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[2450] 西川武志 氏(lo8@xd5.so-net.ne.jp) 2002/06/05 Wed 00:21:53
過労気味・・・

国土に生活圏に広大な後背地が存在し得る国、はっきり言って米国、ロシア、中
国、インド以外の国が核兵器を持つのは、核兵器使用時には共倒れに絶対に持っ
ていくという強い意志が無ければ無意味です。

作るのにもコストがかかるし、確実に動作するかの検証も大変、性能維持にもコ
ストがかかるし、一度使用すると相手国が核兵器を持っていれば自分たちの国土
もやられるのは必至。

コストパフォーマンスを考えるなら、生物・化学兵器に全くかないません。
軍隊相手だと核は生物・化学兵器に比べれば防御策がとりにくいため威力は絶大
ですが、戦術核などはもう米国だけが維持できているだけ、ロシアの戦術核は作
動するかどうかが怪しい。


とにかく国防・外交問題では日本のマスコミは論点がおかしい。
外交上、「核兵器を持つオプションもあり得る」との発言はデメリットが多い
か、メリットが多いかと考えると、現時点の日本では、私の考えではメリットが
少し勝っている。ただし、持つかもしれないと言うだけで、持ってしまえばデメ
リットの方が多くなるでしょう。

どうしてという方は私に聞いてください。
リクエストがあれば続きを書きます(間が開くけど)。

[2449] かわさき(はるよ 氏(haruyo.kubo@fujitv.co.jp) 2002/06/03 Mon 23:41:47
ご無沙汰してます、かわさき(くぼ)@TO86です。
5月は辻田くん、針金さんと86年入学の代に寿が続きましたが、またひとつ。
三上家に22日、男の子誕生とのこと。名前は聖(しょう)くん。
出産に立ち会った三上パパは感動で涙がとまらなかったとか。
デジカメによるとすでに結構パパ似(!)です。

[2448] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com ) 2002/06/01 Sat 00:36:01
ところで、
”ほとんど資源も無い日本が、ここまで成長できたのは驚きに値する”
とよく言われるが、果たしてそれは本当なのであろうか?

確かに現在の日本には鉱物資源はほとんどない。しかし昔からそうではなかったよう
だ。意外だと感じるが、もともと日本は金銀銅に満ち溢れた資源大国だったそうだ。戦
国時代の金・銀、江戸時代の銅は、それぞれ当時、世界有数の産出量で、海外にその多
くが輸出されていた。

金銀銅は現在でこそ、アフリカやロシア、南米などで大規模に採掘されているため供給
量も多いが、当時の流通量は現在に比べてはるかに小さく、(需要も現在ほどではなか
ったかもしれないが)国際通貨として使用されていたので、現在よりもはるかに価値が
高かったはずだ。

とすれば、当時の日本は貴金属の輸出(銀などは16世紀当時、日本産出量が世界シェ
アの4割もあり、世界を席巻したといわれている)によって、それが無かった場合に比
べて藩や幕府の財政を潤し、国内に大きな富が蓄積され、近代日本の成長を育むベース
となったのではなかろうか。

明治や昭和の成長の土台にはそれ以前のインフラ整備と教育が背景にあると言われてい
る。もしこれらの貴金属が日本に全く存在していなかったなら、インフラや教育をする
余裕も少なくなり、その結果現在の日本はまた違った姿になっていたのかもしれない。

現在の世界を見渡して、鉱物やエネルギーなどの資源なしで繁栄した国は(シンガポー
ルなどの都市国家を除いて)どれほどあるのだろうか?資源が国の発展に結びつかない
ケースも少なくは無い(例えば現在アフリカ最貧国の一つザンビアは、銅生産のお陰で
1975年頃までサハラ砂漠以南のアフリカ諸国で最も裕福な国の一つだった)が、鉱物資
源の持つ重要性を思い知らされた南ア訪問だった。


たかばたけたけし(takaba888@hotmail.com)

(次回はナミビア編です。今回最も恐れていた事が起こりました。配信は1週間後を予定
しています。)

[2447] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com ) 2002/06/01 Sat 00:35:21
そしてこの国で生産されたものが幹線道路を伝い、北方のナミビア・ジンバブエ・ボツ
ワナ・モザンビーク・ザンビア等へと出荷されていく。国土は他国では全く見られない
ような、完璧なまでに舗装された美しい4車線の道路で貫かれている。第一次世界大戦
で本国(イギリス)からの物流が途絶え、周囲に競争相手がなかったことが幸いしてア
フリカの工場として発達してきたのだ。

人口も4000万人を超え、国内市場だけでも十分に厚味がある。その上、冷戦、アパルト
ヘイト廃止後は周辺国との外交関係も非常に良く、敵対国が存在しないため、貿易上の
障壁も少ない。(10年前まではアンゴラやモザンビークの共産勢力と対立し、アパルト
ヘイトで世界中から経済制裁を受けていた。)

気候も温和で過ごしやすく、快適。山あり谷あり海あり森あり砂漠ありサファリパーク
ありで、国土は観光地に満ちている。砂漠のように乾燥していた土地も金をつぎ込んで
水を撒き、緑地化に成功。緑溢れた農地が広がる。

国民も(8割弱を占める黒人を含め)周辺諸国とは比べ物にならないほど豊か。白人の
生活レベルも見たところ、欧米と変わらない。日本に戻ってきたかのようだ。街は商店
で満ちており、あちこちにコンビニもある。ほとんどのところで、(たとえコンビニで
アイスクリームを買っても)クレジットカードで買い物ができるのには驚いた。

弱点もいくつかある。郊外はほとんど問題ないのだが、世界最悪の犯罪都市と呼ばれる
ヨハネスブルクを始めとして一部大都市の治安は非常に悪い。ただこれは警官の絶対数
が少ないことが原因と言われているので、政府がその気になれば意外と簡単に状況は改
善すると思われる。

黒人に、労働意欲が未だ備わっていない点も問題だ。以前から被支配階級に置かれてい
たので、「仕事は誰かが与えてくれるもの」という考え方が未だに多くの人々に染み付
いているらしく、失業率も5割近い。これは教育で改善できるだろう。

将来的にはエイズの問題が深刻だ。これはアフリカ全体の問題なのだが、他大陸と比べ
てHIVキャリアの割合が圧倒的に高い。成人におけるHIVキャリアの割合は南アで9
人に1人、スワジランドでは5人に1人、ジンバブエでは4人に1人、ボツワナではなんと3
人に1人もいるのだ。(計算上はミニバスで僕のとなりに座ったうちの何人かはキャリア
だったことになる。もちろんこれらの人々のほとんどはまだ発症してはいないし、うつ
ることもないので恐くはないが。)エイズキャリアはほとんどが黒人といわれ、各世帯
の働き手が失われることで、将来的には黒人住民の貧困が更に進む恐れがある。

以上のように一部の地域では犯罪などの問題があるが、世界の多くの国々と比較してず
っと将来性に満ちており、好条件が備わった国のように思えた。商品やサービスが欧米
レベルの割には物価が安く、住む場所さえ選べば日米欧のいずれの国よりも豊かな暮ら
しができるかもしれない。


【資源は経済発展の母】
南アがこれほど発展した背景はそこに豊富な鉱物資源、特に金とダイヤが発見されたこ
とによる。これらの採掘のために膨大な資本がヨーロッパから投資された。富の多くは
イギリスに吸い取られたが、更なる発掘のため膨大な再投資も行われたようだ。広大な
道路・鉄道網が発達し電気・水道・その他多くのインフラが整備され、工業大国として
の基礎ができていった。現在この資源大国の経済に占める鉱業の割合は(意外なこと
に)1割にも満たないが、鉱物資源から得た富のお陰でこの国が発展したことについて
は議論の余地はない。

[2446] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com ) 2002/06/01 Sat 00:34:14
【貧しいのは黒人だけではなかった!】
アフリカではよく物乞いを見かける。南アにもいるが、他のアフリカ諸国と違うのは、
ここでは白人の乞食もいるということだ。彼らは”ホワイトプアー”と呼ばれ、オラン
ダ系農民の子孫といわれる。

10年前まで続けられたアパルトヘイト政策は”豊かな白人が貧しい黒人(とその混
血)たちをさらに差別する政策”と思われがちだが、実態は違う。この国の白人には2
種類いる。統治者としてやってきたイギリス人たちと、農民としてやってきたオランダ
人たちだ。そして後者が南アの白人のうちのかなりの部分を占めている。

オランダの歴史はとても悲惨だ。強大な海軍力を背景に海洋帝国として世界中に植民地
を持った(ニューヨークもオーストラリアも台湾ももともとはオランダ領だった)後、
戦略を転換。近隣諸国と友好関係を築いた後、経費のかかる軍事力をカットし、商業に
全力を注いだ。その結果、英仏を締め出して、海上貿易を独占するまでに発展、世界で
最も豊かな国となる。商業にうつつをぬかしているうちに、ヨーロッパの雲行きが怪し
くなり、気がついたときには自分の領土を守る軍隊すらなく、海外植民地の多くをイギ
リスに持っていかれる(ベネチアの歴史とも似ている)。(オランダの歴史はまるで、
国防力を軽視し商業にばかり目を向けている日本の将来を暗示しているかのようにも見
える。)

アフリカ南部でもオランダが150年かけて建設し、多くの農民(ボーア人と呼ばれ
る)を送り込んだにもかかわらず、その植民地はあっさりとイギリスに取り上げられ
た。結果的に入植者(オランダ農民)たちは支配層とは無縁の民となってしまい、ヨー
ロッパの文化的な成長からも取り残されて20世紀に至ってしまったようだ。お陰で、
彼らは一部を除いて貧しい生活のまま近世に至り、残された少ない富を黒人からの奪う
ため、アパルトヘイトが作られたというのが、経済的な側面だ。一方で宗教的な側面も
あり、彼らの信仰していた白人種上主義の宗教(プロテスタントの一派)がそれを後押
ししたらしい。

そして現在、現地の黒人たちに聞いてみたところ、アパルトヘイトは実際に消滅し、ほ
とんど差別の無い生活が送れているそうだ。僕が毎日使っていたミニバス(黒人の乗り
物といわれている)で白人を見掛けることは無かったが、黒人と白人の子供が仲良く手
をつないで遊んでいるのをよく見かけた。もちろん一部の人々の心の中にはまだ垣根が
あるのだろうが、白人と黒人の融和は意外とうまく行っているような印象を受けた。


【アフリカの理想郷】
ジンバブエから南は距離を追うごとに生活レベルが上がる。なんとアフリカなのに”水
道の水”が飲めるのだ。お湯の出ない宿も珍しい。そして南アフリカに入った途端、全
てが変わった。アフリカには欧米並みの近代文明国家が存在したのだ。

経済力はアフリカの中枢といっていいほど、他国を凌駕(りょうが)している。アフリ
カ大陸の2%の面積を占めるに過ぎないこの南アフリカ共和国は、工業生産額で大陸全
体の40%、鉱物生産(金・ダイヤ・プラチナ・ウラン・石炭など)では45%、電力
消費の50%をも占めている。なかでもアフリカ最大の都市ヨハネスブルクを中心とし
た南北100km東西200kmの地区(ハウテン地区という)だけで、アフリカ大陸全GDPの
4分の1を産み出しているのには驚く。石油以外のエネルギー資源も豊富にあり、ミネラ
ル(鉱物資源)、食料は世界有数の輸出国である。

[2445] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com ) 2002/06/01 Sat 00:33:24
初めて彼を見掛けたのはタンザニアだった。バスの窓から歩いているところを一瞬見か
けただけだったが、その人が当人であると分かったのはずっと後のことだった。 ジンバ
ブエではちょうど入れ違いだった。僕が宿に入って10分後にその人は旅立っていった。
二言三言挨拶を交わした程度でその人は身分を明かさずに去っていった。(どう見ても
60歳くらいにしか見えなかった。)後で
「あれが有名な”年金バックパッカー”の水津(すいつ)さんだよ」
と聞かされたとき、”しまった、もっと話しておくんだった!”と、後悔した。

もう二度と会えないんだろうか・・・と思っていると、なんと1ヶ月後、南アフリカ・
ケープタウンのドミトリー(相部屋)で偶然一緒になった。
「水津さんですよね?」
僕が尋ねると、むこうは少し驚いた顔をしたが、
「是非お会いしたかったんですよ。・・・」
と、事情を話すとすぐに打ち解け、その後二日間一緒にテーブルマウンテンとケープホ
ーンをまわった。 

現在81歳。仙人のように白い口髭を生やし、麦わら帽を被ったそのスタイルは80歳
を超えているとは到底思えない。20歳は若く見える。戦前、満鉄に勤めた後、日本の
電気メーカーで定年を迎えた水津さんは、定年後に旅を始めたという。以後、何度も海
外に足を伸ばし、安宿に泊まりながら過去17年間で60カ国以上をまわったそうだ。今回
の旅もも日本を出て1年半が経つ。兄弟にも先立たれ、今は家族はいないとのこと。

何にでもチャレンジするその精神は驚きに値する。今回ビクトリアフォールズでは”難
易度5のラフティング”(最上級のいかだ下りで、急流では何度も放り出されるスペシ
ャルコース)をこなしたと聞いたときは驚いた。それどころか、スカイダイビングもス
キューバダイビングも最近経験している。チベットでは秘境中の秘境と言われるカイラ
ス山(ラサから悪路をジープで片道一週間もかかる奥地)にも行っている。ペルーで首
絞め強盗にも遭遇している。また、世界最悪の難路と呼ばれる、エチオピア・ケニア間
のガタガタ道を、他の旅人と一緒にヒッチハイクし、トラックの荷台の鉄パイプに二日
間しがみつきながら、ケニアに入っている! 

長い人生を経験し多くの国を周っているだけあって、話には含蓄があり、太平洋戦争の
話など聞いていて面白い。話してみても、言葉はしっかりしており、普通の若者と同じ
スピードで返ってくるのが不思議だ。やはり旅というものは刺激が多く、老化を防ぎ若
さを保つ秘訣なのかもしれない。 

「何を求めて旅をしてるんですか?」と尋ねると、「やっぱりいろいろ見てみたいんじ
ゃよ。」と言う。「まだまだ行ってみたい所がある」そうだ。畳の上では死にたくな
い、旅先で一生を終えるのが理想だそうだ。

こんな”お年寄り”が世の中にいるとは、思ってもみなかった。歳とは”気の持ちよ
う”であって、実際の年齢とは関係ないのかもしれない。人間、やろうと思えば何でも
できるということだろう。この水津さんのように何歳になっても好奇心を失うことな
く、探求心を持って長生きしたいと思う。

[2444] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com ) 2002/06/01 Sat 00:32:32
【世界視察13】アフリカに理想郷を発見! 南アフリカ共和国

[南アフリカ (2/20-27)] 
2/20 レソトよりミニバス7台(12時間)を乗り継いでウムタタ(以下南アフリカ)到着。 
2/21 ミニバス2台(13時間)を乗り継いでナイズナ到着。 
2/23 バス(8時間)でケープタウン到着。 
2/27 ナミビアに向け出発。 

-訪問地- 

★★★★★ケープホーン(喜望峰):アフリカ最南西端の岬からの眺めは抜群、ペンギ
ンやオットセイも見られて盛りだくさん。 ビーチでは夏なのに凍るように冷たい寒流の
海を体験できる。

★★★    テーブルマウンテン(ケープタウン):眼下にケープタウンの美しい街並み
が見下ろせる。頂上には名前通り平らな台地が広がっており散歩コースになっている。 

★★★    ナイズナ:ガーデンルートと呼ばれる風向明媚な南ア南海岸の中心地。山に
囲まれた入り江のクルージングは爽快で、おいしい生ガキの産地としても名高い。 

★★★    レソト・ウムタタ間のグランドキャニオン:荒野のグランドキャニオンは世
界中にあるが、ここにあるような緑のグランドキャニオンは珍しい。どのガイドブック
にも載っていないが、壮大で驚くほど美しい。ただ、アクセスは非常に困難。

★★★    ヨハネスブルク郊外ショッピングセンター:広大なショッピングセンターで
アフリカ大陸を南下してくる旅人にとっては久しぶりに文明の香りが嗅げる場所。 

★★      ヨハネスブルク:これほど緊張感あふれる都市は他にない。一瞬の気の緩み
が旅を終わりへと導く。街を行くときは手ぶらで歩きたい。 

★★      ケープタウン市街:ウォーターフロントなど比較的しゃれた街並みが広がっ
ている。夜や週末の治安が悪いのが難点。 

★       ソウェト(ヨハネスブルク黒人居住区):ネルソンマンデラの住んでいた家が
ある。広大な黒人居住地だが、別に貧民窟なわけでもなく特別な地域ではない。アフリ
カであれば黒人が住んでいるのは当たり前であり、アフリカを周ってきた旅人にはつま
らないだろう。 


−解説− 
レソトをぬけた後は、トランスバール山脈を越えてインド洋を目指した。バスマップな
ど無いためバスがあるのかどうかも分からなかった。人が住んでいるから行けるはずだ
と考え、町から町へとミニバスを乗り継いだ。

このあたりは気候区も複雑に入り組んでおり、市街地→山岳地帯→荒野→半砂漠→峡谷
→草原→市街地と景色が移り変わる。一方、雲一つない天気も山を越えるとどしゃ降り
の雨になったり晴れたりと猫の目の様に変わった。途中グランドキャニオンのような壮
大で険しい谷が現れたが、茶色ではなく緑の絨毯に覆われたその景色ははっとするくら
い美しかった。結局インド洋まではたどり着けず、7台目を降りたところの地方都市(ウ
ムタタ)で夜になる。 

ここからインド洋岸の主要港イーストロンドン、ポートエリザベスを抜ける。美しい入
り江に面した観光地ナイズナでは生ガキを存分に食べる。ヨーロッパ産のものよりおい
しい。南ア南部一面に広がるぶどう畑(ワイナリー)を抜けてケープタウンに入った。 


【年金バックパッカー】

「80歳を越えた日本人の旅人がいる。しかもバックパッカーで、若者と同じように世
界を一人で旅している。日本人の長期旅行者の間では比較的有名な存在で、”年金バッ
クパッカー”として旅行雑誌などでも話題にのぼっている。」−そんな噂を初めて耳に
したのはケニアだった。どんな人だろう、なぜそんなに年になってまで旅をしているの
だろう、会ってみたい、話をしてみたいと思った。

[2443] 弓場潤一 氏(vyc04171@nifty.ne.jp) 2002/05/31 Fri 14:07:41
なんだかご無沙汰してしまいましたが皆さんお元気ですか?

私もサッカーはあんまり分からず、かといって野球にも決して造詣が深い方ではなかっ
たのですが、それでも今期の阪神の活躍ぶりには久しぶりに胸躍らされるものがありま
す。昨日のアリアスの「Hanshin Tigers never, never, never, surrender!」は結構く
るものがありました。このまま6月も突っ走ってくれることを切に願う今日この頃です。

阪神の場合はスポンサーの社名も阪神、所在するのも大阪でも神戸でもなくその間の「阪
神」地域なので巨人のような問題は起こらないですね。いくらなんでも「Nishinomiya」で
が該当する地域が狭すぎるだろうし。

話は変わりますが、最近車を手に入れました。義父のお下がりなのですが、神戸ナンバ
ーのサンダーバード(91年型)です。これで走っていると気のせいか周りの車が車間を
空けてくれるような気がするのですが、これは僕の運転技術が未熟だからなのでしょう
か?(^^;

ともあれ齢35にして初めて日本国内を走る身にしては意外にハンドルを握るのが楽しく
このところ都内を走る週末が続いております。

ではまた

[2442] 粥川善洋 氏(kayukawa@mui.biglobe.ne.jp) 2002/05/29 Wed 17:44:17
W杯近付いて来ましたね。蹴球は殆ど分からないので、識者の方々、実際に見に行かれ
る方々の声を伺いたいです。
野球の話に振りますが、巨人がビジターユニフォームの胸マークから、「TOKYO」
を外し「YOMIURI」に変更します。これは読売新聞の組織改編(これまで中・西
部本社と一体になっていた球団がグループ本社参加の個体企業として独立)に伴い、
「東京読売巨人軍」から「東京」の文字が外れたための措置とのこと。
別に地域密着史上主義ではないですが、今更「読売」を名乗らなくてもいいのでは。別
に球団名に「東京」が付かなくとも、東映や大毎は大手を振って「TOKYO」を付け
てましたし。これは得策ではないと思うが。

ところで昨日、経団連と日経連が合併し、日本経団連が発足しました。今は両団体仕事
とも直接には離れて仕舞いましたが、この件に長く関わってきただけに感慨深いです。

[2441] 上村 さと子 氏 2002/05/27 Mon 19:09:22
残念ながらサッカーの事は殆ど分からない私&家族達ですが、勿論全日本チームに
は是非是非頑張って頂きたいなあ、と思います。今回のWCで私達に直接影響を与
えるであろう事と言えば、新横浜が会場なのでその途中に位置する旦那クンの実
家近辺が、バンバン抜け道に使われる事位でしょうか。でも私が出産で入院中は
長女をその家に預ける為、やはり他人事では無いかも!?義父母には細心の注意を
払って貰わねば…。

全然関係無いですが、先日金沢動物園に行って来ました。横浜には3つの動物園が
あり、長女と共に全部制覇(!?)した事に!!うまい具合に、全部行けばパンダ以外
の動物は殆ど見られます。因みに金沢動物園のメインはコアラですが、9頭中8頭
はZzz…。24時間中20時間は寝ている動物だそうですが、いいご身分だなあ…。一
体寿命はどの位なんでしょうかね〜?

[2440] 坂本 淳子 氏(jujurbar@aol.com) 2002/05/26 Sun 17:50:52
あー、もうすぐですね、わくわくしますね。
ワールドカップが本当に本当に本当に日本で開催されるなんて。
ガンバもそれとなくはりきっちゃったりして、エムボマが到着してからだったらもっと
よかったのにね。また日本でしようかな、なんて思ってくれたかも。。な訳ない?
巨人ファンのみなさんもきっときっとジャパンの応援。そうしたら、阪神がまたちょろ
っと勝つ、すばらしい^^。

世の中があまりにもややこしくでもあけすけになってきているから、ひとつのことに集
中するが悪いこと、思慮のないことに感じたりします。
だけどたまにはわーっと、勝手に、なにかの応援団になるのって楽しいなあ。

[2439] 内野洋次郎 氏(yojiro@gol.com) 2002/05/26 Sun 11:09:58
高橋洋君と沖村理史君のメールアドレス知ってる方、教えてもらえませんか?
お願いします。

[2438] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/05/25 Sat 09:56:46
【アフリカ3つの誤解】

今回、僕は日本出発までアフリカに対しては全く何の魅力も抱いていなかった。治安は
悪そうだし、病気も恐い。1ヶ月くらいでさっと抜けようと思っていた。

しかし実際足を踏み入れてみると、それぞれの国が実に面白く、知的刺激で満ちてお
り、楽しくなってきた。そして僕も含めた一般的な日本人の抱いていた下記の3つのイ
メージが、少なくともアフリカの東部と南部(一部西部も)では全くの誤解であること
を思い知らされたのだ。

それは、
@アフリカといえば暑い
Aアフリカといえばジャングルだ
Bアフリカといえば文明が遅れている

@アフリカは意外と肌寒いヒマラヤを除けば大西洋を渡るまでの中で最も気温が低かっ
た場所が赤道直下のナイロビだったのは予想外だった(おかげで多くの旅行者が体調を
崩している)。ナイロ
ビは標高が1000mを超え、年間を通して過ごしやすいため、イギリス人入植者の拠点とな
っていた。ナイロビに限らずアフリカは東部と南部のほとんどは大地になっており、標
高も1000〜2000mくらいあるため、年中涼しいところが多い。海岸部など蒸し暑いところ
もあるが、赤道付近は低気圧の通り道となっているため雨も多く、乾季を除けば陽が射
さず意外に肌寒いことが多い。

Aアフリカにはほとんどジャングルが残っていない
今回見てきた国々では、ほとんどジャングルは残っていなかった。旧英国植民地では植
民政策で原生林をことごとく伐採し、そこに一面に芝生を植え、ユーカリの木を移植し
ている。かれらはその様に広大な人工庭園を作り、それを”美しい”と言って賞賛して
いる。一部ウガンダ・ザイール国境付近やモザンビークでは多少森らしきものがあるよ
うだが、ほとんどの国ではジャングルは見かけることなく、サバンナか”ゴルフ場”だ
った。

もしジャングルをみたいと思うなら、行くべき場所はアフリカではなく南米(特にブラ
ジル)だ。ここには広大なジャングルが広がっている。環境破壊が急速に進んでいる
が、それでも感覚的には、広すぎて手が付けられないような状況だ。

Bアフリカには日本並みの文明を持つ国もある
アフリカには日本から見ると文明の遅れている国が多いことは確かだ。しかし全てがそ
うではない。南アフリカ共和国を訪れて驚いた。金融などは日本より進んでいる。別途
詳しく記載するが、アフリカにも欧米諸国並みの進んだ文明を持つ国があったのには驚
いた。国土のあちこちにはコンビニがあり、缶ジュース一本でもカードで決済できる。
衛生状態も日本などと変わらず、サービスもよい。

アフリカの地図といえば地中海側(北)を上にして僕らは見ているが、南を上にした方
がイメージしやすい。南アフリカがアフリカ大陸の頭脳であり、心臓部である。

世の中には、日本にいては分からないことは多い。

[2437] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/05/18 Sat 09:58:21
街自体は大きいが、寂れたビルばかりで商店はほとんどなく、道路も閑散としている。
レストランもほとんどなく、メニューはチキンやビーフなどのありきたりのものばか
り。

しかし、住民は皆とても親切だ。向こうから寄ってきて道案内をしてくれ、何も要求せ
ずに去っていく。宿のスタッフなどはバス代まで払ってレートの良い両替所まで案内し
てくれた。最初はこの無償の親切に戸惑ったが、親切をするのが当たり前のことになっ
ている国民性は、戦場として多くのものを失った国々の人々に多く共通して見られる気
がする。


【レソトの様子】
レソトは南アに囲まれた中で、文明的に取り残されたような地域だった。平均高度
2000m、乾燥した国土、主な産業は何もなく、住民の4人に1人は南アへ出稼ぎに行ってい
る(一人当たりGDPは$300)。国境を越えた途端、目にみえて蝿が多いのが気にな
る。


【アフリカ最後の王国】
現在アフリカで残った王国はモロッコとスワジランドとレソトだけ。中でも特にスワジ
ランドとレソトは依然として王様の権力が強く、スワジランドの前の王様は妻が100
人、子供が600人もいたそうだ。

両国の歴史は対照的な所が面白い。

スワジランドは”自分よりも強い者とは戦わない”戦略に徹した。その結果、現在まで
国体を保つことができた。黒人国家でありながら南アのアパルトヘイトに対しても協力
的態度を示し、その支配階級の保養地として栄えてきた。現在の繁栄はまさにイギリス
や南アに追従したお陰だ。

一方レソトは自国に脅威を及ぼす国に対し徹底して戦い抜いた結果、その険しい国土の
おかげもあって現在まで生き延びている。ここの民族は昔から血気盛んで、アパルトヘ
イトを徹底的に非難。南アに周囲を完全に囲まれているにも関わらず、信じられないこ
とに1992年まで外交関係を絶ってきた。そんな硬派な態度が災いしてか、90年代後半に
政治が乱れた際には南ア戦車部隊に首都を蹂躪(じゅうりん)され、市街戦が起こっ
た。(近年こんな血生臭いことが起こった国はこの地域では珍しい。)実際、車の運転
なども荒く、僕が街を歩いたときなど、「邪魔だ!」と数台に罵られた上に、運転席か
ら”ムチ”で引っぱたかれそうになった。恐い、恐い。(こんなことをする国は他には
ナイジェリアくらいしかない!)

アフリカ南部ではヨーロッパ人の上陸以後、黒人国家やオランダ人国家がいくつも生ま
れては滅んでいったが、現在まで生き延びることのできた両国の歴史は面白い。

たかばたけたけし (takaba888@hotmail.com)
(次回はアフリカに理想郷を発見!−南アフリカ編−です。1週間後に配信予定。)



[2436] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/05/18 Sat 09:57:37
【世界視察12】近代文明との再会! スワジランド・モザンビーク・レソト

-足取り-

2/14 バス(13時間)でジンバブエ遺跡(ジンバブエ)よりヨハネスブルク(南ア)到
着。
     同日ミニバス(4時間)でムババネ(スワジランド)到着。
2/16 ミニバス2台(4時間)を乗り継いでマプト(モザンビーク)到着。
2/17 バス(8時間)でヨハネスブルク(南ア)到着。
2/19 ミニバス(6時間)でマセル(レソト)到着。


-訪問地-
★★★    ムババネ(スワジランド首都):近代的なショッピングセンターが立ち並ぶ
高原都市。緑の山々に囲まれたその町並みは生活水準も高く、スイスかオーストリアの
ようだ。

(星なし)マプト(モザンビーク首都):大きな街であるにもかかわらず、古びたビル
が立ち並びさびれた感じが否めない。

(星なし)マセル(レソト首都):生活水準の高い南アに周囲を囲まれているにもかか
わらず、土地は痩せ、生活レベルの差を感じさせる。


−解説−
グレートジンバブエ遺跡郊外のガソリンスタンドでローカルバスに乗せてもらった僕
は、現地の人たちに囲まれて世界最大の犯罪都市ヨハネスブルク(南ア)に到着する。
ここは白昼でも堂々と強盗が街を闊歩している街で、被害に遭った話も多く耳にする。
バスを降りた途端に強盗団に襲われると聞いていたので、体格のよい黒人二人にガード
をお願いして(スワジランド行きの)バス停まで護送してもらう。ロサンゼルスのダウ
ンタウンの様なその雰囲気は緊張感で満ちている。

無事スワジランドに到着し、モザンビークのビザを取得(即日発行)。ここではさびれ
きったマプトの街に耐えられず、翌日ヨハネスブルクに戻る。ヨハネスブルクでは何度
も中心街でミニバスを乗り換えたが、細心の注意を払って行動したため、結局何事も起
きず無事で過ごせた。

次なる目的地レソトはアメリカ中西部のような乾燥した大地でサボテンが生い茂ってい
る。本来この国は美しく険しい山岳地帯が見所なのだが、アクセスが悪いので幹線地帯
の様子を見るだけにとどめて、南ア南部へと抜けた。


【スワジランドの様子】
スワジランド首都ムババネでは、日本並みのきらびやかなショッピングセンターがあっ
た。ここでは日本と同じように近代的ショッピングセンターが庶民の場として存在して
いるのだ。東京のデパートかと思うほど、お店は洋服や電化製品で棚はあふれ、クーラ
ーも効いている。今までのアフリカとは全く違った世界で、数ヶ月ぶりに近代的な環境
に触れた僕は感動してまぶたが熱くなった。

(アフリカの一人当たり平均GDPは$300前後。しかしスワジランドは$1,500もある。
工業大国南アとの経済的な結びつきが強いため所得も高いのだ。ちなみに南アは
$3,000、日本は$30,000くらい。)

スワジランドの風景は、まるでオーストリアかスイスの田舎町のようだ。標高は1000m以
上あるので涼しく、時々丘には雲やもやがかかり、それがまた幻想的な美しさを醸し出
す。”南部アフリカで最も風光明媚な国”と言われているのがよく分かる。


【モザンビークの様子】
モザンビークは10年前まで内戦をしていた国で、”危険な国”というイメージがあった
ため倦厭していた。しかし多くの旅行者からの話で、現在治安は全く問題無いとのこと
から訪問することにした。

首都のマプトはどうしようもない程さびれていた。20年間も続いた内戦は終結後10年経
っても、いまだ暗い影を落としているように感じられる。近代的なスワジランド・南ア
から100kmも離れていないのにどうしてこれほどまでに違うのだろうか?

街自体は大きいが、寂れたビルばかりで商店はほと

[2435] うちやま 氏 2002/05/16 Thu 20:26:45
西川君,無事で良かったですね。

ただ今,家事をサボって野球中継を見ています。
由伸の怪我と言うか,当たりどころが気になります。
私,岡島と清水がどうしても見たくありません。

堀内の解説は結構好きです。冷静できつい。でも,一見冷静なんだけど,やっぱり巨人
ファンよねえという感じがします。気のせいか?
日テレの解説陣,笑えたのは巨人・阪神戦の江川・川藤対決でした。とくに川藤。単な
る阪神ファン以外の何物でもなかった。

今年は,阪神ファンの皆様,いいですね。藪の復活,おめでとうございます。
広島はトホホです。なぜだ!?前田も戻って来たのに。

とくに用はありませんでした。

[2434] 西川武志 氏 2002/05/16 Thu 01:53:32
今日、死にかけました。
常磐道にて車の屋根空けて走っていたらハイウェイカードが飛んでしまったので
左手で捕ろうとしたら、右手がハンドルを左に切ってしまい、走行車線を急に一
つ移ってしまいました。その瞬間、隣に車が居たらクラッシュして死んでいたこ
とでしょう。

残額1万5千円のハイウェイカードは常磐道へ飛んで行きましたが、生き長らえ
ました。

とほほ

P.S. 今週末はKOLCのイベントです。

[2433] 内野洋次郎 氏(yojiro@gol.com) 2002/05/15 Wed 01:58:59
高橋洋兄・上妻朋子姉・沖村理史兄ほか旧2組各位

今日、杉田雄心君と久闊を叙しました。泰田啓太君も電話参加。そこで旧2組も10年
祭をやろうという話になりました。夏頃で適宜日取りを決めてしまって、あとは人づて
で連絡をするという原始的な方法でやろうという話になっていますが、如何でしょう?
ご意見お待ちしてます。


[2432] 粥川善洋 氏(kayukawa@mui.biglobe.ne.jp) 2002/05/13 Mon 09:27:59
丸山茂樹選手が、バイロン・ネルソン・クラシックで勝ちました。
日本人のPGA2勝目(昨年の大ミルオーキー・オープンに次ぐ)は勿論初めて。
前週の韓国のチェ・キョンジュ選手に続くアジア勢の連覇です。
いや〜、凄いですね。私も見習ってエイジ・シュート目指して精進します。

しかし巨人強いなぁ、これだけ故障者がいるのに。勿論河原が完治したのが大きいので
すが、救援投手の使い方見てると鹿取コーチの存在は大きいというか、去年まで如何に
前監督が無茶苦茶投手起用してたかが伺えますね。

[2431] 坂本 淳子 氏(jujurbar@aol.com) 2002/05/07 Tue 20:02:20
えーと。
一昨日、旅行から戻りました。
平野君、京子・綾子ちゃん、本当にありがとうございました。
旅行はアナハイムのディズニーランドを中心に行きましたが、米国入国審査は本
当に厳しかったです。
男の人ひとり旅はもれなくストップ、荷物チェックもランダムにふたりにひとり
はトランクを開けられてました。かわいそうー。
でも、とてもわかりやすいくらい日本人は少なかった。
こんなに日本人に会わない観光旅行は初めて、というくらいです。
現地ガイドさんの話では、8月までは日本の旅行会社はアメリカ関係の商品を控
えているのだそうです。
だから、観光先で日本人団体にあうのは気がそがれる。。というひとはアメリカ
がいいかも。ツアーは安いし(でもレートが悪すぎ?)


[2430] 秋田 賢治 氏(akita@gw5.gateway.ne.jp) 2002/05/07 Tue 16:15:44
お久しぶりです。久々の記帳です。
お知らせを2つ。

まずは近況ですが、最近シックスシグマ関連の仕事を良くやっています。
トレンドに敏感な方が多いので、聞き覚えのある人もあると思いますが、
シックスシグマとは、
前GE会長ジャック・ウェルチが導入して一躍その名が知られるようになった
経営手法のことです。
ホームページもあるのでちょっと覗いて見て下さい。
http://www.sixcg.com/
http://www.gcjapan.com/
実は、この関連で雑誌に載っちゃいました。
今回の「Type」という転職情報誌にでかでかと顔写真付きで載ってます。
前回・今回・次回と3号連続で連載もあるので
それを読んでもらってもどんなことをしてるのか覗けると思います。

もう1つは、ワールドカップ・チケットの件です。
フランスの予選分(韓国開催)のチケットが開幕戦を含め3試合2枚分づつあり、
どなたか欲しい方が居ればお譲りします。
安くはないが、どうしてもワールドカップが観たいという方、
ボクのメルアドに連絡を下さい。
詳細をご相談します。
席はカテゴリー1なのでいい席です。

[2429] 西川武志 氏(t.nishikawa@aist.go.jp) 2002/05/06 Mon 13:48:12
西川です。GW仕事中・・・
アイセック三田会40周年記念会というのをAIESEC日本40周年記念式典に先んじ
てやります。KOLC関係者に限らず、講演に興味が有る方はどうぞ。
 日時:5月18日(土) 17:00〜20:00
 場所:笹川記念会館
 〒108−0073  東京都港区三田3−12−12   TEL  3454−5062
 講演:安西塾長  日本の将来と塾の役割−グローバル化とIT化の進む中で−
 17:00~18:00  (第4・第5会議室)                                    
 パーティ: 18:00~20:00  (会館ホール)
 会費: 1971年以前卒   ¥10,000
 1972〜1991年卒  ¥8,000
 1992〜2002年卒  ¥6,000

興味が有る方は、西川までご連絡ださい。


P.S. 5月1日付けでグリッド研究センター専任となり、先端情報計算センター情報
基盤研究開発室併任を免じられました。併任が解かれて暇になるはずが逆に多忙
になるのはどうじで・・・

[2428] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/05/03 Fri 03:07:16
ここハレラで多いのは、静かに後ろから忍び寄り、石(かなり大きいものらしい)で頭を
殴り相手がひるんだところで、金品を奪い取る手口だ。頭から血を流して病院に担ぎ込
まれた経験を持つ旅行者にも何人か会った。(もちろん彼らはその後めげずに旅を続け
ている。)皆同じ手口だった。

僕は夜はほとんど出歩かず、外出するときでも数人でフォーメーションを組みながらお
互いの背後を固めて歩いた(やりすぎか?)ので何事もなかった。しかしやはりアフリ
カは夜が恐い。


たかばたけたけし(takaba888@hotmail.com)

(次回はアフリカに近代文明の香りを嗅いだ!−スワジランド・レソト・モザンビーク
編です。)

[2427] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/05/03 Fri 03:06:23
【アフリカ旅行のオアシス ジンバブエ】

アメリカ中西部のような大規模農場が広がる郊外。首都のハラレにはガラス張りの高層
ビルが林立しており、いわゆる大都会。東アフリカの諸都市と違い、日本で見かけるよ
うなデパートもあり、街を歩く人々(黒人だけでなく白人も多い)の服装もきちんとして
いる。あちこちに洒落たレストランがあり、食事もおいしい。恵まれた観光資源や”ア
フリカの軽井沢”と呼ばれるそのすごしやすい気候、人の良さで以前から旅行者には定
評のある国だ。

ここは人もよい。特にビクトリアフォールズ(ジンバブエ側)などは、店員から道路工
事のお兄さんまでみんな笑顔で挨拶をかけてくる。ホテルのフロントの人ももちろん満
面の笑顔だ。たいてい、海外の観光地は結構スレている場合が多いのだが、ここは本当
にみんなが観光客を歓迎しているような雰囲気が伺える。義務教育に”笑顔”という授
業があるかのように皆感じがよい。


【現在アフリカでもっとも熱い国 ジンバブエ】

アフリカで現在最も”うまみ”がある国。それがジンバブエだ。現在通貨が暴落(1年
間でなんと6分の1!)しているおかげで、外国人はとんでもない贅沢ができるのだ!
シェラトンホテルのランチビュッフェが、たったの400円だった(質は他国と一緒)。通
常は5000円位しそうなホテルも1500円位で泊まれたりする。

ちょっとややこしいが、その背景はこうだ。
この国では英植民地時代以来、全体の2%占める白人が農地のほとんどを所有してき
た。現政権(もちろん黒人)はその土地所有にメスを入れ、農地改革を行おうとしてい
る。その過程で反対する白人地主へのテロ活動(”白人刈り”)を黙認しているため、
欧米諸国はジンバブエに対し昨年より経済制裁を行っている。

今まで外貨の稼ぎ頭だった主産業であるタバコや鉱物資源の輸出が滞ってしまったた
め、外貨収入が激減。国内にある外貨(ドル)が急激に減少したことで、ジンバブエド
ルに対する外貨の価値が急激に上昇した。その結果、暴落前からの公定レートとは別に
実質的な価値で現地通貨(ジンバブエ・ドル)と米ドルを交換するブラックマーケット
が出現。ドルが公定価格の5倍で取り引きされている。通貨暴落に伴って輸入品の価格
も上昇したが、この国では食料やエネルギーのほとんどが自給できているため、全体的
な物価は通貨の暴落分を相殺するほど上昇していない。だから外国人旅行者にとっては
夢のように安い物価で生活することができるのだ。アフリカで会った旅行者はみな治安
の悪い話を耳にしながらも吸い寄せられるように、ジンバブエに集まっている。


【真夜中は別の顔】
ここは日本人の描いているアフリカのイメージとは程遠く、アメリカの田舎にでもいる
ような雰囲気で、とても過ごしやすい。夜の顔さえなければ、ここに住みたいとさえ思
う。

夜の顔というのは、この国は現在、夜になると豹変するのである。首都ハラレなどは南
アフリカのヨハネスブルクに次いでアフリカで治安の悪い都市と言われている。昼のの
どかな風景とは対照的で、夜は集団強盗が出没し、観光客を狙ってあちこちで待ち伏せ
しているらしい。

アフリカの強盗の手口はいろいろある。ナイロビ(ケニア)では引ったくりやナイフに
よる脅し、リロングウェ(マラウィ)ではナイフで刺してから金品を奪う、ヨハネスブ
ルク(南ア)では羽交い締めにして頚動脈を圧迫して気を失わせるもの(通称首絞め強
盗)や、集団で歩行者を担ぎ上げて拉致した上で金品を奪う(通称担ぎ上げ強盗)とい
った手口が多い。

[2426] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/05/03 Fri 03:05:57
I am now in Bogota,Colonbia. Although there are some battles at the 
countrysides, the city seems to be peaceful. I heard that one man got 
shot to death the day before yesterday in front of my hotel.I will escape 
this country rommorrow.


【世界視察11】アフリカ一”美味しい”国 ジンバブエ

[ジンバブエ共和国 (1/27-2/13)]

-足取り-

1/27 ザンビアより徒歩(2時間)でビクトリアフォールズ(以下ジンバブエ)到着。
1/31 夜行列車(13時間)でハラレ到着。
2/9  バス(7時間)でチマニマニ村(同国西部)到着。
2/10 トラック(1時間)、徒歩(3時間)でチマニマニ国立公園到着。
2/11 山歩き(4時間)。
2/12 徒歩(2時間)、トラック(1時間)、バス(6時間)でマシンゴ到着。
2/13 バス(2時間)、徒歩(3時間)でグレートジンバブエ遺跡到着。
2/14 夜行バス(13時間)でヨハネスブルク(南アフリカ)到着。


-訪問先-

★★ グレートジンバブエ遺跡:約500年前の巨石文化として世界遺産に指定されてい
る。原始的な石の積み上げにすぎず歴史遺産としての価値が高いようには思えないが、
独特の不思議な地形の上に作られており、聖地となったのが分かるような気がする場所
である。

★★ チマニマニ国立公園:山あり谷ありの大自然にもかかわらず観光客が少ないため自
然に浸ることができる。

★   ハラレ(首都):近代的な街が発展している。

★   ブラワヨ:アメリカ西海岸のような雰囲気で公園も広く感じがよい街。


-解説-

ビクトリアフォールズからジンバブエに入国した僕は、同国第二の都市ブラワヨ(昼は
カルフォルニアのビバリーヒルズのように雰囲気のよい町だが、夜は同国で最も危険な
町に変わり夜盗が出没するらしい)を観光し、首都のハラレに向かった。

ハラレではあまりの居心地のよさ(後述)に10日間も滞在し、久しぶりに質の高い生活
を楽しんだ。毎日高級レストランに通い、日中は好きなことをして今までの旅の疲れを
癒した。

同宿の旅行者とモザンビーク国境の国立公園(チマニマニ公園)でその後トレッキング
を楽しんだ。思いもよらぬ程険しい山でいい運動になったが、大阪府くらいもある広大
な公園内に自分たち以外に誰もおらず(!)、野山を歩き滝壷で泳いだりとそのままの
自然を満喫することができた。

同国最大の世界遺産で国名にもなった”グレートジンバブエ遺跡”を訪れた。”ジンバ
ブエ”とは”石の家”という意味だが、この国から南アフリカにかけては火山の溶岩が
凝固した独特の台地が広がっており、巨大な石が台地からむき出しになっている。ここ
はその一つの上に立てられた700年くらい前の遺跡だが、建造物も原始的で、遺跡自体は
大した物ではない。ただ、四方を見渡す景色のよい台地の上にあり、古くから聖なる場
所として崇められてきた場所であることは実感できた。

[2425] たかやあやこ 氏 2002/05/02 Thu 15:33:07
GWのまっただなかにシリアスな話題ですいません、パレスチナ関係です。
ご存知のようにアラファトが解放されたとはいえ、パレスチナの状況は悲惨を極めてい
ます。
日本のNGO団体複数が、現在イスラエル政府およびアメリカ政府に対してイスラエル軍の
占領地からの撤退を求めるネット署名活動をしています。関心のある方はぜひのぞいて
みてください。

http://plaza17.mbn.or.jp/~CCP/shomei/signature1.html

粥川くん、この掲示板の趣旨に合わないようでしたら、削除してください。
(お手数おかけします)

話はかわって、じゅんちゃん、本当におめでとう!
さすが元グルメツアー主催者、お食事のチェックは手抜かり無かったようですね。
平野くん、レポートありがとうね。

[2424] 上村 さと子 氏 2002/04/30 Tue 19:08:59
折角の素晴らしい紀行文の後に、単なる食いしん坊的コメントで誠に恐れ入ります…。
BSE騒動以来何となく素人判断で、牛肉が我が家の食卓に上る事も少なかったので、”手
掴みで美味しい牛肉をしかも安く”召し上がったというお話を読み、正直「私もそんな
風に思いっ切り牛肉食いてえ〜っ!!」という心境です。丁度空腹時に読んでしまったの
がそもそも間違っていましたね。皆様、大変失礼致しました〜っ!!

[2423] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com ) 2002/04/30 Tue 09:56:33
-continued2

独立後、社会主義を導入して失敗しているアフリカ諸国はかなりの数に上る。タンザニ
アもかつて80年代まで社会主義を導入し、国家の中心を農業に置いた結果、多くの商
品は商店から姿を消し、生活はさらに厳しくなったそうだ。社会主義を導入して成功す
るためにはかなりのテクニックが必要とされたようだ。 


(次回はアフリカ一”おいしい”国 ジンバブエについてです。配信は1週間後を予定して
います。) 

[2422] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com ) 2002/04/30 Tue 09:55:36
continued-

赤・ピンク・オレンジ・黄色・緑・青・紫のそれぞれがくっきりと、日本は見られない
程色鮮やかに力強く輝いている。更にその周りに大きな虹がもう一つ。二重の虹に囲ま
れて”お釈迦様”にでもなったような気分が味わえる。所詮ただの滝だと思ってここま
で来たが、あまりの凄さに僕も数時間うっとり眺めていた。 

上流のザンビア側から日中見学した後、歩いて滝の正面にある大渓谷(国境)を渡り、
ジンバブエに入国した。そして夜にジンバブエ側からも滝を見学した。ちょうど満月の
夜で巨大な滝のシルエットが月明かりに照らされ、水面の輝きと轟々たる滝の流れ落ち
る音、そしてなんと月明かりでできる白い虹(!)が幻想的な世界を作り出していた。 

もしここへ来ることがあればザンビア・ジンバブエの両方から見ることをお勧めする。 

ちなみに世界三大瀑布とは他に南米”イグアスの滝”と北米”ナイアガラの滝”を指
す。(ただしナイアガラの滝は他の二つに比べると規模が小さく、”子供だまし”だと
よく言われる。)南米ベネズエラにあるエンジュルフォールも落差が1000mを超え、”凄
い滝”の一つに数えられている。 


[アフリカ一の牛肉の産地か ザンビア] 
”銅”と”草むら”と”牛肉”しかない国、というのがザンビアをまわってみての感想
だ。 

国内をバスで移動すると窓から見えるのはずっと草むら、草むら、草むら。丘を越える
と数本の高層ビルの立ち並んだ都市が見えたと思ったら、それが首都のルサカだった。
100万人を超える大都市のはずだが、商店街は日本のいなか町のようで中心街には二本の
大通りがある程度。その高層ビルも建設途中で、(恐らく70年代の銅価格暴落で)完成
する気配はない。 

ただ、この国が唯一世界に誇れるものがある。それがザンビーフ(ザンビア産のビーフ
をこう呼ぶ)だ。ルサカの中心部にあるマーケットでは道端に炭火のコンロが置いてあ
り、そこでジュージュー焼けたTボーンステーキが売られている。価格はたったの100円
(ここでは安宿の宿泊費が1000円、コーラが30円程度)。焼き上がった熱々の肉が皿に
盛られ、それを地元の人々にならって”手で”食べる。(ジンバブエのビーフもそうだ
が)肉自身に味わいがあるため、何も調味料を使わなくてもおいしく、柔らかい。ステ
ーキを手掴みで食べたのは初めてだが、手で食べると更においしさが増すようだった。
(インドでも感じたが、やはり寿司同様、本来食事は手で食べるのが一番おいしいよう
だ。) 

(東部・南部アフリカの多くの国同様)国土は標高1000m以上の高地にあるためいつも
涼しく、過ごしやすい。 

肉を除けば、タンザニア西部同様、旅行者が食べるものはあまりない。市内の売店で売
られているのはバナナとゆで卵くらいだ。データによるとこの国の貧困率(年間所得300
ドル以下の国民の割合)は9割でアフリカ最低レベル。ただ生活に困っている人々がそれ
ほど多いようには見えない。おそらく、基本的な食料の自給体制がほとんど整っている
のではなかろうか。自給自足の人々にとっては所得や為替レート、GNP等は暮らしを
測る尺度にはほとんどならないようだ。 

ザンビアは独立後すぐに社会主義を導入したおかげで、独立後10年で世界の最貧国の
仲間入りを果たすことができた。一時胴市場が活況を呈したおかげで、アフリカでもっ
とも繁栄している国と言われた時期もあったが、その後の暴落で更に貧しくなったらし
い。現在も、多重債務で首が回らない状態である。民間企業を国営化した結果、非効率
化や経営の失敗が相次いだ。

[2421] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com ) 2002/04/30 Tue 09:54:32
現在26ヶ国目のエクアドルにいます。赤道直下にあるとは思えないほど、キトは寒く
昨日などは峠道に雪が積もっていました。宿は一泊たったの$1.5なのですが、暖房器具
もない上、外とはヒビの入ったガラス戸一枚で仕切られており、持ってるものをすべて
着込んで一晩を過ごしました。あさってコロンビアのボゴダに入る予定です。

【世界視察10】何もない国 [ザンビア共和国 (1/22-27)] 

-足取り- 

1/24 ダルエスサラーム(タンザニア)より汽車(45時間)でカピリムポシ(以下ザンビ
ア)到着。同日バス(3時間)で首都ルサカ到着。 
1/26 バス(6時間)でリビングストン到着。 
1/27 徒歩(2時間)でビクトリアフォールズ(以下ジンバブエ)到着。 

-解説- 

タンザニアの首都ダルエスサラームから鉄道で2泊3日。終点であるザンビアのカッパー
ベルト(銅産出地帯)中心地(カピリムポシ)でバスに乗り換え、首都のルサカに到
着。 
ルサカで町並み(建設がストップしたままの高層ビルが数本ある程度)を見学した後、
更にバスでザンビア第二の都市リビングストンへ行き、世界三大瀑布の一つビクトリア
フォールズを見学した。 


-訪問先- 

★★★★★ ビクトリアフォールズ(ザンビアサイド):世界三大瀑布の筆頭にあげられ
る大迫力の滝。(後述) 
★★★★   ビクトリアフォールズ(ジンバブエサイド):国境が橋になっており、滝の
すぐ側を歩ける。 
★★      ルサカ:何もない街ではあるが、屋台のTボーンステーキは絶品。 
★        タンザン鉄道:駅に止まるたびに地方の産物を持って物売りがやってくるの
は楽しい。ただ、景色が変化しないのが難点。 


[ODAの傑作か タンザン鉄道] 
タンザニア・ザンビア間の鉄道はタンザン鉄道と呼ばれ、地理の授業でも必ずでてくる
有名な鉄道だ。中国の援助でザンビア最大の輸出品”銅”を海外に輸出するために作ら
れた。ザンビアの外貨獲得の生命線でもある。中国は(日本などから援助金を受け取る
一方で)このように他国に有益な援助を行っているため、同国の対中感情はかなりよ
い。(中国はネパールでも無償で道路を引くなどしており、中国ネパール関係は非常に
良いらしい)。日本も中国に見習うべきだろう。 

車内ではたまたま一緒になった日本人旅行者4人と一緒に鉄道の楽しんだが、ゴキブリ
がところ構わず山のようにいた。僕は虫が嫌いなので、最初は顔が引きつったが、何と
か適応できた。数十匹のゴキブリと寝食を共にしたのは初めての経験だった。 

(旅に出るといろいろな生物の生活が分かってくる。蚊は肌の白さやA型の人間を好む
し、蝿は夜になると天井で寝る。ゴキブリは気温が低い時や明るいときは活動しないこ
となどが観察できた。) 

海を離れて草原を走り、森の中をぬけて同じような景色がずっと続いた。終点まで三日
かかり、その間駅に止まるたびに子どもやおばちゃんたちが、アボガド、パパイヤ、パ
イナップル、ゆで卵、フライドチキンなどを売りに来るのを見るのは楽しかった。 


[世界一の滝 ビクトリアフォールズ] 
ザンビアとジンバブエの国境にある世界一の規模の滝。永い年月をかけて作り出した自
然の凄さがうかがえる。幅1700m、落差100m近いこの滝は晴れてる時に訪れると、この上
なく美しい。上空500mまで立ち上るその水煙からは、遠くからでも規模の大きさがうか
がえる。 

着ているものがずぶ濡れになる程、水飛沫(みずしぶき)は激しい。しかし強い陽射し
に照らされて滝壷の側に来ると、自分の足元を中心に真ん丸の大きな”虹”が現れる。

[2420] 名古屋のゴルファー 氏 2002/04/29 Mon 10:26:34
粥川君、106をマークしたそうでおめでとうございます。その前哨戦に参加していた
ものとしても喜ばしい限りです。あの時は、満開の桜をバックに気持ちはよくラウンド
できましたがスコアは・・・。弊社のシングルプレーヤーによれば、春先は芝の状態も
悪く1番向いてない時季だとか。95を叩いたとむかついておりました。(私なら大喜
び)。ゴルフ未経験の方はなかなか理解できないと思いますがビギナーゴルファーにと
って100を切るのはは1つの大きな壁です。今回ダボペース(規定打数より+2打)以
内で回れているようなので、その日は案外近い??かも。ただ油断は大敵。ゴルフには
コンフォートゾーンなるものがあるそうで、普段のスコアより良かったりすると心の落
ち着きが失われ、大たたきしたりしていつもと大差なくなってしまうとのこと。体力よ
り、メンタルなスポーツなんですよね。だからこそ長くにわたって付き合えるのです
が。また時間が取れたら、芝の上でお会いしましょう。来名(帰省)の際は是非ご連絡
を。私も練習しておきます。                林(杉浦)義隆

[2419] 上村 さと子 氏 2002/04/24 Wed 19:22:35
え〜っ!?”あの”オリセンが”お洒落”になったなんて全く想像も付きません!!でも値
段等も相応に跳ね上がっているんでしょうか?私としてはあの”見掛けも超格安”な所が
魅力だったのですが…(失礼!?)。AIESECが研修メインになっているというのは風の噂
で聞きました。あと私が在籍当時インカレなのは東大と一橋くらいだった為、TOLCに参
加させて頂いていたのですが、現在は慶応などにもその波が拡大しているようですね。
12年も経てば色々と変わって当然。12歳下の妹が当時の私の年齢になっている事を考え
れば…。

ところで先輩方はやはりゴルフをなさる方が多いようですね。私は残念ながらこれまで
の人生の中で全く縁がありません。実家の父はゴルフよりソフトボール&野球だったの
で、ゴルフクラブは1本も無い代わりにバットは沢山ありました。旦那クンもやはりゴル
フとは縁遠い人で、スキー板と釣り竿ならゴロゴロありますが…。

平島兄妹は相変わらず仲がいいんですね。ず〜っとお会いしていませんがお元気そうで
何よりです。

それではまた!!

[2418] 粥川善洋 氏(kayukawa@mui.biglobe.ne.jp) 2002/04/23 Tue 12:40:28
高橋殿

オリセン(国立オリンピック記念青少年総合センター)は丸っ切り建物が建て直され、
何処に何があったか判別も付かない状況になってます。
ご参考:記事「オリセンを訪ねる」
(http://www2a.biglobe.ne.jp/~koenji/news23.html#gorin)

>研修しかやらない (中略)
>それでどうやってアイセッカーのモチベーションを保っているか不思議なのですが。
AIESEC内でも疑問視する向きはあるようで、最近所謂「企画」が復活しつつあるとのこと
です。歴史は繰り返すと言いますか。


さて話は変わりますが、昨日平島兄弟とゴルフをやりました。結果は106。一般的に
は特段すべきスコアでもないでしょうが、私のこれまでの惨状を知る方にはよくここま
で普通人並になったものだと感慨していただけるでしょう。私も大変感激してます。
ドライバーが綺麗に当たった。アプローチ・パットもそこそここなした。アイアンも曲
がらない、といいこと尽くしでイン・アウトともに10を叩いたホールがあったにも拘わ
らず、パーを4つ取っての106は私としては夢の様だ!!!。

ということで、11/9(土)の88世代全体会合の翌日もぜひ大コンペしませう。
今回が夢か幻かという結末に終わらない様、引き続き毎週の練習場通いは欠かさない様
致します。

[2417] 高橋 洋 氏 2002/04/22 Mon 18:01:55
私、未だにアイセックの仕事をよくやっているのですが、この前の土曜日には、慶應SFC
の研修生面接と東大の研修説明会のダブルヘッダーをこなして来ました。その中でいく
つか発見があったのですが;

オリセンが新しくなっている!
数年前に全面的に改築したようですが、ぼろい小学校の校舎のような建物群が生まれ変
わり、ちょっとしたアミューズメントパークのような、カラフルでかっこいい建物にな
ってました。建物の中も新しくて便利で良かったですよ。

最近は飲み会よりもお食事会が主流
我々がアイセック時代は、仲間同士よく天狗で飲んだものですが、最近は飲み会よりも
お食事会が主流のようです。頻繁に使うのは、渋谷のリケロやパスタ館で、1人1000円ぐ
らいで収まるので好評とのこと。今も昔も、学生時代の食事上限が1000円というのは変
わらないようです。

アイセック明治大学委員会設立
本年4月より、アイセック明治大学委員会が設立されたとのことです。明治大学のアイセ
ッカーにも会ってきました。お猿殿、OBとして何かと協力してあげてはいかが?

研修しかやらない
既に風邪の噂には聞いていると思いますが、今のアイセックは研修事業しかやってませ
ん。その分、昔よりは小規模な組織になっているようですが、それでもより緻密、組織
的に研修事業を運営しているようです。例えば、研修生の選考も外部委員(私ね)を交
えて行い、またTOEICの最低限度も730点、研修前に研修生向けのトレーニングセミ
ナーを行ったりと、質の良い研修を目指しているようです。そのためか、研修生も外部
アプリカントが半分以上を占めるようです。それでどうやってアイセッカーのモチベー
ション(これは死語ではないようです)を保っているかが不思議なのですが。

[2416] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/04/22 Mon 02:03:40
[タンザニア連合共和国 (1/7-20)]

-足取り-

1/7  ルワンダよりバス2台(9時間)乗り継ぎタンザニア国境到着。
1/8  バス(10時間)でムワンザ(以下タンザニア)到着。
1/10 バス(14時間)でイシンダ到着。
1/11 バス(10時間)でアルーシャ到着。
1/13 バス(9時間)でダルエスサラーム到着。
1/14 船(3時間)でザンジバル到着。
1/20 船(2時間)でダルエスサラーム到着。


-訪問地-(最高5つ星で評価)

★★    タンザニア・ルワンダ国境:国境が川になっており、激しい流れが滝のように
なっている。意外と見ごたえのある光景だった。

★★    ムワンザ(タンザニア西部):青々としたきれいな湖水の南にあるとても風向
明媚な都市。湖水に浮かぶ独特の丸い岩が不思議な風景を形作っている。

★★    ストーンタウン(ザンジバル島):かつてインド洋を支配したオマーン帝国の
首都が置かれていた場所。町並みもイスラム風で住民の大半がイスラム教徒。アフリカ
であることを忘れてしまうように、空気も軽く南国ムードがあふれている。

★★    パジェ(ザンジバル島):比較的透明度の高い美しいビーチで、10cmくらいの
浅い海岸が1km以上沖まで広がっている。

★      スパイスツアー(ザンジバル島):香料貿易の商品であるスパイスが実際に生
産されている農園を見学できる。説明も充実しており、独特のランチもついている島で
は有名なツアー。オマーン時代の遺跡も見学できる。


−解説−
西部のルワンダ国境からタンザニアに入国した僕は、世界第二の淡水湖ビクトリア湖に
面したムワンザという町に向った。ここはタンザニア第二の大都市でありながら舗装道
路は中心部の一本のみであるのには少し驚いた。他の町へ行っても電気のないところも
多く、電気のある町に着く度に感動した。

キリマンジャロを一目見ようと、そこからアルーシャという町を目指したのが、その間
約1000kmのほとんどが未舗装であり、3日かかった。東京−鹿児島間をずっと砂利道で
行くようなものだ。揺れのひどさも然る事ながら、砂埃で身体はまっ茶色。もう砂利道
は通りたくない・・・。

結局天候が悪いため、キリマンジャロは見ることができず、首都ダルエスサラームへ向
った。この街で事件は起きた(別記参照)。

ここからフェリーでザンジバルへ向かった。ザンジバルはタンザニア連合の中にある国
だ。タンザニアは元々、本土側のタンガニーカという国とザンジバルという国が合併し
てできた連合国家。文化も違うのは、ザンジバルはかつてのオマーン帝国の首都だった
からだ。19世紀前半、イギリスと肩をならべて覇を競った海洋帝国はこの島を中心に
奴隷や胡椒などの貿易で潤った。

[2415] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/04/22 Mon 02:01:44
現在25ヶ国目ペルーにおります。昨日はマチュピチュにいました。日本でのイメージと
は異なり、一部の都市をのぞき、平和でのどかな国です。ただ、標高が3000m前後あるの
で寒くてたまりません。これから地上絵のナスカへ向かいます。

上村さん、たかやさん、野地さん、弓場さん、粥川さん、レスポンスありがとうござい
ました。

[2414] 弓場潤一 氏(VYC04171@nifty.ne.jp) 2002/04/22 Mon 01:36:57
弓場です。ごぶさたしてます。
たかばたけ君、元気そうで何より。野地さん、中部の新年会以来ですね。先月我が
家にUNHCRのフレンチアフリカ地区担当マネージャになられた米川正子女史
(KG86)が泊まりに来られたのですが、やや安定を取り戻しつつあるルワンダ
に対してムネオ問題で日本でもその名が知られるようになったコンゴでは旧来から
ある部族対立に加え、通信機器に欠かせないレアメタルの産出国であるという地理
的要因が混乱にさらに拍車をかけているとこぼしていました。本来であれば最大の
需要国の一つである日本としてはそうした混乱を終息せしめる為に影響力を行使す
ることの出来る立場にあるのかもしれませんが残念ながらそういった動きは見られ
ませんね。

僕の方は引き続き旧CIS地域の廃棄核の管理/処理という安全保障上かなり大事な
仕事をやらせて頂いているのですが、ご承知の通りの混乱で政策立案に携わるべき
人たちが全く役目を果たせない状況が続いており、嘆息の日々が続いております。
まあ進行中のプロジェクトについてはカザフスタンやベラルーシの現地サイトへの
出張などもあり、私個人が任されている仕事をこなす分には結構面白いんですが。

でもほんとこの国の外交が正常化するのはいつの日なのでしょうか。

[2413] 野地恵子 氏(krnoji@hotmail.com) 2002/04/17 Wed 19:57:58
続きです:

住民集会があるとトラックの荷台一杯に軍人がロケット弾やマシンガンをもって駆けつ
けていました。その頃は学校などに捨てられた集団虐殺された遺体があちこちで掘り返
されてお葬式が行われていました。いつ何があっても隣国に逃げれるように準備しなが
らの滞在でしたのでかなり精神的にきつい生活でした。1994年以前もずっと2部族の間の
紛争が絶えなかった悲しい歴史を持つ国。平和を願わずにはいられません。

[2412] 野地恵子 氏(krnoji@hotmail.com) 2002/04/17 Wed 19:56:27
1996−97年にルワンダにとあるNGOの駐在スタッフとして働いていた野地といいます。
たかばたけさんのルワンダ紀行文を読んで思わず筆をとりました。はじめまして。旅行
にいらっしゃるとは珍しいですね。ジャーナリストか国際援助関係者の方しかルワンダ
にはいらっしゃらないかと思っていました。ギゴンゴロ虐殺記念館にいらっしゃったと
の事。四国よりちょっと大きいだけの国ですから場所も限られますが、もしまた行かれ
ることがあれば、あるいは行かれる方がいれば、以下の場所もお勧めですよ。ただ状況
が今では変わっているかもしれませんので、行かれる際には確認をお願いします。

ルヘンゲリ国立公園。野生のゴリラファミリーが見られる世界でも限られた場所です。
キガリのオフィスで申し込みます。標高2500メートルぐらいのところまで車で行き、後
は全く人の手の入っていないジャングルのような山をゴリラに遭うまでひたすら登りま
す。私のときで6時間!3人のレンジャーが15人ほどの観光客を案内してくれるのですが
、一人は先発でゴリラを探しに行き、隊の先頭に立つ人と無線で連絡を取り合います。
もう一人は最後尾で全員が登るようにハッパをかけてくれます。足場が大変悪くって何
十回と転び、標高も3000メートルを越えると高山病にかかって頭痛に息切れ胸痛、散々
な目に会いましたが、ゴリラのファミリーにその苦労も吹っ飛びました。「ゴリラはあ
なた達に触れても良いが、あなた達はだめです」というルールがあるほど、近くでシル
バーバックが見れますよ。帰りはもう動けずレンジャーの一人に背負ってもらって山を
降りました。ただ一つ問題は、この地域は反政府ゲリラの本拠地の一つなんですよね。
ゲリラの人達は普段武器をこのあたりの山に隠し農民として暮らしているとか。私がこ
のツアーに参加したのは1997年元旦でしたが、月末には治安上の問題から閉鎖され、「
良く無事だった」と冷や汗をかきました。現在どうなっているかは不明です。体力のあ
る人にお勧めコースです。

体力のない方はアカゲラ国立公園で野生動物を見るサファリなどはどうでしょう。ジー
プで公園を巡るので楽です。タンザニアやケニアほどではないですがシマウマ、キリン
、ワニをはじめ色んな動物がいます。観光地化していないことが魅力でしょうか。デー
トや新婚旅行にはお勧めしません。舗装していない道路をひた走るので赤土の砂で、Tシ
ャツが顔が茶色になるほど汚れます。ここもただ一つ問題が・・・ツェツェバエの生息
地なんです。ご存知かもしれませんが、これに刺されると牛でも昏睡状態に陥り死に至
ります。ワクチンも有効な治療薬もないと聞きます。ジープの後ろからはピッタリとそ
のハエの群れが追いかけてきます。窓を締めると暑くてやってられない、でも開けると
すかさず入ってくる。蜂のようにアグレッシブなハエで、ハエにこんな恐怖を感じたこ
とははじめての経験でした。

生命の危険を感じる場所はいやという方には、昔の王宮と王家の墓をお勧めします。草
で出来た丸いドーム上の屋根。これが王様の館?と思うくらい質素ででも民族色豊かな
平屋の建物です。遠い昔この国もベルギーフランスに植民地とされる前は、つつましく
も平和だったのかもしれないと思わされました。地元に住むおばあさんが代々その王家
の墓を守りつづけていますが、荒れ果てた寂しい場所で世の無常を感じさせられる場所
です。

ルワンダの治安は戻っているようで嬉しいです。私がいた頃は丁度1994年の難民(フツ
族)が国に帰ってきているときでしたので、政府(ツチ族)も過敏になっていて首都で
戦車は見るし、

[2411] たかやあやこ 氏 2002/04/17 Wed 14:46:38
高畠くん、お元気そうで何よりです。ルワンダでの体験、強烈だったと思います。
私は、ルワンダでの紛争が激しかったときには多少明るい兆しが見えていたパレスチナ
が恐ろしいことになっていて気になっています。
役者?の揃い方からしてかつてのレバノンでのパレスチナ難民キャンプ虐殺事件とだぶ
ります。

7年前に西岸・ガザを訪れたときには想像もできなかった展開です。
アラファトが監禁されているラマラはキリスト教徒が多く、西岸のなかでもひときわ洒
落た街でした。虐殺が行われたのでは、といわれているジェニンへの道はオリーブ並木
が続き、アーモンドの白い花がとても素敵でした。ガザは当時から封鎖続きで「巨大な
ゲットー」と言われていましたが、街が少しずつ整備され、「平和への投資」が実践さ
れていく姿には活気がありました。

私は、「パレスチナびいきだ、偏っている」と言われて否定しませんが、やはりアメリ
カはもう少し動け!と思うし、日本政府もあれだけ対パレスチナ援助したんだから積極
的に発言すれば?と思ってしまいます。....でもGWに行われる予定の関連NGOs主催の平
和デモには夫の実家への帰省もあって参加しないんだよね...なんか情けないと思う今日
このごろ。

[2410] 上村 さと子 氏 2002/04/16 Tue 12:10:14
高畠さん(漢字が間違っていたらごめんなさい!!)のルワンダ紀行文を読み、その様子
を想像するだけで心臓がドキドキしました。私だったら実際には絶対に(恐怖で)見ら
れない光景です。
日常生活を自分なりに一生懸命生きているつもりでいながら、それでもついつい不平や
不満ばかり言ってしまいがちな自分が、非常にちっぽけで情けなく思えます。確かに日
本の治安も悪化しては来ましたが、ルワンダの人達からすればそれは比較しようの無い
程安全なものです。自分自身と家族・友達が日々を安全に暮らせる事がどれ程貴重な事
なのかを、改めて考えさせられます。
高畠さん、ご自分自身もお身体に気を付けて、是非また貴重な体験をお聞かせ下さい。

[2409] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/04/15 Mon 05:48:45
つづき2

幾ばくかの寄付をして(この記念館は寄付で成り立っている)、この村を後にした。現
在この地域に住んでいる人々は、虐殺後によそから移ってきた多数派民族の人達だ。実
際に虐殺に参加、協力した人もいるらしい。今はほのぼのとしていて皆仲良く暮らして
いるその姿からは、とても7年前の惨劇は想像できない。(この日の晩は恐くて眠れな
くなるのではと、数日前からびくびくしていたが、いざ見学してみると、あまりに死体
の数が多く、逆に現実感が湧いてこなかった。)

バスを待っている間に現地の青年に話し掛けられた。
「この村の人達を見ててどう思う?
(とても平和そうで)どこにでもいるような普通の人だろ?でも、普通の人達にでもこ
んなこと(虐殺)が出来るんだよ。
[Normal people can do it.]」
と言った彼の言葉に、人類の持つ性(さが)を感じ、背筋が凍った。

ルワンダは現在、虐殺後に隣国ウガンダの支援を受けた少数派民族軍が旧政府を追放
し、同国を支配している。虐殺を指導した残党は旧ザイールやタンザニア等に逃れ、虎
視耽々と復活の機会を窺っている。しかし国内は現政府の多数派民族に対する寛大な政
策のおかげで、治安はほぼ完全に回復し、政情も安定している。

[2408] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/04/15 Mon 05:47:45
つづき

【ルワンダ虐殺記念館】
(背景)
1994年ルワンダ・ブルンジ両大統領の乗った飛行機が何者かによって撃墜された日
から、この恐ろしい惨劇は始まった。

ルワンダには二つの大きな民族が共存していた。独立以来少数派(ツチ族)は事ある毎
に迫害され、近隣諸国に逃れることが多かった。この少数派民族は度々隣国の支援を得
て軍隊を組織し、侵攻するが、フランス・ベルギー(旧宗主国)の支援を得た当時の政
権には勝てなかった。度重なる侵入に業を煮やした政府は、この事件を利用して少数派
民族の抹殺を試みた。政府軍だけでなく、マスコミ(ラジオ)を積極的に利用してこの
少数民族の”抹殺キャンペーン”を繰り広げた結果、多くの多数派住民(フツ族)が煽
動され、たった4ヶ月足らずでなんと人口の1割を超す100万人もの国民が殺された。こ
の犠牲者には少数派民族だけではなく、多数派民族側でも少しでも同情的もしくは同情
的とみなされた人々も数多く含まれている。


ルワンダの首都キガリからミニバスで半日、更にそこでバスを乗り換えて2時間、次に
自転車(荷台タクシー)で山の中の小道を揺られて1時間行った所にギコンゴロ村はあ
った。この村は少数派民族の住む村で2万7千人もの村人がいたが、4人を除いてすべ
てが殺された。

生存者4人のうちの一人に会うことができた。彼は奥さんも3人の子供もみな殺され、
命からがら山に逃げたそうだ。あたかも残りの人生の全てを諦めているような、心の中
に大きな穴でもあいているかのような口振りで、敷地内を案内してくれた。フランス語
だったので彼の言うことは完全に理解できなかったのがとても残念だったが、その時に
できた頭の傷を見せてくれた。こめかみの上に2センチ程度大きく窪んだ後が残ってい
た。虐殺者が大勢押しかけてきたときに、斧のようなもので殴られた跡らしい。

”記念館”とは名ばかりで、そこは解説版も何も無い単なる丘の上に建てられた学校の
跡地だった。しかし、その中には恐ろしい遺産が安置されていた。最初に目に付いたの
は、講堂に張り渡されたロープに掛けられた数十着の黒ずんだ衣類だった。殺された
人々たちが当時身につけていたセーターやジャンパーで、黒ずんだ血や泥が未だにこび
り付いていた。

そして教室に案内された。酸っぱいような甘いようななんともいえない、しかし嫌な匂
いには違いないような、初めて嗅ぐ死体の匂いだった。教室は平屋で敷地内に20室く
らいあったが、その中で目にしたのは数百体のミイラ化した死体だった!一つ目の部屋
には白骨、どくろが詰まれていたが、殆どの部屋は半ば腐りかけた死体がそのまま残さ
れていた。(国内が静まった後に掘り起こされたもの。)乾燥剤のため腐敗が止まって
いるので、当時の姿が残っていた。紫色の染み(血)の着いた服を着ている男性。後頭
部に鎌で半月状にえぐられた跡が残っている。髪の毛の残っているものもある。頭や顔
を撲殺された子供の死体も多かったのが特徴的で民族を根絶やしにしようという意図が
読み取れる。

ある女性の死体は首に掛けたネックレスを右手で胸の前にしっかりと握ったまま白骨化
していた。大事な人にもらった大切なネックレスだったのだろうか。理由なく殺されて
いったその時の彼女の無念さを考えると目頭が熱くなってくる。

案内してくれた彼によると、これらの死体のほとんどは彼の知り合いだそうだ。何百体
もあるミイラ化した友人の死体を外国人に案内する彼の気持ちはどんなだろうか?さす
がに尋ねるのは気が引けた。

[2407] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/04/15 Mon 05:46:48
今ボリビアのラパスにいます。
ウガンダ・ルワンダでの体験を掲載します。

[ウガンダ・ルワンダ (1/3-7)] 

1/3 バス(14時間)でカンパラ(ウガンダ)到着。
1/4 バス(8時間)でキガリ(以下ルワンダ)到着。
1/5 バス(2時間)でブタレ到着。
1/7 バス2台(9時間)を乗り継いでタンザニア国境到着。


-訪問地- (最高五つ星。過去50カ国の訪問先からの相対評価です。)

★★★★ ギゴンゴロ虐殺記念館:ルワンダで7年前に虐殺されたツチ族の遺体数百体が
保管されている。半乾燥状態のミイラとなっているが、別途記載の通り色も匂いも生々
しく、このような場所は世界広しといえども他には無い。(解説などの設備に欠けるの
が残念。)

★       カンパラ(ウガンダ首都):7つの丘の上に作られたその都市はまるで公園の
よう。官庁街は緑の芝生で覆われているが、他は舗装もされていない雑然とした泥だら
けの街。

★       キガリ(ルワンダ首都):特に賑わっているわけでもないが、丘の尾根にへば
りつくようにして発達したその都市の景観は面白い。


−解説− 
当初はすぐにタンザニアへ入り、キリマンジャロに登る予定であった。この山は世界の
名峰のなかでも素人が特殊な装備も必要とせずに登れる唯一の山として有名なのだが、
単独行動を取らせてもらえないこと、5日以上の時間がかかってしまうこと、US$500以上
ものコストがかかることなどから、今回の旅の趣旨と照らし合わせて見送ることにし
た。

そして別の旅行者から、すぐそばのルワンダで6年前の民族大虐殺の生々しい傷痕を目に
したとの話を聞き、治安も現在問題ないとのことから、ルワンダを目指すことにした。

ナイロビから夜行バスでウガンダの首都カンパラへ向かう。途中ナイルの源流を目にす
ることもできた。(ビクトリア湖からたくさんの水が溢れ出しており、それが源流だっ
た。)北海道のように丘のつながる風景を眺めながら、ルワンダの首都キガリに着き、
ミニバスなどを乗り継いで、結局ナイロビから4日目で、目的地の”ルワンダ虐殺記念
館”に到着した。そこは・・・想像を絶するところだった(別記参照)。

[2406] 三浦章豪 氏(takatoshi.miura@comcast.net) 2002/04/09 Tue 21:37:19
おぉ、辻田さんおめでとうございます。
ご無沙汰しております。三浦です。

当日は残念ながら米国滞在中の予定で参列できませんが、末永くお幸せに!

[2405] 辻田敏宏(TO86) 氏(TOSHIHIRO.TSUJITA@hakuhodo.co.jp) 2002/04/09 Tue 20:27:38
ご無沙汰しています。
辻田@TO86です。

私事で恐縮ですが、
いい加減聞き飽きたという方、はじめて聞かれる方等
いろいろといらっしゃると思いますが、
このたび、私 辻田敏宏は、長年の独身生活にピリオドを打ち、
吉田惠美子という女性と、縁あって人生を共に過ごしていくことにしました。

相手のことを少々ご紹介させていただくと、
01年6月まで婦人画報社で雑誌編集をしており、
その後フリーでライター・編集をしている、1970年5月19日生まれの女性です。
昨年の5月に合コンで出会って、秋には結婚を決めました。

つきましては、お世話になっていらっしゃる皆様方に、私たち2人の出発を見届けて
いただけたらと思い、結婚式のご案内をさせていただきます。

あまりお金をかけずに結婚をしようと2人で相談して、
披露宴は親族のみでとりおこない、2次会はしないということに決めました。
従って、当日は皆様方には式のみに参列していただくことになり、
おもてなしもできず、またゴールデンウィークのさなかのご多用な中での
御案内ということで誠に心苦しく存じ上げますが、
もしお時間がおありでしたら、普段着で構いませんので、
ご列席賜れば幸い至極に存じます。

心よりお待ち申し上げております。

	日時:平成14年5月5日(日)
	    午後3時30分より開式

	場所:カトリック神田教会
		千代田区西神田1-1-12
		tel:03ー3291-0861
		URL:http://www.catholickandachurch.org/
	    (別添地図参照)
          最寄駅はTOLCの事務所のある水道橋駅です。


	    (ご出席頂く際には誠に恐縮ですが、午後3時15分までに
		お越しいただけますようお願い申し上げます)

なお、結婚後も住所等はかわりません。
羽田空港まで約20分(クルマ・電車)というところですので
地方の方でも東京にお立ち寄りの際は、お気軽にお声をかけてください。

辻田敏宏

[2404] ひろりん 氏(VEG01772@nifty.ne.jp) 2002/04/09 Tue 19:41:45
元祖「めおとがも」のかたわれです。

今回は高橋くんの行き届いた幹事のおかげで、とても楽しい1泊2日の麻雀旅行となりま
した。これは勝ちつづけた高橋くんのみでなく、参加者全体の感想だと思います。ちな
みに我が夫婦は今回もブービーのワンツーフィニッシュでしたが・・・

このHPの記事で粥川主幹から、また、下記で高橋くんからもメンバー募集されています
が、女性の参加者がなかなか集まらないので、多少でも麻雀をされる方、次回は一緒に
いたしませんか?私も数年前に麻雀を始めたばかりの初級者ですが、記事にもあったと
おり、メンバーに余裕がある場合には空きメンバーから指南を受ける事もできます。
みんな親切に教えてくださいますよ。
私は諸先生からの教えに従い、さっそく「捨て牌の見極め方」「複数役を考慮した進め
方」の本を買って次回に備えます。

ひろりん

[2403] 高橋 洋 氏 2002/04/09 Tue 10:25:24
既に粥川氏により掲載されていますが、水上温泉麻雀は近年稀に見る楽しい温泉旅行で
した。温泉あり、豪華料理あり、最高の仲間あり、そして遊戯三昧。最高の環境の中で、
14時のチェックインから明朝5時過ぎまで15時間打ち続けましたが、本当にあっという
間でした。

普通の温泉旅行よりも「遊戯」という目的が明確であるため内容が濃く、かと言って東
京での自宅のように不自由な環境の中で根を詰めることもなく、非常に高い満足度であ
りました。私は運良く勝ち続けられたからということもありますが、負けた方々も同様
に思ってくれたことと思います。

今回は初めての企画でしたが、現在7月頃を目途に第二回を構想中です。麻雀初心者で温
泉や静養をより重視される方でもそれなりに楽しめると思いますので、より多くの方々
の参加をお待ちしております。お問い合わせは高橋まで。目指せ10名以上!

[2402]あまやん 氏(amayan@geocities.co.jp) 2002/04/08 Mon 02:28:40
こんにちは!あまやんです。100000ヒット達成おめでとうございます!これも
マメな更新のたまものですね。あまやんも見習わなければ。
中国はよく行かれるんですか?兵馬傭は高いものでも15元くらいでした。
散髪も外でしたら15元くらいととても安かったんだけど、ホテルの中では
なんと200元、でも利用している中国人がいたり、貧富の差、いろんなところでの
値段の差というのが、ものすごく拡大しているような感じです。
このままいくと社会主義は破たんするでしょうね、それともどこか適当な
ところで民主化が進んで軟着陸するようになるのか、そのへんが興味深い
ところです。

[2401] 西川・眠い眠い・武志 氏 2002/04/02 Tue 23:38:14
淳ちゃん、ご婚約おめでとうございます。
また博士課程進学、がんばってください。

ところで偏食問題ですが、無理に直さなくて良いと言う意見がありましたが、直
す必要があるとすれば健康面でのリスクを低減したいと本人が判断するかどうか
だと思います。
私は昨日から1年ぶりのダイエット再開です。1年で20%減量を目指していま
す。過剰カロリー摂取防止(間食はしていないので夕食の量を減らす)と運動不
足の解消を目指します。まずは歩きます。

そうやって歩き出したからか、眠いです。すんごく眠いです。
先週、1週間、火曜日に風邪でダウンした以外は眠っていないので、睡眠不足解
消の身体要求が、適度な運動の疲れとともにやってきているのでしょうか。

このWebに年金運用関係者のいるF社には悪いのですが、3月末締め切りの原稿は
明日書きます。おやすみなさい。
[2351-2400]