Monthly UBE

JANUARY



|NEXT

|1997|1998.3|1999|2000|2001|2002|2003|2004|

◆CONTENTS◆
「実践『超』勉強法」
「最新 宮沢賢治講義」
「声の文化と文字の文化」
「賢治先生」
「ポパイの影に」
「昔話の解釈」


A香港型の恐怖
「一太郎8」の恐怖
大雪の一日
テキストデータ「心 先生の遺書」の公開へ
感想をお聞かせ下さい。
takumi@mxd.meshnet.or.jp

back numbers

野口悠紀雄「実践編『超』勉強法」講談社 \1,500

 東大にうつられた野口教授の定番シリーズである。これからの時代を「学歴」の時代から「勉強」の時代と位置付けて、英語学習とパソコンの利用を推奨する。パソコンを使った情報収拾については、いままでの概説から一歩踏み込んで、有力なインターネット上のコンテンツを紹介している。今年も要注意のキーパーソンだ。


小森陽一「最新 宮沢賢治講義」朝日選書 \1,300

 人間像との関連で語られることの多かったテクストを作者から切り離し、社会的歴史的なコンテクストの中で捉えなおした論考。特にU章が、面白かった。テクストを当時の帝国主義的資本主義を掲げる社会への批判として捉えなおそうという試みが、ヴィヴッドに成功している論もあるが、「注文の多い料理店」では説得力がなかったりして、こういった視点と論拠の用い方には十分注意しなければいけないことも分かる(皮肉ではない)。しかし総合的には、賢治作品のもつ新しい意味を闡明することに成功しているのではないだろうか。驚いたのが、易や十二支などに関する知識も披露されていて、小森氏の新たな「意匠」を示している点だ。学部生などには、テクスト論のテキストとして最適。


W・オング「声の文化と文字の文化」藤原書店 \4,200

 マクルーハンの「グーテンベルグの銀河系」の中で、「オング神父」と出てくるのは、この人のことである。「声の文化」オラリティーの中で物語られたテクストでは、記憶に適した特有のエコノミーが働いていて、物語は挿話的でプロットはなく、英雄譚が物語られ、それらは人々の間で共有されるものであった。しかしアルファベットの発明により、「書く文化」リテラシーが登場してきてから、人間の意識が進化しはじめる。書く技術によって、記憶することにそそがれていた労力を、高度な思考を展開することに振り向けることが可能になり、人間の意識が変わったのである。すなわち書くことは孤独な作業であるから、それは思考とともに内面の発見をもたらすことになる。またそのテクストを受容する読者は「読む」ことを通して同様に自分の内面を発見するのである。さらに印刷技術の登場は、テクストの量産を可能にするとともに、それを読む「読者層」を爆発的に誕生させた。近代の始点がここにある。現在は「書く文化」が大勢を占めているために、「声の文化」がいかにテクストの成立に密接に関わっているものであるかが分からなくなっているが、オングの指摘は、読者に我々の「文化」そのものの特徴を平易に前景化してくれる。訳文も水準以上で、よくこなれていると方だと思う。


長野まゆみ「賢治先生」河出書房新社 980円

 学生から勧められて読んだ。「銀河鉄道の夜」が主たるベースになっていて、それに詩・他の童話作品を素材にした文章が散見できる。何だこれはと思いながら読んでいたが、これが賢治という名で括られる作品群にたいするインターテクストの一つなのだということに気が付いて、俄然興味をそそられた。これを批評的な意識の具現化ととるかどうかは意見が分かれるだろうが、こういう解釈もあって然るべきだと思った。作者は「少年アリス」など特異(?)な世界を描き出すのには、定評があるらしい(僕はよくワカランが)。
 漱石の未完テクストにたいして、「続」をつけたインターテクストを作り出したご仁がいらっしゃったが、そういう文体模倣だか、作品世界の決着を付けるのだか知らないが、そういう妙ちきりんなモノを作ることに比べると、こちらの方が安心して読める。これは作者の賢治解釈という意味の世界に安心しておれるのであるが、「続明暗」の方は、明らかに「明暗」というテクストにイレギュラーに接続してくるのである。それを意図した戦略的なインターテクストであることは、頭では分かるのだが、どうも商売上手なだけのような気がして感情的に受け入れられないのである。


富山太佳夫「ポパイの影に」みすず書房 3,914円

 いわゆるひとつのニューヒストリズムの書である。論としては「すべての愛を破壊しに」が、一番整っている。「殺人狂時代」なども時代層の分析としては面白い。日本の近代を対象に、こういうことをしようと思うと、どういうものが可能なのだろうかと考える。去年「結核の文化史」が上梓され、結核をめぐる文学と社会の関係について考察がめぐらされていて、大変興味深かった。そういった人間の表現と社会との関係が、いろいろな角度から論じてあった。近代文学の研究もこういう方向性をとっているのだなぁと、23の知人の顔を思い出しながら、読んだのであった。


マックス・リューティ「昔話の解釈」ちくま学芸文庫

 学生の頃古典文学をやっている友人から、著者の名前だけは聞いたことがあった。著作にふれたのは、はじめてである。通読してみたが、おなじみの昔話の特質というものが明快に書いてあって、大変面白かった。学生の頃に読んでおくべき本であったとも思った。オングの本を読んだ記憶も残っていたので、昔話というものが口承形式のエコノミーによって堅固な筋を維持しながら、今世紀まで伝えられていることに、改めて驚異を覚えずにはいられなかった。そして昔話を読み聞かせることが、子供達に対する最初の人生教育でもあるという事を認識した。人間の成長についての本質的な情報が組み込まれているという点で、昔話はデジタル文化の時代になっても残り続けるだろう。そう思わされる意見が述べてある。
 個人的に興味深かったのは、白雪姫の継母が、本当は実の母であり、しかも美しい子供が産まれることを祈って得た子供であるのに、鏡に「10万倍も姫の方が美しい」と云われたことで嫉妬してしまうという所だ。女性存在の奥深さは、こうした「昔話」にも端的に表れるのである。一人の男として、大変勉強になった。


A香港型の恐怖

 今月2日に母方の祖父の米寿の祝があって、両親と参加した。その時に気が付いたのだが、祖父母達は、7人の子供を産み、2人を幼少でなくした。残った子供達は、1人をのぞいて、いずれも3人の子供を産んでいるのである。孫の全員が集まったわけではなかったが、明治生まれの人の老後がかくもにぎやかなのは、本当に素晴らしいことだと思った。独身の僕は、叔母達からまた結婚話でひとくさりいじめられたのだが、盛会で参加して良かったと思った。
 しかしである。2日後の4日の昼になって、父親が食事を終えるや母に床をしいてくれといいだし、寝込んでしまった。体温を測ると38度あるということだった。母も買い物に出てから、気分が悪くなったといって戻ってきたので、こちらも体温を測ると38.7度もあった。母は嫁に来て以来、からだ丈夫が自慢で、寝付いたことなど無かったらしいのだが、「とうとう記録が今年でやぶられてしまった」と訳の分からないことをいいながら床についた。気が付いてみると、両親が二人とも倒れたのを見たのも始めてである。里帰りしていた妹は、子供達を旦那に連れて帰って貰って、ともあれ一日看病を手伝ってくれた。医者の往診を依頼して、注射を打って貰ったが一向に熱が下がらず、翌日も通院して点滴をしたりレントゲンをとってもらったりと大変な展開になった。父親の発熱がひどく40度近くなったときには、さすがに困惑した。レントゲンでも肺が曇っているといわれた。こうなってくると、両親が寝込んでいる正月の心細さといったら無かった。
 僕も仕事があるので、7日には山口に戻る予定でいたのだが、これでは帰れるかどうか分からなくなってしまった。ところが幸いなことに母が恢復して、動き回るようになったので、なんとか家を離れることは出来た。父はその後3日寝込んで漸く復活したが、今年の流感の威力をまざまざと思い知らされた。その後の母のリサーチで、米寿の祝の会の後、祖母や叔母、従兄と何人かの被害も確認されている。そして、犯人も分かっている。風邪を引いているのにカラオケで大声で何曲も歌いまくっていた、姫路の叔母よ、アナタだ。
 妹曰く、流感も怖いが、風邪を引いているのに遠慮なく人混みに出てくるキャリアーはもっと怖い。至言である。ちなみに流行の先端を走る僕は、既に12月に罹患済みであった。
 厚生省が今日発表したインフルエンザによる死亡者は92人(お年寄り)だという。(1/22)


「一太郎8」の恐怖

 先週の新聞を読んでいて、吃驚したのが「一太郎8」の2月発売のニュースだった。去年は、2月発売が9月発売にずれ込んだのだが、今年は2月にはやバージョンアップだという。実はリリースアップといって12月にも一部機能の改善版を出しているのだ。だからそれから考えると2ヶ月あまりでバージョンアップということになる。
 これはマイクロソフトが新しい日本語入力ソフトMSIME97を開発して11月に発売したことを受けての対応なのだろう。相手側ソフトを研究してそれを乗り越える形で、バージョンアップを繰り返すのである。よりよい入力環境が整えられるではないかという意見もあるが、それは、応分の投資の見返りなのだから当然といえば当然で、こうも短期間でバージョンアップが繰り返されると、投資分を回収できないままに次の投資を強いられることになる。こういう事態は消費者感情として、到底受け入れられない。商品開発の姿勢自体に問題がある。商品を数カ月ごとにバージョンアップして、その度毎に不景気な消費者の財布の中身を搾り取るというような姿勢は、とうてい良心的な商品開発であるとはいえない。
 といっても本当に2月に出るのかどうか、実は疑わしい限りである。ジャストシステムの「前科」は前述したとおりだし、ジャストシステムが本当ににらんでいるのは、春頃発売の「WORD97」に搭載されるMSIMEなのだろう。改良版がでたMSIME95のバージョンアップは、「一太郎8」を踏まえて行われるだろうからだ。これが出なければどうなるか分からないが、ともあれワープロソフトに関しては、今年もマイクロソフトとジャストシステムの覇権争いに巻き込まれることは確実であり、心底閉口するのである。(1/21)


大雪の一日

 今日22日は全国的に大雪だった。出勤するために牡丹雪の舞う中を駐車場に行くと、車が雪で覆われていて、15〜20pはあったろうか。傘で雪をおろして、フロントガラスの凍ったのを取り除いたりするのに10分程かかった。愛用のPコートは、いつの間にか雪まぶれになっていた。
 道路ではどの車も20q/hの速度で徐行運転しており、その横をバイクがスピードを上げてすり抜けていくのがとても怖かった。通勤には、普段よりも10分ほど余計に時間がかかった。こういう日に1限目に授業が入っていると、大変である。授業の内容を進めるわけにも行かないので、適当な話をするのに苦労した。寮生の子は通学に支障はなかったが、電車通学の子は全く姿が見えなかった。それでも9:00をすぎてから姿を現し始めたが、みんな息を弾ませて、髪に雪をつけてご登場なさるのであった。お気の毒だった。
 兵庫県の但馬で高校時代を送った僕も、かつてこのような経験をしたことがあったのだろうか。全く覚えていない。
 午後13:00すぎには、雪はほとんど溶けてしまっていた。(1/22)


テキストデータ「心 先生の遺書」の公開へ

 1/25から漱石の自筆原稿「心 先生の遺書」をテキストデータ化しようと、入力出来た分から密かに公開を始めた。アクセスカウンタも遊びで何となくつけて見た。翌日見たら僕以外のアクセスが4人分あり、驚いた。誰にも連絡せず、姑息に進めようと思っていたのに。どうも炯眼の主がゐるらしい。正直焦った。まだ2回分しか入力していないし、やり方にも不統一があるので、見て貰えるような物に仕上がっていないのだ。
 このテキストデータ化の作業では入力だけでなく、漱石がつけたルビも再現しようとしているので、なかなか作業が進まず、はっきり云って前途遼遠すぎて、タクラマカン砂漠の途中で行倒れてミイラ化しそうな気分である。やり遂げたら「あしたのジョー」の最終回のように、「真っ白に燃え尽き」てしまうかもしれない。110回分あるが、あと108回分入力しなければならない。5月の連休までには、おわるだろうか。ああ、なんでこんな事を始めたのか、F大のO先生が喜ぶだけなのに。入力が終わるまでこのボヤキもつづく。(1/27)