コラム堀内一三 04/7

6月30日(水) 「開きました。貴方のローソン」
 4月に消えた近隣のローソンが道路を挟んでほぼ向えに新築された マンション1階に再登場して本日オープン。このところ多くのコンビニから 消えつつある「紅茶花伝500mlペットボトル」もしっかり入荷されており安堵した。 昔から私が好んで買う商品は必ず無くなるというジンクスがあり、 ファミリーマートに存在した「井村屋カットパイン」も消えて仕舞った。 これは私の嗜好が著しく異端なのか、果た又同一商品を長く愛好するがために 商品サイクルの波に乗れず、人が飽きてもまだ固執しているからなのか、 或いはその両方か。仕入れが継続される様、「紅茶花伝」を買い続けなければ ならない。

 近鉄球団買収にライブドアが名乗りを挙げたが、 株主総会でも球団消滅に強い批判の声が あったのだから(売却を発表していなければ、赤字垂れ流しとして それはそれで非難の嵐だったろうが)、近鉄球団は形だけでも「有り難いが、 丁重にお断りした」の類の コメントを出して世論におもねってもいいところ、「既に断った」と異様にそっけない。 のみならず一般紙も総じて冷たく、半ば売名行為と決め付けた様な論調すらある。 ライブドアという会社、そんなに胡散臭い会社なのか。
6月28日(月) 「棺を覆いて」
 ここのところヤフー・オークションで雑多なモノを、 という話は以前もしたが、その中に故・戸川猪佐武氏の 著作がある。ひっそりと出品され、応札する者もなく 事実上一回で落札出来るので楽なのだが、私とて内容に強い興味が あったというよりは、筆名として「戸川五三六」を名乗っていた ご縁(?)で、言わばコレクターズ・アイテムとして 揃えておいても良かろうという程度の関心で入手した。
 ところが今般「党人の群れ」全三巻を読んでみて驚いた。 面白いのである。何故これら著作が全て絶版になり、 戸川氏の名も忘れさられようとしているのか。 政治小説という分野自体需要が少ない上に、 戸川氏の極端に田中元首相よりの姿勢が災いしたこともあろう。 或いは、腹上死という広言を憚られるが如くの氏の 亡くなり方も関係しているのかも知れない。
 但し、この「党人の群れ」に付いて言えば、 単に、時代の流れに過去の遺物と化して仕舞ったということか。 何しろ主人公が「犬養健」である。五・一五に倒れた 犬養木堂は日本史の一登場人物として口端に登ることはあっても、 その子・健は完全に歴史に埋没しており、僅かに造船疑獄の際に、 後の首相、佐藤栄作逮捕を取りやめさせる「指揮権発動」をした 法務大臣として、辛うじて記憶されているに過ぎない。

 ではこの作品は本当に「時代の遺物」なのだろうか。 氏の作品では森繁久弥主演で映画化もされた 「小説吉田学校」が著名であり、政治記者を辞してから著述に専念し、 50代で亡くなった氏の短い作家人生は、 殆ど全8巻のこの作品のみで費やされていると理解されていても 不思議ではない。しかし「吉田茂」再評価に伴い「吉田学校」のみが注目を集めたの は、 本来なら決して氏の本意では無かったろう。
 「小説吉田学校」は、文字通り「吉田学校」として刊行された第一巻が 吉田・岸両政権を扱っているのに対し、 鳩山一郎の政権への道と三木武吉・河野一郎らの活躍を描いた 第二巻は、「小説党人山脈」として刊行された単行本を、後から 吉田学校シリーズに加えたものであり、 第三巻になるといきなり佐藤政権末期に飛んで、 田中角栄の政権奪取過程、四巻がその田中内閣で、 五巻以降になって漸く時の経緯とともに進み、 八巻鈴木善幸が総理になるところで終了。 引き続き「小説永田町の争闘」として全巻が中曽根内閣までを 記している。
 氏の解釈では政治家は吉田、池田、佐藤に代表される 「官僚」と「党人(政党人)」に分かれ、寧ろ吉田学校の系譜を否定的に捉え、 鳩山・三木・河野の「党人派」こそが、本来政治を担うべきものであるべき との論旨が貫かれている。にも拘らず「吉田学校」を題材としたのは、偏に 異端とされた田中角栄を、保守本流とされる吉田学校の系譜に連なるものとの 位置付けを明確化するためであり、 それは冒頭の山崎首班事件において、若き田中角栄が吉田民自党総裁の 窮地を救う場面に象徴的に現れているが、 「"小説"吉田学校」であるところがミソで、このエピソードは作り話だった ばかりか、果たして吉田が田中を知っていたかどうかすら怪しい というのが後年の定説になっている。
 「吉田学校」ばかりが名が売れて仕舞ったことにご本人も 満足していなかったとみえ、続いて映画のもう一人の主役であり、 本物は痩躯な老人であったにも拘らず、印象から太った若山富三郎が 充てられて仕舞った三木武吉の生涯を描いた「小説三木武吉」を発表、 更には「小説河野一郎」の執筆に取り掛かったところで急逝されたと言われる。
 その氏の「党人」に対する思いが最も現れているのが、 本作「党人の群れ」であり、ここでは党人に対抗して配されるのは 「軍人」であり、更には「沖信治郎」なる架空の院外団出身の党人政治家を 主人公・犬養のための、言わば狂言回しとして据え、 党人・政党が政治の表舞台から退場を余儀なくされていくことが、 如何に戦前のわが国政治を混迷させたのか、という主題が描かれている。
 一見して氏の単純なオールド・リベラリストたる思念が、 反軍を描かせているとも取れるが、一方で新聞記者出身とは思えない程の ストーリー立ての面白さは、殆ど時代小説の域に達している。 勿論、小説吉田学校シリーズが池田・佐藤両政権を不当に酷評していること、 田中を必要以上に美化していることのみならず、先述のほかにも 数多の「フィクション」が混在しており、 歴史を歪めるという批判もあろう。が同時に「坂の上の雲」の如く、 歴史は後代の評論家によって規定されるものでもある。 長篠の戦いを勝利に導いた要因が必ずしも銃砲ではなかったかも知れないが、 信長は天下人となり、幸いにも頂点に置いて早逝したがために 歴史となり、同じく天下人となりながら転落を極め、政治の表舞台における死と 政治的な死と、肉体の最終的な死の三段階を生き長らえたために、 田中の英雄伝はまだ日本史には位置付けられていない。
 そろそろ我々日本人も「戦後政治史」を眺める後代の人として、 その歴史を学ぶ時が来つつあるのではないか。 そのための入門書のひとつとして、何よりも"読み物"として面白い、 戸川氏の著作が再販されることを祈念して止まない。
6月27日(日) 「MDは時代の遺物か」
 私がMDに手を染めたのは比較的早く、92年頃だった様に 記憶している。CDに比べれば帯域を可成りカットしてあること、 一世代以上はアナログになって仕舞うとはいえ、 デジタルで録音が出来るというのは魅惑的だった。 最初に購入したのはポータブルな録再兼用機で、 今は据置デッキ型にしか付設されていない、 光デジタルのin outが付いていたため、今でも重宝している。
 これは主に自らの作成楽曲やら、御成婚二次会等の模様の 「生録」に活躍したが、今の高円寺に移った時に MDデッキ付きステレオに改め、後にこれが壊れたので ダブルデッキを購入し現在に至っている。 歌謡曲を始め、YMO関係の様々なアルバムも 借りてきてはMDに収めているので、拙宅には250本以上の MDが渦巻いている。
 昨日棚を据え付けたのを機にこのMDも新棚に収納することとし、 不慮の事態で右側下部が伽藍堂となったのを好機に、 ここにMDラックを購入しようと色めき立ったのだが、 棚を買った千趣会で注文したのだが、既に発売終了とのことで 新しいカタログを見ると確かに載ってない。 散々ネット上で探してみたが、CDラックは幾らでもあるものの、 MDは極端にバリエーションが少ない。
 デジタルtoデジタルが半ばフリーになったために CDからの取り込みに制限を設けたCCCDという 新規格まで誕生したが如く、現代はPCへの取り込みが 一般化しており、その中でMDを世に広めたSONYだけが 孤塁を守ってMDの次世代化に務めているものの、 旗色は芳しくない。この多量のMDをどうしたらいいのか。 映像の世界でもDVD規格の統一へと進みつつあるが、 メディアの変遷を見極めるのはことほど左様に難しい。

 ダイエーがマジック30との報に驚いたが、3位までのプレーオフに 入るためのマジックという。喧喧諤諤の上、施行されたプレーオフ制度、 もしかしたら1リーグにおける日本シリーズ挙行の秘策として 新たな息吹を与えられるかも知れぬ。 まさにパは自ら身を以って実験台を務めたということか。
6月26日(土) 「棚卸」
 午前中、わざわざ昨夜妻の実家から車を借りてきて 赤ちゃん本舗のバーゲンに向ったが、 駐車場は長蛇の列で何処か停められるところはないかと祐ちゃんと 探している内に、先乗りした妻から、 レジも長躯人が溢れとてもまともに買物が出来る状況ではない との報が入り、私は終ぞその会場の混沌を目にすることもなく 早々に退散。げに恐ろしきは世の母達のパワーなり?か。

 夕刻、来週の予定だった棚が到着し、組立てに着手。 既に居間前面にテレビ・ステレオ等を含んだ棚があるが、 その両脇のスピーカーの着座位置にも積み上げて仕舞おうという試み。 外側のラックに引出しや扉の付いた箱を組み付けていく構造で、 向って左側は何とか完成させ、さて狭い右側にと取り掛かると ハテ弱った。まずスペースが少ないため、棚を完成させて仕舞うと 押し込めないのでその場で作らなければならない。 更に根本的な問題として、電源とTVのアンテナ口から部品が 出っ張っているのでどう転んでも入りそうにないではないか。
 散々悩んだ挙句一番下の段は空洞にして、別途 小振りの入れ物を置くことで、何とか完成させたものの、 そこからスピーカーの下にあったラックのカセット・テープの移設作業、 半分以上捨てて引き出し2段に安置させると、今度は膨大に積み上がった 段ボール、発砲スチロールの類を廃棄しなければならない。
 終了は2時。腰が痛くなりました。
6月24日(木) 「告示」
 告示日、朝からお参りに事務所開き、出陣式と候補者は忙しい。 全国区候補ともなれば告示日の夜はまず大都市で集会というのが相場だが、 帰ってみると何故か高円寺駅の北口が黄色いシャツで埋め尽くされている。
 確かにこの街は著名な沖縄料理店が点在するなど、沖縄との繋がりが 深い様だが、告示日の夜に高円寺を選ぶとは。民主党・喜納候補、 親しみが湧いてくるではないか。それと投票行動とが結び付くかは別問題だが。

 保坂・高岡夫妻が「CMの契約満了を以って」離婚。判り易い。 丁度布袋・高岡接吻騒動が話題になった頃か。 「忠臣蔵・四谷怪談」という妙な映画で高岡早紀の全裸シーンになった時、 観客が一斉にどよめいたのが懐かしく想い出されます。
6月21日(月) 「遠き空港」
 4月に続き2度目の中部国際空港訪問となったが、 9時に名古屋駅を出る時にはまだ晴れていたのに、空港に着くと 暴風雨、「丁度10時から(連絡橋が)閉鎖になりました」とのことで、 空港島には渡れず、空しく説明聞いてビデオを見るだけに終わった。
 昼はひつまぶしを賞味。私は蒲焼ご飯だったが、 台風の中、名古屋までわざわざ鰻食いに行った様な旅になって仕舞った。
 ところが名古屋駅に着くと、下り新幹線が止まっているという 報せは既に入っていたが、考えてみれば当たり前なのだが、 車両が戻って来ないので上りも著しい遅れで何時動くか判らない由。 やむを得ず新大阪折り返しが名古屋で立ち往生して名古屋折り返しになった こだまに飛び乗って3時間余、何とか東京まで辿り着いた。
 夜も一席あってハードな一日。

 全米open2日目まで首位と検討の丸山、本戦に入って崩れたが 4位と検討。野球で米国に去った人の活躍には複雑な感あるが、 ゴルフでは素直に"同胞"として喜べるところが微妙と言えば微妙だが。
6月19日(土) 「採譜の苦しみ」
 先週末に一日掛けてCD−Rを焼いたり、楽譜を追記して分担をしたりと 作業に明け暮れた「中国男」新曲だが、まだ終わっておらず残る2曲分は 市販のバンド・スコアがなくイチから手で書かなければならない。
 ということで昼に一家で公園に向かい、祐旭と滑り台の「初滑り」を 行った後に、採譜に没頭した。因みに私は未だにヘ音記号を数えなければ 読めない程楽譜には暗く、普段、自分用の楽譜を書く時は、 その方が楽なので"ドレミファ#〜"と片仮名書き。 しかしバンド全員分のスコアとなると流石にそれでは間に合わない。 しかも今回は矢野顕子の「David」で、教授がアレンジしてるご夫妻の 蜜月時代の楽曲なので、コードも単純でなく"6"とか"9"の音が 微妙に鳴っており、耳で聞くだけでは仲々拾い切れない。
 幸いMIDIファイルがあったので、確認しながら拾っていくこととしたが 全部書くと腕が3本ないと足りなかったりするので、 そこは適宜端折っていかなければならず、面倒だったが何とか完成。 矢張り楽譜前提でないと苦しい。往時、YMO関連のバンド・スコアを 次々と発売していた音楽春秋社は偉大だった。
6月18日(金) 「Anarcky In The Suginami-ku」
 先週流れた祐旭の散髪が実行され、家に帰ってみると いきなりパンクスと化した祐ちゃんが!。 長くなった前髪もまだ薄い後ろに合わせて揃えたので、 著しく短くなって、その上ムースで前髪を立てたので、一見 70年代末の英国人、というよりは竹の子族の末裔、みたいに なりました。
 でも切ってる間は泣きもせずお利口さんだった模様。 どうも若い女性に愛想がよくて、年配の方だと泣いて 仕舞う傾向がある様で、男子たるもの、若きよりすべからく 左様なのかも知れぬ。
6月16日(水) 「パンダを演ずる」
 経団連企業人政治フォーラムの総会。法人会員分の議決権を事務方の 私が持ってる形になってるとのことで出席依頼があり、大株主の様な(笑) 気分で到来。淡々と総会が終了すると、 安倍幹事長が登場し、情勢講演とのことだったが 今週は実に毎日安倍氏のご尊顔を拝している。 全てのパーティーに出ているのではないかと思う程のひっぱり凧で、 本人も自覚の上、人寄せパンダを演じているのだろう。 参院選後は「論功行賞入閣」という形でお役ご免だろうか。
 安倍氏の喋り方の癖をひとつ。「〜でございます」を連発するのだが、 早口になるとこれが「ごぜぇます」と聞こえる。江戸っ子か?

 竹中大臣出馬へ。「民間人閣僚」の党からの反発に遂に 抗し切れなかったか。堀内総務会長「百万票を」は嫌味だろう。 寧ろ自民比例区はお馴染みの各団体組織内候補に加え、 二世2名(笹川、尾身)、元衆院議員3名(浜田、荒井、横内)、 スポーツ選手2名(荻原、神取)、元野球監督(古場)、 更には炙れた衆院候補、日本に住んでない人、と知名度があるのだか 無いのだか微妙という方々を雑多に集め33名も出馬 して仕舞ったので、前回01年より個人名投票数は増えるだろうが、 分散されて20万とされた投票ラインが下がるかも知れない。 これでは前回タレントを25名並べた自由連合と余り戦略が変わらないが 一定の個人票を積み重ねれば、 当選総数は増えるという仕組みに合わせた戦略、と言われれば やむを得ないのだろう。お馴染みの労組組織内候補に 元衆院議員5人を並べ、沖縄のチャンブルーズが目玉という 民主党も大差はない。
 矢張り参院は貴族院に戻した方がいいのではないだろうか。
6月15日(火) 「手の5番」
 先週末久々にゴルフ練習に出向いたが散々。だからという訳でもないが、 余りに馬鹿馬鹿しいので思わず購入して仕舞った。「手の5番」サンドウェッジ3000円。

 参院選が近くここのところ連日の励ます会。本日は東プリで 某先生の1万人集会が行われた。来賓の方が余り過度に危機感を煽るのは、 少人数の幹部集会なら引き締め、或いは脅しの意義もあろうが、 この種の大動員モノの場合は却って逆効果でないか。
6月13日(日) 「さらば太平洋」
 衝撃の近オ合併である。注目されたのは当事者の発表よりも 渡辺読売オーナーの発言だったが、反対せず7月7日のオーナー会議にかける旨 コメントで発表したというのは事実上の容認であり、それは既に 西武・堤オーナーも含め、"球界の総意"が1リーグ制以降で合意されている ことを示唆しているのだろう。振り返れば昨年末の近鉄球団の「命名権売却」を 葬り去ったのも、最も球団を手放す可能性のある近鉄に延命策を与えないため であり、或いは報道が先行したのも近鉄側に検討の準備を与えないがために、 読売グループがリークしたのかも知れないし、今回の併呑をオリックス側が主導した というのは、買収時の宣伝効果で既に球団所有の使命を終えているオリックスが、 負担軽減を図るとともに、新聞の再販制度を巡る宮内・渡辺両氏の軋轢を解消する ためにも、読売側の思惑に乗って近鉄の窮状に付け込む一石二鳥だったとも読める。
 更に勘繰れば、日ハムの北海道移転を先に札幌ドームにサブフランチャイズとして 唾を付けていた西武が存外にすんなりと引き下がったのも、 1リーグ化に向け全国展開を図る一環、即ち日ハムとしては 球団を消滅させないためには屯田兵として再起を図る以外に選択肢が無かった ことになる。

 残念なことではあるがここまで来た以上1リーグ化は必至であり、 単純な経済的判断からすれば最も財政的に困窮する広島球団を消滅させるのが 合理的ではあるが、その都市名の国際的知名度とフランチャイズの地域分散という 大義名分に鑑みれば、最も可能性の高いのはロッテ球団のホークス引き取りと なろう。元来が政治的配慮から嫌々球団を引き受けたロッテは伝統的に球団経営への 熱意が薄く、重光二世がオーナー代理として采配を揮っている限りにおいて安易に 球界から手を引くことは無かろうが、千葉に固執する必要はなく、 寧ろ韓国ロッテとの相乗効果を考えれば福岡の方が利便性が高く、しかも 人気と実力が手に入る。先にも述べた通り、日ハムが落ち延びたのは 首都圏球団としてロッテと合併させられるのが必定だったからで、 現にこの2球団は日拓ホームが球団売却を決定した73年末に合併話があり、 実現こそ至らなかったが、二軍チームの合併は一時は正式に検討された経緯もある。

 野球は蹴球に敗北を喫したのだろうか。リーグ結成当初から一線級選手は遠く海外 で競技することに慣れ、国際対決は「全日本」に委ね、各球団はいわば都市対抗 クラブ・チームの延長線上で、技量を問うことなく地域性を前面に出すことで、 端から便益・費用ともに中庸の域を出させず、儲からずとも、宣伝費・或いは 地域対策費と企業が割り切れる程度の補填費用に抑えることを可能にした。
 これに対し、文字通り高度経済成長期のわが国同様に、米大リーグに「追い付け 追い越せ」をスローガンとしながら、現にその両者の距離が縮まった結果が、 一線級選手の米流出と国内野球の米の二軍化に落ち着かざるを得なくなった野球界は、 嘗て栄華を極めたがために、人気低落は必定となろう。
 この上は一リーグ化を期に、サッカーの後塵を拝す屈辱を圧して、 今や話題となることもない大学野球、瀕死の社会人野球に加え、安定就職先の確保 というアメとともに高校野球とも手を結び、全球界再編を目途に進むしかあるまい。 但しそれには読売・朝日の歴史的提携が前提となるが。

 この時期に報道が先行したのは、これも来期から事をスムーズに運ぶための思惑に 基づいたものかも知れないし、オリックス側の口が重い状況に鑑みれば、 総会前にリストラ策をアピールするための近鉄側のリークで、 オリックスはまだ根回しが終わってない段階で、早期の発表は迷惑だった可能性も あろう。ただ選手が不安を感じるのは当然で、単純計算でも合併すれば半数近くは 職を失うのだから早急に手当てが必要だろう。渡辺オーナーが「協約の改定も」 と述べているのがこれで、悪しき悪平等の所産である現行支配下選手70人枠の撤廃を 示唆したものだろう。この期に幾つかの球団の共同出資でも、勿論理論上は新規参入でも 可能だが、二軍乃至は三軍球団を単一球団の直下に限らず存在させ、 休部等によりあぶれた社会人野球選手も傘下に取り込んで仕舞う位の勢いで 取り組んでほしい。

 衝撃発表の日、当事者の近鉄バッファローズは勝利した。それは選手達の 意地の勝利であったろうが、その"サヨナラ"勝ちはチームからわが国野球愛好者全てに 向けられた「サヨナラ」のご挨拶であるかの如く響いた。
 本日、近畿日本鉄道の株価は上がっている。昭和末期に阪急の球団譲渡が突然に 発表された際には、不採算事業からの撤退による大幅増益要因であるにも拘らず、 「あの大阪急が球団を遊ばせておくことも出来ない程苦しいのか」と揶揄され、 却って株が大暴落したのに比して、或いはわが国市場観念も米国並に成熟化されたのかも 知れないし、既に近鉄グループが苦境に陥り、球団の経費節減の必要性が広く 喧伝されていたがための冷静な反応かも知れない。
 球団を企業の福利厚生の、或いは社会貢献・地域貢献の名分の下に 道楽として抱える時代は終わり、企業名を広く世に知らしめるための宣伝媒体か、 メディアのコンテンツ抱え込みの一環か、でなければ純粋にビジネスとしての投資たり 得なければ成立し得ない程に、最早日本球界は巨大産業となった。 果たしてわが国において、興行ビジネスが成立し得るのか、 それは巨人戦を持つセ・リーグが生き残り、持たざるパが消滅することからも 明らかな様に、読売巨人軍如何に全てが懸かっていると言っても過言ではない。 所詮、と言う言葉が正当かは判らないが、わが国プロ野球は 戦力の均等化よりも、圧倒的に強い巨人軍とそれに対抗する大阪の雄・阪神と 両者を取り巻くその他大勢、という構図の方が興行として成立し得るのだろうか。 ならばわが球界は戦力均等化は図らず、地域分散だけを進展するという 苦難の道を進まざるを得ない。

 写真は漸く届いた祐旭のTシャツである。紺を黒に替えれば恰もダイエーの ユニフォームが如き背中には「10」と記されている。それは藤村富美男や服部受弘の 永久欠番を称えるためでも、「亜細亜の張本」の栄誉を後代に伝えるためでもなく、 10月生まれであるがための偶然に過ぎないのだが、恰も間もなく構成されるであろう 新リーグの球団数を示している様に、私には想えてきた。
 この子が物心付き、野球を見る頃には、「昔プロ野球には12も球団があってね」 「へぇ〜」といった会話が交わされることになるのだろうか。

 成婚6年になりました!
6月12日(土) 「ONGAKU」
 木曜の打ち合わせでYMOコピーバンド「中国男」は冬の第二回公演に向け、 何と新演奏曲8曲を用意することに。一寸難しいのではとの気もするが、 2日間掛け原曲をCD−Rに焼き、楽譜をコピーしてパートを振り分け、 足りない部分は手で書き加え、更に先回公演模様のCD−Rを贈呈用に幾つか 焼き直し、これにラベルを買ってきて印刷して貼る。 と一連の作業を行う。
 当初予定では祐旭が生まれて初めて髪を切りに新宿高島屋に赴く予定だったが また一寸風邪気味なので見送ったため、作業に専念することとなった。
 夜には先月末に購入した「スネークマンショー・アンソロジー」を漸く聞く。 スネークマンショーの音源と当時の洋楽が交互に配置され、 往時のラジオ時代を彷彿とさせる作りで、全9巻が予定されながら3本迄で幻に 終わった「ラジオ版スネークマンショー」のベスト盤の感。 現にDisc1はYMO「増殖」収録の元ネタもあるが、大半は「ラジオ版」CDにも 収録されていたもの。但し、楽曲のレベルが上がっており、 それだけ凝縮されているのか、或いは大きなレコード会社になって権利が取り 易くなったか。Disc2に移ると、徐々に思想性が高まっていく構図が読み取れる。 「戦争反対」のアルバムを中学生時代に初めて聞いた時は、完全にギャグとして演じ ており、 ストレートになり過ぎて面白みに欠ける感があったが、 真剣に反戦運動の一環と想えば理解は出来る。但し「ラジオ版」で4から9迄 6枚に亘って反戦思想を唸られたら聞くには苦しかったろうが。
6月10日(木) 「ケアレスミス」
 税金を払って会社に戻ると家に銀行から電話が入ったという。 領収書の日付を間違えた由、見てみると確かに5月10日付になっている。 喜ばしくはないが、この程度のミスはあり得る話で目くじら立てて怒る 必要もないが、ミスをした担当者は焦っただろう。
 これで思い出したのはまだ会社に入って間もない頃、広報部で 翌日のプレス・リリースを配って仕舞ったことがあった。 内容は弊社の○○さんが△△賞を貰ったという、ベタ記事にもならない 内容だが、万が一にも授賞するという話が前日の新聞に載ってはマズいのである。
 往時、自動車担当記者が陣取っていた、今は亡き機械記者クラブは 常駐は12社程だが、リリースを"投げ込み"する棚があり地方紙約40社がそれを回収していく。 このため「かみのげ新聞さんですか」「じょうもうです」等と間抜けな会話を繰り返しながら、 各社に電話してお詫びする羽目になった。 ミスというのは誰にでもあるものだ。
6月8日(火) 「昼間から」
 今までにも平日の昼から酒を飲んだことはあったが、精々人と飯を食う時に 「ではほんの一杯」てな調子で麦酒の小瓶を開けるという程度に過ぎない。 ところが本日はジョッキでガブガブと開けざるを得なくなった。 幸い直後が移動でグースカ眠ったが、会社に戻った頃には、どう考えても 思考力が相当に減退している。そこでハタと気付いたのだが、 一般に「昼に酒を飲むとよく回る」と言われるが、 通常酒を飲んだら後は一路帰るなのに対し、昼に飲んだら それからものを考え、動き、活動しなければならないのだから、 「回った状態で物事を処理する」ことが難儀であるのを、 「よく回った」と錯覚する、ということではないか。
 しかし20:30に勉強会に到着した頃には すっかり覚めていて、眠気の中却って頭が冴えていた。 昼に飲む効用(?)もあるらしい。
6月7日(月) 「喜びのOH」
 ダイエー王貞治監督が通算壱千勝を達成。 想えば昭和59〜63年の巨人監督時代は、江川・西本の衰え、 原の伸び悩みの中、クラマティがチームリーダーにならざるを得ない苦境の中、 62年にリーグ制覇を果たしたのみで解任される悲運に遭ったが、 前任の藤田が3年で2度優勝、更に王の後に復帰すると斉藤をエースに仕立て 連続Vと、スポーツ紙ならずとも批判されざるを得ない環境にあった。 往時、週刊ベースボールでは毎度の如く「王が変わった」との見出しが 踊った。それ程迄に鹿取の投手起用に象徴されえたが如く、頑固一筋の采配を 半ば揶揄するものでもあったのだろう。
 仔細にプロ野球を見始めた頃、長島は既に「90番」の第一次政権にあり、 世界記録756号の狂奏曲を体験した我々は紛れもなく王世代である。 その我々に取って、95年に復帰したダイエー監督も、下位に低迷したまま ファンに卵をぶつけられ、俄かに親会社が傾き、果てはハイディ古賀二軍監督に 差し替えられそうになった王の姿は悲劇以外の何者でもなかった。
 しかしながらそのスパイ事件自体が、恐らく王が監督として存在したが故に 御咎めなしに葬られ、かつ死を目前に漸く根本社長の遺産が花開いたことで 99年に優勝を遂げてから、王の周辺は再び"ビッグワン"の輝きを取り戻すこととなり、 今や球団の存亡さえ王如何に掛かっていると言っても過言ではない。
 御目出度ふ御座居ます。私はこれからも王ファンの一人であり続けます。
6月6日(日) 「薔薇の包みの乳母車」
 久々に一家で新宿へと思いきや生憎の雨。もう露入りだろうか。 レインカバーを被せた乳母車の電車移動はB型で小さくなったとはいえ難儀なので、 やむを得ず妻がダッコ紐で祐旭を抱え出立。
 予定では高島屋到着後、ベビーカーを借りる筈だったのだが、到着してみると 何と全部出払ってる由。考えることは皆同じか。思わず「特殊株主ですが」と ゴネて見ようかと良からぬ思惑が脳裏に浮かんだが、大人しく喫茶店で待機。 しかし入口で張ってないととても順番が回ってくる風情なく、諦めて 9階子供服・用品売り場を少々見、来週の髪切を予約して退散した。 平日は人の入りも少ないだろうから過剰に在庫を抱えても仕方ないのだろうが、 休日用に露の休日様にもう若干台数を増やすことをお勧めしたい。 祐旭は帰路、母に抱かれて寝て仕舞い、存外に快適だった様だが。 
6月5日(土) 「砧の北入」
 朝から一日麻雀。北入までもつれた第三局を裏ドラが三枚乗るヤクザなハネ満で勝利し 総合トップに踊り出ると、第四局もトップ目5万点で本日は久々の優勝かと思いきや、 好調M氏にチートイドラドラ親ッパネを放銃して仕舞い以後沈んだのが祟り2位に終わる。
 主催T氏が腕を奮った昼夕食代の参加費、持参の菓子、小田急線の電車代で ほぼチャラとは実に経済的な一日。
6月3日(木) 「骨は太いか」
 経済財政諮問会議の「骨太方針2004」が漸く決着。発足当時は見向きもされなかった 諮問会議だが、小泉−竹中ラインが発足してから「骨太」が予算を始め 国政の基本方針と位置付けられたことから、年々党側の反発、注文が強まっている。 政府の方針策定が官の調整によって構築され、それに党が文句をというのは、 議員内閣制と米国型純粋三権分立を混入させて仕舞ったわが国のシステム上の 問題ではあるが、実はこれまでの政策決定の実態を、政府自らが暴露し、 実制度として党の眼前に付き出して仕舞った結果にも他ならない。
 しかし口頭で解説しなければ真意が読み取れない、或いは解釈者如何によりどちらの側に 解釈出来る文章作成、というのははまるとこれはこれで面白いのはよく判るが、 必ず日蘇国交回復の如く禍根を残す。といって一刀両断して仕舞わないのが、 わが国の美点でもまたあるのだが。
6月1日(火) 「7月11日」
 選挙が近付いてくると何かと忙しく、仲々自由気侭にぷらぷらと 会館のお部屋を訪ね歩いたり出来ぬのが困りもの。 急に出張になったりと夜の予定も入れにくい一方で、 勉強会は頻度が増えて週イチになったりと、時間的に極めて多忙という 訳ではないのだが、常に次の案件に追い立てられている様で 落ち着きにくい日々。

 KOされたダイエー杉内が両拳を握り締めベンチに怒りの鉄拳で骨折。 単に間抜けというより懲戒ものではないか。

コラム堀内一三 04/5

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