1月31日(月) 「平日ゴルフ」
金土日と体力を削った挙句、月曜は4時半起床でゴルフ。
平日にゴルフとは何と優雅と驚く莫れ。
俗に「金帰火来」と言われる様に、国会議員は金曜午後に地元に帰って
支持者と接し、火曜朝に東京に戻ってきて
本来の職責である国会活動に勤しむというのが生活パターン。
それを見越して月曜は党の会合も極まれで、
従って秘書や党職員の方々は比較的時間に余裕があるし、
先生方も東京に張り付く必要がないので、地方視察であるとか
一日仕事になるものは月曜を宛てることが多い。
とここまで説明してお判りかも知れないが、
旨く日程の隙を付けばゴルフに転用することも可能ということで、
月曜にゴルフを行う慣例が永田町界隈には存在する
(正しくは"存在した"というべきで、未だにその習慣が残っているのは
わが職場だけかも知れない)。
スコアは可もなく不可もなくだったが、ショットが従前より安定し、
パー3で大きく左に引っ掛けたのが土手に跳ね返って
いきなりベタピンという幸運もあり、久々に一定の満足が得られた
ゴルフになった。
忙しかったのはここからで、夜にほぼ同一メンバーで私と前任者の
歓送迎会が企画されており、ゴルフ後なので平服でいいのだろうと
気軽に考えていたら、朝揃った瞬間皆スーツ姿。
今更「スーツでないと駄目ですか」と聞くのも間抜けで、
慌て妻の実家に電話してスーツを借りる算段を付け、
何とか歓送迎会に馳せ参じた。教訓、事前に確認しましょう。
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1月29日(土)-30日(日) 「魁皇の心境」
今週は火曜以外毎日夜が入り、しかも終了が遅かったが
金曜は高校時代の友人との飲み会。うち主賓が最終で名古屋に帰る予定だったのが
飲んでる内に結局遣り過ごし、3時過までカラオケに。
体力的には非常に辛かったが楽しかった。
して本日から二日間は恒例の麻雀旅行。3時半に帰ってすぐ寝て
朝シャワーを浴びて飛び出て熱川温泉へ。
前回絶不調で本「囲卓の会」の常任理事会議長職を辞任せざるを得なくなったため
今回に期していたところ開幕から好調で首位に立つも
実力派の二氏に逆転され危うし。
今回「優勝またはそれに準ずる成績」を条件に議長職復帰とされたいたので、
果て僅差の2位なら"準ずる"なのか、果た又三つ巴でも三位なら
矢張り駄目かなど、恰も「12勝で横綱昇進か」の是非が問われた
魁皇の心境が少しは判った様な気がしたり。
結局後半大崩れはせず、上位二氏がご配慮なのか(?)
飛んで呉れたりして前半の貯金に頼っての優勝と相成った。
ありがとうございます。昨日に続き4時間弱しか寝てないので
体力を消耗したため事後の熱川見学はパスして新幹線で早々に帰宅、
21時就寝す。
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1月25日(火) 「皆様のエビ様」
海老沢NHK会長が遂に辞任。
このところ醜聞に見舞われているNHKだが、
民放各局と比較するのが失礼な程、
こと"報道"の側面では人的・物的資源が豊富に投下されているに見合うだけの
評価に値することは間違いない。
嘗ての島ゲジ商業路線や政商エビジョンイル氏の評価を縷々述べる程の
材料は持ち合わせていないが、NHKには
新聞各紙・系列民放各局が
とくにTVは放送法に基づいているためやむを得ないのではあるが、
好悪を別にして一定の思想傾向を有しているにも拘わらず、
不偏中立を標榜しているのに対し、
公共放送として
国益に沿った報道を為す機関であることを今後とも望みたい。
所謂"政治圧力"問題は、勿論それが明確に圧力として行われるのならば
問題に他ならないが、国家国益に大きな影響を及ぼす可能性がある案件につき
政府与党はじめ関係者の意見を聴取することは
何等間違った行為ではないし、それは民放においても同じである。
意見を聴取した上で事実を曲げることなくどう斟酌するかという点に、
NHKの報道機関としての力量が問われるということではないか。
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1月23日(日) 「遊戯王」
妻が所要外出のため昼から祐旭と二人きり。
昼食後、30分近く掛けて腰を痛めながらも抱きかかえて揺らし続け、
漸く寝て呉れたかと思いきや、30分少々で起きて仕舞う。
しかも眠い時に目が覚めて仕舞うと号泣が治まらず再度寝て呉れない。
やむを得ず起こして「でこぼこフレンズ」DVDで機嫌を取る。
以降は積み木、絵本、スイッチ遊び(家中の電灯スイッチを押しまくる。
抱き上げることを要求されるためこれも体力を消耗)、
友人から以前戴いた木の三輪車、更にくすぐり遊びと
次から次へと遊戯に明け暮れる。
楽しいけどお父さん疲れましゅ。昼寝が短いと
夜は早く寝るが今度は夜中に起きて仕舞い妻が負担増。難しい。
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1月21日(金) 「第三第一種空港」
完成迄一月を切った中部国際空港視察アテンド。
前日夕に名古屋入りし、朝から名古屋鉄道にて常滑へ。
営業運転目前に柵一本で関係者専用扱いとされている空港専用線
(写真右側)に
乗り換え空港へ。名古屋駅から開港後の直通特急なら最速28分で、
駅に付くと国際・国内便、出入国ともそのまま段差なしで
飛行機まで進める短時間、かつバリアフリーのアクセスが
この空港の最大の売りになっている。
ここを訪れるのも早三度目。昨年は空港島の最南端に仮設置した
物見櫓から全景を一望したが、勿論今は完成した建家を巡ることが
出来る。関空の教訓を活かした徹底したコストダウン話は
今回も随所で説明の触りに述べられていたが、羽田の発着枠が増え
中部−羽田便が出来れば、関空同様の国内ハブ空港としての
役割も期待出来る(写真は見学客も滞在出来る1階スペース)。
常滑市は陶器の街を標榜しているが、寧ろ常滑競艇で有名で
歓楽街が栄えているかと思いきや、空港側こそ再開発途上ながら
旧市街と思しき方面は見事に何もない。現在ほぼ唯一の
昼食は商用用途利用可の常滑観光ホテルを勧められたが、
大型バスでは入れない程入り組んだ途上にある場末の宿の趣きだった。
この後、愛・地球博会場へと向かう一行と別れ、私は
名古屋駅で待機する。今年はこの万博/空港、更にはこれに
会社の工場等を結び付けた視察モノは数限りなく行われるだろう。
幸い今回も会社時代の継続案件で、"自民党総研"としては
多くはなかろうが、既に数本控えており先が思いやられる。
夕刻一行を迎え、東京に帰還。その足で知人の送別会へと向かった。
今週後半から新年会、歓送迎会等、年末に積み残した案件が
嵩み、夜だけハードな日々が再来する。
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1月18日(火) 「新高輪プリンス」
党大会。今年は立党50周年で憲法改正を実現に移していく年なので
例年より派手で最期にはクス玉が割れて風船が飛んだりする。
講演の中山前特別参与、
「北朝鮮は日本の世論等反応を読み間違えた。その読み間違えが
日本からの情報に基づいているのだとしたら、即ち日本から間違った
情報を提供している方がいるのだとしたら」という下りは胸を打つ。
五輪銀メダリスト山本博氏の「中年の星」話も面白し。
会場は北白川宮邸跡地、新高輪プリンスホテル・国際館パミール。
嘗て何故か慶大の卒業園遊会に赴いた
のがここでは無かったか。サークル等一団体当たりの闖入者を絞るため
整理券を配るホテル職員を押しのけ、恰も映画「タイタニック」の
三等客船の乗客の如くに乱入していった光景が想い出される。
園遊会の後、数日間はホテル中酒の臭いが取れず営業にならないと聞いた。
或いは、会社の広報部時代、現・日本経団連会長の今は亡き日経連会長
就任マスコミ各社インタビューを行ったのもここだった。
懐かしい限り。
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1月17日(月) 「朝」
明日の党大会を前に年末年始の"田の草取り"に勤しんでおられた先生方も
上京して来られ、徐々に党本部も賑やかになってくる。
明日からは党の各「部会」も始まり、当面は通常国会提出法案の審議が
続くので朝も早くなるが、これまでは早朝に来ても
如何とも何も出来ないので同僚各位も皆出勤は遅め。
私は広報部時代に4年間朝7:30出勤を続けてからどうも朝遅く会社に行くことに
根拠の無い罪悪感を覚える性癖が付いているので、
年明けからは自然と朝鍵を開ける係になっている。
原則として、何もなくとも朝は8:30過迄には出勤し、
朝を有意義に使う生活スタイルを今後とも維持したい。
渉外部の4年間は朝から外出で新聞各紙に目を通すという基本事項を
為し得ない生活になっていたので、
先ずは新聞比較の感を取り戻すことから始めよう。
そして国防から農林まで、道路や社会保障、金融から果ては
中山間対策、恩給制度に至るまで、時間的に出れる部会・調査会は
全て出てみよう。
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1月16日(日) 「私小説」
辻井喬こと堤清ニ氏の「父の肖像」読了。
米国留学中の友人から「読んでたら感想を教えてほしい」と聞かれたのを
契機に読み始めたが、堤康次郎氏並びに西武は、政治・財界・都市文化・野球と
私の嗜好のうち四つも要素を満たしており、機会があれば読みたいと
思っていたので丁度良いきっかけだった。
前半はこれまで余り描かれることのなかった乗っ取り屋"ピストル堤"でない
康次郎氏の政治家としての側面を中心に生い立ちから描いており
この点は興味深い。しかし全体を貫くのは清ニ氏の実母が一体誰であるのか
という「母親探し」の物語であり、更に後半、戦後の部分に進むに連れ
主人公である康次郎氏は狂言回しとも言うべきの地位に下がり、
筆者・清二氏と康次郎氏の関わりを主に、本人が書いているのだからやむを得ないとはいえ、
自慢話を暗いトーンで聴かされるという風情で、
本書では愚鈍以外の何者でもなく描かれている義明氏程ではなかったかも知れないが、
ご本人も相当にエキセントリックかつワンマンで、結局はセゾン・グループを
投げ出して隠遁・文筆生活に入って仕舞った御仁の筆と思うと複雑な感がある。
更に言えば、何処迄が事実で何処からが想像の産物なのか。
多くの登場人物達は康次郎氏の死後如何なる人生を歩んだのか、
など「堤康次郎」の伝記の積もりで読むと欲求不満が残ることになる。
私がノンフィクションものばかりしか読まず、小説とみに私小説が
好みでないが故に余計にそう感じるのかも知れないが。
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1月15日(土) 「降雪中止」
仕事でゴルフの予定で5時起床、勇躍クラブを担いで待ち合わせの
吉祥寺へ向かう途中で携帯電話が震える。この程度の小雨なら当然決行
だろうと思いきや、「降雪中止」の報。埼玉の丘陵地という会場の地理を
忘れていた。やむを得ずそのまま引き換えす。
ゴルフが中止になったのは生まれて初めてで、朝6時に暇になった
一日の長さを堪能、明日の「中国男」練習前の練習、
更に髪切と時間を有意義に配分出来た。
昼には妻子が実家から帰ってきて、祐旭の生まれて2度目の散発に。
昨年初めて高島屋で切った時には極端に短くなって"若きパンクス"化
していたが、今度はさっぱり感溢れる程度に。
妻が抱きかかえて臨んでもどうにも嫌がっていたが、
偶々髪結いに訪れた妙齢の女性があやして呉れてからはそちらに注目が
移って無事完了。有難う御座いました。
午前に1時間、午後に1時間半のサイクルだった祐旭の昼寝だが、
このところ昼食後に単一化する作戦を進めており、この日も午前は
寝なかったので、自身の髪結いに臨む妻を置いて二人で帰ると着替えも
そこそこに祐旭はもう眠りたい一心でしがみ付いてくる。
で無事寝かし付けてお父さんは賀状をファイルに収めて、
一連の賀状整理が漸く終了。出したのが約500枚で来るのは8掛け強だろうと
見込んでいたが、喪中葉書もあるので480枚所蔵のファイルがほぼ一杯に。
諸事進展したが流石に夜は猛烈な眠気が襲ってきました。
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1月13日(木) 「観劇」
国会が近づくと通常国会提出法案の報道が相次ぐ。
今日も教育基本法改正案がデカデカと掲載されていた。
このところ掲示板で教育談義が
各人の主張が微妙に噛み合ったり噛み合わなかったりしながら続いていたが、
戦後の過剰な平等主義を改めるにはよい機会だろう。
一方で、情操・道徳教育にも触れているが、現実に"宗教教育"の存在に欠ける
わが国において、「公」の観念をどう再構築していくかというのは、
基本法に何某かを謳った上で課題として残ろう。
更には歴史認識の問題か。
夜は妻と観劇。東急文化村にて野田秀樹の初期作品「走れメルス」の再演。
妻が好きなので野田氏の作品は何本か一緒に見たが、
芝居を見ること自体実に4年振りになる。とくに若い頃の野田氏の作品は、
全編言葉遊びで科白を追いかけるだけで少々疲労。話の筋は判った様な
判らない様で、そもそも判る様に作っていないのだろう。
ただ少なくともこの作品を書いた頃の野田氏が恐ろしく頭の回転が速かった
のだろうということはよく判った。恐らくは次から次へと言葉が浮かんできて
抽象画を書き上げるが如くに作品が生まれていったのではないか。
氏の作品も昨今は主題がはっきりと、私の好みとは正反対だが
演劇の大半がそうである様に、左掛かった内容になっているが、
言葉遊びと笑いと、朧気ながらストーリーの辻褄が合った気になれる
中期の作品が個人的にはお奨め。しかし野田氏も50歳に近くなり、
綺羅星の如く言葉が浮かんできた時代は既に彼の中から去って仕舞ったのだろう。
縦横無尽に舞台を走り回る「役者」としてはまだまだ現役であると
安堵したが。
追記−パンフレットを読んでみたら、丁度上に述べた様なことが
野田氏自身の言葉として語られていて、矢張り桑田圭祐氏らと同様に
氏も「書くことを求められ書かねばならない自分と、書けなくなった自分」の
ギャップを認識していることが判って更に安心した。
勿論、その言葉の末尾は「まだまだ走り続けます」の類で締めてあるのは
パンフレットという性質上当然なのだが。
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1月12日(水) 「Thank you,baby」
バンドのメンバーから薦められたゴダイゴのアルバム「西遊記」収録の
「Thank you,baby」という曲を聴く。ゴダイゴは
ミッキー吉野のキーボードアレンジと、タケカワユキヒデの
少々洋楽に被れた様なメロディーメーカー振りが相まって、
同時期の歌謡曲にテクノポップのキッチュさに一部郷愁は覚えはするものの、
どうしても古臭さが拭えない中で、今現在耳にしても違和感のない、
70年代後半当時としては驚異的な音楽水準を有していたバンドだった。
敢えて「有していた」というのは復活したゴダイゴが、薬の成果かは
いざ知らぬがミッキーの容貌が一変していたのみならず、
タケカワが全く唄えなくなっていたがために、矢張りあの独特の、
カップス以来の伝統を何処となく継承した様な、英語訛りの日本語ボーカルの
声にゴダイゴの最大の特色があったということが判明したからであるが。
して「Thank you,baby」だが、確かにいい曲には違いないが、
U氏、H氏が声を揃えて掲げる程には感銘を受けぬ。
但しそれは先にも述べた様にゴダイゴの音楽性が古色蒼然たるから
ではなく、多くの音楽に慣れ過ぎて仕舞ったが故ではないか。
恐らく圧倒的に情報の蓄積の少なかった当時聴いていれば、
果てしない感銘を受け、今再びこの曲を耳にした際、往時の感銘が
甦るに違いない。YMOという存在も、我々の世代にはそうした
記憶とともに在るものなのかも知れぬ。
自衛隊の海外派遣恒久法が漸く来年国会上程へ。現行のPKO法案も
包含するという。今は亡き日本社会党が牛歩、更には全議員辞職という
時代錯誤の戦術を駆使してから間もなく15年、時代は少しずつ
良い方向に向かっているという安堵感が沸く。
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1月11日(火) 「三度初詣」
基本的に国会が開く迄は党の部会もなく仕事は暇。
そこで昼に高円寺氷川神社、馬橋稲荷についで本年三度目の初詣に
山王日枝神社に赴く。永田町に勤める者として、また息子のお宮参りに
参拝させて戴いた者として、ここに参らずには居られまい。
平日の昼というのに人が多い。党本部からベルビー赤坂を経て参堂を登り、
グルっと帰ってくると結構足が疲れた。
と戻ってくると午後は俄かに忙しくなって仕舞った。
会社の職責から継続して出向しているので出向先で会社側の仕事を
せざるを得ない事態も生ずるのだが、手元不如意だし、
会社経由で手配しなければならない事柄も多いので仲々進まず困りもの。
夜の席を終え赤坂見附から丸の内線に乗ろうとしてふと定期券を
挿入してみると無事通過!。永田町と赤坂見附は同一駅扱いだったことに
気付く。実は南北線溜池山王迄購入しているので、
矢張り同一駅である国会議事堂前でも乗降出来るということか。
僥倖に慄く。
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1月10日(祝) 「新成人」
賀状整理が漸く終結。私は「粥川善洋」なのだが、
20枚以上宛名が「粥川喜洋」にものが存在した。
恐らく"よし"には善よりも喜を宛てることが多いこと、
崩して書くと何方も似ていることから間違えられることがあるのは判るが、
一度誤って登録されると変更される機会がないということだろう。
余談だが以前「粥川善平」になっていることもあった。
"善悪の善に太平洋の洋です"と説明したためだろうが、
それは太平洋の"平"です。
中野サンプラザの前を通ったら新成人で溢れていた。
一連の成人式の狼藉も警備が大仰になったためか今年は総じて
一段落した模様。
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1月9日(日) 「振り初め」
一昨日夜妻の実家から車を借り、昨日は浜田山に練習へ。
すぐ後で反町隆史氏がレッスンを受けパンチショットを繰り返している。
流石に芸能人で巧そうな姿を観察した後、夜には一家で妻の実家入りし宿泊。
本日は祐旭を預けて夫婦で早朝発市原へ。と満を持して臨んだ割に、
今年最初のゴルフも散々な成績に終わった。
但しアプローチとパットがとくに悪く、ショットに改善が見られたのが
今後に光明か。何時も遠くに光明が射すばかりで一向に光輝かないのだが。
四夫妻合同で内三夫妻が妻の実家に子供を預けて到来。
持つべきものは近隣に住む親の存在と改めて得心し合う。
帰ってヨイショっと炬燵から立とうとしたら右足に軽い肉離れを
生じて仕舞った。技術よりも先ずは体力か。
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1月7日(金) 「混雑」
出向して先ず変わるのが出勤経路。黄色い総武緩行線一本で飯田橋迄
向かっていたのが、中央快速四谷乗換南北線永田町となる。
実はこれまでも朝一番で永田町に向かうことは数多くあったから
大差ない様だが、永田町直行は7時台、会社に行く時は8時頃がパターン
だったので、改めて8時過の中央線の混雑振りに圧倒される。
とくに混雑の激しい中野〜新宿、新宿〜四谷間に的中しているので苦しい。
折角空いている総武線も三鷹以西の複々線化による延伸が実現すると
混雑が激しくなるのではと恐れていたが、現金なもので常時中央快速に
乗る身分になると、多少は総武線に回ってほしいと思うのは現金なもの。
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1月6日(木) 「仕事始め」
遂に本日より自由民主党総合政策研究所勤務が始まる。
と言ってもこれまで会社側の受け手をしていたので、計9社各1名の
メンバーとも顔見知りで、寄り合い所帯の中に単身放り込まれる様な
通常の出向に比べれば随分と気も楽。党本部5階の一室に
全員が背を向け壁に向かって座り、
中央には机とソファーが安置され新聞・雑誌が乱雑に並べられているのも
記者クラブの如し。
本日は小泉総裁が震災復興サミットで外遊中のため、
恒例の党新年会も今ひとつ盛り上がりに欠け早々に終了。
午後ミーティングが開催されたが、シンクタンクとして
如何なる案件が進行しているのか、雲を掴む様。ここも追々自然と把握されていく
という究極のOJTか。党内の主だった方々への挨拶も済ませ
いざ出陣だが、実質始動は先生方が皆地元から上がってくる通常国会
開会後か。先ずはゆるりと。
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1月5日(水) 「いないいないばぁ」
まだ新職場は開いていないので、新年早々の職責引継ぎのため会社へ。
昼には出て祐旭の本やDVDを買った後、
入院中の友人のお見舞いを経て帰宅。これにて冬休みは終了。
寒くて殆ど何処へも出掛けられず、
毎日本棚から絵本を出し捲る祐旭と読み捲るお父さんの日々だったが、
楽しく過ごせた。69年刊の「かみさまのおはなし」が見付からなかったので
簡易版の「にっぽんのかみさまのおはなし」も読む。
まだ読み聞かせるという段階には至っていないが、本を手にする
習慣が付くのは良いことではないか。
DVDは「でこぼこフレンズ」48本入りを購入。
「お母さんといっしょ」の30秒程の1コーナーだが、
これに限らずNHK教育の乳幼児向け番組は実によく出来ている。
「日本語で遊ぼう」など我々が見ても感心する程だが、
言葉の判らない内から"美しい日本語"の響きを取り込ませるというのは
よく出来た趣旨。海老沢会長は辞任される様だが、
矢張りTVは圧倒的にNHKだろう。
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1月4日(火) 「お父さんと一緒」
手術後、人見知り・後追いの激しくなって仕舞った祐旭くん、
今日は久々にお母さんがお買い物にお出掛けでお父さんと二人きり。
おかげ様で母を求めて三千里泣き叫ぶこともなく、
ここ数日が嘘の様な暖かさで公園を駆け巡っていた。
約5時間の二人切り。お父さん楽しかったでちゅ。
昨年夏に二人で大学時代の友人との会合に出掛け、
祐旭を寝かし付けている私の構図に頻りに賞賛を受け、
お父さんというものは一般的にそれ程何もしないと思われているものなのか、
と疑問に感じていたが、要は「母の姿が見えぬ」状況を
無事切り抜けられるか、ということだったのかと漸く得心した。
なお祐旭に破壊された眼鏡は復旧能わず、新調致しました。
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1月3日(祝) 「King Of BAIMEI」
愛知県1区選出、民主党・河村たかし衆院議員が4月の名古屋市長選出馬断念を発表。
流石、恰も古式床しいが如くの耳障りの悪い名古屋弁を意図的に操る河村氏である。
このまま議員を続けていても先の展望が開けぬならばここは負けても
市長選に打って出て今後知事でも目指すのかと思いきや、
お膝元の1区補選でも替え玉を通すことが出来ないと慌てふためいたか、
或いは端から純粋な売名目的だったか。
ここ迄徹底出来ればかえって美しい。
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1月1日(祝) 「明けまして」
明けまして御目出度ふ御座います。本年は建設的な"守旧派"として、
「変革の年」にしたい。
祐旭がまだ下痢気味のため馬橋稲荷への小型遠征は断念し、
高円寺氷川神社へ初詣。年末は賀状執筆地獄だったが、年初は毎度お馴染み
賀状確認地獄。年に一度の貴重な情報源として、一枚一枚住所録と
照らし合わせてチェックしないと来年から年賀状が出せなくなるのでこれも一苦労。
皆様本年もよろしくお願い申し上げます。
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