津島通信

 June '99
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◆CONTENTS◆

学会見聞録@6・12日本近代文学会九州支部大会(準備中)
【きむたく日記】

暇を見つけて更新しております。

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「きむたく日記」

6月30日月曜日晴

     U講目の講義のあと,附属中学の教育研究中間発表会(公開授業・協議会)に参加する。庶務係でマイクロバスの運転手も勤める人から電話があり,「先生,行きは空いてますから乗れますけど,帰りは乗れませんよ,どうします?」と「イケズ」をいわれたので,車で附中に行く羽目になる。附中に着くと,曽布川・木原・宮崎先生につかまって食後のお茶につき合う。  授業の始まる13:20前に慌てて研究授業が行われる教室に向かうが,すでに学内外の教員で廊下の外まで人であふれていた。学部の学生の姿まであったりして,「なんでこんな処に来ているんだ?」といぶかしく思う。人ごみの中にわけいって,よく見ると中庭の方にも人があふれている。大変な盛況ぶりだ。南本・稲田・吉田・田中各先生の姿を見つける。
     授業は「言葉の美を発見する」というテーマで,俵万智の短歌(「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ)(「サラダ記念日」1987)を題材にしたものである。2箇所ある「寒いね」の部分を空欄にして,「予想読み」で空欄の内容を推理させ,その作業を通して,作者が空欄の言葉をどのように紡ぎ出していったかを生徒たちに考えさせるものだった。「あたたかい」という最終句との対義的関係で,空欄に「寒い」「涼しい」系の言葉が入るのは分かるのだが,「寒い」という言葉を導く為に,反復法に始まり,対比法や,「寒い」に類する「涼しい」「雪」という言葉ではなぜいけないのかの説明を経(あたたかいは「心」があたたかい意なので,空欄内も「心」が主語になる言葉が適当という判断),さらには表記の問題(漢字でなくひらがなで書く意味)などを踏まえて,ようやく「寒い」でなければいけない理由に到達する壮大な授業であった。
     この高度な授業内容が中学1年生の授業であることにびっくりしたが,この短歌の鑑賞がないのにはもう一度びっくりさせられた。この短歌のもつ「あたたかい」意味,すなわち「寒い」という感覚の個人性が,言葉を介して他者と共有することが可能な人間関係が「あたたかい」と表現されていることを学習者に明確に自覚させなくては短歌を鑑賞したとはいえないだろうにと思う。
     違和感を抱えたまま授業後の協議会にでると,そこで疑念は氷解した。授業指導者は学力到達目標を設定していて,その規定の学力に到達させる為に,授業内容=「方法」の習得として構成されていたのである。つまり今回の研究授業では,短歌の読解能力を身につけるための「方法」が示されていたわけである。この先鋭な姿勢は,その高度な授業の内容と実践ぶりから十分評価できるものであった。ただし鑑賞の「方法」として,倒置法や対比法などのレトリカルなものが入るように考えられていたのは,一考を要する。附属小学の先生からも「読解」と「鑑賞」の意味が分からなくなったという発言があり,南本先生が,「読解」とは,法則性に基づいて誰でもが到達しうる意味を導き出す作業を言うのであり,「鑑賞」とは,日常の言語運用とは異なる文学表現で表された作品世界の意味のことをいうのだということを述べられた(大意)。僕自身も,「読解」の定義は南本先生に同じで,「鑑賞」については,「読解」で得た知見を個人的な体験として内面化=言語化し,他者と共有できるものとして再生産するものと考えている。それは生徒レベルでいうなら,必ずしも「文学」的である必要はない。ともかく,指導者は生徒個々人が「読解」で得た知見を,内面化していく過程をあまり考慮していないのではないかと思われた。短歌の「読解」方法を知らないで,短歌を面白いと思うわけがない,という発言もされてもいたが,分析だけに長じて,その世界について共感も反発も,まして他者と言葉の世界を共有していることの「あたたかさ」を知らないようでは,短歌の理解という点で本末転倒を起こしていることは明らかである。
     今回の授業内容だけでは,指導者の「方法」意識や展開内容の全てを十分に理解できるわけではないので,妄評はこれくらいにしておくが,「読解」と「鑑賞」の区別について,自分の姿勢が明確になったし,学部の指導上でも意識しなければいけない点が分かったので,収穫に恵まれた会合だった。
     批判がましいことを書き連ねたが,この「方法」意識にすぐれ,実践力にも恵まれた指導者に教えられていれば,生徒の言語能力はかなり向上するであろうと思われる。問題は,学部生では,真似ができないレベルであるということだ。影響を受けて,自分本来のスタイルを見失う学生は多いだろう,スタイルがあればの話だが……。とりあえず,僕は7人のゼミ生が急に不安になって来た。
     16:40過ぎに閉会し,帰途駐車場で車を動かそうとしていると,吉田先生がバイバイと手を振って帰って行かれた。

6月28日月曜日,曇り時々晴

     先週土曜日の早稲田大学で起こった騒動は,既に御存知だろう。報道陣・野次馬合わせて1000人ということだが,タレント兼業の1学生の登校をなんでそんなに大騒ぎせにゃならんのだろう。国立大学の基準でいうなら,全講義日数の1/3以上を欠席している彼女は,前期に登録した科目の受験資格は一切無い。女優業が忙しいのなら,休学して然るべきであろう。まさかタレント兼業でテキトーに単位を取得して卒業まで漕ぎ着ければ良いと御考えではないだろうが,早稲田大学教育学部の受験に涙を飲んだ学生や,現に学んでいる学生を愚弄するような真似はどうかしていただきたく無いものである。好むと好まざるとに拘わらず一挙手一投足に注目が及ぶ職業に片足を突っ込んでいる以上,登校して生じる大学・学生への迷惑を心配した向きもないでは無いだろうから,それならそれでキチンと事務所を通じて報道機関と調整する努力をしても良かったのではないか。無為無策で,騒動だけを巻き起こすなら,どこかのオバサン騒動と大して変わらないように思われる。
     昨日丸善で谷川健一『日本の神々』岩波新書,野口悠紀雄『「超」整理法3』中公新書を購入。『日本の神々』では,郷里の但馬地方に伝わる天日槍(アメノヒボコ)が,7章で紹介されていた。渡来系の神で金属をもたらした部族と関係しているとは思っていたが,太陽信仰とも関係があるということだ。確かに鍛冶には火=陽が必要である。だからといって僕が,渡来系の部族の子孫ということにはならないのだが。面白いので,就寝間際のベッドでの読書(眠気を催すため)対象としては不適格とさせていただく。
     演習で報告予定の学生の指導をする。

6月24日木曜日,雨 沖縄戦を知っていますか?

     神戸大大学院のMクンから,村上春樹からメールを貰ったという喜びのメールが来た。内容も紹介してあった。彼の言うように,実に「ミーハー」な内容である。僕には,50のオッサンからメールを貰って喜ぶ彼が,ちょっとブキミにも思えたが,返信には書かなかった。僕は,奥菜恵からメールが欲しい。

     今日の講義で,昨日の沖縄戦終結の日について知っていたかと尋ねたが,みな一様に「知らない」と答えた。NEWS番組も新聞も見ないのだろうか。大体沖縄戦のことを知っているのかどうかさえ疑わしい程だ。ちなみに23日は,あくまで日本軍の組織的戦闘体系が壊滅した日であり,ゲリラ化した日本兵はなんと9月頃まで戦い続け,沖縄の住民への虐殺事件を起こしたりもした。
     知らないと答える彼等の学習能力も問題だが,この無関心さは本土の沖縄に対する意識と関連しているのではないだろうか。そこに明治以来の植民地政策・差別の問題との関連を見て取ることは容易である。それをしっかり学生に教えなくてはいけないと,改めて思う。国歌・国旗問題もその延長に見えてくるだろう。

     柳美里の裁判ネタでは,結構反響が見られた。この「現代」で表現することに,作家は十分自覚的でなければいけないと,改めて思う。しかし,それは位相を代えて,我々にも言える事だ。他人の人権を侵さないようにすることに注意を求められる時代になっているのだ。T北大やN戸教育大のセクハラ事件も,結局は人権侵害なのだから。大学生・大学院生も,教官に強くなれる時代になったわけである。顧みると10年前の我々には,「人権」は無かった。アビューズ(虐待)を受けている学生・院生,さあ立ち上がるがいい。ついでに,学生・院生にアビューズを受けている気の弱い(僕のような)教官も!(嘘)

6月23日水曜日,曇り後雨

     午前中1コマ演習。12:30から13:40まで会議。教育実習の事後指導をする。生協ブックセンターに,「福沢諭吉家族論集」(岩波文庫)を買いに行くが,今日も無かった。どうも取り合いになっているようだ。
     昨日判決の下りた柳美里の報道をインターネットで読む。「石に泳ぐ魚」「新潮」1994-9が問題の小説だが,この中で主人公の友人の女性として,無断で原告女性をモデルとし精神的な苦痛を与えたことが,訴訟の原因となっている。今日の講義でも話したことだが,芸術のためとか文学のためというような姿勢は,現代では通用する考え方ではない。1人の人間を不幸に陥れて完成された芸術を,優れているなどと言うことは到底できないのである。柳美里氏と新潮社(人権上,問題のある出版社になりましたな)は「ノンフィクション小説ではないから、一般読者が実在の人物と作品の登場人物を同一視しながら小説を読むことはなく、プライバシーの侵害には当たらない」(「東京新聞」6.23)と主張していたようだが,そうでないという判断が示されたことを誠実に受けとめ,表現の自由への司法の介入などと言う(ごまかしの)視点から反駁を加えるのではなく,まず創作上での自分の配慮が足りなかったことをキチンと反省すべきであろう。この問題は,表現の自由という高次の問題では決してなく,柳美里という人間の品性の問題なのである。まず,原告女性に謝罪しなさい!

6月21日月曜日,晴

     先週末,日本大学の紅野先生がHPを公開されたのを根岸さん(岐阜大)のサイトで知り,相互リンクをお願いすると,「いいよ」という事だったのでリンクをさせていただいた。また心強い仲間が増えたことになる。

     また19日には,九州大学名誉教授の重松泰雄先生が,76歳でお亡くなりになった。急性の脳内出血の由。御悔みを申し上げる。僕は直接謦咳に接したことはないのだが,先生が創刊された「敍説」の同人に加えていただいたり,新版の『漱石全集』の「こころ」注解では,僕達が行った注解(和泉書院『夏目漱石集「こゝろ」』)を大幅に採用していただいて,随分意を強くしたものだ。何度も九州には足を運んでいたにも拘わらず,遂にお会いする機会に恵まれなかったことを遺憾に思う。

     今日も昨日に引き続いて暑いが,湿度が低いために結構さわやかである。「国文学」の臨時増刊号に石川さんが「未確認尾行物体」(島田雅彦)について書いていて,渡部直己の評論を読んで見たくなり,図書館に探しに行く。無いだろうなーと思ったが,やはりなかった。WEBから文献複写依頼を担当係に申請することにする。「現代思想」の調べものをするが,該当号が所蔵されていなかったので,法学部資料室まで探しに行き,そこで借用しコピーをすませる。
     生協のブックセンターに行き,昨日紀伊國屋書店で買いそびれた「福沢諭吉家族論集」(岩波文庫)を買い求めようと思ったが,入荷していなかった。4年の白水君にあう。「村上春樹スタディーズ」を買いに来たのだというので,昨日紀伊國屋(クレド店)に並んでいるのを見たよ,という(ペーパーバック版の本だったためFAN BOOKかと思って見もしなかったが)。仕方ないので,チョコチップクッキー1枚と爽健美茶を買って研究室に戻る。

6月18日金曜日,雨

     教務係のお役目で,後期開講科目の件で非常勤講師の先生と面談。よもぎ大福を食べながら,論文の2校(京都出町の「ふたば」の豆大福が食べたい)。資料を並べて論文書き。今日は,仕事に進捗があったわい。

6月17日木曜日,曇りのち雨

     講義1コマ。昨年TVで放映されていた「神様,もう少しだけ」(浅野妙子脚本)について話したのだが,講義後受講していたゼミ生たちが来て,僕の記憶の誤りをただされた。話しているうちに,大雨が降り出して彼女達が言うことには,「岡山駅まで車で送ってくれ」。僕の帰り道ということを知っているのと,こちらも先日土産を貰った「弱み」があるので,ヨロコンデ送らせていただく事にする。
     オヤジから「お前は人が良すぎる,なんでもかんでも調子よく引き受けるな」と注意されたことがあるが,ウームそうかもしれない。

6月16日水曜日,晴れ

     恐怖の教官会議の日。しかし,今日は2時間半で終了して,明日の講義の準備の時間が出来たので嬉しい。
     今日の話題に,岡大でもセクハラ委員会が設置されたとの報告があった。東北大の1件の威力は凄い。セクハラと言う行為に人間としての問題を感じての設置なのか,750万円に脅えての設置なのかは分らない。あのセンセイの場合は,職権濫用の他に,嫌がる院生に対して性的な暴行まで加えていたのだから問題である。アメリカの大学などでは,教官は学生を研究室にいれる時は,ドアを開放して外部に見えるようにするという。これは,教官→学生のセクハラ防止の意味も勿論あるが,教官にセクハラをする学生を牽制する意味もあるのだと言う。
     それにしても,岡大ではセクハラをどう定義しているのか。男→女というだけで無く。女→男・男→男(「木村さん,結婚しないの?」と言うのも立派なセクハラである。),女→女(「お子さんまだ?」など)も含まれるのだが,その辺に対しての説明がなかったので不満も覚えた。
     一人の男性として女性にいいたいのは,なぜ木村拓也(SMAP)があなたを抱きしめてもセクハラにならないのに,木村たくみが抱きしめるとセクハラになるのかという,基準のいい加減さだ(同じキムタクだゾ)。そんな主観的基準でセクハラを主張することに妥当性はあるのか?
     19:30退出。

6月14日月曜日,晴れ

     研究室で,講義準備とHPの更新。ゼミ生のMさんから,尾道旅行土産を貰う。彼女の話では,「朱華園」という尾道ラーメンの店とロープウェイ近傍のワッフル屋さんは,尾道旅行では落とせないスポットらしい。

6月12日土曜日,曇り

     九州支部大会へ参加するため,3時間半をかけて佐賀に到着。佐賀は曇天。途中方向音痴のために迷ったこともあって,丁度休憩時間に到着した。事務局の中原先生や長野先生に挨拶するが,長野先生からは会うなりいきなり「会費!」と早速1000円徴収される。石川さんに声をかけられ,創元社の坂口さん,横手先生とも久闊を叙す。石川さんからは,「藤原耕作基金」への2000円を支払う確認があった。3人で談笑していると,細巻のシガーを斜に咥えた花田先生が,「肥えたなー」と感嘆に耐えない口調で声をかけてこられて,まわりには大笑いされ傷つく(僕は牛か)。
     休憩後,インターネットでも活動されている高山裕行氏の報告,続いて風邪気味の石川さんの報告(今回も定番のラフな服装,「Tシャツの上にはちゃんと半袖シャツを着ている」という意味不明の弁),橋口晋作先生の報告と続き予定通りの時間で1日目は閉会する。個人的なアクシデントとしては,橋口先生の質疑の時に,石井先生が「越後の笹飴」について所見を述べられていると,石川さんが「ぼく,越後の笹飴食べたことがあるんですよ,硬くてね」と越後の笹飴談をはじめて,坂口さんとフーンと聞いて居ると,司会者にいきなり指名されてしまったのだ。慌ててしどろもどろになってしまった。奥野政元先生に,紅葉が読んだ英文のネタ本を漱石も読んでいた可能性がないのかと,僕も考えていた質問を先に言われてしまい,殆どいうことを思いつかなかったのである。あの時奥野先生は,確かに僕をみてニヤリと笑っておられたのだった。
     懇親会では,横手先生高山先生の間に座り,高山先生には勤務先のことを中心にお話を伺えた。研究活動に理解が無い職場を嘆いておられたが,頑張って下さいねと,心中つぶやく。横手先生から石川さんの報告について,私見を伺ったり,向かいの長野先生からは藤原コーサクに「天罰」が下ったという説話を聞く。中原先生の教え子の長崎大学大学院生で元気のよい中野クンは,翌日に控えた発表も何するものゾと,グイグイやっていた。後で,その中原先生と石川さんのところに行き,話に加わる。報告の続きの議論から,石川さんがパパになるという話まで,談笑し楽しく過ごす。ここでも藤原耕作説話がでて,結婚のお祝いは何がいいか石川さんが聞いたら,「ペアウオッチが欲しい」と指定してきたということだ。「ふざけやがって」と皆でうなづき合う。
     木曜からの実習参観でなぜか眠られなくなっていたので,2次会は遠慮して,早めにホテルで寝ようと思っていたが,石川さんや花田先生に「行こうよー」と誘われ,ニュー・オータニのラウンジの2次会に参加する。赤塚先生と坂口さんが,九州の詩人の話をしている間,狩野先生から,ロンドンの漱石記念館について大変興味深い話を伺う。赤塚先生とも久しぶりにお話できて楽しかった。ただし裕木奈江とネコとPCのトラブルについての話が大部分を占めた。データベースの構築の話は参考になった。伊東静雄のデータを3000件もっていて,PCの故障で消失しかけたエピソードは,自分もその「恐怖」が良く理解できた。23:30過ぎに散会し,めいめいの宿舎に分れる。別れ際,タクシーに乗りこんだ僕に,良い気分の花田先生はトドメの一言を放った。「秋には嫁さん連れて来いよー」。 僕は佐賀の夜に沈んだ……。

     ところで,上出恵子先生,営業でお忙しいようですが,お暇な折にURLを教えて下さいませ。

6月10日木曜日,晴れ

     9:55,市立石井中学校へ教育実習の訪問指導に行く。ここでは,岡大生が3名と中学校の卒業生3人の合計6名が実習を行っている。教頭先生に挨拶し,学生の実習中の態度について聞く。さすがに1週間足らずの実習では人間関係づくりに苦労しているようだが,不評や問題行動も無く胸をなでおろした。
     11:50から12:40までの岡大実習生(教生)の授業を参観する。幸い中1の国語だったので,後から指導すべき点も見え,意味のある参観になった。今日は意見も活発に出たようで,教生自身ビックリしていた。それにしても,公立校の生徒の実態を垣間見れたのは,意味があった。クラスは34人なのだが,授業に参加していない生徒が3人居た。最初から受ける気はないのである。教科書は出しており,立ち騒ぐでもないので(先生や参観者がいたこともあろうが),気にしなければ気にならない存在なのだが,そういう生徒を抱えていることは,改めて認識すべきことだと,教生ともども考えるのだった。僕は私立の進学校で中1を受け持ったこともあり(彼等も今年度で大学受験である),こういうタイプが居なかったので授業では苦労しらずなのだが,それは躾のゆきとどいている(?)「付属」の生徒に馴れている教生にも新鮮な事柄であるということで,かかる「現実」を知ることが出来て良かったと彼等は述べて居た。
     予定を1時間オーバーして,大学に戻り,14:30から会議。

6月7日月曜日

     今日から教育学部は1週間の教育実習期間に入り,講義は休講になる。学生が登校しないので,館内外はじつに静かなものである。思い立って,研究室の清掃をする。学会出張の届けを出し,メールボックスに入っていた紀伊國屋書店から納品された書籍6冊を回収してくる。発注以来納品まで,3週間以上掛かっており,すっかり忘れていたくらいだが,ショシャナ・フェルマン『女が読むとき 女が書くとき』勁草書房は,楽しみにしていた1冊。今日は,心静かに読書できそうだ。

6月4日金曜日

     今19:00過ぎである。今日はやたらと雑事と来室者が多かった。出勤してから,来週「営業」でまわる教育実習協力校へ電話を入れて,訪問日を連絡する。1校では,いきなり校長に電話を回されて大変焦った。来室者の方は,「先生,採用試験の履歴書の文章を添削してください」以降2回。「読書会のテキストを決めました,『サラダ記念日』で良いでしょうか」。「木村さん,国語研究会のことだけど……」,「採用試験の受験用の推薦書を書いてください。書類はこれと,これで--」ってな具合である。気がついたら,15:30になっていた。今日は研究のための読書をする日だったのに!。
     図書館で,書庫に篭って2時間調べものをし,18:00過ぎに研究室に戻ると,教務関係の雑事のFAXが入っていた。残業している教務学生係の担当者と協議したり,外部に連絡をとったりして,それを片付けてからメールチェックをすると,山大の石川さんからメールが来ていた。藤原耕作さんが結婚したので,御祝いを贈るから一口乗ってという話であった。
     コーサクさんにも,先を越された。私の「春」は,……見えない。国語教室のHPは大家さんである理科教室のある「どアホ」が,ぶち壊してくれて,また復旧しなければいけなくなったし,何か先が見えない徒労感に襲われる一日であった。以下,「一週間」(?)だったかの替え歌モドキ(ヤケ)。
     月曜日は,講義の準備。静かに読書で過ごしましょ。
     火曜日は,喋って声は嗄れ,パソコン,トラブル直します。
     水曜日はそれでも喋り,午後会議で時間が潰れる。テュラテュラテュラテュラテュラテュラララ〜(適当に繰り返す)
     木曜日もひたすら喋り,学生はうたた寝・午睡(寝るなこのヤロ!)。
     金曜日は雑用来襲,電話に来客,こなします。
     土曜日は演習が入り,学生絞って憂さ晴らし。テュラテュラテュラテュラテュラテュラララ〜(適当に繰り返す)
     日曜日は,寝倒す日です。デートもくそも,あるもんか。国民の皆さん,これが,教官の一週間でース!

6月2日水曜日

     昨夜来,久しぶりのメールを関口・森脇両君からいただく。ありがとうございました。特に森脇君には,HPで掲げた「スプートニク」の感想をいただいた。初めての反応であった。
     午前中講義。午後会議。会議後,生協ブックセンターで,安田敏朗『<国語>と<方言>のあいだ』(人文書院)3000円を購入。論文の校正をする。指定が無視されていたので,とてもムカついた。
     昨日に続いて,院生のメール設定で一仕事。院生にはFDベースで使ってもらっているが,プラグインを使用する際は,これもFDに入れる必要があることを知った。

     「通信傍受法」が衆院で可決された。厳正なる運営を求めたいものだ。十分議論がつくされて民意が反映した法案であれば良かったのだが,大変遺憾である。

6月1日火曜日

     いよいよ6月である。6月と言うだけで,暑苦しい感じがして,暑いのが苦手な僕としてはいやな季節の始まりである。
     午後2コマ講義。来週教育実習関係で学部が休講になるため,「刺青」の講義の一区切りをつけておきたかったのだが,……終わらなかった。6時間かけて,まだ2作品しか話せていないので,講義のポイントを更にしぼる必要があるかも知れない。
     大学院の講義で,川端の「葬式の名人」を読んでいるのだが,中国の留学生の話では,北京では,金持ち・名士しか土葬にしてもらえないそうで,火葬と言うのは身分の低い人の葬り方なのだそうだ。それを聞いて,個人的には中国で土葬にされたいと思うのであった。火葬は,死んでいても熱さのあまり跳ね起きそうで,実にイヤな気持ちがするのである(誰のパクリでしょう?)。
     大学院生が使っているAL-Mailで,トラブルが生じたので,解決に当る。メール受信は出きるのだが,読もうとするとエラーが出てソフト自体がダウンしてしまうのである。最新のβ9をインストールしてもダメで,FDの容量か設定が問題だとは見当をつけたが,容量はOKだった。設定ファイルがなぜか読めず,結局解決法が分らないので,新しいメールボックスを作ることで,トラブルを回避する。

     こういう雑文を書きつけていて,ふと昨年の今ごろは何をしていたんだろうとバックナンバーを見てみると,6月2日には梅雨入りしていたんですねぇ。今年は,そんな気配も無いように思いますが。