津島通信

JUN '98
PREVNEXT


◆CONTENTS◆

今,そこにある危機@「きむたく日記」

火曜・水曜・木曜に更新します。

SUN MON TUE WED THU FRI SAT
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16   17 18 19 20
21 22  23  24  25  26  27
  28   29

30 

       

感想をお聞かせ下さい。
takumi@mxd.meshnet.or.jp

back numbers

 


「きむたく日記」

6月30日火曜日晴れ

     大学院の演習で使用しようと,「坊っちやん」のテキストデータをダウンロードしたところ,第1章のデータが消失していることに気が付いた。クラッカーの仕業なら,すべてのデータを抹消するであろうが,他の章のデータが残っているので,URL変更の際のアップロードのミスかもしれない。だとすれば,初歩的なミスであるし,「データがないですよ」と教えてくれる人が居ないほど,(国語学的に)利用されていないと言うことかとあれこれ考えてしまう。
     それにしても家のPCにはちゃんとデータが残っているだろうか,それが気になりだして講義どころではなくなって来た。早く帰って確認したい。こういう時にこそ家のPCもネットワークに接続してあれば,便利なのだが……。

     大学院の演習で,「坊っちやん」の「ホトトギス」版本文と『鶉籠』版本文を比較照合した。その結果,『鶉籠』版にも固有の誤りが多いことを見つけて驚く。「ホトトギス」版の誤りが,単行本で訂正されたと我々は考えがちだが,『鶉籠』版はその予想を見事に裏切るようなテキストであることが分かった。全集を出して,本文を定めなければ安心してよめないような杜撰なテキストを,当時の読者層は読んで居たわけで,校正も満足にしていない作家(漱石)のいい加減さが浮かび上がってくる思いがする。
     演習後研究室で,HPの掲示板をみると,長崎大@中原”夢象”豊氏の<いま底にある景気@「夢象日記」>が掲載されていた。他人の掲示版に,自分の日記を公開するなんて,と思う向きもあるだろうが,中原氏は自分が見た「夢」しか日記にはつけないので,この「夢象日記」は,例外なのだ。一読して抱腹絶倒。見事なパロディに脱帽する。さすがだ,真似が出来ない。佐藤先生は,ジョークも気が利いていますね。だが,広島出身の国語学の院生の子は,梅光女学院を知らなかった。
     学生の調べものの相談とカレシとの喧嘩について相談に乗ってから,掲示板をみると,中原先生のパロディー調「弁解」と福井大@岡島先生の書きこみがあった。岡島先生は,テキストデータを「国語学的」に利用して下さっているようで,嬉しくなった。無駄ではなかったのである。

6月29日月曜日晴れ

     深更,インターネットでHPの掲示板を覗くと,天狗堂主人@花田先生の書きこみあり。鹿児島の学会以来の「復讐」を企図されていたようで,主人の東京出張が重なったことを「天佑」と思う。
     午後,表町に車で出て,丸善に本を買いに行く。久しぶりの買い物だ。奥野先生から「読むべし」と薦められたB・アンダーソンの『増補想像の共同体』(NTT出版)や,三浦信孝編『多言語主義とは何か』(藤原書店),福岡ユネスコ協会編『世界が読む日本の近代文学2』(丸善ブックス),津島祐子『火の山』上・下巻(講談社),小林章夫『漱石の「不愉快」英文学研究と文明開化』(PHP新書・新刊,),「批評空間2−18」(太田出版),瀬沼茂樹『日本文壇史22』(講談社文芸文庫),橋川文三『日本浪漫派批判序説』(同),大岡信編『窪田空穂随筆集』,それに『美味しんぼ』66も見つけて購入する。次に紀伊國屋書店で正木恒夫『植民地幻想』(みすず書房)を購入する。『謝花昇集』(みすず書房)があるのを見つけるが,これは生協で注文することにする。
     大学へ来る途中,霊柩車の後ろを走ることになった。すごく厭な気分。

6月27日土曜日曇り

     下関の梅光女学院大学短期大学部で開催された日本近代文学会九州支部大会に参加し,午後の2番手として研究発表を行った。発表は「坊っちやん」を「ホトトギス」読者層から読み解こうとしたもので,40分以上しゃべって質疑に応じた。僕の読解だと,「坊っちやん」読者層の多様な享受の実態(風刺・諧謔など)が浮かび上がってこないという指摘があり,フィールドワークで当時の資料を拾い上げる必要があると答えた。また橋口晋作氏から,「たけくらべ」の世界の2つのグループとの関連が問われた質問もあったが,記憶が曖昧なこともあり,読みなおして適宜参考にしたいと述べた。発表が終わって休憩時間にも,熊本学園大の宮内先生や院生のかたから質問をいただいだ。懇親会でも,佐賀大の浦田先生から,コロニアリズムをいう以上は,軍事力への言及が不可欠だと指摘されたので,軍事力よりも経済力というものを考えているのだがというと,「いや,軍事力」と主張されるのだった。奥野先生からは,懇親会後に,分析概念の内実が曖昧ではないのかと一番厳しいところを突かれてしまった。おかげで反駁を考えていて,帰途電車で降りる駅を間違えそうになった。そのほか「話が上手」と誉めてくださった先生もいらっしゃったが,話芸で発表する方を髣髴して複雑な気分になってしまった。

     なおこの発表は文章化して,大学院時代の指導教官である玉井敬之氏の記念論文集『漱石から漱石へ』(翰林書房)に収められる。締切りは,8月だが,刊行は来夏の予定である。

     さて,ここからは,当日のエピソードを簡単に記したい。
     5年ぶりの学会発表だったので発表前はドキドキしたが,発表中何時ものように普通にしゃべっている自分にふと気が付いた。佐藤先生が会場の真後ろの席で目をつむって聞いておられるので,レジュメの字が小さかったなあと反省し,何人かの聴衆とは視線を交わして(女性のみ)反応を見たりすることができた。「あ,あがってないな」と思った瞬間,関西魂に火がついて,思わず余計な冗談をいって会場から笑い(失笑?)をとってしまった。学会発表で,たくまず笑いを招くことはよくあるが,自分から冗談をいう馬鹿はあまりいない。しまったと思ったが,あとの祭りである。発表は,真剣にやるものです。
     定時までに会場入りし資料を受け付け嬢に渡して,奥野先生や長野・横手・中原各氏に挨拶をする。長野先生は「ヒゲはどうしたの?」と,3週間生やしたヒゲに驚かれた様子。中原先生からは,「(体調は)大丈夫?」と案じていただいた。そして横手先生は「すいませんねー」といいながら,しっかり支部会費を徴収していただいた。そこまではよかった,会場に入って開会を待つが,見なれないおばさん達が会場を埋め尽くしていくだけで,なぜかそのスジの人らしい姿がみえない。しかし,マイクも用意してあるし,「この人達は聴講なのかな,えらい熱心なことだな」と感心した。しかしあまりに暇なので,会場の外にでる。ふと見ると,会場の隣にも教室があり,そこにも人が入っていて,それがどうもそのスジの人達のようなので,そこではたと気が付いたのだった。中原先生が近くにおられたので,「ひょっとして,会場はこっちですか」と聞くと,「そうですよ」と何を聞いているんだ?という怪訝な表情(あるいは,知っていたのかも知れない)。僕は慌てて,元の会場の方へ鞄を取りにいったのだった。
     それから本当の会場に入ろうとすると,まるで待ち構えていたかのように奥野先生(支部会長)が現れて,「あれ,木村さん戻ってきたの?午前は,佐藤先生の文学セミナーを聞くんだと思ってたよ」と実に嬉しそうに言われるのだった。「そんなワケないでしょ」と,僕はくやしそうに云うのが精一杯だった。
     それにしてもセミナーに集まった,あの大勢の男女の数は半端ではなかった。佐藤泰正というキャラクターの絶大の人気を物語っていた。噂には聞いていたが,これほどまでとはというのが偽らざる感想である。
     昼食後の昼休みに,タバコを吸って居た石井先生と話すが,開口一番に「また,太った?安心ぶとりだな,ギャハハ」と笑われた。こちらは発表前のストレスで太ったともいえず,苦笑するしかない。岡山の暮しなどを話して居るところへ,奥野先生が梅光の鶴谷先生を伴って来られた。「木村さん,午後の司会者の鶴谷先生と打ち合わせをして」といわれるので,案内された所へ向かいかけると,「石井さん,今朝木村さんがね……」という声が背後から聞こえて来たので,「要らんことをしゃべらんといて下さい」と振り返って叫ぶが,しっかり石井先生は「ギャハハハ」と笑っていたのだった。生来のおっちょこちょいで損ばかりしている。
     懇親会で,佐藤泰正先生に手招きされて発表へのコメントをいただく。作品を重層的に読む必要がある事を述べられたが,一元的な読みに対する婉曲な批判だったのだろう。そのほか,「草枕」とグレングルードのお話や,江戸の「笑い」と西洋文学のユーモアの話,田山花袋の「少女病」「蒲団」などは,あきらかにカリカチュアライズされているので,笑わなければならない小説だということも述べられていた。佐藤先生の直々の講義を受けながら,久しぶりに食べる下関の刺身は,大変美味だった(岡山県人は,岡山の魚を美味いというが,下関の魚を3年間食って来た僕にはお世辞にも美味いと言えないのが残念である)。さて,この佐藤先生の風貌だが,中肉で背は年代としては高いほう。白髪の長髪。お顔は少し大きめで,お年のため,シミが点々としている。声は細くて高く,口調は早口で,頭の回転が速いことが感じられる。詩人の北川透氏とも,山口県の短大経営について話したし(何を話して居るんだというお叱りもあるでしょう),賢治研究の中野新治先生の顔も覚えたし,奥野先生には十二分にからかわれたし,面白い一日だった。
     懇親会の後半,挨拶をすることになって,僕はインターネットとHPの宣伝をした。懇親会の年齢層が高いので,関心薄とみえたが,奥野先生や長野先生から,「HP見てるぞ」「ML入っているぞ」と声を掛けていただいたのは嬉しかった。もっとも「禁断の果実って何」という長野先生の質問には,絶句せざるを得なかったのだが……。
     それにしても,花田・松本・下野各先生,そして石川さん,お会いできなくて淋しゅうございました。

6月25日月曜日曇り

    午前1コマ午後1コマの講義。午前中お休みして午後顔を見せて居たのは,石田姫である。しかし今日は,隣のK副さんが,いねむり姫になっていた。他にマッキー・切原・妹尾・爆睡,井上君もさりげなく仮眠。山大で非常勤で講義していた時は,同じ時間帯にもかかわらず,文学部と云うこともあったが,寝ているようなのは,ごく僅かだった。岡大生は,とにかく良く寝る。「あー,おれも学生に戻りてぇー」と内心つぶやきながら,沖縄の近現代史の説明をすすめるのであった。講義の仕方を,山大方式から変更しなければならないな。
     3回生の国研のWGによる労作「国研名簿」を講義後研究室で見ていたら,2回生にAB型が多いのに気が付く。僕は血液型性格診断は30%くらいしか信じていないが,AB型というのは,これまでの人生の中で女性の1人しか知らない。それがここには4人もいて,しかも苦手な女性ばかりだ。AB型というのは,天才型ではなかったか,いや良くわからんが,B型ほどではないだろうと思っていると,そのAB型のご当人が,演習の発表準備で資料を見せて欲しい,と友人ともども研究室にやって来たのだった。
     怖いので,最初は必要最低限の会話しかしなかったが,打ち解けて話してみると,お2人とも話しやすい,頭の回転の早い子だったので,ちょっと安心した。A型だという子は,遅刻魔だそうで,最長記録は1時間半友人を待たせたそうだ。千葉の彼氏がわざわざ電話をくれたのに「今疲れているからー」と一方的に電話を切った「豪傑」で,読書はあまりしないという。一方AB型は,頭の回転が早過ぎて脱線ばかりするのと,言葉がきつくて,2回生にもかかわらず,その毒舌を以って教室の複数の先生・先輩の男子学生を奈落の底に叩き込んでいた。悪意がないので,余計に始末に悪いという小悪魔だ。ABの真骨頂なんだろう。星座の話が出て,僕の星座がおとめ座だと見ぬいた2人は,「A型のおとめ座なんですか」と2人で思いきり笑ってくれた。しかし,小悪魔は大変な読書家で,推理小説もガンガン読んでいて,僕の前で京極夏彦の作品を解説してくれたが,書名しか知らない僕には,「信時さんが『女郎蜘蛛の理』を読んでるっていっていたよなー」と思い出すくらいで,豚に真珠なのであった。
     「女性って,こんなものだ」と思いこんでいた,今日この頃だが,久しぶりに全く初めてのタイプに出会って,心底驚かされた。人間と云うのは,文学テクストより面白いので,始末に終えない。
     体調は優れないが,久々に声をだして笑えた。さあ,明日もがんばろう。  

6月24日水曜日曇り

     午前中講義。歩いていると,意識が一瞬遠退く瞬間有り。体調が戻っていないのでイライラすることもあり,早めに帰って休むことにする。

6月23日火曜日?

     朝起きたら,寝汗にまみれていた。起き上がろうとしたら,頭痛と吐き気が来た。「うわっ,つわりか?」と独り言の冗談を云いながら,立ちあがろうとすると眩暈に足元を救われて,正直蒼ざめる。眩暈と吐き気をこらえながら,「こりゃ出勤できんわ」と判断し,お休みをいただくことにする。メールで教務係と受講生に休講連絡をした。
     「このまま死んでミイラで発見されたら,悲しいだろうなー,親爺やお袋は嫁も迎えンで死んじゃってと泣くだろうなー」などと色々考え,「独身貴族」(自称」)の自分が心底恨めしくなる。半日ダウン。
    広大の山下さんの研究発表が終わったそうだ。漱石後期作品と写生文について検討されたようだが,文章化が楽しみである。ただ,研究に邁進されるのも大変結構なのだが,われわれの時代のように漫然と文学研究ができる御時世では無くなっているので,その点十分意識されよと,余計なお世話の一筆を書き添える。

6月22日月曜日曇り

     風邪が流行っているのか,土曜日の演習で風邪をひいていた学生から,風邪をうつされてしまった。サッカーの日本VSクロアチア戦をみていて,なんか頭痛がするなと思っていたが,日曜日は本格的に体調がおかしかった。今日は回復しているが,梅雨寒のせいであろう。
     出張申請書と,「教官の研究活動1997」の校正を庶務係に提出する。明日と明後日の講義の為に,「筆まかせ」と「元始,女性は太陽であった」上・中を読む。「論文リスト」の更新をする。「漱石研究」のぞいて,漱石研究の論文がぐっと減ったのを実感する。漱石研究者の層が上の人が多く,最近の研究方法が彼らの世代の主たる方法であった作品論から離れたために,論文を発表する場が失われているのではないか。そして若手も,拠るべき方法を模索している状況なのだろう。

6月18日木曜日晴れ

     朝研究室に入り,メールチェックをすると,九大@花田先生から「禁断の果実を食った,ショックだ」(セクハラ関係ではありません)とのメール。朝の爽やかな空気は,一瞬で見事に吹き飛んだ。中学生のお父さんなんだが,今ごろ「失楽園」なんて,なんてお馬鹿さんなんだろう。
     午前中演習。4回生山磨くん,「御出家入道遊ばされ候」。報告者のレジュメに,ミスタイプが非常に多く,苦情をいう。(いねむり)姫@石田,かなりの遅刻。午後送信されたメールには,「自転車がパンクしたのよ」とあった。午後特講「アイヌと文学」は4回目で終了。武田泰淳「森と湖のまつり」が,時間切れで駆け足になってしまった。
     午後のメールチェックで,岐阜大@根岸さんのメールをダウンロードする。  講義を終えてから吉澤さんの演習発表前の指導。それを終えて,車で就実女子大学に「ホトヽギス」を閲覧にいく。夏日なので,車内はサウナ状態である。急いでいたら,道を間違えて小道に入ってしまい悪戦苦闘する。
     30分ほど調べものをして,大学に戻る。16:00前に遅い食事を取り,「朝日パソコン」の新刊を買って研究室に戻る。根岸さん,松岡さんに返信。研究室に来た,CHORO君は今日はちょっと低気圧気味。17:30から演習「坊っちやん」の次週発表者の指導。インターネットに触れさせてみると,ビックリしていた。INETの神様,今日も2名の信者を得ました。
     長崎大@中原豊先生より,引越し通知に対する礼のメール受信。

6月17日水曜日晴れ

     午前中,母性保護論争のまとめと,「金色夜叉」の説明。11時から大学院関係の教員の会議があったが,講義優先で出なかった。しかし講義後,事務職員の人に捕まえられて,会議室に行く破目になった。会議後,12:40から13:45まで,若手の教員仲間(東条・曽布川・木原・サミー関根)と学外に昼食に行く。7月7日に事務職員の女の子を呼んで,コンパをすることになった。
     14:30から17:00まで教官会議。ふと,会議中にWEB上で閲覧できる「辞書」を作ろうという,天啓を得る。早速会議後に研究室にこもり,CHORO・MAIL攻撃をものともせず,フォーマットを作成する。MLに投稿して,広報活動もしておく。
     夜,深谷さん・藤堂さん・山下さんの反響が入る。

6月16日火曜日晴れ

     午前中用事を済ますために,はやめに出勤して図書館や生協にいく。キャンパスをあるいていると黒い下着姿の女の子が,赤い綿のカーデガンを着て自転車に乗ってこっちへ来るのに遭遇する。「あ,またキャミソールだ」。どう見ても学校に着て来る服装&色ではない。男が黒の下着に条件反射するのを知らないのだろうか?(←嘘)まったく嘆かわしい格好だと思いながら,折角なので足をとめて見送った(突っ込みは各自で入れてください)。
     12日ぶりの講義をする。子規の「叙事文」を使って「写生」について一席。咽喉が荒れた。続いて,チョロが復帰した大学院の演習。「岡山大学グーテンベルグ・プロジェクト」と題して,テキストデータを作る構想を話す。しかし1学年定員3人の大学院で,その受講生3人に,この話は辛かった。自分と院生3人で思わず「失笑」するが,まあ千里の道も一歩からということで,がんばりましょうとまとめる。
     演習終了後,図書館で調べものをしてから,チョロのAL−MAILがFDから起動できるように設定し,大学院1年生3人のメーラーの設定を終える。
     田中智生先生に国語教室のHPを見てもらう。掲示板を見て,「楽しそうだね」。「綺麗に作っているね」という評価をいただく,「僕もやりたいけど,時間がなくて」ということだった。

     『ジェンダーの日本近代文学』(1998.3,翰林書房)を読む。「金色夜叉」のような明治時代にメジャーな作品の方が,セクシュアリティーの問題は容易に剔抉しやすいと思うのだが,なんで入れないのか。

6月12日金曜日晴れ

     ふと日常のプレッシャーから離脱(逃避にあらず)したくなって,電車で片道2時間の街へ日帰りの旅に出た。電車に揺られながら,ぼんやり考え事をして,思いつくままにカシオペアにメモをとったりした。
     街に降りてから,ぶらぶら散策した。スタンドの新聞は円安が144円まで進んだことを,大見出しで報じていた。日本の円安はアジアをも巻き込みつつあるが,少なくともここでは危機感は遠い現実である。震災の記憶さえ遠くに退いてしまっている街なのだ。街行く人々は無頓着に談笑し合い,髪を染めたキャミソール姿の女の子達は買い物に忙しく,スーツ姿の老若はせわしそうに歩いている。そして傍観者を気取るこの僕も,古書店や書店を見つけると思わず入ってしまう位で,自分の習性が妙に哀しかった。これではまるで古書と生きている,「古書店荒し」の九州大のH氏や福岡女子大のI氏と同じである。
     美術館で,溺死する若い女性の絵を見た。想像してたのと違ってこじんまりした絵で,がっかりした。しかし自分でも失望の内容が良く分からない。美しい絵ではある。それは絵の前に常住人だかりしてことでも肯われるように,普遍的な美しさをもっていることは明らかだ。しかし,……。帰りに考えよう。
     帰途またぼんやりしていて,立ちあがった拍子にカシオペアを電車の中で落としてしまった。拾って見てみると,中のディスプレイが割れていた。ムカムカしていたところに,部活を終えた高校生のヤローどもに周囲を囲まれ,不快指数が上昇。Mr.ビーンを思う。

     21:00過ぎに帰宅。日常から離れた1日にするはずだったのに,一番せわしない相手,後輩の「読売新聞」関口記者からTEL。土橋寛(ゆたか)氏(上代文学@同志社大学名誉教授)の死去の記事のことで問い合わせたのにおらんかったと苦情を言われた。しかし聞いて見ると,実はそれよりもIBMのシンクパッドを購入したという自慢話。でも,何をどう使ったら良いのか分からないらしい。新聞記者の実際はこんなものである。記者クラブ仲間の毎日の記者などはバリバリだそうなので,がんばれと励ます。
     国語教室の掲示板を見ると,大学院の2回生の小姑’sのメッセージあり。1回生に遅れていたが,進歩したものだ。しかし,「3人娘」なんてよくもゴニョゴニョ……。岐阜大@根岸さんお弟子さんの松岡さんより御挨拶のメールを貰ったので返信。信時さんに,国文学の必携を読んでくれとメールを出したのだが,「立ち読みしてきた」と返事があった。どこまで本当なのやら分からないが,セコイぞ!

6月9日火曜日曇りのち雨

     この1週間講義がないと思うと,疲れ切った身体が惰眠を欲するようで,目が覚めたら11:30前だった。「日経」を読みながら,ニュースをつけると円は141円台に突入していた。内閣支持率は低下するわ,円は下落する一方だわ,今日も素晴らしい1日である。曇天だけど。
     午後外出して,以前から気になっていた,マイクロソフト社謹製の「アクセス」の解説本を書店で購入する。ワード・エクセル・アウトルック・パワーポイント(プレゼンテーション用ソフト,短大の宣伝用ファイルを作成した)は,それぞれ必要があって使いこなしているが,データベースソフトのアクセスは,難しくて直感的に理解できなかった。しかし,時間とやる気のある今日でなければという勢いで,カード作成に取り組んだ。
     アウトルックの住所データをアクセスにエクスポートし,加工してなんとか一覧のデータらしいものが出来あがった。基幹になるものを「テーブル」といい,これをいろいろ加工して出来あがるデータが,「クエリー」「フォーム」「レポート」である。この中で,「フォーム」がデータを入力するための「カード」に相当し,「レポート」が出力するときのスタイル,すなわち葉書・ラベルなどの印刷物のスタイルとなる。出力しないのなら,これは不要だが暑中見舞い・年賀状あたりで重宝することは間違いない。
     なんとか,論文とメモ用のカード(「フォーム」)を作れたので,これからはすべてをここに書きこんでデータ保存ができる。あと僕に必要なのは,カード作成を継続する意志である。折角作り上げても,途中で放り出したら,ただのゴミ情報になるからだ。飽きっぽいので,これが一番心配だ。学生たちにプレゼン(実は自慢)するためにも。それらしいものを作り上げておかなくては。紙のカードは場所を取るが,PCならハードディスク内におさまり,FDで持ち運べるのでありがたい。となると,やはりPCの情報処理が分かる花田先生や信時さんたちに見せびらかすために,ノートパソコンが欲しくなる。
     学生のカードも作って行動記録をつけておこう。引退後に小説を書く材料になるかもしれないし……,そうだ十八番の料理のレシピも作れるな。そっちのほうが健全か。

     夜,インターネットでHPの「掲示板」を読むと,小田島先生の書きこみあり。「漱石研究」の熱心な読者だったのに,最新刊にいたっては手にとる「気力」をなくされているというのが,強く印象に残った。
     東京の成城グループは,「文学」という制度が危機に瀕しているといっても,まだ地方ほどその現実を味わっているわけでは有るまい。「文学」の危機とは,彼らにとってはまだ観念であって,体験ではないはずだ。「漱石研究」は,多忙を理由に年1回の刊行になるようだが,採算が取れないというのでそうしたのでなければ,彼らは依然「危機」からは遠い,実にうらやましい存在であるといわざるを得ない(皮肉ね)。
     地方で次々に「文学」の講座が消滅し,その消滅した一つのポストにあって身を削がれるような恐怖を味わった僕は,文学や研究を先験的に捉えることが出来なくなった。戦後の好況の中で大学の中に次々に設置されていった日本文学の講座は,所詮その経済状況や社会背景が失われれば,大学から消されて行くものであるという事実を受け止めざるを得なかったのである。
     まさにそうした現実の中で,今,文学研究や漱石研究をする意味と言うものを,僕は「漱石研究」から見出すことができない。訓詁注釈学派のような研究から,学生たちが文学を学び社会活動に活用できるような情報を見出すこともできないのである。そんなものを文学や文学研究に求めるのはおかしいと,文学通のオタク達はいうかもしれない。5年前の僕ならそう言って小馬鹿にしていただろう。
     しかし社会も学生達も,5年前から歴然と変わっているのである。社会活動を行う上で有用でない情報を掲げる講座は,もはや生き残れない時代を迎えていることは明々白々である。しかも,「坊っちやん」すら読んだことがないという多量の学生の登場は,実は「文学」という情報が社会の中から蒸発しはじめている証拠なのではあるまいかと,僕はひそかにおそれている。今,文学を無用の用と言う強弁で通用させようとするなら,その言葉はそのまま彼・彼女を包み込んで,文学研究者を無用とするだけの恐ろしい勢いを今の時代は持っているのである。いろいろな分野での世界的な規模での「再編」が進んでいるが,これは社会活動上での基幹部分に起こっていることに気が付けば,そういうものから全く無縁な「国文学研究」という分野は,次世代では無用な学問となる十分な資格があるということを意味しているだろう。その状況を改変する方法を考えなければ,とてもあと32年も「国文学(近代文学)」の教員を大学で続けることは出来ない,そう僕は考えている。
     花田先生が「西日本新聞」にのせるエッセイをメールで送信してくださったのだが,それを読んだことと,小田島先生のコメントにインスパイアされて,ついこんな駄弁を弄してしまった。
     お,1:25だ,お肌に悪いわ,早く寝ましょう。

6月8日月曜日曇り

     今週は,教育学部は教育実習期間で学生が大学にいない。そのおかげで,自分の研究の時間が持てた。
     土曜日に購入した「漱石研究」10号を読む。たちまち「鬱」状態になる。研究者によって,細分化された漱石のテクスト達。この類の論文を読めば読むほど,気分が落ち込む。「ベスト30」とかいう,自分の論文を平然とベスト30の中に入れてしまうようなお手盛り企画などは,いいかげんにやめてもらいたいものだが,成城グループの雑誌だから,その点は我慢しなければならないのかもしれない。
     高校生の頃,漱石や他の作家の作品を繙く度に味わった,あの不思議な高揚感を味わうことはもう無いのだが,その喪失感がどうしても今の研究に対する違和感を僕に抱かせてしまう。こうした感覚を味わうのが嫌で,僕は1年近く漱石から離れて安部公房や宮沢賢治に手を出していたのだったが,やはり何も変わらない。石川さんや「敍説」同人の姿勢に刺激されて,研究の世界に踏みとどまっているようなものだが,漱石研究などは苦しくて息が詰る。
     数学教室の曽布川さんからメール。チェコに行ってきたのだそうだ。夜,花田先生のメールを受信。4日に書いたことで,「批判」じゃないよ,テキスト化・年譜作成などが,ネット上の文学関係の情報公開の形式としてスタンダードになるのなら,他のやりかたもあるよ,ということを言ってるのよ,という事だった(原文はもっとファンキー)。僕の書き方が,ちょっと強かったかもしれないが,花田先生の意向は十分了解しているつもり。僕らは,あれこれ言ってもらった方が,いろいろ次世代向けのコンテンツを考えることが出来るので,どしどし苦言を呈していただきたいものだ。  

6月5日金曜日曇り

     17:40より会議があるために出勤。11:30大学院のPCにAL-MAILをインストールし,各人がFDを使って起動できるように設定する。この設定については,昨日AL-MAILのMLと宇部短大の吉村先生を煩わせた。おかげで,設定の仕方も分かったので,大学院のメール利用者も喜んでくれた。学部生も使えるPCがあれば,同じように設定できるのだが。
     生協のブックストアで,三島由紀夫「三島由紀夫未発表書簡」,猪瀬直樹「マガジン青春譜」小学館,T・トドロフ「他者の記号学」法政大学出版局,T・イーグルトン他「民族主義・植民地主義と文学」同,他文庫本3冊を購入。岸田劉生「摘録劉生日記」岩波文庫が1月に出ていたなんて知らなかった。大正9年から大正14年までの資料になる。

6月4日木曜日晴

     大学。FAXが古書店から入っていた。「ホトトギス」の3期は,さらに前・後期に分かれていて,後期分しか残っていない由。合本が91,560円,帙入りが90,720円だという。がっかりするが,これもないよりはましだ。それにしても国立大学だというのに,どうしてこんなに本がないんだろう。
     今日の講義は,購読「坊っちやん」と午後の特講。「帝国文学」について,雑誌メディアの当代的意義を解説。赤シャツも大学を出て,雑誌を通じて,知識と連帯感を共有しようとしていたのよ,と話す。午後はアイヌの三回目で,ようやく「ユーカラ」と知里幸惠まで話せた。しゃべりすぎて頭痛。
     石川さんからメールで親切な申し出あり,ありがたくお受けする。
    吉澤さん来室。「にごりえ」について報告。彼女の話の中で勉強になったのは,お力が結城友之助に来歴を告白するのは,彼が彼女にとって「遠い存在」であり,その彼を「鏡」にして自分を客観視したかったからではないのか,というのである。
    「女の子が,男の子に相談をもちかけたりする場合があるけれど,あれって『遠い存在』だからなの?」
    「そうだと思いますけど」
    ガーン,である。あっしはてっきり,気がある子に相談するんだと思ってました。同じような内容を女子学生に問い掛ける男子学生がいるかも知れませんナ。「ホントにそうなの」って。)

     勝浦さん来室。PCの相談。解説書を理解してから,PCを購入したほうがいいのではないかと言うので,買って触って,分からんかったら,分かる奴に聞くことだと言う。

     「そんな人,国語教室にはいません」
     「ま,そうだね」

       研究室のPCを使って,国語教室の「掲示板」への経路を教授する。あとで掲示板を確認すると,ちゃんと書きこんでいた。このように国民の皆さんの税金は,有効活用(?)されているわけです。

     国文学関係のサイトをチェックしていると,花田先生のサイトに「天狗堂日誌」がアップされていて,文中明らかに僕やその周辺を対象に書かれた文章を見つけた。活字で読めるような作品・年譜の簡易版が,ネットに公開されていることを批判され,むしろ閲覧が困難なものの公開や独自の視点を盛り込んだ年表に作成に努めるべきで,労力がもったいないということだった。当サイトのコンテンツの在り方については再検討の余地があることは,確かだ。
     今日も神様は,意地悪である。

6月3日水曜日曇り

     大学。石川さんからのメールで,「川端」全集のチェックをするよう懇切なアドバイスあり。10:20より講義。「母性保護論争」(1918)を取り上げる。女性の経済的独立を説く晶子と,女性の母性保護を唱える平塚らいてうの意見を紹介し,それぞれの立場と問題点を解説しているところで時間切れになった。晶子の「粘土自像」の文中,第1次世界大戦を背景に,バブル成金に媚を売る体を売る若い女性たちに「顰蹙」していると述べる晶子に,社会の中で変化を遂げた晶子を感じた。それにしても経済の好調と女性の変化には強い相関関係があるようだ。
     13:00〜14:10まで教室会議。図書館で就実女子大学図書館への紹介状を書いてもらって急いで外にでると,見なれぬ格好の小林君に出くわした。車で図書館に向かう。運良く外来者用駐車場に車を停める事ができた。日本文学研究室で,「ホトトギス」の復刻版を見させてもらい必要なデータを拾うことが出来た。係りの女性に,お茶まで出してもらったので,恐縮する。16:30まで調査。
     考えて見れば,女子大と言うところに生まれて初めて1人で入った1日だった。確かに,女の子しか居なかった。バスに乗る学生の行列が目立ったが,これはキャンパスが狭くて車での通学を禁じられているためだろう。大変だが,大学に行くためには川沿いの狭隘な道路を走る必要があるので,乗るのは事故のもとである。
     17:00過ぎに帰宅。カシオペアで使っているPWZのバージョンアップを知らせるDMが来ていた。エルニーニョが終息に向かっている由。
     ベスト電器から,PCの修理が終わったとの連絡を貰う。先代のPCを何処に置こうか。困った。  寝る前に,自分のHPの「掲示板」をチェックしたら,藤堂さんが書きこみをされていて,末尾に「ニシカワ」の名前が書いてあったので,大変驚いた。
     西川は,大学の3回生の時に国文に編入してきたのだが,そのとき■瀬という悪逆非道な男とコンビを組んでいたのだ。本居宣長が好きだったのは,小林秀雄読書から来ていたのかどうか,今となっては記憶が定かではない。大学卒業後,西川は郷里に帰り女子高に勤務していると■瀬から聞いた。相棒の西川を失った■瀬は,今度は僕を悪の仲間に導き入れようと接近してきたのである。
     西川が女子高で何をしていたか,それはまた別の話だが,彼は僕の「過去」を知っている,ということは同僚の藤堂さんに「無いこと無いこと」をしゃべるかもしれない。ああ,藤堂さんが,それらの話を信じない理性と賢明さをお持ちである事を祈らざるを得ない。
     神様。今日のあなたは,僕に意地悪をしてばかりです。

6月2日火曜日雨

     大学。「俳諧大要」の講義。2年生の受講生が多いので,前振りにワープロにHPの画像を貼り付けて印刷した配布物で,インターネットの紹介をする。4回生柴田君の「掲示板」への書きこみが,1番上にあったのでそれも使ったが,夜自宅から「掲示板」をみると,当人からしっかり著作権料の請求が書きこんであった。山大石川さんからメールの返信。開封して,嫌な予感が当たったことを知る。礼を認めて,返信する。
     九州から北陸地方まで,梅雨入りした。

6月1日月曜日晴

     10:00より会議。12:45終了。午後一杯,論文のアウトラインを作成する。