津島通信

JUNE 2003
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◆CONTENTS◆

【広告】
【きむたく日記】

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感想をお聞かせ下さい。
kimutaku@cc.okayama-u.ac.jp

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広 告(刊行より1年間)

¶ 鳥井正晴氏『明暗評釈』第1巻(第1章〜第44章),和泉書院,2003.3.30.本体5,500円(税別)

¶ 岡山市・岡山市文学賞運営委員会編『おかやま しみんのどうわ2003』吉備人(きびと)出版,2003.2.8,定価1,000円

 ¶ 小田島本有氏 『午後のひとときコーヒーブレイク』 近代文芸社,2002.10.1,本体1,000円(税別)

 ¶ 小田切靖明氏・榊原貴教氏 『夏目漱石の研究と書誌』 ナダ出版センター,2002.7.10,本体6,000円(税別)

 ¶ 金 正勲氏 『漱石 男の言草・女の仕草』 和泉書院,2002.2.28,本体4,500円(税別)

    金氏は,韓国全南科学大学助教授(現在)


「演劇鑑賞サークル」のご案内 (岡山限定)  

   以下の要領で,演劇を鑑賞する仲間を募集します.役者が目の前で演じている舞
   台を見ると,TVや映画とは違う迫力と魅力に圧倒されます.募集の期限はあり
  ませんので,是非入会をご検討ください.

                  記

  ・入会の条件
   @教官・事務官・学生・院生・OB,OGなど,一切不問.
   A最低半年以上,サークル会員でいられる人.
 
  ・ 申し込み先:木村 功  〒700-8530 岡山市津島中3丁目1−1 岡山大学教育学部内
     (入会先:岡山市民劇場  岡山市磨屋町4-21 金谷ビル2F,086-224-7121,FAX086-224-7125)

    ・費用
   @入会金:1,500円
   A月会費:
        一般会員;2,300円
        学生会員;1,800円,
    
  ・演劇上演の時,入場料は要りません
  年間平均6〜8本の演劇が鑑賞できます.普通演劇鑑賞は,5,000円以上/1回
 かかりますので,演劇が好きな人にはかなりお得といえるでしょう.また,席が
 余れば期間中複数回の観劇も可能です.
 
  ・個人単位だと,事務局から割り当てられる座席の位置が悪くなるので,「サー
  クル」という単位(3人以上)を作って座席の割り当てを貰った方が,費用対効
  果があがるのです.

  ・詳細は,木村まで.

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 2003年 7月例会「頭痛肩こり樋口一葉」(こまつ座)
 


「きむたく日記」

6月27日金曜日曇のち雨

     昨日散髪した.奥さまは,「(白髪が目立たなくなり)若返った」と言ってくれた.館内であったゼミ生も「若いですね〜」といってくれたが,Tシャツ・ジーンズ姿を見て「格好も」と言った.この副助詞の解釈に数分悩む.

     一週間後に迫った公開講座の番組放映の件で,NHK側から連絡.番組編成会議で,「絵になりにくい」という意見が続出し,8分30秒の持ち時間を大幅に削られて,3分にされてしまいました,とのこと.ついては,僕1人で出演して欲しいとも.
     「3分で怪獣を倒すウルトラマンの気分です」と,メールを送る.

6月24日火曜日雨のち曇

     朝方は激しい雨降りで閉口する.出勤の途上,雨に濡れたワンコが反対車線の車道を,車と一緒に走っているのを見つけてヒヤヒヤする.ドライバー達は,轢き殺さないようにスピードを緩めているし,こちらの車線のドライバーも,犬に近づくとスピードを緩めて不意の針路変更に備えている.そのために自然とワンコ渋滞が発生しているのだった.ワンコは車道に迷い込み,出られないので困っているだろうと思っていたら,なんと嬉しそうに尻尾を振っていたのであった.「君,車好きなの?」
     2限から連続講義.持ち帰ったノートPCを自宅に忘れて来た事に気づく.パワーポイントを利用した講義が,今日も出来なかった.仕方なく,ファイルを印刷して配布する.講義時間中,受講態度の悪い学生を注意.注意された後の態度もふてぶてしく不快.こういうふうに他人を,堂々と不快にさせる無神経さというものを,僕は許すことができない.
     3限で,安房直子「きつねの窓」の演習.知る人ぞ知る難しい作品なのだが,2人の担当学生は完成度の高い資料を提出し,僕はそれをもう一段階高めるだけで良かった.自分でいうのもなんだが,何年かぶりの会心の時間になったように思う.これこそ国語の教官の醍醐味というところだろうか(笑).でも,とても良い時間になった.朝の不快も吹き飛んで,いい気分で4限の講義を済ませる.

     公開講座の広報のための材料として,担当者のA先生に東南アジアで使われている竹製の楽器を借りに行く.北音楽棟という学部というか大学の最東端に,初めて行った.土足禁止にも驚かされたが,これは足音を出させないための工夫なのだろうか.さすが音楽教育である.
     A先生に,フィリピンで使われる「バリンビン」,「トガトン」(竹筒),竹製の「スリット」をお借りする.個人的には,「スリット」がとても気に入った.これは細長い木魚のようなもので,太い竹の表面に格子状のスリット(割れ目)が入れてあり,打つもので叩くとポンポンとのどかな良い音がする.研究室で暫く「演奏」する.
     僕もこの公開講座(竹で楽器を作り合奏する,子ども向け講座)を受講したくなった(宣伝文句ではなくて,本当に).

6月23日月曜日曇のち夕方雨

     午後非常勤.大学に戻り,1年生の教官訪問の相手をする.それが済んだら,ゼミ生の演習の指導.気がついたら,19:00前だったので,明日の講義準備を自宅ですべく,ノートPCを持ち帰る.今日は何も出来なかった.
     夕食後,長崎土産の福沙屋の最中とカステラとどちらを先に食べるかで議論する.

6月22日日曜日曇時々雨

     10:00から2日目の学会発表.開会前に休憩室にコーヒーを飲みに行くと,純心大のN野さんが,「小島の春」の古本を開いて「予習」されていた.昨日の「あの人」といい,N野さんといい本当に勉強熱心である.
     僕は2番目の発表(「聖戦のディスクール――『愛』と抑圧の『小島の春』」)で,最初の九大院生の報告が終わるのを静かに待つ.11:20から登壇し,最初にパワーポイントを使って,発表の主人公たちについて紹介する.7分くらいかかってしまったが,今回は持ち時間が50分あるから, ……などと思ったのが失敗だった.初めて話を聞く人のためにハンセン病の近代史について概説をしたのだが,時計をみると20分近くも経っていたので,少々慌てはじめた.4章まであるのにまだ内容は半分も行ってないのである.
     おかげで言おうと思っていたことをずいぶん言い忘れた.今思い出せるだけでも,内務省官僚が,ハンセン病の伝染性が低いと知ってたにもかかわらず,そのことを活かさなかったのはなぜか.療養所の中では,遺体の無断解剖や違法なワゼクトミーが行われていたこと(これは戦後合法化までされて,逆行した)などがある.
     やっと報告を終えられたぁと思ったら,今度は石田先生にはじまる質問者が次々に挙手をされ(石川氏,N野氏,T崎氏),最後のH田氏の時には時間がかなり超過していたので,「もう時間では?」と司会者に暗に「解放」を求めたのだが,「まだ大丈夫ですから」とあっさり拒否される始末である.質問から解放された時,僕は時計を見て驚いた.80分以上が過ぎていたのである.電車の時間もあったでしょうに,皆さん長くなって申し訳ありませんでした.
     しかし,いずれのご質問も自分の問題意識を活性化させてくれるものや不備を補うもの,構想のあり方への留意を喚起するものなどで,大変ありがたかったことを,ここで述べておきたい.感想の中には,発表中しきりに「まぁ〜」という文句を繰り返していて,それだけでも5分は縮まっただろうという,よく分からないものもあったのだが.
     会場を後にしながら,石川さんと話したことは,「自分の問題点を気付かせてくれるので,発表はとても大事なものだ」ということである.

     そして院生の方々に言いたいのは,他人の報告をちゃんと聞き,形式面や応答,プレゼンテーションなどについて,良い面は盗み悪い面は反面教師として,自分の技量を磨くようにしてほしいということだ.他人の報告を聞くことも大事な勉強なのである.報告者の中には自分の発表が終わると次の日は来ていない人がいたが,勿体ないことである.「所定の発表時間を厳守する」という,学会発表時の最低限のルールを守ることの重要さについて,実例でしっかりと学ぶ機会を逸したのだから.
     最後になりましたが,会場校の下野先生,サポートされていた横手先生,お世話になりました.<(_ _)>

6月21日土曜日曇

     日本近代文学会九州支部大会に参加・発表するために,13:30過ぎに会場校である県立長崎シーボルト大学に到着.福岡大学の院生2人の賢治に関する報告を聞く.懇親会の場で聞いたところでは,初めての報告ということで,緊張を表しながらも初々しい発表であった.
     九州大学大学院の石川巧氏の報告「旧制高等学校,専門学校の入学試験における『現代文』の思想」は,現在の近代文学研究の起源を試験制度との関連で探るもので,制度的言説のアルケオロジーである(活字化されていないので,プライオリティーの関係上詳細は書かない).僕も対象は異なるが,似たような問題意識でハンセン病と支配的イデオロギーの関係を調べているので,石川さんの方向性はよくわかるのだった.博捜した資料を基に,先鋭で説得力のある論を構築されていた.
     総会の後,会場を移して懇親会に参加する.歓談の場が,近況報告に移り,石田先生(鹿児島大)が島尾敏雄の膨大な資料の保存についてあの美声で訴えられたあと,自動車教習所に通って年下の教官にしごかれていると報告する人や,38でやっと結婚しましたと自白させられる人,就職の報告と教員生活の話をする新人教員たちや,会場から見える長崎大学附属中学と三菱造船所について熱く語る人,研究せずに管理職やってますという人,大学教育の危機や事務局の苦労を切々と訴える人などいろいろ続き,最後は,「また」あの人がおもむろに立ち上がるのだった.
     あの人は,過去の自分の報告の時を忘れたのか,今日の最後の報告者の服装について,「なんだあの格好は.シャツはズボンの中に入れろ」などといい(人のこと言えんでしょ),それから自分が,100円から300円単位で紙袋4つになるほど古書を買う「快楽」について語り(古書フェチかぁ),話題を転ずるや38で結婚した男の結婚式の感想を述べて新婦の笑顔をほめたたえる一方,相手の「蝋人形」ぶりをあざ笑うのであった(ウヌヌ,…事実だ).挙句には「衛生思想なんてことをぬかしたら」などと明日の報告者を挑発するのである(ぬおぉ).
     それを聞いたA塚先生は,「おお,こりゃ尻尾をまいて岡山へ帰った方がいいぞ」と実にうれしそうに言われ,まわりもそれをあおるようにやんやとはやしたてるのであった.このプログラムを組んだM本氏も実にうれしそうな表情をしていたのは,気のせいであったろうか.
     21:00過ぎに2次会を住吉町の「CREAM」へ移し,3次会は近所の三八ラーメン.僕は皿うどんを注文して,本場長崎の麺が「バリバリ」と結構硬めであるのを知った.24:00過ぎにホテルに入り,寝る前にベッドでレジュメの内容を確認.資料に一箇所「衛生思想」の表現を見つけ,さらにはコメントが抜けている箇所も見つけて,頭を抱える.
     この頃,お姉ちゃんがいるクラブで2次会を持ったGは,まだ歓楽の真っ最中であったとか?

 

6月20日金曜日曇のち晴

     昨年度から僕は公開講座を担当している.ので,広報の必要から,今年はNHK岡山の番組に依頼を出し,出演させてもらう事になった.今日は,キャスターの森田恵子さんと出演予定の講座担当者を交えて打ち合わせを行う.Y先生が森田さんに,「どこかでお会いしましたよね」と云われるので,「TVの画面でお会いになっているのではないですか」と突っ込む.
     講座全体のプレゼンをする人間が必要だ,と森田さんに言われて,思いも寄らぬことだが,僕まで出演することになってしまった.他の先生方は,それ見たことかと大喜びであった.ON AIRは,7月4日金曜日17:05の生放送である.かまなけりゃいいが.神様.
     ゼミ生の演習の指導をしてから,支部大会(長崎)の資料を,無理やりに完成させる.印刷.出来上がったあとに,ミスを見つけるが,もう見なかったことにする.指摘されたら,「気のせいです」と言おう.

     シーボルト大「長崎」つくとは知らぬなりけり

     それでは,九州支部の皆さん,明日お会いしましょう.「長崎の夜」が楽しみだなぁ〜.

6月19日木曜日曇のち雨

     午後から岡山も雨が降り出した.風も強い.今度は台風6号が来ているとのことである.出勤する時に,台風が長崎近辺にいて,学校は軒並み休校になるとのことだったが,その長崎に2日後に行く身としては,長崎への路線が土砂で埋まらんかなぁとか,会場校への道路が全て寸断されんかなぁ,などどバチあたりな事を想像してみるのだった.
     ノートPCの復旧作業も終わり,あとは学会発表用の資料を完成させるだけである.準備できる時間は,今日明日を残すだけとり,不足する資料は口頭で補うしかない.にしても,なかなか満足のいく結論が見えてこないのが,浅学非才の身の哀しいところか.思わず一時間ほど,百閧フ世界に現実逃避する.でも,現実は変らない.ああ,わがゼミ生たちの,あの演習発表前前日に資料を作成するという,あのケの生えたような心臓が欲しいものである.

     発表前クのつく度胸をお借りしたい    きむたく

     21:00過ぎに研究室を出て帰宅.22:00のNHKのニュースを見ていて,文化庁がまとめた国語の乱れの例を示していた.「お支払いの《方》」とか,「1万円《から》」などの《方》《から》の使い方に若者の7割が違和感を持たないという内容であった.専門家によれば,「誰?」のことを「《どちら》さん?」と言ったりするように,距離を示す言葉を用いて丁寧なニュアンスを表そうとするもので,理解できる用例だとのことだった.ところが事例の中に,「休ま《さ》せて下さい」というものの紹介があり,「この《さ》は何? 《す》の代わりに,なぜ《さす》を使うの.これも誤った敬語?」と思って,当然続くはずの解説を期待していたのだが,これについては説明もないままに次のニュースに移ってしまった.
     「おーい,森田さ〜ん」と言ったボクの声は,居間に寂しく響いた.

     先日の早稲田大の美人局(つつもたせ)事件から,今度は同じ早稲田大のイベント系サークル「スーパーフリー」のメンバーが逮捕される事件が報道された.事件の幼稚性は一先ず置くとして,いつも思うのだが,生徒や学生が事件を起こすとどうして学校長や副総長が謝罪会見を開くのか.サークルなどは任意団体で,部活動などとは違うのだから,わざわざ大学が謝るものでもあるまいに(注).謝罪するのだとすれば,それは保護者なのではないか.それとも学生の躾も,親から大学に移っているということなのだろうか.

    (注)サークルも大学の教員が顧問になっているようですので,指導上の責任が生じるようです.「連中」,余罪が発覚してますなぁ.(6.20)

6月17日火曜日曇のち雨

     今,ノートPCのリカバリ(初期状態に戻す)作業中である.
     なぜこういうことになったかというと,今日の2限の講義でプロジェクターを使用するというところから話は始まる.教務の器材準備室に,僕のノートパソコンとはカナリ相性の悪い,ソニーのものしか残っていなかったので,仕方なくそれを使うことになったのが,そもそもの悲劇の始まりである.
     教室でケーブルを接続して双方の機器を起動させると,なぜかノートPCの画面表示が低下(粗い?)したものになって,スクリーンにも同じようにフヌケタものが映し出されている.以前同じトラブルに見舞われたのと全く同じ症状で,脳裏では「画像表示用のドライバ」が壊れたという警告メッセージが赤く点滅している.気味の悪い汗がどっと噴出した.10分近く再起動をしたりして復旧を試みたが改善はされず,仕方なく諦めて,フヌケタ画面のままで講義を進めることになった.画像を扱うものではなく,プレゼンが文字ベースのものであったことが幸いした.しかし,4限の授業は画像中心だったので,講義には使えなくなった.
     講義の合間に修復を試みたが,結局ダメで,講義が終ってから必要なファイルのバックアップを取り,「さよなら」とリカバリスイッチを押した次第である.
     本来なら,リカバリまでしなくても,必要なドライバを再インストールすれば良いだけなのだが,所有のIBM機には最初から復旧用CDがなく,リカバリスイッチで初期状態に戻すしかないので,その都度アプリケーションソフトも再インストールするしかなく,大変に手間がいる.ましてや,日曜日に発表を控え,資料の出来上がり具合も「?」状態の今,このロスタイムは非常に痛い.痛けりゃ,この日記も書かなきゃいいじゃんという声も聴こえてきそうだが,この怒りを誰に訴えれば良いのかっ!!(多少,すっとした)
     それにしても,3コマ連続は本当に疲れる.最後の4限目は酸欠気味でヘロヘロになり,寝ている学生を叱る気力も湧かない.昔は体力にある程度自信があったのだが,もうトシなのだろう.来年度は,時間割編成に気をつけよう.

6月16日月曜日雨

     昼休みなのだが,今凄く眠い.
     昨夜,1時過ぎまで学会発表の準備をしていて,それから就寝したのであるが.1:30頃から隣のコーポの赤ん坊が夜泣きをはじめたのである.この絶叫ショーは,2:30まで続き,いつもは寝入ったらなかなか起きない奥さまも「眼が覚めた」と言っていたほどである.これを俳句と川柳で,それぞれ表現すると以下のようになる.

     梅雨寒のしじまを破る夜鳴きかな
     なんとかせいクソ餓鬼アホ親夜が更けるぅ

     「子どものことだから」と思って,絶叫を約1時間我慢して,時計が2:36をまわったのを覚えている.そして今朝,僕はこれも隣のコーポの別の子どもの声で眼を覚ました.
     実はこの子どもは,僕の部屋の真横の部屋の子どもなのだが,不定期に早朝コンサートを開くのである.まだ幼いらしく,言葉がはっきりしないのだが,「ア〜ア〜,ウ〜ウ〜」と10分程熱唱を聞かせてくれる.合間にはたて笛の「ピー」という調子ッぱずれの音まで間奏に入れる凝りようである.勿論これが僕にとっての「恐怖のイベント」であることはいうまでもない.
     「でも,ま,子どものすることだから」と,諦めきって,寝不足の重い身体をベッドから起こした今朝のワタシであった.

     目覚ましは隣のガキのコンサート

     ついでに言っておくと,発表日が迫っているせいか,学会会場校のS氏まで夢に登場されたのには驚いた.

 

6月13日金曜日曇のち晴

     午後から蒸し暑くなった.所用を済ませて,17:00過ぎから図書館旧館へ図書を求めて探検に行く.光田健輔の『愛生園日記』と『回春病室』だが,いずれも紙ヤケしてボロボロである(絶句).この他,光田を扱った小説『天の声』も借りてくる.
     生協で『少年カフカ』と,講義の参考用に『日本人には思いつかないイギリス人のジョーク』PHPを購入.『少年カフカ』は,「海辺のカフカ」に対する読者の感想メール1220通とそれへの村上のレスがまとめられた一冊である.体裁が,少年誌仕立てで面白いと思い,思わず購入してしまった.あの手この手で読者を「囲い込む」出版社の工夫には,本当に恐れ入る.岡山大学もこういう「囲い込み」は,学ばねばならないところだろう.でも,「岡大生活」なんて雑誌,誰も買わないだろうなぁ.
     グレゴリー・ペック(87)が,昨日12日未明に老衰で亡くなったそうだ.ヘプバーンとの「ローマの休日」(1953)は,羨ましい限りだった.彼の代表作「アラバマ物語」(1962)は見ていない.また,機会を作って見てみよう.

6月12日木曜日曇時々雨

     講義2つ.今朝,奥さまの伯父さんがお亡くなりになったという連絡を受けた.病をおして挙式・披露宴に来ていただいた方だったので,とても残念な気持ちで一杯である.まだお若い方であり,ご親族の心中を察すると,申し上げるべき言葉もない.お悔やみを申し上げる.

     今日は梅雨らしい一日で,なにやら気分もしっとりしている.咽喉の痛みもようやく緩解して,講義も滞りなく運ぶことができた.何よりも睡眠中に自分の咳で眼が覚めないのがありがたい.こんな静かな一日もいいなぁと思うが,これは嵐の前の静けさなのかもしれない,などと思いながら遅い昼食を買ってきて,館内に入ろうとしたところ,一人の学生さん(ネコ系)に呼び止められた.
     「はて,この子に見覚えはないが」と思っていると,「先生は,Kさん(ゼミ生)の先生でしょ」といわれて「穏やかないい気分」が雲散霧消といいたいところだが,瞬間蒸発した.
     「……いえ,絶対人違いですぅ」(そそくさ)

6月11日水曜日曇

     愛媛県で教採をうける卒業したゼミ生のために志望調査書を作成し,教務学生係へ提出に行く.用事をすませて帰ろうとした時,係のH氏に呼び止められた.
     「先生,お風邪の方はどうですか.僕も調子がよくなくてー」
     彼は,僕の「日記」を時々のぞいてくれているようなのだ.
     「いや,2週間になりますけど,なかなか良くもならなくて….もう,年なんですかねぇ〜」
     「……私も先生と同い年なんですけど」
     その時,事務室の空気は,佐々木倫子(「動物のお医者さん」)系の空気(「ふっ」)に変質した,ように思われたのは気のせいだったか.

     それにしても「ヒカ碁」は良い.斎藤孝氏(明治大)の愛読書(漫画)は,「空手バカ一代」のようだが,私は「ヒカ碁」である.佐為の消え方が切ない.

6月10日火曜日曇時々雨

     岡山は,予想通り今日梅雨入り.
     今週から,オムニバス講義が入り,火曜日は2限から3コマ連続の授業となった.1限も準備をしているので,この日は大変である.
     くわえて調子を取りもどしていた咽喉(扁桃腺)が,連続講義のために,また怪しい痛みを発するようになってしまった.うがい液で,うがいをしまくっている私.

     さる日曜日,一人で岡山市民文化ホールに「缶詰」(文学座)を見て来た.主演は,「渡鬼」の角野卓三で,その脇をたかお鷹と田村勝彦ががっちり固めるというコメディーであった.靴製造会社のダメ社長(角野)が役員会で解任されそうになり,対策を錬るために大学時代の同級生で今は役員に名を連ねている友人2人を連れて,伊香保の旅館に宿泊する.ひょんなことから映画制作関係者と間違われて,調子に乗って「夢二の映画を撮る」などと話しを合わせたことから脚本まで書く羽目になってしまうところまで追い込まれていくという,お調子者がバカをみる「不条理喜劇」であった.
     安心してみていられたのだが,個人的には前回の例会作品の「煙が目にしみる」の方が笑いに深みがあったかなと思う.こちらのは,「誤解」(ズレ)は良いものの,酔っ払いの醜態とハゲ系ギャグ(オジサンならでは)とドタバタの格闘などで笑いを取るという力業が多かった.追い込まれたオッサンの哀感を,しみじみともっと出して笑わせて欲しかった.角野がギターで爪弾くフォークソングは,観客の年齢層にあわせた演出だと思うのだが,さっぱり僕には分からなかった.伊香保が夢二の終焉の地であることを,この劇の中で始めてしった.「(結核で)一人で死んだのよ」という女将さんのセリフが,彼の出身地岡山に住む人間としては哀しかった.
     さあ次の7月の例会は,いよいよ「頭痛肩こり樋口一葉」である.とても楽しみだ.

6月9日月曜日晴

     午後,非常勤先で講義.ようやく咽喉も復調してきたようで,1時間30分を無事に消化できた.毎日イ○ジンでうがいし,のど飴を舐めるという努力の成果である.
     紀伊國屋書店から藤森清氏の『漱石のレシピ』講談社+α新書が届く.漱石文学を食で読むとの帯がついている.甘党としては,「坊っちやん」の清がいう,「越後の笹飴」が落ちているのが残念(笑).
     本日のインターネットで配信されているニュースを見ていると,さいたま市の会社員宅から「うちの庭に大きなとかげがいる」という通報があり,警察官が行ってみると,それはミシシッピー・アリゲーターというワニであった,というのがあった.体長は1メートルということで,巨大である.
     とかげというと,体長10センチくらいで,大きなとかげといわれてもまあイグアナ位かなぁと,僕が警察官だったら思う.しかし,ワニはとかげではない(当然だ).ワニ,イコール大きなトカゲでもない.クロコダイルはクロコダイルで,アリゲーターはアリゲーターなのである.僕が警察官だったら,「大きなとかげ」と現実のイメージの落差に,その場で腰を抜かしていたと思う.大体男性は,女性ほど爬虫類が好きではないのだ.これなどは,日本語を正しく使わないと警察官の方々の命にも関わりかねないという事例だと思われるのである(笑).
     ちなみにその後アリゲーターは,警官4人がかりでタイホされたとのことだ.

     函館市立文学館の受付嬢の話(5月分参照)が,奥様にバレた.スリッパで足を踏まれた.夏物スカートを買わされることになった.奥さまは,「良い」お友達(→お義母さんだった)をお持ちのようだ…,覚えてろ!(「覚えてろ云ふは必ず負けたやつ」).

6月6日金曜日晴

     昨年度分授業の授業評価アンケートが返却されてきた.教官にとっては,自分の授業に関する成績表のようなもので,マークシート式のものと記述式(無記名)のものがある.記述式のアンケート用紙では,パワーポイントを使った授業が評価されていたのが少々嬉しかったし,自分で作品についてあれこれ考えるようになったという言葉がわりと多く書かれていたので,自分の授業の狙いはある程度彼らに伝わったのだろうなぁ,と安心した.
     しかし,オムニバスで2時間だけ担当した授業の方では,僕の名前をあげて,きちんと厳しい授業をするのはいいが,「あたかかみがなくて機械的だ」という授業内容よりもやり方への批判があった.但し,何を以って温かみが無いというのか,機械的といっているのかが,サッパリ分からないので,改善のしようもない.記述式アンケートを書かせるのは良いが,この学生のように主観的感想だけの指摘というのが,不快感を与えられるだけで一番処理に困るのである(ただ単に木村がキライというだけなのではないか).
     確かに僕には,受講生を笑わせたり雑談をしたりするようなサービス精神も技術もあまりない.また学生は広く浅く多くの教科の授業を受けなければならないので,週を隔てて授業をすると学生のメモリに残らないから,勢い90分で話を完了させなければならなくなる.しかし,文学作品を鑑賞・読解するのに,90分は余りに短すぎるのである.
     結局この一人の学生の意見を以って,全てと見なすわけには行かないのだが,もう少し微笑みを浮かべて授業をするように努めるしかないのだろうか?(不気味じゃ〜) …しかし,これって授業以前の問題ですよね.内容はどうでした,元1年生の皆さん? 「一つの花」の意味の反転にこそ,あの授業のイノチがあったのですが,それへの言及がないのは,淋しい限り.

6月5日木曜日晴

     岡山は気温が28度を超えたとのことで,真夏日まであとちょっとまで来た.
     咽喉の方は,なんとか講義が出来るまで回復してきたのだが,2コマ連続は厳しく,大学院の講義を終える頃には,かなり声がかすれて来ていた.不快感に耐えがたく,薬局まで車を飛ばして,のど飴とうがい薬と,メロンパンも買ってくる.
     友人に聞いてみると,のどスプレーやのど飴,うがい液は使っているとのことで,やはり咽喉を使う商売柄,咽喉ケアはしっかりしなければイケナイようだ.奥さんに費用経費を請求せねば.

6月3日火曜日晴

     とうとう声が出なくなってしまった.講義が2つある日だが,話せないので仕方なく休講の措置をとる.休講にしているのに,当人が構内をうろつきまわるのはあまりにも不自然に思われるので,今日はなるべく研究室に留まっておとなしくしている.何も知らずに研究室にやってきた学生は,あまりにもドスの効いた僕の声(1分も発声はできない)に驚いていた.
     しかし,こういうことは今まで5年に1回程度だったのだが,昨年も一度あったように記憶している.体力が落ちてきたのか,それともまわりの「状況」が変ったのか….少なくとも昨年までは世界に「SARS」や「毒王」はいなかったのだから.

6月2日月曜日晴

     午後非常勤先で講義.風邪気味で咽喉の調子がおかしかったのだが,90分声を出していて,いよいよ咽喉が荒れてしまい咳が出るようになってしまった.
     先週,漱石研究の先輩にあたる鳥井正晴氏(相愛大学)が『明暗評釈』第1巻を和泉書院から出版された(日付は3月30日なのだが).漱石文学の本格的な研究書の刊行はしばらくとまっているような状態だが,ようやくにして重厚な思考が刻み付けられた注釈書が出たわけである.是非ご一読を勧める次第である.

     先週末紀伊國屋書店で,高野文子『黄色い本』を購入.高野文子は「ユリイカ」でも特集が組まれるくらいの「特異」な存在であることは知っていたのだが,今度第7回手塚治虫文化賞大賞を受けたということで,漫画好きの一人としては関心を強く喚起されて購入した次第である.
     内容は,1970年代半ばの就職を間近にひかえた女の子(高校生)が,図書室で借りた「チボー家の人々」(5巻)の登場人物たちと脳裏で会話をしながら,高校生最後の時間(学校・家庭)を過ごして行くというものである.高校生の頃の自分が,どう日常を過ごしていたのか,女子はこんななのか?とあれこれ思いながら読みすすんだ.作品を読み終えた時,彼女も卒業することになるのだが,その読み終えた時の哀しみというのが,なんとなく分かるような気がしたものだ.それが読後感にも接続して,いうも言われない感覚となった.読書には,その時でないと味わえない,というのは共感・同化できるベスト・タイミングがあるということなのだが,そういう感興を大事にしなければいけないものも,確かにあるなぁと改めて思うのである.
     しかしこの作品は,マスとマスの間を想像力で埋めていく必要もあり,結構高度な作品である.大体,不肖木村は「チボー家の人々」を読んだことがないので(恥),作品の意味の三分の一は意味が取れていなかったろう.誰かよく分かるという人に,解説してもらいながら読みたいものだ.ジャック・チボーって誰なの?
     新生賞の「ヒカルの碁」は,老若を問わず随分話題になっていて,研究者仲間でも私の知っている限りではお茶の水女子大のKという人も愛読していたくらいなのだが,これは書店でみると22巻(1冊390円+税)くらいあって,講義期間中には読めないということが分かった.また古本屋で安いのを探してみるか….