津島通信

JANUARY 2003
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◆CONTENTS◆

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【きむたく日記】

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kimutaku@cc.okayama-u.ac.jp

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広 告(刊行より1年間)

 ¶ 小田島本有氏 『午後のひとときコーヒーブレイク』 近代文芸社,2002.10.1,本体1,000円(税別)

 ¶ 小田切靖明氏・榊原貴教氏 『夏目漱石の研究と書誌』 ナダ出版センター,2002.7.10,本体6,000円(税別)

 ¶ 金 正勲氏 『漱石 男の言草・女の仕草』 和泉書院,2002.2.28,本体4,500円(税別)

    金氏は,韓国全南科学大学助教授(現在)

 ¶ 花田俊典氏 『清新な光景の軌跡--西日本戦後文学史』 西日本新聞社,2002.5.15,本体2,856円(税別)

 ¶ 佐藤 泉氏 『漱石 片付かない<近代>』 日本放送出版協会,2002.1.30,920円(税込)

 ¶ 『敍 説』 第2期第3号「特集・夢野久作―聖賤の交雑―」 花書院,2002.1.6,1,800円(税込)


「演劇鑑賞サークル」のご案内 (岡山限定)  

   以下の要領で,演劇を鑑賞する仲間を募集します.役者が目の前で演じている舞
   台を見ると,TVや映画とは違う迫力と魅力に圧倒されます.募集の期限はあり
  ませんので,是非入会をご検討ください.

                  記

  ・入会の条件
   @教官・事務官・学生・院生・OB,OGなど,一切不問.
   A最低半年以上,サークル会員でいられる人.
 
  ・ 申し込み先:木村 功  〒700-8530 岡山市津島中3丁目1−1 岡山大学教育学部内
     (入会先:岡山市民劇場  岡山市磨屋町4-21 金谷ビル2F,086-224-7121,FAX086-224-7125)

    ・費用
   @入会金:1,500円
   A月会費:
        一般会員;2,300円
        学生会員;1,800円,
    
  ・演劇上演の時,入場料は要りません
  年間平均6〜8本の演劇が鑑賞できます.普通演劇鑑賞は,5,000円以上/1回
 かかりますので,演劇が好きな人にはかなりお得といえるでしょう.また,席が
 余れば期間中複数回の観劇も可能です.
 
  ・個人単位だと,事務局から割り当てられる座席の位置が悪くなるので,「サー
  クル」という単位(3人以上)を作って座席の割り当てを貰った方が,費用対効
  果があがるのです.

  ・詳細は,木村まで.

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 2003年 2月例会「かのこかんのん」
 


「きむたく日記」

1月31日水曜日曇

     今日も相変わらず氷点下からスタートする一日であった.ご存知と思うが,岡山県下では幼い女児2人が行方不明になってる事件があり,一週間以上も経過しているし,最近のこの厳しい冷え込みを考えると本当に心配である.食事も摂れないし眠れないという母親の心痛を聞くにつけ,痛ましくてならない.
     実をいうと,僕が着任してからでも,過去2人の子供が行方不明になっているのである.まさかとは思うが,幼児連続失踪事件ではないかと思ってしまうのは,高村薫の読みすぎであろうか.
     午後,オムニバスの講義を行う.最終講義なので,授業評価のアンケート用紙を配らなければいけなかったのだが,もう一つあったクラス分を担当者に渡すのを忘れていて,講義終了間際に大慌てする場面があった.ウカツだった.
     3年ゼミや,ほかの校務でバタバタしていて,今気がついたのだが,4年のゼミ生は皆「卒論」を無事提出できたのであろうか?

1月29日水曜日曇

     岡山県南部には珍しく雪が降り,地面が凍った一日であった.外に食事に出たら,強風に吹き飛ばされそうになるし,その風がまた身体を射通すように冷たいので辟易する.「マークスの山」のある登場人物が北岳頂上で凍死したのは,こんなカンジかと思う(まだ読んでない読者諸氏,ゆるされい).
     卒論提出締め切り3日前ということで,教務の受け取りコーナーに学生の卒論が積み上げられるようになった.
     ゼミ生Tが,寒さで顔を真っ赤にしながらやって来て,最終チェックをしてくれと言う.そして彼女がおもむろに言った一言に,僕はわが耳を疑った.
     「先生,Kさんが卒論提出しましたよ
     「えっ!?」(思わずフリーズした声)
     Kとは,下に綿々と書き連ねてある,あの「ゼミ生K」である.アンビリバボー.

1月28日火曜日曇時々晴

     3限,4限と講義.3限の講義のために講義棟への渡り廊下を歩いていると,曇り空から風花が舞っていた.
     講義を終えてから,図書館に延滞の本を返却.生協に行って,野内良三『レトリック入門』(世界思想社)などの書籍と,平井堅のCD「LIFE is…」を買う(「大きな古時計」が入ってます).話題になっていた『帝国』(以文社)を立ち読み.「環」の新しい号を探しに行っていたことを,すっかり忘れてしまう(今,思い出した←ボケ).最近,メモリの容量が少なくなってきているなぁ.
     さて,いよいよ今週で講義は終わりである.なんか,今年度後期は早かった.これが終わると,試験・レポートの査読,演劇鑑賞,取材,出張,卒論の査読・試問,修論査読・試問,入試と行事のオン・パレードである.ヤレヤレ.
     とりあえず,高村薫『マークスの山』下巻を読んでしまわなければ,仕事にならん(息抜きですよ,息抜き).

1月25日土曜日曇

     関西学院大学で開催された日本キリスト教文学会に参加.午後の山田良さんの「アマデウス」に関する演劇論の大変興味深い報告と,芥川龍之介最晩年の作品「西方の人・続西方の人」のシンポジウム(関口安義氏・三谷憲正氏・足立直子氏)を聞く.
     キリスト教についてあまり知らないので,理解が及ばなかったのだが,話題の中心に据えられるようだったのは,芥川が「クリスト」を「詩人」と「ジャーナリスト」と表現していたことの解釈についてだった.会場から,京大院生の奥野さんが,ジャーナリストという言葉が出てきたのは,大衆読者層との関連があるのではないかという指摘をしたのだが,それを聞いた時に僕はようやく芥川が,「クリスト」を詩人とかジャーナリストと表現していた意味が閃いた.
     芥川自身,自分をジャーナリストと表現していたのだが,詩人という文学の世界に限定された存在から大衆を意識した表現者に移行しようとしていて,そのモデルを「クリスト」に見出していたのではないか.「クリスト」は,ユダヤ教をさらに大衆に受け入れやすく説いたジャーナリストではなかったか.しかし,天上から地上へと掛けられたその「梯子」は,その発言内容が権力者たちや宗教指導者たちに問題視されて,彼の命を奪う事になったのである.
     芥川が自分を「クリスト」に擬した時,「詩人」(芸術至上主義)から「ジャーナリスト」へ踏み出そうとした自らの栄光と悲惨は,きっと彼の目に見えていたに違いない.勿論その時の「クリスト」像とは,偉大なる宗教者「クリスト」などではなく,巧みな比喩を使って大衆に語りかける表現者としての「クリスト」なのである.
     な〜んて,ことを考えながら帰途に着いた.終了したのが18:00前で,懇親会に出ると岡山からの交通手段が無くなるので,懇親会は欠席する.電車で,岡山から甲東園は,往復6時間かかるのである(飛行機を使うと東京の方が近い).
     咳がまだ出るので一人会場内でゲホゲホやっていたら,阪大院の斉藤理生君に「お大事に」と言われてしまった.まだ身体が思ったほど本調子でないのか結構疲れたのだが,昨年の11月以来久しぶりに「文学研究」の空気を吸って楽しかった.やはり僕の世界は,「ここ」なのだ.

1月23日木曜日雨のち曇

     講義2コマをこなす.咽喉の調子がまた怪しくなった.治りかけては,講義で咽喉を荒らすの繰り返しで,咳が出てしょうがない.のど飴ばかり舐めている.でも,インフルエンザでないので,まだマシかと思う.

     昨日の教室会議で,卒論の発表会を行うという学部決議を受けて,国語教室でもどのように実施するのか話し合われた.最初,今まで行っていた口頭試問に発表会を替えるのかなぁと思っていたのだが,一部の教官から評価する上で問題があると指摘され,議論のすえに中間を取って,発表会も口頭試問も両方することになってしまった.
     今まで口頭試問一日で良かったのが,発表会も加わったために二日を要することになり,学生と教官の負担が増えてしまったのである.この結果には,さすがに温厚な僕も(?)思わず「馬鹿じゃん」と呟かずにはおれなかったが,発表会形式でどううまく評価できるのか口頭試問しか経験したことのない人間には説明のしようもなかった.
     誰か発表会形式での良い評価法をご存じないか.
     と,言うそばから,ゼミ生Kが卒論草稿をまた置いていった(なんとかしてくれ!).

1月21日火曜日晴

     10:00から10:45まで附属図書館の運営会議に出席.
     午後,2コマ(90分講義を2回)の講義を消化.受講していたゼミ生が,「体調はどうですか」と聞いてくれたが,相変わらずの「不調」である.昨日からはじまった頭痛が取れない.風邪?,なのだろうか??
     2月に有給を取って,研究調査のために長島愛生園に行くことになった.「小島の春」を書いた小川正子を知っている人がまだ存命であったので,デジタルビデオカメラを持って取材に出かけるのである.このために機材も購入したが,デジカメも随分進化したものだなぁと思う(ゼミ生を対象に練習中).
     ところで,この「日記」を見てくれている4年生.こんなものを読んでていいのか.卒論提出まで,あと「10日」だよ〜ン.
     と,いうそばから,ゼミ生Kが卒論草稿を置いていった.(解放されたい!).

1月17日木曜日晴

     なんとか復活.体重が1kg減っていた.熱が下がったので,マスク姿で大学構内をうろつく.僕が歩くと,人波が分かれていくので,まるでモーゼの気分である(笑).  鼻水を垂らし咳をしながら,書類の整理.午後,Kに卒論の指導.「こいつの卒論が,オレを倒したのか」とふと思ったりもする.
     研究室で雑用中,火曜日の講義の受講生が事前指導を受けに来る.昨日の予定が,欠勤したのでキャンセルとなり,こちらからも連絡のしようがないので,お気の毒に思っていたのだったが,今日来てくれたのであった.真面目な学生さんである.指導を終えてのち,「風邪を早く治してください」といってくれた心遣いも嬉しかった.

     昨日発表の芥川賞では,前評判の高校生は受賞できなかった.選後評で黒井千次が「さわやかな読後感だけでは不足」といっていたが,それは当然であろう.
     今回の候補者の選定については,受賞者(候補者)の年齢を下げることで,マスコミ受けの話題作りをしているように思えてならなかった.出版社にとって文学(雑誌)は「不良債権」であるが,文学=文化というタテマエから,その看板を下ろすわけにはいかないらしく,如何に採算性を高めるかに汲々としているように思えるのだ.上記の選後評などは,明らかに力不足と言っているに等しいのだが,そのような作品を候補に据えることで,あわよくば受賞→「一葉を凌ぐ才能」などという誇大宣伝→売り上げ増を狙っていたフシを見て取ってしまうのは,下衆の勘繰りであろうか.少なくともマスコミで流れたその名前の作品は,読んでみようという気にさせられた(単純な)私なのである.
     確かに苦しい状況に同情しないわけではない.しかし粗製濫造で,作家をアイドルのように使い捨てしていては,作家も文学は育たないし,読者もそんなブンガクからは離れて行くばかりであろう.苦しいときこそ,腰をすえて良質の作品の担い手を育てなければならないと思う.
     まさにこういう分野にこそ,「公共投資」が欲しいところだ(ムリだろうけど).

1月16日木曜日晴

     深更Kの卒論の草稿を査読していて,めまいがしてきて気分が悪くなり,ベッドに倒れこんだ.
     そして,ついに発熱してダウン.大学は欠勤.原因は,卒論のせいではなく,風邪である(多分).

1月15日水曜日晴

     昨日は,20:30過ぎまで残業.へとへとになって車を家へ走らせていたら,ママ(67)から携帯に電話が入り,「一体どこにいるの!」とお叱りを受けてしまった.
     午前中4年ゼミ生Tの卒論指導.肩の荷を一つ降ろす.先週金曜日にもHの荷を下ろしたので,2つ減ったことになる.
     卒論を抱えているゼミの学生に,風邪には十分注意するよう言っていたのだが,僕の方が風邪(インフルエンザではない)でひどい目にあっている.日曜日に鷲羽山(わしゅうざん:岡山県南部の山)にドライブに行き,風の吹き付けている山頂から瀬戸内海や大橋のパノラマを眺めて悦に入っていたら,年末来の風邪がぶりかえしてしまったのである.鼻水から咽喉に来たところで,昨日授業を2時間したために咽喉がすっかり荒れてしまい,声が出にくくなってしまった.無理に声を出そうとしたら,タレントの出川某のようになってしまうのだ.
     悪化すれば,明日は休講(後日補講)にせざるを得ない.「まずいよ,まずいよ〜」.

1月10日金曜日晴

     4年生Nの卒論指導.登山に例えるなら,山頂までもう一歩というところである.堅実な論である.
     ここまで卒論を見てくると,なんとか書いている者,創造的な論文を書く者,同じ4年間を過ごしていても,その内実が全然異なっていたことが見えてくる.そして専門性の観点から見ると,小学校教員養成課程よりも,中学校教員養成課程の学生の方が,面白い内容を書く.小学校教員は,教科に拘束されていないから,原則何で書いても良いのだが,それは同時に教科内容へのモチベーションの低さを生むことにも直結する.それが,卒論の内容や取り組む姿勢にも影響するのかもしれない.

     今日の「朝日」の小さい記事に,妻側から夫側に離縁を申し出た江戸時代の手紙(の下書き)が見つかったというものがあった.従来江戸時代の離婚は,夫側からの一方的な離縁と言われているのだが,それへの希少な反証である.資料は,今までにも例のあった妻側の「男」からのものではなく,その母親,「女」からである点で非常に珍しいものであるとのこと.
     ここで,僕が気になったのは,その手紙を書いた母親の階級である.手紙を書けるのだから,「武士」と考えているのだが,それは当時の人口の一割程度であるから,農民のそれとは自ずから違うはずである.妻・夫といっても,現代のように平均化できる妻・夫像を思い描いたら,間違いである.階級によって,男女関係のあり方も異なっているのだから.「妻側の立場が,従来考えられていたものより高い」とのコメントが紹介してあったが,農民と違って武士の妻と見るならば,これはむしろ「例外中の例外」というのが,妥当な解釈ではないか.

     今日から,岡山県立美術館で「ドイツ・ヒルデスハイム博物館所蔵 古代エジプト展 −美と神秘−」(1月10日(金)〜2月16日(日))がはじまった.先月その宣伝のために吉村作治氏(早稲田大学)が岡山に来て講演会が催されたので,その折に印象に残った内容を紹介しよう.
     我々が,「ピラミッド」と呼ぶものを,古代エジプト人は「メル」(上に上昇する,あるいは高所の意)と呼んだそうだ.「ピラミッド」という言葉は,古代ギリシア人が,エジプトを旅行した折に見て(紀元前7世紀〜前5世紀),ギリシア語に翻訳するときに,ギリシアにあったピラミスという三角形のパンに例えたことからはじまったらしい.それがラテン語に翻訳されるなどして,現在の言葉に落ち着いたのだとか.「スフィンクス」も,「シェプス・アンク」というのだそうだ.
     ピラミッドは,日本では「王の墓」(王墓)と言われているのだが,実はそうではないというのが,吉村氏の主張である.歴代の王は一代につき,平均3つのピラミッドを作っているのだそうだが,そんなに王墓が必要なわけがない.次に,ピラミッドからは,実はミイラは一体も出ていないという事実.奴隷がピラミッドを作ったというのも,違っていて,建設労働者の村が作られていて,その中には医者に治療された痕のある人骨や(奴隷なら,治療する必要はない),二日酔いで欠勤したことを記した監督日誌が出土していることから見て,奴隷は関与していなかったという説を採るのだそうだ.
     ではどうしてピラミッドが王の墓で,奴隷を使って作ったというような話になったのか.どうも紀元前5世紀頃のギリシア人旅行者にテキトーな情報を与えたエジプト人がいたようなのだ.彼が,当時通説としていわれていた「王墓」ということを,ギリシア人に伝えたようなのである.そのギリシア人は,ヘロドトスというオッサンで,岩波文庫に「歴史」(上・中・下)が入っている.そしてギリシアには,「奴隷」がいた.誤った情報とギリシア的解釈が,古代エジプトの世界を上書きして,世界に広まってしまったわけである.
     吉村氏は言った,「古代ギリシアというが,エジプトの歴史はそれよりも更さらに古い.しかし,古代ギリシア文明に上書きされてしまったために古代エジプト文明の情報は損なわれてしまった.考古学を学ぶことは,人間の歴史が,より強大な文明・文化による支配の歴史であることを教えてくれる」と.
     そしてその知は,今日本や世界を舞台に,アメリカ一国主義をグローバライゼーションという美名に覆い隠して,世界を席巻しようとするダイナミズムの存在を明示してくれるのである.

1月9日木曜日晴

     4年生Fの卒論指導.「風邪で,貴重な冬休みの期間を棒に振りました」という.「大丈夫か?」というところだが,書きたいことはあるようなので,まあ大丈夫かと思う.登山に例えるなら,山頂が見えているところで小休止.というところか.インフルエンザが流行しているようだし,ストレスも溜まって,抵抗力が弱まる時期なので体調の管理に気をつけるようにいう.
     ちなみに昭和54年製の中古の借家住まいのワタクシ.風呂はタイル張りで,ガス給湯なのだが,一番熱い湯温に設定しているのに,10分程でぬるま湯になってしまう.熱い風呂が好きなのだが,そういうことも出来ない.迂闊に長風呂していると,風邪をひきかねない辛い状況なのである.

1月8日水曜日晴

     4年生Kの卒論指導.登山で例えるなら,山霧の中に入った状態というべきか.あと2週間ちょいの期間で,無事脱出できるのだろうか.雪庇を踏み抜きそうな気がして,怖い.

1月7日火曜日晴

     皆さん,新年おめでとうございます.本年も,「きむたく日記」をよろしくお願いします.
     
     年末30日に郷里に帰省すべく腹ごしらえをするために「ラーメン大統領」京山店に行った.車外に出て,ふと下を見たところ車の後輪近くに茶色の札入れが落ちていた.食事を済ませてから,近所の交番に届けたところ,中から10万円近い札が出てきたので,駐在さんともどもビックリした.
     持ち主は千葉の方で,岡山へ帰省して,ラーメン屋さんで落としたものらしい.
     その時駐在さんが,僕を見ながら放ったセリフが印象的だった.
     「今どき,本当に珍しい『善意のヒト』だねぇ.普通,中身を抜いて財布はポイと捨てるようなもんだけど…….海外では,拾得物はその人のものになるそうだよ」
     話を聞いていて,財布を届けた自分が「よほどのマヌケ」に思えて来たので,郷里に戻ってから土産を届けに行った妹の家でこの話をした.小学校高学年の甥たちに彼らの意見を聞いてみた.彼らは,落ちていた10円や100円を交番に届けるような「善行表彰少年」たちなのである.しかし,彼らは,伯父さんの行為に沈黙したまま顔を見合わせるばかりであった.
     その後,持ち主から連絡が入り,丁重な御礼の言葉とともに,岡山の両親も喜んでたとのことで,「良いことをしたなぁ」と心が温まる年頭を迎えることができたのであった.めでたし,めでたし.