津島通信

FEBRUARY 2003
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◆CONTENTS◆

【広告】
【きむたく日記】

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感想をお聞かせ下さい。
kimutaku@cc.okayama-u.ac.jp

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広 告(刊行より1年間)

¶ 岡山市・岡山市文学賞運営委員会編『おかやま しみんのどうわ2003』吉備人(きびと)出版,2003.2.8,定価1,000円

 ¶ 小田島本有氏 『午後のひとときコーヒーブレイク』 近代文芸社,2002.10.1,本体1,000円(税別)

 ¶ 小田切靖明氏・榊原貴教氏 『夏目漱石の研究と書誌』 ナダ出版センター,2002.7.10,本体6,000円(税別)

 ¶ 金 正勲氏 『漱石 男の言草・女の仕草』 和泉書院,2002.2.28,本体4,500円(税別)

    金氏は,韓国全南科学大学助教授(現在)

 ¶ 花田俊典氏 『清新な光景の軌跡--西日本戦後文学史』 西日本新聞社,2002.5.15,本体2,856円(税別)


「演劇鑑賞サークル」のご案内 (岡山限定)  

   以下の要領で,演劇を鑑賞する仲間を募集します.役者が目の前で演じている舞
   台を見ると,TVや映画とは違う迫力と魅力に圧倒されます.募集の期限はあり
  ませんので,是非入会をご検討ください.

                  記

  ・入会の条件
   @教官・事務官・学生・院生・OB,OGなど,一切不問.
   A最低半年以上,サークル会員でいられる人.
 
  ・ 申し込み先:木村 功  〒700-8530 岡山市津島中3丁目1−1 岡山大学教育学部内
     (入会先:岡山市民劇場  岡山市磨屋町4-21 金谷ビル2F,086-224-7121,FAX086-224-7125)

    ・費用
   @入会金:1,500円
   A月会費:
        一般会員;2,300円
        学生会員;1,800円,
    
  ・演劇上演の時,入場料は要りません
  年間平均6〜8本の演劇が鑑賞できます.普通演劇鑑賞は,5,000円以上/1回
 かかりますので,演劇が好きな人にはかなりお得といえるでしょう.また,席が
 余れば期間中複数回の観劇も可能です.
 
  ・個人単位だと,事務局から割り当てられる座席の位置が悪くなるので,「サー
  クル」という単位(3人以上)を作って座席の割り当てを貰った方が,費用対効
  果があがるのです.

  ・詳細は,木村まで.

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 2003年 4月例会「煙が目にしみる」
 


「きむたく日記」

2月25日火曜日曇

     後期試験の日である.普段にはないものものしい入構管理体制が敷かれており,車で登校した時に,「門番」に車に貼り付けた教員シールを示して,チェックを受けねばならないほどだ.気候は温暖で,試験日としては非常に良いコンデションである.
     年度末なので,予算執行の処理作業を行う.エクセルを見ていて,寸止め執行のはずが勢いあまって赤字を出していたことに気づき,暫し呆然とする.来年度予算から「赤字分」が差し引かれてしまう(泣).
      「掲示板」の方,学期末で「こころ」の授業をやっているのか,質問の書き込みが多い.それも「答え」を求める書き込みである.やれやれ,と思うのだが,なかなか面白い問いかけもあって,この数日相手をしている.自分の研究は,一向に進まない.

2月20日木曜日曇

     13:00からNHK岡山放送局のキャスター森田恵子さんとディレクター難波さんの取材を受ける.森田さんと一緒に岡山市民童話賞の審査員をつとめているので,それに協力してのコメント撮りである.市民童話賞の受賞者で,森田さんがメインをつとめる番組でインタビューを受ける杉原広美さんの作品「鬼の卵」についてコメントするのだ.背景になる本棚に,出たばかりの『おかやましみんのどうわ2003』を置こうとしたら,2人からNGが出た.NHKだから宣伝は,NGのようである.
     難波さんの指示で森田さんに真正面に座られ(お互い嫌がりながら),「森田さん,顔小さいなぁ」と思っているところへ狙い済ましたようにおもむろにマイクを向けられると一挙に「小心度」が上昇し緊張してしまった.小心者ゆえか上手く喋ろうとすると,逆に緊張で頭がホワイトアウトしてしまうのである.アドリブの方が上手くいった,と自分では思う.この発見は(情けなくも)面白かった.
     2,3分しゃべるのを3回撮影.放映時には2,30秒に編集されるようだ.放映は,来週水曜26日で,17:05からの「きびきびワイド505」の枠内で放送されるということである.
     収録時森田さんや難波さんがいろいろ気を遣ってくれたのは,とてもありがたかった.それに,NHKグッズを貰えたし(ヘヘ).
     受賞者に「花」を添えられるかなぁと思っていたのだが,難波さんに録画画面を見せて貰って驚愕した.そこにはデブッとした「オッサン」が映っていたのである(失神).

2月19日水曜日曇

     午前中,研究科委員会と学部教授会に出席.午後,三木記念会館で行われた「ハンセン病フォーラム」の参観に行ってくる.
     シンポジウムというのは形式的なものだったが,長島愛生園自治会長,邑久光明園副園長,医療ソーシャルワーカーの他に,このコーナーでも取り上げたことのある人間ドキュメント「津軽・故郷の光の中へ」で取り上げられた詩人桜井哲夫氏の帰郷に同行し,「しがまっこ溶けた」の著者である金正美さんも参加されていた.
     自治会長の話は,「あの時代だからしようがない」などという認識不足の啓蒙パンフをいまだに発行する複数の自治体への指弾と,時間が残り少ない中での元患者さんたちの人生の質をいかに高めていくかという問題などを提起していたし,光明園副園長の話は臨床的な知識を与えてくれてとても参考になった.
     金さんは,NHKの番組の裏話を聞かせてくれた.桜井氏(本名は長峰氏)の帰郷に際しては,甥の妻に当たる女性とその息子さんが尽力してくれたようなのだが,親戚は「商売に支障が出る」「近所との関係」を理由に猛烈に反対したらしい.僕は,親戚の一人が「一週間前に(帰郷を)聞いた」といって戸惑っている姿が印象に残ると書いたことがあるが,まさにそれこそその大騒動の余韻だったのである.息子さんは,「時代が変わり国の意見もかわった.家族も変らないでどうする」言って,帰郷を強行したそうだ.
     桜井氏の帰郷については,TVカメラも同行することから,この息子さんが近所に説明をしたそうだ.近所の人は,家族の希望を受け入れてくれたという.その近所にしても,息子さんのお嬢さん(20代半ば)の小さい頃に,「あの子からあめ玉をもらっても,なめてはいけない」と言い聞かせるような近所ではあったのであるが.
     しかし,NHKの番組にはこのような部分はない.勿論僕が番組責任者の立場であれば,大反対している親戚の姿など放映できるものではない.そして,「反対」そのものが綺麗に編修上削除されたあの番組は,ハンセン病という「悲劇」を担わされた桜井氏が親族の協力や行政の協力で,帰郷の願いがかなえられ,父母の墓前に詣でることができた「美談」として語られ,視聴者が「感動」して涙を流すものとして再構成されたわけなのである.かくいう僕も,涙を流した一人であった(のせられて泣いている自覚はあったが).
     結果,桜井氏の物語は,「大変な苦難だったけど,帰郷できて良かったね」「こんなすごい人がいたんだ」という「感動する話」で決着することになった.しかし,桜井氏はいまだ療養所内に居住し,親戚の認識はかわらないまま,である.結果的にはほとんど何も変っていないのに,視聴者は決着した話として受け取ってしまう危険性が,ここには生起しているのではないか.
     ハンセン病元患者は,高齢化した自分の失われた人生の価値を少しでも取りもどそうと悲痛な声を上げている.僕は自治会長の涙ながらの悲憤の声を聞いて,胸が痛くなった.彼が憤るのは,その声が十分届いている自覚を得られないからだろう.その苦しみが,伝わってきて,本当に辛かった.にもかかわらず,その人生と苦しみを理解している側にも,ハンセン病問題について語るときには「感動秘話」の形式を借りてしまうことで,事実を隠蔽してしまう問題があるのである.ハンセン病には,無関心という敵と同時に,同情や悲劇への感動という,もう一つの敵があるわけである.
     NHKに悪意はないのだろう.しかし,その無邪気さはともかく,情報の伝達者として自分達の語りの手法に無自覚であることは看過されてはならない.一方で視聴者にも,「感動」しながらも,その「感動」を怜悧に分析するメディアリテラシー(情報解読能力)が必要である.少なくとも僕には,それを指導する教師を育てる社会的な役割があるようなのだ.
     短時間で終わってしまったが,金さんの話を聞けたことは有意義だった.それは,当事者の見た事実とテレビ番組の内容の隔絶を通して,ハンセン氏病問題の報道姿勢に留まらない,情報伝達の「形式」(物語)に着目する意義を教えてくれたように思うからだ.

2月18日火曜日晴

     13:40からゼミ生の口頭試問.15:20過ぎまで,1人20分枠で連続5人行う.副査の先生の厳しい質問に青ざめたり,泣くと言うようなこともなく,全員平穏無事に終了.皆には訂正箇所を示した付箋紙付き卒業論文(これを「貼りネズミ状態」と僕は読んでいる)を,「お土産」としてもたせてやる.
     僕が学生の頃は,試問時に学生が泣かされるのは何人かあったようだし,卒倒した話さえ聞いたことがある.あの時代は,一体なんだったのだろう.少なくとも今,そんなことをする教官が,大学から消えていったことは確実である(しみじみ).
     毎年の事ながら,口頭試問を終えた後の,寂しいような嬉しいような気分は言葉で言い表せないものがある.「やれやれ」という感動詞に尽きるとすれば,この表現力の貧困は情けない.
     さ,卒論も終えて,あとは修論の試問だけである.今晩は,ココアでも飲みながら(下戸)購入したDVDを見るとしようか.「アマデウス」のディレクターズ・カット版にするか,黒澤の「影武者」にするか(「落武者」なんていうパロディーがあったなぁ).それとも今日はサッサと寝るとしようか.

2月17日月曜日晴

     卒業論文の口頭発表会を行う.制限時間15分の中で,10分報告,5分質疑という大変慌しいものであった.報告者は,全員で19名.そのうち11名の司会を担当した.司会といっても,タイムキーパーと質問者もかねるので,1人3役である.お終いには頭痛がしていた.
     自分のゼミ以外で,個人的に興味を引かれたのは,国語学で弓術に関連した専門用語を取り上げたもの.国語教育では,読書指導を扱ったもの.国文学(古典)では,源氏物語の手紙を扱ったもの.これらに共通するのは,着眼点の面白いところである.研究者としての資質を感じながら聞いていた.しかしそれは同時に,少なくとも岡山県で学校教員になるには器が大きすぎることを意味している.
     帰宅して,明日の卒論の口頭試問用の資料を作成する.

2月11日火曜日雨,建国記念日

     脳が疲れていたので,10:00前まで熟睡できた.夢を見ていたときに,何か思いついたはずなのだが,どうしても思い出せない.皆同じことを言うようだが,それはそれはすばらしいアイデアだったのに(笑).
     昨日の出張で,4つの講義のレポートの査読が(全く)出来ていないので,午後雨の中大学に出勤.当然,誰も来ていない.今からその仕事.さて,何時に帰れるのやら(やれやれ).明日は大学院の入試,明後日から出張なので,今日中に評価までしておかないといけないのである.(13:20記)
     やっと,一講義分のレポート(コメント含む)を査読&評価し終わった.今,19:07.途中2時間「寄生獣」(完全版)を読んでしまった私は愚か者.今夜は,「夜なべ仕事」だ〜.

     長野県から岡山に来ていた行方不明の姉妹が,9日に山中で遺体で発見されたことは,既にご存知のことと思う.僕が「迷推理」したような事件性はなかったわけなのだが,この季節に山中に迷い凍死したというあまりの痛ましさに,絶句してしまった.ご冥福をお祈りする.

2月10日月曜日晴

     温暖.出張で,国立療養所長島愛生園へ赴き,入園者2名の方に聞き取り調査を行う.お2人とも85歳と86歳だが,心配していた体力の方は,1時間半のインタヴュー中息切れすることもなく話をしてくれたことからも分かるように問題なかった.元気なのである.小川正子や神谷美恵子のエピソード,光田健輔の話をいろいろ聞けて,大変参考になった.
     しかし,話を合計4時間集中して聞いていた僕は疲れてしまい,疲労困憊して帰宅.インタビュー自体も初めてだったので,いろいろ自分のテクニックの問題に気づかされた.一番の問題は,1日に2人の聞き取りを行うのは,少々無理があるということだった.相手の言葉にキチンと反応して,こちらの聞きたい情報を導き出すためには,聞き手の体力・集中力の持続を意識する必要がある.これは,重要な要素だ.
     デジタル・ビデオカメラを持参して,デスク用三脚に立てて撮影も行った.ま,初めてにしてはこれは上手くいった方だろう(腕は保証つき?).DVDに焼いて保存することを意識して,使用したテープが1時間しかもたない高級品だったので,残量が気になりだすとインタビューの妨げになった.これが,課題として残った.
     帰るさ,園内にある監房跡を見学しようと思ったのだが,方向音痴なので,車で走っているうちに場所が分からなくなって諦めた.
     冬にしては大変温暖な一日で,園がある湾内では,傾いた夕日を映した瀬戸内海の表情が,とても穏やかだった.それは,病に冒されたことで人権を剥奪され,苦難の連続の日々を強いられ,それを生き抜いてきた入園者の方たちが見せていた穏やかな明るさに,とても似ていた.

2月8日土曜日曇のち雨

     今,ようやく一つの試験の採点・集計作業が終わった.もうこういう時は,あの名セリフを言うしかない.
     「燃えたぜ.真っ白に燃え尽きた……」
     …….
     お前ら,オレの青春を返せ〜!!(激怒)

2月7日金曜日晴

     昨日岡山市民会館に劇団民藝「かの子かんのん」を観てきた(18:30〜21:20).岡本かの子の男性を基軸とした生涯を劇化したものだった.端的に,女性像に共感できなかった.
     盛り上がったのは,20年間かの子の生活の実務面を取り仕切ってきた親戚の男性が結婚することを,どうしても祝福できないかの子の怒りと哀しみの場面であろうか.人間の自己中心性の醜さと弱さを,樫山文枝は見事に演じきっていた.それだけに,ラストは尻切れトンボの印象が拭えない.
     若い学生と出奔したかの子が宿泊先で倒れ,そこから電話がかかって来た時に,夫の一平に嘆かせた場面である.かの子の生涯を,一平が「努力してやっと一流の女流作家にななれたのに,(若い男に捨てられたことで)詰まらぬ女に堕ちてしまった」(意訳)と総括するセリフが吐かれたであるが,夫に言わせたのが致命的ミスだったか.セリフの中身もいかがと思ったが,言うのであれば妹のお金さん(日色ともゑ)に言わせた方がなお辛らつで良かったかと思う.これでは,かの子は所詮一平の掌で踊らされていたに過ぎぬではないか.作家としても女性としても,男性社会に「評価される」だけのかの子の生涯などというのでは,つまらない.
     「かんのん」は観音様の意味であるが,夫を初めとする複数の男性にあがめられるかの子は「かんのん」像に重なるだろうか.あのような「かの子像」を,女性の観客達は果たして「羨ましい」と思うであろうか.

2月6日木曜日晴

     「発表会どうすりゃいいのとKが来る」
     解説:17日に,卒業論文の発表会がある.今年初めての開催であるが,いきなりヤレという教官側に無理がある.学生に対して「こうするんだよ」という位の説明会は必要だと思うのだが,それすら念頭に浮かんでいない教官たちである.そして,どうすればいいのと聞きにくるのは,やはりKであった.指導教官の申し訳ないという気持ちと,やっぱり君なんだね,という複雑な一瞬の心境が詠まれた一句である.

2月5日水曜日曇

     生協ブックセンターで,やっと「環」12号を購入.久々に読書をする時間が持てた.
     柏木隆雄(フランス文学)「ゾラとわたし2」(リレー連載)で,田山花袋の「蒲団」のラストシーンは,花袋自身は言及してないが,ゾラの「作品」第1章の末尾の「文章そのままではないか」という指摘は,翻訳文と比較してみると確かに意匠が相似しているので面白かった.花袋については,あまり独創性を感じない作家だったのだが,やはりパクリか,などと思ってしまった.他,漱石の書簡や葬儀のときの宗演禅師の偈(げ)についての一文も興味深かった.
     試験期間が終了するまでの僅かな時間を利用して,雑事の解消に努める.試験期間が終了するのは,7日.学生は試験・提出物地獄から解放されるけど,僕らはここからが採点地獄だ.成績の締め切り地獄もあるし…….11日が休みで良かった〜.

2月4日火曜日曇

     いきなり芸能ネタなのだが,梅宮アンナさんの離婚話には驚いた.1年4ヶ月のスピード離婚ということで,まだ結婚もしていない僕には「呆然」というより他は無い事態だ.自分のスローライフと比較して,強く印象に残った(誰だ,笑ってンのは).

     スペースシャトル@コロンビア号の事故の原因はなんだろうと考える(イキナリ真面目).左翼の耐熱タイル関連が原因として有力視されているが,それよりもやはり気になるのは,22年間使用され深刻な老朽化が指摘されていた機体.にもかかわらず整備予算を削った緊縮財政が引き起こした事故であるという,「人災面」だ.アメリカの行政トップの,人命よりも金・利権という発想は,コロンビア号のケースだけではなくて,イラクを攻める理由にも通底している.ブッシュ政権内の石油業界関係者の意向が強く働いているということは,知る人ぞ知る事実だ.一事が万事というのは,極端かもしれないのだが,「やはりね」という印象を拭えない事故(原因)だった.
     ともあれ,犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げる次第である.
     ついでに書いておくと,安値競争の続く日本の航空業界,来週乗るんですけど大丈夫でしょうね〜.

     ワード2002を使っていて,相変わらず罫線機能の使い勝手の悪さに呆れる.紙型を縦書きに設定し,原稿用紙のような升目を作ろうとしたのだが,外枠を作り,任意の数の縦線を引き,さて横に線を引こうかいなと,罫線を引いた途端にイキナリ表の下の部分が消失したのである.見ると,新たに自動作成された2ページ目に,表の下の部分が移動している.
     僕は,これをワードの「イリュージョン機能」と呼んでいるのだが,頼みもしないのに,表の上(頭部)と下(胴体)を勝手に切り離すようなことをしないで欲しい.
     仕方が無いので,上手く表が出来ないときには,定規を使って手書きをしていると言ったら,驚きますか? 13太郎に移行してやろうかと,思ったりもする.面倒くさいからしないけど.

     冨原眞弓『シモーヌ・ヴェイユ』(岩波書店)が入荷.哲学者のアランは,彼女のことを「火星人」と評していた.

       彼女は同輩たちの水準をはるかにこえていたので,比較すらも不可能だった.……わたしは彼女に「火星人」というあだ名をつけた.(17頁)

     ウチのゼミには,「火星人」はいないが,「エイリアン」はいるゾ.「ゾ」は強意の終助詞.