものになっているのである。つまり,自分を含めて恋人や伴侶がHIVに感染している確率はグーンと高まっているのである。北山氏も,そのグループについて決して意味のないグループではないが,性行動の盛んな20〜40歳代の男女も予防施策の対象とすべきだと指摘したのだそうだ。しかし結局,一番肝心のグループを対象から外してしまったのだという。厚生省の担当者もくるくる変るのだろうが,1987年当時の認識で動いているというのは困ったものだ。
     また1998年にHIV感染症は免疫機能障害として,障害者手帳がもらえるようになった。月額20万/個人が,保険利用なら2万から6万,障害者手帳で全額公的負担になるのだそうだ。しかし,人口の多いところのHIV感染者は良いが,人口の少ない町村の感染者は,役場でのプライバシーの露見を恐れて(手帳には「HIV感染症」と明記するのだそうだ),手帳の申請ができないのだそうだ。せめて,県庁などで交付手続きをするように指導しろと,北山氏はいったそうだが,これも地方行政の判断に任せているので,こちらは行政の大枠しか示す事ができないのだという木で鼻を括るような回答振りだったようだ。ほかにも保健所での抗体検査の時間帯の問題があり,月から金の9:00〜17:00まででは,20〜40歳代の働き盛りは到底受診できないので,実効性が低いと指摘しても,「そうですね」といなされて改善することにはならなかったそうである。
     HIV・エイズ感染者へのケアーは「エイズ予防法」がなくなったことで,改善しているような印象もあるが,実情はこの程度なのである。
     近代文学研究では,メディア研究ばやりであるが,僕は人間の病気と表象というのは面白いのではないかと,個人的に勉強を進めていて,ようやく最近1本の論文にまとめたのが,エイズ論であった。調べていくうちに,社会や種の再生産に直接かかわるこの性感染症は看過できないと思うようになった。エチオピアなどでは,エイズで労働人口が減り,国家の破綻の原因になりつつある。アフリカは,教育水準の低さや,医療費が高いこと,男尊女卑で,男性がセックスでもイニシアチブを取りコンドームも着けないそうなので,女性がHIV感染しやすいという悪条件が多いが,日本人も悪質な民族性健忘症と民族性自己中心主義を病んでいるので,軽視していると致命的なことになる。今回の講演で,厚生省レベルでもHIVへの知識が不足している事が判明したことだし,一から出直しではないのかと暗然たる気分になってしまった。
     それだけではない。「児童から学生まで,学校現場ではエイズ教育はされているようだが,社会人への教育も差別偏見をなくす上で必要ではないのか」と僕が意見を述べたのだが,北山氏は社会人への教育も地方行政任せであるといわれた後に,「私個人は差別や偏見を感じない」という趣旨の発言をされ,また後でも「差別と『戦う』というようなことは特別しない。他の人同様当たり前に生きている」とくり返し言われた。北山氏という個人レベルでなら,言われることは分かる。HIV・エイズを特別視ししないという考えも理解できる。僕も,彼女を含めてHIV・エイズ患者の方々に「戦ってくれ」とかいっているのではない。しかし,社会の病としてのHIV・エイズという側面も,この性感染症にはあるのだ。文学やメディアに表れているHIV・エイズの意味を研究している僕には,当事者である北山氏が「差別を感じない」と学生たちの前でいわれることに,うまくいえないけれど戸惑いを感じたのだった。