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[2600] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/07 Thu 11:33:31
【世界視察30-1】バスの旅はつらい!パキスタン編

[パキスタン南部(8/13-23)] 

8/13 パキスタン国境:バム(イラン)よりバス等4台6時間
8/14 クエッタ(以下62 パキスタン):夜行バス13時間
8/15 ラワールピンディ:夜行バス23時間
8/19 ペシャワル:バス3時間
8/23 アフガニスタンへ


【訪問先】

★★    ペシャワル:アフガニスタンへの玄関口。密輸品の巨大なマーケットがあ
り、ここから西はパキスタン政府の力の及ばない無法地帯(部族地域と呼ばれる)。ア
フガン風の商店も多く、ガンダーラ文化の中心的な都市であったせいか独特な雰囲気の
大都市。

★         イスラマバード(パキスタン首都)およびラワールピンディー:ツインシ
ティ(双子都市)。前者は緑深い山の中にぽつんぽつんと建物が立ち並ぶ計画都市だ
が、アフリカの大都市のように建物と自然がアンバランスだ。後者は比較的古い町で、
パキスタン人の生活がうかがえる。中心部でも生ごみが散乱。対照的な汚さ。

(星なし)  クエッタ:パキスタン西部にあるイラン・アフガニスタンへの中継地。砂
漠に囲まれたこの町は、砂っぽく何にもない。

[2599] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/07 Thu 11:31:02
太田さん

来週出版社の方々と食事の機会があるので相談してみます。確かにこの経験を世に送り
出してみたいです。

別の友人が過去の送信分をもとに、HPを作っています。更新は多少遅いですが、よろし
かったらご覧下さい。ヤフーで僕の名前を入れて検索すれば出てきます。

[2598] 太田康広 氏 2002/11/07 Thu 09:34:23
太田です。

高畠,せっかく貴重な体験してきたのに,旅行記出版の予定はなしとのこと。
じゃ,せめてウェブを作ってはどうでしょう。

[2597] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/06 Wed 11:01:39
【世界視察29-3】アメリカはひがんでいるの?イラン編

【イラン・イスラム共和国】
この国は世界でもトップレベルの文化を持っているように感じられた。では文化とは何
か。それは先祖代々受け継ぎ、熟成させてきた広い意味での“マナー”なのではなかろ
うか。つまり"人々が気分よく生活を送るための知恵、システム"と言いかえることもで
きよう。

これには宗教も大きな影響を及ぼしたと考えられるが、むしろ紀元前から脈々と続いた
ペルシャ文化によるものが大きいように感じられる。というのは同じイスラム経国でも
周辺国とはかなり異なっているからだ。新興国家であるペルシャ湾岸諸国(サウジ・ク
ウェート・UAEなど)はお金は唸るほどあるが、独自の文化というものはほとんど感じ
られない。その他のシリアやヨルダン、エジプトなどと比べても文化はずっと洗練され
熟成されている印象を受けた。一般にペルシャ人とアラブ人は全く別と言われている
が、それがよく分かった。

日本人は世界でも稀な“きれい好き民族”だが、イラン人も同様である。どこへ行って
も掃除が行き届いており、どの宿でも安心して泊まれた。

アメリカ政府はいつもイランを目の敵(かたき)にしている。イラン政府の政策がアメ
リカの国益に合わないのが直接の原因なのだろうが、実感としてはアメリカの“ひが
み”のように感じられた。というのは文化や国内政治、その結果として得られている国
民の満足感という意味では、アメリカはどう頑張ってもイランにはかなわないように感
じられたからだ。経済的にも富の格差はほとんどなく、その分配は公正に行われている
ようだ。浮浪者を見かけることもほとんどなかった。

ただ女性は行動の自由が制限される。外国人も例外ではない。全員チャドルと呼ばれる
スカーフ(黒が多い)を被り、髪を覆わねばならない。車やバイクの運転はおろか、自
転車に乗ることすら制限される。一人旅はできず、何をするにしても夫か保護者が同伴
する必要がある。そのため一人旅で大陸を横断している女性旅行者(結構日本人も多
い)は皆イランで不便な思いをしている。一緒に行動してくれる男性旅行者を見つける
ケースが一般的らしい。しかし、中には"行動の自由"を手にするために、女を捨てて頭
髪を全て剃っている日本人女性を何人か見かけた。こうするとイラン人には女性である
ことがバレないのだ!確かに賢いが、そこまでする彼女らの旅への意気込みとは一体何
なのだろうか。

余談だが、イラン人は眉が濃い。男性の5人に1人くらいは両方の眉が繋がっている。
バカボンのパパのようだ。失礼ではあるが、初めのうちはおかしくてたまらなかった。

この国の自然環境は、南米ボリビアを思い出させるほどの過酷さだ。国土は北部のカス
ピ海沿岸(ここは新潟のような水田風景が広がっているらしい)を除き大半が砂漠。そ
のなかにオアシス都市が点在している。照りつける日差しも激しく、"悪魔の太陽"が実
感できる。夏は朝と夕方以外は暑くて動けなかった。

次回からは“長くハードな道のり パキスタン編”です。

[2596] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/06 Wed 01:12:24
もともとトルコやフィンランド、イラン等かつてロシアに苦しめられていた国々は、日
露戦争に勝利した日本人に憧れ、尊敬しているといわれる。第二次世界大戦で日本は、
アジアで唯一欧米諸国に弓を引いたということから、欧米植民地だった国々の日本人気
は高いともいわれる。また、アメリカと敵対している国や反戦意識の高い国などでは、
世界で唯一被爆国となった日本に対する同情心は高い。ソニーなどの電化製品や頑丈な
トヨタ車など日本製品の信頼の高さも、日本人への信頼感へ直結している。

そしてイランでの対日感情は、特に良い。この国では10年以上前にドラマ”おしん”が
大ヒットし、国民の多くは今でも内容を鮮明に覚えている。ちょっと話をしても“カヨ
さん”だとか父親の名前までが、彼らの口からぴょんぴょん飛び出してくる。このドラ
マの影響を受けて、日本人の勤勉さを見習おうと多くのイラン人が思っているようだっ
た。

また、日本とイランが相互ビザ免除協定を結んでいた80年代後半に、日本へ労働に来
ていた人たちの多くが、
「僕が日本へ行った時には、まわりの人たちには本当に良くしてもらった」
と感謝しているのには驚かされた。目を潤ませながら握手を求めてくる人もいる。当時
ほとんどの出稼ぎ労働者はまじめに働いていたのだ。偽造テレカを販売していた一部の
人たちのために、悪いイメージを持たされた多くのまじめなイラン人は気の毒だと感じ
た。

日本人に対してだけでなく、他人のために、気前良く自分のお金を使う彼らに、僕は考
えさせられた。”持たざる者ほど、よく与える”と言われる。一人当たりの年平均所得
が20万円にも満たないイラン人だが、他人のためにこれほど進んで自らのものを与える
姿に感銘を受けた。国民のほとんどが人格者か仙人のように思える。外国人に対してだ
けでなく、一般の通行人に対しても、路上に飲料水などを置いて奉仕するなど“互恵”
が習慣化しているようだった。

お金とは何なのだろうか?資本主義と呼ばれる世界に生きている僕らにとっては、お金
は自分や家族のために使うのが当たり前になっている。しかしイランの人々はためらう
ことなく、他人のために自分のお金を出すのだ。僕ら日本人のどれくらいの人々が、全
くの他人のためにお金や時間を使っているのだろうか?

どの宗教にでも“他人に与えなさい”という教えがある。しかしイランの人々ほどそれ
を生活に染み込んで実践している民族は無いのではなかろうか?僕らの稼いだお金のう
ちいくらかを、彼らのように全くの他人のために使えば、世の中はもっと住みよく楽し
い世界になるのではなかろうか?実際イランの人々は皆、質素ながら、人間関係のスト
レスも少なく、“内面的にも満ち足りた”幸せそうな生活を送っているように見えた。

次回は更にイランの紹介です。

[2595] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/06 Wed 01:10:26
【世界視察29-2】世界一の親日国家!イラン編

かつて世界トップレベルを誇ったといわれるペルシャ文明の遺跡など、イランには世界
遺産も多い。だがイラン最大の見ものは何といっても”人”だ。彼らの文化は、先入観
を打ち破るほど強烈なものだった。

この国の地面を踏むまで、イランに対し僕はあまり良いイメージを抱いてなかった。”
テロ支援国家”、“悪の枢軸”とアメリカから呼ばれるイスラム原理主義国家。バブル
期に不法就労し、上野公園で偽造テレホンカードを販売していたイラン人・・・という
のが正直彼らに対する僕の印象だった・・・。しかし実際この国で彼らと民衆レベルの
付き合いをしてみると、現実はこれらのイメージとはほど遠いものであることが分かっ
た。

イスラム教国の多くは旅人にとても優しい。欧米はもちろん、東南アジアなどしか旅行
したことのない人にとっては恐らく想像はつかないであろう。観光客相手の商売をして
いる人たちを除き、彼らはほとんど例外はなくいろんな形で旅人に好意を示してくれる。

テヘラン行きバスでたまたま乗り合わせた二人の青年は、”ようこそイランへ”と言っ
てドライブインでソフトドリンクをご馳走してくれる。その上、自宅に招待しようとし
てくれた(時間がなくて断ってしまった)。テヘランの乗り合いタクシーで一緒になっ
たおじさんはバスの乗り継ぎを丁寧に教えてくれ、タクシー代まで出してくれる。商店
で小銭がなくて困っていると、外国からきてくれたということで、タダで商品をくれ
た・・・。こんなことが毎日のように起こる。不思議としか言いようがない。

多くの国では日本語や英語を使う人に対しては注意がいる。下心を持っていることが多
いからだ。ところがイランは例外だという。ほとんど英語の通じないイランだが、長距
離バスなどに乗ると大抵一人くらい英語を話せる人がおり、最後まで面倒をみてくれ
る。例えばある長距離バスに乗った時には、英語の話せる青年が、近くの席に来てくれ
ずっと通訳してくれた。別の人は車掌でもないのに、”喉が渇いただろう”と言って、
わざわざ水を汲んできてくれる。隣の青年は”退屈しないように”といって自分の聞い
ていたウォークマンのイヤホンを僕の耳に突っ込んでくれた。(マイケルジャクソンだ
った!)彼らは外国人にとても気を遣ってくれる。

なかでも日本人に対しては国賓級の扱いだ。もともと親切な彼らだが、日本から来たと
いうと更に親切度がアップする。
市バスに乗る。運転手に”どこの国から来たのか?”と聞かれる。”日本です”と答え
ると、”おお、よくきたな!日本はいい国だ!”と言われ、バス代を払おうとしても受
け取ってくれない。公共バスでこんな経験をしたことはない。いったいこの国はどうな
っているんだ! 

[2594] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/06 Wed 01:08:02
粥川さんの自衛隊入隊記録早速読ませてもらいました。いつかは僕も体験入隊してみた
いと思っていたので、面白かった。自衛隊がソフト面(人材・組織面)において実戦で
どの程度機能するのか、とても興味があります。

15分のお風呂や、部屋に訪れた台風、早朝の乾布摩擦などはたまりませんな。

>交替で班の指揮を執る。自らの号令で9名の班員が動く姿は仲々に感慨深いと言いた
い所だが、実際には次にどちらに動かすのか、その為の掛け声は何だったかと思惑に忙
しく、そんな余裕はない。

・・・思わず吹き出してしまいました。

[2593] いも 氏 2002/11/06 Wed 00:52:56
硬貨が跳ねる程のベッドシーツって、なんかよくわからないけど凄そうですね 

本が買いたい、服が買いたい。。。
もうすぐボーナスも少しは出るし。。。
夜な夜な、ネットショッピングの誘惑と戦う。
今日は、林真理子のエッセイを4冊、カートに入れたところで思いとどまりました。
文庫本で2000円とちょっとだけど、今週は金欠だああ。
ブックオフで探そう。。

たかばたけさんの旅行記、まとめて読みたいです。
出版されたら買いますよお!!(ちゃんと本屋さんで。てへ)

[2592] 西川武志 氏 2002/11/05 Tue 15:37:31
Brouchure原稿を無事完成し、上野オフィスで午前中から打ち合わせがあるため、
7時前につくばの自宅を出て常磐道から首都高6号線経由で向かいました。
小菅ジャンクションから向島出口の途中でびっくりするものが首都高走っていま
した。
http://www.jda.go.jp/jgsdf/info/so4.html
88式地対艦誘導弾及び発射機

爆発物積載車両って高速走って良いのでしたっけ?


自衛隊ネタでした。

[2591] 西川武志 氏 2002/11/01 Fri 22:45:40
Brouchure作成A4両面2件、締切11/5が入った・・・
せっかく論文の締め切りが延びたのに・・・

aiesecob@freeml.comに流す予定のネタ、注釈書く暇が無くなった!けど旬の題材
なので以下にURLを
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/shakai/20021101k0000m040163002c.html
http://www.atmarkit.co.jp/fsecurity/special/24gpki/gpki01.html

背景だけ
私の同僚は省庁なんか関係なく、欠陥を指摘している。だから経済産業省のシス
テムでも欠陥があれば公表しています。でも総務省はどうもそう思っていな
い・・・
経産省系列の独立行政法人の研究者に指摘されたからこそ欠陥は認めるけれど、
我々の施策は曲げない!って感じで困ってます。

住基ネットなんか比べ物にならないくらい電子政府の根幹で問題があるのです。

[2590] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/01 Fri 11:39:14
トルコ・イランと進むにつれアフガニスタンの情報が東から来た旅行者からの情報によ
り明らかになってきた。昼間の行動についてはほぼ問題はない。現在二日に一人のペー
スで旅行者が入国している模様。うち半数は日本人。カブール以外は宿がないため食堂
の床で寝ることになる。道が悪いためパキスタンからイランへのアフガン越えルートは
一週間くらいかかった・・・などなど。

テヘランから南へ向かい、イランの京都イスファハンを見た。そこからイラン東部の町
マシュハドへ行きアフガニスタンへ入国するプランを立てていた。しかしどれほど情報
を集めてもイランからアフガニスタンへ入ったケースは見つからず、マシュハドでアフ
ガンビザが無事取得できるかは確認できなかった。アフガン越えのほとんどのケースが
西進(パキスタン→アフガン→イラン)コースなのだ。これではマシュハドへせっかく
行ってもビザが取れなかった場合、はるばる長い距離を戻ってくることになる。バスで
片道20時間以上もかかるのだ。

飛行機を使えば二時間程度だし、安い(3000円もしない)。だが、マシュハドはイラン
国教シーア派の総本山で巡礼者や観光客(ものすごくきらびやかな聖地らしい)が多
く、席が空いていなかった。灼熱の大地での往復40時間のバスの旅を想像し、諦めて無
難にパキスタンに出国するルートを選んだ。

【訪問先】

★★       イスファハン:イランで最も美しいと言われる古都。中心の広場には週末
となると多くの市民がくりだし、通りすがりの旅人にもお茶を勧めてくれる。イラン文
化が直接肌で感じられる場所だ。

★★       バム:300年前にアフガン人の侵入により、住民が全ていなくなってし
まったゴーストタウン。泥(土)でできた町並みはぞっとするほど静かで不気味だが、
イタリア・ポンペイほどの規模はない。

★         ケルマン:古いバザールが広がる。

星なし
・テヘラン:排ガス地獄。サンダルで街中を歩くと路上の排気ガスで足の裏が真っ黒に
汚れる。二十年前の人質立てこもり事件で有名になった旧アメリカ大使館が数少ない観
光名所。行くとイラン兵が手を振ってくれる。シュークリームのおいしい街。

次回はイラン人の驚くべき素顔に迫ります。

[2589] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/01 Fri 11:38:38
【世界視察29-1】目もやけどする灼熱の大地!イラン編

[イラン・イスラム共和国(8/6-13)] 

【足取り】

8/7  トルコ国境よりテヘラン(以下61イラン):夜行バス14時間
8/9  イスファハン:バス6時間
8/11 ケルマン:バス9時間
8/12 バム:バス4時間
8/13 パキスタン国境:バス等4台6時間

【解説】
(日本→東アジア→南アジア→中東→東アフリカ→南アフリカ→南米→中米→北米→北
欧→東欧→南欧→トルコ→“イラン”→パキスタン→アフガニスタン→パキスタン→中
国→日本)

トルコ・イラン国境は買出しの市民らでごった返していた。あごひげの目立つクルド人
やイラン領に住むアゼルバイジャン人らしき人たちを多く見かける。トルコで買った電
化製品のダンボールを抱えた人々がイランへの出国ゲートを囲んで押し合いへし合いし
ている。そんな中を僕も人ごみを掻き分けながら、なんとかイランに入国した。

すぐに寄ってくる闇両替屋。中米以来だ。イランは外貨統制が引かれているため、公定
レートと実質レートに差がある。ここ数年でその差はかなりなくなってきたが、今でも
闇両替で生計を立てている人は多い。現在この国で現地通貨リアルに交換できるのは米
ドルのみ。T/Cや他の通貨はほとんど換金できない。国交がなく、しかも敵国として反
目しているアメリカの通貨が唯一使用できる外貨というのは皮肉なものだ。

国境の町マクーからテヘラン行きの長距離バスに乗る。さすがは世界に誇る産油国。日
本並みの立派で広い高速道路が東に向かってまっすぐ伸びている。国民の生活はとても
質素だが、インフラには十分にお金を割いている国だと感じた。(どこのホテルでもお
湯が出るし、この国のインフラはかなり整備されているように見受けられた。)

国境からテヘランへは約700km、バスで一晩の距離だ。テヘランの気温は40度を軽く超
しており、フライパンのような灼熱地獄だった。空気が乾燥しているため日差しは強
烈。”太陽は悪魔”と中近東でいわれるのが実感できた。サングラスなしに外へ出てし
まうと、たとえ日陰にいても照り返しで目がチカチカして痛み出す。まして日向(ひな
た)を歩く時には、かなりの勇気を要した。

テヘランは中心部の安宿に宿泊した。“2畳くらい”のシングル部屋(狭いが海外では
よくある)だったが結構居心地はよい。クーラーのおかげで、室温はなんとか30度台
(!)におさまっていた。

テヘランといえばシュークリームだ。旅行者の間で有名である。デザートといえば世界
中どこへ行っても砂糖や蜂蜜をふんだんに使った重いものがほとんどだ。そうでない
と、食べた気がしないという民族は多いが、僕らからすると砂糖の塊だ。日本人のよう
にデザートに対する繊細な味覚を理解できる民族は極めて少ない。日本に住んだ経験の
ある、あるイギリス人女性は日本の”ケーキ”について、「日本人は何の味もしない
“空気の塊”を食べている」と表現していた。日本人には理解しがたいそんな世界で、
めずらしく日本人と味覚を満足させてくれるのがイラン人の作ったシュークリームだろ
う。中にはフレッシュなミルクを使った生クリームがたっぷり詰まっており、日本以上
においしかった。

しかし、満足できるのはデザートだけ。イランの食事事情は多くの旅人を幻滅させてい
る。どこへ行ってもケバブ(ひき肉の串焼き)とサンドイッチ(ハンバーガー)しかな
いのだ。この国では国民はあまり外食をしないらしい。イラン料理自体はいろいろある
ようだが、旅行者が口にできるのはこの程度であるため、いささか不自由な思いをした。

[2588] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/01 Fri 11:35:20
いもさん、粥さん。
メテオラの写真はほとんどないんです。カメラ盗られた直後だったんで・・・。中米〜
旧ユーゴまではデジカメで、残りは普通のフィルム(スキャナーがないのでお見せでき
ずすいません)で撮影しました。全部で500枚くらいあります。

今月中には旅行記完結しそうです。万一出版の際には検討させてもらいます・・・
(笑)。

[2587] 西川武志 氏 2002/11/01 Fri 10:04:25
やった!締切1ヶ月延びた・・・
これって不良債権先送りでしょうか?

[2586] 粥川善洋 氏(kayukawa@mui.biglobe.ne.jp) 2002/11/01 Fri 08:54:26
高畠殿、旅行記ぜひ完結させて下さい。出版の暁には「初出:Formerly〜AIESEC 掲示
板」と末尾に記載戴ければなお有り難いです(笑)。

10/29〜31と陸上自衛隊富士学校に体験入隊して参りまして、本日より原隊復帰致しまし
た。なかなか貴重な経験でありました。詳細は別途ご報告致します。

[2585] いも 氏 2002/11/01 Fri 00:19:45
たかばたけさんの旅行記、とても面白いです。
貴重な経験ですよね。
写真は撮られたのですか? (ビデオはとられちゃったけど。。)
岩の上の修道院なんて、写真をみてみたいなあー。
イランの話も楽しみにしています。

[2584] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/10/31 Thu 11:17:36
【トルコ共和国】
ギリシャ・トルコ国境を越えていつも気づくことは、ギリシャよりもトルコの方が栄え
ているということだ。所得水準ではギリシャの方が4倍近くあるというのに、街の活気
や人々の表情を見ている限りトルコの方が先進国に見える。宿にしてもトルコの方がは
るかに値段が安く、きれいで質もサービスもよい。ぶっきらぼうなギリシャの店員とは
対照的に、トルコの店員は愛想がよく客の心を掴むのがうまい。

もともと"イスラム商人"は商売がうまいと言われていたが、その血を直接引き継いでい
るのが現在のトルコ人ではなかろうか。あちこちで目にするじゅうたん売り(一部うさ
ん臭いものもある)など、商売にかける情熱は湾岸の産油国などからは想像できない。
ただ、政治が不安定なこと、そのせいか財政赤字が膨大でインフレ率が高いことなどが
全体の経済の足かせとなっているようだ。

トルコのインフレ率の高さは世界随一。90年代後半にインフレが加速し、ちょっとし
た買い物には現在なんと“数億”トルコ・リラが必要となる。最も多く流通している1
000万リラ札などは、これ一枚で安宿の一泊代にしかならない($5程度)。

イスラム教の国であるため、キリスト教国中心の EU(欧州連合)に加えてもらえな
い。ここでEC(欧州共同体,EUの前身)に加盟し飛躍的に経済が発展したギリシャに差を
つけられている。このことからも経済発展というのはその国がどうであるかというより
も、国の置かれている"地理的な位置"や"貿易圏"に大きな影響を受けることが多いよう
だ。

観光収入で左うちわ、仕方なく嫌々働いている民族と、働くことを生活の一部としてと
り入れ、労働を楽しみそれに精を出す民族性。それでもギリシャの方が対外イメージが
いいのは皮肉なものである。

トルコはとても親日的な国で日本語を話す人も多い。世界3大親日国の1つに入ると思
う。日本から来たというと、温かくもてなしてくれる人も多い。前回トルコへ来たとき
には、日本人だというだけで家に招かれ、美味しい郷土料理を振舞われ宿泊までさせて
もらった。トルコと日本との友好的な関係は明治時代にまでさかのぼるが、そんな親日
的な国々が世界にいくつか存在することは、日本人にとって心強い話だ。移民問題など
もありアジア人蔑視の風潮の強い欧州からくると、治安もよいトルコは日本人にとって
一息つける場所である。

次回はトルコからイランに入国します。今回最も衝撃的だったのがイラン民族との触れ
合いでした。日本には全く伝わらない世界一の親日国家の素顔に迫ります。

[2583] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/10/31 Thu 11:17:13
【世界視察28-2】対照的な二つの国!ギリシャ・トルコ編

この二ヶ国はともに民族の歴史も古く、際立った国民性を持つ国である。観光と欧州共
同体の恩恵をうけてぬくぬくと生活しているギリシャ人と、インフレと闘いながらも明
るく粘り強く生きているトルコ人という印象を受けた。ギリシャとトルコを比較した場
合、対外イメージはギリシャの方がいいようだが、実際訪れてみると多くの点でトルコ
が優れているように感じらた・・・。


【エラス(ギリシャ共和国)】観光だけの発展途上国
新婚旅行のメッカ、ギリシャの景色は美しい。コバルトブルーに輝くエーゲ海は透明度
も高く、見ているだけでも気持ちよい。

ギリシャ文明というとヨーロッパ文明と関係あるように思われがちだが、直接的にはほ
とんど関係はない。ギリシャ・ローマ文明が滅びた後、これらの文明は中近東で継承さ
れ、その後はイスラム文明へと引き継がれたようだ。イスラム文化と共に欧州に逆輸入
されたのは1000年以上経ったルネッサンス時代といわれている。仏教文化にも影響
を与えたようで、後日パキスタンのガンダーラ地方で見た仏像が皆ギリシャ人の顔立ち
だったのには驚いた。このころ中東・南アジアで発展した文化をヘレニズム文化という
が、“ヘレン(=エラス)”とはギリシャという意味である。

EU構成国の一つであり、所得も一万ドルを越え、ドルベースの所得金額では西側先進国
の一員。しかし、その実態は発展途上国並ともいえる。人々のマナーや文化が伴っては
いないようだ。

時間の感覚はほとんど無いも同然。"歩いて十五分"と言われてその通り歩くと
1時間は
かかると覚悟したほうがよい。この国の人々のいいかげんさはインドに引けをとらない
といえよう。

非常に口が達者。しかしなかなか実態が伴わない。ローカルバスに乗るとよく口論を見
かける。彼らは我が強いのか、どちらも譲らないためいつも大喧嘩に発展する。どこへ
行っても大声で罵りあう声が聞こえる。些細なことでけんかする割には周りを意識する
気配もない。

そんな前近代的な社会には背景があると考えられる。ギリシャが誇る多くの観光スポッ
トのおかげで、毎年何百万人もの旅行者が自動的に外貨を落としていく。従ってある程
度の生活水準は維持されることになるのだ。だから自分を抑えてまで他人と協調する必
要もないし、効率的に行動する必要もない。労働意欲が湧かぬのも当然だろう。(アテ
ネなど一部の地域を除き)国民に労働意欲は乏しく、遊ぶこと最優先で、“仕方なく働
いている”というやる気のない態度がホテルやお店ではありありと感じられる。そんな
国でも統計上は先進国の一つなのだから不思議である。

[2582] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/10/30 Wed 12:00:54
トルコを訪れるほとんどの旅行者はイスタンブールやカッパドキア等の西部ばかりを訪
れている様だが、観光という点では東部の方が見所は多い。この地域はクルド人の活動
が盛んで旅行は危険だといわれていたが、現在治安面では何の問題もない。ノアの箱舟
がたどり着いたといわれるアララト山を左手に仰ぎ見ながら、イラン国境を目指した。
多くの旅行者がここを通ってアジアとヨーロッパを行き来している。


【訪問先】

★★★     メテオラ:ギリシア北部最大の見所で世界遺産。100m以上はあるかと
思われる巨大な岩の上にへばりつくようにして修道院がそびえている。上からの景色は
スリル満点だが、下から見ても”よくぞこんなところに、こんなものを作ったなぁ”と
思ってしまう。同様の巨岩地形自体はインド南部やアフリカ南部にも存在するが、これ
ほどの建造物が築かれているのはここくらいだろう。でも、いくら説明しても写真を見
なければわからないだろう。

★★★     イスタンブール:広大な丘をぎっしりと覆う街並み。かつてここが世界の
富の中心地だったことがうかがえる。建物だけでなく名物”鯖(サバ)サンドイッチ”
や”ピクルスジュース”などもおいしい。

★★       アテネ(ギリシア首都):紀元前の建築物も数多く残り雰囲気が良い。

★★       ミコノス島:青い海に映える白い街の美しさ。しかし年々観光化が進み、
かつてのよさはない。ビーチは足の踏み場もないほど。

★★       クサダシュ:エーゲ海に面した風向明媚なトルコの港町。そなりに賑わっ
ており、ゆっくりするにはよい場所。

★         パロス島:エーゲ海で最も海がきれいな島の一つ。

★         トラブゾン:黒海に面したロシアとの交易の中心地。バザールや絶壁に張
り付いた修道院などが見物。

★         ドゥーバヤジット:ノアの箱船伝説で有名なアララト山が間近に見える。
東南アジアの田舎を感じさせる埃っぽい町。


【足取り】

7/17 メテオラ(以下59ギリシア):アルバニアよりバス2台(12時間) 
7/18 アテネ:バス(5時間)
7/20 ミコノス島:フェリー(5時間)
7/21 パロス島:フェリー(1時間)

7/22 クシャダス島(以下60トルコ):夜行フェリー2台(12時間)
7/24 イスタンブール:夜行バス(11時間) 
8/2   トラブゾン:夜行バス19時間
8/4   エルズルム:バス二台10時間
8/5   ドゥバヤジット:バス二台6時間
8/6   イラン国境:バス30分

[2581] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/10/30 Wed 12:00:15
(トルコ)
エーゲ海をむなしく周遊した後、トルコに上陸。トルコとギリシャは船で1時間程度の
距離なのに、全くの別世界だ。商業は栄え、街はにぎわっている。やる気のないギリシ
ャ人と違い、人々は仕事熱心で愛想もよい。おまけに親日的とくる。(欧州で親日的な
国はほとんどないように感じられた。移民問題でアジア系に対し、よからぬ感情を抱い
ている人が多いのだ。)

アルバニアの一件から約1週間。トルコの賑わいぶりと、人のよさに触れ、ようやくあ
の忌まわしい事件を忘れることができるようになっていた。

イスタンブールでは有名な日本人宿”コンヤ・ペンション”に宿泊。これほど多くの日
本人を見るのはNY以来で、全部で10人以上いる。イスタンブールは各国領事館が集中し
ているため、東(中央アジア・南アジア方面)や南(中近東方面)へ向かう旅人がビザ
申請のため滞在する東西の十字路である。宿でも、皆で一緒に食事に出かけたり、共同
で料理を作ったりと和やかなムードだ。本やガイドブック、”ゴルゴ13”などのマン
ガも大量にあり、退屈しない。だが、しかし、滞在日数が増えるにつれ、どんどん時間
が速く過ぎていくように感じる。行動もどんどん鈍くなっていき、一日で効率よくでき
たことが、二日かかり三日かかるようになってくる。これこそ”沈没宿”の典型だ。多
くの旅行者がここで魔の引力からなかなか抜け出せず、生気を吸い取られて何週間もの
日々を無駄に過ごすことが多い。まるで”竜宮城”だった。

僕も知らぬうちにどんどん時が流れ、”えいっ”と勇気を振り絞ってチェックアウトし
たときには一週間以上も経過していた(結局その間にできた意味のあることといえばパ
キスタンのビザ取得ぐらいだった)。

ここでは多くの旅人の情報により、中央アジアルートは諦めざるをえないことが判明。
かわってイラン−パキスタン−中国ルートの情報をもらうことができた。ニュースでは
騒がれているが、現実には紛争という点でも治安の面でも全く問題はないとのことだっ
た。(それどころか今はアフガニスタンにも手軽に旅行できるようになっているとの話
だった。)どうも旅行中海外で目にすることの多いCNNやニューズウィークは、政府広
報の一環であったり、現実のごく一部を誇張して報道することが多いようだ。実際その
場にいた人の話とずれていることは多い。

宿で知り合った日本人と東を目指した。トルコの見所は東に多いのだ。黒海沿いに東へ
向かった。不思議なことに黒海沿岸は東へ行くほど気温と湿度は上昇する。トラブゾン
の蒸し暑さといったらたまらない。高温多湿は南京虫の大好きな環境でもあり、多くの
旅行者が泣かされている。くわれて一ヶ月間精神を病むよりは、とちょっと高めのホテ
ルに宿泊する。

トラブゾンでは毎晩のように激しい雷雨に見舞われる。ここから先は旧ソ連領(グルジ
ア)であり、ヨーロッパの果てといったイメージの場所だ。町ではイワシやサバを食
べ、ロシア人外に出かけたりした。トルコの中でもちょっと異質な都市だった。ビザを
取りにイラン大使館へ行くと、スタッフがとても親切にしてくれた。4日くらい待つ必
要があったのに、話しているうちに副領事が融通をきかせてくれて即日でビザがもらえ
た。おまけにイランの地図やパンフレットまで山のようにくれた。これほど客に親切な
大使館は今まで見たことがない。イラン人の親切に触れたのはこれが初めてだった。

[2580] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/10/30 Wed 11:58:20
【世界視察28-1】ヨーロッパからアジアへ!ギリシャ・トルコ編

いよいよ本格的なユーラシア横断に突入しました。アルバニア事件に次いで更に追い討
ちをかける事実の判明、イスタンブールで泊まった竜宮城の話です。

[ギリシャ共和国・トルコ共和国(7/17-8/6)] 

【解説】
(日本→アジア→アフリカ→アメリカ大陸→北欧→東欧→イタリア→バルカン諸国 
→”ギリシャ”→”トルコ”→イラン→パキスタン→アフガニスタン→中国→日本)

(ギリシャ)
失意のうちにティラナを後にした僕はバスで国境を越えた。EUとイスラム国との壁は厚
い。アメリカやノルウェーはもちろん、チェコからEUへ入るときはほとんど待たされる
ことはなかったが、ここでは入国審査に2時間もかかった。外国人用のゲートもなく、
百人近くのアルバニア人と一緒に”押し合い・へし合い”しながらやっとのことでギリ
シャに入国できた。

ギリシャ北部最大の見所で世界遺産指定のメテオラに向かう。ギリシャというと海と島
というイメージが強いが、実は国土の8割が山岳地帯。アテネより北は山、山、山。僕
はペロポネソス半島を西から東に横断したが、そのつづら折の山道は(舗装されてはい
るものの)ネパール以来の険しさで、3時間で1000回近く(数えていた)カーブを
越え、気分も悪くなる。

崖に沿った山道をバスはかなりのスピードで進む。しかも運転手は携帯電話片手に運転
してるので、乗客はたまったものではない。肝っ玉の小さな僕も、のんびり景色など眺
める余裕はなく、冷や冷やしながらメテオラに到着した。

メテオラはすごかった。建造物という点では世界でもトップクラスの見所だろう。知り
合った日本人と、近道をしようとして、岩と林に囲まれた山道をさ迷ったのでなお思い
で深い場所となった。

そんなメテオラではあったが、やはりアルバニアでの心の傷は癒えない。パルテノン神
殿そびえるアテネ、エーゲ海屈指の観光地ミコノス島やパロス島。本来ならば景色もよ
くそのどれを見ても、リゾート気分が満喫できる場所なのに、もはやなんのときめきも
感じない人間になってしまった。多くのギリシャ人のインド人並のいい加減な性格(後
述)がそれに追い討ちをかけ、僕の気分はますます滅入った。

更に面白くない情報が耳に入る。この旅最後のハイライトとして、楽しみにしていた中
央アジア(旧ソ連)ルートについて、現在ビザ取得に非常に時間がかかるようになって
おり、僕のスケジュールでの通過は不可能らしいという情報だった。アルメニアやタジ
キスタン、キルギス共和国などは世界一景色のすばらしい場所で、今回最も楽しみにし
ていたところだった。このルートが通れない場合、トルコからイラン、パキスタンを抜
けて中国にはいるルートとなる。イラン、パキスタンは興味がなく、あまり行きたいと
いう気が湧かない。その上、アフガン空爆の影響でパキスタンは危険そうだ。僕も命が
惜しいので、アフガニスタン近辺は、できれば通りたくない。しかし、他にルートはな
い。お先真っ暗だ・・・。

ここではじめて”日本へ帰りたい”と思うようになった。それまではまだまだ見るもの
はたくさんある、もっと時間が欲しいといつも感じていた。しかし、些細なきっかけか
もしれないが、この頃まで上昇志向・拡大志向だった僕の心は、”終わり”を意識する
ように変わっていった。とりあえず、イスタンブールへ向かい情報収集することにした。

[2579] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/10/29 Tue 10:47:07
(変化はやってくる)
今回失ったのが、人ではなく物でよかった。失ったのが友人や家族であったらなら、一
瞬の不注意に対する後悔はこんなものでは済まないだろう。"チーズはどこへ消えた?"
という本をインドの街角で読んだ。その本のテーマは“変化というものは必ずやって
くる。いつでも変化に対して心の準備をしておくことが大事だ”というものだった。
この事件は僕にとっては“変化”だった。つい6時間前まではずっとそこにあったもの
が、忽然と消えた。おそらく人生とはこういうものなのだろう。いつまでもそこにある
ものなどないのだ。あらゆるものについて、失うことに対する覚悟を持っておかねばな
らない。あらゆるものは常ならず-“諸行無常”なのだ。


(旅に及ぼした影響)
いろいろ考えてみたものの、やはり落ち込んだ気分は晴れなかった。
変化に対する準備を怠っていた僕には、この朝を境に見える景色の色が変わった。それ
まで鮮やかに輝いていたバスの車窓は、セピア色の退屈な壁紙にしか見えなくなってい
た。他人からするとたかが一個のデジカメだが、この三ヶ月間、大事にしてきた旅の相
棒を失った落胆は予想以上に大きかった。トルコに上陸するまではずっと後悔の思いか
ら抜け出せず、何を見てもつまらない状態が続いた。デジカメと一緒に魂まで盗られて
しまった。精神的に立ち直るのは難しく思われた。このまま2ヵ月後くらいには僕は失
意のうちに帰国するのだろうと思われた。

次回はギリシャ・トルコ編。エーゲ海を渡り、アナトリア半島(トルコ)に上陸します。

[2578] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/10/29 Tue 10:46:40
【世界視察27-4】事件の後の苦悩・・・。アルバニア編

ティラナの民宿の主(あるじ)にデジカメを盗られる。犯人が目の前にいるのに、自分
のものを取り戻せない悔しさ。諦めて宿を立ち去ったものの・・・。

(苦悩)
ティラナを後にしたバスの中でも、ずっと気分は晴れなかった。何がいけなかったのだ
ろう?
たった二分でもデジカメから目を離してしまったこと、宿代の支払いを最後にすべきだ
ったこと、宿代をディスカウントすべきではなかったこと・・・自分を責めた。旅では
行動の結果が、自分に全て振りかかってくる。

彼らはどうしてこんなことをしたのだろうか?
世の中、根っからの悪人はそういないもの。考えてみれば、バルディは失業中。宿代以
外に収入はないようだった(アルバニアでは失業率は50%を超えるといわれる)。農
村でもない、旅人もほとんどいないこの街で、民宿だけで妻子を抱えて食っていくのは
大変なのだろうか・・・。ただ、ビデオやラジカセもあり暮らし向きはよさそうだっ
た。どうしても欲しい贅沢品でもあったのかもしれない。

彼らの生活と自分の生活を比べてみた。バルディ一家は家も狭く仕事もない。一方僕の
ように平均的な日本人でも、ドルベースでは彼らの100倍くらいの貯金はあるだろ
う。好きなときに好きなところへ旅行できる身だ。僕ら日本人は欲しいものはほぼ何で
も手に入る世界に生きている。そう考えると、たかがデジカメの一つくらい取られても
いいのではないか、という気もしてきた。むしろ、快く
「いらないから使ってくれ!」
と何故言えなかったのだろう…という気も少ししてきた。

道徳的にはどうなのだろう。たとえ生活が苦しくとも人の物を盗むということは正しい
ことなのか?一家が生きていくため、と奥さんは言ったが、そのために他人のものを盗
むというのはよいことなのか。もし、彼らに僕らと同じような道徳観があったとした
ら、バルディも心が痛んでいるのではないか。夫の盗みに気づいた奥さんは、旦那のこ
とをどう思うのだろう。将来大きくなった息子は、自分の父が盗みを犯してきたことを
知ってどう感じるだろうか?そう考えると他人事ながら涙が出てくる。僕の不注意のた
め一家に不信感の種を与えたのではあるまいか。 “出来心”を起こさせた僕にも責任
があるように思えてきた。

そもそも、モラル-道徳というものはどこから来るのであろうか?
良い悪い、正しい正しくない、善悪という価値観は住んでいる社会、すなわち“文化の
成熟度合い”によって本来異なる基準だ。たとえば短期的な経済性のみを考える社会で
は、拾った財布を自分のポケットに入れることは当然の行為となるだろう。文化的に未
成熟な社会では“取られる方が悪い”という考えがあってもおかしくはない。

ただ、盗みを犯す人とそうでない人が世の中にはいる。後者は頭の中に何かがプログラ
ムされているのである。このプログラムを善悪と呼んだりモラルと呼んでいる。そして
これを植え付ける作業が“教育”というものではなかろうか。教育は家庭と社会の両方
によってなされるが、これらがないと動物レベルのモラルになってしまうのかもしれな
い。宗教が教育を補うケースが多いが、社会主義で宗教が禁止されていたこの国ではや
はりモラルが低いのだろうか。

[2577] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/10/29 Tue 10:45:48
一応バルディにことわった上で、テレビの裏、棚の上などを探すが物が多すぎて探しき
れない。そうこうしているうちに奥さんが起きてきて、事情を知る。僕がバルディを疑
っていることを知った途端、
「それはあなたの記憶違いだ。バルディはそんなことをする人ではない!」
と言い出す。そうこうするうちに、昨日の般若のようなやさしい顔が、恐ろしい阿修羅
のように変わり、怒り出す。むこうが犯人のはずなのに、ニ対一で分が悪い。まるでこ
ちらが悪いことをしているようだ。

更に寝室の奥を探そうとしたとたん、今度は
「どれだけ探せば気が済むんだ!」
と、こぶしを固め、僕に殴りかかろうとする。どうも、奥が怪しい。このあたりのどこ
かにあるはずだ!しかし物が多すぎてまったく見当がつかない。心を鬼にするが、他人
の部屋を詮索するというのも実際気が引ける。

警察を呼ぶしかないと思った。この国には公衆電話などほとんどない国なので、部屋に
ある電話を使うしかない。しかし、何やかやと言い訳をつけ、彼らはどうしても電話機
を使わせてくれようとはしない。

結局、「返せ!」「知るもんか!」の押し問答で全く埒(らち)があかない。阿修羅の
奥さんは、夫が犯人であることに気づいたのか、
「うちには、かわいいこの子がいるんだ。この子を育て私達が食っていくには金が要る
んだ!」
とまで言い出す。もはや彼らは確信犯だ。しかし表向きには絶対盗ったことを認めよう
とはしない。

何か手はあるはずだと思って、いろいろ考えてみる。
「もし返してくれたら、いくらかお金を置いていくから」
「見つけてくれたら、謝礼を払うから」
「警察を呼ぶぞ!」
すかしても脅しても無駄だった。

結局僕は諦めざるをえなかった。
警察を呼びに行っても、連れてくるまでにデジカメは別の安全な場所に隠されることだ
ろう。そうすると発見のチャンスはほとんどなくなるだろう。その上、この国の警察は
英語が通じないので、何日も費やされることだろう。ひょっとすると警察は言葉のわか
る彼らの言い分の方を信じるかもしれない。旅の日程が限られ一日でも時間が欲しい僕
としては、ここで数日時間を費やす余裕はない。デジカメが二度と戻ってこないのは受
け入れがたいが、仕方がない。結局事件は迷宮入りとなってしまった。

「バルディ、犯人じゃない!元気出せよ。」
彼らの見送りの言葉にこたえる元気もなく、僕は彼らを後にした。大事なデジカメを奪
われ、憂鬱な“宝探し”と口論でくたくたになった僕は、全てを諦め虚しい足取りでギ
リシャ行きバス停へと向かった。黄金色に輝く大きな朝陽が、気持ちとは裏腹に燦々
(さんさん)と僕の肩を照らしていた。

[2576] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/10/29 Tue 10:44:57
・・そして今、同じ場所には同じほど大切なカメラが入っているはずだった。高熱で倒
れそうになりながらもパナマシティの電気街を何件も訪ねて購入した最新式ソニーのデ
ジカメだ。人生最大のイベントをフィルムに残そうと、思い切って買ったものだ。傷が
つくことを恐れ、使った後はいつもケースに入れて大切にしていた。落としたりぶつけ
たりすることのないように、大事に大事に扱っていた。ニ度と盗難にあうことの無いよ
う、寝るとき以外は四六時中身につけ、歩いているときにもニ、三時間おきに手を突っ
込んで、確認していた愛用のデジカメ。命と現金とパスポートの次に大切にしていたデ
ジカメ。なのにバスルームへ行っていたこの2分間だけは、目を離してしまったのだ!

ウエストポーチの中をひっくり返すと・・・ないっ。ない!ない!ないっ!あのデジカ
メがないのだ!

この時、僕は正直“しめた!”と思った。外出中に盗難に遭ったタンザニアでのケース
とは違い、犯行は目の前で行われたのだ。犯人は目の前にいるのだ!(隣の部屋で寝て
いる奥さんと子供をのぞけば)目の前にいるバルディ以外にはありえないのだ!“気づ
いてよかった!”と心から思った。現行犯。気づいたからには、相手に逃げ場はない!

そこで、バルディに向かって。

(いきなり相手を追及すると心を閉ざすかもしれない。やんわりと言ってみよう・・・。)
「バルディ、俺のデジカメがないのだが・・・。」

「なにっ、カメラがないのか?それは本当なのか?いつどこでなくしたんだ?最後に見
たのはいつだ?」

(なんと見え透いたことをいうのだろう。はっきり言ったほうがいいようだ。)
「今、ここでなくなったんだ。ここは他の人が入れる場所ではない。君が取ったのは知
っているんだ。」

「そんなはずはない。俺はそんなことはしない。よく探してみろ。」

(デジカメが確かに入っていたことだけは前夜寝る前に確認した。窓の外は鉄格子、玄
関はロックされており外部から人が侵入できる環境ではない。ここまでとぼけるとは!
きつく言うべきだろう。)
「ちゃんとここに入れてたんだ。バルディ、君が犯人なのは知ってるんだ。あのカメラ
は俺にとって大事なものなんだ。返せ!」

「知らない。バルディ、取ってない。バルディ、犯人じゃない!」

両手を広げて首を振りながら、いかにも純真そうに自分の無実を言い張るバルディ。だ
が、僕が夢遊病か、多重人格者にでもならない限り、彼以外の犯行は考えられなかっ
た。しかも朝からの彼の行動は明らかにおかしい。僕がトイレへ行き顔を洗っている間
に、彼はデジカメをポーチから素早く抜き取りどこかにさっと隠したようだ。そして僕
が戻るのを、さもずっと待っていたかのように椅子に座っていたのだろう。

彼が、シラを切っている以上、自分の手で実物を取り戻す他はない。デジカメを隠した
と思われる場所を、手当たり次第に探した。ベッドや椅子の裏など部屋中探す。しかし
出てこない。廊下も探してみる。しかし何も出てこない。焦る。残るは彼らの寝室のみ
となった。奥さんと子供には悪いと思ったが、自分の物が主人によって盗まれた以上仕
方がない。

[2575] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/10/29 Tue 10:42:18
西川さん、皆さんこんにちは。
読んで下さってるようで、ありがとうございます。
ただ、掲示板に書き込むたびに他の方の書き込み頻度が少なくなっているのが、とても
不安です。

出版という話はないですが、まずは自分なりに納得のいく記録を書き上げるつもりです。

[2574] 西川武志 氏(t.nishikawa@aist.go.jp) 2002/10/28 Mon 23:55:52
西川@京王プラザホテルです。
う〜ん、プレスリリースの原稿が仕上がらない。
現在の職場に移るまで、発表と言えば論文か学会発表だったものが、今ではプレ
スリリースが加わりました。あと特許取得も・・・
私の勤務先は日本国内最大の研究所だからプレスリリースや特許取得へのアドバ
イスをする部門があるのでまあましですが、国立大学は独立行政法人化するとど
うするのでしょう。
今後5、10年間の国立大学教授は悲惨ですね。特に有能な人ほど疲弊しますね。

たかばたけ君、いつも面白い話をありがとう。
旅行記出版とかしないの?

[2573] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/10/28 Mon 12:47:02
【世界視察27-3】ああ後悔!アルバニア編

【アルバニア事件】
見て周るのに半日とはかからぬ街ティラナ。せっかくだからと一泊過ごしたことが、思
えば後悔のもとだった。

鎖国状態から開放されて10年しかたっていないこの国は、まだ旅行者もほとんど見か
けることはない。だからホテル自体少なく、"民宿"というスタイルが一般的になってい
る。民宿とは市民が自分の部屋を一泊単位で貸し出すもの。通貨統制の行われている旧
共産圏などでは、貴重な外貨を獲得する数少ない手段だ。

街を歩くと「部屋はいらないか?」「いい部屋あるよ!」と何人もの男に声をかけられ
る。僕が選んだ男は“バルディ”という名の中年のおじさん。アルバニア語とイタリ
ア語以外はほとんどしゃべれないが、にこやかで感じのよさそうな人だった。ただ、視
線を外してしゃべるその仕草だけがなんとなく気にかかった。真っ赤に輝く大きな夕陽
を背に受けて、二人は住宅街に位置するその民宿へと向かった。


アルバニアはもともとヨーロッパの最貧国といわれ、前述のように五年前には金融危機
で国内は大混乱に襲われた。しかしその後状況も改善し、現在では当時の大混乱の跡は
ほとんど残っていない。穏やかでのんびりとしており、市街地であれば夜歩きも全く問
題はない。そんな、ほのぼのとして素朴な現在のアルバニアを僕は好きになっていた。
そして、世の中には悪人もいる、ということを僕はすっかり忘れてしまっていたのだ。

宿(といっても1LKのアパートで寝室を客間にしている)に入ると家族の出迎えを受け
る。黒髪をカールさせたやさしそうな奥さんと、よちよち歩きが出来るようになったば
かりのかわいい男の子の三人家族だ。翌朝六時発のギリシャ行きバスの切符を持ってい
たので、朝5時に起こしてくれるようにバルディにお願いして僕は床についた。もちろ
ん部屋の鍵もきちんと締めて。


ぐっすり眠れた。しかし、こんなに早く起こされるとは思わなかった。5時に起こして
くれといったのにバルディは4時に部屋のドアをノックしたのだ。鍵を開けると、彼は
親切そうに
「朝ですよ。すぐにむこうのバスルームで顔を洗って、出発の用意をしてください。」
と言う。相変わらず親切だ。

ここにはバルディと自分、あとは隣の部屋で寝ている奥さんと子供しかいない。玄関に
は鍵、窓には鉄格子。部外者は侵入できない造りになっている。こんな状況でたかがト
イレへ貴重品を持っていくのは、あからさまにバルディを疑っているようでためらわれ
た。それでも現金の入ったマネーベルトだけは身につけ、寝ぼけまなこでバスルームへ
向かった。

二分後バスルームから戻った僕は、部屋の前の椅子にちょこんと腰掛けているバルディ
に気づいた。僕が部屋に入るとなぜか一緒に入ってくる。
「さあ、荷造りをして支度しなさい。」
という。宿代は既に払ったというのに、いやに親切というかおせっかいだ。荷造りを始
めると、今度は横で僕の使った毛布をたたみ、ベッドを直しはじめる。まだ朝の4時を
過ぎたばかりというのに、次の客のためか、あわただしくベッドメーキングを始めてい
る。いやに不自然だ。
“何かがおかしい!”
胃がキュッとなった。

側に置いておいたウエストポーチを手に取ると、なぜかファスナーが開いている。そし
て、いやに中がスカスカだ。5ヶ月前の忌まわしい記憶が蘇る。タンザニアで起こった
あの事件の朝もウエストポーチがスカスカだったのだ!あの時は7年間大事に使ったカ
メラが消えていたのだ・・・。

[2572] 西川武志 氏(t.nishikawa@aist.go.jp) 2002/10/27 Sun 02:52:25
締め切りに追われて追われて追われて追われてBGVでテレビをつけていたら
フジテレビの土曜深夜番組の新番組「深夜戦隊ガリンペロ」というMCが
賀集 利樹(仮面ライダーアギト)
杉浦 太陽(ウルトラマンコスモス)
塩谷  瞬(忍風戦隊ハリケンジャー)
といわゆるヒーローものの役者を揃えた不思議な番組が始まりました。
別に気にしていなかったのですが
「W(ダブル)ひろし」の「肉が食いたい」というコーナーに釘付け!
今やっているのですが・・・
丸ビルで豚の丸焼き、池袋でダチョウのカルパッチョに変わり寿司・・・
が心を奪われているのは食べ物ではなくて
1号と3号からなる「Wひろし」・・・
1号とは名古屋出張時にナゴヤキャッスルホテルで同じフロアになったことがあ
るのですが、渋いです。
3号、白いジャケットに白蝶ネクタイ・・・
漫才でもやるのかな?

[2571] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/10/25 Fri 14:29:53
90年代の民主化後、この国では”ねずみ講(Pyramid Investment)”が大流行す
る。投資すれば6倍もの利益が返ってくるというもので、お金の運用などほとんど知ら
なかったためか国民の7割が参加したといわれる。政府も奨励しており、保証があると
国民は信じていたらしい。

だが、そんなうまい話は世の中には無い。ボスニア紛争特需への投資により最初はうま
くいっていたが、紛争終了で行き詰まり97年に破綻。一瞬にして国民総生産の3割が
消滅。経済は壊滅した。国内は大混乱。日本のバブル崩壊などかわいいものだ。日本人
と違い、貧しい彼らは日々の生活費を投資にまわしていたのだ!全土で暴動が発生。軍
や警察も混乱。市民がパトカーや装甲車を乗っ取り、暴徒と化して国土の半分を制圧し
たという。結局イタリア軍を中心とした国連軍の出動で治安は回復された。

それから5年を経た現在・・・。国全体はさびれた感じがするものの、生活に困ってい
る印象はさほど感じられない。街の雰囲気も悪くはない。ティラナなどは建物の色合い
がお洒落で、イタリアっぽい。農業主体国民生活なので、電化製品などはあまり持てな
いが、生活力はあるのだろう。統計上アルバニアは依然としてヨーロッパの最貧国だ
が、所得金額だけで生活レベルを評価できないケースともいえる。そしてやはり、親切
で人懐こい人が多い。すぐに声をかけ、助けてくれる。バスに乗ると、席を譲ってくれ
たり、言葉が分からないだろうと気を遣ってくれたり・・・。

こうして世界を見てくると、苦労し、大変な思いをした民族ほど他人に対しやさしい傾
向が見られる。辛い出来事を多く経験することで人格が作られていくのだろう。日本人
も戦前などは武士道精神などといわれ、人格的に世界の人々の模範とされていた時期が
あった。再び世界の模範となるために、苦難を味わうしか方法がないとすればそれは悲
しいことである。


次回は今回の旅で最も”へこんだ”アルバニア事件の話です。

[2570] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/10/25 Fri 14:29:28
【世界視察27-2】20世紀最後の鎖国国家!アルバニア編

アルバニアなんて知らない方は多いことでしょう。でもこんな変わった国はありませ
ん。今日は
・世界の主要国の全てを敵にまわした戦後の歴史
・国土が大混乱に陥った日本とは比較にならない金融危機
などの話です。


【シキペリア(英語名:アルバニア)】
つい10年前まで、どこの国とも外交関係を絶ち、鎖国を続けてきた珍しい国。中国と
の外交関係を持っている北朝鮮、インドとの外交関係を持っているブータン(鎖国状態
に近い政策をとっている)などを考慮しても、世界で最後まで鎖国をしていた国はアル
バニアなのではなかろうか。

キリスト教徒の支配的な国々に囲まれる中、唯一イスラム教徒が国民の半数以上を占め
るのがアルバニア。社会主義時代に世界初の無宗教国家として宗教を禁止したが、現在
では国民の半数以上がモスリム(イスラム教徒)に回帰している。オスマントルコ時代
の影響が今でも大きいようだ。

起源も古い。周囲の国々はギリシャを除いたほとんどが、6世紀前後に北方からやって
きたスラブ人であるのに対し、アルバニア人はずっと古くから住んでいた民族だ。もと
もとの出身はコーカサス地方(トルコとロシアの間)といわれる。現在のグルジア周辺
が、かつてはアルバニアと呼ばれていたらしい。

言語学的にもまったく別の体系になるらしく、会話を聞いていてもスロベニア語・クロ
アチア語・セルビア語・マケドニア語はそれぞれロシア語と似た単語が混じっており親
しみを感じた(?)が、アルバニア語は聞いたこともない言葉ばかりだった。

アルバニアはイタリアとの関係が深い。海洋都市国家ベネチアの領土であった時代が長
く続いた。トルコから独立できたのもイタリアのおかげである。また1920年代後半から
5年間はイタリア領だったこともありイタリア語がかなり通じる。英語などはほぼ全く
通じない。

ここほどパートナーを変えてきた国も珍しい。アルバニアは第二次世界大戦後、隣国ユ
ーゴスラビア同様共産主義となる。ソ連の力を借りずに独立できたこともあり、独裁国
家として隣国ユーゴスラビアと共同歩調をとるが、ユーゴスラビアとはすぐに喧嘩別れ
となる。そしてソ連陣営に入るが、中・ソの対立では中国側につき、ソ連を激しく批
判。アメリカとソ連の両方を「帝国主義」と罵り断行する。しかし、その後中国での文
化大革命で中国を批判し、関係悪化。ホッジャという独裁者のもと鎖国国家となる。

既に資本主義国は敵とみなしていたため、これで地球上にアルバニアの味方はほとんど
いなくなる。いつ誰が攻めてきてもおかしくはない状況なので、国民皆兵で全員が祖国
防衛のために訓練される。各家庭には敵の侵攻に備えるための”トーチカ”が設置され
る。トーチカとは小型防空壕のこと。アニメ・機動戦士ガンダムのザクやグフなどの頭
にそっくりで、射撃用の窓が開いた半球状の形をしている。今でもバスの窓から景色を
見ていると、二、三人が入れる程度のトーチカが、家の隣や畑の真ん中にポツン、ポツ
ンと立っている。

90年代初めまで鎖国状態を続けてきたこの国だが、現在では普通の国になりつつあ
る。トーチカは今ではゴミ箱扱いされており、中には空き缶やペットボトルが散乱して
いた。時代が進化するにつれて、国際社会との交わりを絶って生きていくのは、どんど
ん難しくなっているようだ。北朝鮮のような孤立した体制がこの世から消滅するのも時
間の問題かもしれない。

[2569] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com ) 2002/10/24 Thu 11:31:11
【世界視察27-1】家庭にお邪魔しました!アルバニア編

[アルバニア共和国(7/16-17)]
【解説】
(日本→アジア→アフリカ→アメリカ大陸→北欧→東欧→イタリア→旧ユーゴ→“アル
バニア” →ギリシャ→トルコ→イラン→パキスタン→アフガニスタン→中国→日本)

オフリド湖はマケドニアとアルバニアとの国境に位置する。青く輝く湖を右手に見なが
ら、ローカルバスに揺られ、終点の国境に到着した。バスに残ったのは僕を含め4人。
他の3人はマケドニアの博物館職員。文化人類学の研究でアルバニア人の風俗調査に来
たらしい。このあたりは、国境を越えるだけで民族もかなり違うそうだ(後述)。

久しぶりに歩いて国境を越える。この国はCIS(旧ソ連)諸国を除くヨーロッパで、日
本人が唯一ビザのいる国だ。その場で10ドル支払ってビザをもらう。

”旅は道ずれ 世は情け”。さきの博物館員に誘われ、迎えの車に同乗。途中に、彼ら
の友人が住んでいるとのことで、その家庭にお邪魔した。さっそくの歓迎ということ
で、昼間から乾杯となる。地元のブランデーを注がれ、おちょこのようなグラスで飲み
干す。ウオッカのように強く、舌がしびれるがどことなくブドウの香りが漂う。(文字
通り)通りすがりの旅人でも、分け隔てなく親しげに接してくれる彼らの態度が嬉しい。

そこにいるのはアルバニア人、マケドニア人、ロシア系イタリア人。それぞれ会話を始
めるが、全員理解できる言葉が無いので、みな相手に合わせて言葉を変えている。英語
はほとんど通じないので、その場で覚えた片言のアルバニア語、マケドニア語と、ちょ
っとだけ勉強したロシア語、イタリア語でなんとか話の輪に入ることができ、くつろい
だ時間を楽しむことができた。

ミニバスを乗り継いで、首都ティラナへ向かう。今までのユーゴ諸国と違い、この国は
本当に山ばかりだ。バスは松の生えた険しい山道を上っていく。

ティラナはガイドブックなどでは治安がよくないと書かれていた。しかし住民は昼夜問
わず現在普通の生活を送っている。中心街であれば、夜歩いてもまったく問題はなかっ
た。人もやさしくていい国だな、と思っていた。だが、思えばこの町で一晩を過ごした
のは間違いであった。ある一家族のためにこの旅始まって以来の精神的な苦痛を受ける
こととなる。(後述)

翌朝、精根尽き果て深い心の傷を負った僕はギリシャ行きのバスに乗った。ティラナに
滞在したことを後悔した。本来はきれいな景色に恵まれた楽しいバス旅行となるはずだ
った。僕の心はもう何を見ても反応しなくなっていた。つい数時間前まで、“あたりま
えのようにそこにあったもの”が、今はもうない、というのはとても悲しいことだ。

【足取り】
7/16 ティラナ(以下58アルバニア):マケドニアよりバス4台8時間
ドゥルス:バス往復2時間
7/17バスでギリシャへ

【訪問先】
(星なし)
・ティラナ(アルバニア首都):鎖国をしていたとは思えぬほどこぎれいな町。つい最
近まで社会主義だったのに黄色やオレンジのイタリアっぽい洒落た建物が多いのには驚
く。
・ドゥルス:アルバニアの大阪(!)ともいえる商都・港町だが、コンクリートビルが
立ち並ぶいかにも社会主義っぽい町で、なーんにも見所はない。


[2568] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com ) 2002/10/23 Wed 01:38:08
(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
内戦の影響かこのあたりの国々ではお墓が目立つ。特にこの国ではあちこちの道路沿い
にお墓が林立しており、しかもどのお墓にも肖像画が描かれているためとても存在感が
ある。爆撃でできた大きな穴の脇や山林、湖の脇などにも立っており、あちこちで殺戮
が行われていたことがうかがえる。

ボスニア紛争によって500万人の人口のうち200万人以上が家を失い、20万人が
殺された。25人に1人の割合だ。(サラエボ市内では20人に1人が殺された。)民
族間の根強い対立があったといわれているが、現実にはサラエボなどでは戦時中を通し
てほとんど民族対立はなかったらしい。マスコミが民族対立を煽り、戦争が対立を深め
たともいえる。

ボスニア紛争でセルビアに勝利できたのは、米国のコンサルティング会社を通じて行っ
たPR戦略が功を奏し、欧米世論を見方につけることができたためと言われている。

元々はボスニアという国とヘルツェゴビナという国の連合国家であったが、現在この国
は”ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦”と”セルビア人共和国”の二つの国の連合国なの
でややこしい。

(モンテネグロ共和国)
モンテネグロ(イタリア語で”黒い山”)はその名の通り山ばかりの国だ。ヨーロッパ
では一番南にあるフィヨルドはここモンテネグロにある。だから湾は深く入り江は複
雑。こんなところまで氷河がきていたとは驚きだ。

ここはセルビアと一緒にユーゴスラビア連邦共和国を構成していることになっているの
で、アドリア海沿岸はセルビア人のリゾート地として海水浴客でいっぱいだ。だが、通
貨などはセルビアとは別で,”ユーロ”を自国通貨として導入しており、もはや同じ国
とは言い難い状況にある。セルビアよりも所得が高いので、セルビアから出稼ぎにきて
いる人も多い。

(コソボ共和国)
かつて中世の時代、ここにはセルビア首都が置かれていたが、オスマン帝国の侵攻でセ
ルビア人は北方へ逃げ出し、かわってアルバニア人が居住するようになった。現在でも
国民のほとんどがアルバニア人なのだが、セルビア人は縁(ゆかり)の土地を捨てきれ
ず、独立を許さなかったために紛争は拡大した。

モンテネグロ同様、ユーロ”を自国通貨として導入しており既に(同じユーゴスラビア
連邦共和国である)セルビアとは袂(たもと)を分けている。現在国連とNATOの軍隊
が統治しており、セルビアとの国境も実質的に閉鎖されているようだ。ユーゴスラビア
連邦共和国からの独立も時間の問題といえよう。

地形的には山間部に囲まれた盆地国家で山梨県のような地形。あちこちに土嚢と有刺鉄
線でバリケードが築かれ、戦車・装甲車・兵士を多く見かける。今でも戦時中といえる
国だ。


(マケドニア旧ユーゴスラビア共和国)
旧ユーゴ諸国の中で唯一無血独立を果たした国。独立前は域内最貧国だったが、”安定
は力なり”-戦渦に巻き込まれなかったため、過去10年でスロベニア・クロアチアに
次ぐ高所得国に発展した。

秩序が整っており、バスに乗っても皆きちんと決められた座席に座る。文化も進んでお
り、バスにはクーラーがかかり、街ではクレジットカードも使える。携帯電話も成人の
7割が保有している。(これらはセルビア以南では非常に稀なこと。)

[2567] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com ) 2002/10/23 Wed 01:37:42
各国の簡単な紹介です。

第二次世界大戦で、ギリシャを除き周囲をすべて枢軸国(ドイツ・イタリア陣営)に囲
まれた旧ユーゴスラビアは、ソ連の助けを借りずに独立を達成できたおかげで、ソ連と
は距離をおいた社会主義国として欧米とも仲のよい関係を築いてきました。”気軽に行
ける社会主義国”としてヨーロッパからの旅行者が多いという点では今も以前も変わら
ないようです。(特にスロベニアとクロアチア。)

しかし90年代には社会主義崩壊ブームに乗ってこの国も民主化の道を歩みだした途
端、多くの民族・宗教・言語を抱えたこの国は分裂し、ボスニアやコソボなどで激しい
流血の独立運動が起こりました。そして現在、ようやくそれらも治まりつつあります。

(スロベニア共和国)
7ヶ国の中でも飛びぬけて一人あたりの所得水準が高く(一人あたりGDPで日本の半
分)、文化的にも西欧文化に最も近い。このため次回のEU加盟が正式に認められること
となった(7ヶ国中唯一)。民族的には外国語に対する適応力が高く、国民のほとんど
が英語をはじめ多くの外国語を堪能に話す。”スラブ人の国”という意味でスロバキア
(旧チェコスロバキア)と同じ語源。

(クロアチア共和国)
正式名称はホルバーツカ共和国。ネクタイの発祥の地といわれている。

(セルビア共和国)
”バルカンのメソポタミア”とも呼ばれているほど肥沃な平原の広がる農業国。欧米か
ら経済制裁を受けていたものの、食糧自給体制が整っていたため影響はさほど大きくは
なかった。一連のユーゴ紛争では欧米では悪役としてのイメージが強いが、”情報戦”
と”PR戦略”で遅れをとったことが原因といわれている。戦争とは国同士の利害のぶつ
かり合いで、よい国・悪い国などないのが現実らしい。セルビア人の青年に話を聞いたが、
「どちらにも言い分はあるんだ。でも俺が君に話したところでも分かってはもらえない
だろう・・・。」
と、寂しそうな顔をしていた。

西欧人などと比べても、人は親切でとてもやさしい。アラブ音楽も流れ中東風料理もお
いてあり、東西文化の接点でもある。

[2566] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com ) 2002/10/23 Wed 01:35:24
−訪問先−
★★★★   かつての激戦地”サラエボ”(ボスニアヘルツェゴビナ首都):
街としては今回の旅でトップクラスの見所。銃撃戦で穴ぼこだらけになった団地が郊外
には立ち並んでいる。ところが、市街地を歩くとここが数年前には前線だったとは信じ
られないほど活気が溢れ、人でにぎわっている。メインストリートは夜11時を過ぎて
もまっ直ぐ歩けないほどごった返している。キリスト教とイスラム教、様々な人種の接
点だけあって街にはオーストリア調の赤い屋根の家々があると思えば昔ながらのモスク
やアラブ風の共同水汲み場があったりするエキゾチックな街。オーストリア皇太子が暗
殺された現場も残っている。おまけに美人が多い。世界のどこにも類を見ないような雰
囲気の街だ。

★★★     アドリア海の真珠”ドブロブニク”:
かつてベネチアの要塞都市で現在はクロアチア一の観光地。青く透き通った海に三方を
囲まれたオレンジ瓦の街並み。ベネチアと並んで‘アドリア海の真珠‘と喩えられてお
り、映画”魔女の宅急便”のモデルともなったきれいな中世の街だ。隣のロクラム島の
ビーチは透き通っていてすばらしい。

★★       イスラムとオーストリアの文化が融合してる”ベオグラード”(新ユーゴ
スラビア首都):
重厚な建物の並ぶ大きな都市。川に囲まれた丘の上に街の中心部があり眺めもよい。他
のヨーロッパ都市とは雰囲気がやや異なり、どことなくイスラムの雰囲気が漂う。数年
前のNATO軍による爆撃の後はあるが、街はすっかり平穏。

★★       コソボ一の観光地”プリズレン”:
モスクを中心とした石畳の古い町。新ユーゴ軍の侵攻を防ぐため国連軍が進駐してお
り、あちこちで兵士や装甲車が警戒にあたっている。

★★       1000年前のブルガリアの聖都”オフリド”:
マケドニアとアルバニアの間、オフリド湖に面した保養地で世界遺産にも指定。11世紀
には遠く離れたブルガリアの都だったところで、政治・宗教の中心地でもあった。青い
果てしない湖水のほとりにはギリシャ聖教風の教会が点在し美しい景色が広がってい
る。

★         小奇麗な欧州の田舎町”リュブリアナ”(スロベニア首都):
小さいが西欧風の都市。整っていてきれいなだけで面白味に欠ける。

★         ウィーン風ゴシック建築が立ち並ぶ大都市”サグレブ”(クロアチア首
都):
周辺都市と大きな違いはなく飽きがくる。

★         モンテネグロの古都”コト”:
ドブロブニクを小さくしたような町。

(以下星なし)
ポデゴリッツァ(モンテネグロ首都):街の規模は大きいもののほとんど人気がなく活
気がない。
プリスティーナ(コソボ首都):寂れた住宅都市。開発途上といった感じ。
スコピエ(マケドニア首都):城壁や橋などの見所はあるものの、あまり面白味もない
近代都市。

[2565] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com ) 2002/10/23 Wed 01:34:27
【コソボ共和国−ユーゴスラビア連邦共和国】
コソボは最近新ユーゴ共和国から独立した国だ。のどかな国だが、独立戦争の過程でセ
ルビアからかなりの砲撃や爆撃を受け、今でも穴の空いた家や黒焦げの家が多く残る。
現在でも両国は敵対している。小心者の僕としては、もともとこのような場所へ来る気
はなかったのだが、今では戦火も収まり旅行者も問題なく出入りしているという話を聞
いてやってきた。実際そのとおりだった。

人々はきわめて親切。バスで一緒になった青年も郷土料理(ラムのつくね)やジュース
をごちそうしてくれた。国民はEU諸国からの援助のお陰で結構豊かな生活を送っている
ようだ。マンションにはぎっしりと衛星放送のアンテナが立っていた。一方で国土のあ
ちこちでEU軍が警備を行っている。軍のトラックや装甲車を多く見かけた。ここコソボ
は現在国連とNATOの信託統治領で実質的にはユーゴスラビアではなくなっていた。

【マケドニア旧ユーゴスラビア共和国】
最南部のマケドニアはもともとユーゴスラビア内の最貧国だったのだが、現在では既に
ある程度の経済基盤を整えた中進国だ。旧ユーゴ諸国の中で唯一血を流さずに独立した
おかげで大した混乱もなく安定的に成長しているようだった。昨年までアルバニア人問
題による国内紛争があったが、現在はすっかり収まっている。首都スコピエから世界遺
産指定のオフリド湖へ向かう。

ローカルバスでは地元の軍の兵士たちと一緒になった。この国は徴兵制で彼らは国境警
備のお勤めに向かうとのこと。ほとんどが二十歳代前半だ。世界を見渡しても、人口の
多い中印米や西欧の一部の国々(英・仏・ベネルクス)を除けばほとんどが現在でも徴
兵制を布いており、これが世界での一般的な若者の生活なのだなぁ、と思う。

ここから国境を歩いて運命のアルバニアへと向かう。


-足取り-
7/5  リュブリアナ(51スロベニア):イタリアより汽車3時間 
7/6  ザグレブ(52クロアチア):汽車3時間
7/7  ベオグラード(53セルビア):汽車6時間 
7/8  サラエボ(54ボスニアヘルツェゴビナ):バス9時間 
7/10 ドブロブニク(クロアチア):バス7時間 
7/12 ボドゴリッチェ(55モンテネグロ):バス3台4時間 
7/13 プリズレン(以下56コソボ):バス8時間 
7/14 プリスティーナ:バス3時間
スコピエ(以下57マケドニア):バス3時間
オフリド:バス3時間
7/16 アルバニアへ

[2564] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com ) 2002/10/23 Wed 01:33:24
【ボスニア・ヘルツェゴビナ】
ドナウ川流域平原から山の中へと舞台は移る。ボスニアは現在でもセルビア人支配地域
とモスリム・クロアチア人支配地域に分かれているので、セルビアからのバスはセルビ
ア人地域のみを通る。いくつもの山々を越えた長い後、山間に突如たくさんの赤い屋根
(オーストリア風)の家々が現れた。そこが首都であり両勢力の最前線であるサラエボ
だった。前線とはいっても現在はもう戦闘は行われておらず、どこが境界かは見ただけ
では分からない。

セルビア人地区のバス停はサラエボ市街地から山一つ越えたところにあり、そこから市
電に乗り換えて敵対勢力支配地域の中心部へ向かう。検問などは一切ない。サラエボは
面白味のある街だった(訪問先参照)のでゆっくり滞在しエキゾチックな気分を満喫し
た。

【再びクロアチア】
バスで山々を南下し、クロアチア側のアドリア海岸に出た。このあたりは内陸とは比較
にならないほど蒸し暑い。夜になっても暑さは変わらない。ドブロブニクでは民宿に泊
まったがクーラーなどない。扇風機もない。あまりに暑いので夜はバスルームへ行き、
何度か直接水をかぶった。現代の日本では考えられない生活だ。

暑くて湿度が高い、といえば虫がいるものだ。ドブロブニクも南京虫が多いことで有名
で、多くの旅人が被害に遭っている。事前に情報をキャッチしてたお陰で、宿を決める
時はマットをひっくり返すなど入念なチェックをした。幸い一匹も虫に食われることな
く無事に通り過ぎることができた。

アドリア海は美しい海で有名だ。青く透き通り、陽の光を浴びた水底がグリーンに輝い
ている。あまりに美しかったのでドブロブニクでは島へ行き久しぶりに海水浴を楽し
む。

【モンテネグロ共和国−ユーゴスラビア連邦共和国】
ドブロブニクから海に沿って次の国モンテネグロへ向かった。コスタリカで熱病から回
復して以来、順風満帆だったこの旅も、このあたりから雲行きが怪しくなる。

ドブロブニクから乗ったバスが国境に到着。ところが出国手続きをしている間にバスは
僕の荷物を乗せて帰ってしまったのだ。買ったチケットがモンテネグロ国内までの通し
のものだったので予想外だった。どうやら現地語では案内はあったようだが、気づかな
かった。

1kmくらい走って追いかけたがつかまらない。国境を再び越えて取りに帰る時間とコス
トを考えて、泣く泣く諦めることにした。念のために大事なものはほとんど身につけて
いたので、被害は軽かったが、ヨーロッパ全域のガイドブックを失ったのは痛手だっ
た。ここからギリシャまで、ほとんど旅行者もおらず言葉も通じない領域をガイドブッ
ク無しで旅することになってしまった。かなり役に立つガイドブック(英語だが200
0ページに欧州40カ国すべてがまとまっているすぐれもの)だったので、ひどく後悔
した。今思えばこれが、忘れられないアルバニアの事件へと続く”旅のつまずき”の始
まりだった。

バスは複雑な入り江に沿って走った後、山の中へと入ってく。首都のポデゴリッツァは
きれいだがゴーストタウンのように人のいない静かな町だった。ここからは山を越えて
直接コソボへ向かう。コソボはセルビアと形式的には準交戦状態なので直接セルビアか
らコソボへは入れないようなのでモンテネグロ経由のルートを辿ったのだ。

[2563] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com ) 2002/10/23 Wed 01:32:06
[旧ユーゴ諸国(7/5-16)] 
-7カ国:スロベニア・クロアチア・新ユーゴ(セルビア・モンテネグロ・コソボ)・
ボスニアヘルツェゴビナ・マケドニア-

−解説−
イタリアから陸路ギリシャを目指しました。

【スロベニア共和国】
イタリアの港町トリエステから汽車に乗り、山を越えて最初に到着したのは首都リュブ
リアナだった。洗練されたただのヨーロッパ都市という感じで、見所も山城くらいしか
なかった。この国はカルスト地形のメッカで(カルストとはもともとスロベニアの地
名)、郊外には巨大な鐘乳洞があるらしい。写真で見たが、内部を川が流れ、橋もかか
っているほどの巨大な鍾乳洞だった。一泊して電車でクロアチアへ。

【クロアチア共和国】
首都ザグレブは街の規模も比較的大きく、オーストリア首都ウイーンのような雰囲気の
落ちついた街。中心に広大な公園があり、読書と昼寝を楽しんだ。ベンチで寝ることな
んて普段ないのだが、小犬をつれて散歩しているハイソな奥様方の視線を気にすること
なくぐっすり休むことができた。街は重厚なゴシック建築が建ち並んでおり、背後には
丘が迫っている。すごしやすそうな街だった。半日かけて十分見れたので、”時は金な
り”、その日の夜行ですぐにベオグラードへ。

【セルビア共和国−ユーゴスラビア連邦共和国】
ここセルビアは90年代半ばに隣のボスニアヘルツェゴビナへ侵攻した結果、NATO軍
の空爆を受け、あちこちが破壊されたと聞く。それから5年くらいしか経っていないの
だが、現在はのどかな国で、爆撃の後もほとんど修復されている。街は普通に機能して
おり、お年寄りたちが公園で和やかにおしゃべりを楽しんでいる。住民たちも生活に困
ってる様子は感じられなかった。

料理や建物の様子が少し中近東風になってきており、ここからアジアが始まるのだなと
感じた。このユーゴスラビアにしても次のボスニアにしても、入国に際しては日本のパ
スポートを持っている限り、全く問題無しだった。ほとんどの欧米人はビザが必要な
上、入国はかなり難しいらしい。これは欧米が経済制裁を行っているのに対し、日本は
制裁など行わずに国連を通じて復興支援を行っているお陰らしい。これも日本の外務省
の玉虫外交、いや”全方位外交”のお陰だと感謝した。

ちなみに欧州には全部で41(旧ソ連を除く)の国が存在しているが、出入国に関しては
世界で日本人が最も優遇されている。なんと日本人はアルバニアを除いてビザが全く要
らないのである!(2002年より)。これほど自由に欧州を旅行できる民族は他に類を
みない。せっかくチャンスを与えられてるのにほとんどの人が西欧の一部の国だけしか
旅行しないのはもったいないと思わないだろうか?

さて、ここから南はほとんど鉄道が機能していない。ここから3ヶ月後の中国まではず
っとバスの旅が続く。いくつもの山々(ディナルアルプス)を越えてボスニアへ。

[2562] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com ) 2002/10/23 Wed 01:30:45
【世界巡礼26】昨年まで激戦地!旧ユーゴスラビア編

遅くなりましたが、旧ユーゴスラビア以降のレポートを再開します。よろしければ、ご
意見・感想など下さい。(takaba888@hotmail.com)

全65ヶ国中、今回は57ヶ国目のマケドニアまで話は進みます。次回以降は
アルバニア→ギリシャ→トルコ→イラン→パキスタン→アフガニスタン→中国→日本
と続きます。アルバニアで精神的に旅は終わりかけますが、トルコを出たあたりから旅
は新たな局面に突入し、この旅最大の見所を迎えます。

今回は日本人にとってほとんどなじみのない旧ユーゴ諸国ですが、ヨーロッパ人などに
とってはリゾート地としても名高い場所です。ドブロブニクやサラエボなどは新婚旅行
や銀婚旅行(!)としてもお勧めでしょう。

[2561] 粥川善洋 氏(kayukawa@mui.biglobe.ne.jp) 2002/10/22 Tue 12:43:03
(みやこ蝶々氏/失礼!)
>たかとしくん、もこちゃんの2次会の買出しで、原宿で会った時、チョーロックな
>T-シャツを着てきたウッチ-に異変を感じましたよ!やっぱり!
実に5年以上前の話、、、鋭過ぎますね。合田夫妻は数々の縁結び役、まだ余り公に
なっていない段階での異変の発見(ご本人達も嘗て目撃されたことがあった様だが、)
等、絵に書いた様な目出度いキューピッドですね。媒酌人として登場する日もそう遠く
ないことだったりして。

[2560] 合田 紀子 氏(DZZ04112@nifty.ne.jp) 2002/10/20 Sun 22:15:25
ウッチ-Congratulations!!(^。^)
幸せそうな結婚式の写真を見ましたよ!Que bella eres!!
たかとしくん、もこちゃんの2次会の買出しで、原宿で会った時、チョーロックな
T-シャツを着てきたウッチ-に異変を感じましたよ!やっぱり!
彼との思い出のコンサート!!
これからも色々と驚かせてね!!haha!
10年祭準備会、お疲れ様でした!
当日同期の皆さんと会えるのを楽しみにしています!ゴルフコンペも出場することにな
りましたので、よろぴく!!
  Norikita   

[2559] たかさき 氏(ytakasaki@aol.com) 2002/10/20 Sun 18:44:24
タカサキです
粥川どの、御HPに小生の渡仏のこと、掲載どうもありがとうございます
御紹介いただいたように、来週末出発します。
このメールアドレスは、しばらくは使い続けますので、どうかよろしくお願い
します。

当面1ヶ月は引継ぎがあり、その間はホテル住まいです。
その後、前任者が帰国後、現在その前任になる方のアパート(パリ市内)を引き
継ぐことになっているのですが、じゅうたん張替え、ペンキ塗りなどのリフォーム
で3週間くらいかかるというので、実際のそこの入居は、12月終わりのほうになり
ます。それまでの仮住まいは、また考えなくてはならないのですが。

アパートは、すでに見たのですが、その界隈はパリらしい良いところでありながら、
新建築でそれなりにきれいなところでした。

早く暮らしたいです・・・が、仕事がんばらないと・・・。

来年に入り、1月になれば、佳子がくるので、暖かくなるころには落ち着いている
はずです。そのころであれば、お越しになる方を歓迎できることと思います。

それでは。

(あーあ、引越し、もう嫌。)

[2558] たかばたけたけし(KO89) 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/10/19 Sat 01:59:20
【東京に活動拠点を構えました】

先月の帰国から早いもので1ヶ月が経過し、ようやく落ち着きを取り戻しました。

この間、一年程度滞在する予定で都心にマンションを借り、国内潜伏活動を再開しまし
た。視察活動のまとめなど、充実した日々を送っています。

昨日インターネットもようやく開通し、再びメールを送れるようになりましたので新し
い連絡先をご連絡します。追って紀行文の続きも送りたいと思ってます。

日本でもよろしくお願いします。


たかばたけたけし (高畠 猛嗣)
〒153−0064 目黒区下目黒 4−23−8 トウエイハイツ C−303
(JR目黒駅より徒歩になります。)

携帯メール takaba888@docomo.ne.jp

[2557] 粥川善洋 氏(kayukawa@mui.biglobe.ne.jp) 2002/10/15 Tue 16:12:48
御成婚された皆様改めて御目出度ふ御座います。末永くお幸せに。

三連休は、昼はゴルフの練習、夜は「十年祭」用ビデオ編集と確認メール送付に費やし
ました。着々と進んでおります。88世代の皆様、11/9来てね。ビデオ編集も昨年の平田
氏二次会の際はDVで撮ってVHSに編集という原始的なものでしたが、今回はDVか
ら取り込んでPC上で処理しており、随分楽になりました。ただHDDを大量に食うの
で既存の6GBでは如何とも足りず、80GBの外付けHDDを買って来ました。これま
で一杯なるとせっせとCD−ROMに移して遣り繰りして来ましたが、映像はすぐ数ギ
ガになるので遂に導入に踏み切りました。安くなったね、HDD。

ところで日本シリーズはどちらが勝つと思われますか?皆様。

[2556] 弓場潤一 氏(vyc04171@nifty.ne.jp) 2002/10/15 Tue 13:45:47
うっちー、たけくん、片山さんご結婚おめでとうございます。
ここのところ恵比寿倶楽部関係者の慶事が続きますね。

僕ら夫婦も結婚して5年目を過ぎ、年末にはようやく一人めの赤ちゃんも
授かる予定なのですが、振り返ってみるとやっぱり結婚というのは本当の
意味での人生の出発だったなあと思います。

いろいろとややこしいことの打ち続く社会情勢ですが、そんなこととは関
係なく皆様のこれからの人生が幸多いものになることをお祈りしております。

弓場

[2555] 太田康広 氏 2002/10/13 Sun 13:00:53
うっちー,ご結婚おめでとうございます。

優しそうな旦那樣で何より。末永くお幸せに。

[2554] 合田紀子 氏(DZZ04112@nifty.ne.jp) 2002/10/12 Sat 21:33:22
HI!片山さん、ご結婚おめでとうございます。恵比寿倶楽部おつかれさま!忙しい時期に
幹事を引き受けてくださって、ありがとう!
たけさん、ヒュヒュ-良かったですね。長い恋愛生活を貫いてゴールインですね。
いつまでもユニークな先輩でいてくださいね。
人見先輩も元気に中国で奥様!?と過ごしているようです!(奥様メールによると)
二人でモンゴルに旅行したり、、、。
さて、たけさん、今度、母とのショッピングの後、お嫁様を探しちゃおうかな!!
私も11月7日お誕生日です!お祝いメッセージ募集中!haha
   Norikita

[2553] たけ なおき 氏(take-naoki@itec-ltd.co.jp) 2002/10/09 Wed 17:21:12
こんにちわ。たけ@CH87 です。
まずは片山史子さん、おめでとう。楽しい生活を送られますよう。
さて、恵比寿倶楽部の席でも申し上げましたが、ぼくも9月25日に入籍、30日に足立区綾
瀬に引っ越しました。つきあい始めてからけっこう長くなってしまったので、「新しい
生活の始まり」とかいうこともなく、これまでと変わらぬ生活ですが、力まずに今のま
まのペースでいけるといいなあと思っています。彼女(小野路子といいます)は普段は
日本橋高島屋の地下1階ワールドフーズでものを売ってますので、ご来店の際はごひいき
にお願いしますね。ちなみに、旧姓のまま仕事をしています。
なお、結婚式等を行う予定はありませんので、この場を借りてのご報告のみとさせてい
ただきます。今後とも、よろしくお願いします。

[2552] ボレ(片山)史子/NZ90 氏(f_katayama@yahoo.co.jp) 2002/10/04 Fri 00:53:08
10/3に無事入籍できた事ご報告します。新姓はBolleという姓になりました。
ドイツの東西統一記念日でもあり、私達も東西が出会ったという事でいいのではな
いかと急にどたばたと書類集めをしました。幸い大使館、現地の戸籍役場の方々が
協力して下さって、無事本日入籍できました。今日はその後でディズニーシーへ遊
びに行きました。挙式等の行事関係はこれから計画ですし、来年の渡独までは別居
なので、まだまだ実感が沸きません。今後とも宜しくお願い致します。

[2551] 藤岡阿由未 氏(fujioka@da.catv.ne.jp) 2002/09/30 Mon 09:11:12
皆さん、ご無沙汰しています。
9月23日(月)第二子で長男・凛大(りんた)が無事に
生まれましたことを、ご報告しようと思い、久々に掲示板に
書き込みました。
偶然にも上京していた兄、椙山泰生・彩子夫妻が長女を
みていてくれたので、夫立会いのもと不安なく出産
することができ、母子ともに健やかに過ごしています。
今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします。
[2501-2550]