津島通信

SEPT 2002
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◆CONTENTS◆

【広告】
【きむたく日記】

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感想をお聞かせ下さい。
kimutaku@cc.okayama-u.ac.jp

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広 告(刊行より1年間)

 ¶ 小田島本有氏 『午後のひとときコーヒーブレイク』 近代文芸社,2002.10.1,本体1,000円(税別)

 ¶ 小田切靖明氏・榊原貴教氏 『夏目漱石の研究と書誌』 ナダ出版センター,2002.7.10,本体6,000円(税別)

 ¶ 金 正勲氏 『漱石 男の言草・女の仕草』 和泉書院,2002.2.28,本体4,500円(税別)

    金氏は,韓国全南科学大学助教授(現在)

 ¶ 花田俊典氏 『清新な光景の軌跡--西日本戦後文学史』 西日本新聞社,2002.5.15,本体2,856円(税別)

 ¶ 佐藤 泉氏 『漱石 片付かない<近代>』 日本放送出版協会,2002.1.30,920円(税込)

 ¶ 『敍 説』 第2期第3号「特集・夢野久作―聖賤の交雑―」 花書院,2002.1.6,1,800円(税込)

 ¶ 于 耀明氏 『周 作人と日本近代文学』 翰林書房,2001.11.9,本体4,000円(税別)

 ¶ 菅 聡子氏 『メディアの時代--明治文学をめぐる状況』 双文社出版,2001.11.1,本体2,800円(税別)

   (近代文学成立期の一側面/<文士>の経済事情/初期硯友社と吉岡書籍店/『読者評判記』の周辺/百合とダイアモンド/小杉天外『魔風恋風』の戦略/<対話>の生成−−場所としての一葉身体/『通俗書簡文』の可能性/流通する<閨秀作家>)


「演劇鑑賞サークル」のご案内 (岡山限定)  

   以下の要領で,演劇を鑑賞する仲間を募集します.役者が目の前で演じている舞
   台を見ると,TVや映画とは違う迫力と魅力に圧倒されます.募集の期限はあり
  ませんので,是非入会をご検討ください.

                  記

  ・入会の条件
   @教官・事務官・学生・院生・OB,OGなど,一切不問.
   A最低半年以上,サークル会員でいられる人.
 
  ・ 申し込み先:木村 功  〒700-8530 岡山市津島中3丁目1−1 岡山大学教育学部内
     (入会先:岡山市民劇場  岡山市磨屋町4-21 金谷ビル2F,086-224-7121,FAX086-224-7125)

    ・費用
   @入会金:1,500円
   A月会費:
        一般会員;2,300円
        学生会員;1,800円,
    
  ・演劇上演の時,入場料は要りません
  年間平均6〜8本の演劇が鑑賞できます.普通演劇鑑賞は,5,000円以上/1回
 かかりますので,演劇が好きな人にはかなりお得といえるでしょう.また,席が
 余れば期間中複数回の観劇も可能です.
 
  ・個人単位だと,事務局から割り当てられる座席の位置が悪くなるので,「サー
  クル」という単位(3人以上)を作って座席の割り当てを貰った方が,費用対効
  果があがるのです.

  ・詳細は,木村まで.

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 2002年
  10月例会 「雨」(井上ひさし原作,出演辻萬長,三田和代ほか)
  12月例会 「セールスマンの死」(アーサー・ミラー原作,仲代達矢ほか)


「きむたく日記」

9月26日木曜日晴のち曇

     大江健三郎『憂い顔の童子』(講談社,2100円)を購入.
     学生が後期授業を実習のために欠席するという届けを提出に来る.大分学生が,大学に戻ってきた.そろそろ,後期がはじまるのだ.
     この2ヶ月,読書や観劇ばかりしていて,研究に身が入らなかった.トホホ.

9月25日水曜日

     大学院の試験日.久しぶりにスーツを着た.大野晋「日本語の教室」(岩波新書)を読む.スクールの語源が,「スコラ」というラテン語で,「暇」という意味だと書いてあって,「スクール」というのはなかなか含蓄のある言葉だと思った.雑用で忙しい大学教官は,「スコラ」に恵まれていない.

9月24日火曜日

     2回目の連休が終わった.僕は郷里に帰省して,新米や栗・柿などの郷里の秋の味覚を味わってきた.地獄のような夏が,とうとう終わったのだなぁ,と長袖のシャツの袖に腕を通しながら思う.
     4年ゼミ生の卒論の相談を受ける.もうそんな季節になったのだなぁ.

9月19日木曜日

     年休を取って,京都で劇団四季のミュージカル「オペラ座の怪人」を観て来る.13:40から16:30頃までの公演である.席は,舞台上の俳優たちの表情が肉眼で見れるくらいの近さであった.舞台セットのシャンデリアが頭上にあって,ちょっとスリリングであった.このシャンデリアは,1幕の最後で怪人によって落とされるのだが,客席には途中まで落ちてきて,それからおもむろに舞台の上に収まるという仕掛けになっている.前に広島公演をみたという後ろの座席の人が友人に話しているのを聞いていると,広島では舞台上にあるのが,垂直落下するだけで,こちらの方が客を楽しませる演出になっていると言っていた.
     物語の展開は,CDを買っていたのである程度は知っていたが,CDにはカットされている部分(怪人の正体の部分)もあって,やはり劇場に行く必要がある.
     地下の湖に降りて行く怪人とクリスティーヌの間で歌われる有名な歌は,やはり見事の一言であった.しかし,2人の姿が見えないのに,歌だけが聞える箇所もあって不満がないわけではなかった.他にも,舞台が場面転換で真っ暗なのに誰かが台詞を喋ったり・歌っているという演出上の問題が何箇所かあった.それから,第2幕のマスカレード(仮面舞踏会)の舞台で,階段上に衣装を着せたマネキンを並べているのは,動き踊る俳優達とあまりにもヒドイ対照になっていて無い方がまだマシだった.
     自分へのお土産に,パンフと怪人のマスクのキーホルダーを買って岡山に戻る.

9月18日水曜日晴

     空が随分高くなった.13:45から,研究科委員会と教授会.18:00に終了する.
     連休中,村上春樹の『海辺のカフカ』(上・下,新潮社)を読んだ(約10時間).初読後の感想だが,北海道を舞台とする「羊をめぐる冒険」の四国編とでもいうべきで,それに「ハードボイルド・ワンダーランド」を加えたものという印象.エピソード群は,大きく2つに分かれる.カフカパートと,ナカタさん-ホシノちゃんパートだが,後者は今までの村上作品にある暴力的な要素があって分かりやすく面白かった.前者はオイディプス王のモチーフが使われているのだが,今ひとつなぜこれが必要なのか分からなかった.半分失敗作かも,と思いながら読了した.
     ヒュー・グラント主演の映画「AboutaBoy」も観てきた.主人公が自分と同年齢ということもあって,興味深く見た.この年まで独身でいるというのは,社会通念上それなりの「事情」を抱えていると見做されることは,木村家の反応から見ても分かるのだが,映画の中では「ジコチュー」「カラッポ」「孤独」「寂しい」(フランケンシュタインのように←映画を見ること)というような言葉で表現されており,映画を観終わった時には,自分の背中に何本も矢が刺さっているようだった.チクショウと言いたくなるくらいに,よく出来ている.ジョン・ボンジョビの「人は”孤島”ではない」という言葉をテーマにした映画.
     中野不二男『デスクトップの技術』(新潮社)は,PCを使った情報整理を扱った1冊.メモ作りの工夫についても詳細に述べてあったが,結局はアウトルックのメモ機能を使っているということで,以前に野口悠紀雄が述べていた内容と大して変わらなかった印象を持った.
     小田島先生(釧路高専)から『午後のひとときコーヒーブレイク』(近代文芸社新書,2002)をいただいた.印象に残るのは,「叱責」という章.「我々は「叱責」をする際,その相手の置かれた立場や性格などを考え,どのような方法がこの場合もっともふさわしいのか,真剣に考える必要がある」(152頁).
     叱る相手を良く知っていないと,適切な言葉は出てこない.相手を知るには,日頃から相手と交流しておく必要がある.これは教師として基本的なことなのだが,惰性に流されないことを意識しなければならない点で,一番難しいことでもある.
     

9月13日金曜日曇時々晴

     昨日,紀伊國屋書店で村上春樹「海辺のカフカ」上下(新潮社),山本文緒「ファースト・プライオリティ」(幻冬舎)など6冊を購入.山本文緒の新刊は,31歳の女性をめぐる31の短編集なのだが,とくに最後の「小説」は山本文緒自身を素材にしているようだ.どの短編も山本文緒らしい「毒」があって,上手くなったなぁと思う.今,山本文緒は「旬」ではないかと思う.お勧めの一冊.

     隣室のI先生,IMEがひらがなで入力できなくなったと救援要請.院生からも,PCがフリーズして動かなくなりましたとの救援要請.
     「ついでにファイル添付の仕方を教えてください」
     (おまえなぁ……)←論文執筆中

9月11日水曜日晴

     図書館から電話がかかってきて,定期購入している雑誌の「批評空間」が4巻で終刊になるということだった.驚いて,「批評空間」のHPを見てみると,先月20日付けで解散宣言が掲載されていた.中心スタッフの死去で,刊行が継続できなくなったようだ.残念.

     同時多発テロから,早くも1年が経過した.夜10時のNHKニュースを見ていて,中継中の画面に映る貿易センタービルに,2機目の飛行機が突っ込んだのは,今でも忘れられない.あの瞬間,僕は暴力によって理不尽に奪われた多数の命(人生・可能性)を思ったのだが,現実はそれだけではなかったのだ.テロリスト達の悪意は,巧妙かつ複雑に構成されていたのである.それから報復のためにアフガンの地で行われた戦争が続いた.そしてそこでも,多くの生命が奪われ,今でも奪われつつある.
     現在,対イラク戦争に向けてアメリカ・イギリスによる各国への盛んな外交が行われているが,「終わりの始まりの戦争」にならないことを祈るばかりだ.
     国内の不況による現在と将来への不安,そして国外では戦争への恐怖.随分シンドイ時代に生きることになったものだ.バブルの崩壊が始まった10年前,こんな時代の到来を誰が予想しただろう.我々は,もう十分この苦しい世界・社会を堪能している.もういい.
     今日は,とても憂鬱な日になりそうだ.

9月7日土曜日晴

     村上春樹の新刊『海辺のカフカ』(新潮社)が,12日に発売される.その宣伝のための期間限定サイトが公開されている.作品の中には,漱石の「坑夫」もキーワードとして出てくるということで,未読の読者は目を通しておいた方が良いかも.
     昨日は宝塚に行くので,帰りが遅くなることを見越して,ビデオで「北の国から2002--遺言--」を録画予約して出かけた.
     23:30頃に帰宅して作動しているはずのビデオを見やると,あろうことかビデオが作動してなくて,私は「叫び」(ムンク)になっていた.
     今日は,リアルタイム(20:00〜23:09)で見るぞ.

9月5日木曜日晴

     今日も厳しい残暑で,閉口する.図書館で,「旧約聖書」の調べものをする.「旧約聖書」の日本語訳にもいろいろあるようで,日本聖書教会の「口語訳」(1955),日本聖書刊行会「新改訳」(1970),カトリック&プロテスタント合同の「新共同訳」(1987),フランシスコ会訳(1956〜刊行中),関根正雄訳(1993〜1995),それから僕が見た岩波版旧約聖書翻訳委員会訳である.
     インターネットのニュースを見ていたら,琉球大学の医学部で,助手がアメリカの論文を盗用し,それが発覚して,教授ともども懲戒処分されるという記事が載っていた.盗用は勿論いけないことなのだが,それをチェックしていなかった教授というのは,忙しいのはあるのだろうけれど,指導者としてどうなのかなぁと思ってしまう.インターネット時代,論文のデジタルテキストを公開していると,この「盗用」問題は生じやすい.公開している方が悪いとは思わないが,なるべくコピーが出来ない工夫は必要かもしれない.また,利用者側が倫理意識を持つように指導することも,学校教育レベルでキチンと徹底する必要があるだろう.
     さて,明日はいよいよ年休をとって,宝塚歌劇(月組)の観劇である.男装劇など見たことがないので,どないなことになりますやら….

9月3日火曜日晴

     残暑.おまけに,図書館での用務を済ませた帰りに,空から鳥の爆フン攻撃を受けた.「運」が付いたといえば,それまでだが,これはテロである.鳥は嫌いだ.
     生協で,鴎外研究者大塚美保さんの本と猪瀬直樹の新刊を購入.

9月2日月曜日晴

     あろうことか,昨日の日曜日は試験監督の仕事で一日勤務であり,今日も平常出勤・会議である.学生は夏期休暇中で,あるゼミ生は旅行先で撮影したデジカメ画像つきの残暑見舞いメールを送ってきたので,とてもムカついた(ああ,心の狭いことだ).

     吉田修一の「パーク・ライフ」(文芸春秋,2002)を入手したので,昨夜表題作に目を通した.
    (1)面白かったのは舞台の公園を「身体」のメタファーで捉え,人間をその維持に必要な体液に見たてている点.他にも,身体的なイメージが散りばめられてある.作品の中に身体的なイメージを取り込むことで,ヴァーチャル感の漂う作品に,リアルを与えようという工夫と見られる.
    (2)家族像,夫婦像の解体を描き方.言い換えれば,既存の人間関係が壊れるのではなく,間延びしていく結果切れ掛かるような状態を見出している点といえようか(上手く言えない).
     先日読んだ,米谷ふみ子「過越しの祭」(岩波現代文庫版,2002)は,渡米してユダヤ系アメリカ人作家と結婚した「道子」という女性の視点から夫婦・家族関係が描かれているが,それぞれの家族の成員が文化・民族の差異や障害をもっており,それぞれが自分のあり方を主張するゆえに夫婦・家族関係が壊れていくきわどい情況が描かれている.
    一方,吉田の描くそれは,夫婦・家族が互いに配慮しあう結果,そうした関係から遠ざかってしまうのだ.家族であるがゆえに,自分を主張するあまりの関係の解体を描く米谷と,家族というものを水平的な友人関係・同居人のように捉えなおす吉田の違いは,年代差というような単純化できるものではなく,家族概念そのものを含めて,人間関係あり方が多様な社会性を浮かび上がらせるものであった.
     吉田の描く人間像は,社会の中で「断片」「情報」として生きている人間像を上手く描いていると思うが,米谷のように人間が生きているんだという迫力を作品からは感じない.作中に出てくるのだが,ヴァーチャルな自分の分身に国内や世界を旅させるエピソードと同じく,主人公も,彼が接触する女性も公園を舞台に生きているヴァーチャルな存在に思えるのだ.
     同じ賞を受賞してはいるのだが,17年の差はかくも顕著なものに思われるのであった.