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Monthly UBE

NOV '97



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◆CONTENTS◆

「文学フォーラム」参観記





「文学フォーラム」参観記


 11月7日金曜日のことである。定例の教授会をお休みした僕は、免許を取ったばかりで運転したがる槇山さんを車の助手席にのせて、山口県立大学で行われた文学フォーラムを聞きに行って来た。これは「ノーベル賞受賞者を囲む『フォーラム21世紀への創造』」の一環である山口セッションが、「文学ーー周縁から普遍へ」というテーマで催されたからなのだった。当日は晴天で、空気も乾いていてドライブしていても気持ちのいい日だった。
 1時間かけて13:30に到着したが、会場は集まりはじめた聴衆であふれかえるようだった。入り口で、赤塚先生を待っている石川さんに声をかけられる。案内嬢に導かれて、1階席のやや真ん中右側に着席する。椅子が小さくて、男の僕には閉会までの2時間半が苦行になることは明らかだった。カシオペアとカメラを用意するが、カメラ撮影は禁止されていて残念だった。カシオペアの録音機能でヘッドフォンから声を録音しようとしたが(著作権に抵触する行為です。よい子は真似をしないで下さい)、これも拾い切れてなくて失敗に終わるのだが、この時の僕はまだやる気満々で槇山さんに冷やかされていた。
 14:00からフォーラムが始まり、主催者の読売の代表と県立大学学部長がそれぞれたっぷり挨拶をしてくれた。
 基調講演は、シェイマス・ヒーニー氏から始まった。ヒーニー氏は「食卓の主賓はだれか」という題で講演をした。同時通訳というのをはじめて経験したのだが、目の前のヒーニー氏の英語と通訳の言葉の聞き取りを頭が上手く選択できず、最初はヒーニー氏の英語を単語だけでもと聞き取っていたりしたのだが(分かりやすい発音だった)、5分ほどで疲れてしまって、通訳の聞き取りにくく分かりにくい日本語に頼ることになった。
 ヒーニー氏は言う。アイルランドが英国によって植民地化されたのち、英国宮廷の宴席に呼ばれた旧領主のオニールという人物が下座に座らされるという屈辱を与えられた。感想を求められた彼は、「オニール家の人間が座るところが、主賓の席だ」と答えたという故事を示して、暴力ではなく機知で、中心と周縁を逆転して見せたオニールに学ぶべき事を説明した。さらにイエーツやジョイスといったアイルランドの文学者たちを示して、ギリシア哲学や中世哲学・アイロニーを用い、アイルランドを文学の中心に据えてきた歴史を紹介したのだった。
 印象的だったのは、アイルランドのある地方のホテルに宿泊したときの体験で、深夜に大声を上げて騒いでいるアイルランドの若者たちの野卑な発音の中に、英国の商業文化に吸収されていないアイルランドの独自のもの、「周縁の女神」を見いだしたことを述べていたことだった。
 北アイルランド出身の氏にとって、英語は決して母国語ではない。英語はアイルランドに加えられてきた侵略と横暴の歴史そのものである。しかしその言葉を話さなければならない苦痛の克服を通じて、アイデンティティーを確立して来たことを述べられたことも強く印象にのこった。「受け入れることから、戦いを始めるのだ」と言っていたと記憶する。僕はその時、アイヌの人たちのことを考えていた。
 大江健三郎の講演「文学に鍛えられた想像力」は、休憩を入れず続いて行われた。聴衆の疲れをほぐす意味もあって冗談から入られたのは、経験からきた対処とはいえ見事に功を奏していた。東大の入試を受けたときに、物理の答案用紙を落としたのを他の学生に踏まれて汚されてしまったのだそうだ。当時答案用紙は1枚きりしか配布されないものなので、大変困惑したが、入学にはかえられないので、意を決して試験監督の先生に頼みに行ったそうだ。当時は台湾からの学生を受け入れていたので、監督者は彼等の便宜を図るよう指導されていたところでもあり、監督官はどもりながら訴える大江くんに用紙を渡しながら、「あなたは、台湾の方ですか」とゆっくりと聞いたそうだ。意を決した大江くんは、「はい、そうです」と、これまたゆっくりそれらしく発音して難局を切り抜けたのだった。大江君は奮闘のかいあって、東大に入学したが、あのときの監督官が、キャンパスで彼を認める度に「ニイハオ」と声をかけて来るのには、大変弱ったのだそうだ。その試験監督は、文学部でフランス語の文法を教えている朝倉すえお(漢字不明)先生だったという。
 さて大江健三郎は、最初詩を4・5編書いていたのだそうだが、才能がないと判断して友人の妹(現夫人)にやってしまったのだそうだ。その彼は中原中也の詩によって大岡昇平を知り、富永太郎、小林秀雄、その友人の渡辺一夫を知るに至ったと文学遍歴を紹介し、中原中也との出会いこそ運命的な出会いだったと述べた。渡辺一夫は大江に昭和11年に刊行された「ランボー詩集」をくれたのだそうだが、それは中原中也の翻訳したもので、翻訳指導をした渡辺への礼状の葉書もついていたと言う。大江の所蔵する本の中で最も価値のある本だということだ(「娘に家出する時は、その本を持っていけと言っている」と言っていたが、???な発言である)。
 話題はエリオットやオーデンの詩の話しに移り、特に作品のタイトルに使うことが多かったオーデンについて、国文社からでている「言葉の力」(ふろもとたけとし氏)の解説を引用しながら話が進められた。なかでも、オーデンの”The novelist”という詩の「人類のすべてを鈍痛で受け止める」というくだりに共感を覚えるという。また南京大虐殺60周年に言及しながら、オーデンが詩の中で南京大虐殺に言及していることを指摘し日本人が知らなかったことを、ちゃんと英国人が知っていたと述べた。そしてオーデン詩の権威と音楽性を紹介しながら、詩には人間の経験を処理する力があるとのべた。またオーデンの影響は、翻訳と原文を併せ読むという独学の結果として、自分の文章を作り上げるのに役立ったと言うことだ(研究者は要チェック)。
 次に大江は日本を「周縁」の国・日本語を「周縁」の言葉と位置づけていた。スイフトの「ガリバー旅行記」にはJapanという言葉が7回出てくるが、それはロンドンという中心から最もかけ離れた「周縁」としての意味があったのだという。またフランスの水爆実験強行の騒ぎがあった時に、大江がフランス行きを中止して抗議したことがあったが、それを難じたフランスのクロード・シモンが日本のイメージとして描いて見せたのが、19世紀末のジャポニスムであったことに驚愕し、いかに日本がいまだにヨーロッパの「周縁」に位置しているかを思い知らされたという。
 大江は、その自分が四国の「周縁」の人間を書くということは、人間の「普遍性」を書くと言うことであり、それは地球の全体を書くことを意味しているという。 熊本の水俣病は日本人全体の問題となり得たし、オゾン層破壊や温暖化問題は、今や地球全体の問題である。我々は「普遍的」困難の中で生きていることを自覚しなければいけない。現在ではサブカルチャーが力を発揮しているが、文学でも柳美里や沖縄の作家たちのような日本の「周縁」的な文学が有力である。歴史的「周縁」を見つめて表現すること、とくにアジア的「周縁」をみつめて「普遍」性を表現することが大切で、そのためにもアジア的「周縁」に生きていることへの認識が重要であると指摘した。「普遍」的なものを作るには、再生か破局を見つめること、危機を認識して、想像力を働かせる事が重要で、その手助けとなるのが「文学」なのだという。更に展開して、全体的危機を私的危機に結びつける手助けするのが想像力で、大江の場合はオーデンを読むことが手助けになったという。そして最後に公的展望(?)を受け入れることを述べて講演は締めくくられた
 以上の基調講演は、カシオペアのPWZやポケットワードにスタイラスペンで筆記しながら聞いていたのだが、後で読み返してみると、急いで書いていることもあって読みとりにくくて講演で再現できたのは、このようなものである。内容的に理解しずらいと思われるが、講演内容についてこれ以上はお答えはできない。講演録は岩波新書あたりからでるとおもう。
 15分の休憩ののち16:15から、NHKの山根基世アナが司会になって、ヒーニー・大江の対談が行われた。山根さんは、両氏の問題提起をまとめ切れていなかったようで、テーマを方言と標準語の問題に平板化してしまい、二人とも自分の言葉と標準語・共通語との問題・表現上の失敗談をして聴衆を笑わせるだけの展開になってしまった。この時間での収穫は、ヒーニー氏自身の朗読による「土を掘る」が聞けた事ぐらいで、大江氏の笑い話しか記憶にない。しかし、さらにこのあとの質疑では、さらに愕然とさせられた。
 驚いたことに質問する聴衆(学生)は、あらかじめ用意されていて、お定まりの質問を投げかけているだけで、まったく面白くなかった。しかも事前に用意した為に、講演やシンポジウムとも関係のない内容ばかりで、山大人文学部3回生の男子学生が「ノーベル賞の賞金は何につかったのか」と馬鹿な質問したり、山口中央高校の女子学生などは、大江に受験勉強をしている自分の苦労を、演劇でもしているかのように朗々とマイクの前で独演をはじめる始末で、その滑稽さに気がついていないのがさらに悲劇的だった(大江の「あなたへの回答は、あなたの質問の中にある」という言葉は決して暖かいものではなかったゾ)。主催者の読売・NHK・山口県・県立大学はトラブルやアクシデントをおそれていたのだろうが、あんなものを良いと思っているのなら、実にとんでもないことである。司会者が会場から質疑を出させようとするのを大江が遮って、ヒーニー氏にさらに詩を1つ朗読して貰って終わろうと提案したのでも、彼が質疑の時間をどう評価したか伺えそうなものだ。講演者・聴衆の我々に対してこんな不誠実な姿勢があるのだろうか。講演のテーマをさらに掘り下げる質疑・応答を期待していただけに、主催者側のこのやり方は許せなかった(思い出すと今でも腹が立つ)。山口の「周縁」たる所以を目の当たりにしたような気がして、実に不愉快な気分になった。
 17:00過ぎに閉会してから、赤塚先生・石川さん・山大で哲学を教えておられる入不二先生・槇山さん・大木さんと食事をしたのだが、概ね司会者が不評であった。僕が山大の学生の発言への不満を言うと、石川さんがすまなそうにこういった。
 「彼が何を聞いたらいいかって聞くもんだから、ノーベル文学賞の賞金は何に使ったか聞いてみたらって言ったンですよ。ホントに聞くとはねーー」
 一同シーン……。(11/9記)