monthly9703


Monthly UBE

MARCH



|PREV|NEXT

◆CONTENTS◆
CRASH
クローン
批評理論の会(3/16)


CRASH

 WINDOWSが壊れてしまった。3/1の午後のことである。ハードディスクの容量を確保しようと、「コントロールパネル」の「アプリケーションの追加と削除」で「ユーザー補助」などを削除していたのだが、「ウィンドウズの保護エラー」というメッセージがでて、起動しなくなってしまった。事態が理解できて行くにつれて、徐々に固まっていった。データとスケジュールはどうなる、今作ったばかりの「こころ」の入力データはバックアップをとっていなかった、ともう一人の自分が、大声で叫んでいる。
 セーフモードで立ち上げて、95の削除分のファイルを補おうとしたが、セーフモードの場合CD-ROMドライブを認識しないということが分かり茫然とする。DOSレベルでの修繕操作などは、逆立ちしても出来ない3.1時代からのユーザーである。仕方なく大事なファイルをフロッピーに移し、とうとうハードディスクをフォーマットすることにした(この時レジストリをとるのをしなかった為あとで「秀丸エディタ」・ネットスケープの設定をやり直すことになった)。ハードディスクを初期化して、3.1に95をインストールする。この作業に加えて、ソフトのインストールし直しがあって、2日の午前3時までかかって一応の目途がついた。
 細かい設定の再現までまた1日を費やしたが、なんとか元通りに戻せた。不幸中の幸いは、不要なファイルを削除したおかげて、ハードディスクの容量が200MB近く増えたことだ。これは「一太郎8」「オフィス97」の導入が予定されているので、大変有り難かった。後一年はハードディスクを買わなくてすむ。
 今回はハードディスクのクラッシュでなくて良かったが、ウィンドウズも完璧なOSではないことが分かって良い勉強になった。しかも1台のPCユーザである僕は、これが壊れると何もできなくなる。使用状態も考えなければならない。
 ところで「ATOK10」ユーザにニューズがある。ベクターのサイトを覗いていて、「ATOK10 辞書作成ツール 2.0b」というツールを見つけた。操作は簡単で、このツールで作った自分の辞書ファイルを「ATOK10」に読み込むことが出来るのである。「一太郎8」では使用できないようだが、将来的には対応するそうだ。また、「7」のうちに辞書を作っておいて、「8」を導入するときに「ATOK11」と「ATOK10」を統合すればいいだけの話である。フリーソフトなので是非ダウンロードして、試用してみていただきたい(リンク先は変更される場合があります)。(3/3記)


クローン

 先週からイギリスで羊のクローンが、アメリカでは猿のクローンが公開されて、大きな反響を生んでいる。日本などではすでに植物のクローン栽培が行われていて、形状発色のよい蘭の花などが販売されるなど、商業化している事実がある。
 しかし動物のクローンは、植物に比べるとコストと成功率の低さが問題となって難しい問題であるということだ。先の動物達も唯一の成功例にしか過ぎず、安定した技術ではない。
 問題は霊長類のクローンに成功したことで、人間への応用の端緒となったということだ。キリスト教を奉ずる欧米社会では、神の御業に対する冒涜行為としてとりわけ嫌悪感が強いようで、米大統領も法的規制を検討しているとのコメントを発表した。
 大阪大学の中村桂子氏は、クローンというのは遺伝的に同一ということであって、生育環境によって人間は全く別の人格に育つことを指摘して、「同一」の意味を明確にしている。またコストと倫理の点で、クローン技術の人間への応用の困難さを述べている。また自分と同じ人間を作り出すことのメリットが無いではないかと疑念を表されていたが、分かっていてとぼけられているのには意味がある。実は、同一の遺伝子を持っているということで、@クローンからの臓器移植が可能になるということである。自分のクローンから臓器を取り出して移植することで、寿命を延ばすことが出来るのである。もう一つは、Aすぐれた人間の遺伝子を残して「再現」して行くという発想が具体化しうると云うことであろう。言い換えれば「優生学」の亡霊が、形を変えて蘇るわけである。障害を生む可能性を、羊水検査によって診断できて、中絶するという「優生学」が受け入れられているが、「優れている」からという理由で、「優れていない」ものを排除していく発想が、ここでもまた現れて来ている。
 ちなみに、アメリカ人のジョーク・アンケートによると、「遺伝子」を残したい人物はマイケル・ジョーダン、シャロン・ストーン(私にはよく分からん)などが上がっていて、残したくない人はO・J・シンプソン、クリントン&ヒラリーということだそうだ。日本の女子高生は竹之内豊・キムタクを上げ、江頭2:50と出川哲郎が排除対象になっていた。お前らは「面(ツラ)」でしか判断せんのか!、といいたい。
 それにしても先月書いた、記憶・人格のデジタル保存技術をクローンと併用すると、ほぼ100%の「再現」が可能ではないだろうか。自分のクローンを作ってくれと云ったという、某国のフのつく大統領は作戦を練り直しているかも知れない。(3/4記)


批評理論の会

 3月16日に文学理論の会が初めて山口で催された。13:00に山口駅集合ということで、槇山さんを車に乗せて、宇部をたち1時間ほどかけて12:45に山口駅に着いた。石川さんがすでに来て待っていた。福岡組がそろそろくるはずなのだが遅れているようだ、ということだった。会場の旅館には13:00に入るということだったので、ちょっと焦って見えた。13:00近くなって、坂口さんのハイエースに同乗して一行(花田・石井・坂口・関谷・松本・村上)が到着したが、食事をしていないということで、山口駅前の「シヴァ」というインド料理店で食事をすることになった(一番長く待っていた石川さんは「わがままだ」と非難していたが)。松本先生の話では、花田屋敷で書庫見学をしていたために、予定が狂ったのだそうで、会場担当の石川さんをあきれさせていた。
 14:00ごろに県立図書館の近所にある惣野旅館に入って、新規参加者である村上学(九大院・哲学)さんの紹介の後、石井和夫先生によるアリストテレス「詩学」の発表が行われてた。発表は「詩学」のなかの筋(ミュトス)・ミメーシスという言葉を足がかりに、「詩学」のみならず、プラトンの「国家」、レッシングの「ラオコーン」にも言及していき、漱石の「草枕」の作品論に収束していく方向をもったものであった。
 質疑の段階で、村上さんがプラトンの専門家ということもあって、用語の意味について意見が出された。たとえばミュトスを「筋」と訳しているが、「たとえ話」くらいの訳が正確だろうということで、用語の解釈を同定していくことに質疑が集中した。
 個人的にはジャンルの問題やミメーシスの問題の方に関心があったのだが、少々予想外の議論の展開だった。しかしアリストテレスよりもプラトンの方が面白く思われたのは、石井先生の発表を聞いた収穫だった。 16:30に閉会し、古書店に行こうという話になっていったん外出した。惣野旅館の前は川縁にそって桜並木が200mは続いており、花田先生が「来月もここでやろうか」などといわれるので、昨年花見頃にドライブした時にすばらしかったことを話していると、
花田「関谷さん、ちょっとこの川に浮いてみない」
木村「オフィーリア見たいにですか」
関谷「いやよ、傘の柄かなんかで突っつくんでしょう」
というような会話が交わされて妙におかしかった。花田先生はお茶目なのだ。
 それから我々は山口大学の近くの古書店に立ち寄り、古書をめいめいが購入した。僕と槇山さんはそこで一行と別れて19:00過ぎに宇部に戻った。その後旅館に戻った彼らがどうなったのかは知らない。
 槇山さんは車の教習所に通い始めて今第二段階にいるという。勉強したいが、スケジュールを調整しても5:00から7:00までの2時間しかなくて、勉強ができないと嘆いていた。子供を抱えた先輩や後輩のこういう嘆きをよく聞くようになった。子育てはどうしても女性に負担が行ってしまうようだ。ストレスにならぬ程度に刺激を与えて、研究を継続していくよう励ますくらいしか、僕にはできない。その一方で、彼女たちの固執するこの文学研究の市場が何時までもつのだろうかという不安も、拭い去ることが出来ない。

次回の批評理論の会 
  • 4月19日14:00より
  • 筑紫女学園(大学1階の奥の教室)
  • 報告者 松下博文氏
  • テキスト P・リクール「解釈の革新」(白水社)