OCT '97
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◆CONTENTS◆
批評理論の会10月例会
寄稿@★Station Paradise〜今、京都駅が面白い!
山大にて@山田さんというひと
批評理論の会10月例会&打ち上げ報告
7月から3ヶ月頭を悩ませていた「批評理論の会」の報告が10/4、終わった。関西と違っておためごかしなど言わない例会なので、心理的なプレッシャーは大きい。発表内容よりも質問の方が恐ろしいくらいだ。おかげでストレスで3kgも増量してしまった。会場はHOMEの宇部短大で14:00から行われたが、長崎からの出席者を待っている間に30分経っていた。不便なJRで駆けつけて下さった石井和夫先生、長崎から5時間かけてきてくださった長野・横手両氏ありがとうございました。言わずと知れた常連の方々も、遠路はるばるありがとうございました。参加者は見込めないだろう、なんで山口における「陸の孤島」といわれる宇部に会場を持って来るんだと、内心不満がないわけではなかったが、望外の参加者に恵まれた。
さて、T・イーグルトンの「批評の機能」は、マルクス主義の批評家だけあって、「公共圏」(ハーバーマス)を用いて、18世紀から現代に至る批評の変遷を描き出したものである。ブルジョワ社会の文化・政治的言説であった批評と批評家が、資本主義社会の中で次第にその役割や機能を変質・後退を余儀なくされ、最終的にはアカデミズムの中でしか生き残れなくなり、「文学」産業としての意味しかなくなっている現状を指摘し、象徴過程と政治(このあたりがマルクス主義)の溶接を説いて、市場が管理する現代文化への対抗を呼びかける内容であった。
こうやってまとめると簡単なようだが、各論の説明が「文学とはなにか」よりも雑駁で、解釈には結構時間がかかった。入力の方は(坂口さんや石川さんに見破られたが)スキャナーを使ったので、ほとんど苦にならなかった。スキャナー様々である。閑話休題。
石井先生からは、明治の批評について、文学としての批評しかなかったとまとめた僕の誤りが指摘され、明治20年に大西祝が従来の雑論的なものから西洋に規範をおいた批評への転換が提唱されていることを指摘して頂いた。また、「機能」という言葉について、Functionは「役割」とも「方法」ともとれる両義性を帯びており、「文学とはなにか」の緒言で、フォルマリズムについて言及があるところから、この"function"は「方法」としての「機能」の意味ではないかと質された。僕は、内容的に見て批評の社会的な変遷を追っており、「役割」の意味として読んできたと返答した。
坂口さんからは、イーグルトンの批評姿勢やマルクス主義批評について、色々ご教示頂いた。ハーバーマスの言語過程論に言及が一切ないことへの疑念や、ピーター・ホーヘンダールへの興味についても話された。確かにイーグルトンが肝心な所で、伝家の宝刀のように引用するこの批評家の発言は鋭くて印象に残っていた。
松本(常彦)さんからは、マシュー・アーノルドがとった「ケノーシス」の姿勢と、現代批評の存在理由のなさは共通しているのではないかと意見が出されたが、前者の「ケノーシス」は批評家がアマチュアリズムを重んじて、専門分化を避けた姿勢であり、現代批評の社会的な無力さ無意味さとはことなると説明した。そのほか『メディア・表象・イデオロギー』を出した「明治三十年代研究会」を、文学テクスト批評から表象言説批評への一歩を踏み出した「事件」と述べたことに対し、文部省主導の教育カリキュラムの変更と歩調を合わせた研究なのではないかという疑義を示された(当然といえば当然で、そう考えなくもなかったといえば嘘になる)。
18:00に長崎のお二人が帰られるので、議論をうち切って閉会する。石井先生も同乗して帰られた。このあとは例の打ち上げである。坂口・松本・石川・槇山・大木さんと僕の6名である。宇部で、若者に人気の「DAGOUT」で食事をした。アメリカンスタイルの店で、木の机に木のベンチに腰掛けて、時間を忘れて楽しく話し込んだ。
松本さんが酔っぱらって朝7時に自宅マンション駐車場に帰り着いてから、10時に玄関にたどりつく間の、3時間の記憶が全くないという話から、F原K作の酒癖の悪さと石川さんの酒癖の悪さの比較論が展開された。坂口さんの家庭の朝食風景を、一泊した石川さんが、面白くレポートしたり、北九州大学のA塚先生が裕木奈江のポスターを研究室に貼っていることが暴露されたのにつづいて、負けずにM氏がM下H文氏が大松監督(東洋の魔女時代の監督)の「根性」という色紙を飾っていることが明らかにされた。因みに石川さんは、「腹八分目」という大木嬢の揮毫を壁に貼りつけているそうで(バラしていいのか?)、みんなの爆笑をさそった。坂口さんや僕にはそうゆう趣味はないのだが、ぼくは山田まりあ(水着ではない)の画像をYAHOOのサイトからとってきてPCの壁紙にしているので、大人しく黙っていた。そのほかにも酔った勢いでボロボロと暴露話が続いたが、参加していない人の名誉に関わるので、今月はこのくらいにしておく。
ところで、石川さんの東京の友人が、このコーナーを読まれたそうで、「君(石川さんのこと)の名が出てくる」と言われたそうだ。ご迷惑だろうが締めくくりは、この石川さんの話で。石川さんの郷里秋田の冬の暮らしの話は興味深かった。マイナス20度まで冷え込む冬。積雪が2階までとどき薄暗い中で3ヶ月も過ごさなければならないこと。ストーブを出さずにすむ月は3月しかないこと。パウダースノーが下から吹き上げてくることなど。花田先生は「石川巧の背後には森が広がっている」と評されたそうだが、これは秋田の山並みを表現されたということだ。ちなみに石川さんの郷里の山は「もののけ姫」の題材にされた所で、石川さんはあるいは「物の怪」ということになるのだろうか。アシタカではなさそうだ。花田先生は、また「強迫神経症」とも、石川さんを評しているそうだが、意味が分からない。個人的には、石川さんから慶事の報告があり、スケジュールの調整が依頼されたことも最後に付け加えておこう。
おめでとう、石川さん!
22:00過ぎに解散して、僕は槇山さんをひらき台まで送っていった。 が、ここで狐に化かされて帰り道を見失い、住宅街を迷走する破目になった。同じ様な格好の家が区画整理されて並んでいる住宅街なので、夜ということと方向音痴が重なりこの結果である(道なれぬTAXIもよく迷うそうだ)。しかし槇山さんもペーパー試験を受ければ免許がもらえる段階まできたそうなので、これも最後になるかも知れない。[解放感とともに、10/5記]
★Station Paradise〜今、京都駅が面白い!
山村孝一
新しくオープンした京都駅。以前から景観論争があったりして、その賛否は大いに話題となってきた。先日、機会があって、その新装なった京都駅をじっくりと見物してきたが、その感想は、オモシロイの一言。誰が設計したのかよくわからないが、きっとこの建築家は少年の心を持った人だと思う。歩いてみてわかるのは、全体的に遊びのスペースが多いことだ。まず、中心部がドカーンとオープン。それが空に抜ける大屋根で覆われている。空中遊歩道があって、高いところから内部が一望できる。余計なケバさのない、シンプルな作り。そして、最大の見どころは、空に向かって伸びる大階段。
この大階段で、月2回、ライブコンサートが行われている。KBS京都の「ステーション・パラダイス」(月曜午後10時半〜11時)というテレビ番組の収録だが、本物の音楽がナマで、しかもタダで聴けるというすごい企画だ。
11日の土曜日は3本録りだった。午後1時からの1本目はBrats on B。メンバーのほとんどが京都で学生時代を過ごしたという若手のバンドがノリのいいパワフルな演奏を披露。3時半からのesq は、元スターダストレビューのキーボード三谷が独立した、一人だけのバンド。そのクリアーな音楽は秋の青空に抜け、心をロマンチックに染めていった。
5時半からは番組のメーンパーソナリティー白井貴子のミニライブ。ポップな中にも心に響いてくる透明な歌声。中学・高校時代を京都で過ごしたという彼女の、京都で歌う喜びのようなものが感じられた。お金や名誉のためにやってるんやない。みんなと楽しい時間を共有したい。まさに、ここはステーションパラダイス。彼女が女神のように見えた。
圧巻は最後6時45分からの上田正樹のライブ。京都出身で、ビートルズが好きで、ブルースが好きで、その上田が最高にハッピーな気分で、さりげなく、まさにさりげなく歌っていた。「風呂屋に行ってくる」と言って京都から家出していった彼が、神戸のライブが終わって東京へ帰る道で、京都駅で途中下車して歌っている。feel so good!
このライブの一番の面白さは、客。駅の中でやってるから、ほんの通りすがりという人が、堂々とステージの前を通りすぎていく。その取り合わせの妙は何とも言えない不思議な空間を編み出している。結婚式帰りの白ネクタイのおじさん達。買い物袋を両手にかかえたおばさん達。じいさん・ばあさん・お子さま・にいちゃん・ねえちゃん・日本人に外国人、とにかく有象無象の通りすがりの人々が、一期一会を楽しんでいる。
ミュージシャンも、大空に向かって伸びる大階段とそこに集う何千人もの観客に、真にハッピーな気分で歌っている。ここに集う皆が最高に幸せな気分になれる。まさに、これこそStation Paradise!
しかし、天国は甘いだけの所やありません。とにかく風が強い。寒い。しかし、最高。こんなパラダイスがいつまでも続くことを願っている。
今、京都駅がオモシロイ。
『徒然通信』97年10月13日(第9号)より転載
山大にて@山田さんという人
今月から毎週水曜日に山大に講義で出かけている。石川さんの代打なのだが、石川さんが前期に描写論をやっていたのから、180度方向の違う文化研究の真似事をして居る。受講生は30人弱で、人文(日本文化・日本語、中国文化・中国語、英米文化・英語)、社会学関係、単位履修・留学生といろいろあって、「寄せ鍋」状態である。文学に特化せずに、近代日本を考えていきましょうと云うことで、2回目・3回目の今日と「ハンセン病(と文学)」について喋ってきた。
なかに聴講生の山田さんという人が居る。石川さんから聞いていたが、脳性麻痺で会話と四肢に障害がある。車椅子にのって、一人でやってくる。年齢は僕よりも上のようだが、よく分からない。
講義を終えて、商品館(変な名前だ)の前のベンチに座りカルピスソーダを飲みながら一服していると、彼が話しかけてきた。必死に声を絞り出して話すので、思わずこちらも身を乗り出して聞き取ることになる。彼がいうには僕が講義で使った、本の書名を正確に教えて欲しいということだった。話しているうちに、実は、探したが見あたらないのだともいったので、僕が購入して上げましょうということになり、それから40分ほど雑談した。彼が云うには、障害者ということで、彼自身も「隔離・監禁」されてきたので、ハンセン病の人たちがこうむった悲劇はよく理解できるのだといった。彼はまた、羊水の検査で、胎児の障害の有無が分かることから、女性が「産まない権利」を主張するようになることは、社会が障害者を認めないという「優生主義」のあらわれ以外の何ものでもないことを指摘して、優生主義が形を変えて生き延びていることに憂慮の念を示すのだった。弱者として位置づけられて社会の差別を生きてきた彼の発言は、随分重たく感じられた。
帰途車を運転しながら、漠然と僕の役割というものを考えていた。チャレンジドの人と話すのは生まれてはじめてで、最初は緊張して聞き取りも必死だったのだが、思い返して見ると、いつの間にかそういったものはぬぐい去られていて、自然に話し込んでいたのだった。山田さんは、そういう人だったし、僕もそういう山田さんを受け入れることができ、そういう自分であったことにも安堵していた。
それにしても僕たちが話しているとき、近くのベンチでチラチラを此方をみやりながら話していた女子学生がいたが、なんとイヤな表情をして居たことか(10/22記)。