コラム堀内一三 05/6掲示板

5月31日(月) 「京都の今を歩く」
 昨日とは打って変わって本日は京の都を練り歩く。御所に続いては本年2月に 完工したばかりの京都迎賓館。赤坂が"鹿鳴館"時代を象徴する洋風建築なのに対し 中央に池を配し、説明されなければ決して気付かない細部にまで配慮を施した和の極みだが、 茶室計画がおじゃんになるなど江戸の企みが通用しない1200年の叡智が厳然としたり、 京都ならではの苦労もままあるらしい。当方一行に維新の元勲の末裔の方もおられたのだが、 嘗て辺りには華族屋敷が渦を為していた模様。
 午後は空き時間に三十三間堂、東寺を拝観した後、見学は抽選三ヶ月待ちの桂離宮へ。 迎賓館も確かに綺麗だったが、こちらは想像を超える美。鴨川の支流を堰き止めた池と 点在する建物の配置が絶妙で、一見の価値以上のものがある(写真)。子供の頃の伏見稲荷、 中高時には知恩院と京都には度々訪れていたが、こんなものが隠されているとは 1200年の叡智も捨てたものではなかった。満足。

 二子山親方が逝去。重態が伝えられていたので亡くなったことそのものも、 当然予想された元横綱兄弟の確執も、失礼だが意外ではなかったが、 報道の大きさには驚いた。実際、往時の取組のフィルムを見ると、サーカス相撲と 揶揄されたりもしたが、確かに見応えがある。相撲も真剣に体重制限を 考える時期ではないか。
 通夜・告別式には脱税事件以来隠遁した兄・先代二子山親方も登場されたのだろうか。 何はともあれご冥福をお祈り致します。
5月30日(月) 「百十の王を超える」
 淡路島でラウンドするのは最初で最期かも知れない。 海を見渡すアップダウンの激しい快晴の淡路カントリークラブで優雅な一日。 前半は平凡だったが、後半は実に久方振りにドライバー・アイアンともに 安定し、最終2ホールの連続3パットが痛かったが ロングのパーもあり51で実に2年振りに 110を切る満足な成績となった。
 先週がいい練習ラウンドになったか、或いは生まれて初めての スループレーがいいリズムを生んだのか。しかし炎天下のスルー、 しかもこの日運転手担当だったので麦酒も飲めず、祐旭同様の帽子嫌い災いしたか、 それとも昨日の新神戸経由淡路夢舞台までの長躯移動が応えたか、 猛烈な頭痛が襲ってきたのには閉口した。以降フェリーで明石へ渡ってから 京都まで移動する電車で眠って何とか回復したが、折角の鴨川沿いの 風流なすき焼きも疲労で食が進まず、年を取ると段々肉が食えなくなってくる という一般的な現象かも知れないが。

 前夜泊まったのは豪奢なウェスティン淡路。こちらも01年11月、淡路農業公園に W先生をお連れした際に宿泊、絵に描いた様なリゾートホテルで 素泊まりは勿体無いと悔やんだものだが、学習効果なく今回も同じ悔恨を残した。
5月29日(日) 「何故この時期に」
 比ミンダナオ島居住の旧日本兵の方の存在が怪しくなってきた。 「恥ずかしながら」の横井庄一氏、「上官の命令」の小野田寛郎氏から 既に30年以上が経過している。「日本に知れれば軍法会議に掛けられる」との 発言は、恐らく現地活動中に離脱したか何かで逃亡生活に入り、 横井氏、小野田氏とは異なりわが国の敗戦は認識していたが、 大日本帝国陸軍が消滅しているとは夢想だにしなかった、という ストーリーが想像される。
 もし実在されるならば長らくの勤務にわが国として最大の敬意を持って 迎えなければならないのは言うまでもない。しかし事実でないのならば、 何故この時期に、この話が出てきたのかにキナ臭いものを感じる。
5月27日(金) 「何故この時期に」
 森岡政務官の歴史認識に関する発言が波紋を呼んでいる。 一日開けてこの日の同氏の釈明を聞く限り、確信犯であり 辞任も辞さない構えということだろう。
 この際、発言趣旨の是非は置くとして、事実わが国は先の大戦に敗れ、 その敗戦を根源として戦後国際社会は構築されている。 確かに東京裁判の「人道に対する罪」が罪刑法定主義に反すると、 法的に批判することは可能だが、それを政府高官が公的に発言することは 政治的な含意を有し、従って余程周到でなければならない。
 残念ながら今回の氏の発言にその周到さは見られなかったし、 戦犯であっても死後その魂は等しく弔うというわが国の風習と、 戦犯でないから等しく弔うという見解には自ずと相違があろう。

 今日は仲々物事がスムーズに進まず疲れました。気を取り直して さぁ来週。
5月26日(木) 「空転直下」
 郵政法案が漸く審議入り。愈々お盆明けまでの長期延長が見えてきたが、 国会の動きは各方面に影響を及ぼし、御多分に漏れず我々もその範疇に含まれる。 今日も火曜日に13時から本会議の情報が漏れ聞こえはじめ、 丁度その最中に予定していた印度議員団の訪問を我々のみ、議員なしで 迎えるという役不足極まりない事態となって仕舞った。 野党欠席のため本会議がスムーズに進み、時間前に終わったので 何とか後半は議員が現れ事なきを得たが、 空転していた24,25日は逆に議員の予定はガラガラになっていたし、 日程の読みは難しいところ。
5月24日(火) 「譜面の魔術師」
 思い立ってMIDIファイルから楽譜に起して呉れるソフトを探索。 先の中国男ライブの際には矢野顕子の「David」を一曲丸々MIDIから手で採譜したのだが、 労力が多き過ぎるので今回の"新曲"にとても手作業しようという気力が起こらなかったもの。
 いざフリーソフトに毛の生えた様なものをダウンロードして試行してみると、 存外に綺麗に出来る。こんなことなら最初から機械に頼れば良かった。 しかも嘗ての「音楽春秋」社楽譜でも思いのほか簡略化されていたり、 楽譜が実際に鳴っている音と必ずしも合っていなかったりするから、 これで補足すれば完璧。 取り敢えずは肩の荷が降りた感。どうも常に切迫感に煽られていて、 ひとつひとつ課題をこなしていかないと。
5月23日(月) 「Revolution No.8」
 マンションの駐車場第八号が遂に埋まったとの発表があった。 他の駐車場に比べひと回り小さいことから入庫しにくく、長らく空席となっていたが 遂に契約者が現れたとのこと。遊ばせておくのも勿体ないので、 ここ数年間は安価で使える来客用駐車場として活用されていたが、 使用実績の半数以上を占めていたのはわが家。 管理組合としては収入が増えるので喜ばしいだろうが拙宅には痛手、嗚呼。

 副首相が総理会談をドタキャンして帰国。共産国家らしいと言えばそれ迄だが。
5月22日(日) 「環境の変化」
 先週後半から三泊で実家に行っていた妻と息子が帰ってきて 久々に一緒に風呂に入るが、髪を洗うと号泣していたのが すっかり治っている。一方で、実家では夜泣きが激しかった様で 短期間の環境の変化の功罪、と言うべきか。
5月21日(土) 「朝から朝まで」
 今週から三週連続仕事ゴルフ。バッグはゴルフ場からゴルフ場へと 飛び回る。食えないプロの如し。千葉ニュータウン駅に到着すると 広大な掘割鉄道用地に複線がポツリ。高額で有名な 北総公団線が成田新幹線の兵どもが夢の跡であることを再認識する。 2010年には成田まで繋がる様で、新橋まで最速1時間とはいえ、 矢張りベッドタウンというよりは、郊外のゴルフ場最寄駅の方が 相応しかったのでは。
 今回もスコアは悲惨だったが、 一緒に回った元慶大ゴルフ部の方が前半1オーバー。ここ迄上級者だと 旨い人と回ると参考になる、という域を越えて声もない。 ところが午後は渋滞して仕舞い、途中でコンペの4組が揃って仕舞い、 始球式再びの状況。名門コースとはいえ詰め込み過ぎではないか。

 ここから東京を横断して夜は原宿にて昨年に引き続き公演ビデオを 鑑賞しながらの「中国男」反省会。例によってドラマーH氏がYMOに 関連するCDやDVDを持ってきて戴いてこれ等を回しながら "新曲"も検討。更に終了後ノリでカラオケに突入して仕舞ったまでは 良かったが、3時を過ぎるに到って腹に殆ど入れずに麦酒ばかり飲んでいたためか 気持ちも悪くてダウン気味。飯を食いにいくという一団を残して ほうほうの体で退散した。一寸無理をし過ぎだったか。
5月20日(金) 「溜まる資料達」
 今週は勉強会が4本と目一杯「少子化」の一週間だった。 そして来週も。1月半ばから経済情勢の報告作成が始まり、 加えて2月から少子化。4月には経済情勢が終わったと思ったら福岡対応、 黄金週間は印度、今月は少子化の大詰めである。
 毎月「来月になれば。。。」と淡い希望を抱いてきたが、 6月一杯で本当にゆったり出来るのではなかろうか。 しかし出向してからの方が会社時代より忙しいとは 話と違い過ぎる。矢張り"メーカーは楽"だったのだろうか。。。
5月16日(月) 「下痢をした男」
 先週もどうも腹の調子が悪かったが昨夜から激しい下痢。 夜中にも腹痛で起きて仕舞ったが、不思議なのは毎度毎度、 下ってはいるもののしっかり内容物が出ていること。これは
 @印度で前半便秘気味だったので腸に便が残り気味だった。
 Aここ数日食べ過ぎている。
の両因が作用しているのではないか。
5月15日(日) 「お父さんと祐旭くん」
 今日は久々にお父さんと祐旭で中央公園へ。 このところ後追いが激しくお母さんが一瞬トイレに入っても、 果ては台所で顔が見えていても仕切りがあって近付けないと、 瞬く間に号泣して仕舞う状態が続いており、本人は何等かの主張が あるのだろうが、まだ意思の疎通がスムーズに出来ないので難しい。 丁度一歳半検診で妻が専門の医師と称する人物に尋ねてみたものの 「お母さんへの愛情ですから」「その内治まると思います」と 当り障りのない回答しか無かった模様。 外に出掛けると母が居なくても物珍しいためか 大人しくなるのだが、印度から帰ってきた際にはお父さんとの風呂も 号泣して、何故か「水戸黄門」を唄うと徐々に泣き止んでいった。 それでも丸三日お父さんが一緒だと大分落ち着いてきた模様。
 公園でも楽しく遊んだが、同世代の人物がはや一人でブランコに 乗っていることに触発されたのか、祐旭も盛んに乗ろうとする。 ところが一人ではまだ怖くてお父さんと一緒に乗るのだが、 お父さんはブランコが余り得意ではない。そもそも一人で乗っても バランスが今ひとつで前か後ろに落ちそうになっるのだが、 これが祐旭を抱えていると一層激しく、前後に僅かに揺ら揺らとするのみで 祐旭は詰まらなそうに滑り台への駆け出していって仕舞った。 ごめんさない。
5月13日(金) 「子供たちの子供たちの子供たちへ」
 久々に月曜以外に休み一週間遅れの黄金週間として青山・こどもの城へ 一家で赴く。旧都電青山車庫を国連大学等とともに再開発したもので、 プールから研修・宿泊施設まで付いた巨大な児童館の風情。 いきなり開場の1時間以上前に着いて仕舞ったが、 平日は12時半開場と知らぬ母子連れが我々同様に待機している。
 4階の音楽コーナーでは太鼓や木琴に触れ、更に3階に降りて 滑り台を含む施設で遊ぶ。ところが概ね3歳児以上を対象に作られているので 祐旭一人では危ないし、大人が一緒に入り込むには小さくてお父さん骨が折れる。 最期はお絵描きコーナーで絵の具で服を汚して約4時間たっぷりと遊びました。 「羊の会」もここを会場にしても良いかも。
5月11日(水) 「院内にて」
 13時より少子化対策研究会の打ち合わせ。5月中にあと5回勉強会を行い 報告書を取りまとめるという、印度視察並みのハード・スケジュールに固まる。 以降、まず日程を抑えるために各事務所を回るが、印度と参加議員が重複しているので ハテ何の案件で訪れていたか、と段々頭がこんがらがってくる。
 夕刻勉強会の内容当てはめ手配を終えると旧有楽町そごうまでデジカメのメモリ読み取り機を 買いに行き、戻って写真の仕分けとCD−R焼。ピッタシのタイミングでDVD焼機が 会社から与えられたが、ノート+外付けとはいえ流石に最新機は早い。 何しろ家のPCはCD−R最高8倍速だがエラーが多いのでデータが多い際には 2倍速が原則。USBの外付けものもWin98は対象外が増えてきており、 そろそろ新しいPCが必要か。

 夜は上海へ赴任する友人の送別会。この時期に上海とは不穏だが、 結局三次会まで雪崩れ込み2時半終了。時節柄(?)靖国問題に話題が移り 「靖国参拝は諸外国の理解も得られにくい、或いは対日カードとされる 恐れがあるから分祠すべき」との友人の主張には頷ける点はあるものの、 この期に及んで中国の主張にわが国が折れた形になることは 避けるべきと私は思う。
5月7日(土) 「Back In Tokio」

スズキ・マルチ工場にて
 帰ると早速少子化対策研究会の再開が待っているので 機中を利用してと資料を抱えていったが結局全く開くこともなく、 飛行機では寝るか、映画を見ているかだった。
 妻が映画フリークなので94年から03年に掛けて276本、 映画館、ビデオ(DVD)併せてみたが、祐旭が生まれてからは とんとご無沙汰でTV以外で映画を見るのは1年半振りになる。 しかし寝たり起きたりで見るので日本語吹き替えがあるものとなると 流石の全日空・シンガポール空港共同運航便オンデマンド方式でも 本数が限られ、「ブリジット・ジョーンズの日記2」「笑の大学」「スパイダーマン2」、 どれも今ひとつだった。
 夕刻無事成田着。ハードスケジュールで疲れましたが、 体調もほぼ壊さず楽しかったです。
5月2日(月)−6(金) 「カレーの王様」
 印度滞在中は当然毎日カレーだろうと思っていたが、大使館・総領事館主催や 日本人会・日本企業との会食もあり、約半分に過ぎなかった。 牛はヒンズーの神の使い、豚はイスラムでは不浄なので 鳥か羊で、中にはヨーグルトの中に 僅かに香辛料が浮いているだけの様な、これをサフランライスに掛けて 食うのは一寸ご遠慮したいというカレーもあったが、 総じてが予想通り、本場は美味かった。
 却って大使館で寿司が出た時の方が食えず、泰でも大越でも感じたが、 私の大味な食生活は繊細と称される日本食よりも亜細亜食の方が 寧ろ合っているのではないか。
5月2日(月)−6(金) 「Smoke in the INDIE」
 印度に健康増進法は施行されていないでろうと思って旅立ったが、 訪問先が最新の印度ばかりだったので存外に喫煙には悩まされた。 非日系企業では喫煙コーナーにも仲々お目に掛かれず、 とくに印系IT企業のインフォシスでは敷地内禁煙。 ところが「外に出て吸え」と言った守衛氏に灰皿はと尋ねると、 「そこら辺に棄てておいて呉れ」。矢張り一歩外へ出ると印度、の構図は 変わらなかったが、町中で煙草を加えている御仁も少なかった。 一箱千円近くという価格も影響しているのだろうか。
 助かったのはO団長が喫煙者だったことで、おかげで バスに乗り込む直前の団長に一本勧めたりしながら、堂々と 喫煙時間を設けることが出来た。
 帰路にはチェックインの際にライターを取り上げられて仕舞い、 喫煙者泣かせのシンガポール・チャンギ空港では 公式土産を手荷物に抱えながら喫煙エリアに辿り着き、 見知らぬ欧米人に火を借りる始末。原則として外気に晒されている 区域しか喫煙は認められないので、明るい阿片窟の如し。 因みに成田ではライターは一人1個まで。 ひとつ認めるのなら百個持ち歩いても安全上は一緒の様な気もするが、 百円ライター大国としては現実的な対応なのだろう。
5月2日(月)−6(金) 「お尻拭き活躍の巻」

タージマハルを抱えるの図
 印度漫遊については 本編をご覧戴きたいが、 今回も便通には悩まされた。予想通り印度の5ツ星ホテルは疎か、 チャンギ空港にもウォシュレットはなく、イスラム式の 和式似のトイレに尻洗いが付いたものはあったが、 これを試してみる蛮勇は抱かなかった。

走り去るデリー地下鉄とともに
 繰り返し述べているがウォシュレットの水流には 単に尻を洗うのみならず、肛門を刺激して便意を促進する効果もある。 私は痔の手術をして以来、朝の排便を欠かしていないが、 基本的に起きて、1時間余り活動すると丁度いい便意が生まれる様、 生活リズムが出来ており、従って通勤時が便意を促進する時間に充てられ、 出勤してまずトイレに入る。これは立位で活動することが便を 腸から肛門に下げるという点で利に適っている。 しかしながら旅先になると、早めに起きて無為に一定時間を立って過ごす という訳にもいかず、勢い朝の排便が滞りがちになる。 しかもウォシュレットなしでは可成り厳しい。
 今回も三日目に少しずつ出始め、最終日朝には大量に出たのはいいものの、 そうなると今度は堰を切った様に出始めて、最期は下り気味なる。 何とか印度滞在中は乗り切ったが、帰路のチャンギ空港にて 相当に下痢気味の腹を抱えてトイレに籠もる羽目に陥ったのである。 しかしながら夜半、家に帰ると少々肛門が腫れて水流が痛かったが、 すっきり爽やか。矢張りウォシュレットは偉大だ。
5月1日(日) 「外遊」
 実に01年以来の外遊である。仕事では更に97年の桑港が最期なので、 成田のラウンジもそれ以来となる。往事はJALで今回はANAだったが、 こんなに広かったのかと驚く。空港拡張に伴いラウンジも広がったのだろう。 いきなり飛行機が遅れ、空いた時間を利用して最期の荷物確認。 ここで幸便に腕時計を忘れたことに気付いて購入する。
 元々帽子にしろ衣装にしろ、身体を束縛するものが嫌いな私は 家でもすぐすっぽんぽんになろうとして子供への悪影響を恐れる妻に 怒られているが、例外的に腕時計は中学時代からずっと身に付けていた。 ところが携帯電話を文字通り常に携帯しなければ仕事にならなくなって きてからは、電話に時計も付いているのをいいことに腕時計とも すっかりご無沙汰になって仕舞った。しかし私の電話は国内仕様だし、 今回はカメラを肌身離さず持ち歩かなければならないので、 ポケットに入れるものは少ない方がいい。そこで安時計を買って何年振りかに 腕にはめっ放しにすることとした。機中で時計の針を回すのが、 アナクロだが海外旅行、ではなく視察っぽい。

 因みに売店では耳痛防止様の耳栓も購入。これをはめて 更にガムを噛み続けていたら異常なく、安易に解決出来た。
 トランジットのチャング空港で一泊す(写真)。

コラム堀内一三 05/4

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