津島通信

NOVEMBER'99
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◆CONTENTS◆


【きむたく日記】

(暇な時に更新しております。)

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「きむたく日記」

11月30日火曜日

     昨日,カシオペア(携帯用PC)が死んだ。フローリングの床に落として,壊れたのである。2年と4ヶ月の付き合いであった。ちょっとショックである。
     その昨日は,咳に苦しめられて今もわき腹が痛いのだが,午前中は風邪による鼻水が止まらず非常に困惑する。上を向いていないと,流れ落ちてくるという状態なのである。これではダンディー木村も台無しである。しかし,背に腹は代えられないので,講義時間中も鼻水をかむ覚悟を決めて,ポケットティッシュを2袋入れて出陣する。V限からX限までの5時間をしゃべりまくり,ガラスの喉は痛みが悪化する。明日も月曜に続いて,ダウンしているかもしれない……。
     かくして,1900年代最後の11月は,鼻水とともに終わってしまった。

  11月25日木曜日

     午前中,附小で専修授業を参観する。1限目はゼミ生(男)で詩の授業を,2限は国語教室の学生で「ごんぎつね」の最終場面であった。1限が始まる前に,「2い」の教室に向かうと,なぜかモーニング娘の「ラブ・マシーン」が大音量で,廊下になり響いていて,音源は「2ろ」の教室だった。「イェイ・イェイ,ウォウオウ」と,モーニング娘に和している児童の声を聴きながら,「……何をしているんだ?」と暫し呆然自失の態であった。
     午後大学に戻って講義。知里幸恵の『アイヌ神謡集』の「序」のはらむ問題について説明したところで,時間が来た。
     それ以降は,休暇中に溜まった雑用に追いまくられる。他の人が働いているときに休暇をとるものではない。学生も,待っていたかのように質問を抱えてやってきて,すべての指導を終えると17:00前だった。
     生協ブックセンターで,岩波文庫のヴェブレン『有閑階級の理論』を買おうと思ったが無かった。ちくま学芸文庫版もなかった。しかたないので,ヨハン・ベックマン『西洋事物起原(一)』(岩波文庫)や雑誌の『東北学』などを買って欲求不満を慰める。
     そうそう,今日は憂国忌(三島由紀夫)でした。

11月21日日曜日

     郷里に帰省。甥っ子(小3)の柔道の試合があるので,それを見物しに,父と出石町(兵庫県では,出石蕎麦で有名)の会場へ行く。会場内は,白い柔道着のクラブチームの子供たちと引率の保護者で一杯である。妹夫婦もカメラとビデオを持って臨戦態勢を整えていた。11時から小学校低学年の試合が始まる。
    甥は,昨年は,一本背負いで見事に投げられて負けたのだが,今年は雪辱を期しての対戦である。しかし,今年は足技をかけようとして,踏み込んだところを逆に支える足の方をすくわれて倒されてしまい,「有効」を取られてしまった。最初相手は消極的だったので,「指導」を取られていたのだが,これで逆転されてしまい,そのまま時間が来て負けてしまった。
     試合後,妹夫婦の「反省会」が始まり,ただでさえ負けて悔しい甥っ子は,しつこいお説教にピスピスと泣き出してしまう。共同立案授業の時の「反省会」の風景を思い出して,一人苦笑する。いじけた甥っ子は,やさしい「おっちゃん」の膝の上で慰められたのであった。
     後日妹から聞いたところでは,帰宅してからもビデオを見ながらの「反省会」が開かれたようだ(シツコすぎる!)。実に,可哀想な甥っ子である。

11月19日金曜日

     午後附小の共同立案授業の参観を,「2い組」(塩崎先生クラス)で行う。教材は,いわさききょうこ「かさこじぞう」である。校長室で,田中先生と教案をみながら,「もったいない心があったか」というような「めあて」(注)が,どうして設定されるんだろうと話しあう。
     この疑問は授業を聞いていて,氷解した。教材研究において,授業者をふくめて教生たちは,じいさまの行為を「やさしさ」の有無において捉えていて,じいさまの「やさしさ」の内容として析出していなかったのである。
     授業では,じいさまの勿体無いという気持ちはゼロとして,(なぜか)黒いハートマークで生徒たちに示された。生徒の1人は,「(いや)ピンクのハートだ」という発言をしていて,僕は「ああ,生徒の中でテーマが混乱している」と思いながら授業を聞いていた。
     授業者・教生たちは,じいさまは「やさしい」ので,売り物のかさを地蔵にかぶせることを勿体無いとは思わなかったという生徒の読みを導きたかったようなのであるが,この読みではなぜじいさまが,自分の手ぬぐいまで被せるのかという点を,子供に読み取らせることができないのである。そしてこの個所こそ,僕にいわせれば,この作品と段落の最重要個所であった。
     「かさこじぞう」は,じいさまの以下のような心理・行動で,読み取られるべきであったろう。@雪を被って「つめた」そうな地蔵を見て,「気の毒」に思い,売り物の笠をかぶせる行為。A笠が1つ足りなかったために「もうしわけないけれども」と言いながら自分の「つぎのあたった手ぬぐい」を,地蔵に被せる行為。特に後者においては,みすぼらしい自分の持ち物すら,地藏に供えようとする究極の善意・喜捨の気持ちを,生徒に理解させることが大切である。Bとしては@,Aを踏まえた「これでええ,これでええ」という心からの満足を表す言葉の意味把握である。授業では,これをどのように生徒に音読させるかということをポイントにしていたが,Aをはずしている以上,Bを適切に導くことは出来なかったのである。
     あとの反省会では,以上の点を中心に指摘したのだが,この教生たちの問題点は,とりもなおさず僕自身の講義と講義設定の問題である(もっとも教生4人のうち,ゼミ生を除く3人には,僕は直接責任を感じない)。先の共同立案授業でも,場面構成を無視した内容把握をしていて,ビックリさせられたのだが,今回も似たり寄ったりの結果だったといえるので,どうしたら良いのだろうと考え込まざるを得なかった。
     僕が理解できないのは,どうして彼等に作品のポイント個所が見えないのだろうということである。僕からは,どう見てもはっきり分かる作品の構造が,学生達には見えていないようなのである。それを分かってもらえるような講義というと,どのような形にすればよいのだろうか。
     小学生用の教科書を持ち込んだ演習だろうか。しかしそれでは,文学テクストそのものへの分析能力は,練磨されない。文学テクストそのものへの高い批評能力を備えた上で,小学生レベルの文学テクストにも対応できるような能力を備えて欲しいのだ。だから,今やっている購読を変更していくようなことはしたくない。かといってこのままでは,学生の文学テクストの読解レベルの向上は心もとない限りである。
     講義に組み込めるような良案はないかと,無い知恵を絞る今日この頃である。

    ◆注「めあて」;岡山大学附属学校で用いられている用語(おそらく)。その日の授業の眼目・狙い・到達目標の意味で使われているようだ。木村は今年初めて知った。

11月16日火曜日曇時々雨

     午前中ゼミの準備のため,論文を読む。黄色い色鉛筆がなくなったので,生協に買いにいくと,中華まんが販売されていたので,思わず買ってしまう(今日は寒かったですからねー)。
     午後「沈黙」の講義。「福音書」との関係が,表現とプロットに組み込まれていることを説明し,司祭の踏絵に至るまでの経緯を説明して,遠藤の提示した基督像を板書したところで時間が切れた。巧くまとまらない。続いて大学院で,物腰柔らかにお説教をして,ゼミで「道草」について話すと,もーう集中力・忍耐力・体力の限界である。しかし,この上にゼミ生の指導をし,南本先生に呼ばれ,資料室のPCがフリーズしたまま動かないと学生が訴えてきたりして,完全にガス欠になる。
      帰途,よたよた歩いていると,同僚のT氏が廊下で手招きして曰く。
     「女子大とのコンパあるけど,行く?」
     「行く行く!」(←復活!)

11月11日木曜日曇

     本日は,平成11年11月11日ということで,1並びの日なのだそうだ(それが,ドーシタ)。
     午後の講義の後いきなり来客が3件殺到して,研究室内が混乱する。飛び込みはやめていただきたいものだ。中でもサンコー印刷さんは,いきなり来襲して,「国語研究」の締め切りに干渉するのであった。「来月初旬には原稿を揃えてください」というので,執筆者の1人でもある僕は平身低頭して,そこを何とかと締め切り延期をお願いするのだった。フレンドシップの報告書の締め切りも来月であり,年末まで寧日がない。
     国語研究会の会計報告で,金額が合わんなーと頭を悩ませていると,南本ゼミの学生達がやってきて,卒論の相談を受けることになった(昨年同様)。
     「……なんで,僕が?」
      「もう,藁にもすがる思いで」


     「藁」で悪かったな,「藁」で!

11月10日水曜日曇

     12:40から,13日の国語研究会のスタッフミーティング。実働部隊の院生が風邪で倒れたり,忘れて帰っていたり,2年生も来ておらず,困惑することしきり。4年生は,そのあたりはさすがである。中座して,13:00より別の会議に出席。15:00過ぎに研究室に戻ってくると,ポストイットの張り紙があり,なんだろうと読んでみると,13日の国語研究会の発表者の1人が倒れて,発表できなくなったとの連絡。大ビックリ。あたふたと収拾にあたる。
     なんで,間際になってこういうことが出来するのか。「道草」ではないが,「片付かない!」

11月4日木曜日晴

     1限に3年生のゼミを行う。皆のスケジュールが合わなかったために,この時間である。岡山市の東側の住人が市内に入るには,4本の橋を渡るしかなく,朝はその橋が混雑することになる。おかげで僕も20分前後で大学に到着するのが,40分掛かって到着することになった。これから寒くなるし,早起きが大変だ。
     午後講義。沖縄の現代文学について話す。又吉栄喜を経て,目取真俊の登場が意味するところを,学会で聞いた花田俊典先生の受け売り(他画像と自画像の問題)も交えて講義する。アイヌの講義に少し入る。
     3限終了後,4年のゼミ生来る。3ヵ月後の卒論,全く未着手と胸を張って言う。暗然たり。

11月1日月曜日晴

     昨日就実女子大学で研究発表を行った。同志社女子大学の安森敏隆先生に司会の労をとっていただいた。
     閉会後,剣持武彦先生とその友人の松田先生(二松学舎大学),長谷川先生(清泉女子大学)の3人に加わって,岡山駅地下の喫茶店で1時間ほどご一緒させていただいた。
     剣持先生は,信時さん(神戸山手大)の師匠でもあるだけに,談論風発というか爆発に近いものがあった。ジェンダーとセックス(性別)の話を起点に,オナニズム,割礼文化の分布(なぜユダヤとイスラムなのか)と基督教の話へと,周囲が若い女性たちばかりであることを意に介さず爆走されたのであった。と思うと,中西進先生が平野啓一郎を誉めていたことについて,「U・エーコの『薔薇の名前』を読むべきだ」と,小器用な作家平野啓一郎への批判を述べられた。他にも,ここに書けないような際どい話も伺えて,ますますファンになってしまったのであった。
     先生,コーヒーをご馳走様でした。