コラム堀内一三 05/5掲示板

4月30日(土) 「眼鏡屋の怪」
 1月に続いてまた眼鏡を作り直す羽目に。 そもそも柔なフレームにしたのが失敗で、また祐旭に破壊されて仕舞った。 そこでこの教訓を活かして黒縁にしてみたが、「変身中のモロボシ・ダン」 感は否めない。取り敢えず印度はこれで行って、 外用と家用を分けるなり今後は対策を練りましょう。
4月29日(祝) 「最後のみどりの日」
 バンドメンバーにして妻の高校時代の友人Hi氏が 公演CDを引取に来訪。ライン録り版の評価は総じて 「思ったより聞ける」で、直前のkb間のバランス・ チェックが効を奏したと言えよう。
 氏は知人から「この時期に"中国男"で"赤い人民服"とは」 と指摘されたとのことだが、中国男は公演でも演奏した「中国女」 から頂戴したもので、その「中国女」はゴダールの映画に由来しているし、 YMOが人民服を初期のコスチュームにしたのは、 西洋から見た誤解に基づく東洋イメージを自ら戯画として演ずるという、 細野晴臣氏のトロピカル三部作時代からのコンセプトを 判り易く具現化したものに他ならない。 敢えて卵をぶつけて貰うという演出もあったかも知れないが(笑)。
4月27日(水) 「印度の山奥で」
 黄金週間印度視察の航空券一式が到着。黄金週間にというのは ゲンナリするが、チケットを貰うと旅気分が沸いてくる。 ハードな日程だが、行くからには楽しくやりませう!
4月25日(月) 「黒い霧は晴れたか」
 池永元西鉄投手の「永久失格」処分が35年振りに解除された。 プロ野球の八百長、所謂"黒い霧"事件は西鉄、東映、中日から計6選手の 永久失格(=永久追放)という最悪の結果を招いたが、 一定期間の出場停止や戒告処分に留まった選手、 全く処分を免れた選手の中にも疑惑は潜んでいたのではないか。 そして中でも池永元投手は見せしめとして生贄にされたのではないか、 との指摘は絶えなかった。
 実際に、現金を預かったが行為として八百長には加担しなかったというのが 恐らく事実だったが、 事件に関する記述は、勿論処分者を、 改めて実名報道することの是非論は存在するが、 時を経る毎に驚くほど少なくなり、"黒い霧"そのものの記録と記憶を 葬り去るという意図が明らかで、 池永氏の復権を認めることが、パンドラの箱を開けることになるのではないか という恐れが、氏を不当な立場に長きに亘り貶めてきたのだろう。
 勿論、プロ入り5年で約百勝をマークした豪腕・池永投手が 帰ってくる訳ではないが、少なくとも処分が解除されたことは 喜ばしい。望むらくは氏の処分が本当に無実の罪なのか、 関係者の多くが故人となった今、改めての検証をお願いしたい。
4月24日(日) 「御目出度ふございます」
 妻の従妹が来訪、第二子生誕を前に 拙宅の既に置物と化していたベビーベッドを引き取っていく。 この際、祐旭には又従妹にあたる長女も到来されたが、 4月生まれで既に2歳になったとはいえ同学年にも拘らず、 既に二語で話している。流石に女性の成長は速い。

 統一補選投開票日。わざわざ集まって待機していると 早々21時過に当確。皆様お疲れ様でした。 自民が2勝したということからも、2敗の民主が 早期解散を望みにくい情勢になったことからも 政局は当面安定要素が高まったということだろう。
4月23日(土) 「音を焼くということ」
 昼は初めて高円寺東公園へ。寧ろ中央公園より広いが、 滑り台二脚を組み込んだジャングルジム風建造物の階段等が 少々急な造りで祐旭にはまだ一寸危ないかと思うが、 ここでも果敢に階段を登っていって仕舞うのでヒヤヒヤ。

 夜からは先週の中国男公演のCD作成に取り掛かる。 新兵器wave recorder R-1で録った700メガ程あるwaveファイルを 読み取るまでが一苦労だったが、メンバーのH氏が ラインで録った公式版MDを CD化して呉れているので、後はこれを再度読み取った上で、 MD入替時に一部切れている部分をR-1録音分から足して 再度CDにするだけで本来ならそれ程難儀な工程でもない。
 ところが音楽CDを焼くことに慣れていないため、 曲間を0秒にするのを忘れたり、ギリギリ迄オマケを詰め込もうとして パンクしたりと手間取った上に、そもそも7年前のPCに6年前の CD−RW機を後付けしているので、音楽CDは何と最大2倍速。 1枚焼くのに40分以上掛かり、更に最期の最期で「異常終了」したりと トラブルが相次ぎ、かつラベル作成ソフトが不安定で 写真を貼り替る度に再起動させなければならない始末。 結局翌24日も断続的に作業を続け、深夜に及んで仕舞った。
 しかしライン録りは矢張り音がいい。良かった良かった。
4月20日(水) 「世代の為せる業」
 党50周年記念事業の一環として行われている、歴代総裁・官房長官 リレー講演にて後藤田正晴氏が登場。話の中身は概ねよく聞く内容が多かったが、 事後に内輪で何故後藤田氏の思想に反戦色が強いかという話になって、 往時を知る方から伊東正義氏、村山達雄氏もそうだったと聞く。 実に懐かしい名前、と思って調べてみると二人とも後藤田氏とほぼ同世代。 これから判ることは、戦争或いは戦力に対する考え方は 矢張り戦争体験が大きく左右しているのであろうということ。 もうひとつは御年91歳で矍鑠と講演をされる後藤田氏が如何に長生きかということ。

 郵政の党内一任取り付けを受けて小泉首相一言。 「根比べだね。コンクラーベでなくて」。
4月19日(火) 「初官邸」
 初めて官邸に入る、と言っても別に総理と会談する訳ではないが、 某勉強会の報告書の官房長官への提出に同行。 私が作成に参画していないにも拘らず付いていったのは、 同じ様な先生方で現在少子化の勉強会を行っており、 少子化の前振りも紙一枚で行うとのことで、 その裏方として同席させて戴いた。流石に官邸は滅多に 入れないので殆ど物見由山。何時の日か自力でここに入りたいものである。 (注:総理になりたいと言っているのではありません)

 江川卓氏が社会人野球のサウザンリーフス市原投手コーチに就任。 企業チームであれ地域チームであれ、社会人野球が活性化することは 目出度いが、江川氏に思い入れの大きい私と しては巨人の監督として戻ってきて貰いたいところ。 借金返してもうユニフォームも可能な様だし、来年あたり如何でしょうか。
4月18日(月) 「水遊びなんてどう?」
 このところ土日に仕事もままあり、公演の翌日ということもあり休暇を取って 久々に一家で馬橋公園へ。この公園は滑り台の階段が急で、にも拘らず祐旭は 果敢に登っていって仕舞うので目が離せない。 今回は折角お砂場グッズも持っていったのに、どうも水遊びの方が お気に召した様で公園を走る小川に近付いて靴を濡らして、 抱き上げて砂場に戻すと号泣。お友達も来ていたが、 母親同士の交流に比べ、当人達は"各々に"楽しんでいる状態。 まだコミュニケーションは仲々取れない状態か、或いは 人見知りしているということか。引き上げる段になって 「バイバイ」もしないで相手が見えなくなってから手を振ってたりする。 意味ないでちゅよ。
4月17日(日) 「こなさん、みんにちは」
 YMOカヴァーバンド 中国男の第二回公演。 丁度仕事が忙しい上に出張もあり、 20-22時初台で前日練習、本日は9時集合で昼までリハと本番に辿り着くまでが長く、 かつ始まると音色・音量の切り替えとMCで忙しくて、とても客席を見ながら ノリノリで演奏、という余裕を持てなかったのが残念。
 しかしながら本来は当日でなく従前に済ませておくべきなのだが、 入念に音のバランス・チェックを行い、会場も昨年の第一回に比べて ランク・アップした甲斐もあり、演奏自体は聴感として向上していた模様で安堵す。 次回は単独公演でなく、ライブハウスのブッキングに入ることを前提に挑みたい。
 何はともあれお越し戴いた方々ありがとうございました。 演奏してる側が一番楽しんでました。これに懲りずまたお付き合い下さい。
4月15日(金) 「我々は強くならなければならない」
 国家間の関係とは所詮パワーバランスである。 日中国交回復が行われた際には国際舞台に完全復帰したばかりだった 中華人民共和国が現実に亜細亜の大国となり、しかしながら 国内に様々な矛盾を抱えているがためにその矛先として責め易い わが国をターゲットにしているに過ぎない。歴史認識等、国家・民族が 違えばその評価が180度反転するのは当然で、勝者の描いた歴史が 公式記録となるだけだ。
 従ってわが国は強くならなければならない。それは日米同盟とともに 軍事面、印度や露との関係強化も勿論だが、 まずは今回を奇禍として国内の、わが国を貶めることを生業とする マスコミを含む反国家分子を一掃することから始めなければならない。 獅子身中の虫を退治しなければ敵に対峙することは出来ない。
4月13日(水) 「南の土地から」
 無事福岡より帰還。 畢竟、選挙とは如何に多くの人と接触するか、その手段が 集会や街頭の動員であり、葉書・電話であり、 そしてその接触の中から如何に多数を参画意識までに 高めることが出来るか、ということなのだろうか。
 勉強になりました。後は必勝を祈念しております。
4月12日(火) 「球場遍路」
 福岡出張の合間をぬって平和台球場跡と福岡ドームを訪ねる。 92年までホークスの本拠地として利用され、 鴻濾館遺跡が発掘され取り壊しが決まったと報道されてから久しい 平和台球場だが、まだスタンドの一部が残っている。 しかし過日広島球場を訪ねた際にも感じたが、昔の球場は本当に 立地がいい。ここも市街地から目と鼻の先だ。
 一方福岡ドームは嘗て矢張り仕事で併設のホテルに宿泊した こともあったが何時もオフシーズンで中に入ったことはまだない。 残念ながら今回の出張の間にも試合はなかったが、 わざわざ地下鉄にて来訪。当たり前だが試合もないので 恐ろしく閑散としており、「行った」という事実のみで早々に退散した。
 なおこれにて私の球場遍歴は以下の通りとなった(韓国は除く)。
 ・野球観戦:東京ドーム、神宮、横浜、千葉マリン、西武、ナゴヤ
       [以下現存せず]後楽園、川崎、西宮
 ・入場のみ:広島、大阪(住宅展示場転向後)
 ・外観鑑賞のみ:福岡ドーム、西京極
 ・跡地探訪:上井草、東京球場、平和台
4月11日(月) 「甦るミラクル」
 タイガー3年振りのマスターズ制覇。最終日16番、グリーン外から強い傾斜を読み切り 明後日の方向に打って最期のひと転がり見事バーディーとは、 正に全盛時のウッズの神懸かったかの如き強さの復活の感。
4月10日(日) 「耳鳴り芳一」
 歌謡曲に疎くなったという話は再三述べているが、一旦判らなくなると 居住まいを正してCDTVを見るといった時間を費やすのが面倒になり、 加速度的に歌謡曲離れが進んでいく。
 従って移動時間を流用出来る飛行機の機内放送は貴重な機会なのだが、 僅か1時間強のフライトの間に嫌というほど放送が中断され腹が立つ。 重大なアナウンスが届かなかったら確かに困るだろうが、 単なる飲み物のご案内だったり、お土産の紹介だったりともう少し "快適な耳の旅"に配慮戴けないものだろうか。

 と言っていたら降りる頃には耳が猛烈に痛くなって閉口。 このところ飛行機に乗ると必ず耳が可笑しくなって降りてからも 下手をすると半日位欠伸し続けて漸く気圧が抜けるという事態で困りもの。 何か対策はないものだろうか。
4月9日(土) 「ねんね」
 久々に祐旭と二人で公園へ。すっかり一人で滑り台に登って降りて来れる様になっている。 しかも公園で寝ている人に近寄っては「ねんね」。 先日は病院で具合の悪そうな人にも「ねんね」と指摘して思わず苦笑されたとのこと。 「わんわん」「にゃんにゃん」「ぶぅぅ」「ぱぁー」(象)等の擬音に続き、 語彙も増え、常に訳の判らぬ言葉を吐き続ける。では間もなく喋れる様になるかと 思うとここから結構時間が掛かるらしい。何を以って「喋る」と規定するかという問題もあるが、 二語続く様になったら「喋った」ということか。楽しみ楽しみ。
4月8日(金) 「L判を600万で撮る三代目」
 海外視察を前に思い切って新デジタルカメラを購入した。前回も02年6月に"3年振りに"と 書いているのでペースとしてはこんなものか。厳密に言うと97年以来5代目になるが、 最初の2台は実用水準に達していなかったので、実質三代目。 今回はNIKONとの選択を悩んだ挙句、また富士フイルムにして仕舞った。
 買い替えの最大の理由は 既に富士自身も見捨てたスマートメディアが最大128M迄しかなく、 長期の出張となると撮影枚数が足りないということ。今更過去の遺物を追加購入するのも 癪だし、電池の持ちも異様に悪化していたので購入に踏み切ったのだが、 又もやXDピクチャカードという新種のメディアが増えて仕舞った。 引き続きキーボードはスマートメディアで、DVとPDAはメモリースティック、 先月新規導入したwave録音機がコンパクトフラッシュで、妻のカメラがSDメモリなので 粗方種類が揃う。実に無軌道極まりなく反省。

 では早速撮ってみます。暗いところでも明るく撮れる様、ISO設定機能を向上させたほか、 電池の持ちがいいのが売り。富士特有の縦型が存外に気に入っていたのだが、 平凡なスタイルになったのは残念。これまでの写真との変化が判りますでしょうか、って こんなに小さくて判る訳ないですね。大きくしても、、、余り判らなかったりして。
4月7日(木) 「駆逐ソフト駆逐さる」
 ウィルス駆除ソフト・ノートン旧版の更新期限のお知らせが来たので、 2005を導入したところ、PCが異様に不安定になり困惑。 慌てて削除しようとしてもまた固まって仕舞い、すわデータだけでも 取り出さなければと焦るも、何とか削除出来た。要はウィルスに対しては 丸裸になったがメールの受信は早くなった。
 家のメールは1日に100本程度入るが1割が何時の間にか受信することになって いた宣伝MLで8割5分は迷惑メール。添付ファイルが 付いてくる度に"駆逐しました"と表示されるのはいいが、 その間PCの前に座っていちいち削除に同意しなければならないので面倒臭かった。 当面はこのままでいいです。
4月6日(水) 「主任研究員生活」
 5時間ぶっ続けで少子化の資料をまとめる。 少子化に進まない施策は打つべきだが生まない選択が経済的にでなく、 人として不利益にならない様充分に配慮する必要があり、 かつ専業主婦から共働きへという現実の要請の中で、 より共働き世帯を優遇するのか、専業主婦にも相応の 子育てコストの低減策を齎すべきかなど論点は尽きない。
 より広範にはわが国労働慣行の変化を促す施策、 家族観、生物としてのヒトについての教育など 長期展望が必要な項目も少なくないが、今手を打ったとして 明日から効くものでもない。
 因みに拙宅のPCは98年10月に購入し、辞書はその少し前と思われるATOK だが「少子化」は変換されない。如何に昨今急速に事象化したものかという一例。
4月5日(火) 「人生何度も空港だ」

建設途上が↓

こうなりました
 引き続き中部国際空港のご案内。こちらも四度目だがうち一度は台風のため島に渡れず。 確かに名古屋駅から電車で最速28分快速特急料金込み1200円は便利だが、 何故開港から2月近く経っても空港がそんなに混むのか、 突端の高級飲食店が半年先まで予約で一杯になるのか、理解しにくいところ。 勿論、"離着陸する飛行機を見ながら入る風呂"は入場制限で入れない。
 L字と逆L字を組み合わせたT字型の建物で、当初は上空から見ると"鶴"の凝ったデザイン だった様だが、某大手航空会社をイメージさせるから、ではなく、 コスト削減のため敢え無く単なるT字に落ち着いたのは民間空港らしい。 今回、開港後にも拘らず某もうひとつの大手航空様のご配慮で国際線出発ロビーに 入れて戴いたが、L字の端から端まで歩くと息も絶え絶えは大袈裟だが、 遥か遠くに中央コンコースが覗く幾何学模様が形成されており(左写真)、 ゲート変更があったらさぞや焦るだろう。しかし国際・国内両用ゲートが ふたつあったり、安価で移動可に見えるガラスで国際・国内線が仕切られ、 将来の国際線の増設に備えてあったりと、改めてよく出来ている。 惜しむらくは羽田線が無いことで東京からのハブには使えないことだが、 関空客は相当に奪うことになろう。
 終了後は蜻蛉帰りで夜0時迄宴会。 前夜早めに爆睡したため何とか持ったが疲れました。
4月4日(月) 「人生何度も万博だ」
 何故か万博会場のシンポジウムに動員され、その序でに同僚諸兄とともに視察と相成った。 実に四度目の万博会場だが開幕後は初めて。悪天候も災いして予定入場者数を下回る入りが続き 心配されていたが、この日は平日にも拘らず開幕以来最高の7万5千人が入場する 大入り満員で、名古屋駅から第三セクターに払い下げになった元国鉄路線経由の迂回ルートながら 万博八草駅で 20分以上並び(右写真)開幕直後に立ち往生してパニックを演出した新交通システム・リニモにて会場へ。

建設途上が↓

こうなりました
 八草駅からのバスの運行をストップした入場制限が効いたのか、 ボディーチェックが煩雑と評判の悪かった入場も存外にスムーズで、 結局シンポジウム開会には間に合わなかったが無事動員の責務を終え午後は場内を練り歩く。 直前に首相の鶴の一声で手作り弁当の持込が解禁され、 では弁当屋さん本人が持ち込んだ売り物のお弁当は?などと余計な懸念も呼んだが、 総じて高額ではあるが、凡ゆる各国パビリオンにご当地飲食店が併設され、 飯に困ることはなさそう。しかし企業パビリオンは何処も最低1時間待ちで 某社のみ優先入場したが、前夜22-24時で「中国男」の練習で当日5時起き、しかも 大阪万博の記憶は殆どないがイメージとして万国博覧会というのは パビリオンが所狭しと林立していそうだが、この万博は自然を謳っているだけに 必ずしもそうでなく、かつしかも園内の移動機関が少ないため 殆ど徒歩で疲労困憊、熟睡して仕舞った。
 更に日本館のみならず欧州諸国のパビリオンも行列。ところが隣のアフリカ館は 最も奥という立地も災いしたかガラガラで、殆ど民芸物産展の趣きもまた万博らしい。 中央アジア各国館が二階建て建築の壁に国名を記しただけの海の家状態だったのには 一寸興醒めさせられたが。
 帰路はバスにて一路名古屋駅へ。発着の東ゲートが若干遠いが結局これが 一番早くて楽ということか。さてあと何回万博に行くことになるでしょうか。
4月1日(金) 「春爛漫」
 今日から新年度である。会社に入ってからも余り"年度"という概念に関わりのない 仕事だったので意識することは無かったが、電車に人が増え、しかも 混雑車両に乗りなれていないであろう御仁が増えることで、毎年春を感じる。
 現在の職場に移ってはや3ヶ月、これで12分の1(?)が終わって仕舞った訳で、 日々座り込んで経済情勢やら少子化やら、資料を作ってばかりの「研究員生活」では いけません、と自戒する日々。研究員なのでやむを得ないと言えばやむを得ないのだが。。
 出向することになり出向経験者諸兄から、出向というのは大変なものだと御示唆を受け、 主にそれは寄り合い所帯の取り回しの難しさを意味するもので、私は従前の仕事の 延長線上でかつ出向先の面子とも顔馴染だったので懸念にはあたるまいと思っていた。 確かにその点では恵まれているが、現実に会社から離れていると、 凡ゆる書類の類が電子化された現代社会において一人郵便で紙が回ってきて、 会社の資料は他人のIDを借りないと見れないし、 何よりも日々会社の人々に忘れられているのではないかという、 妙な不安感が襲ってくるもの。 忘れられなくなる位に暗躍すればいいのですが。

コラム堀内一三 05/3

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