津島通信

MARCH 2005
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◆CONTENTS◆

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【きむたく日記】

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広 告(刊行より1年間)

¶ 野中潤『横光利一と敗戦後文学』笠間書院,2005.3.17,本体3,700円+税

¶ 岡山市・岡山市文学賞運営委員会編『おかやま しみんのどうわ2005』吉備人(きびと)出版,2004.2.20,定価1,000円

¶ 『敍説』U―09,「特集◆薩摩」,花書院,2005.1,本体1,800円(税込)

¶ 宮川健郎氏『日ようびのお父さんへ 本をとおして子どもとつきあう』,日本標準,2004.11,定価1,470円

¶ 馬場伸彦編『ロボットの文化誌』,森話社,2004.12,本体2,300円(税別)

 米村みゆきさんの「アトム・イデオロギー」(第3章)が含まれています.

¶ 真樹龍彦『聖餐の夜』,沖積社,2004.11,本体2,500円(税別)

 漱石研究・百闌、究・幻想文学研究で業績をお持ちの,真杉秀樹氏の小説です.真杉氏には,他に『「東電OL殺人事件」行―ある女の生涯―』,『赤い死』,『ふざけた殺し』,『吸血鬼の夜』の作品があります.

¶ 玉井敬之『夏目漱石詩句印譜』,翰林書房,2004,本体4,000円(税別)

 漱石の研究書ではありませんが,師匠の趣味の本です.

¶ 『原爆文学研究』3,花書院,2004.8.31,本体1,200円(税込)

¶ 『敍説』U―08,「特集◆梅崎春生」,花書院,2004.8,本体1,800円(税込)


「きむたく日記」

3月31日木曜日晴

     修了した院生N君と在学生とで,フリー・フライトで昼食.別れを惜しむ.いろいろ言いたいことはあったが,これきりになるわけではない.また,食事にでも誘うつもり.
     13:30から会議.続いて,担当していた仕事の引継ぎを行う.学部の建物への帰途,一般教育棟の庭の桜の木が一本開花していた.今年は桜の開花が遅れていて,来月8日の入学式には,桜が調度良いタイミングで見られそうな気がする.
     退職される先生の部屋の前を通ると,研究室の片付けに他の先生・学生が借り出されて忙しそうにしていた.いつもの年度末の風景であるが,国語教育の退職された先生方は,少しずつ整理をされて,他人の手を煩わせることはされたことがない.こういったところが,僕は好きだ.勿論僕も,仕事を退くときに,人に迷惑をかけようなどとは思わない.

3月30日水曜日晴

     午前中留学生と「にごりえ」を読む会.全8章まで終了.「一人で読むより,いろいろ深く読めました」との感想に,報われた気分になる.午後,依頼原稿を仕上げて,メールで送信.
     夜,村上龍『半島を出よ』を読みながら,奥さまとサッカー観戦.オウンゴールで,日本勝利.それで,喜んでいて良いのか…….北朝鮮戦が,一番面白かった.

3月28日月曜日雨

     午前中,雑用処理.研究室内の,整理整頓(苦手)をする.
     偶々昨日岡山駅地下の書店でみつけた廣野由美子『批評理論入門』(中公新書)が,面白かった.これは,学生向けの文学研究のガイダンスに利用できると思った.お勧めである.

3月25日金曜日晴

     昨日は,代休をいただいておりました.甥の進学祝いを買いに行ったり年度末の慶祝の買い物で散財(く〜).
     北川健二氏から「趣味の遺伝論」を御恵送いただいた.深謝.読ませていただきます.添え状の自筆の字体に,風格を感じる方である.
     今日は,大学院・大学の修了式・卒業式の日である.岡大に来て7回目.ゼミ生を持って6回目の日.来し方を思い,転(うた)た感慨に堪えない.16:00から近所のホテルで卒業記念パーティー.教員は一人ずつ祝辞のノルマを課せられているので,気が重い.
     卒業生・修了生から,参加教員全員に花束と寄せ書きの色紙をいただいた.ありがとうございました.

3月23日水曜日雨のち晴

     先週末,野中潤氏(聖光学院中高)に『横光利一と敗戦後文学』(笠間書院)をご恵贈いただきました.ありがとうございました.
     生協で,石原千秋氏の『評論入門のための高校入試国語』(NHKブックス)や,五味川純平『人間の条件』下巻などを購入.昨日『ネアンデルタール人の正体』を入手したばかりなので,読みきれない.そろそろ新年度の用意もしなくてはならず,読書もして情報をインプットしなければならないのに,焦るばかりで全然読めない(ホントは,ちょっと読んでるけどね).かくして積みあがっていくわけである.
     研究室を訪れる学生は,ひとしきり書架を見回して凄い量の本ですね〜というのだが,「全部読めてたら凄いよね」と小心者は自白するのであった.

3月18日金曜日晴

     東京出張から,無事に戻ってきました.例年に比べて30倍の花粉の飛散が予想されていたので,花粉症になるかと危ぶんでいたのですが,切り抜けられたようです.
     出張している間に,新しい学長が決まりました.教員の投票では第2位だった方が,学長選考会議によって新しい学長に選ばれるという所に,独立行政法人化した特色が表れたようにも思えるのですが,教員の意思が「反映していない」という点で,この学長選考のあり方は問題を残したと思います.

     出張中,学部から離れて頭をリフレッシュすることが出来た.以下,出張期間中に知ったり読んだりしたこと.
     世界で第2位の人口を持つ国は,10億人を抱えるインドである.第1位の中国へのODAは,08年で終了することになり,日本と中国の関係は新たな展開が予想される(良い意味でも悪い意味でも).最近政府・与党は,インドとの外交関係の緊密化を意識しているようだ.21世紀は,中国・インドによる「アジアの時代」になるとの予想の下,両国との外交バランスを上手くとって,先進国から転落しないよう努力しなければならないのである(両国とも核保有国だし).ということは,岡大にもいずれインドからの留学生が増えてくるということか(!?).
     松井章『環境考古学への招待』(岩波新書)に,同郷の「先輩」の話が書かれていた.

       兵庫県城崎郡日高町の深田遺跡の平安時代(11世紀)の溝から出土した人骨にも,多くのイヌの噛み跡が残されていた.それらの人骨を鑑定した京都大学霊長類研究所の片山一道氏によると,四肢骨の多くは現代人に比べると小型で,成長期に幾度も飢餓を経験して成長が阻害された可能性があり,さらに筋肉の付着痕からすると,日常的に力仕事にも精を出していたこともわかるとのことであった.
       この人骨の主は,このような過酷な環境を生き抜いたにもかかわらず,死してはイヌにむさぼり食われ,埋葬されることもなく溝の中にうち捨てられたのであった.(122頁)
     イヌに噛み付きそうな先輩は数名思い浮かぶのだが,それはともかく,松井氏が描く同郷の「先輩」の末路の内容には目を覆いたくなるものがある.ここまで酷かったのだろうか.溝に骨が捨てられていたのは,墓の改葬かなんかで,不当に処理されたからとも考えられるのだが,どうなのだろう.「イヌ」と溝にひっかかる「後輩」である.御線香を上げたくなった.
     石浦章一『東大教授の通信簿』(平凡社新書)は,東大の教養科目に関する学生の授業評価アンケートの集計結果を通じて,教員・学生の講義に対する意識・問題を浮かび上がらせている.岡大も同じことをしているので,東大とどう違うだろうと思って購入して読んだのだが,易きにつき困難を嫌う風は東大も同様であることがわかって安心した……などと書いていてはいけないのである.以って「他山の石」とすべき本であった.
     毎年授業内容の改善努力をしなければならないことを,意識させられた次第.

3月12日土曜日

     長島裕子『コーチングの技術』(講談社現代新書)を読む.自分の学生指導の問題に気づかされる.
     17日まで,出張です.

3月10日木曜日曇時々雨


     午前中,ゼミ生に「にごりえ」の指導.
     午後曇り空の下生協へ行き,ブックセンターで『宮沢喜一回顧録』を立ち読みする.編者である御厨隆氏のオーラル・ヒストリー研究の成果の一つあることが断られているが,話す内容の選択は宮沢氏の意向によるものである.
     購入するつもりは無かったのだが,たまたま1984年に宮沢さんがホテルニューオータニの一室で暴漢に襲われ,ホテルマンが助けてくれなかったとか,30分間格闘していたというくだりを読んでしまい,「これは面白い」と思わず購入してしまった.ちなみに宮沢さんは1919年(大正8)生まれである.今は引退されて好々爺然とした宮沢さんだが,なかなか波乱万丈の方であった.税務署長時代のエピソードも面白い.勿論,我々の世代は小渕政権と続くカバ政権下で,長引く不況を好転させえなかった蔵相だったことを忘れようとしても忘れられないのだが.
     政治家といえば,今日は強制わいせつ事件で,一人の政治家が国会を去った.
     魔が差したの一言で,彼がやったことを庇おうという気持ちは毛頭ないのだが,老若や男女を問わず誰にもこれに類した危険な一瞬があることを,僕は理解できる年齢になった.我々は,実にいろいろな形で,その一瞬に直面することがあるのである.それは自分の中に内在している場合もあるし,外部からもたらされる場合もある.それに気づけるかどうか,気づいて回避できるかどうか,回避できなくてもフォロー出来るかどうか.危機への対処は,生きてきた経験値に随分左右される.そして経験があるからといって,安泰が常に保証されるわけでもないのがシンドイところだ.
     生きていくというのはかくも難しい.

3月9日水曜日晴

     BBSを見てたら,先輩のY村互福店氏から投稿があった.校務のために長らく「日記」の更新をサボっていたことへご心配をいただいたようで,大変恐縮した.せめて「校務多忙中(生きています)」とでも簡単に書いておくべきだったと反省している.

     既に報道されていることだが,広島の原爆詩人である栗原貞子氏が,6日にお亡くなりになった.昨日の各紙朝刊にも業績が詳しく紹介されていたのではないだろうか.朝日には,代表作である「生ましめんかな」が全文紹介してあって,今更ながらに原爆被害の中でも人間としての務めを見失わなかったお産婆さん(今風に言うなら助産師だが,産婆さんに対するような敬意が感じられない)の姿を捉えきった詩の凄さに,思いを新たにしたことであった.栗原氏の生涯は,原爆との妥協を決然と拒絶した戦いの生涯だった.ありきたりではあるが,後に続く世代の我々が栗原氏のこの峻厳な姿勢を継承して行くことこそが,何よりの供養になると思うのである.
     そんなことを考えながら,たまたま昨日ゼミ生有志たちと広島平和記念資料館へ,日帰りで見学に行って来たのだった.核兵器を保有し,原発建設を進めている中国からの留学生にも是非見てもらいたいという思いがあった.学生たちの中には再訪者もいたのだが,いずれも原爆に対して思いを深くしたように見えた.
     個人的には,1Fの壁面に掲示されている,原爆投下後の産業奨励館周辺の「何もない」パノラマ写真に圧倒されていた.爆心地である中島地区6,500人は勿論,その周囲2kmに存在していた人間・建物が蒙った被害が甚大であったことをこの壁の写真は雄弁に物語っており,見るものはただただ圧倒されて深い沈黙に追いやられる.この死の静寂に対して,現在に生きている我々は,どのような意味を与えることが出来るのだろうか.
     広島原爆死没者追悼平和記念館では,西新町で30代の父親をなくされた吉山さんという男性に呼び止められ,施設の案内がてら個人的な体験談を伺った.父親を原爆でなくされた吉山氏の人生も,あの熱線でヒロシマに焼き付けられてしまっていた.
     学生たちは,死者の記録や吉山氏の言葉から何を受け取っただろうか.それがいつの日か彼らの言葉となって紡ぎ出されてくることをひそかに期待しながら,岡山への帰途についたのだった.

3月7日月曜日晴

     寒の戻りも終わって,いよいよ春到来を感じさせる陽気となった.花粉症の人にとっては,恐怖のシーズンに突入だ.
     土曜日午後9時からNHKで放映された中国のコンビニ戦争の番組がとても面白かった.上海を舞台に,国営コンビニの好徳1000店に挑む,ファミリーマートやローソンの戦いを通して,出店して金儲けを目論む市民と,その欲望を利用して店舗拡大を狙うコンビニ業者,抗争の対象となる国営コンビニの反応.そして利用者.上海の人々を突き動かす様々な欲望の様相を描き出していて,下手な芝居を見るよりも面白かったし,芝居そのものの題材になると思った.
     立地の良い場所を確保して店舗を設けて,利益を上げようとする業者に対して,消費者の好みの変化をリサーチして,それを対象に商品を開発すれば立地の不利はカヴァー出来ると考える業者など,大学経営にも参考になるのではないかと思うのだった.
     折りしも大学は,学長選の真っ只中である.学生数を減らした教育学部の執行部などは,どういう経営建て直し戦略をたてるのだろうか.学長の交替は,学部運営にどのような影響をもたらすのであろうか.

3月3日木曜日曇のち雨

     前期試験が終わった.
     岡大の教育学部は,他大学の教員養成系同様,受験者数を減らしたことが明らかになった.少子化で受験生の減少は予測されていたことだが,受験科目が1教科から2教科に増えたことが,敬遠される原因になったようにも思われる.
     ベビー・ブーマー世代の教員がこれから多量に退職していき,教員採用数が上昇しているにも関わらず,教員が避けられる理由は,残念ながら存在する.
    不審者の侵入による生徒・教職員の殺傷事件の発生や,殺人事件・不祥事の現場となるなど,学校は以前と比べて魅力のある職場ではなくなった.報道されるような問題教師でなくても,塾・予備校の講師の受験向け授業に匹敵する授業が出来るくらいの力量を備え,同時に魅力的な授業・部活指導も出来る教師が減っていることも確かなのであろう(存在すればだが).
     ウチの奥さまの職場の同僚が,先日倉敷市の小学校へ子どもの授業参観に行って目撃した光景を,(僕が教育学部の教員であるということで)話してくれたそうなのだが,それは聞いていて教育現場の荒廃の進行という印象をさらに強くするものだった.授業中に勝手に教室を歩き回ったり,奇声を上げている児童.それを注意しないばかりか,マイペース?で授業をすすめる教員.授業参観そっちのけで,廊下で友人と話し込んでいる母親.同僚の方は,それらを見て怒り心頭に発していたようだ.他にも奥さまは,教育委員会に報告されず見過ごされている体罰教師に担当され「人間扱いされないので,学校には行きたくない」と憤る児童の話も聞いたりしてきたようで,「こんな話を聞くと,公立小学校へ自分の子どもをやりたいとは思わないよね」というのだった.
     かくして保護者・生徒たちから見放される公立校の教師や教育は,「教育」そのものへの失望を生み出し,ひいては地域社会への信頼感を損なって行くことになるだろう.
     学習指導要領の早期見直しや総合学習の再評価論議など,文部行政の右往左往ぶりも不信感を助長させる材料といわざるを得ないし,さらに現実的なことをいえば,赤字を多く抱える地方自治体で地方公務員として勤務することになる教員は,その地方財政の影響をまともに被ることになる.赤字が続けば,教員の給料はさらに経費削減の対象となるのであるから,公務員とはいえ危険性を伴い強いストレスにさらされる割には給料の低いこの仕事を選択することは,リアリティのある選択ではないことになる.この仕事に魅力を覚えるかと問われて,頷ける人間はそう多くはないだろう.
     しかし,教育は将来の日本の社会を支える人間を育成する重要な事業であることに変わりはない.魅力の薄らいだこの職業に,夢やボランティア精神での就業を求めるのは,実にナンセンスである.受験生たちが教育に魅力を感じられるよう,制度面での優遇をはかるなどの現実的な対処をとるよう知恵を絞らないと大変なことになる.これは,優秀で目端の効く学生が他学部・他大学に流れた岡大教育だけの問題ではない.日本の教育界ばかりか,将来の日本社会の存立に突きつけられた大きな問題なのである.