津島通信

AUGUST '98
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◆CONTENTS◆

駐禁でやられた@「きむたく日記」

出勤した日に,暇を見つけて更新しております。

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「きむたく日記」

8月31日月曜日晴れ

     眠い目をこすりながら車を運転して出勤。本日は有志参加の構内美化作業の日だ。9:00から5202教室で、市の清掃担当者のゴミ回収の説明を受けてから、構内美化作業に参加する。国語教室の学生は1人も参加せず、英語教室の30人と際立った対象を見せた。あまつさえ、教員も3名サボっていた(許さん)。
     高塚先生に、「どうしてこんなに集まるんですか」と聞いたら、「こんかったらシバクぞ、というんだ」(「シバク」「ドツク」は、「叩く」「殴る」と同義の関西弁)と答えられた。……含蓄のあるお言葉だ。
     構内に散乱しているプラスチックごみ・空き缶などを回収する。電話ボックスからは、開封されたクッキーの詰め合わせを見つけた。電話しながらクッキーを食っていたのか、忘れただけなのか、とにかく回収回収。作業中空を見上げると、空が高くなっていて、ああ、夏も終わったんだな―、朝晩涼しいわけだと、しみじみ思う。今年の夏はいろいろあったなー、などとぼけーっと突っ立っていてら、事務のオバサン達に「ほらほら、ぼけっとしてないで」と叱られる。
     ジュースを飲みながら小憩をとったあと、草取りをして、最後に消火訓練が消防署員の指導のもと展開されるのを眺めて、12:00前に一連の作業は終わった。

8月29日土曜日曇り時々晴れ

     普段は登校する曜日では無いのだが,原稿の締切日をあと3日後に控えて,切羽詰ってやって来てしまった。「切羽詰ったといいながら,WEBを更新しているやんけ」といわれそうだが,そこはそれ,あの十八番の「現実逃避」である。ああ,どうしてこうも意志薄弱なのか……。今日は午後一杯で論文を手直しして,うまく行けば発送できるし,最悪の場合は明日発送である。
     今,童話「蟻とキリギリス」の真冬のキリギリスの心境が分かるのは,僕だけかもしれないな,くそー。
     紀伊國屋書店に注文した「安部公房全集」が一挙に11冊来てしまった。支払いのことを考えて,蒼ざめる(1冊5700円)。唯でさえ金欠病(駐禁の罰金&宇部市の市民税支払い)なのに……。今,「泣きっ面に蜂」という言葉が似合う男は,日本では小渕さんと僕ぐらいだろう。
     それにしても,昨日の世界的な株の大下落のニュース。怖いですね。水害も怖いですが,「世界恐慌」も間近ではないかと,真夏の怪談も吹き飛ぶ位の悪寒が背筋を走りました。銀行の「含み損」(株式の額面割れ)なんて聞きたくない。こんな時代になるなんて,バブルの頃の青春時代に戻りたい。このことについては本当に「現実逃避」してしまいたい。そういえば、今朝は東京で震度4の地震があったそうだ。忘れた頃にやってくる地震。ぼくも阪神の地震で、「揺れ」が怖くなっているので、東京などではとても暮せない。大変だが、おきばりやす、というところだ。
     さて,そろそろやるといたしますか……。

     16:20岡山東郵便局から速達で編集委員に、師匠の記念論文集のための論文を郵送する。終わったー。やったー、ようやくはれて夏休みダー。
     ……あと2日しかないやんケ。ガーン!!!

8月26日水曜日晴れ

     9:00過ぎに研究室に出勤。メールチェックをする。洛星時代の教え子の上田興君から残暑見舞いあり。
     村上龍「イン ザ・ミソスープ」(幻冬社文庫)を読了。新宿を舞台とした大晦日までの3日間の話だが,同じように新宿を舞台にした3日間の小説「不夜城」(馳星周)を知っているので,これはただの暗合だろうかと考え込む。村上龍は,<どれだけ小説を書いても,日本的な共同体の崩壊という現実に追いつかない。(中略)この数年共同体の崩壊があまりに顕著で,しかもそれは必ず「くだらない事件」という衣装をまとっていて,歴史や理念や思想や宗教とは無縁の非常に低レベルの地平で発生する。>として,<ひどい退廃が進行している(後略)>(「あとがき」P.296)と述べている。彼が問題視している「共同体」というのは何だろう。日本的「共同体」というようなものは昭和の30年代に崩壊を始めていて,今崩壊しているのは戦後の日本社会そのものではないのか。政治・経済を始めとして,我々に身近な教育,さらには家族や子供も壊れ始めているように思える。そして問題は,低レベルで事件が発生することではなく,あらゆるレベルで「事件」が噴出し,国民がそれに慣れっこになり,反応が鈍くなる一方で,国際社会がそのことを厳しく見守っているという,内外との断層が出現して来ていることだろう。
     後期の講義で,現代文学を取り上げるので,これらの作品についても考察してみるつもり。
     創言社の坂口博氏から送られた「阿吽」9を読む。坂口氏は,「敍説」17でも「こゝろ」について考察されている。

8月21日金曜日晴れ

     下の甥ッ子に頼まれた,ゲームボーイ「ピカチュウバージョン」をローソンで予約してから,大学に出勤する。紀伊國屋書店から,「安吾全集」第4〜6巻,「安部公房全集」第12巻の4冊が届く。「砂の女」のプロトタイプである,「チチンデラ ヤパナ」を読む。昨日に引き続きアンケートの集計作業。
     久しぶりに「天狗堂日誌」を読む。「戦後50年 引揚げを憶う(続)―証言・二日市保養所」(814-0111福岡市城南区茶山5丁目28-19 森下昭子 TEL・FAX=092-861-1759」)が紹介されてあった。僕の母も10歳まで満州に在住していて,逃避行と引揚げを体験した口である。「考えてみれば,面白い人生だわね」という母の思い出話の中に博多港はいつも出てきたので興味を惹かれた。母の博多港の思い出は,配給されたかぼちゃいりのおむすび1個がとてもおいしかったことくらいの,たわいも無くてしかし切実なものなのだが,天狗堂主人にが紹介されているのは,オトナの戦後処理の問題である。ソ連兵(ばかりではないが)にレイプされ妊娠したり性病を移されたりした女性たちを保護するための処置を施した保養所がクローズアップされているようだ。
     我々が忘れてはならないのは,そういう保養所を設けて処置すればそれで御終いと言うわけではないことだ。日本の戦後処理は,大体が「臭いものに蓋」をする式で,いい加減にやりすごしてこられたが(A級戦犯が首相になるくらいである),個々の女性の生活に刻み付けられた傷を思いやる想像力くらいは,持っていていいはずだし,さらには日本兵が逆に海外で展開した行状を学び省みて,海外の被害女性達にも同様の想像を働かせてもバチはあたらんのじゃないやろうか

8月20日木曜日晴れ

     9:30大学に出勤。メールチェックをしてから,教官選定図書のリストアップ作業と書類作成をする。事務官に提出してヤレヤレと一息入れる。借りてきたブラームスの交響曲第1番ハ短調を聴く。続いて,フレンドシップ事業のアンケートの集計作業をする。
     月末締め切りの論文もやらなければならないし,プレッシャーだ。ああ,また何処かへ「逃避」したくなる。
     「逃避」の代わりに2ヶ月ぶりに散髪に行く。お店のスタッフに,「随分さっぱりしましたね」といわれる。そんなに汚かったの……。
     帰宅して,学生からかりたワーグナーを聞きながら読書。論文作成にも一応励む。

8月18日火曜日晴れ

     9:00過ぎ大学に出勤。方々から「駐禁」見舞いのメールをいただく。大変ありがたい。しかし,「家なき子」時代の安達祐美が発していたあのセリフを思い出さないわけではない。「同情するなら金をくれ!」(なんて品の無い)
     日曜日に帰省から戻ったときに着信していた「敍説」17号を封筒から取り出して,横手さんの文章や中原豊VS田口律男両氏の往復書簡バトルを読む。同人費1万円の振込用紙は,努めてみないようにする。今月締め切りの原稿を作成する。
     13:00より岡山東署で自動車免許証の更新手続きをする。岡山の場合優良運転者講習と言うのは,30分程度のビデオを見ることであった。しかも1人で。「早送り」したら講習もへったくれもないわけで,これもリストラの一貫なのかなと,複雑な気分で署を後にした。ちなみに署で手続きしたので,発行は1ヶ月後ということであった。案内の葉書には,署で手続きした場合は「後日発行します」とかいてあったが,1ヶ月後もたしかに後日ではあるが,1ヶ月後と明記してもらった方がありがたいと思うのは僕だけだろうか。分かっていれば,すくなくとも署では手続きしなかったのに……。

8月11日火曜日晴れ

     用事があって車で市内某所へ出た。駐車禁止区域であったが,付近に駐車場もないことだし,まあ2時間くらい大丈夫だろう。車の通行も少ないし……と思って車をとめ,5時間後に用事を済ませてから戻ってみると,車が無かった。
     あるはずのところで「もの」が消失するというのは,実に興味深い体験だ。慶応に進んだ精神医学を専攻する教え子がどうコメントするのか興味ぶかいが,僕が体験したのは,その場が「違った場所」,ないし「自分が見る角度を間違えている」という感覚であった。その感覚は一瞬のことだったが,現実感覚に揺らぎが生じた体験であった。
     能書きはこれくらいにして,次に襲った感覚は「やられた」というヒジョーに現実的なもので,慌ててその場に駆け寄り,路上に紙テープで張られた移動通知の紙を,僕はボーゼンと見下ろすのであった。「レッカー移動手数料」12,000円を現金で請求する他に,30分毎に保管手数料100円が加算されるという非情な文面を見ながら,給料日前&帰省を控えた僕は号泣した。
     その後タクシーで保管場所に行って,レッカー移動料金を保管料を支払い,婦警さんから青切符を切られた。「10点減点しますから。それから1週間後までに罰金15,000円を納入してください」と言われ,拇印までとられて,最悪の1日は終わった。ここから得た教訓は,平凡なものだ。駐車料金をケチるなということだ。

8月7日金曜日晴れ

     大学。前夜吉田正さんから送信されていた,漱石研究文献リストのデータを,既存のリストに反映させFTPでアップロードする。武庫川女子の土屋さんからの返信メールで,マイクロフィッシュで閲覧する場合は,リーダーの個数がすくないので狩野文庫のマイクロ利用者と当日競合しないための事前申請が必要なのだそうだ。「漱石文庫」利用者は,注意されたい。

     今日の朝刊で,'97年度の小中校の不登校生徒が,10万5千人になり(文部省「学校基本調査」),初めて10万人を超えたことが報じられていた。内訳は省略するが,増加傾向の分析が大事だろう。中には,「明るい不登校」といわれて,ショッピングやゲームセンターに行くのもいるらしいから,不登校の内実も以前の「いじめ」に代表されるものから複雑化しているわけだ。そしてそこから見えてくるのは,「なぜ学校にいかなければいけないのか」という子供たちの,大人への問いかけなのかもしれない。確かに学びの場は「学校」でなければいけないということはないのであるから。教員の意識も,「学校に来させる」から「無理してこなくても良い」というように変わってきているそうで,「学校」というものの機能自体の変質も,不登校増加と関連していると見るべきだろう。それと同じにフリースクールの登場なども,「学校」一辺倒の教育の有り方に一石を投じる形になっているが,共通の価値観を重んじるこの狭隘な国民性をもつ国で,どれくらい「自由度」を活かせて発展できるのか僕には疑問が残る。もちろん,頑張って欲しいのだが。
     マルハ専務の高山稔と言う人が面白いことを言っている。5%の人間・95%の人間というのがそれで,その意味は5%の人間を代表する人,95%の人間を代表する人ということだそうだ。5%の人間は,世間の5%しか代表していないという意味で,95%の人と比べて考え方が違うのである。横浜ベイスターズの権藤監督も,50%以下の人間の代表なのだそうだが,それはミーティングをしない,監督と呼ばせないという大変奇異な行動をとるからだそうで,しかもその人のチームが今セリーグでは1番強いのである。変革期というのは,95%の人間では対応が難しいのかなと考えさせられた。それは今度の首相人事を例に挙げても,実感できることである。曹操のような乱世の梟雄を求めるわけではないけれど。
     さきの不登校児は小学生が全体の0.26%,中学が全体の1.89%である。「不登校児」という言葉は,学校に行くのが当然という99%人間の発想から生まれている。しかしこの希少な人間の存在が,99%人間に付きつけている問題を,反社会的な問題としてではなく,99%人間の問題として受けとめる時,別の問題が生まれるように僕は思う。

8月6日木曜日晴れ 最高気温36度

     53回目の原爆慰霊の日。犠牲となられた大勢の人々の御冥福をお祈りする。インド・パキスタンの南アジアの国々を始め,潜在的核保有国の国々が歴史に学ぶ謙虚な姿勢をとることを希望してやまない。
     午前中,自宅で「Windows98」の宅配を待つ。11:00過ぎにやっと配達されたが,受け取っても気持ちは弾まない。郵便局で石川さんの暑中見舞いに返事を書いて出してから,大学へ出勤する。
     武庫川の土屋さんからメール。先月の日記で名前を間違えていたのを指摘されたので,WEBの訂正をしてから,お詫びのメールを送信する。彼女は修士論文の必要から東北大学附属図書館の「漱石文庫」で資料の写真撮影をしてきたのだが,僕の体験を話したことが少しは役にたったようだ。最近図書館側は,マイクロフィルムに資料を撮影して,代用閲覧させることで資料の散逸や劣化を防ごうという姿勢を示している。メリットとしては将来的に主要なものをWEB上で閲覧することが可能になるだろうが,そのかわり漱石資料の広がりを体感的に得ることが出来なくなるので(たとえば漱石が書きつけた紙の質や透かし文字などは分からない),直接資料を閲覧することに比べると貧しい経験になることは避けられない。土屋さんなどは,直接みただけでも良い経験をしているわけなので,是非優れた修士論文に結び付けて欲しいものだ。

8月5日水曜日晴れ 最高気温36度

     5:50起床。6:30からの鳥の鳴き声を聞くプログラムに参加。カケス,ホトトギス,目白,嘴細カラス,セキレイなどの声を教えてもらう。早朝とはいえ,温気が足元から立ち上るような気がする。
     朝食後,講師の先生に引率された子供たちと湖・川・沼にでかけて,そこの水を採取してくる。暑いので,方々で子供たちの気分が悪くなり,収容作業に追われている職員の姿があった。真夏の炎天下のプログラムというのは,結構危険なものであることを実感する。教室に帰ってからは,水道水・樹木の蒸散であつめた水を加えて水質を試薬でチェックする。沼の水が,赤い試薬が白くなるほど,水質が悪かった。子供達が昨日泳いだ川は,殆ど試薬が変化しなかったので,子供達は一様に安堵していた。結構気にしながら遊んでいたのである。
     11:00頃交代要員の橋ヶ谷先生が見えたので,引継ぎをしてから昼食を採り,13:20に吉備を去る。40分かけて大学に戻る。研究室で,メールチェックをしてから,15:00過ぎに帰宅。
 

8月4日火曜日晴れ 最高気温36度

     夜,寝つけなくて殆ど徹夜。宿泊施設の隣室の先生のいびきに悩まされたのもある。耳栓も大して効果がなかった。午前中の行事参加で,寝不足と暑さにやられて気分が悪くなり,自室で横になって休む。
     午後,宇甘川というところで水生昆虫や魚の採集をするが。子供達はいつの間にか水遊びに移行していた。その姿を地元の子が奇異な表情でみており,引率の事業担当者の人が「地元の子は川で泳ぐなと指導されているんですよ」と言われるので,「水質検査などはやらないんですか?」と聞くと,「やってません」ときっぱりお答えになるのだった。ウシガエル・なまずを捕獲して,子供たちは大喜びだったのだが,おじさんは複雑な心境だった。地元のTV局・新聞社がやって来て,取材をして帰っていったが,あとで放映された番組を見ると,ある女の子が「授業もないし,遊んでいられるので学校よりずーっと面白い」と発言しており苦笑する。一応授業なので……
     夜は夜間照明に寄ってくる昆虫を調べるプログラムを取材。多量のカメムシに女の子が悲鳴を上げる。思ったより蛾が少なく,とんぼや蝉がいたのがちょっと驚きだった。カブトムシを探すが何処にもいなくて,男の子達はがっかりしていた。おじさんも残念だった(なぜかこのときだけ捜索隊の先頭にいたりした)。21:00プログラムのまとめのあと,ミーティングをして解散。

8月3日月曜日晴れ 最高気温36.6度

     午後吉備高原都市にある国立吉備少年自然の家に出張。岡大教育学部学生の有志と4・5・6年の小学生のふれあいのために催された3泊4日の行事のうち,3日を引率するためである。暑くて閉口。ハンドタオルが汗でグショグショになる。
     僕の仕事は学生の参加姿勢をチェックしながら,デジカメで資料になるものを撮影し,あとで報告書としてまとめることだ。