津島通信

August 2001
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◆CONTENTS◆

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【きむたく日記】

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kimutaku@cc.okayama-u.ac.jp

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広 告(刊行より1年間)

 ¶ 『敍説』第2期第2号「特集・nagasaki」1,800円(税込)

 ¶ 仲 秀和氏『漱石―『夢十夜』以後―』2001.3.30,和泉書院,2,500円+税

 ¶ 江種滿子・井上理恵編『20世紀のベストセラーを読み解く――女性・読者・社会の100年――』2001.3.29,学藝書林,2,500円(税別)

    (所収論文;菅聡子「吉屋信子『花物語』『女の友情』――〈花物語〉のゆくえ」,根岸泰子「太宰治『斜陽』――その揺籃期の物語」他9本.)

 ¶ 花田俊典氏『太宰治のレクチュール』2001.3.10,双文社出版,5,600円

 ¶ 木村小夜氏『太宰治 翻案作品論』2001.2.25,和泉書院,4,800円

 ¶ 小田島本有氏『小説の中の語り手「私」』2000.10.20,近代文芸社,2,000円(税別)

 


「きむたく日記」

 

8月31日金曜日曇

     朝晩めっきり涼しくなった.今朝は,寒くて目が覚めたくらいだ.先日新聞広告欄に出ていた「週刊朝日」の国立大学統合の記事を,書店で立読みした.旧帝大系以外の国立大学の再編の構図がいろいろ描かれていて,京大に統合(して!)の話をもちかけてフラれた府立大や教育大の話も紹介されていた.埼玉大なども県立の大学と統合して県へ移管する話が出ているようで,この県への移管というのは結構多かった.入試ミスで問題が表面化した3つの大学については,文科省から廃合の対象として狙い撃ちされる見方が示されていた.しかし,地域の高等教育機関としての役割を考えると,統廃合をやみくもに進めるというのは,如何なものかと思う.国の都合は分かるが,税金を払っている地域の声(ニーズ)は考慮されているのだろうか,甚だ疑問だ.統廃合しろという声が出ているのか?
     話が兵庫まで来て,さて中国地方の大学はと見てみると,岡大・広大・山大だけ見事に記事がなかった.統廃合への動きを(表面的に)見せていないだけなのか,記者の念頭に中国地方が抜け落ちていたのかは知らないが,疑心暗鬼にかられてしまった.
     教育学部ひとつを取ってみても,文学部との統廃合の対象学部になっているのに,その母体自体がまた統廃合の話に揺れているのである.僕も含めて,文科省の教官は落ち着いて研究・教育に携われる状況にはないのである.

     今春卒業した笠岡市在住のゼミ生が研究室に来た.今日が県の採用試験2次試験の最終日だったらしい.試験のこととか,他の卒業生の近況も聞く.小学校の非常勤講師をしている彼女は,随分先生らしい雰囲気を身につけていた.たくましくなったというのか.卒業生の訪問は勿論嬉しい事だが,このように成長した姿をみるのも嬉しい事なのだなぁと自分がしみじみ感動を覚えているのがおかしかった.年をとったかなぁ.

8月30日木曜日曇のち雨

     曇りだが,蒸し暑い.研究室のゴミを捨てに行ったら,雨が降り出してきたので驚いた.
     紀伊國屋書店のM宅さん来る.パンフを出しながら,「先生,いいブツがはいりましたですよ」.聞くと,「志賀直哉全集」の補巻(全6巻)が出るのだそうだ.これは全集とは別扱いの草稿群らしい.資料としては看過できないもので,全集を買った以上はこれも買わざるを得ない.岩波も相当ワルよのう.
     明日が締め切りの依頼原稿,山川方夫論を書き上げてメールで送信する.「白いワニ」((C)江口寿志)との戦いだった…….これでようやく自分の仕事に専念できる.

8月29日水曜日曇

     午後のヤフーニュースを読んでいて,牛の模様のロゴマークで知られるPCメーカーのゲートウェイが日本を含むアジア市場などから撤退することが,昨日発表されたことを知った.累積する赤字の解消のためのリストラ策らしいが,ノートを持っている僕としては,複雑な心境だ.壊れた時の修理はどうなるのだろうか.買い換えるしかないのかなぁ.キーボードを壊したときに無料で修理してくれるくらい,結構良心的だった.昨日は,国内の失業率が5%になるなど,雇用不安が強まってきており,どうも良いニュースが見当たらない.午後2時現在,株価が17年ぶりに1万1千円台を割り込んだそうだ.
     締め切りを2日後に控えた原稿を書く.編集担当の方が,ここをチェックしているかもしれないので,現在規定枚数は書き終えて推敲中であることを宣言しておきます(エッヘン?).え,早く送信しろって?

8月25日土曜日晴

     1週間ぶりに大学に出勤.紀伊國屋書店から「三島由紀夫全集9」が届いていた.一度論文を書いたことのある「午後の曳航」の創作ノートに目を通す.

     今度岩波から「新日本古典文学大系明治編」(全30巻)が刊行される.見本のパンフレットを見ていて,ふと思うことがあった.組見本のページで樋口一葉の「十三夜」があり,「婢女(おんな)ども」の注として,「女性の家事使用人たち」とあった.『東京風俗志』の文章で色づけしてあったが,研究者として気になるのは,この注のなんともニュートラルなところだ.「家事使用人」を意味していた,かつての「女中」「下女」の類の言葉は,差別性があるというので現在は使用ができない.問題は,その差別性こそが近代の空間を構成したいたものであるはずなのに,それを消去するダイナミズムが現代の言説空間には存在することである.現代社会にある差別をなくす事は,もちろん大事なことだ.しかし,過去にあったことをまるでないかのように装う事は,問題の隠蔽以外の何ものでもない.扶桑社の教科書問題は,まさに現代人が近代という過去にどう向き合うのかを問うた事例であったのである.そして,それが扶桑社だけに留まる問題ではないことが,ここに見て取れるのではないか.現代文化が,近代文化を紹介しながら,近代文化を抹消していく転倒がここには生じているのである.気をつけてもらいたいのは,研究者が率先してそのような転倒に加担しているわけではないということだ.編集者―出版社の意向が,この転倒には強く作用しているのである.若い研究者に求めたいのは(僕も一応若いのだが),このような隠蔽・抹消の動きに鋭敏な意識をもつべく,しっかり情報武装(勉強)してほしいという事だ.針小棒大の立論かもしれないが,2週間経過しても気になることなので,ここで注意を喚起しておきたい.
     例えば「朝日新聞」8月10日の「あの日からひととき50年」2には,「女中」さんの紹介記事がある.笠井温子さん(66)の証言を紹介した記事の中には,「当時は行儀見習いで働く人もいたが,『田舎で女中をしていると,石を投げられることもあった』.会(希交会というお手伝いさんの親睦団体のこと@木村)ができて『私たちだって人間なんだ』『自分を磨いていける』と希望がわいてきた.」とある.都市と田舎の相違は当然あるのだろうが,石を投げられ,自分の尊厳を感じられないような存在,そのような存在としてかつての「女中」は社会に位置づけられていたことを,我々は記憶しておいて良い.

     先週19日に「ライオンキング」(四季劇場)を見てきた.ストーリーは手塚治虫「ジャングル大帝」のパクリと聞いていたので,大して感動もしなかったが,やはりミュージカルは良い.ナマの声と肉体の迫力が,観客にダイレクトに伝わってくる.舞台という虚構空間においても,そこには人間の充実した存在感がまざまざと認められるのである.映画や漫画では,場面に視線がコントロールされるが,演劇の舞台では,視線は自由である(子供向け?なのにきわどい演出を確認したので余計にビックリした).鍛え上げられ無駄なく統御された肉体の動きとそこからかもし出される声の力に酔いしれた2時間半であった.
     今は「猿の惑星」のように映画の特撮が全盛の時代だが,すべての情報があちらから提供されるコンテンツを楽しむのではなく,舞台上の存在感を楽しみながらこちらも想像力を使って舞台の役者の動きや舞台装置を解釈していく演劇の魅力も捨て難い事をあらためて認識した.思わず幕間に,売店に走ってCDを買い求めてしまった(帰宅して各場面を想起するため).ちなみに僕は劇団四季の舞台を見るのは初めてで,ビデオで「李香蘭」を見たことがあるだけ.

8月18日土曜日曇り時々雨

     年休明けで,土曜に出勤する.お盆中に読んだ学生たちのレポートを「返却箱」にいれてから,書類の整理をする.
     夏風邪が治ってからの8月第2週はとても忙しかったのだが,この間同人誌「敍説」2期2号が発行された.特集は「nagasaki」である.青来有一氏(前回の芥川賞受賞作家ですね)をはさんだ鼎談「「長崎」を超えて」のほか,批評や注釈,資料紹介などで構成されている.是非ご購入の上,ご一読いただきたい.
     お盆最終日には,近代文学研究者の伊豆利彦先生から,HPを開設したとのメールが寄せられた.74歳におなりのようだが,インターネットに堂々進出され新たな表現の場に参入されたわけで,実に頼もしい限りである.

8月14日火曜日晴

     気温37℃を記録.朝,ホーソンの短編集(岩波文庫)を読む.昼近く妹が甥っ子2人を連れて来る.日中は外に出ず,夕方甥っ子とキャッチボールをしたり自転車に乗ったりして,遊んでもらう.
     「おっちゃんのこと好きか?」と小5の甥に訊ねると,「フツ〜」と答える.

8月13日月曜日晴

     小泉首相が,午後靖国神社に参拝した.内閣総理大臣としての参拝であり,橋本龍太郎首相(当時)以来の公式な参拝である.中国・韓国からの批判や,与党内部の反対意見を考慮して,公約していた15日を変更したものであるが,日本の首相が靖国神社に参拝したという事実は公的な意味をもち.外交上好ましくない行動であった.
     「口は一つだが耳は二つある」と言って,首相は自分が人の意見を聞く耳をもつことを強調していたが,果たしてそれは「首相の耳」であったのか甚だ疑問だ(ロバの耳とまでは云わないが).扶桑社の教科書問題でアジア外交に亀裂が入っているのに,それを更に複雑化させる今回の事例は,小泉外交の感度の鈍さを物語る.

8月11日土曜日曇

     郷里の但馬に帰省する日.ゼミ生に出した前期の演習のまとめのレポートや,休暇中に読もうと思っていた『文化と帝国主義2』や『THE MASK CLUB』などを紀伊國屋の袋にいれて車に積む.研究室にデジカメをとりに立ち寄ってから,10:30頃に高速に乗る.今日が帰省のピークと言われていたので山陽自動車も混雑していると思ったが上りは,さほどのことはなくスイスイと流れていた.が,広島方面(下り)は備前ICのあたりから20km以上渋滞しており,運転手さんには同情を禁じえなかった.
     播但自動車道を使って,12:00過ぎには郷里の但馬に入る.昼食を取ってから,妹の嫁ぎ先に岡山の土産(桃)を持参する.妹の夫君や妹と話す.甥っ子達の友達も遊びに来ていて,大変にぎやかであった.
     次に母方の祖父母を訪ねる.ここにも桃を届ける.祖父母は二人合わせて200歳近い.祖父は耳が既に遠くて,補聴器ももう合わなくなっていた.筆談で話を交わす.自慢の掛け軸のコレクションを桐の箱から取り出して壁にかけて見せてくれたあと,祖父の満州時代の話を聞く.満鉄に入る前に満鉄の線路の警備を担当していたのだそうだ.ソビエトが成立(1917)してから,脱出してきた白系ロシア人(非共産系だから「白」)が,日本軍に雇われて警備兵として働いていたことを知る.祖父の所属していた騎兵中隊では20人いたそうだ(馬は現地調達!だったらしい).ソ連が参戦したときに,彼らはどこへ行ったのだろうと思う.92歳の祖父は,裸馬に乗るほどの腕前であったことを話しながら次第に興奮してきて,別れ際は大変ご機嫌がよかった.今灰谷健次郎の『天の瞳・少年編』を読んでいるといい,先生の描き方について批評するのであった.恥ずかしながら,僕は書名しか知らなかった.とてもこの祖父のように好奇心旺盛?なお爺さんには,僕はなれないと思う.
     出不精の僕に,「海外に旅行して,いろんな民族を知りなさい」ともいわれた.でも,今日は十八番(おはこ)の「僕も年だから,早く嫁さんの顔を拝ませてくれ」が出なかったので,少しホッとした.92歳に言われると,殆んど「強迫」である.祖母はデジカメの画像に興味津々であった.

8月8日水曜日曇

     残暑お見舞い申し上げます.昨日,立秋だったんですね.研究室の外では,油蝉がないていますけど.
     今日は,大学院生のレポートを読む.リサーチした論文が古くて,古色蒼然としたことを書いているのが数名いるし(いちいち情報の鮮度を意識しろといわなければならないのか),国文学なのに国語教育のレポートと間違えているのもいたりする.読んでいるうちに,ストレスが高まって行って,全てを読み終えたときには,「終わった」と叫んでしまった.しかもこの時勢い余って,赤いボールペンのキャップに入れようとしたら,手元が狂って中指の付け根にペン先が突き刺さってしまったのだ.「ウギャー」と悲鳴をあげたのは言うまでもない(実話).

     廊下で,隣の研究室の片村先生から話し掛けられる.研究室に蜘蛛がでるので,殺虫剤を振りまいて今晩一日ドアをあけておくとのこと.「蜘蛛ギライだったのか」とチョットおかしかった.ちなみに僕の研究室は,ハンスとフランツ(いしいひさいち「ののちゃん」「朝日新聞」(C))がいる(ウソ).片村研究室の蜘蛛には,ジェニファーの名を与えよう.

8月7日火曜日曇

     9:00〜16:00まで,講習.終わったあと数人の先生方から質問攻め.ま,なぜか拍手もいただいたし,それなりに頑張った甲斐はあったのだ.あとはレポートを読むだけであるが,本業の学部・大学院のレポートの締め切りも今日だったので,査読する必要がある.
     図書館で本を読んでいたら,閉館のアナウンスが流れた.最近は17:00で閉館らしい.生協で,「ユリイカ」の沖縄特集号が出ていたので買おうと思ったら,財布を忘れていた.小雨がパラついた.

8月6日月曜日曇

     夏風邪も回復し,咳も大分収まった.9:00〜16:45まで,平成13年度免許法認定講習の講師をつとめる.県教委からの依頼で,毎年1人ずつ出て講義するのだ.が,なにせ受講者の年齢層が,僕と同じかそれ以上で,しかも現職教員ばかりである.迂闊な冗談も言えず,壇上でがまの油を流すような思いをする.目線はあきらかに自分でも泳いでいるのが分かるし,もう2度とこのような思いをしたくないと思いながら,あと1日残っているのだ.
     これにレポートを読まなければならない.でも,「5枚」といったら「多い,3枚」と値切られたのには笑った.さすがセンセイ.
     おかげでメールに返事が出せない.しばらく諒とせられよ!

8月3日金曜日晴

     岡山の最高気温は,37.3℃.夏風邪絶好調.先日の作業の影響があるかもしれない.早退する.

8月2日木曜日晴

     酷暑である.昨日の岡山は,36.8℃.清掃作業で,よく倒れなかったものだ.給水していたのが良かったのだろうけど.今日は,空に曇りもない快晴で,湿度もなくなってきている.節水の話題が出始めているのも,当然だろう.
     鼻水と戦いながら,レポートを査読する.ようやく一山越えることが出来て嬉しい.残るは,来週締め切りの2つの授業分だけである.

 最高気温,37.1℃を記録. 8月1日水曜日晴

     岡山の今日の最高気温の予測は,36℃である.昨晩NHKの天気情報で,都心の7月の平均気温は33℃で,インドのニューデリーと匹敵していたそうだ.東京は,ほぼインドなのである.多分岡山も負けていないのではないか.ともあれこのクソ……いや,大変な暑さの中,オープンキャンパスのために構内清掃を9:00から行う事になっている.帽子にサングラス,長袖のシャツに水を用意して研究室に待機しながら,新聞を読んだり学生のレポートを査読している.(8:30頃)
     で,帰還.教育学部の学生用駐車場や植え込みの周囲を清掃.アンダーシャツとボタンダウンのシャツは,びしょ濡れ.絞れば汗が滴り落ちそうだ(稲田先生も同じことを嬉々とおっしゃってた).ジーンズの着替えも持ってくれば良かった.国語教室の教官や社会科の院生は,強烈な日差しの下で1時間半の作業をしたのであった.
     午後,レポートの解読と査読作業.とてもツライ.ツライといえば,風邪は咽喉から鼻に移ったようで,ティッシュが手放せない.うっかり気を抜くと,鼻水がタレ〜と唇の上に流れてくるのである.下品でスイマセン.