津島通信

NOVEMBER '98
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◆CONTENTS◆

自筆本「奥の細道」について(11/26)

AL-MAIL32β5公開(11/19)

@「きむたく日記」

出勤した日に,暇を見つけて更新しております。

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takumi@mxd.meshnet.or.jp

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自筆本「奥の細道」について

     一昨年話題になった芭蕉の自筆本とされる「奥の細道」について,大学時代の先輩である山村孝一氏(中世文学研究者;通称喧嘩太郎)が,「平成新出本『奥の細道』をめぐって」(「大阪産業大学論集 人文科学編」96号,1998.10)という論文を草されて「自筆本」説に疑問を投げかけられた。
     ことは「奥の細道」の一写本が,平成8年11月25日に上野洋三・桜井武次両氏によって芭蕉の「自筆」であると発表されたことに始まる。この「新発見」については,NHKが「クローズアップ現代」で取り上げ,岩波書店から『芭蕉自筆「奥の細道」』として刊行された。僕も思わず買ってしまった口なのだが,山村氏はこれが「大嘘」だというのである。「何,3000円もしたのにか!」と思われた方は,以下をご覧いただきたい。
     「自筆」説の疑わしさについては,既に山本唯一氏が『芭蕉の文墨―その真偽―』(思文閣出版,1997.10)で,なんと自筆本の59箇所に及ぶ誤記・当て字を指摘されており,芭蕉本人の「自筆」であることに強い疑義を呈している。例えば,「かすかに」を「かすに」とするのは漱石でも(?)これくらいは原稿レベルで書いてるぞというミスなのだが,「縁起」を「縁記」,「白妙」を「白砂」,「一家に」を「一宿に」と怪しい間違いは頻出し,果ては「立石寺」を「隆釈寺」,「永平寺」を「平永寺」などと書く始末なのである。この2つの寺の名前は芭蕉本人が実際に訪れた事のある寺である。普通間違えるだろうか?しかも「永平寺」は,あの道元の開いたお寺であり,木村でも間違えない名前である。それを芭蕉が間違えていることになる。
     山村氏は多くの問題点を一つ一つ丹念に検証されているが,その一つを紹介すると,文意の通じない誤写の問題がある。<「栗といふ文字は栗の木と/書て西方浄土に便あり」(7裏14)(中略)「西」とあるべきところを,前の「栗」の字にひかれた誤写,>と指摘される。「栗」の字は,「西」と「木」に分解できるので,「西方浄土」に関連のある木だという文意なのだが,これは<栗といふ文字は西の木と>すべきところなのである。それを芭蕉が,書き誤っているのである。これなどは注意力以前に,文意が分かっていれば書き誤る類のものではないだろう。他21例を挙げて,不審を指摘されているわけである。
     この「自筆本」は,大阪の古書店主中尾堅一郎氏が昭和30年代から所蔵しているもので,時の芭蕉研究の大家に鑑定依頼を出すたびに「不可」と言われ続けてきたいわくつきの写本だそうだ。俳文学会では,権威である上野・桜井両氏の発言を受け入れて,概ね「芭蕉自筆本説」を認める方向にある。しかし……。
     これは,芭蕉研究者が,後世に笑われないようキチンと21世紀までにケリを着けるべき問題ではないだろうか。(11/26記)


AL-MAIL32β4公開(11/10)

     使いやすく,教育機関ユーザーにとっては無料で使用できるお勧めメーラー”AL-MAIL32”のβ5バージョンが公開された。複数のメールアドレスを持っていても,切り替え操作だけで,着信メールをダウンロードできる優れものだ。
     ※注意 ネットスケープのユーザーは,ダウンロードの際,右クリックして「リンクを名前をつけて保存」にしないと,ダウンロードしたファイルが上手く自己解凍しません。


「きむたく日記」

11月30日月曜日曇り

     両腕・腹・大腿部に筋肉痛。ブックセンターで,村上春樹『約束された場所で』(文芸春秋),無着成恭『山びこ学校』を購入する。図書館で,芸人ギャンブラー@マッキーにあう。卒論か。『児童文集「くさかご」「北方文選」』『作文・綴り方教育史資料』上・下などを借りてきて,研究室で講義準備。林原君に谷崎の『文章読本』(中公文庫)を貸し出す。

11月29日日曜日晴れ
     6:45起床。田中先生と洗面がてら大浴場に行く。晴天で窓外の光景を眺めながらの朝風呂は気持ちが良かった。大山らしい冠雪した山も眺望できた。
     昨日の宴会場で朝食。そこでいきなり司会者の柴田君に,今日の懇話のテーマを教えてくれといわれて驚く。彼の持っているメモにはしっかり,僕のところ以外のテーマが書きこんであるのである。昨日のうちに聞いて欲しかったところであるが,仕方なく適当に思いついたテーマ「非恋愛論ー私は恋愛至上主義者ではないー」を伝える。稲田先生は「晩婚を考える」,田中先生は「子育てについて」というテーマで,特に稲田先生のテーマには悲しくなる。食事が終わってから,カシオペアでアウトラインを作り,9:00からの話に備える。
     9:00〜10:00まで,僕のところに来てくれた学生を相手に話をし,彼らと意見を交わす。「恋愛」と言う言葉が,近代的な産物であること,「恋愛」がなくても結婚はできること,離婚の増加は「恋愛」による経験値アップを意味していないことなどを話して,「恋愛」を結婚までの不可欠な要素とみるような考え方自体が我々の「幻想」に過ぎないことを述べて問題提起をした(ツモリ)。「恋愛体質」の1年生の女の子森さんは,異論があるようだったが,うまく言葉にならないようだった。東原さんは,やりたい目標を実現するための生き方を選びたいと言って,「女だから恋愛をする」というような考え方は必ずしもしていないといった。10:30からは学生の有志による話合いをして,11:30過ぎに終了する。清算をすまし,12:00から食事をし,12:20には食事を終える。宿舎の前で記念撮影をしてから,バスに乗りこみ,15:00前に大学東門前で解散する。ツアコン@井上君お疲れさまでした。
     睡眠不足で,眠たくてしようがなかったのに,バスでは柴田・林原両君の相手をして,結局寝るタイミングを逸した。みると周囲は,爆睡しているのだ。それにしても柴田君,バスの中で寝ている女の子(※ご飯大臣)の顔写真を撮るのはやめましょう。また宿舎内で,寝ている後輩たちを叩き起こして「個人面談」をしまくるのはやめましょう。あとで後輩たちから「不眠の刑」を受けたのは当然です。マッキーも親睦と称して,教員引率の合宿でマージャンをするのはいかがなものでしょうね。
     ※「ご飯大臣」;柴田君命名。合宿中,食事の度毎に食前の「いただきます」「ごちそうさま」でしたをいう結構恥ずかしい役目。残飯の分別なども担当。
11月28日土曜日曇り

     学外合宿という4年に1度の学生・教員の親睦旅行の引率で,鳥取県の関金温泉に行く事になった。参加者は,1年生から4年生まで46名(希望者のみ)と教員3名である。10:30に岡山大学を出発し,11:50に蒜山で休憩,12:40頃に国民宿舎グリーンスコーレ関金に到着した。昼食のあと,町の体育館を借りて,バレーボールをする。僕にとっては,高校の授業以来だから,16年ぶりにバレーボールに触ったことになる。昔の勘などありはしないから,まわりの足を引っ張りまくって顰蹙を買う。
     16:00から夕食の時間まで,引率の稲田先生・田中先生と喋ったり関金温泉まで出かけて入浴したりする。8種類の温泉を楽しめると言う事で,露天風呂や打たせ湯などを楽しむ。岩風呂に入った女子学生から,8種類も無かったという苦情が出て,木風呂の我々の方と合わせて8種類であったことに気がつく。施設側の誤解をまねく表現に問題があるだろう。翌日聞くと3年生の女子学生が湯のぼせして浴場で倒れた騒動があったようだが,そんなこととも露知らず,のんびりと先生方と湯を楽しんでいたのだった。
     18:00から食堂で夕食。2年生の女子学生と同席して話す。これは講義評も聞けて,有意義だった。19:00から21:00まで,宴会場で親睦会。途中マッキーが,ボールまわしの「芸」を披露して,稲田先生と僕も負けずに真似をする。3年生の城市・広浜さん,石井・林原・白水君や,1年生の松永君・土野(はの)君・角野君らとも話せた。松永君は,鹿児島の出身で,鹿児島の話題で盛上がる。土野君は僕と同郷で,兵庫県の出石町の出身である。「ふるさとの訛り懐かし」であった。時々「きむたく日記」を読んでいるということだったが,また研究室に友達を誘って遊びに来てもらいたいものだ。
     21:00に散会して,部屋に戻って倒れこむ。ビールを4杯飲んだのはいいが,信時さんに鍛えられて360ml缶を空けられるようになった今の僕には,これが限度量であった。眠気に襲われて暫くうとうとするが,稲田・田中先生の談笑する声に目が覚めて,話に加わる(内容はヒミツ)。0:30に就寝。アルコールからくる頭痛が始まり,寝つかれなくなる。眠りがきた頃に,田中先生の鼾や稲田先生の用足しで,目が覚めてしまう。

11月27日金曜日曇り

     紀伊國屋書店から,注文したバリー・サンダース『本が死ぬところ暴力が生まれる』(新曜社)が届く。「読む書く」リテラシーが「自己」を発生させる文化的装置の役割を果していたのが,メディア文化の中では読み書きのリテラシーの位置が相対的に低下し,「自己」が危機に瀕しているということを述べているようなので購入したのだが……,読もうとした段階で明日からの合宿の件で,学生との打合せが入り,中断。講義準備をする予定もなし崩しになってしまった。

11月26日木曜日晴

     皆さんすでにご存知と思うが,人気タレントの広末涼子が早稲田大学教育学部に自己推薦制入試で合格した。しかも国語国文学科である。これを知って,あれこれと「思い」をめぐらせるのは,関係学科の男子学生・院生だけではないだろう。ま,僕はFANではないからどうでもいいけどね。しかし早稲田の教育の倍率は跳ね上がるだろうし,彼女が,早稲田に行くと言うだけで受験料収入にも「広末効果」が出ることは確実である。タレントを利用するというのは,窮余の一策にしても広末レベルならおいしい話だ。次はSPEEDの4人か?

     

11月25日水曜日晴

     午前中「小学国語T」の授業。小川未明の「眠い町」についての報告と検討。従来の文明批判的な解釈に対して,ケーの役割に注目することで,「文明」とどう付き合っていくかという視点が内在化されていると指摘された。明快で,説得力があった。
     午後某ゼミ4回生の,「卒論」の資料探しの相談にのる。13:00から「家」について報告予定の井上くんの指導。「家」制度と恋愛観の2点からアプローチするとのこと。注釈書がなくて苦労したようだが,作品をよんで面白かったと言ってくれたのが救いである。
     15:00生協で昼食。図書館に『三島由紀夫全集』2冊を返却し,講義準備のために教育史関係の本を借りてくる。『日本近代文学』59の「小さな王国」論は,講義の良い資料を提供してくれた。

11月24日火曜日晴

     出勤途中に東郵便局へ立ち寄り,信時さんに近代文学会から送られて来た抜き刷りを送る。入院している友人には,見舞金を送る。年賀状を購入している人がいて,年末が近くなったと思う。年賀状を書いている余裕は,12月25日までないだろうが……。研究室に入り,洛星時代の教え子である田村君からリンク集に記載してくれという要望があったので,HPの更新作業をする。
     掲示板の吉田さんからの情報で,「漱石研究」11の発売が,10月末よりもかなり遅れていたことを知る。原稿の集まり具合がよくなかったのか。来年からは発行が年一になるようだが,このこととも関連しているのだろうかと,意地の悪い勘繰りもしてみたくなる。
     午後,現代文学の講義で「砂の女」のまとめをし,三島の「金閣寺」の導入を話す。受講生全員が三島の作品を読んだことがないということで,高校時代三島文学に熱中して必要語彙も彼から学んだことが多かった僕としては,唖然とせざるを得なかった。「金閣寺」なんて20回近くは読みなおしたのに……。これも時代か,いや連中とは13,4年ほどしか離れておらんのだああ!。引き続いて,大学院の演習。「なめとこ山の熊」についての報告。テクストの読解について,まず書かれている「言葉」をきっちり把握することが必要なのだが,素通りして自分の言葉の中へ編みこんでいくので,その恣意性を重点的に注意する。90分の時間内でレジュメを消化できなかったので,初めて2週連続体制をとる演習になる。院生という自負があるのかどうか知らないが,学位論文を出そうと思っているくらいなら……いや,愚痴になるのでやめよう。
     そう言えば明日は三島由紀夫の死後28年目にあたり,憂国忌の日である。憂国という意味では,自自連立という不可解な芸当をやってのける小渕政権などは,その材料として申し分ない。日本はもう……二子山部屋状態である(意味不明?)。
     明日の演習報告者の指導。学外合宿についての相談。外字作成とその利用の仕方についての質問等に応じる(PC教室でアルバイトができそうだ)。

11月19日木曜日晴

     大変寒い。東北地方は大雪だそうだ。慶応の田村くんから,HP"LOVELYペンギン村"(嘘)開設のお知らせ。洛星時代の教え子では4人目の開設也。午前中,「田園の憂鬱」の報告。ワープロが壊れたということで,半分ワープロ,半分手書きのレジュメになっていた。まとめの方は,「薔薇」=「彼」という解釈を示して大変明快な内容であった(これでどうして……)。また,研究者の文章を用いて,時代相へ還元していく考察をしていた点も評価できる。僕もこの辺りに問題意識を持っているので,大変興味深かった。
     午後侵略・植民地と近代文学について講義。教室の暖房を入れようと思ったら,スイッチを押しても起動しない,???である。凍えながら話す。「寝るな,寝たら死ぬぞ」という冗談に乾いた笑い。そして,いつもの酸欠。
     講義を終えて,原稿の最終チェックを済ませてから,16:00前に山大@石川さんに『敍説』18の原稿を送信する。9月15日締切りなのを今日まで待っていただいた。随分御迷惑をかけました。これで,迷わず成仏してください(?)。
     上記田村君のHPを散歩。リンク中,僕のHPへのコメントには苦笑させられる。ダヴィンチ関連のエッセイ(課題レポートだろう)は,彼の本領発揮というべきところか。

11月18日水曜日晴風強し

    午前中2週間滞納していた市民税を郵便局で納める。演習@「よだかの星」を扱う。1年生の受講者の報告だったので心配したが,その通りだった。

    昼休みにメールチェックをしたら,山大@石川さんのメールを受信した。原稿の催促也。あまりに悲壮な文面なので,メールで返事をするだけでは気がとがめて研究室に電話を入れる。出た石川さんは大笑いして曰く, 「『あのように書くように』という御達しがあったんですよ」
    「花田さんですか」
    「いやいや別の人」
    ともかくも,僕がビリではないということなので安心した。しばらく雑談する。久しぶりに声を聞けてうれしかった。奥さんとも仲良くすごしているという事で,「愚かな夫婦」を演じているそうだが,意味不明である。
    図書館で調べ物をし,ブックセンターで「朝日パソコン」を購入して生協で食事をする。13:30から会議。19:03終了。「真っ白に燃え尽きた」(by 矢吹丈)。

11月17日火曜日曇り

     昨日『文学・語学』(全国大学国語国文学会)の161号が届いた。1997年の研究動向のところで,「夏目漱石」があり関谷由美子さんが紹介をしていた。読んで行くと僕にも言及があってひっくり返った。
     曰く,「明治の国家機構の中の<家>制度という,固有の枠組に拠る作品論群は,その理論的枠組みの限定性の故に競合関係となり,やや停滞の感がある。一例として木村巧(ママ)「『行人』論ー一郎・お直の形象と二郎の語りについて」(『国語と国文学』2月)をあげる。」とある。
     「やや停滞」の一例なのか,<家>制度論の一例なのか,それともどちらも含んだ掛詞なのか分からないが,開き直って「もうその通りです」としかいいようがなかった。福岡の敵を埼玉で討たれた感じ。
     午前中,「田園の憂鬱」の報告者Kさんの発表のための指導。「薔薇」の意味を中心に「憂鬱」の世界を解析して行く事にする。奥さんへの対応が冷たいともいっていた。「都会の憂鬱」も読むとかいって,随分頑張り屋さんであるが,AB型のために話が放射状に分散し,追跡していくのが大変である(もう馴れたけど)。大学院の演習後,森ゼミの4回生kさんの卒論作成の相談にのる。魏の時代の政治資料を,WEBで検索して感謝されるが,著者が中国人なので白文と分かり,次の瞬間罵られる。(「おめーの卒論やろが!」←怖くていえなかったのでここに書く。)
     このあと更に南本ゼミk君の卒論の相談も受ける。「森先生が土曜日の発表を誉めてましたよ」とおだててくれるので,ちょっと嬉しかった。それにしても今日は,「k」の来室の多い日だ。

11月16日月曜日曇り

     新美南吉「ごんきつね」のプロトタイプである「権狐」の中の「はそれ」(鉄製の大鍋)について,辞書にのっていない方言であるため,MLで情報を求めたところ,深谷さんからレスを得た。『尾張乃方言』(国書刊行会・昭和50年),『愛知県南知多方言集』(国書刊行会・昭和51年)に載っているとのことで,岡大の図書館にも同書が収められていることをWEBで確認した。INETの恩恵である。本当に助かった。「ナンヂニ,セツプンヲオクル」(太宰治「男女同権」)である。ちなみに深谷さんが激怒するといけないので,申し添えておくと,きむたくの言葉に深い意味はない。
     神戸大@森川くんからメール。懇親会の後,尻に火を着けて発破をかけたつもりだッたが,翌日は車のレースを観に行ってたらしい。大物である。
     明日の講義のノート(安部公房「砂の女」)を作成する。
     寒くなってきたので,炬燵で使用するパソコンが欲しくなってきた。ワープロ時代は良かったが,デスクトップはテーブルに乗せるとメシが食えない。エアコンを効かせてもあの足元の寒さだけはなんともならない。デスクトップを購入した4年前から毎年悩みつづけているが,今年こそはバイオかレッツノートでもと考えている。しかしPCを1年に2台購入するというのは勇気がいる。だからといってこういう無理は独身時代にしか出来ない事だし,ああ考えると今夜も眠れない。

11月14日土曜日晴れ,暖かい。

     4:30までかかって発表用のレジュメを推敲する。推敲したわりには大した出来ではないのだが……。昨日,図書館に行ったのはいいが,現実からの逃避行動をとってしまい。ブックセンターで立ち読みしたりしたのがまずかった。
     8:30に大学に出勤し,印刷室で報告資料を印刷する。レジュメは5枚になった。
    昨年は暖房を入れたそうなのだが,今年は外を歩いていると汗ばむくらいだ。10:30から研究発表があり,院生2人の報告の後に発表を行う。タイトルは新美南吉「権狐」論。「権狐」(「スパルタノート」)と「ごん狐」(『赤い鳥』)の相違点が意味する問題について論じた。原稿用紙で21枚の原稿を,25分の規定時間では到底読みきれず,10分オーバーしたところであきらめて,報告内容の半分で締めくくる。
     午後2人の報告の後,閉会。付属中学教官の森川氏の報告を聞いたあと,南本先生が質問に立たれて,森川氏が国語の教師と文学の教師は違うということをいわれていたことを知る。確かに発想の相違を実感させられる報告だった。新聞を教材に取り上げた授業をされているようだが,自主教材はいいにしても,管理型の授業形態では,教わる子供たちは教員の敷いたレールから脱け出すことができないのでないだろうか。しかもその授業への参加姿勢を「自己評価」させ,それと教官の評価を併記させるという方法は,教官の「視線」(価値観)を自分の中に組み込むことになる。そうして生徒は授業形態そのものへの批判は絶対に抱けないわけである。学習能力や関心の深浅,そして教員との人間関係をいうものを,ある一線まで引き上げて統一させようという意識は,「教育」なのだろうか。すくなくとも僕@文学の教員は,そのような姿勢を採ることは出来ない。使用したプリントをファイリングする時の「学習の手引き」で,「むやみに人に聞くことは慎みなさい」「人の世話を焼かないでよろしい。」「これは個人の仕事で,協同の作業ではないことを,しっかりと心においておくことです」。これらの指示は,中学3年生の授業に必要な指示なのだろうか。誰かが困っていれば,協力を申し出ればいいし,それを判断する「自由」も能力も,生徒には十分備わっているはずである。この教室では,それがない。
     そう思って,研究室に戻り,インターネットで朝日新聞の記事を眺めていたら,以下のような記事をみつけた。<小学生の3割、中高校生の6割が学校の授業をよくわからないと思っていることが13日、文部省が初めて調査した授業の理解度で明らかになった。授業がわからない生徒らの比率が高校生7割、中学生5割、小学生3割という「七五三」説を公式に裏付けた形だ。>という。森川氏の方法は,「分からない」子供たちの現場にいる以上,選ばねばならないものであるように思えてきたのあった。
     17:00より19:30まで懇親会。卒業生で今は神戸大学大学院博士課程後期に在学している森川正弘と歓談する。芥川の研究者である。文学研究にこだわり,文化研究へと動いて行く研究動向への疑問を持っていた。2次会は,酔い覚ましに「エルグレコ」にいって,キャラメル・オーレを飲みながら,共通の友人の吉岡由紀彦さんや神戸大の北川さん・小谷口さんの噂話をする。

11月13日金曜日晴れ

     10:30から学生の発表の指導。「田園の憂鬱」についてであるが,「田園」というユートピア幻想と現実のギャップの中で疲弊して行く主人公は,殆どギャグである。真面目で深刻ぶっているだけに余計に笑わせてくれる。報告者も作風に随分戸惑っていたが,がんばって欲しい。
     午後,明日の発表の為の原稿の仕上げをする。

11月12日木曜日晴れ

     2コマ講義。喋りすぎて酸欠。気分が悪い。酸素吸入器が欲しいくらいだ。どうも上手に喋るのは難しい。深谷さんから,BBSに「提言」へのコメントをいただいた。神大院生小谷口綾さんから,HP開設の連絡あり。彼女はいままで借り店舗営業をしていたのだが,今度独立したのである。
     14:50食事をしに,中山下(なかせんげ)まで遠出。紀伊國屋書店で新刊をみる。横光の「旅愁」上(講談社文芸文庫)が出ていた。信時さんから教えてもらったE・ハワードの田園都市の本を見つけるが,ちょっと違う印象。無印良品でコーヒーやペーパーフィルターを購入。チーズパウンドケーキというのが出ていたので,夜食にと思わず買ってしまった。これを食うと太るのだろうな,やはり。

11月11日水曜日晴れ

     午前中1コマ講義。4回生の卒業写真撮影のために,20分早く終わらなければならなくなった。本末転倒である。「セロ引きのゴーシュ」(gaucheとはフランス語で「下手くそ」の意)の報告が良かっただけにもう小し授業をやっていたかった。しかもこの日撮影があることを全く失念していて,不精髭を剃るのを忘れていたので,ババリアンのような風貌で映る破目になった。日ごろから身奇麗にしていないと,大恥をかくということの見本のようであった。
     教室会議の後生協で食事をして,ブックセンターでS・カーン『愛の文化史』上,「新潮」12月号などを購入。「新潮」には三島由紀夫の十代書簡集が掲載されている。単行本になる前に読んでおかないと「新潮」を買った意味が無いようなものだが,これ以外に京大生作家平野啓一郎「一月物語」も掲載されていたので,まあこれも価値がでるかもしれない。拾い読みしてみると,明治文学(鏡花・露伴)のパロディーという印象。パロディーは失敗すると目も当てられぬことになるが果して如何。
     講義準備をして,20:30退出。東條先生と印刷室で一緒になったが,先生も遅くまでがんばっておいでだった。

11月10日火曜日晴れ

     風が強く寒い。はじめてセーターを着込む。
     午後2コマの授業。「人間失格」は3つの内容(「道化」「ツネ子」「対義語」)を準備していったが,3つめで時間が足りずに駆け足になった。殆ど余談も出来ない。だからと言って2つにすべきなのか,迷うところだ。16:00から1時間演習生の指導。午後一杯喋りすぎて疲れた。

11月9日月曜日晴れのち曇り

     大学院生から,FDのAL-MAILのメールボックスが一杯になったので,新しいメールボックスを作ってくれと依頼があり,作業をするが,半分やり方を忘れていて往生してしまう。メモを作っておく必要がある。
     明日の講義準備をする。太宰の「人間失格」を取り上げるのだが,「新潮」の草稿発見特集号(?)が見当たらない。いやそもそも購入していたのか。どうも健忘症気味である。「敍説」の論文と週末に迫った発表準備で,頭はオーバーヒート寸前だ。

11月5日木曜日晴れ

     珈琲を寝る前に飲んでしまって,一睡も出来なかった。眠気と吐き気が同居している状態で車を運転し大学に出勤する。2講目の演習で「銀の匙」の報告者が(寝坊して)出てこなかったために,仕方なく僕が解説をしながら講読する。研究室の留守番に「ごめんなさい」のメッセージあり。しゃあないやっちゃ!
     注文していた高澤秀次『評伝中上健次』集英社が,ようやく納入される。論文書きが終わったら,読むことにしよう。楽しみだ。

11月4日水曜日曇り

     出勤してメールチェック。吉岡由紀彦さんから,「提言」への感想あり。他に松本常彦さん(北九州大学)に会って僕を「肴」にした由。松本さん,懐かしいなあ。石川さんの挙式以来会っていないが,お元気そうで安心した。吉岡さんの友人に岡大の教育学部出身者がいるとのことで,世間の狭さを感じる。信時さんに,吉岡さんの感想・御意見部分を転送して返事を貰う。
     13:00より僕が召集したフレンドシップ事業担当者会議。30分で終了。  講義準備のために「田園の憂鬱」を読みなおす。これはシンドイ。

11月3日火曜日晴れ

     大学。学園祭3日目である。学生達の出店「えちご屋」でたこ焼きを買う。大変にぎわっていて整理券がでていた。僕も10分くらいまたされた。
    「売店に来てくださるのは,先生ぐらいですよ」といわれたので,「それだけ暇ってか?」と突っ込む。3日間の売上は15万円位になるということだ。
     気になったのは,隣の空き地にまとめられた膨大なごみの山である。この光景は大変気になった。
    3日目だからしょうがないのかもしれない。小野不由美の『屍鬼』の世界からようやく現実世界に立ち戻る。タイトルからおおよその察しはつけていたが,アン・ライスのヴァンパイアクロニクル(たとえば「夜明けのヴァンパイア」ハヤカワ文庫)からの影響をかなり感じた。勿論,小野なりの取材努力も相当なもので,ストーリーも充実していた。久方ぶりのゴシックホラーである。しかし,沙子は聖少女クローディアを思わせるし,静信はルイを思わせる。この辺りの人物造形は,もう少し工夫が欲しい。
     講義のために「神経病時代」を読みなおして,改めて大爆笑。おかしすぎる。オチも効いている。