コラム堀内一三 04/11掲示板

10月31日(日) 「過眠」
 疲労が溜まっているのか両日とも半日以上寝て仕舞った。おかげで持ち帰った仕事も全然出来ず。

 イラク日本人人質の遺体が確認される。明らかに、前回の三人が「自作自演説」も出るまでに あっさりと解放され、かつ解放後の行状に万人が呆れ果てる状態だったことで 割を食った感がある。ただご遺族には哀悼の意を禁じ得ないが、 第一に、何故イラク入りしたのかという背景は究明する必要がある。それが 今後この様な事態を生じさせないための手掛かりになるだろう。 もうひとつは、人質事件の様な不測の事態が生じた際に、 日本政府はどういう手を打つことが出来るのか、今回は残念ながらそれは見えなかった。 勿論、手の内を明らかにしないがためとも考えられるが、 少なくとも政府内においてその検討が為されていることを一定程度 明らかにすることが抑止に繋がるのであれば、 可能な範囲で対処法を明らかにすることが必要だろう。
10月30日(土) 「タッチ、タッチ、ここに立っち」
 雨の中児童館のお祭りへ出向くと、要は何時も児童館に来ている 小学生が相互に縁日の類の出し物をする側と、遊ぶ側に回る 「児童館のためのお祭り」で、まだ歩けない祐旭の様な子は お呼びでなかった模様。児童館の職員に厳しいご指導されたりして、 腑に落ちないまま早々に辞去する。
 1歳を迎え、ここ数日急速に立つことに喜びを感じている模様で、 たまにすっころんで足をぶつけたりして、ヒックヒックと泣く寸前の顔になる。 これが仲々可愛くて写真に撮りたいのだが、 そのままにしておくと本格的に泣いて仕舞うし、あやしていると写真が撮れない このジレンマ。古いギターアンプも廃棄したりと、危険そうな物体が わが家から順に消えてゆく。
10月28日(木) 「亜細亜の島から」
 摩国から一時帰国された方の歓迎会。最近飲み過ぎることが 多いのだが木曜日のため皆自制が効いていたのか0時過にひけて、 終電一本前で帰着もまた乗り越して仕舞った。幸い隣の阿佐ヶ谷で 降りたので大事には到らなかったが、ガード下を一駅分歩いて帰る。 愈々高円寺も阿佐ヶ谷より遅れること幾年、ホームへのエレベーター設置 工事が始るが、これに伴い寂れたガード下も再開発されるのか。 24時間スーパー設立予定地とその反対運動の看板を見かけなかった気がしたのは "革新・杉並"らしくポシャって仕舞ったのか。

 それにしてもカラオケで声が出なくなった。裏声が通らなくなったのは 年齢による衰えとしても、ソの音も綺麗に出せないのでは 最近の曲はおろか、BOΦWYですら唄えない。 こちらは喉の問題というよりは肺活量の減退が主因ではないか。 昨今、子連れパーティーの類で風船を膨らます機会が何度かあったが、 これが驚く程に膨らまない。煙草の銘柄を軽くするくらいでは 到底対処出来ないだろう。中高弁論部時代に帰って腹式呼吸から やり直すべきか。
10月27日(水) 「Happy Birthday Dear Yuuki」
 今週は一段落する予定だったのが昨日からまた俄かに慌しくなり、 本日は休日に働いた"代休"を取らなければならなかったのだが、 一転午前だけ出社することに。

 して午後は一家で東京ドームへ。早いもので祐旭も本日で1歳!。 お祝い行事として「おもちゃ王国」へ出向く。平日にも拘らず混んでいて ブロック、鉄道ゲージ、滑り台等の体育系の区画と、 玉入れ系、文字、音楽等の座っての遊びの区画と仲々広く、 祐旭にはまだ早い遊び道具も多かったが、鉄道で喜んでいる。 矢張り男の子は須らく電車好きなのか。「大人のみ入場はご遠慮します」とあったが、 成る程成人同士でも楽しめるかも知れないし、歩ける子供なら 自由に過ごさせても危険も少なく、大人一人当たり1000円は安上がりだろう。
 家に帰って「誕生餅」。早く歩く子は早く家を出て行く、 との連想から、紅白の丸餅を帯に包んで背負わせ、担いで既に歩ける子は わざと転ばせる=早く家を離れない様に、という五穀豊穣を願うわが国の伝統行事。 祐ちゃんは歩くと言ってもまだ数歩だし、実際背負わせると重くて とても立ち上がれない。が形通りに転んで貰ったら起き上がることも出来ず 号泣されて仕舞った。更にケーキでお祝い。 これからも仲良く遊ぼうね。
10月24日(日) 「タイム・リミット」
 久々に終日予定なく、児童館に行ったり公園に行ったり。 昨日は歩けず悔しい思いをした(?)祐旭だが、誕生日を3日後に控え 遂に本日掴まらず5歩を記録。これは「一歳までに歩いた」と言えるのか。 一寸風邪を引いてから仲々立ち上がらなかったので、 「記録、それは儚い」と志生野アナのナレーションが聞こえてきそうな程吃驚した。 この後夜にも3歩を記録。あと2日、何歩まで伸ばすか。

 夕刻TVを付けたら突然教授がアイヌの民族衣装を着てサケを採ってる シーンが鶴田真由のアナウンスで流れてきて吃驚。 「坂本龍一の日本再発見!ぼくの未来を探す旅」という番組の様だが、 教授は脈略なく取って付けた様に沖縄であるとか"民族モノ"に被れる 傾向があるが、一寸はしゃぎ過ぎでは。
10月23日(土) 「君にも見える」
 友人宅にてハロウィン・パーティー。湘南新宿ラインのお蔭で横浜方面は本当に 近くなった。そもそも東北線から新宿周りで東海道という発想は鉄道発祥以来のものだし、 上越新幹線は現在も計画上は新宿起点が変わっていない。 赤羽線改良の埼京線誕生に始まり有余年、東京住宅圏の西方シフトに鑑みれば 当然の要請だったろう。
 児童・乳幼児計6名が集まったがまだ歩けないのは祐旭のみ。 一応靴を履いて行ったが屋外では乳母車に座ってるしかなく、 縦横無尽に駆け巡る先輩方に羨ましそう(?)な視線を注ぐ。 ハロウィンがお題なので生後間もなく購入しながら仲々着る機会のなかった ウルトラマン装束をここぞとばかりに身に付け参上したが、肝心の品評会の際に 疲れて眠りこけて仕舞い、優勝のお姫様に対抗出来ず。 お父さんも何かと嘗て御成婚二次会を幾つも運営した名残の 倉庫にある衣装群を漁ってみたが萎びていて使用に耐えず、 何故か未使用品が幾つか発見されたアフロヘアを持参するに留め、 あとは記念碑になるものを数点残し処分することとした。
 会後半は裏山に祐旭を抱えて登ることとなり息も切れ切れでした。
10月22日(金) 「あなた買いません」
 横浜も明大・一場投手に支度金で砂原オーナー辞任。 と数時間を待たず日本シリーズ第五戦の最中に阪神・久万オーナーも続く。 事前に金を渡すことがよい訳ではないが、急に始まった慣行でもないし、 Jリーグが美しく野球は古式蒼然といった単純な話とも異なる。 金を渡す段階で契約して仕舞えればよいものを、 学生は職業野球に加担出来ないといった前近代的なシステムにこそ 問題がある、ということは矢張り古色豊かか。
 実際、この程度の話に目くじら立てていちいちオーナーが辞任していたらスポーツ興行など 成立しなくなるのではないか。 余程明治大野球部か一場投手に恨みを持つ人物・団体が居るのか、 或いは反職業野球の朝日新聞らの組織的陰謀か。 グループ崩壊の危機で野球どころでない西武といい、 正に日本シリーズが行われている最中に暗いニュースが頻出する構造自体も 如何とも残念なことだ。
10月21日(木) 「お疲れさまでした」
 絵に描いた様な台風一過で快晴の中、昨日の休養で体調も万全で 最後のアテンドに挑む。何度も似た様な行程を繰り返していると流石に慣れてきて 高速道路の解説もお手のもので、「こちらが第二東名に繋がります」」などと 恰も専門家の様な口振りだが、突っ込まれると目が泳ぐ。
 昨日中止になったためか企業展示のポートメッセは実に混んでおり、 雰囲気はモーターショーの類の幕張メッセに近い。よく見ると建物が可成り老朽化 しているが、アクセス路線は作ってもここを補修する迄には予算が付かなかったのだろう。
 日曜朝以来、久々のわが家に無事帰着し21時過には床に着く。
10月20日(月) 「恵みの雨か悲劇の雨か」
 流石に先週からの疲労蓄積が一挙に襲ってきたのか風邪も悪化し、 夕食を挟んで朝まで眠りこける。起きると台風23号直撃のため本日の会議全日程 中止の報。今日は市民参加を標榜する本ITS世界会議の正規出席者として 「テクニカルツアー」なる視察モノの参加割り当てがあり残留したのだが、 不意に丸一日空いて仕舞った。しかも平日台風の中では遊びにも行けない。 思い立って動きが取れなくなる前に来月の次の視察アテンドもののために会社の工場、施設の 事前打ち合わせを強引に入れ急行、来週もまた愛知県に来なければならない ところだったので正に恵みの雨となった。聞けば会議自体もこの日は 本会議等大物のない"幕間"だった様で、皇室来訪の昨日までに台風が来ていたらと 関係者はゾッとしていたことだろう。本年最大の被害をもたらした台風を"恵み"と 規定しては罰が当たるが、何かと前途を危ぶまれているITSに取っては まだツキがあるということか。

 午後はこの会議に合わせて開通した新線「あおなみ線」に試乗してみる。 本来なら今日はこの路線でポートメッセ迄赴く予定で混雑が予想されたが、 台風で中止になった今は実に閑散としている。 臨海再開発、旧国鉄貨物線の転用、JRから切り離しての高額料金、更には 工業地帯イメージを払拭するためか平仮名名称と、実に「りんかい線」にそっくりな あおなみ線の起点終点を往復。打ち合わせが一本あり後は暴風雨の中、 ホテルに待機した。
 新幹線も不通。必ず岐阜羽島−米原間が原因になることに鑑みれば、 将来の北陸方面への分岐のため米原経由という大儀名分があったとはいえ、 現に開通40年経っても北陸新幹線全通の目処が経っていない現状では、 地元に強引に駅を作った大野伴睦の罪は大きいと言わざるを得ない。

 夕刻、昼に乗ったあおなみ線も止まって仕舞い、階下に下りてみると 地下街は軒並み閉店、高島屋も早々に閉まって何時訪れるとも知れぬTAXI乗り場には長蛇の列。 夜が早いのは習慣性の問題かも知れないが、電車が少なく代替路線のない自動車王国名古屋の ライフラインの脆弱性を目の当たりにすることとなった。
10月19日(火) 「一億総パパラッチ」
 続いて二日目だが綿貫会長を残し各先生は朝迄に名古屋を後にしたため この日は導線一本で最早楽勝。名古屋港ポートメッセで行われる ITS世界会議展示会場開会式に先立ち、朝の殿下妃殿下御視察の後ろを 会長随員の顔をして付いていく。
 昨夜もそうだったが宮様の周辺には多数SPが配置され、 カメラを向けると「撮影は御遠慮下さい」と指摘されるのだが、 警察も立場上一般人に余り強いことも言えないのが辛いところ。 我々も最初の内は遠慮していていたが、出来れば殿下御夫妻と会長を一枚の映像に 収めたいというこちらの事情もある。御夫妻が「ITSワールド」を出られた瞬間の 正面からのベスト・ショットは気後れして逃したが、 続く企業展示館に入ると、あろうことか各社の説明員のみならず、 事務局ITS−JAPANの方々までがカメラ片手に走り回っているではないか。 こうなれば 昨日朝、地元から早朝来訪される会長をお迎えに新幹線ホームにて待機した際に 丁度日本シリーズ移動日にて遭遇した松坂投手にレンズを向けたが如く、 大胆にシャッターを切りまくる他はない。
 その後、昨日は講演のため開会式張り付けだった会長が見れなかった試乗もののため 長島温泉へ。俄かに雨足激しくなり折角下見に赴いたHマークに 救急回転翼機が飛んでくる「Dr.ヘリ」の実現は危ぶまれたが、 かの国松元警察庁長官も来ておられ強行。 かくの如く関係者が多く、しかも大物盛り沢山で、社内調整に 必要以上に手間が掛かるのが今回の特徴だったろう。
 再度ポートメッセに戻り展示会場の正規オープニング式典と視察を経て、 愈々台風情報が気になってきたため最後の視察は飛ばして名古屋駅へ直行、 慌しく会長と随行数名がホームへと走り去り喧騒は幕を閉じた。

 漸く落ち着いて「山本屋本店」で味噌煮込みうどんを食う。 メニュー紹介が煩雑な上、頼んでもいないのに無用な漬物が 付いてくる。これで葱しか入ってない大盛りが1600円とは高過ぎないか。 駅上高島屋に入っている「山本屋総本家」に負けぬやう奮起を期待したい。 以前にも書いた様な気もするが。
10月18日(月) 「ITSの一番長い日」
 一夜明け愈々本番。ITS=Intellejince Transportation System とは高速道路の自動料金収受システムETCや危険を予測し自動制御される先進安全自動車、 道路情報を自動車が感知しての渋滞緩和等の安全・環境への取り組み、 新交通システム等、道路建設、輸送交通、情報通信を横断する 諸技術の総称で旧建設、旧運輸、経産、旧郵政、警察の 現4省庁5局に跨る壮大な構想である。 嘗ては百兆円産業などと持て囃されもしたが、現に実用化の進んでいる ETCの様に巣立ったものもあれば、風前の灯火の事業もあり、 かつ省庁のみならず自動車、電機、通信と民間も寄り合い所帯で 船頭が多過ぎでITS総体として如何と問われると、その未来は一口には捉え難いものがある。
 この中でITS世界大会は、亜欧米3極持ち回りで毎年開催され、数えて第11回、 わが国では94年横浜以来、明年の万博=愛・地球博のプレイベントとの 性格も与えられ、本日より愛知県にて挙行される。 自民党の俗に言う「道路族」の方々を中心にITS議員連盟が設立されたのは 95年に遡るが、爾来綿貫民輔会長はほぼ毎年世界大会に出席されており、 愈々今回トヨタ自動車のお膝元でもある愛知県にご出座、当方のお勉めは 会長以下議員連盟御一行様のアテンドである。

 ところが先週「事前視察」として幹部陣は既に到来されており、 かつ開会式や秋篠宮殿下夫妻御臨席の下行われるVIP対象夕食会に 出席出来るのはこの幹部陣のみのため、開会式の裏で先週行った 試乗等を議連各議員に見せ、一部は幹部陣も合流するという錯綜したスケジュール。 この上早めに帰る人、後から来る人が入り組んで最大限導線5本の 複雑系に。
 中途、2方面からの到着連絡を一本化して行うために、 私は当該連絡者への状況報告のみと規定したにも拘らず、私の引率する方が 先に着いて仕舞い試乗実施部隊から怒られるという一幕もあったが、 夜になって昨夜会した秘書団一行も漸く一同に復帰し、VIP夕食会の裏で 一寸早い打ち上げに。神経も体力も、本当に疲れました。 誰が言ったか「ITSの一番長い日」、さて今後の展開は如何。

 ところで最後に問題です。右写真の謎のゲートは何でしょう?
10月17日(日) 「前哨戦」
 愈々今日からアテンダーの旅。先週の本番前日は浜名湖周遊一日行程だったが、 今週は実質午後からと簡易版、その替わり足が長くて木曜まで名古屋に拘束される。 会議の主会場である愛知県芸術文化センター(写真)にて関係者の会議登録で一悶着あった後、 夕刻来訪した秘書団と合流し、 迎賓館風情に新装なった旧尾張徳川家「徳川園」にて議員送り迎え同行を挟んで 夜の会食。
 名古屋生まれではあるが1歳から11歳まで横浜〜東京で過ごした私に取って、 祖父母の家のあった名古屋駅近辺以外でほぼ唯一馴染み深いのは 毎正月と夏には一族勢揃いで会食したオークラの中華・桃花林だった。 名古屋も駅上のマリオットや老舗の城脇のキャッスルが乗っ取られたウェスティンらの 外国資本ホテルの進出も増えたが、オークラは東京海上ビルの25〜26階に 小宴会場とレストランのみ営業という不思議な形態が未だ保たれている。
 今回は鉄板焼の命題があったが各ホテルを当たっても個室はなく、 どうせなら夜景も眺められるここオークラを選定、 長年、桃花林の反対側は如何様であろうかとの思いが漸く遂げられた形になった。
 腹を満たして先生方はじめ一行の宿地であるマリオットへ戻る。 名古屋駅に圧倒的に近い利便性は捨て難いが、階下に高島屋が入っているため レストランに行くにも一旦フロントの15階まで上がり、乗り換えなければならない 導線の悪さが玉に瑕だが、最上階ラウンジへと向かう一行を送り 長旅の初日を終えた。
10月16日(土) 「土曜の夜の恋人に」
 土曜夕刻、流石に喧騒も少ない六本木防衛庁跡地迎えの道を入り 御成婚披露会に向かう。程なく友人夫妻と出会ったが到達したのは タトゥー東京で確かに披露宴が行われている様だがどうも様相が可笑しい。 会場は「赤坂迎賓館」の筈で辺りを見回すと同様に途方に暮れている人が チラホラ。何とか探し当てた時には既に新郎新婦入場が終わっていた。
 流石にこの年になると夫婦・子供連れが多く、時ならぬ家族同窓会の 風情。祐ちゃんはほぼ最年少の域で最大限2歩の実績もあるのだから、 靴を履いてくれば良かったと思っても後の祭り。早めに切り上げ、 明日からの出張に備え妻子を妻の実家に送り帰着しました。
10月15日(金) 「一難去ってまた一難」
 漸く来週の出張に目処が見えてきたと思ったら、今度は 11月の別の視察アテンドものが風前の灯火になってきた。 麻雀も負け続きだし、どうも最近運が無いのだろうか。 来年はゲンを変えて再始動したい。
10月11日(祝) 「ふたつのダイエー」
 昨日はプレのプレで本日が先ずプレエベント。祝日にも拘らず先生方、官庁、企業の揃った 御一行様が終日視察で事務局は非常に疲労。今日は大所帯なので流石に帰路の日本酒も大人し目で 無事夜半に帰着した。

 パ・リーグ・プレーオフ最終戦。シーズンで3位まで決まるのに今年はとくに最終戦までもつれ、 にも拘らず順位通りに優勝決定とは、興行としても競技としても素晴らしい、 と論評する積もりだったのだが西武が買って仕舞い、折角盛り上がったプレーオフ制度も これでは何のためのシーズン1位かとの声が当然起きる筈で画竜点睛を欠いた。 残念ながら本体の取締役会同様締まらない結果に。
10月10日(日) 「花と鰻と日本酒と」
 関東地方直撃弾ではここ十年来最大と言われた台風22号が丸で嘘だったかの様に穏やかな天候。 或いは大雨で流れて呉れれば楽だったかも知れぬが、夜に名古屋に入ることには変わりはないので、 代替を急遽検討することになるよりは良かったかも知れない。
 と緊張して旅立った要人アテンドであるが、花博に入って仕舞うと役所からしっかり ご説明戴くので付いて歩くだけ。しかし昨日台風で閉場になり、明日が閉幕の三連休中日とあって ディズニーランド状態の大混雑。博覧会と言えば閑古鳥で大赤字が相場と思いきや、 無事来場目標500万人も超えたとのことで盛況麗しい。混乱の中を3時間ぶっ通しで歩き回り お付きの方が疲れて仕舞った。
 さて一番の心配事は夕食時に話題が持つかだったが、視察時に訪れていた「浜名湖鰻マップ」にも 載ってない、恐らくは地元の人しか知らない湖畔の店が正解だった様で、 持ち込みの酒ががんがん進む。流石に三権の長まで務めた方で、話題豊富に話を切り出して 呉れるので妙に気を使うこともなく、「この一升瓶が空いたら行こう」と言われて 果たして何時になるかと思う間もなく現に既に4合瓶2本を空けた上の一升瓶が空になり、 宴を終え無事名古屋へ移動と相成った。 この間浜松駅までの車中の記憶がなく、次の光景は名古屋に連絡を入れ席に戻ると 御本人の前の席が空いており、そこに座らせて戴き引き続き酒盛りが始ったシーンで、 その次気付いた時にはホテルのベットでTV付けっ放しのまま寝ていた。 どうやら車中で「政治とは」「政治家の心構え」といった有り難いお話しを伺っていた様なのだが、 全く覚えてない。すみません。しかし幾つになっても人は好奇心旺盛でよく歩き、よく食べ、 よく飲むことが重要だということは目に焼きついた。楽しき一日、有難う御座いました。
10月9日(土) 「そして僕らは演歌に帰るのか」
 嵐の前の小休止、外は正に嵐で終日自宅にて過ごす。「東京シティポップ'70」 という借りてきたオムニバス盤に80年代の曲ながらオマケで収録されている フランク永井の「WOMAN」を聞く。山下達郎作の小ヒットながら程なくフランク氏が 愛人発覚・自殺未遂騒動で隠遁を余儀なくされて仕舞ったこともあり、 市販CDには初収録。長年探していたが矢張り佳曲だ。
 小学校時代から歌謡曲を、今や死語に近いのかも知れないがエアチェックし、 それがやがてレンタルCDに替わり、90年代にメディアはMDになった。 この自製ヒット曲集も毎年概ね5本位生産してきたのが昨年から仲々増えない。 TSUTAYAに入荷されない製品が多いというのも要因のひとつではあるが、 要は最近の歌謡曲が魅惑的に響かないのだ。R&B系の"ディーヴァ(歌姫)"と称された 女性歌手群が宇多田ヒカルとMISIAに集約され、BOAに代表されるよりリズム、 或いは踊りを重視する一団が台頭。一方でモーニング娘。概ね亡き後も松浦あやを始め 疑似アイドル歌謡が残存する。男性は半分以上はラップで残りは押並べてフォーク・パンクか メジャー・フォークで暗い世相に似合っているのかも知れないが、 音楽としては単純極まりない。この中で縮小再生産を続けるサザンとどんどん左傾する ミスチルのみが旧陣営を固守。救いはくるりや   といった、はっぴいえんど世代二世とも 言うべき現代版フォーク・ロックの一群だが主流には成り難い。 そして辞退されようとレコード大賞に値するのは常に浜崎あゆみだけ。 最早カウントダウンTVを深夜に見ようという気も起こらない。
 果たしてこれはわが国歌謡曲の堕落なのだろうか。成程「WOMAN」に限らず 70〜80年代の楽曲は美しかったと感じているが、それは単に歌謡曲の変化に私が追い付けぬ 様になっただけではなかったか。
 日本人は須く年を取れば演歌を愛聴するか、という命題があった。この命題を私は否定し、 既に幼少期に演歌が退潮していた我々の世代が演歌に回帰することはあり得ないと 嘗て結論付けた。確かにその結論は誤りではなかったが、回帰する先が演歌ではなかった というだけで、人は何れ時代の変化に取り残され、若き日々に親しんだ物に回帰することには 変わりがなく、更に言えば、演歌の退潮とともに嘗てはポップス或いは歌謡曲とされていた 楽曲も後代の耳には演歌と映っていった様に、即ち宇多田ヒカルの母、藤圭子や いしだあゆみらが往事は最新の流行歌手であったにも拘わらず、今では演歌歌手に 分類されているが如く、例えば「WOMAN」も後何年か先には、わが国古来のヒット歌謡という 分類を示す語としての「演歌」というレッテルが貼られているのかも知れない。 詰まり先の命題は巡り巡って正しかったということなのだ。

 話が長くなったが本日は終日祐旭と遊んでいた。 人見知りが段々強くなり一瞬でも母の姿が消えると泣き叫ぶ祐旭だが、 流石に一日一緒に居ると慣れてくるというか、お父さんだけでも 楽しそうに遊んで呉れる。
10月8日(金) 「忙しい」
 来週からの行事を前にここ数日珍しく忙しい、と言っても普通の人並位かも知れぬ。 10日の体育の日に浜名湖花博にとある重要人物をお連れする羽目になったため。 こんな所で春に花博を視察しておいたことが活きるとは。そしてわざわざ取り寄せた 「浜松鰻マップ」が再び陽の目を見ることになろうとは。何事も足で稼ぐことが肝要という 教訓かも知れぬ。
10月5日(火) 「大統領選」
 「ザ・ホワイトハウス3」の日本放映が始った。 第二シリーズで病気を公表して思惑が飛び交うところで 終わったバートレッド大統領が再選出馬を表明するシーンから 幕を開ける。
 ところで前シリーズまで土曜夜の放映だったのが 今回は水曜、しかもBSに陥落である。 矢張り政治モノは日本では視聴率が芳しくないのか、 或いはホンモノの大統領選を前に民主党大統領が主人公の ドラマは小泉政権を刺激するという迂遠な配慮が働いたのか(笑)、 それでも放映権を買って仕舞っているので責めてBSの 埋め草にということか。
 連続ドラマは役柄は変わらなくても、 実際の役者には変化が訪れる。人気が出て映画俳優に昇進した 「ER」のGクルーニーの様なケースがあれば、 「渡る世間」の様に脚本家の匙ひとつで飛ばされる(!) 例も出てくる。ホワイトハウスはまだ三作目なので登場人物も含め 大きな変動はないが、残念なのは主役級のサム・シーボーン広報部次長の 声が吉田栄策から名も無い声優(?)の方に替わって仕舞ったこと。 サム役の比重が下がっているのかも知れないが、 印象が一変しており違和感は拭えない。また マクギャリー主席補佐官が急激に老けたのも気になるところ。 米では既に4作目の放映も終わった筈だが、無事出演されているのだろうか。
10月4日(月) 「ボーンヘッド」
 夕刻、2005年日本国際博覧会協会に出張で蜻蛉帰り。 ところがさて食物を買って帰ろうと思うと、何と切符がない。 しかも乗ってきた新幹線の切符はある。 どうやらうっかり帰りの切符で改札を通って仕舞った様だ。 未使用の切符で出ることが出来る自動改札機の構造は 間違ってる、と怒ってみても仕方なく、どうも最近 頭が飛んでいる。困った困った。

 TBS系・NEWS23の25周年企画に YMOならぬHAS(Human Audio Sponge)が出演。 三人で「War And Peace」を演奏した。 この曲は教授のアルバムにSketch Show(細野+高橋)が 参加したもので三人とも演奏するところがなくて 暇そう(笑)な感がなく、実際9月にBS朝日で放送された Sonar公演(バルセロナ)より演奏部が増えていて、 今後に期待を持たせた。
 ただ肝心の演奏の前に、この番組らしく、 「War And Peace」の日本語版歌詞を作るとの趣旨で、 延々と「戦争反対」メッセージを見せられ食傷気味。 戦争に賛成する人は元々少数だし、そうだったとしても堂々と主張する 人はまずいないから容易に合意が得られる。 肝心のどう戦争を無くすのかについて大きな開きがあり、 その一方の勢力をソフトに代弁している様な番組構成には 忌避感を抱かざるを得ない。新宿高校でゲバ棒を振るっていた 教授らしいと言えばらしいのだが。
10月3日(日) 「ハイ&ロー」
 真夏から一挙に冬が来て、わが国の「四季」は何処へ 行って仕舞ったのか、の感ある極寒・豪雨の中、大学時代のサークルの OB会ゴルフに出席した。サークルと言っても大学横断の大所帯で 初期メンバーはそろそろ引退を迎えようとする頃。 ここから現在50歳位までの世代を中心に嘗てOB会が結成され、 80年代以降の卒業者とは関係が薄かったので、 当然本ゴルフも年配者ばかりの顔触れ、総勢40名。
 私も長年御縁がなかったが、 88年入学世代近辺のHPを運営していることから 以前3〜4年前にも事務局をされているK氏からお誘いがあり、 その際はまだ我々はゴルフを始めて間もなく、 腕前からしてコンペ出場は難しかろうとお断りしたのだが、 今回50回記念大会の由で再びお声が掛かったのだ。
 確かに「HPがゴルフと麻雀の記事で埋まっている」状況の中、 麻雀大会へのお誘いなら「我々はレートが安いですから」と 御免蒙ることも出来ようが(笑)、コンペとなると折からの丁度新打法を 試したいと思惑とも相まって、気は熟したかとも思われた。 そこで近辺世代のプレーヤー群に声をかけ、結果以前から一度ラウンドしようと言っていた 一年下のA氏が呼応して呉れたため、遂に初参加と相成ったのである。 到着してみたらひとつ上世代のF氏も居られ吃驚。 何やら会社のコンペに初出場するに当たって「腕慣らしとして」 参加を命じられたとのことだった。

 結果は打法改造が成功したのか前半はパー2つの50と自己ベストタイ。 こうなるとパー3でのワンオン3パットが悔やまれる。 ところが既に激しかった雨足が午後になっても一向に収まる気配が見えず、 何よりも寒くて腰が全然回らない状態に。 午後は前半5ホール5OBという悲惨な成績で撃沈した。 流石に疲れました。

 優勝の中日最終戦。開幕戦先発の川崎が引退登板。 旨く美談仕立てに持ち込んだのは落合監督の旨さだが、 本来は複数年契約のあり方に課題を残したということを 忘れてはなるまい。
10月2日(土) 「快奇縁」
 午後、祐旭の児童館の朋友(?)、KK氏の御両親が経営する 環七沿いのコンビニエンス・ストアへ赴く。本日は御両親自ら 店頭に出られているということでアイスクリームを購入、 本日引越中のYMOcopyバンド仲間で妻の高校時代の友人、 H氏宅へ持参す。実にK氏宅コンビニから徒歩2分程度で、 わが家からも10分は掛からない。しかも当引越先から 目と鼻の先の駐車場には、嘗て高円寺在住時代の矢野顕子が 実際に車を停めていたというから、何たる縁。 これでバンド「中国男 L'homme Chinois」も一層機動性が 増すに違いない。
10月1日(金) 「お久し振りね」
 夜は新橋のちゃんこ料理店にて大学時代のサークルの ひとつ上の世代との合同会合。わが方は頻繁に顔を合わせているが、 上の学年は、とくに現在東京以外に主要面子が散っていることもあり、 実に卒業以来の顔合わせも幾つか見られた模様。
 私は一寸飲み過ぎ二次会ではカラミ親爺になって仕舞った。 仕事のストレスが溜まっているのだろうか、反省。 しかし反省する間もなく三次会はカラオケで、 吐いてから4時まで唄って完全に喉を痛めて仕舞った。
 お疲れさまでした、皆さん。

コラム堀内一三 04/9

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