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◆CONTENTS◆
【広告】
【きむたく日記】
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感想をお聞かせ下さい。
kimutaku@cc.okayama-u.ac.jp
¶ 鳥井正晴氏『明暗評釈』第1巻(第1章〜第44章),和泉書院,2003.3.30.本体5,500円(税別)
¶ 岡山市・岡山市文学賞運営委員会編『おかやま しみんのどうわ2003』吉備人(きびと)出版,2003.2.8,定価1,000円
¶ 小田島本有氏 『午後のひとときコーヒーブレイク』 近代文芸社,2002.10.1,本体1,000円(税別)
以下の要領で,演劇を鑑賞する仲間を募集します.役者が目の前で演じている舞
台を見ると,TVや映画とは違う迫力と魅力に圧倒されます.募集の期限はあり
ませんので,是非入会をご検討ください.
記
・入会の条件
@教官・事務官・学生・院生・OB,OGなど,一切不問.
A最低半年以上,サークル会員でいられる人.
・ 申し込み先:木村 功 〒700-8530 岡山市津島中3丁目1−1 岡山大学教育学部内
(入会先:岡山市民劇場 岡山市磨屋町4-21 金谷ビル2F,086-224-7121,FAX086-224-7125)
・費用
@入会金:1,500円
A月会費:
一般会員;2,300円
学生会員;1,800円,
・演劇上演の時,入場料は要りません.
年間平均6〜8本の演劇が鑑賞できます.普通演劇鑑賞は,5,000円以上/1回
かかりますので,演劇が好きな人にはかなりお得といえるでしょう.また,席が
余れば期間中複数回の観劇も可能です.
・個人単位だと,事務局から割り当てられる座席の位置が悪くなるので,「サー
クル」という単位(3人以上)を作って座席の割り当てを貰った方が,費用対効
果があがるのです.
・詳細は,木村まで.
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2003年 9月例会「ミラクル」(原作:辻仁成,出演:あおい輝彦,小野文子)
昨日日曜日,卒業生とゼミ生数人を招いて,自宅でホーム・パーティー(奥様披露)を開いた.卒業生は3年前の学生になるが,もう立派な社会人の貫禄を身に着けていた.
彼女は天満屋(という中国地方の百貨店)で働いているのだが,万引きがあると店内にミッションインポッシブルの音楽が流れ,内線で連絡がまわるのだそうだ.スリの場合は,同じ曲が流れ,館内放送でお客に注意を喚起するのだという.
他にも,お客を迎える時の手の組み方にも天満屋と高島屋では違いがあるのだということで,天満屋は右手を上にして,お客の案内に備えるのに対して,高島屋は左手を上にして,謙譲の意を表すのだという.店名は逆だったかもしれないが,お客への積極的な姿勢と,消極的な姿勢がうかがえるようで興味深い.こういうのは百貨店文化とでもいうのだろうか.業界用語も聞けばよかったのだが,その時間に恵まれなかったのは残念だった.
8月12日
火曜日曇時々雨 最近「読み聞かせ」ばやりで,読書運動が盛んである.同僚の国語教育の先生も,そういうプロジェクトを展開されている.
読書が情操や想像力を育てるということは,今更いうまでもないのだろうが,何時から読書読書ということを言い始めたのだろう.
例えば漱石は,談話「読書と西洋の社会」(初出「読売新聞」大正1.10.20)で,「日本人は一般に読書しないと云ふが全く左様らしい」と語り始める.そして「教員と学者とを除いて一般の日本人には時間が無いのであらう.時間があつても娯楽の為めに用ひ,読書は娯楽とは心得ないのであらう」と述べている.この後,西洋社会における読書風景がいかに普遍的であるかが,「巡回文庫」を例に紹介されている(全集25巻).「教員と学者」は,当時からよほど「暇」なのだなぁと誤解してはいけない.彼らは,本を読んで情報収集をする仕事をするから,本を読むのも仕事の一部なのである.
ともあれ漱石の証言によると明治時代は読書する習慣があまりなくて,それが大正末頃から次第に盛んになり,近年廃れていったということになるのだろうか.
昔の日本人は本をよく読んだ,などと思い込んでいたのだが,どうもそれは誤った歴史認識であったらしい.
ともあれ甥っ子たちよ.お盆で但馬へ帰省する伯父様は,君たちに本を一杯持って帰るからね(「ゲド戦記1〜5」「みどりのゆび」「星の王子さま」など).
「新コーナー」で,「SOSEKI・FAQ」の頁を作りました.一度ご覧下さい.
8月11日
月曜日曇時々晴 昨夜は,ゼミ生たちと飲食会.早めに会場近辺に出て他の所用を済ませ,紀伊國屋書店(本店)でゆっくり立ち読みをする.酒井英行氏が,「内田百閨v論の新刊を出されていたので,購入リストにピックアップする.百閧フ恋愛・結婚の経緯を記した奥さんの日記の翻刻である.京極夏彦の「陰摩羅鬼の瑕」(講談社)もみつける.お盆の帰省中に読むべし.なお「陰摩羅鬼」は,「おんもらき」と読んで,死んだばかりの死者の霊魂が変化する妖怪のようだ(多分).
内田百閧フ集成は11巻『タンタルス』(ちくま文庫)まで出ているのだが,今号の帯を見ていると「大好評につき第二期十二冊刊行決定!」と書いてある.商魂たくましい,とはこのことだが,百閭tァンってのは,口外しない割りに多いのかもしれない.
『タンタルス』所収のエッセイ「窮屈」を読んでいるとこういう件(くだり)があった.
酒飲みを左利きと云うのは,右手が槌手で左が鑿手(のみて)と云う言葉の上の洒落に過ぎないのであるが,私の友達には一緒に酒を飲む時,必ず左手で酌を受ける,何かで左がふさがっていても,無理に左手をあけてそれで杯を取る男がいる.こちらで笑うと,しかし昔から左利きと云うではないか,杯は左で持つものですよと云って譲らない.
鑿手(木工具の鑿を持つ手)→飲み手という洒落なのだそうだ.酒は年に数回しか飲まない僕であるが,「へぇ〜」という「トリビアの泉」(雑学系TV番組だそうだ)のポイントを上げたくなった.
「日本文学」8月号は,斜め読みしただけだが,語気鋭い座談会バトルが誌面で繰り広げられていた.やはりこうでなくっちゃ読む気がしない(笑).
8月8日
金曜日雨 台風である.14:00過ぎ現在,学部の建物の中にはヌレネズミが多数出没している.手に持った傘は役に立たなかったらしい.笑ってはいけないのだが,見事なネズミッぷりを見てしまう.それにしても,本日学部では高校生むけに公開説明会をしているのだが,早く返さないと……,瀬戸大橋線は止まっているらしい.
台風のせいで,レポート査読も進まない(笑).
8月7日
木曜日曇 近づく台風のために,岡山も曇天となっている.
昨日58回目の広島原爆忌の日を迎えた.秋葉市長が広島平和宣言の中で述べた,「極悪非道の武器」である核兵器のみならず,国連憲章・日本国憲法などを無視する言動への強い危機感を,僕も共有する者である.
戦前に逆行,というよりも世界規模で戦争やテロなどの危機が拡散しているという意味では,史上最悪の状況下に我々は生きているのではないか.そしてその中心には,「自由と正義」(実は,利権と暴力)などという詭弁を弄しながら,その一方で危険な小型核兵器の開発に着手するとかしないとかいうアメリカ(ならずもの)の独善主義がある.
「地球の未来のためには、全ての人がお互いを愛する必要はない、必要なのはお互いの違いに寛容であることだ」とは,ケネディ元大統領の言葉である.この言葉と不寛容なブッシュの姿勢を見比べただけでも,アメリカの変質は明らかなのだ.しかし,日本政府にその点が理解されているのだろうか.
ニュース報道の中で,「アメリカ追随の姿勢」についてインタビューした記者に,小泉首相は,「それは見解の相違で,アメリカと協調しているのだ」と切り返して見せたが,「イラク新法」を成立させた日本のリーダーはイギリスの首相同様アメリカの番犬程度の存在であることを,ここでも垣間見せてくれた.おまけに被爆者の話を,2年連続で聞かずに帰ってしまった.もう,どうしようもない.国民に背を向けている国家(ステーツ).これが,今の日本の政治の「実態」なのである.
国民と国家(ステーツ)の懸隔が,一層拡大したことを実感させられた原爆忌の一日であった.
公開講座閉講式を運営するため,20:30まで(サービス)残業.帰宅は21:00.
8月5日
火曜日晴 10:00から12:00まで,附属図書館の会議に学部代表で出席.1時間の休憩ののち,13:00から15:00まで,東大の先生を招いた学内シンポジウムに教室代表として出席(ノルマ).東大の先生の話を聞くのは初めてだったので,最初はお話を拝聴していたのだが,冷房が効きすぎていて,いつの間にやら「子どもの北極熊と戯れていた」(昨日のNHKの番組の記憶が残っていたらしい).
レポートを読む時間が取れん!
8月4日
月曜日晴 重い腰を上げて,レポートの査読に入る.合間に出席点・提出物を点数化する作業をして,平常点を出す.
院生のN君がやって来て,院生読書室のPCが起動しないので修理して欲しいとのこと.生協に本体を持って行って,修理に出す.保障期間が過ぎていたので,一体いくらになることやら.FDドライブの修理に,以前6万円支払った記憶があるが…,不安である.
昨日は,あまりの暑さに恐れをなして,一日中家の中で過ごした.ゼミ生が貸してくれたNODA・MAP(野田秀樹)の「オイル」(2003.4.30)を鑑賞する.
野田秀樹の演劇は,古い物語に現在社会の要素を盛り込みながら,現在を諷刺する物語を立ち上げるものが多いと思うのだが,「オイル」も出雲神話と戦中戦後,そして現在(遺跡捏造や9.11)が入り乱れるような「物語世界」が出現していた.中でも,アメリカの暴虐と,骨抜きにされた国民性を鋭く批判していたように思う.原爆を落とされて,何十万の同胞が殺されたにも関わらず,どうしてそのこと(悲しみ・憎しみ・怒り)を忘れてしまうのか,と.
昭和10年代の雑誌を調べていて,木戸幸一が寄稿文の中で「日本人は忘れっぽい民族である」ということを書いていて,苦笑したことを思い出す.他国を侵略したことや,また多くの同胞を虐殺され進駐されたことも,今ではどうでも良くなってしまうのは,随分昔から指摘されている「民族病」であったのである.
8月1日
金曜日晴 大学の体育館で行われていた公開講座のちびっ子体操教室が,今日閉講.運営委員として,12:00から13:00まで出席.デジカメで写真を撮る.学部に戻ってきて,雑用をこなす.
この時期になるとよく「夏休みですか?」と聞かれる.一般社会では「先生は夏休みがあって羨ましい」らしいのだ.僕もセンセイになるまで,そう思っていた.「しかし」,である.センセイにもよるのだろうが,少なくとも今年度まで国家公務員の我々には,盆休みとその前後にとる年休くらいしかない.あとは講義がないだけで,フツーに校務や雑用をする平常勤務なのである(どうだ,まいったか!).
原爆忌が近づいているが,今日朝早く広島の平和記念公園内の「原爆の子の像」に供えられた千羽鶴が放火され,一部が消失してしまったのだそうだ.すでに容疑者(関西の私立の大学生)は,とっ捕まえられたという話だが,毎年毎年まぁよくも飽きもせず「放火」するものだ.
現代文の講義で「夏の花」をやるのだが,その時にも公園内にある原民喜の詩碑が,石投げの標的になって壊されてしまった話を紹介する.放火したり石をぶつけたりする人たちは,平和記念公園がどういう場所であったかという想像力がちょっと足りないのではないか.もともとあの場所に平和記念公園などありはしなかったのだ.そのような「場所」で,よくも死者を冒涜するような行為ができるものだと思う.「カミをも畏れぬ所業」とは,全くこのことである.