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◆CONTENTS◆
【きむたく日記】
(暇な時に更新しております。)
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kimutaku@cc.okayama-u.ac.jp
10月30日土曜日晴
6:25地震で目を醒ます。かなり長く揺れているので,阪神淡路大震災の恐怖がよみがえる。10時のNHKニュースで,震度が4であったことを知る。あの地震の前にも前兆のように,軽震が頻発していたように思うが,ここらは大丈夫なのだろうか。
明日の研究発表のため,記憶を呼び戻すために研究室で勉強。
10月29日金曜日晴
講義で話そうかと思って,柳美里『女学生の友』を読んだ。コギャル語の発音部分は,半疑問形(?)などを「?」を使って再現していたが,それ以前に言葉自体がよく分からない(「イケメン」ってなんだ?)。「コギャル語辞典」があるのかと思って,Yahoo!で検索すると,ナント5件もヒットした。そのひとつ「コギャル語ワードバンク」などに目を通していると,吐き気と眩暈が同時に襲ってきた。コギャル族も恐ろしいが,その言語的世界もミラクルハイパーってカンジ?
コギャル語というのは,均質性を重視する集団の中でこれらの言語を理解し駆使することで,成員の相互的同質性を確認するための符牒的言語なのだろう。にしても,品位を欠いた恐ろしい言葉だ……。
10月27日水曜日雨
久しぶりの雨で,洗車をしない僕の車がすこし綺麗(?)になった。生協のブックセンターで書籍を買い込んで,研究室に入る。
広大の山下さんから,発表を頑張ってくださいとのメールを貰った。一瞬なんの発表かと思ってしまったが,4日後の日曜日の研究発表(就実女子大学)のことだった。こんなに緊張感がなくて,良いものだろうか。
10月26日火曜日曇
午後,講義。
今日は午前中早々と出勤して,優雅に過ごそうと思っていたら,院生Mがメールソフトの不調を訴えてきて対応することになってしまった。それから講義ノート兼レジュメを印刷しようとしたところ,講義ノートの入ったFDを自宅に忘れたことに気がついた。ムンクの「叫び」になるしかなかった。
取りに帰ると1時間かかり,その時間が惜しいので,泣きながら講義ノートを作り直す。おまけに受講生は,これくらいだろうと予想して教材を用意していた人数をはるかにオーバーしていてプリントが足らず,学生に迷惑をかけてしまった。事前に教務学生係で確認しておけばよかったと反省する。踏んだり蹴ったりであった。
近代文学会に参加した感想を書かねばとも思うが,昨日から処理すべき雑用が山積しているので,じっくりと書けない。久しぶりに九州の友人達にあい,広大の山下さんとも初めて言葉を交わしたことなどが収穫であった。発表では,花田先生(沖縄)や長野さん(原爆)の発表自体もさることながら,「質疑」の応答も面白かった。一方シンポジウムに疑問を感じた。「こころ」のシンポジウムのはずなのに,力量十分のパネラーにもかかわらず,どうもそういう中心的なテーマを掘り下げるものではなかったように感じた。それとも,あの研究規範の拡散状況こそが近代文学研究の現状なのだろうか。そうだとしたら,国文学の一分野としての近代文学研究は内部崩壊を遂げていたことになり,僕のショックは今更のものなのだろう。ともあれ,司会者2人がどのように事態を収拾されたのか「興味」があるところだ(電車の時間があり,提言だけ聞いて帰った)。
10月21日木曜日晴
午前中,雑用・事務連絡に忙殺された。おとつい,昨日と附属中学・附属小学校で授業参観をしていたために雑用が溜まってしまっていたのである。雑用は溜まったが,附属小学校では,講義の構成に役立つような情報を得ることが出来た。学生に教材研究の必要性を十分意識させる講義を作らなければいけないと思った。さて雑用は,12時前くらいにようやく溜まった分が片付いたのだが,外部から2件面会の申し入れがあり,講義後にお会いすることになる。
12:40から専門の講義を久しぶりに行う。受講者の大半が教育実習にいっているので,進度を調節しながら講義を進める。
15:30までに面会を済ませ,ゼミ学生の夏期休暇中の課題レポートを読む。18:30過ぎ,疲れて退出。
10月18日月曜日晴
午前中,附中へゼミ生の授業参観に行く。大学で自分の講義にも役立つのではないかと思い,情報収集をするためである。例えば彼らが行う授業の基盤となる作品分析を聞いていると,その分析方法の教授に,講義の工夫があるのではないかと考えるようになるわけなのである。もっとも参観した授業は,「平家物語」の扇の的(那須与一)の場面であった。インターネットで,簡単な情報を集めると,彼は11人兄弟の末弟で,父親と10人の兄が平家についたのに対して,1人源氏方だったそうである。義経配下の精鋭として活躍した彼も,頼朝からは父親兄弟の件と義経の件で睨まれ,24歳の時に出家したのち病死したと言われている。ちなみに岡山の井原市は昔絵原庄といって,与一が受けた恩賞の荘園の一つだったそうだ。
午後,学部のゼミ生に手伝ってもらって,来月に迫った国語研究会の案内状を印刷する。表書き・裏書もPCにまかせ,1時間チョットで終了。もっとも僕は,印刷の監督を彼に任せて,フレンドシップのレポートを読んでいたのだが。
10月15日金曜日曇
今日から後期の専門の授業が始まる。僕も2ヶ月半ぶりの講義があった。9日から14日までフレンドシップ,訪問指導,教育実習の参観と外回りの営業ばかり続いていたので,今日は自分が大学の事務職員ではなくて教官であることを再認識できた。ネクタイをしめて,館内をあるいていると,また「珍しいですね」の声がかかる。ある院生には,「先生じみている」とまで云われてショックを受けた(先生ではなかったのか!)。
考えてみれば,1年生の講義は初めてで,良い緊張感で話が出来た。なんか1部がざわつくなぁと思ったら,講義時間をオーバーしていた。
用事があって,学生の控え室を覗くと,フレンドシップに参加した学生達がいて,シンポジウムで誰が報告するかで揉めていた。いよいよ,後期が始まったなあー。皆さん,頑張りましょう!
10月14日木曜日曇
朝一に教務学生係に用事で行く。K谷係長に,「普段にない格好をしていますね,見違えました」といわれてしまった。今日は午後から附小で行われる研究授業の参観に行くので(この1週間は殆んど「外回り」である),スーツを着ていただけなのだが,Tシャツ・ジーンズ姿に見慣れた人から見ると違和感があるものらしい。教官らしい格好をすべきなのだろうか。しかし,そういう格好を退官するまでしそうにない国立大学教官を,僕は2人知っている(公式の場での正装を1度も見たことがない)。
昨日午前中に訪問指導を行った学生達のことで,教育実習担当の事務官のY本さんに呼び止められた。メールでの報告に,学生がピアスをしていたことを書いていたのだが,それの確認である。その小学校は,教生の茶髪・ピアスなどを「今の流行ですから」(校長談)とさらりと受け流してしまうほど寛容な学校で,学生が私服で実習していたのと併せてこんな理解のある校長がいたのかと僕は文字通り瞠目したものだ。しかし,Y本さんによると学生が茶髪だといってクレームの電話をかけてきた小学校長もあるようで(こっちがフツウか),学校によって学生の風体に対する認識の温度差がかなりあるのである。我々としては,最低の基準に合わせるよう指導していかねばならぬようだ。
10月12日火曜日晴
午前中フレンドシップ(大学生と小学生の交流事業)の報告書を作成し,配布する。今年度は実施時期が秋ということで,気候的には随分楽だワイと思っていたら,初日の夜にいきなり冷え込んで,軽装の僕は凍死するかと思った。これが,3日にわたり体調を崩す子供達が続出するトラブルの原因となった。羊蹄山の事故も起こるわけである。自然は怖い。
その一方で,夜の天体観測の教室で,天体望遠鏡で木星の模様や衛星の1つが見れたし,アンドロメダ大星雲も見ることができた。これは感動モノであった。流れ星も見たのだが,願いが届かないうちにあっという間に消えてしまった。
学生達の体育会系のノリについて行けず,子供達のパワーについて行けず,精神的肉体的にボロボロになった。昨日は疲労で,頭がボーっとして辛かったが,今日は60%位は体調が回復した。トシを感じる。
午後,教材&講義ノート作成。吉田正さん提供の99年度8月9月分の漱石研究の論文情報を,論文リストに反映させる。吉田さん,いつもありがとう。木村という個人に協力するというよりも,漱石研究をする学生・院生のためにぼくのサイトを利用するというつもりで,吉田さんのような有志のボランティアの協力をお願いします。
10月8日火曜日晴
教育実習で,実習生が1名リタイアしたという情報が入り確認。対応は指導教官に任せる。1ヵ月後に迫った「国語研究会」の研究発表の準備作業をする。明日から3日間吉備の山奥に出張である。土・日・休日を潰されるので,ムカツク出張である。引率だけなので,暇だから携帯用PCのカシオペアや本を持っていかなければならない。あの食事のおかげで,ダイエットはできるかしらん。
数日前から,国語研究会の会費未納学生の名前を,国語資料室という学生のボックスのドアに掲示しているのだが,稲田先生曰く,「(集金の)実行力があるというか,勇気あるなあ」。「はぁ?」
国語研究会の紀要に掲載しなければいけない論文(ノルマ)を作成中,九州のハナダトシノリ@天狗堂主人さまからメール。新しいPC&周辺機器の購入自慢をした後,ATOKのユーザ辞書の移行方法を教えて頂戴とのこと。ATOKは,ここ3年使っていないが,以前やったことのある操作を思い出しながら,返事を送る。うーむ,九大の大学院生・学部生よ,しっかりハナダ教授のフォローをしてくれい!
昨日,「文学・語学」が届いた。代表理事の中西進氏の「学会の未来に向けて」という文章を抜粋したい。
じつは昨今,大学における国語国文学の研究は大きな危機に直面しております。/たとえば,来春開設を文部省に申請している大学・短大の新,増設学科中には,国語国文学科および同類の学科の廃止,縮小を予定するケースが十一ありますが,一方,国語国文学科を申請するケースは皆無です。要するに文学研究は,いま大学から姿を消しつつあり,この傾向は外国文学科でも同じです。(中略)/文学研究そのものが,すでに自明のことではなくなっています。/さらにこのことにともない,教員の新規採用は年々減少し,若手研究者の就職はいっそう困難になっています。そのため大学院志望者も減少,大学院不要論もささやかれるに至っております。/今こそ本学会(全国大学国語国文学会--木村注)は,第一に現状を直視すること,第二に本学会の意義の大きさを再確認すること,その上で第三に大学における文学研究を真剣に考えていくことが必要です。(後略)原文縦書き
現状認識としては,さほど新しいことが言われているわけではない。どうすべきかというくだりに至っては,中西氏の苦衷が伝わってくるような内容である。高度情報化社会と国際化,少子化(高齢化)という社会構造の変化による「知の淘汰」が生じていることは,すでに何年も前から言われてきた。とくに近代文学研究などは,高度経済成長とともに生まれたものであるという指摘(柴一郎氏)もあり,それが終局に向かっただけのことなのである。
文学,特に近代文学研究者として生き残るために何をすべきか,研究・教育という本務以外の戦略を練らねばならないところがつらいところだ。INETも,交流という点はともかく,文学研究の新しい姿を見せることはないような気がする昨今である。
我々(文学研究者)はどこにいくのか。日本文化研究者にでもなるのか?
10月4日月曜日晴
大学。師匠の喜寿記念論文集の校正を済ませて発送する。他雑用1件を片付ける。4年生のS君来室。昼休みの間,雑談。「卒論の草稿,書いているか」と聞くと,「書いたといえるほど,書いていません」という。事実ではなく「謙遜」であってほしいと,ツヨーク祈る,ワタシであった。
横山ノック大阪府知事は,例の2期の選挙運動のときのセクハラ裁判の件で,事実関係は認めないが,賠償金1200万円の支払いには応じる意向のようだ。それって事実関係を認めていることではないのか。大阪府民よ,こういう不透明な決着を,許すのか! 岡山市では下水道の整備事業費水増しの一件で,市民オンブズマンが過去の責任者の責任追及に立ち上がっているゾ。
10月2日土曜日晴
11時過ぎに附属中学訪問。10月1日から始まった教育実習に行っている学生からメールが来て,分からないことが多いので助けてくれというような内容に不安を覚え,近所ということもあり,大学にいくついでに立ち寄る。学生達には会えなかったので伝言を残す。12:30フレンドシップの学生の出欠をとり,引率は別の先生に任せてバスを見送る。ジャージを用意しろといったのに,Tシャツ・ジーンズ姿や,流行の厚底スニーカーの学生がいて困惑した。ずいぶん山をなめて下さったものである。それは別として,厚底スニーカーは予期していなかった。来年度の注意事項がまた一つ増えた。
そして1週間後は,僕が2泊3日で引率である。今度は子供も60名加わるし,はてさてどんなことになるのやら。