津島通信

APR '98
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◆CONTENTS◆

「鬼ヶ島通信」について
教官日録


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「鬼ヶ島通信」について

 妙ちきりんなネーミングじゃないかと思われたでしょうが,転出先の岡大は津島中と言うところにありまして,岡山と言えば「桃太郎」,そして遠征先(?)は「鬼ヶ島」というからには,それに引っかけようと思って「鬼ヶ島」の名を冠したワケです。
 そうすると拙が,「桃太郎」ということになりそうですが,そういうおこがましいことは申しません。ただ「坊っちやん」の「おれ」のように,この大学で見聞きしたこと,主にセンセイや学生の生態についてレポートして行きたいと思います。低い視線からの平易な情報公開だと考えて下さい(低俗にあらず)。文体は,「坊っちやん」調でいきますかな。

 いろいろ考えまして,穏当に「津島通信」という名称に致します。理由については,お察し下さい。「鬼」はいませんでした。(4/18記)


教官日録

4月1日水曜日雨
     今日大学で辞令を貰った。大学に着く前に,渋滞と道を間違えたのとで,あやうく遅刻しそうになって肝を冷やした。親爺は,土壇場になって慌てるのがおれの悪い癖だと言ったが,なるほどその通りだ。親は良く子供を見ているものだ。
     隣室の稲田先生に自分の使う研究室へ案内して貰うが,見ると電話がない。PCすらないのに,電話がなくて,どう連絡をとれというのか。最初から分かっていることなのに,放置してあったことで頭に来たが,所詮他人事なのだから仕方がない。初日から会計係に交渉に行かなくてはならなくなった。やになったが,これも辛抱だとあきらめて,低姿勢で職員の指示を仰ぎにいった。職場替えも3回目ともなれば,もう馴れたものだ。口だけ勝手に動いている。庶務係では,赴任旅費は決まった金額しか支給されないと言われて驚愕した。Y大のI川さんは,全額出たといったのに。今日は,驚いてばかりで,まったく嫌になった。
     生協も見た。瀟洒な建物だが,同志社のより小さい。付属図書館も見た。新館なので同志社の図書館より立派だ。美人の職員に利用カードを作って貰った。何時までやっているのかと聞いたら,22時までだというので,吃驚した。もっと吃驚したのは,先月夜半に強盗傷害事件が構内で起こっていたことだ。注意を促す掲示があって,夜遅くまで出歩くのはやめようと思った。おれは鼻っ柱が強くて正義感もある方だが,惜しいことに度胸がない。木刀をもった乱暴者をやっつけるほど,腕っ節も強くないので,ここは一つ穏便にいくしかないようだ。
     段ボールの書籍を研究室に搬入して,今日の仕事は終わりだ。本棚や机・椅子など買い換えなければならないものが多い。

4月2日木曜日晴れ
     今日も図書の搬入。車に6箱積み,カートに積んで,研究室に運び入れる。腰が痛い。
     庶務と会計係に必要書類を提出する。とくに会計には,備品購入をしてもらわなければならないので,気をつかわなくてはならない。稲田先生の話では,研究室で寝泊まりできるようにベッドを設置するんだといって,会計係を激怒させた教官がいたそうだ。実際に設置してしまったから,偉いものだ。彼が出ていった後,後任の教官が有り難く使用させて貰っているという話だ。ちょっとうらやましくなる。まあ,山口大学人文学部にも,畳をしいて布団とTVを持ち込んでいる教官がいるが。我々の「血税」の1部は,こんな風に有益に(?)使われていたのである。
     稲田先生と雑談していて,「破廉恥なことをしてクビにならないように気をつけて下さい」と,冗談か本気か分からない注意をされる。一瞬顔が引きつる。
     会計に備品の購入パンフを借りて,机・椅子・電気スタンドを購入することにする。問題はPCの購入だが,それは明日にすることにする。
     図書館のインターネットコーナーで,リンク集のチェックをする。NECのPCなので,キーボードが使いにくい。しかも,フリーズさせて放置してあるPCがあるので,復旧させてから使わねばならず,やっかいだ。16時過ぎに退出。市内で渋滞に巻き込まれる。

4月3日金曜日晴れ
     また今日も図書の搬入作業。今日は奮発して8箱積んだ。会計係にPCなど研究機材の購入リストを提出する。とにかく早く研究環境を整えないといけない。
     研究室の備品の配置換えをしていると,田中智生先生が挨拶に見えられる。美声の持ち主だ。山羊のような髭をはやしておられる。<おれ>なら,どんなあだ名をつけることか。研究室内の接客用テーブル(10人用)が邪魔そうだから,小さいのと取り替えましょうといわれて,テーブルを交換する作業を一緒にすることになった。
     作業を終えて田中先生が去ってから,しばらくして吉田則夫先生が見えられる。採用時の主任で,いろいろ電話で連絡を頂いた方だ。挨拶をして,しばらく雑談。
     段ボールを開封して,本棚に入れていく。疲労感あり。
     作業中右隣の研究室の電話が執拗に鳴り響いているのに気が付く。10分以上もしつこくコールしているのだ。普通なら,不在が分かると直ぐにコールをやめるはずだ。しかしこの相手はそれが分かっていてもやめない。ということは,不在かあるいは居留守を承知で,コールを続けていることになる。一体なんのために……。ココまで考えて怖くなったおれは,推理を停止させた。
     オープン戦,ヤクルトがGに負けた。腹が立つ。

4月4日土曜日晴れ
     またまた今日も図書の搬入。腰痛が背筋痛にかわる。
     土曜日なので建物へ出入りするときは,セキュリティーを解除しなければならない。セキュリティーシステムが作動している扉は玄関から遠くなるので,研究室への運搬距離が長くなり,閉口だ。
     8箱搬入してから,段ボールを開封して書籍を入れていく。今日は電話が鳴らなかった。幽霊・魑魅魍魎がでないことを祈るばかりだが,やはり人間が一番怖い。一番面白いのも人間だが。
     ヤクルト・G戦,負傷した古田に代わったキャッチャー青柳が,ボールを後逸して鈍足清原をホームインさせてしまった。やらずもがなの1点献上で,腹が立つ。

4月7日火曜日晴れ
     今日は雑誌関係を8箱搬入。広大ドクターの山下航正さんから,メールを貰う。文学部に移って大変だとは思うが,頑張って欲しいものだ。
4月8日水曜日雨
     一週間前も雨だったが,今日も雨で冷え込み閉口。どうして春物を着る日に限って,雨になるのか。
     午前中は岡山市体育館で入学式があるのだが,「でたきゃどうぞ」という事だったので,ごめん蒙って私用を済ます。
     13:30より教室会議。スタッフの前で改めて挨拶をする。5年前と3年前にもやったので,やりすぎて緊張感もない。オリエンテーションの段取りや,改組関係の話しが出,最後は僕の歓迎会を何時にするかと言う話。14日に決まったが,当日は講義開始日で翌日も講義がある。どうしようかと内心困惑する。
     14:30から,新入生に対するオリエンテーションの予定。しかし30分遅れて始まる。新入生は28名,多いのか少ないのか分からない。中学校国語専攻が10名,小学校国語専修が18名である。教官が自己紹介をしてから,新入生が自己紹介をする。岡山・香川・兵庫という構成だ。
     オリエンテーションが終わってから,大学院生の待っている部屋へ移動する。国語教育の学生のたまり場を通っていくと,在学生達が,ものめづらしそうにこちらを見た。パンダの気持ちを理解する。
     15:15からは,大学院の新入生に対するオリエンテーション。3名が入学。国語学専攻が2名,古典文学が1名で,国語教育はいなかった。香川大から来た男の子は,ボディビルダーということで,教室のおじさん達は一瞬ひるんだ。それにしても文学部ではない教育学部で,どんな修士論文を書こうというのか?
     オリエンテーションが終わってから,院2年の学生が来て,17日に新入生の歓迎会をするので出てくれといわれる。14日・15日(学部の歓迎会)・17日と,下戸の人間には「地獄の一週間」となった。
     同志社時代の友人西根氏(三重県立相可高等学校)よりメールを貰う。僕が「あの木村」だとバレたらしい。インターネットのおかげで,懐かしい友人と再会するのはいいが,旧悪を知っている友人の登場は恐ろしい。キリストではないが,彼には「神通力」が通じないのだから。思わず掲示板の復旧に,消極的な気持ちになる。
     巨人が5連勝した。……悪夢だ。
4月9日木曜日雨
     今日は,在校生に対するオリエンテーションがあった。僕にとっては,お披露目2日目である。広い講義室の雛壇に上がって自己紹介と講義内容の概略・ゼミについて話す。
     実は,この日に稲田先生からゼミについてレクチャーを受けて理解したのだが,教育学部の国語教室のゼミは,講義時間割のなかに含まれないが,3・4回生を対象に毎週行わなければならず,4回生は卒業研究として卒論に6単位を課せられているのだそうだ。幸い僕は今年度着任なので,4回生は相手にしなくてもいいことになったが,3回生を6人を上限に担当しなければならないと言うことだった。
     「卒論って何枚書かせるんですか」という僕の問いに,稲田先生は「100枚前後かな」と明るく答えられるのだった。卒論が上限50枚・修士論文が上限100枚だったD大の修了者にとって,この数字には目眩がした。「なに,400枚書いた学生が3人いた年もありましたから」と,さらに稲田先生は畳みかけるようにいうのであった。
     受講生が多ければ,この数字はそのまま「■問」,もとい「やりがい」の数値に変貌する。国立大学教官はタフでなければ,やっていけないようだ。教壇の上では愚痴るわけにも行かないので,近代文学をなめたらいかんと大いに牽制して,受講生の数を減らそうと姑息な方策をとってしまう自分が悲しかった。
     オリエンテーションが終わってから,女の子が3人やってきて登録したいという。その口からまだ他にもいると聞いて,暗然たる思いで研究室に戻る。
     帰宅しようと研究室をでると,偶然稲田先生も帰宅されるところだった。しかしそこには,いつも見慣れたスーツ姿の先生ではなくて,全身を雨合羽で包み鞄をビニールで覆った,「さあ帰るぞ」という元気一杯の稲田先生の姿があった。
     暗い廊下の中で,逆光のなかに浮かび上がる先生の雨合羽姿は,人間離れしていた……。
4月10日金曜日晴れ
     13:00研究室で受講希望者と面接。新任教官の顔も見ない内から登録を決めていた強者は,結局5人いた。男女の比率は1・4である。まあこんなものか。自己紹介をして貰い,希望を聴取する。雑談の中で,女の子で酒に強いのが1人いた(われながら何を聞いてることやら)。
     PCの使用について聞くと,1年生前期に触っただけで,以降現在までノータッチだという。インターネットなど,とんでもないという話だ。ワープロ専用機を使うのが,3人いるだけで,あとは手書きなのだそうだ。びっくりしてしまう。
     短大時代には全学的にPC教育に取り組み,それに関与もしてきた僕には,教育学部にいて教員志望の彼らが全くコンピューターリテラシーを欠如させていることに心底驚かされた。しかも,使えないことになんの危機意識も持っていないようなので,企業の採用条件の中には,PCを扱う能力は自明のこととして勘案されているし,大分県では教員採用試験にPCの実技が取り入れられていたことを指摘して,改めてその必要性を説明した。教官にも使えない人間が多いので,学生への周知度が低いようだ。運転免許と同じ様な普及度(?)だというのに,国語教育の課程にも入っていないし,困ったことだ。
     京都の山村さんからメール。撮影中の「いちげんさん」にエキストラで出演したという。TV局員の役で,「後ろ姿」での出演だそうだ。
4月14日火曜日
     「読売」の朝刊社会面に,津島キャンパスでおこった強盗傷害事件について,学長と教職員がわに対応の温度差があり,問題になっていることが,黒枠囲みで報道されていて仰天する。1昨年いらい40件になるのだそうだ。3年の白水クンから高校生らしいという噂あるという話しを聞いていたが,オヤジ狩りの一環なんだろうか。
     教育学部で始めての講義。講読で「正岡子規」を取り上げる事にしたので,その文学的業績について説明する。
     午前2時まで調べものをして,ワードでレジュメを作成してから就寝したはいいが,4時まで寝付かれなかった。しかも今日は夜に歓迎会があるので,車に乗れない関係上バスで出勤せねばならず,講義時間に間に合うためには7時半に起きなければならず,実はものすごく眠たかった。
     出欠カードをみると4回生が多く登録していて,しかも真ん前に陣取ってこっちを見ているので,怖かった。不思議に思って,あとで稲田先生に聞くと,「近代文学がなかったから,知識に飢えているんですよ」ということで,納得。しかしプレッシャーでもある。午後大学院の講義,近代専攻の新入生はいないので,登録はないだろうと期待していたのだが,甘かった。3M,全員……いた。
     18:30から,「動(いぶり)」という割烹で歓迎会。賑やかに盛り上がる。いろいろと皆さんストレスが溜まっているようだが,明るい騒ぎ方なので,見ていて楽しかった。なかでも生真面目そうな先生と思っていた吉田先生が,タダのオヤジに変貌したのが面白かった。「ギャハハ」と大笑いされて,すごい迫力だ。息子さんが早稲田の理工に居るのだが,授業料を振り込んでも,礼の一つも言わないと,大いに不満を漏らされる。21:00過ぎに散会。翌日の講義準備が気になるので,1次会で帰る。
     結局,今日も午前2時までレジュメ作り。眠いゾ。
4月15日水曜日晴れ
     今日は,学部の歓迎会があるので,またバス出勤である。8時に起床。なんとか6時間は寝ただろう。脳が疲れると,舌が回らなくなるので,疲労や睡眠不足は要注意なのだ。
     2限目に近代女流文学を講義するために,女性史を概説した。午後は,12:00〜13:00まで教室会議。食事をして,14:30から学部の教官会議。教職員の異動の紹介で,新任の教官6名が紹介される。議題の改組について,議論が沸騰。予定より1時間オーバーして,18:30終了。4時間休み無しの会議で,またへとへとに疲れてしまう。
     近所のカルチャーホテルで,19:00より歓迎会。ステージで自己紹介をさせられる。何時になっても馴れない。度胸がない。しかし疲労で,ハイになっていたので,思いの外笑いがとれたので嬉しくなる。……これって,関西人の悲しい性か。天然で勝負できる方たちが,実にうらやましい。新任の先生たちと歓談してから,他のテーブルに遠征にいく。オヤジ話につきあう。20:30閉会。短かったが,会議が予定より1時間延びたので仕方がない。
     22:00前に帰宅。明日の教材研究。午前2時を過ぎてしまう。眠い,つらい。でも明日は,なにも行事はない。やっと眠れる。
4月16日木曜日晴れ
     2限と3限に講義。2限は,「坊っちやん」の注釈をすることにする。3回生が中心だが,ここにも4回生が鎮座ましましていた。3限は,近代と文学というテーマで,マイノリティに焦点をあてた講義をする。4回生は来ていなかった。ちょっと寂しい。実は一番力を入れていたのに……。ま,いいか。
     14:10から面会日としていたので,早速演習生の白水クンが来る。演習の運営について,簡単な打ち合わせをし,意見を聞く。山口市の出身の彼とは,話題があうので勉強の話がすぐに雑談になってしまう。16:00過ぎに,常角さんが来て,演習について説明。16:30に彼らが帰ってから,研究室を後にする。一日中喋りすぎで,酸欠状態。頭痛あり。
4月17日金曜日雨→晴れ→雨
     研究室の扉をノックする音に答えると,会計の木村さんが電話を持って入ってきた。見ると,アナログの回転式ダイアル黒電話である。先日会計係に冷暖機の購入について交渉にいったとき,会計係長が「先生,電話番号が決まりましたよ」といって,教えてくれたのはいいが,電話は倉庫に昔のがあるからしばらくそれを使って,と気安くいわれたのだった。そんなのは要らないといっていたのだが,会計で「キムタクがつかまらん」と言う話があるようで,強引において行かれてしまった。コワイモノ無しの小母さんを使うなんて,会計係長は実にヒキョーだ。
     今日は,18:30から大学院新入生の歓迎コンパがあったので出席。教官は殆ど出席して,いろいろな話題で盛り上がる。僕が昨日生協の前で,お腹の出た(妊娠)女子学生を見つけて吃驚したという話をしたら,稲田先生が20年前に教えたゼミ生が3年連続懐妊出産をし,「稲田は何を教えているんだ」と責められたという話をされて爆笑になった。しかし,そんなもんなんだろうか。幼顔をして妊娠しているというのは,どうも釈然としない。ま,「カラスの勝手でしょ」だけど。

     20:30過ぎに散会。教官達は蜘蛛の子を散らすように帰って行った。僕だけ残って大学院生と2次会にいく。途時,1回生の松井美子(みこ)さんが,「先生,私たちと居ても違和感ないですね」と,突然言ってくれて嬉しくなる。ま,ブルージーンズにスニーカを穿いて,Tシャツに紺ブレを着て若作りをしているのだから,それくらい言って貰えると,甲斐があるというものだ。しかし,2回の中嶋千夏は,僕の年齢を聞いた後,「何で結婚しないんですか」と聞きやがって,ショックを受ける。クソー,30男のデリカシーを知らんヤツだ。
     これって,すでにナメられているのだろうか?

     宇部短の吉村先生からメール。環境衛生学科から,事務局長に抜擢され,学園の経営の一端をになうことになったという。しかも講義,生涯学習センターも担当されるということなので,仕事量の多さに驚愕し,心配する。有能な方なので,学長の期待も分かるが,仕事が吉村先生に集中しすぎるのが案じられる。ヤクルトも3連敗

4月20日月曜日晴れ
     暑い。今年初めてポロシャツを着る。保健体育の加賀先生を研究室に訪問。端末利用の申請書をチェックしてもらい,木原先生に紹介していただき,さらに総合情報センターに案内してもらう。大学院の授業でPCが使える場所を探していることを相談すると,センター2Fの情報演習室の存在を教えてくださり,係の人と話して明日から使用できるようになった。助かった。兼好ではないが,いい先達に恵まれた。
4月21日火曜日晴れ
     午前2時まで講義準備。8時に起きて出勤する。午後からの講義に出ようと研究室をでたところで,4回生の学生から電子メールを使いたいので,申請手続きをして欲しいといわれる。何のことかわからないが,教務で僕を指名して指示されたらしい。「わかりました」と一応答えて,希望者リストアップするよう支持を出す。子規の講義を終えてから,教務に行って,小谷さんと松尾さんに4回生のメール利用について話を聞く。申請手続きは理解できたが,利用できる端末が国語教室にはないことに気がつき愕然としていると,松尾さんが,「数年前にFMVを60台購入して,各教室に配分しましたよ」といわれる。
     「あ,たしかに国語研究室に1台ありました。大学院にも1台……,でもネットワークにつながっているのはその1台だけですね」
     松尾さんは,黙って微笑されたが,その意味を後で訪問した木原先生の言葉で解読すると,こういうことだ。配分されたPCを国語教室は,大学院だけネットワークにつないで,あとはオフラインで利用していたということで,ネットワーク利用をしてこなかった。しかも3年生までアカウントが発行されているのに,彼らも教官もまったく知らなかったということなのだ。黒船が来て,とっくに鎖国が解けているのに,シクシクシク36。
     コンピュータリテラシーが低いと僕は何度もここに書いてきたが,ここで訂正しなければいけないようだ。低い以前に,彼らは何も知らなかったということなのだ。ほかの教室の教官もうすうす現状を知っているが,よそのことと放置してくださっていたということなのだ。松尾さんも,僕から国語教室のネットワーク利用の現状を聞かされて,微笑するしかなかったわけである。ネットワークを利用しない人たちのことを,第4世界の住人とアメリカではいうそうだが,国語教室とはそういう「世界」であり,僕はそこに着任してしまったのである。「今までにないタイプ」といわれたが,その意味が正確にわかった。
     木原研究室をでるときに,「先生は,国語教室のホープですね」と慰めの言葉をいただいたが,こういうホープは心底ご遠慮したいものだ。僕は,自分の研究が出来ない。
     夜,岐阜大の根岸さんからメールを受信。この日誌の掲載を心配していただく。教養でフェミニズムを取り上げて講義されているようだが,工学部の学生ががんばって聞いているらしい。思い浮かぶようである。ここは,少なくとも第4世界とは違う。ほっとする。根岸さんから,近代女流文学の講義の概要を説明してほしいといわれるが,たいしたものではないので困惑する。
     ヤクルト5連敗,絶句,もう言うことはない。早くシーズンが終わって欲しい。漂着した第4世界の難民を,「いてまうぞ,アホンダラ」と,海に押し返す冷酷な大統領になった夢を見る。ジェントルマンなのに……。

4月22日水曜日晴れのち雨
     朝,大学院の部屋に行くと,ネットサーフィンをしていた3Mのネンリンに,「先生,18日以降のことがかかれてませんね」と声をかけられる。なんのことかいなと思ったら,この日誌のことだった。「週末更新なんだよ」といい,併せてほかの先生への他言を禁じる。彼らとしては,僕が何を書くか疑心暗鬼の部分もあるかもしれない。そりゃそうだ,僕の関心は彼らにも及んでいる。今日は,光本先生直筆の漫画を見せてもらって大変驚いた。「続く」と末尾にあったので,続くらしい。日舞や書道をやる女の子なのだが,こんな意外な一面も持っていたのである。
     昔は,自分のことばかり気になったが,最近は周囲の人間の方が面白い。どんな服を好み,どんな仕草をし,しゃべり方はどんなで,どんな考え方をするのか,気になる。TVゲームやPCより面白いくらいだ。今日は,午前の女流文学の受講生の心理の4回生が化粧をしてきていた。なんでだ,デートか,と思いながら,樋口一葉の「十三夜」を題材に講義をする。どうしてお関は,我が子を置いて離縁しようとするのかと問うと,女の子は「子供を家につれて帰っても,原田に連れ戻されるんじゃ,悲しいじゃないですか」といい,野郎の方は「太郎は原田の家の跡取なんだから,お関は原田の家の保持と太郎の将来のことを考えたんだ」という。こうも綺麗に男女の考え方が分かれるのを見て,ちょっとおかしかった。双方ともそれぞれの立場で,社会的な動物なのね,と思う。
     午後,会議もないので,明日の講義準備。14:00から学部3回の白水くんに電子メールとインターネットの仕方を,研究棟3Fの端末教室で教える。部屋の鍵を口羽先生の部屋に取りに行ったときに,木原先生が偶然入ってこられて,「あ,今日からですか。」といわれる。
     国語教室では,ネットワークを利用する学生がいないので,彼が第1号である。キリスト教を日本に広めたサビエル(山口ではこう発音する)も,このような心境だったのだろうか。しかし,メールの送受信がうまくいかない,送信ができるのに受信でパスワード認識のエラーがでる。おかしな話だ。ネットワークにログインしているから,送信が出来るはずなので,それができて受信が出来ないのはケッタイな話や。TELNETでも,パスワードの認識でエラーが出たが,4回目でパスワードの変更に成功した。どうもサーバー側の機械的な障害ではないかと思う。メールの方はうまく行かなかったが,WWWはOKなので,インターネットが出来て彼は満足げだった。
     「へんな画像を見るなよ」
     「見ませんよ!」
     と挨拶をかわして,研究室にもどる。南本先生から,1週間後に会議を開くことを連絡されたので,4回生のネットワーク利用の件を議題にあげることを確認する。
     こんなことをしているうちに,17:00前になった。調べ物をするために,慌てて図書館に行く。図書館前で入館カードを忘れていることに気がつく。研究棟から徒歩5分,帰って10分,また来て15分,と自分の間抜けさを呪いながら,とぼとぼ往還する。しかも探していた六法全書が見つからず,どうやら法学部の学生がつかっているようだとあきらめて,また5分かけて帰還する。
     岡大は,東北大学ほどではないが広い。図書館も生協も離れていて,歩くのが本当にシンドイ。

4月23日木曜日雨
     今日は,演習と特講があった。演習は2〜4回生が登録しているのだが,2回目の今日は順番を決めなければならない日だったので,最初に発表の見本として僕がレジュメを用意してデモを行っていた。始まって10分位して遅れて入って来た女子学生が2人いたが,ちょっと睨んでそのまま説明を続けた。講義室の扉は前にしかないので,遅れて入室するにはかなりの度胸がいる。
     しばらくして突然携帯の呼び出し音が鳴った。見ると遅れて入ってきた2人のうちの片方が,携帯を取り出している。「電子機器は講義の時間帯は電源を切るよう指示してなかったなあ」と思いながら,説明を中断してその注意をしようと思ったら,なんとその子は携帯を持って立ち上がるや,腰を低めた格好(ポーズ?)で外に出ていったのだ。教室は一瞬静まり返り,そしてザワついた。短大で,講義中に携帯を鳴らした学生はいたが,外に電話をしに出ていった学生はいなかった。悪気がなくそういう行動をとっているのがわかるので,腹は立たなかったが,本当におどろいた。学生のざわめきをみても,彼らも驚いていることがみてとれた。あまりの事態に僕は呆然としていたが,後で注意をすれば良いと思って講義を続けた。そして演習の報告の順番を決める時に,例の2人が今日はじめてやってきた2回生だということがわかった。しかし,他の学生がグループを組むために話し合っているときに,その2人は僕のところへやって来ると,「あのーやはり(登録を)やめます」と携帯ではない方が一応申し訳なさそうにいって,講義時間の途中から退場していったのだった。
     今日,僕は3*年の人生で,「開いた口がふさがらない」という言葉の意味を正確に理解した。教員養成機関である教育学部にも,このように躾がされていない学生が入学するようになった現実を,身をもって理解したのである(勇者キムタクのレベルが1上がった。品のない言葉を覚えた)。……僕は,自分では相当な紳士だと思っているのだが,一言いわせていただきたい。顔は忘れとらんぞ!

     それにしても気になるのは,瞥見しただけでも分かる,携帯のほうの学生の無表情・無言・非常識さである。問題を抱えているのは,中学生だけではないのだ。世間から超脱している(?)とされる大学教員のオジサンたちに,こういう学生のミックスバリエーションを想像して,悪寒に襲われた。
     午後は,「近代と文学」というテーマの特講である。社会ダーウィニズムと優生学の話をし,600万人が殺害されたホロコーストも優生思想が下支えしていたことを説明する。奇しくも今日はその記念日だ。日本における優生思想の展開例の一つとして,ハンセン病をリンクさせ,北条民雄の「いのちの初夜」の内容を解説した。講義中,午前のショックがズーッと残っているのを感じる。
     院生の中嶋さんから,友人からもらったMLのデータへの丁寧な謝礼あり。ネンリンから,HP作成の相談。
     帰宅してから,気になっていたワード98の再インストールをしなおす。アップグレード版なので,前のバージョンの設定が残ってないとインストールできないのだが,その設定を認識しないので,最初からソフトをインストールしなければならない。しかも僕の場合は,オフィスを使っているので,巨大なファイルをインストールしなければならない。オフィス95からオフィス97,サービスリリース版と3回インストールして2回削除する作業をすることになった。結局,18:00〜21:30過ぎまでかかる。まったくバカみたいだ。
     23:00を過ぎてからインターネットでメールチェック。演習資料準備中の広大山下さん・ご機嫌なタイガースファン山村さん・学部のHP管理者(?)伊藤先生・ランチ仲間曽布川先生に返信を書く。メールを返送してから,HPの掲示板を覗くと,光本さんがメッセージを書きこんでいてくれた。曰く「自転車をチャーターすると大変便利ですよ」。今日の「事件」から受けた衝撃は,彼女のこの有益な助言に癒された思いがした。

4月24日金曜日曇り時々雨
     数学教室の曽布川先生の研究室を訪問して,彼の車で昼食に出かける。曽布川さんには,学部の歓迎会の時にお世話になった。この曽布川さんは,純粋培養の慶応ボーイである。話には聞いていたが,生きて動いてしゃべる慶応ボーイは始めてだ。興味深々なのだが,必死で好奇心を隠して,彼が語ることに耳を傾ける。
     岡山には慶応のコミュニティがあるらしく,しかも岡山の主要な経済活動の中心にある企業の社長は,慶応卒なのだそうで,そのコミュニティに入っていることは,すなわち岡山の著名人の一員になっていることを意味する。そしてこのグループの中で,彼は奥さんをゲットしたそうだから,慶応で固まるという傾向がこのグループには強いのも知れない。「慶応でよけりゃ,20台後半から,(女の子を)紹介しますよ」といってくれた。世話好きな人なのである。「10代20代前半がよけりゃ,自分で見繕ってください,アッハッハ」「……」
     曽布川さんにつれられて行ったのは,岡山でしか食べられないという,「エビメシ」という料理を出す店である。エビ・たまねぎが具なのだが,ピラフのようなご飯料理だ。色はドミグラソース色で,美味しかった。肝心の店の名前を覚え損ねた。それから,エスプリという,喫茶店に連れていってもらう。彼の奥さんが子供のころから通っていた店だということで,音楽通が通っているようだ。カプチーノを頼んだが,これは美味しかった。
     14:10から,講義があるという曽布川の車で,大学に戻る。研究室に戻って,納品された「オタックス」を開封して,説明書を読みながら設定を済ませる。保険のおばさんが来る。
     18:00過ぎに退出。円山というところにあるショッピングセンター天満屋で食料を買い足そうと品定めしていると,教務係の女の子と出くわして,お互いにびっくりする。動転して,挨拶もそこそこに逃げる。学生に侘びしき独身生活を見られまいと,「遠く」(大学から8kmしか離れてないのに,岡山の人は遠くだというのが,いまだに不思議だ)に住んでいるのに,早くもこんなに身近な人に見つかってしまった。
     夜根岸さんのメールを受信。昨日の学生の一件について,「教育しましょう」と諭される。グウの音もでない,まったくその通りである。しかし,その根岸さんが中原永世名人の不倫問題について書いてたのは,面白かった。神戸山手の信時さんから,冷やかしのメールあり。

4月25日土曜日曇り
     今日は大学に行かず,寝てばかりゐた。研究書を読んでいると,とてもよく眠れる。爆睡である。疲れが溜まっているのかも知れない。17:00過ぎに,アパートの隣室に入居したといって若い女性が手土産をもって挨拶に来られる。恐縮。休みの日は髭を剃らないので,むさい顔をさらしてしまった(と,書くと自意識過剰かもしれないな)。しかし寝てたので,髪の毛は逆立っていたのだった。
     理科教室の伊藤先生から,国語教室のフォルダを作ったので,ファイルを転送してみてくれとのメールがくる。しかもMACのサーバなので,ウィンドウズユーザーの僕の為に,FTPが使える環境を作ってくださった。感激する。まだ伊藤先生には,1度もお会いしたことがなく,メールで文通しているだけなのだが,先生は懇切に質問に答えてくださるばかりか,それ以上の対応を進んでやってくださる。早速,引越しの作業にかかるが,CGIの作動が出来なかった。残念。
     「掲示板」に光本さんのメッセージあり。猫が外で鳴いているとのこと,そういえば猫の姿を見たことがあった。僕の実家では,母が巨大な肥満猫シロを飼っている。雌猫でも,太るとでかいものだが,何時見ても大きいので,「ハラボテ?」と思ってしまう。アパートでは独りで寂しいので,動物が飼えると良いのだが,契約で禁止されている。今度見たら,餌でもやるか。演習生にネコが加わったりして……。
     洛星時代の教え子@枝川くんからメールで,青野聡くんが岡大に入学しているそうだ。会えるかもしれない。いやー,懐かしい。喧嘩太郎@山村さんから苦情のメール。「津島通信」が見つからないとのこと,なんでだ?
4月27日月曜日晴れ
     理科教室の伊藤先生の研究室を訪問。研究室というよりか,瀟洒な書斎のような雰囲気。M本研究室の足の踏み場のない状態とはエライ違いだ。整然と片付けられた部屋を見て,理系の先生らしい秩序の体現を感じる。ときたま,研究室もご本人もカオス状態の方もいらっしゃるが(理系の話ね,文系は基本的にカオスです),伊藤先生はその点では安心できる紳士然とした方だった。伊藤先生の案内で,理科教室のサーバがある部屋に案内してもらう。教育学部の大部分が集まっているサーバーが意外に小さいもので驚く。そこで,ひとしきりHPの相談をしてから,理科教室を案内して頂く。実験室で,白衣の学生たちが動き回っている中を,恐縮しながら伊藤先生のあとを付いて回る。国語の教員だと知ったら,なんでこんなとこにいるのかと思われるだろう。PCはともかく,他の研究機材が,わりと旧式だなと思ったが,あとで先生が予算面での不足を嘆かれていたので,得心する。研究室に戻ってから,製本された卒論を見せていただいて,しっかり指導されていることにおどろく。レポートを,英文で出させるようにされているのだ。英文で書けば,当然そちらのフォローも必要になるはずだが,その手間を惜しまれないということなのだ。そういう先生から見ると,学生への指導体制について,学部全体で改善の余地があるように考えておられるようだった。さらに展開されるところで,僕のほうで12:30から面会の約束があったので,失礼せざる得なかった。別れ際,「また,ホームページに書かれそうだな」といわれ,伊藤先生が冗談(?)を言われる方だと知って愕然とした。
     夜,慶応医学部にはいった田村雄一から長距離TELあり。2年ぶりである。入学を祝す。
4月28日火曜日晴れ
     今朝根岸さんがいっていた,林葉直子がワイドショーに出ていた。なんか,やな感じで,朝から不愉快になる。
     昼過ぎに数学ハカセの曽布川拓也先生(以下,そぶたくと略)来襲。ランチに行こうということだったが,あいにく午後から2連発の講義で断らざるをえなかった。そぶたくは,他の獲物を狙って去って行った。
     12:40から子規の講義。短歌の革新運動と与謝野鉄幹・子規の革新運動を比較概説してから,「歌よみに与ふる書」を読む。なんか,この時間の講義は大変やりにくい。迂闊に冗談も言えないような雰囲気が漂っていて,笑わせようと無理にしゃべったことが,宙に浮いてそのまま凍ったので,最後までまじめに講義をする。
     大学院の演習をすませてから,16:00過ぎにやっと昼食にありつく。講義前に雑用で昼食を取り損ねたので,ひもじくてならなかった。書籍部で新刊本などを立ち読みして,結局エゾ地関連と民族問題関係・大江健三郎の新刊の3冊を購入する。
     17:40から教室会議。人事関係の話。小学教員志望者の認定試験問題作成の件で,締め切りが12日後と聞いて,みんな憤慨する。僕は,「連休が完全に潰れた」と思ったが,一人田中先生だけは頭を抱えておられた。あとは,僕がらみで,ネットワーク利用の件。4回生のメール利用希望者の使用料の研究費負担が了承された。来年度に向けて利用端末の設置場所を森先生が検討されたようだが,場所的には資料室という集会所しかなく,そこが如何にも管理に不向きな場所なので,みな考え込む。国語教室のHPが,公開されてしまっていることも事後承諾していただいた。
     富田先生が,配布がまだだった稲田先生に防犯ブザーを渡される。稲田先生は,「僕が,つかうんか」と真顔で尋ねられたが,紳士の富田先生は丁寧に,「夜遅くなった時に,女子学生に持たせてやって下さい」と依頼される。「こんなもの要る学生がいるのかなあ」と,悪戯っぽく僕に尋ねられたので,これまた紳士の僕としては穏やかに苦笑するしかなかった。19:00過ぎに会議終了。
     雑用を終えて最後に退出するとき大学院研究室の明かりがついていたので開けてみると,光本さんが防犯ブザーのセットアップに戸惑っていた。ねじをなくしたというので,僕の研究室のブザーを代わりに貸す。稲田先生の表情が,悪魔のように脳裏を何度もよぎるので,笑いをこらえるのに必死だった。
     夜,京都の先輩山村さんから,「津島通信」の更新内容が読めない理由がわかったとのこと。「再読み込み」をしてなかったからだという。絶句。