コラム堀内一三 05/1掲示板

12月31日(金) 「鳴呼大晦日」
 レコ大は下馬評通りミスチル。94年に史上初めて不出演者に大賞を授与せざるを 得なかったにも拘わらず、再びミスチルの軍門に下らざるを得ないとは、 TBSも氷川きよしに中の上程度のヒットでもあれば、と悔やみながらの 苦渋の決断だったのだろうか。紅白も審査員で登場した脚本家の橋田壽賀子氏が「知らない歌ばかりで 時代に遅れてると感じました」と本音なのか嫌みなのか判らない感想を 述べていたが、70を超えた高齢者と同じ感想を抱く様では情けない。 かと言って布施明のマイウェイを聴かされるのも何ともはや。
 と文句を付けながらもゆく年来る年の除夜の鐘を聴きながら年が明けました。 今年も一年有り難う御座いました。来年も宜しくお願い致します。
12月29日(水)-30日(木) 「東海地方の下痢」
 年中行事の名古屋行、今年は年末に。名古屋ヒルトンH王朝で中華を食すが、 祐ちゃん、実にベビーフード2パックに加え、えびせん4枚、鱶鰭スープを 薄めたもの、蒸し魚、焼売、マンゴプリン、更に帰ってからみかんと 留まるところを知らぬ食欲。ところが明け方激しい下痢で叩き起こされる。 御免なさい。明らかにあげ過ぎでした。やむを得ず定番の墓参も取り止め待機 するも、機嫌良く走り回っては俄に腹痛あり下痢でお襁褓替え号泣、の 繰り返し。手術以来お襁褓替えに恐怖感がある様で、泣き声に拍車が掛かる。 帰りの新幹線では何とか寝て呉れたが、降りる間際に再度下痢あり 結局その足で病院へ。偶々体温が高く風邪と診断されたが 明らかに食い過ぎだろう。寝たり起きたりで帰って風呂でも号泣。ごめんね。

 ところで今回は切符を取るのが遅れたため行きがグリーンになって仕舞った。 スペースも広いので乳母車も楽勝、と思いきや足置きが邪魔でギリギリしか 入らない。一方で帰りは普通の折角号車一番前を取ったのに、今度は テーブルが据付で同じ羽目に陥る。結論、新幹線は列車の系数を確認してから 取りましょう。
12月28日(火) 「〆ましてさようなら」
 今日で会社も終わり。正確には何故か明日まであるが休むので本日が仕事収め。 例年年末は大掃除だが今年は異動のため溜まった資料を捨てまくる。
 12月8日に「内示」というものを貰う。これが事実上の決定通知でメーカーとはいえ この会社は人事がやけに早い。考えてみたら異動するのは2回目だが前回の 「内示」の記憶がないなと思ったら、4年前は痔の手術入院中だったことを想い出した。 尻を治してはや4年、時の経つのは早いものだ。 その上で最終日に「辞令」が渡され元旦付で異動となる。正月に異動というのも珍しく 御目出度い話だ。
 別にまだ会社を辞める訳ではないのだが、机を片付けていると何となく 感慨が湧いてくる。ということで行って参ります!。自民党総研へ。
12月26日(日) 「賀状地獄」
 昨日今日と空いた時間を見付けては賀状書に励む。 年々増えて今年は500枚を超えた。こうなると印刷にも丸一日半掛かったが、 コメントを添えるのも楽ではない。元来筆圧が強い方なので夜には 親指と中指が久方振りに豆になって仕舞って氷で冷やしながら書き続ける。 がまだ終わらない。余り早く投函すると「ご無沙汰しております」と書いた人に 限ってその後会ってまぬけな文面になったりするし、難しいところ。 機械の様に腕を動かし何とか先が見えてきた。
12月24日(金) 「復活の聖夜」
 帰ると祐ちゃんが笑顔で迎えて呉れる。昨日昼に強引に妻を外出させ 号泣する祐旭を抱き上げ唄ってあやし続けたのが功を奏したか、 或いは単純に時間を経て慣れてきたか、風呂にも従来通り二人で入ることが 出来た。まだ眠くなったり機嫌が悪くなると お母さんを捜して泣いては仕舞うが、お父さん復権への歩みか。 メリークリスマス!

 「福岡ソフトバンクホークス」が正式に誕生。六文字かつ省略の出来ない 親会社名は史上最長ではないか。片仮名表記でも四文字迄なら半角表記で 支障ないが、やむを得ず「福岡」表記とするメディアも出てくるのではないか。
12月22日(水) 「年の瀬」
 昨日から丸一日半を掛け関係各所にカレンダーを配りながら年末の挨拶周り。 ワゴン車にダンボール一杯詰めて永田町近辺を練り歩く。 こういう作業をしていると"サービス業"であることを痛感する。
 今日で夜終了、鳴呼長かった。先週から飲んでばかりで昼に何してたか さっぱり覚えていない、というのは言い過ぎだが、 年の瀬にも拘わらず何かと忙しかった割には仕事が終わってないのは 困りもの。
12月20日(月) 「金日融投手」
 本日から再び昼含め四連荘で今年の夜日程は概ね終了。 帰宅3時と遅くなったが赤坂で元巨人・新浦投手と握手して戴くという 光栄に恵まれる。新浦氏流石に巨大だ。現役時代から糖尿病を患っておられたが 酒は普通に飲んでおられる様だ。
12月18日(土)-19日(日) 「嗚呼哀しきお父さん」
 麻雀を早めに切り上げ妻の実家へ。手術後一週間、父も怒涛の夜だったので 妻の実家に滞在し続けた妻子を連れてわが家に帰る。
 ところが祐ちゃん、すっかり甘えん坊というか恐がりさんになって仕舞って、 お母さんの顔が一瞬でも見えなくなると号泣、お父さんが抱き上げても号泣。 落ち着くとお父さんとも一寸は遊んで呉れる(泣)のだが、 すぐお母さんの方に泣きながら走って行って仕舞う。
 元気な様に見えて手術の精神的負担というのは幼児には大きかったということか。 或いは所謂「後追い」の時期に丁度入院が重なって 過剰になったのか。とくに「父が嫌い」という訳ではないのだろうが、 お父さんにとっては哀しい反応で呆然として仕舞った。 時間を掛けてリハビリだと思って接していくほかないか。
 祐ちゃんお父さん思い出してね。またいっぱい遊ぼうね。
12月17日(金) 「嘔吐王」
 昨日で仕事の5連荘(昼含)は終わり今日は来年八月の幹事を引き受けた会合の 打ち合わせ会。この忙しい時期に入れたのは失敗だった様で早めに失礼したにも拘らず、 空腹に麦酒ばかり飲み過ぎて仕舞い、何処か判らない場所からTAXIで帰る羽目に。 恐らく有楽町線を終点まで載り越して埼玉の何処かだったのだろう。 TAXIを降りた瞬間に嘔吐。今週三度目、但し前2回は自覚的に店のトイレで吐いて 後も飲み続けたが。
12月15日(水) 「暇乞い」
 昨日1時半に帰ってきて今日は6時に起きて大手町へ。 4年前までは毎日の如く通った経団連会館も今となっては懐かしい、 と感慨に浸る。企業人政治フォーラム臨時総会後の講演、 嗚呼自民党シンクタンク設立構想、感慨に浸ってばかりいられなくなった。

 決着の見えぬ岩隈移籍問題で小池パ・リーグ会長が、1年間暫定オリックス残留との 異例の「要望」。余りにも足して2で割るの裁定に過ぎないか。
12月13日(月) 「ここはヨコヅナ」
 本日の夜は両国の「吉葉」にて。第43代横綱吉葉山による現役時代からの 吉葉山道場、引退後は宮城野部屋となった実際の土俵を含む建物が ちゃんこ懐石店となっており、幸運にも青房下に座らせて戴いた。 更に幸運なことに相撲甚句の御披露もあり感激。 ちなみに地名は横網。"ヨコアミ"であって"ヨコヅナ"ではない。
12月12日(日) 「怒涛の宴席群」
 YMOコピーバンド「中国男」の練習。5月の第一回公演後、 メンバー全員が揃ったのが7月に続き2度目という苦しい状況だが、 来春の第二回かつ本格公演を目指し来年も頑張りましょうということで 練習後に忘年会。ここから怒涛の年末宴席が始まり、 職務・個人計9本、一日置いて職務で三連荘と続く。
 16時から3時間飲んで渋谷に移動して本日の2本目。 加在住の学生時代の友人が来日したので氏を囲んで忘年会。 学生時代の友人と政策論議をしていると、 往々にして私が守旧派の役回りになって仕舞う、 政府乃至は与党としてどの様な政策が現に提示出来るか という観点からみれば"守旧"になって仕舞うのも やむを得ない面はあろうが、選択肢を端から思考の枠外に置くのは 宜しくない、と反省した。来年は"改革派"に転向しよう(笑)、 と言うか例えば会社の中だと同じ思想でも充分改革派なところが 恐いと言えば恐いが。
12月11日(土) 「大きいことはいいことだ」
 本日は自分の病院行なので妻の実家からそのままと思いきや診察券を 忘れて早朝家に帰る羽目になった。その途上見掛けたのが右写真。 「盲導馬」「介助馬」とタイトルが打たれ募金箱が設置されている。 確かに犬でなければならぬという道理はないが、馬である。 一緒にバスや電車に乗ったりというのは難しそうだし、家に 人参も用意しなければならない。馬を仕立てるよりは従来の盲導犬に 予算を増やした方が合理的ではないだろうか。

 妻子は妻の実家に預けたまま家に戻って終日賀状印刷に費やす。 今年は遂に五百枚を超えて仕舞い、古いPCなので25枚位印刷すると すぐ止まって再起動しなければならないので一苦労。 で一人だと妙に寂しいので衝動的にCDを何枚か、新品・中古併せて 買って来た。
 思い付いた様に"テクノ"と称されるものを適当に漁る。 "YMOの申し子"等と宣伝文句が謳われているが、この手のモノは 大音響で踊ったりすると気持ちいいのかも知れないが、そういう聴き方を する機会もないので大抵の場合一度聴いたらオクラ入りである。 最近はリズムが愈々複雑化しているので、90年代前半の方がまだ 聴き易い、とありきたりな感想になって仕舞いました。
 嘗て桑田佳祐がクワタバンドを始めてサザンが活動休止になった際、 メンバー各人がソロアルバムを作成したことがあった。中でもベースの 関口氏は確かご実家が蒲団店だった関係で「蒲団屋へようこそ」 等というふざけた曲の入ったアルバムを出し、"サザンの名を借りた詐欺" などと言われていたが、中古CD店で思わず目に付いたので買って仕舞った。 正しくは「フトンへようこそ」だったが、印象は変わらず。
12月10日(金) 「進化する睾丸」
 火曜日に入院した祐旭が無事退院した。低留睾丸、平たく言えば 金玉が片方体内に残ったままという状態は生まれて間もない男児には多く、 生後自然に陰嚢内に降りてくるケースも多いが、 高い位置に留まったままの場合は手術を要する。 爆笑問題の田中氏ではないが、要は金玉がふたつあるのはバッファーな訳だから 致命的な病ではないが、ふたつあるに越したことがないのも事実。 そこで生後1年と1月を経て手術と相成った。 前週に風邪で高熱を出し実現が危ぶまれたが何とかクリアし、 昨日約1時間半の手術が行われたかと思うと、本日にはもう退院である。 子供の快復力というのは凄いもので既に元気に歩き回ってる。 しかし起きたらいきなり金玉が増えていて祐旭もさぞや吃驚しただろうか。

 7日から病院に通いお父さんだった私も今日は会社を休んで 退院後当面待機する妻の実家へ。途上、気が向いて 久々に阿佐谷ゴルフグリーンガーデン練習場に赴いてみたら見事に マンション建設中だった。確かにここ1年程音沙汰なかったが、 大学時代にも友人と訪れた僅か20ヤード程のひっそりとした練習場が 消えて仕舞ったのは寂しいもの。芝や日テレといった大規模練習場も ここ数年で消滅し、ゴルフ練習場経営も土地利用の有効形態とは 言えなくなったということか。因みに浜田山のハイランドセンターは 今を時めく丸山プロのコーチとしてTVでもお馴染みの 内藤雄士氏の実家にして一帯の大地主らしく、当面は安泰だろうが。 (右写真は在りし日の阿佐谷GGG内)
12月9日(木) 「モヤシっ子」
 どうも本日はツキに欠ける一日だった。一例を挙げれば、 昼は醤油ラーメンにも拘らずモヤシが入っていて閉口。 夜は味噌なので注意深く写真映像を眺めたがモヤシは確認されないため 委ねたら、叉焼の陰から現われた。確認して抜いて貰う様頼まなかった方が 悪いのだが。
 ラーメンに葱が入ってて一緒に食って仕舞っても大過ないが、 モヤシだけはどうしても駄目と言うと、モヤシは味がないではないか と返されるが、とても信じられない。 出汁にはモヤシのエキスが入っていた方が矢張り旨い気がするのだが、 モロに本体から味が染み出してくると耐えられない。 困ったものだ。

 横田めぐみ氏の遺骨とされた骨が別人のものと判明し、 対北経済制裁論が高まっている。国交回復まで持ち込みたい 小泉首相としては苦しいところだが、実際のところ わが国単品で経済制裁に踏み切っても、飲瘤は下げられるだろうが 実際の経済効果は小さいし、却って海賊の類が増え盗人猛々しさが増す可能性もある。 真綿で首を絞める様な対策はないものか。IBMを中国に取られる方が脅威という話もあるが。
12月8日(水) 「頭の体操」
 昨日は勉強会で遅くなったが、頭の体操になって楽しかった。 「都市と地方」論議において、 最終的には地域中核都市に収斂される=地域格差の容認、の方向に進まざるを得ないが 政治(政権政党)がそれを明示的に提示することは出来ない、という点で意見が一致。 ではその過程を民主党に委ねてみるというのはどうか。 政権与党が提示しにくいことを反対党が示し、政権を取ることで 固定した「国土の均衡ある発展」からの脱却を図る。 勿論、都市対地方の構図は望ましくないから早晩再度政権が替わった際に、 揺り戻しによってその対立を緩和しながら、緩やかに国民の心情も変化していく、 政権交替の意義というのはそういうものだろう。 明らかに反対党が長期政権を担うだけの器量に欠けているのならば、 政権交替の実験を試みるのも第一党の度量ではあろう。 残念ながら93年の記憶が生々し過ぎるので安易には踏み切れないだろうが。

 今週は夜帰っても一人なので届いた教授の6枚組DVDを飛ばし見して仕舞った。 初期の前衛的な映像作品は予想通り二度と見ないだろうという代物だが、 80年代半ばのライブは、撮影の稚拙さこそ目に付くが、矢張りいい。
 この後、徐々にライブも生演奏が減っていき、バンド形態から弦楽トリオを経て ピアニスト坂本に昇華して仕舞う。教授が最も「肉体性」を発揮していた、 古き良き日の記憶か。
12月7日(火) 「O型は大らかか」
 「B・ディラン氏、限界を告白=『初期の歌は魔法を使って書かれたみたい』『今はもうできない』」 天才的と称される芸術家たればこそ、避けることの出来ない「才能の枯渇」について ディラン氏が率直に語ったという記事を見た。
 「魔法の様に」と表現されたが如く、メロディーメーカーと言われた人はおしなべて 丸で日常の動作のひとつであるかの如くスラスラと楽曲が浮かぶ時期があり、 その楽曲が好評を博したが故に、新たな方向性に転じようと試みても ファンは過去の名曲を追い求め、結果不本意ながらその縮小再生産を安易に続けざるを得ない というジレンマに直面しているに違いない。恐らくP.マッカートニーや 桑田佳祐もまたそうであるが如く。

 私も妻もA型なのでてっきりAに違いないと思い込んでいた祐旭の血液型が何とOと判明。 妻は母がOなのでAOだが、詰まり私もAOだったということ。母方の祖父がOだから 間尺は合っているが、我々夫婦からO型の子供が生まれる確率がまず4分の1で、 更に私がAOになる確率がと辿っていっても正確には判明しないだろうが、 可成りの低い確率であることは間違いない。血液型占いなど全然信じない筈なのに、 だから祐旭は笑顔の多い大らかな子なのか、などとふいに納得したりして。
12月4日(土) 「壊滅」
 年に2回の会社のコンペ。スタートホールでロングティー切れが発覚し慌てて短いティーで 打ったらOB、の躓くと後は坂を転げ落ちる様に壊滅の一里塚。 後半もショートホールでパーを拾ったが二桁×2で撃沈。 初心者時代に戻って仕舞ったが如くドライバーが全く当たらない。 練習不足が祟っているのか、そもそも安定してきたと思ったのが間違い だったのか。
今年はこれで打ち止め。もう使い古され果てた台詞だが「来年出直します」。
12月2日(木) 「お久し振りね」
 風邪の祐旭が4日振りに風呂に入る。 3日も風呂に入らなくとも髪がパサついたり、体が痒くなったりしないところが 幼児は偉大だ。

コラム堀内一三 04/11

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