津島通信

January '99
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◆CONTENTS◆

@「きむたく日記」

出勤した日に,暇を見つけて更新しております。

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「きむたく日記」

1月30日土曜日晴れ

     10:00からゼミ。「虔十公園林」について報告。終了後,PCでのデータベースの作成について学生の質問に答えて,HDにインストールした「広辞苑」を自慢する(しつこい性分)。
     跡上さんや根岸さんから指摘されていた,「提言」の機種依存文字を,今日ようやく訂正し,他にもあったブサイクなところを全て改める。

1月29日金曜日晴れ

     午前中講義が無いので,車で郊外の大型書店に,古本を探しにいく(小橋さん情報Thanks)。買うつもりが無かった岩波の「広辞苑」(CD-ROM版,第五版)が6500円で出ていたので,購入してしまう。他にも川村湊氏の「文学から見る『満州』」(吉川弘文館)をはじめ,新書関係を10冊ほど購入。手が真っ黒になって閉口する。澁澤龍彦の本が多くあって,それを見ていて条件反射で跡上さんを思いだし,すべき仕事も思い出す。
     午後研究室で,「広辞苑」の本文をPCのHDにインストールして,来合わせた学生に自慢する。
     紀伊國屋書店さんから,「安吾全集」12とサイードの新刊「文化と帝国主義」1が納品された。今日は講義もないので,ゆっくり読書をと思ったが,ノルマである修士論文の査読が持ち込まれたり,ほかのゼミの卒論作成の質問に答えたり,院生がメールがダウンロードできないのでなんとかしてくれと泣き付いてきてそのメンテナンスをしたり,レポートの資料検索の相談に乗ったりして,予定していた「優雅な午後」は消尽しつくされたのであった。
     研究&教育するところであるはずの大学にいると,全く研究できないというこの矛盾をなんとかして欲しい。

1月28日木曜日晴れ

     昨日小橋孝子さんから,「ホトトギス」(日本近代文学館)第1巻〜第9巻が古書市場にでたという連絡を貰った。今日はその件で,会計係と購入予算の相談をしてから,古書店に電話をいれたのだが,古書店のオヤジは無情にも「ない」というのであった。「いつ売れたんですか,WEBに出てるじゃないですか」というと,うるさそうに「最近」とのたもうた。これは,日本語の会話になっているのか?古書店のオヤジには横風なのが多い。ったくぅ。

     岡大教育学部では,授業アンケート調査というのを今年からはじめている。学生に講義の内容や満足度をマークシートで回答して貰うのだが,教官がアンケートをとりたいという希望授業で良いので,1つだけアンケートに応ずることにした。
     威張れることではないが,僕は講義のテクニックなどを教わったわけではなく(教官皆そうだ),威圧感は身につけていると思うが(学生の私語の経験無し)話芸を身につけているわけではない。中身で勝負だと言いたいが,自惚れにもそう思えないのが情けないくらいのお寒い代物である。自分の貧しい知能を,それこそ雑巾のように絞って,1回1回を必死でこなしているのだ。講義の前日には午前2時まで講義ノートや資料をつくって,寝不足の身体で90分話しつづけるのである。そういう努力を,学生達のテキトー(無責任)な回答で踏みにじられてなるものかと思い,テキトーに受けていないと思われる学生をアンケート対象に選んだのだ。どれかを選ばねばならぬのなら,真剣に聞いてくれていた(ようだった)君達に評価を預けようと思ったのである。
     今日が最終講義の時間だったので,ビクビクしながらアンケートを回収したのだった。マークシートのほかに記入式の紙(無記名)があり,これへの記載は任意なのだが,回収してみると受講生の殆どが書いてくれていて,複雑な思いであった。苦情が書かれていると困るなあと思ったのである。研究室で恐る恐る,用紙を開いて読んで見ると,嬉しいことばかりが書いてあって,気を使ってくれたのかなあと思いながらも,随分励まされた。
    ・「良い意味で挑戦的な授業だった」(喜んで良いのか?)
    ・「シラバスの内容を見て選択したが予想以上の講義だった」(エヘへ)
    ・「欲を言えば説明よりも先生自身の意見が聞きたかった」(ウー)
    ・「脱線も授業のうちですよ」(余談が多いので,「申し訳ない」と毎回謝るため)
     彼・彼女らの期待に違わぬよう,来年度は更に頑張りたいと単純にも思うのであった。

     跡上さんから,「日記」についての感想のメールをいただく。また機種依存文字の使用について丁寧な御指摘有之。「確信犯」ですスミマセヌとお詫びの返事を認め返信致候也。

1月27日水曜日晴れ

     講義前に教育学部の情報ネットワーク委員会の山本先生に,ウイルス問題の対応策を尋ねてみたが,ウイルス騒ぎはしょっちゅうあるようで,僕が大騒ぎしているのが馬鹿みたいに思えてきた。ウイルス問題には個別対応で応じるほか無く,感染FDについても国語教室ではスタンドアローンのマシーンにワクチンソフトを入れて,それでチェックして行く態勢を取るしかないことが分かった。ただほかの教室と連携できないようなのが歯がゆい。委員長の話では,ごまんとあるウイルス対策は,いたちごっこなので,組織だった対応策の実効性に懐疑的なのだそうだ。やれやれ……大変なことになったものだ。
     午前中「虔十公園林」について報告する。そろそろ講義ノートも参考資料として公開したいところだが,皆さん岡大ウイルス"PE_CIH"が怖いでしょうから,やめときます。

1月26日火曜日晴れ

     今日は,寿命が縮まる思いの1日だった。昼休みに,理科教室の伊藤先生から,情報処理センターのウィンドウズマシーンがウイルス感染したというニュースが飛び込んできたのだ。すでに薬学部では研究室の3台のPCや端末室の10台全てのPCが破壊されたという報告内容(1月25日現在)に,すっかり青ざめてしまったわけである。
     情報処理センターは全学利用の教室なので,そこでは勿論教育の学生などもFDを介して利用しているのである。そして感染したFDを媒介して,図書館の共用PCや研究室内のPC,または自宅PCへと,感染は瞬く間に拡大していく。そのような光景を脳裏に浮かべた僕は,いてもたってもいられず研究室を飛び出して,大学院の学生に連絡に走った。講義があるので,院生にワクチンソフトを買いに走ってもらって,除去の準備をする。講義のはじめに,レポートなどをPCで作成する学生には,当該施設のPCの利用を禁じた。講義後には,該当施設のPCを使っていた学生の相談にのる。
     自分のPCにはIBM純正のワクチンソフトが入っているのである程度安心だが,大学院は共用なので,グレーゾーンである。講義後にソフトをインストールして,院生達のFDを1枚1枚調べると,エクセルファイルがマクロウイルスに感染しているのが一件みつかり,これを駆除した。センターで猛威を振るっている"PE_CIH"というウイルスの感染はなかった。これは,バージョンが1.2から1.4まであり,1.4は,毎月26日に起動して,ハードディスクをフォーマットしてくださるのである。開発者には「呪い」あれ!
     大学院生は,基本的に設置されている共用PCを使うので,このことが幸いしたようだ。それにしても問題は,情報処理センターの対応で,今日現在公式のアナウンスは一切ない。伊藤先生のフォローがなければ,僕も暢気に「自滅」していたようなものである。肝心かなめが,危機に際して,他学部に警告の連絡を適切にまわせないようでは困るのである。彼らもいま,卒論の時期で対応におおわらわであろうから,時期を見て苦情を申し入れるつもりである。ウイルスもそうだが,甘い危機管理の犠牲にもなりたくはないものである。  これを見て,自分の戒めとしてください(管理者必見)。

1月25日月曜日雨

     教材の準備。「ねじまき鳥クロニクル」(村上春樹)の中の「皮剥ぎボリス」のエピソードを紹介しようと考えている。ボリスは,間宮中尉の話・書簡の中で出てくる人物だが,綿谷ノボルと良く似ている人間である。間宮中尉は特務機関と連携した仕事をしたときに,ハルハ河畔でボリスによって同僚を「皮剥ぎ」の拷問で失っているのだが,戦後シベリアの抑留施設で再会するのである。ボリスも失策から,収容所送りになったのだが,ボリスは恐怖と暴力によって収容所の実権を掌握してしまう。そのボリスが,間宮中尉にいう言葉が印象深い。「いいかマミヤ中尉,この国で生き残る手段は一つしかない。それは何かを想像しないことだ。想像するロシア人は必ず破滅する。私はもちろん想像なんかしないね。私の仕事はほかの人々に想像をさせることだ。それが私の飯のたねだ。そのことは君もよく覚えておくといい。(後略)」 最後の一文には傍点がある。それは,間宮中尉がボリスの仕事(不正蓄財)を助けながら,殺害を夢みることをいっているのだが,ボリスは最初から間宮中尉の心底を知っていたことになる。
     「皮剥ぎボリス」ことボリス・グローモフが,残虐な策謀家で金銭に汚いこと以上に僕にとって大変興味深いのは,想像する人間より,想像しない人間の方が,人間の「闇」というか深淵を体現していて,しかもそれが戦後ソ連のスターリンの粛清の混乱のなかで,人間の「悪」の光芒を一際強く放っているからに他ならない。いや,「悪」そのものが人間性だと考えるならば,「人間」であることを,これ以上読者に印象付けるものはないだろう。存在そのものが,想像力を持つ人間にとって「呪い」であるかのような存在。「想像力」を排除した絶対悪としての人間を描くことで,われわれの「想像力」がリアルだと感じてしまうよう,そういう皮肉な逆説を体現した存在がボリスなのである。上手く言えないのだが,そのような人間の形象が,村上文学の一つのテーマとしてくっきりと浮びあがってきているような気がする(ウーン,まだメモの段階だ)。

1月23日土曜日晴れ,暖かい

     土曜というのに,9時出勤。演習のためである。掲示板を覗くと,伝書鳩モードの野村さんからトリイ先生の伝言。ナニナニ,漱石の血液型を調べて,FAXが電話で教えろとのこと。「特命リサーチ200X」に頼みなさい。
     10:00から演習。樋口一葉の「にごりゑ」について。女性史の視点から娼妓と結婚した女性を比較して,お力・お初の内面を垣間見ようとしていた。ただし娼妓が「恋愛」によって相手の男性の愛を獲得し,結婚するのが「出世」だというのはいかがなもんかということで,そこを中心にして議論する。ジェンダー・スタディーズへの目配りも必要であると言ってしまったが,教育学部の学生にそこまで必要かとも思ったりして,迷う。
     演習後,データーベース構築の意義と実践方法について,PCを使ったり,昔作っていたカードを引っ張り出してきて説明する。
     午後,食事をしてから,メールの返信を書き,HPの更新。一昨日新しいサイトを見つけたので,リンク集に加える。「横光利一研究の部屋」を公開しているペンギンさんだ。なぜペンギンなのかは,聞くも涙読んだら大笑いである。天狗堂主人の下でお勉強されている大学院生である。本人は師匠にバレたらどうしようと心配されていたが,例の「微笑」で報いて下さるだろう(?)。WEBを見てまわっていると,どうも院生の方が,新しいアイデアや技術の習得に積極的であるように思う。教官側で元気なのは,跡上さんくらいではないだろうか(根岸さんもフロントをリニューアルされました)。ホント若いっていいね。

1月21日木曜日晴れ

     今朝出勤前にハニートーストを齧りながら,ワイドショーを見ていたら,東大生(19)が同郷のGFを包丁で襲って1ヶ月の怪我をさせたと報じた。おかしなもので,東大にいっている教え子たちの顔が何人も浮んできて,思わずどこの学部かと気になってしまった。文Vらしいので,関係者はいないようだと安心したが。天下の東大生のやることも,そこら辺りでナイフを振り回している小中学生と変わらなくなってきている。東大生というブランドもとっくの昔に威を払ってしまっていて,頭が良いだけの特性しかないと思われるようになるのではないか(あるいはもうなっているか)。ちなみに岡大は「カンニング天国」という評価で非常勤の先生方に遇されているらしく,中国地方でひとり「痴力」を発揮しているのである。そしてセンセイ方は,カンニングを撲滅すべく対抗措置を教官会議で諮っている次第である。どっちもどっちである。
     ところで,最近の就職では,知力・体力以上に「魅力」というものが重視されるそうで,どれくらい相手をひきつける人間的魅力をもっているかが重視されるという。しかし20そこらの人間に,「魅力」を持つ人間等いるのだろうか,そもそも大人にいるのか,言うてる本人はどうなんだと言いたい。

     さて1月19日の「きむたく日記」の記事については,色々反響があった。そのなかで,勝手にMLに登録され,一覧として配信されてしまったことに異議を感じていないのではないかとういう部分については,そうではない,それについては疑問にも思い迷いもしたという反論があり,それを得心した上でMLへの参加を決めたのだと述べられていた。複数の方達は,僕が判断したよりも高次の段階の決意で参加されていたようなので,大変恐縮した。配慮のない書き方をしてしまった非礼を心からお詫び申し上げる。
     それから,信時さんと共同執筆した「提言」についての反応の中に,ある個人のHPのBBSで「反発」するという内容の意見が書きこまれているのを見つけたが,個人的にはその人物の「反発」に応酬する予定はない。「提言」の末尾にはURLとメールアドレスを明記して,正面からの真面目な意見を求めている。御当人も我々が読むことを意識していないようであるし,応えようと思わせる内容が書かれているわけでもないので,勝手に「反発」していただこうと思う。
     自分としては,感情的でない建設的な意見に耳を傾けて,今後の活動に反映させたいと考えている次第である。その意味では,島村輝氏のメーリング・リストの活用を考えるべきだというBBSでの見解は受け入れられるものであった。

1月19日火曜日晴れ

     昨日メールを受信すると,48通ものメールが着信していて大変驚いた。友人からのメールとごちゃ混ぜになって,拾い出すのに苦労した。調べて見ると,デジタルテキストを作っているメンバーに配布されたものなのだが,当人に入会の意志の確認がなく,勝手にメーリングリストに登録されて,40通以上が配信されたものであることが分かり,困惑した。メーリングリストの主宰者には,悪意がなく,MLの趣旨も理解できるので,「個人的には」結果オーライとして,それは良いだろう。しかし,「個人的には」許せないと考える方も,これは当然出てくるだろう。
     僕のところのMLは日に1,2通のメールが出入りするだけなので,寂しいといえば寂しいだろうが,落ち付いて投稿者の発言に対処できるので,自分的には快適だと思っている。しかし,それが件のメーリングリストでは投稿が多く,1つのメールソフトの必要エリアを占領していくような活発さであり,尚且つ自分にとって必要かといえば,そうでもないのである。
     主宰者は退会の仕方も,メールで言及しているので,問題はないのだが,最初のネチケット違反について,あまり深刻に受け止めておられないようなのが,気にかかることである。現在,使っていないアドレスに配信するよう登録を変更して,受信メールも日常生活に支障がないところに振り分け処置しているが,配信されるメールの内容を見て居続けるか退会するかを決めようと思う。尤も配信されたメールについては,知人以外は読んでいない。そういえば彼・彼女らが,ネチケット上の問題について言及していないのも気になったことである。大事な問題なのだが。

1月13日水曜日晴れ

     昨晩親爺から電話があって,「きむたく日記」を読んだ大阪の叔父から,「空焚き」見舞の電話があったといった。「あまり変なことを書くな」と釘をさされてしまった。親爺としては,叔父の方が僕の生活を詳しく知っているのが面白くないようだった。うーん,そんなに目くじらを立ててもらうような内容ではないと思うし,,叔父的には十分笑えたから電話をかけたので,兄弟のコミュニケ―ションに貢献していると思うのだが。
     午前中「小学国語」の講義。未明の「野ばら」の報告を受けて解説。第一次大戦後に書かれた童話なので,背景としての「戦争」はビビッドに読者層に伝わっていたはずだ。その「戦争」を,未明がどのようにとり上げて表象したかについて説明し,戦争によって老人が青年の死で失ったものの内実(将来・夢・希望・熱情・野心・etc)を考えさせようとするテクストであると述べた。戦争をめぐるフォークロアの存在(死者の帰還=幽霊)の説明に熱が入って,時間を食ってしまう失敗もあった。
     午後HPの更新,学生の指導,読書。

1月12日火曜日晴れ

     午後現代文学の講義と大学院の演習。講義では,山田詠美「風葬の教室」について話す。杏という小学校5年生の女の子の「都会」的「大人」的価値観が,のちの「いじめ」の素地になっており,それに子供たち・教員がそれぞれの利害・事情で絡んでいったと考えられる。この小説は,学校そのものを批判的に取り上げながら,そこに収まりきらない人間としての子供像を表象しようとしていたのだと思うのだが,十分展開するのに時間が足りなかった。ただ,教育学部の学生として,彼らが「担任」「吉沢先生」という教師たちをどう捉えているかは興味がある。それを聞いてみたかったと思う。
     講義後個人的に話した学生は,「綿パンツ」(恵美子)と「ショーツ」(杏)に女性性の目覚めの有無がある点に着目した意見を述べていた(女性の下着の名称の別はよくわからない。大体ショーツってどんなものなんだ?)。そのことは,トイレに1人で通うことの問題ともリンクしていくようなのだが,前者はまだ理解できても,後者の感覚はさっぱり理解が出来ないのだった。セクシャリティの壁を感じてしまった。
     MLで報告された跡上史郎氏の「セクシュアル語彙解説(増補Webページ版」を読む。セクシャル語彙の解説としては,簡にして要を得たもので,有用性はかなり高い。挫折中の,「WEB辞典」を想起しながら,労作だと感心する。学生にも読んでおくように指示しなければ。跡上氏のような仕事がWEBでもどんどん公開されれば,インターネット上での研究情報の開示運動も説得力が増すというものだろう。

1月11日月曜日晴れ

     今年最初の「日記」である。卯年と辰年という年まわりは,商売人にとってはよくない年なのだそうだ。曰く「うだつが上がらない」。……。別に洒落を言っているわけではないが,年頭ユーロのあおりで円高が進み輸出関係が青ざめた様に,今年も日本経済は厳しい状況にあるということだ。それはとりもなおさず,学生たちの就職状況にも反映してくるだろう。失業率では,とうとうアメリカを追いぬいてしまった現在,正念場を通り越した修羅場が待っていそうな気配なのである。
     実は僕も年末から「修羅場」だった。帰省していた29日に母親が,風呂(灯油式)の「空焚き」をしてくれたのである。居間でパソコンで書き物をしていた時に,犬並といわれる僕の嗅覚は異臭を感じ取ったので,廊下に出て見たのだった。すると天井を恐ろしい勢いで這ってくる白煙を目の当たりにしたのである。白煙は内側からむくむくと膨れ上がり,その勢いで僕の方へと迫ってくる。まるで生き物のようだ。僕は怒鳴り声をあげて,両親を呼んで,煙の出ている風呂場に走った。風呂場は白煙で充満していたが,あるべき水が全くないのを確認して,「やりやがった」と思った。窓を開けながら,母親に水をかけるようにいって,火を消すべく父親の方へ連絡に走った。火を止めて,どうやらこうやら白煙もおさまったのだが,実は後で聞いてみると,水をかけるのは駄目なのだそうで,自然に冷まさないと釜から浴槽に連結したパイプが割れるということだった。しかし掛けないことには,あの煙は収まらないし,火事と間違えられても大変だ。かけないわけには行かなかったのである。それにしても,話でしか聞いたことのない「空焚き」を,わが身が体験しようとは,人生何が起こるか分かったものではないなぁ,……などと感慨にふけっているどころでは,実はなかったのである。
     仕事納めをした業者に無理をいって来てもらって確認してもらい,パイプの破損が生じていることが判った。しかし,部品がないので修繕は年明けになるという。困ったのは,風呂である。我が家は幸か不幸か,かつての火山地帯にあるので,城崎温泉をはじめとする温泉には不足はしていない。銭湯がないのもそのためである。よって我が家は,仕方なく,30日から1月5日まで,町内町外の温泉にいきまくった次第である。その入浴料が結構な金額になったことはいうまでもない。
     次は電気料金である。先月から普段の冬の電気代に比べて2倍近い電気料金を請求されていたので,不審に思っていた。8日に貰った今月分の請求書には,帰省していたのに先月より多い電気料金(1万円近い)が記入されていて,ついにキレてしまった。中国電力にTELして,「この請求額はおかしい」と苦情をいったところ,「そりゃ,使っているからですよ,お客さん」といわれて,「アホかキサマ!」とショートしそうになった。しかし,根気良く使用状態を説明すると,相手もブレーカーを切ってメーターの円盤がとまるかどうかチェックしてくれというので,そのとおりにしてみた。配線に異常がなければ,それで円盤はとまるのである。ところが,円盤はくるくるをまわり続け,僕の頭も確信と怒りでくるくると眩暈がするようだった。中国電力に再度電話をかけ異常を告げると,11日では駄目かというので,更にキレて「すぐにこい,このバータレ」と言いたいのを我慢して,紳士らしく「今日,来ていただけますか」と依頼した。営業担当者が30分後に来て,異常を確認し,僕の部屋のメーターと別の部屋のメーターが入れ替わっていると教えてくれた。11日の午前中に再度の来訪を約す。どうも工事段階のミスのような気がした。そして今日11日,9:30頃中国電力の契約担当者2名がやってきてチェックしたところ,大家の申請書類のミスで,最初からメーターの順番が狂っていたのだそうだ。僕は別の部屋の住人の,高い電気料金を1年近く支払ってあげていたわけである。結局,僕には返金が1万円近くあるということだった(ということは,もうお1人には同額の請求である。合掌)。最初は電気を盗まれていたのかと思ったが,こんなこともあるのである。皆さんもご注意を。自己責任の大切さを,年明け早々学んだ気がする。
     年末から年明け早々にかけての,溜息なしでは語れない騒動記でした。