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MAR '98
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◆CONTENTS◆

さよなら山口県・宇部短大
岡山日記


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さよなら山口県・宇部短大

 友人達には昨年から連絡しているが,4月から岡山の大学に移ることになった。3年間を過ごした山口県,そして宇部ともお別れである。

 人間が一生に平均何回生活の場を替えるのか分からないが,江戸元禄の頃四国からやってきた農民九兵衛の子孫は,彼以来初めて京都・山口・岡山と渡り歩く「流れ者」になってしまった事になる。一旦郷里を離れた人間は,次第に郷里との関係を失い根無し草になっていくということはよく言われているが,当人の抱く寂寥感というのは言い表しようがない。引っ越す度に全ては最初からやり直さねばならず,新しい人間関係が始まると共にかつての関係は,次第に過去のものになっていく。郷里においても変化は生じている。近所とも次第に疎遠になり,互いの生活についても大概のことしか語らなくなる。親しんだ老人は皆いなくなり,かつて遊んだ路地には,見知らぬ子供達や中学生の姿がある。故郷で結婚した友人達は,今は自分の生活と子育てに忙しい。そして開発されて,昔の風景をすっかり失ってしまった故郷の大地,田畑の光景……。自分には帰属する場所が無いのである。

 かつて自分にとって生きることは獲得することと同義であったが,失うものもあることを次第に強く意識するようになった。今現在獲得することと失うことの比率は,ほぼ等量のように思われるが,これはいずれ逆転していくことだろう。なんとも寂しい限りである。引っ越しをする度に,こういう憂鬱な思いが襲ってくるのである。

 昨日は,山大の石川さんの結婚式と披露宴があってお呼ばれしてきたのだが,宇部の女性を妻帯したことはハッキリと山口に根をおろす決意ではないのかと僕には思われた。それ以前も,個人的には「東京に戻るつもりはない」という意味の事は聞いていたが,実は半信半疑だった。しかし,やはり昨日の彼の姿を見ていると,秋田・東京・山口と移動してきた彼は,自分の根をおろす土地を得たのだなという感を強くした。そしてまた他の土地へ移動していく我が身を引き比べて,もの悲しさを覚えていた。彼の仲人を(チョー緊張して)立派につとめられた花田先生も,ご近所との強力な人間関係をもつ方なので,一層その感は強まった。ふわふわして生きているような自分は,いつ生涯をおくる地を定めることが出来るのだろうか。まさか日本中がそうだというわけには行かないだろう。流れ者でいるかぎり,根を下ろして生活している人たちには,到底適わないような気がするのだった。

 山口は,得難い研究者仲間やあたらしい技術を得た土地ではあるが,「流れ者」には通過点だった。短大での職務には十分努めたと思うが,それ以外の満足感はない。暮らしやすかったかといわれれば,そうだと云うしかないが,一生を送りたいと思う県ではない。全国でも指折りの高齢化が進んでいる県であり,県の経済力評価は,全国平均値よりも低い。優秀な若者や元気な若者は県外へ出ていき,留まった若者は覇気がない。人口はどんどん減って行っている。県内のむつみ村という自治体では,前収入役が1億5千万の使途不明金を出しながら,5年間も村長はそれを知りながら殆ど有効な措置をとらず今月任期を終えようとしている。監査役は,帳簿のチェックをしていなかった。当人は,黙りを決め込み,老人ばかりの村民は怒るばかりである。このような無責任さは,日本国中珍しくも無くなったが,弱体化している山口県でも同様なのであり,この相乗効果はジワジワと県行政に影響を与える事になるだろう。他にも他の自治体にある,赤字を計上しているある短大を4大化するために,市と県が躍起になっているが一部企業への一時的な利益誘導措置であり,これも誰かが止めないといずれ破綻をまねくことだろう。目先の欲にとらわれて大局がみえないのか,見ようとしないのか,行政を動かしている人間の正気を疑うような事が,ここでも多かったように思う。宇部市では,市会議員が公金をつかって海外視察としゃれ込み,しっかり風俗店視察も行っていた。あきれはてたペリカンのカッタ君は,他の土地へ行ってしまった。かつて維新の英傑たちを少なからず排出した長州藩の気風は,山口県にはもう無い。しっかりしてくれ山口県!

 22日,僕は山口宇部を去る。


岡山日記

3月22日日曜日晴れ

     引っ越しをする。荷出しでいきなり腰を痛める。どうも頭の中の自分のイメージと,現実が重なっていなかったようだ。それにしても段ボールだけで64個,業者が4人来てくれて助かった(結局彼らの足手まといにおわった)。短大の吉村先生が,見送りに来て下さって感激。餞別まで戴く。TV('87年製)をリサイクル業者に1000円で引き取って貰ってから,12:00前に山大医学部前から出発。岡山まで高速で移動し,314km程。市内に入っていきなり渋滞。津島・岡大入り口を経て53号線を下り,湊の住居まで順調に到着。電気・水道は不動産業者が手配済みで,直ぐに使えた。住居は輸入住宅のアパート。コンドミニアムで洒落ているのだが,水道の蛇口は見慣れた右左に捻るのではなくて,1番嫌いな押す・引く・捻るタイプ。ショックだった。
     夜冷え込んだが,暖房が効くので大助かり。疲労のためか,頭痛あり。21:00に就寝する。

3月23日月曜日晴れのち曇り

     10:00荷物受け取り。業者が5人来てくれた。22万弱の出費も,体力を考えれば致し方ない(赴任旅費は出るそうだし)。1時間で終了。早速ベッドと机・PCの組立。この間にガスの開栓・電話工事を済まし,市役所に転入手続きに行く。市営駐車場(市役所利用の場合1時間無料)に停めるのに20分待ち。市役所に入って窓口まで10Mの3行列で閉口。転入・転出の時期なのだ。転入届・印鑑登録を済ます。住民票の写しを貰って,岡山東署へ行く。住所変更届をしようとするが,県外からの場合は写真がいると言われて,警察署前の写真館で撮影する。1000円也。窓口の女性2人,大変無愛想で不快。警察ゆえか。無愛想は,女性にとってはマイナスでしょうが!,と金八先生の口調で心のなかで呟く。ジュンテンドーで,カーテンなどを購入して帰宅。TVのケーブルを買い忘れた事に気が付き,近所の天満屋に入っているベスト電器に買いに行く。1Fで鯛焼き1個90円の表示を見て,食指が動く。いや太るからと,一旦は外に出たが,誘惑に負けて引き返して,2個買ってしまう。甘いものに弱い自分が情けない。
     帰宅すると,施工業者が待っていた。浴室の蛇口を閉めても水が滴るのに気が付いて,不動産業者に苦情をいったのだが,総社からきたのだという。10分ほどで修繕。パッキンにゴミが詰まっていたというので,「新築物件やろが」と心のなかで呟く。
     夜,父と東京の教え子橋本くんから電話。23時過ぎにインターネットでHPを見ようとするが接続できない。さすが岡山ともなると,アクセスPが混雑しているようだ。「現代思想」増刊号(S・ホール)をベッドで読んでから,就寝。

3月24日火曜日

     6:00過ぎ起床。HPを更新して,アップロード。ようやくHPを見ることが出来た。「葉」をダウンロードする。深谷さんは,天橋立にいって来て,アームストロング砲に驚いたことを書いていた。僕も車で何度かドライブしたが,気にとめたこともなかった。渡部さんなら,由緒をご存じかもしれない。ビューポイントが2箇所あるので,遊園地のある方ではないようだが。7時のニュースで,甲山事件の差し戻し審の判決が午後ある由。長い裁判だが,障害をもった園児が殺された事実を改めて強く意識する。
     9:30外出して郵便局で,住所変更と公共料金の自動引き落としの手続きをする。大体主たる移転作業が終了する。あとは,車の登録と任意保険の変更である。帰途,三和銀行に寄って,山口銀行の預金を三和に移す手配を依頼する。担当の行員は,ともさかりえに似ていて,可愛かった。どこかの警察とは,雲泥の差だ。紀伊國屋書店で「批評空間」U-17,永嶺重敏「雑誌と読者の近代」日本エディタースクール出版部,上野千鶴子「ナショナリズムとジェンダー」青土社を購入する。無印良品で,日用品を買い足し帰宅する。14:30をまわっていた。トヨタに電話して,車庫証明の代行取得を依頼したら,来てくれと言われて,また外出するはめになった。忘れていた日用品を買い足したりして帰宅したが,今日は疲れ切って結局段ボールを2箱しか開けられなかった。コーヒーを入れて休憩していると,大学の学生から原稿依頼の電話があり,原稿用紙1枚程度でいいというので,引き受ける。永嶺氏の本を読みだしたのは,22時をまわっていた。