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◆CONTENTS◆

読書会5/17
日本近代文学会


読書会


 5月17日(土)に、北九州大学で恒例の読書会が開かれた。
 10:07の電車に乗ってから、北九州大学のどの建物に行けばいいか分からないことに気がついたが、守衛さんに聞けばいいと考え直す。11:30に小倉駅に到着し、そごうの紀伊國屋書店で「解釈と鑑賞」を購入しておく。B・ジョンソンの新刊『詩的言語と脱構築』(水声社)が出ていたが、中身を見て購入しなかった。食事を済ませ書店を回ってから、13:20のモノレールで競馬場前でおりる。北九州大学は、競馬場の隣接しており、松本常彦先生の話では、金曜日になると新聞を片手にそわそわする先生が多いそうである(内緒)。偶然、関谷先生とプラットフォームで一緒になり、これで迷わずに会場にゆけると安心したが、甘かった。二人で、会場となる「本館」の12Fから10Fまでを、探し回る。本館は近代建築で、ガラス張りなのは綺麗だが、高所恐怖症の拙にとっては、悪魔のような建物である。12Fから下界の眺めを楽しんでいる関谷先生が理解できない。
 長崎組が到着して、14:20より松本先生の発表が始まる。ディルタイの解説書なども援用して、難解な内容を説明された。途中H田先生が逃げ出して帰ってこないというアクシデントがあったりしたが(抽象的で難解なのだ)、「話の種は蒔いた」ということで16:00にいったん報告が終わる。
 休憩後討論を再開し、阪口さんがおもむろに発言をはじめた。「文書の含んでいる、人間の存在の名残を、解釈すること」という1文の解釈で、これは新訳聖書とキリストをどう解釈するのかということをいっていて、一般的なテキストと読者の関係では無いという意見が出される、松本・阪口の応酬を聞いていた石川さんが、前の処をよんでいくと「彫刻とか絵画とかを対象とする」という言葉があるから、ギリシア文化をふまえた文脈ではないかと鋭い指摘をされて、議論の方向が変わったりした。それにしても1900(明治33)年の成立だから、言っていることが凄すぎて、僕などは最初から入って行けなかった。例えば、という1文を読んで頭を抱え無いような人はいないと思うのだが。前回のリクールが分からなかったので、その起源に遡ろうとしたらしのだが、「解釈学」の祖であるディルタイを読んで何が見えてくるのか、全く分からなかった。
 18:00に閉会して、「魚満」で飲み会を開く。石川さんが彼女を連れてきたので、阪口さんをはじめ一挙に皆テンションがあがる。料理もやすくて刺身などもおいしかった。22:00に閉会。タクシーで小倉駅に出て、電車で帰宅。終電が厚狭駅でとまるので、そこからはタクシーで宇部に戻る。5000円掛かった。23時台の上り方面の新幹線が無かったとは知らなかった……。


日本近代文学会


 本を探す用事があって、25日の午後からのシンポジウムしか聞くことが出来なかった。それも新幹線の時間があるので、15:00前の休憩時間には会場を離れることになったのだが。
 午後の石原千秋氏のプレゼンテーションは、レジュメがないのでいかがなものかと思ったが、発表自体の骨格が明瞭だったので、聞いていても十分理解できた。江藤淳の『成熟と喪失』の「母の崩壊」を、「都市中間層」の「主婦」の”母”の崩壊として捉え直し、明治以来の近代的な母性の解体現象を指摘する試みと思われた。江藤淳自身、農村部の主婦などはとても視野に入れていなかったと思うのだが、それでは都市部の主婦の”母”の崩壊「だけ」を論うことにどのような意味があるのか「地方」出身者で「田舎」者の僕としては、聞いてみたいところだった。P・ブリュデューを真似るわけではないが、キーワードである”母”の社会的意味などは階層によって異なっている筈で、江藤淳の言葉をそのまま補填するのではなく、むしろ相対化してあらたな様相を見せて貰わないと「検証」にはならない。後ほどそのような発言はあったかも知れないが、時間に恵まれなかったのが惜しまれる。
 石原氏の発表中、私の後ろの席の方(男)は、お菓子の封を開けてぼりぼり食っていらしたが、石原氏の発表が終わるとさっさと連れ(女)を伴って出ていってしまった。会場からも数名が出ていったが、 大学の教師や院生というのは、こんなものなのだろうか。報告中にも出たり入ったりがあって、いらいらさせられた。
 重岡徹氏は、山大の先生なので親近感と期待をもって拝聴していたのだが、いきなり仏教用語を持ってこられて発表を始められ、「悟道」等とは無縁の私は、正直苦しめられた。隣の先生は、ふと見ると寝入っておられて、至福の世界へ旅立たれていた。武田泰淳を論じることが、どう戦後文学の検証と絡んでいくのか分からないのは前者と同様で、時間内では作品論にとどまっていた。
 最後の井口時男氏の発表は、聞き応えがあった。滝井孝作が戦後作家の文章について、翻訳調の表現であることを指摘し、正当な国語表現が失われることを難じたことに対し、椎名麟三が意図的にやっているのだと反論したことを紹介して、戦後文学の作家(椎名麟三など)は意図的に表現を改めようとしていたこと、それは例えば「自然」という言葉を批判的にとらえたことに認められるとして、それはこの言葉が自然主義リアリズムの象徴的な言葉であるばかりか、戦前・戦中のファシズムを支えるキーワードであったからだと指摘された。肉づけはまだ十分ではなかったが、たいへん興味深い発表だった。
 いつも思うことだが、新しい考えや視点に触れることは実に有り難いし刺激になる。しかし中心を欠いたようなプレゼンやシンポジウムでの提言は、正直大変困る。貴重な時間や金銭を費やしている「辺境」からの参加者の労苦に報いるのはもちろん、後進の手本としても恥ずかしくない「姿勢」(せめて)をお願いしたいものである。