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[2650] たかばたけたけし 氏 2002/11/21 Thu 08:38:45
(タリバンとアメリカの濃密な関係)
以前から噂のあったタリバンに対するアメリカの支援について僕は尋ねてみた。
「タリバンの結成当初、パキスタンとアメリカが支援しているという噂があると新聞で
読んだことがあるのですが、実際のところはどうなんですか?」
「それは事実だ。むしろ当初積極的に支援していたのはアメリカの方だった。もちろん
アメリカも巧妙で、”合衆国”の名前で直接的な支援をしたことはない。すべて第三者
を経由してやっていた。また、アメリカ以外にアラブ諸国からの支援も大きかった。」

「アメリカの支援と言いましたが、実際にはどんな形で支援していたのでしょうか?」
「タリバンが最初パキスタンからアフガンに入ったときのことだ。ある地元の有力者か
ら寄付と称して(軍輸送用車両として)日本製4WD車800台がタリバンのもとに届
けられた。その有力者は当時アメリカとのつながりが深いことは誰でも知っており、ア
メリカからの援助だということは誰の目にも明らかだった。また、カブール入城時の話
だが、軍資金としてかなりの額の米ドルキャッシュがタリバンのもとに届けられた。私
も見たが、すべて新札で連番だった。誰の名義か分からぬが、こんなキャッシュを用意
できるのはアメリカ政府以外には考えられなかった。」

「タリバンと“アル・カイーダ”はどういう関係があるのですか?」
「カブール制圧後、タリバンの政策は大きく変わった。それまでと打って変わりイスラ
ムの教義を前面に押し出し、人権を抑圧し始めた。それまでサポートしてきたアメリカ
政府はここで手を引いた。そのため資金の乏しくなったタリバンが、次なるパトロンと
して近づいたのがウサマ・ビンラーディン率いるアルカイーダ・グループだった。武器
援助の面でも、それまでパキスタン政府は軽火器(銃など)の援助に限定していたのだ
が、この時から重火器(バズーカーや戦車など)も含めて大きくサポートするようにな
った。私もこの時点でついていけないと判断した。そして彼らのもとを去ってタリバン
政権崩壊までパキスタンに身を隠したのだ。」

「なぜアメリカが当初タリバンを支援したと思いますか?」
「ここからは、私の推論が入るのだが、第一に中央アジアの資源だ。アメリカは将来の
中国の影響力拡大をかなり意識している。特に石油・天然ガス資源の豊富な中央アジア
を中国ではなく自分の傘下に置こうと考え、アフガニスタンを輸出ルートとして安定化
させようとしている。(実際トルクメニスタンの天然ガスをアメリカ企業主導でアフガ
ン経由でパキスタンへ通すパイプライン計画があった。)第二には敵対国イランの影響
力拡大を阻止するためだ。(実際イランの影響力はアフガン国内でも非常に強い。)」

「今回のNYテロ事件に続くアフガン空爆でアメリカの利権はどうなったのでしょう
か?」
「ほぼ盤石となったようだ。中央アジア諸国に軍を駐留させている現状を見ても、既に
このあたりはアメリカの強い勢力下に入ったといえるだろう。パイプラインもほぼ問題
無く通せると思う。」
実際アフガン東部を見た感じでは国内の治安は思いのほか安定しており、資金さえあれ
ばパイプライン設置も遠い先のことではない印象を受けた。

[2649] たかばたけたけし 氏 2002/11/21 Thu 08:38:33
【世界視察31-6】タリバンを育てたのは、やはりアメリカだった!アフガニスタン編

(タリバン元幹部との出会い)
今回のアフガニスタン行きは正直言ってがっかりだった。ガタガタ道を耐えてカブール
にたどり着いたのに、町には特に見るものもなく他の内戦国とさほど変わりない。戦場
ジャーナリスト達と話す機会に恵まれたとはいえ、そこへ行くまでにかけた苦労に比べ
ると、割に合わなかった。だが、最後の最後にわざわざ来た甲斐があったと感じさせる
出会いがあった。それはたまたまタクシーで乗り合わせたS氏との出会いだった。

白いアラブ風民族衣装をまとい、物腰やわらかでいつも落ち着いた気品あるS氏は、ア
フガニスタンでは珍しく完璧な英語を話せる人間で、現在アフガンとパキスタンの両国
で活躍しているビジネスマンだった。英語のほとんど通じないアフガンで、聞きたいこ
とを聞けずムズムズしていた僕は、彼と話が通じると分かるや、弾丸のように質問を浴
びせ掛けた。

アフガン情勢についてずっと前から関心を持っていた僕は、タリバンについても94年
の結成当時から動きを追っていた。スクラップブックを作っていたほどだった。もとも
とタリバン全体が特別なテロ集団だったわけではなく、ある程度民衆に根を生やし、現
在でもタリバンは国内に数多くいるということは聞いていた。

しかし驚いたのは彼自身も以前タリバンの中枢にいた人物であったということだ。アフ
ガニスタンに行けばタリバンに会えるよ、という話は聞いていたが、こんなに身近にい
るものだとは思っていなかった。最初は口数の少なかった彼だが、外交について勉強し
ていることを話すと、時とともに多くの質問に答えてくれるようになった。

彼は南部のカンダハルの出身。そこはパキスタンのクエッタでタリバンが旗揚げした
後、アフガン国内の最初の制圧拠点だった町だ。タリバンの侵攻まで王族に仕えていた
彼は、その時から(タリバンによる)カブール陥落までの間、資金部門で協力していた
そうだ。タリバンの最高指導者オマール氏とも面識がある。(オマール氏は口数の少な
い普通のおじさんらしい。)

[2648] たかばたけたけし 氏 2002/11/20 Wed 09:20:51
【世界視察31-5】戦争が終わる日は来るのだろうか?アフガニスタン編

(優秀な日本車)
カブールで二泊した後、ペシャワルへの帰路についた。カブール・ジャララバード間の
あの悪路を再び8時間かけて通ると思うと気が重い。そこで今度はミニバスの5倍
($10)もする乗合タクシーを選んだ。ちょっと古めのトヨタ・カローラだった。5
人で乗るが、乗り心地の良いことといったらたまらなかった。“エンコ”しているバス
を尻目に、どんなでこぼこ道も、道なき砂漠も、一切トラブルなしでスイスイと通り過
ぎる。おまけに速い。日本の立派な道路ではほとんど実感できないが、アフガンで乗っ
てはじめてその優秀さを目の当たりにした。まるで砂漠をゆくアメリカ製戦車のような
力強い車だ。結局、二日前よりかなり快適にパキスタンへ戻ることができた。

(絶景のカブール郊外)
来たときは日が暮れていて分からなかったが、カブール周辺の景色はものすごい迫力
だ。カブールからペシャワルに進むにつれて、
市街地→砂漠→急峻な峡谷→農村地帯→国境→山岳地域→平野
と移り変わる。砂漠には国連軍の基地が設置されており、戦車や装甲車が駐車し、有刺
鉄線が張り巡らされている。

峡谷のスケールはものすごい。どうやって道路を築いたのかと思わせるような崖を道路
がはっている。深い谷底を流れるのはカブール川だ。カブール市内では水一滴すらない
涸れ川だったのが、高山からの豊富な雪解け水が流れ込んで、勢いよく流れている。

(戦争は起こりつづけるのか?)
宿ではオーストラリア人ジャーナリストと部屋をシェアした。彼は難民問題を専門とし
ているフリージャーナリストだ。米タイム誌などに記事を載せながら世界をあちこち回
っているようだ。この宿の客は仕事で来ている人がほとんどで、NHKと契約して(有
事の際にはTV報道も行う)いる日本人ジャーナリストや、国際赤十字スタッフ、国連
職員、JICAスタッフなどがいた。10人程度の客だったのでほとんどの人たちと話
ができた。

世界の危険地帯をも飛び回っているだけあって、普段から気になっている質問をぶつけ
てみた。”本質的には戦争はなぜ起こるか?”という質問だ。あるジャーナリストの言
葉に僕は背筋が凍った。

「結局戦争というものは、たとえ一般市民がいくら戦争に反対していても、”戦争を利
用したい人”が国家権力を握っている限り起こってしまうんだよね。」

いくら世論が戦争に対してためらいを感じていても、軍需産業と結びついた指導層が戦
争を望めば、地球の反対側までも飛行機を飛ばして爆弾を落としていくというのだ。実
は今回の世界視察を通して僕も同じことを感じていた。世界各地の前線で紛争を目にし
ている人達もそう感じているということは、それが真実なのかもしれない。

そのような軍産複合体(軍需産業や軍部の集合体)が存在する限り、彼らは自らの富を
維持し、増やすためにある程度の緊張状態を維持していくのであろう。

先進国で政治に対する軍需産業の影響力がほとんどないのは、日本ぐらいであろう。な
らば“世界から戦争をなくすための活動”を、本気でできる国は、この日本ぐらいなの
ではなかろうか?日本は現在、国際社会ではほとんど発言しているようには見えない
が、潜在的な発言力は十分に備わった国だ。あとはその気になって一歩踏み出すだけで
ある。 

次回はタリバン元幹部に会って、直接聞いた話をお送りします。

[2647] ちゃっく 氏(michi-yo@bc4.so-net.ne.jp) 2002/11/19 Tue 22:15:02
バタバタとしているうちに1週間以上たってしまいましたが、十年祭お疲れさま&楽し
かったです。幹事とは名ばかりで、好き勝手なことを言って、やって楽しく過ごさせて
いただきました。粥川君はじめ東京在住の皆々様(全員の名前は書ききれない!)と、
ほんとーにいろいろとお世話を頂いた幹事の皆々様、有り難うございました。又、10
年後!(・・・その時はもうちょっとお役に立てるよう、頑張ります。)
当日は、十年ぶり以上の人々にも会えてとても嬉しかったです。全員とちゃんとは話す
ことができず、ちょっと残念な気もしますが、まだ、まだ、会える日もあるでしょう。
その時が、楽しみです。それまで、お互い、元気で!
ちゃっくは名古屋でのんびりやってます。お近くへお越しの際は、声かけてね。

[2646] たかばたけたけし 氏 2002/11/19 Tue 10:39:53
(気さくで親切なアフガン人)
人ごみに混じって街角を歩く。地元の人と目が合い
「アッサラーム・アレクン(あなたに神の祝福あれ:こんにちはの意味で用いられ
る)」
と言って微笑むと
「ワレイコン・サラーム(同じ意味)」
と返ってくる。すぐに、“こっちこい”と手招きされ、絨毯に座らされる。お茶が出
て、ブドウ(この地域の特産)も食べろといわれる。どこから来たのか、など他愛もな
い話をしながら、内戦で崩れた家々を眺めながらのんびりとお茶をすする。紅茶文化圏
に囲まれているのに、なぜかこの国だけは緑茶を飲んでいる。“カワ”茶と呼ばれ、日
本の緑茶とほとんど変わらない。

「そろそろ行かないと」
と言って席を立つと
「じゃあまたおいで」
とあっさり見送ってくれる。
こんな気さくなもてなしが街じゅういたるところでみられる。

移動の途中には食事もご馳走になる。隣に座っていたアフガン人が
「君はこの国にきてくれた客人だ。客人をもてなすのが我々の務めだ。」
といって羊肉の串刺しを振舞ってくれた。
(余談だがこのアフガン名物ケバブはおいしいので有名。岩塩を削った粗塩と七味を振
って食べる。)

ある時、露天のとある両替商で両替をした。直後に現地の通行人に
「警察が君のことを呼んでいる。」
といわれる。ドキッとして、
「しまった!もしやこれは闇両替だったか!」
と不安になりつつ、手招きしているいかめしい警官の側へ行く。
“こんなときは、まず笑顔”と自分に言い聞かせ、
「アッサラームアレクン」
と不安を隠して微笑む。すると不思議なことに、それまで難しい顔をしていたおまわり
さんもつられて笑顔で返事を返してくれる。
「君はどこから来たのだ?」
と問われ日本からだと答えると、
「おおっ、日本人か。よく来たなあ。まあ、座れ座れ。」
手のひらを返すように対応が変わる。奥に座らせ、冷たいコーラまで買ってきてくれる
(もちろんタダだ)。
その後、お茶やキャンディも出され、お客のようなもてなしを受けた。
「俺たちアフガン人はみな、日本人が好きだ。」
という。
「日本人のどこがいいのか?」
と、尋ねると
「日本人は戦いを好まず平和を求める民族だからだ」
と言う。中国や韓国の人たちに是非聞かせてあげたい言葉である。日本は原爆を落とさ
れ戦争の犠牲者となった。そしてそれ以来平和を守っているのが、彼らには印象的らし
い。
またアフガニスタンの劣悪な道路環境に耐えているのは乗用車はトヨタ車だけだそうだ。
道路や環境が悪いだけに、日本製品全般の頑丈さに対する評価はとても高い。

そして彼らの国に特定の政治的利害をもたず、純粋な人道的援助をしてきた国は日本と
ドイツだけだと彼らは言う。外国人に優しいアフガン人だったが、日本に関する情報は
少ないにもかかわらず日本人に対する親しが強く感じられたのは意外だった。イラン・
パキスタン・トルコ・アフガニスタンの4ケ国の日本に対する好感度は、世界を見渡し
ても群を抜いているといえよう。

[2645] たかばたけたけし 氏 2002/11/19 Tue 10:39:35
【世界視察31-4】日本人であることに誇りが持てます.アフガニスタン編

(平和な町カブール)
カブール(正確にはカーブルと発音する)では中級ホテルに宿泊した。カブールでは
(ジャーナリストなどの)需要に対し、まだまだホテルの供給は少ないため、ホテル料
金は高い。一部屋$50もする。客は長期滞在のジャーナリストが多いので部屋の質も
比較的よくきれいだ。一日の半分は停電しているが、時間帯によってはお湯が出たのに
は驚いた。

アメリカによるタリバン掃討作戦がほぼ終了した現在、カブールの治安は急速に回復し
ていた。ちょうど“観光キャンペーン”をやっているらしく、旅行者もちらほら訪れて
いた。聞いた話を総合すると、一週間に1組のペースで日本人旅行者も入国している。
旅行者の半数は日本人だ。単独行動を避け昼間に行動している限り、ほとんど問題はな
い。

中心部の官庁街にもでかけたが、さすがにそこはものものしい警備ぶりだった。道路の
両脇に5mおきにショットガンを持った武装兵士が数十人と並んだ光景を見るのは圧巻
だった。(明らかに多すぎる。雇用政策の一環だろう。)ただ雰囲気はさほど緊迫して
おらず、話し掛けても写真をとっても問題なかった。

カブールでは一日かけて街の中心部を歩き回った。砂色の山に家々の色が同化した埃っ
ぽい街だ。街は大きく、歩きまわるとくたくたになった。カブール自体に見所はほとん
どない。モスクがいくつかある程度だが、アラブっぽくなく、ギリシャ(ヘレニズム)
風のようなものもあり、ちょっと変わっていて面白かった。

[2644] 太田康広 氏(yohta@yorku.ca) 2002/11/19 Tue 10:23:41
(上田谷氏)
> 先日の十年祭ですが私のようにAIESECの“仕事”を全くしてこなかった(従っ
> て人脈も遊び仲間に限られている)人間でも大変楽しめました。 合宿所みた
> いな大部屋での飲みは楽しいですね。

参加もできず,お手伝いもできず,残念でしたが,ウェブにアップされた写真
と文章でかなり楽しめました。

> 高橋が書いた東京散策期報告、面白いですねえ。散策の中身ではなく文章そ
> のもので相当楽しめました。登場人物の落とし具体等のバランス感覚も含め、
> 粥川HPの中でも最近の一番のヒットでした。

確かに面白かった。粥といい,高橋といい,絶妙ですね。

(粥川氏)
> 太田の記帳を「まだあんまりかわっていませんが」と読んで仕舞って、痩せ
> たのかな?と思ってしまいました。

うーん,痩せちゃいないですね,全然。まわりの人びとがソートーすごいので,
痩せないといけないというプレッシャーが弱いのが敗因か。

[2643] 西川武志 氏 2002/11/19 Tue 07:05:41
ツイてないときはとことんついていないようです。
明日、プレゼンテーションの本番なので体調回復のために部屋で休んでいたら
fire alarm! 誤報かなと1,2分聞いていたら鳴り止まないし、階段使って降り
ろアナウンスはかかるし、はしご車とか消防車が何台か眼下に集結!
とりあえず大急ぎで着替えて17階からロビーまで階段で降りてヘトヘト。
で、結局、誤報?、タバコ?よく分からないまま火事では無さそうということに。
ロビーまで降りたついでに会場に行って登録を済ませてきました。
今夜GALAがあるのですが、体調回復を優先してホテルの部屋で休むことにしました。

そうそう、消防車が来たから記念に写真を取ろうと思ったらデジカメが壊れました。
CMOSイメージセンサーが壊れてピンクと白の縦縞が・・・
記録済みの映像は再生できるので撮像素子だけの故障だから交換すればすぐ治る
もの帰国しないと駄目です。この件でもついていない。

>浦和様
バンテリンを私は愛用しています。今も持参しております。
シャワーを浴びていてシャンプーを取ろうとして左手上腕がつりましたので早速
使いました。湿布よりも早く長く良く効きます。

[2642]浦和 のぞみ 氏(nozomi-u@pc4.so-net.ne.jp) 2002/11/18 Mon 22:36:39
西川様
右腕の
上腕部分が痛いです。
今もシップ貼ってます。
(シップはっていると)とてもすーーーっとします。
あまり無理しないようにします。
西川さんも無理しないでください。

[2641] 上田谷 真一 氏(uetadani@work.ohmae.co.jp) 2002/11/18 Mon 21:45:06
久しぶりに記帳します。 先日の十年祭ですが私のようにAIESECの“仕事”を全くしてこな
かった(従って人脈も遊び仲間に限られている)人間でも大変楽しめました。 合宿所みたい
な大部屋での飲みは楽しいですね。粥川・高橋はじめ幹事の皆さん、ご苦労様でした。

それと、本題ですが、高橋が書いた東京散策期報告、面白いですねえ。散策の中身ではな
く文章そのもので相当楽しめました。登場人物の落とし具体等のバランス感覚も含め、粥
川HPの中でも最近の一番のヒットでした。仕事で面倒な文章読んでることが多いので、ま
じめな投稿はあまり読んでいないのですが、こういうのもっと書いてください。

では 感想でした。

[2640] うだがわ やすこ 氏(yasuko-u@qa2.so-net.ne.jp) 2002/11/18 Mon 19:00:18
諸先輩方お久しぶりです。こないだ誕生日を迎え、20代も後残すところわずかに
なりました。

若い癖に疲れ易いから指圧に行こう行こうと思っていて、まだ行ってません(苦
笑)。いい人にかかると2年ぐらいで内臓ごと丈夫にしてくれるって、聞いたん
ですけどね。寝ても寝てもぐったりしちゃうのそれで治るんだったら、高くない
出費かなーなんて、ぼんやりと考えています。

あんまり代わり映えのない生活をしていて、短い書き込みで申し訳ありません
(笑)これから寒くなる時期を迎えますが、皆様お体にお気をつけて、元気で
冬将軍に備えましょう。それではまた。

[2639] 粥川善洋 氏(kayukawa@mui.biglobe.ne.jp) 2002/11/18 Mon 12:47:21
(西川氏)
>> トロント経由なら、大田とお互いの膨らみ具合を確認し会えたのに残念。
(太田氏)
>ハハハッ。まったくだ。
>トロントに来たときは,連絡してください。まだ,あんまりわかっていませんが,
>そのうち詳しくなるでしょう。

太田の記帳を「まだあんまりかわっていませんが」と読んで仕舞って、痩せたのかな?
と思ってしまいました。太田氏HPからも近影がなくなってる様ですが、ぜひ現況が確
認したい!(笑)。失礼しました。

[2638] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/18 Mon 10:10:02
(カブールへの辛い道のり)
ここからカブールまでが、打って変わり大変な道だった。ジャララバードからカブール
までは乗合バス。日本の“おさがり”のマイクロバスで、ボディには“〜温泉”と書か
れている。ぎゅうぎゅうに押し込められるが、運悪く僕は補助席。なんとかなるだろう
と思ったが、とんでもなかった。カブールまでの幹線道路には、20年間の内戦の傷跡が
如実に現れていたのだ。戦車の度重なる通過でアスファルトは岩盤のように固くなって
いる。そこに、地雷の爆発と爆撃が加わり、道は穴ぼこだらけになっている。数十cm以
上の穴は迂回して進むが、10cm程度のものはそのまま気にせずに上を走る。前後左右に
バスは激しく傾き、水平で走ってくれることはほとんどない。それが8時間続いた。補
助席の揺れは特に辛い。しかも周りの砂漠から、シルトと呼ばれる細かい粘土質の砂が
四六時中煙のように入ってくるため深呼吸もできない。カブールに到着する頃には体は
くたくた、意識は朦朧とし体は真っ白だった。数日後に戻るためには同じ道を帰らざる
をえないことを考えるとゾッとした。

日没前に到着の予定が、カブールに着いた頃には日はとっぷりと暮れていた。“日没後
のアフガニスタンには気をつけろ”と言われていただけに緊張が走る。おまけに下ろさ
れた場所はただの空き地で電気もない。カブールのどこなのかもさっぱり分からない。
ほとんどの乗客は自分の家を目指し蜘蛛の子を散らしたようにいなくなった。非常に
“ヤバイ”状況である。

幸い一人だけ外人が同じバスに乗っていた。アフガン滞在中のオーストラリア人ジャー
ナリストだった。幸い彼と一緒に宿探しをすることになった。足元を見て普段の20倍の
金額を請求してくるタクシードライバーとは揉めに揉めたが、結局無事宿を探し出しチ
ェックインすることができた。もしアフガン事情通の彼がいなければ、夜盗の餌食にな
っていたかもしれない。自分の脇の甘さを少し反省した。

つづく

[2637] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/18 Mon 10:09:15
【世界視察31-3】一人になってしまった夜のカブール!アフガニスタン編

(国境越え)
トライバルエリア(部族地域)を進むと、いよいよ国境のカイバル峠だ。この峠はイン
ドと中央アジアの境界であり、2300年前にはギリシャ(マケドニア)のアレキサンダー
大王も越えたといわれる。青い目をしたヨーロッパ系の顔立ちの人々がこの付近には多
く、大王一族の子孫だといわれている。僕はマケドニアからバスを使っても、ここまで
40日かかっている。当時はさぞかし大変だったろう。

つづら折りに重なった険しい山道を1時間以上のぼる。途中には100年以上も前に造られ
たイギリス軍の要塞などもあり、世界をまたにした大英帝国の栄華を思い知らされる。

アフガニスタン国境に到着。チャーターしたランドクルーザーはここまで。いよいよロ
シア人、アメリカ人との3人行動となる。3人は一緒だが、バラバラだ。お互いに距離
を取り、つかず離れずといった感じだ。写真好きのアメリカ女が、
「なぜ車を停めて自由に写真を取らせてくれないんだ、契約違反だ!」
と運転手に怒り出す。いかにも訴訟社会のアメリカっぽい。隣のロシア男は涼しい顔を
している。だめと言われれば仕方ないんじゃないの?といった感じだ。個人の自由が制
限されるのが当たり前だったロシアらしい。日本人男は、ここなら大丈夫だと思えると
ころだけを狙い、停車をお願いして写真を撮っていた。三者三様の3人の行動スタイル
に面白さを感じた。

パキスタンの出国審査は問題無く通過。アフガン側入国審査では、別室に呼ばれる。何
だろう?と思っていると、まだ外国人が珍しいのか、お茶を出されおしゃべりの時間と
なった。係員も暇らしい。先を急ぎたい僕らは、お茶のお替わりも断り、係官の斡旋で
タクシーをチャーター(2時間で1000円程度)し、最寄りの町ジャララバードへ向かっ
た。

(ここは日本?)
初めて見るアフガニスタンの大地。車窓からの景色は実に意外だった。テレビでは岩山
と荒野くらいしか見た記憶はないが、目の前は一面に畑が広がり、とうもろこしや野菜
が実っている。山に囲まれてはいるものの、大河に沿って広々とした平野があり、河川
敷には青々とした草が一面に茂っている。きれいなアスファルトの一本道が西のカブー
ルまでずっと続いている。。街路樹が道路を覆い、その並木道を僕らのカローラは軽快
に駆け抜けていく。(若干乾燥してはいるものの、)景色を見る限り、長野あたりをド
ライブしているような感覚だった。

ジャララバードに到着。ここで他の二人がこの町に滞在すると言う。彼らは一ヶ月くら
いかけてアフガニスタン中を、くまなく見物したいのだ。ここでで時間に余裕のない僕
は一人でカブール行きのバスに乗り込む。三国同盟はこれから本領が発揮されると思っ
ていただけに残念だ。僕がいなくなっても彼らは問題ないだろう。何か起こっても、両
国の政府であれば外交問題に持ち込んで解決も早いに違いない。そんなとき日本の外務
省では頼りになるのだろうか・・・。結局また一人になってしまった。幸い入国してか
らの雰囲気をみると、一人でもやっていけそうだ。

[2636] 太田康広 氏 2002/11/18 Mon 04:40:19
(西川氏)
> Windowsの初期設定を修正していないということがおそろしい。何も考えな
> いでファイル共有とかを開始するとすると無制限アクセスが設定される初期
> 設定にしているのが問題ということです。

パーミッションね。そりゃ,デフォルトが悪い(笑)。ユーザーの利便性をほ
んのちょっと上げるために,セキュリティをどれだけないがしろにしても構わ
ないという方針だったのでしょう。最近は,変わったのかな。

[2635] 西川武志 氏(lo8@xd5.so-net.ne.jp) 2002/11/18 Mon 01:10:17
>[2634]浦和様
腕、先端から肩まで
指:掌:手首:前腕:肘:上腕:肩
となりますが、上腕部のどの辺でしょうか?
上腕部で肘にしろ肩にしろ関節の近くでなければ筋肉痛のたぐいでは?
関節の近くだと別のことが考えられます。
医者か接骨院にかかれないなら、とにかく動かすことを控えることです。

腱鞘炎いうのは指を動かす腱の鞘になっているものの炎症なので筋肉とは関係な
いです。
   腱鞘-----
腱ーーーーーー=>筋肉へ
   腱鞘-----

腱鞘炎持ちそして気管支炎にてホテル待機の西川でした。
明日の夕方のオープニングまでに静養して治さないと!
http://www.sc2002.org/
http://www.sc2002.org/news_nr.html
う〜ん、ボルチモアからつくばにつないでデモをやるのにgatewayになっているマ
シンが応答しない!ヤバイ!

[2634]浦和 のぞみ 氏(nozomi-u@pc4.so-net.ne.jp) 2002/11/17 Sun 22:44:33
久しぶりの記帳です。
ここ一週間、右腕が痛いのです。
右腕の、上の所です。
PCの使いすぎ(今もこうやって使っている)が原因です。
夏に寝違えた時に処方箋でもらったシップがそろそろきれてしまう。
こういう現象ってときどき起こるのですが
これも「腱鞘炎」に近いものなのでしょうか???
でも、「痛くて腕が上がらない」というわけではないので
そこまでには至っていないようです。

[2633] 西川武志 氏 2002/11/17 Sun 21:48:13
気管支炎悪化・・・
NY JFKにてセキュリティチェックを受けること3回
アメリカン航空のターミナルでは2階のセキュリティチェックを受けて、さあコ
ミューター搭乗の1階のシャトルバス乗り場に行き、さあ搭乗だと言うところで
またチェック!2階で受けたばっかりだといっても聞いてくれない。
シューズもコートもはがされて、ベルトもバックルをはずして腹を見せろ・・・

すべてパスポートの写真を見せてからチェックがされているので、さすがに容貌
が違いすぎるのが原因なのかとあきらめる。無精ひげもないし、マスクもしてい
ないし、体重も30kgくらい違うし・・・

宿泊先のホテルからVDSLで客室から高速インターネット接続しています。
案内のカードには$12.95と書いてあるがブラウザでの確認画面は
$9.95、たぶん値下げなのだろう。毎日使うと高いなあ・・・

>[2632] 太田
Windowsの初期設定を修正していないということがおそろしい。
何も考えないでファイル共有とかを開始するとすると無制限アクセスが設定され
る初期設定にしているのが問題ということです。

[2632] 太田康広 氏 2002/11/16 Sat 18:29:46
(西川氏)
> しかしWindows Userおそるべし!guestでファイル共有見えてますよ!う〜
> ん、某セキュリティツールベンダーの社員か?日本人名@sy?????c.comのア
> ドレスもだだ漏れだ!Outlook使うなよ!

情況がわかっていないので,的を外しているでしょうが,やはりWindowsって
こわいという印象が拭えません。最近は,ずいぶん,安全になってきている
のでしょうか。

まだまだイメージ的に,Windowsはできるだけ使いたくないのが本音です。
どうせ使いにくいし...。しかし,最近,学内LANがLotus Notesなので,
やむをえず,Windows XP使っています。ただ,Excelで,ちょっと大きい
ワークシートを作ると,メモリ256MBでは,スワップしまくりです。なん
つぅ非能率的なOSだ...。もちろん,使い勝手が悪くて耐えられないので,
cygwinやEmacs入れて限度いっぱいまでUNIXっぽくして使っています。

一方,Linuxの方,ログをみていると,個人のマシンであるにもかかわらず,
一日に数回は攻撃を受けている模様。一応,ssh関係は,最新にしていますが,
なんとなく,恐ろしい。

[2631] 西川武志 氏 2002/11/16 Sat 10:44:44
やられた!リークだ!内部告発ではなく、漏らしですね。
http://www.asahi.com/business/update/1116/005.html
「電子政府の基本ソフト、脱ウィンドウズへ 公開型に転換

 政府は、インターネットを通じて申請や検索ができる「電子政府」の安全性を
高めるため、政府内ネットワークのコンピューターで採用する基本ソフト
(OS)の見直しに〜」

という書き出しまでは良いよ!
途中にさりげなく
「経済産業省も産業技術総合研究所にオープンソースOSを導入して運用試験を
始める。」
おいおい独立法人化してシステムを1年毎に開発し直してどうするの。
誰か、償却負担を教えて、某お役所に

[2630] 西川武志 氏 2002/11/16 Sat 10:36:04
成田の出国待ちが長蛇の列で1時間くらいかかるということなので
並ぶのはつらいのでスタバで列が短くなるのを待っていて列が程よく短くなった
のでさて並ぼうかというところで修学旅行の集団がやってきて・・・
北出国をあきらめて南出国から、意外とすんなり進めて
ただいまJALさくらラウンジ、無線LANが使えて快適です。
しかしWindows Userおそるべし!guestでファイル共有見えてますよ!
う〜ん、某セキュリティツールベンダーの社員か?
日本人名@sy?????c.comのアドレスもだだ漏れだ!
Outlook使うなよ!

[2629] 太田康広 氏(yohta@yorku.ca) 2002/11/16 Sat 06:01:45
(西川氏)
> 気管支炎は完治していませんが、あと6時間10分で成田空港に向かいます。

お大事に。

> 同僚はエアカナダでトロント経由でバルチモア入りしますが、私はJALを使っ
> て行きNY、帰りシカゴ経由です。チョット失敗。

> トロント経由なら、大田とお互いの膨らみ具合を確認し会えたのに残念。

ハハハッ。まったくだ。

トロントに来たときは,連絡してください。まだ,あんまりわかっていません
が,そのうち詳しくなるでしょう。

# ほかの皆さんも。

[2628] 西川武志 氏 2002/11/16 Sat 01:54:28
気管支炎は完治していませんが、あと6時間10分で成田空港に向かいます。
Super Computig 2002という国際展示会&会議に行ってきます。
18日から22日までが会期で前後は準備と撤収
National Aquarium in Baltimoreに行きたいけれど自由時間が皆無・・・

同僚はエアカナダでトロント経由でバルチモア入りしますが、私はJALを使って行
きNY、帰りシカゴ経由です。チョット失敗。

トロント経由なら、大田とお互いの膨らみ具合を確認し会えたのに残念。

十年祭の報告第二弾期待しています。
Baltimoreの会場と日本の勤務先までは1Gbpsの回線を1週間だけ直結契約しまし
たのでどんなに写真が多くても快適に見られるはず、はず、はず。

では行ってきます。

[2627] 粥川善洋 氏(kayukawa@mui.biglobe.ne.jp) 2002/11/15 Fri 10:20:38
今週は忙しかったです(まだ終わってないけど)。
月水木金と夜が入ってて、考えてみれば先週の土曜からずっと飲み続けていることにな
ります。十年祭の掲載も遅れてますが、今週末に一挙掲載出来ると思います。
改めて皆様ありがとうございました。

ゴルフは私は117と可もなく不可もなくという成績でした。コンペは来年以降も毎年是非
やりましょう。引き続き練習に励みます。

[2626] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/15 Fri 09:54:35
【世界視察31-2】ビンラディン潜伏地域を通過!パキスタンからアフガニスタンへ

(パキスタンの無法地帯)
ペシャワルを出発して、まず向かったのはパキスタン旅行局。ここで国境の“部族地
域”を通過するための許可を得る。“部族地域”とは、アフガニスタンとの国境沿いに
ある帯状の広大な地域で、道路以外は政府の権力が及ばない無法地帯だ。ウサマ・ビン
ラディンも現在この地域に潜伏していると言われている。

次に向かったのは警察署。部族地域を通るには、ガードマンを一人つけることが義務付
けられている。ショットガンで武装した警官と一緒に僕らは出発した。

30分後、部族地域(トライバルエリア)に入る。検問を越えると、そこは別世界。武
器を扱う商店が立ち並ぶ。拳銃やライフルはもちろん、マシンガンやバズーカー砲、小
型ミサイルまで売られているらしい。以前ここを訪れた旅行者に聞いたことがあるが、
小型ミサイルは一発試射するだけで30万円もかかるらしい。また、麻薬も公然と売られ
ている。大麻はどこにでも自生しており、お米や麦と同じ程生えている。ヘロインや覚
せい剤などたいていの物は手に入ると言われている。

もともと、ここは武器と麻薬の密売で有名な場所だが、偽札の製造も行っていることが
一部の旅行者の証言で明らかになっている。米ドルはもとより、欧州主要通貨が印刷さ
れ、世界中に“輸出”されていた。かなり精巧なものだったらしい。それどころか、な
んと日本円までもが“製造”されていた!現地の知り合いを通じて訪問した知り合いが
日本円印刷工場を目撃している。日本への“運び屋”にならないかと勧められたそうだ
が、断ったらしい。10年前の話だ。最近の話は聞いていないが、おそらく事態に大きな
変化はないであろう。日本でさほど問題になっていないところをみると、偽札は製造し
ても持ち込むことが大変なのだろう。(全く発覚していないということも考えられる
が・・・。)ここトライバルエリアでは政府も存在しないため、誰に気兼ねする必要も
ない。“なんでもあり”の世界のようだ。

ここの住民は支配を嫌うため、パキスタン政府は彼らをコントロールできない。警察は
なく、自分たちの身は自分たちで守るのが慣わしだ。各住居の敷地は1000坪以上あるほ
ど広大で、どれも高い土の壁で囲まれていた。いざというときはそれぞれの家が要塞と
なるらしい。家同士の抗争もあるという。武器も十分にあるため、現代でも時折一族同
士の“戦争”が起こると聞いた。

彼らの収入源は車や麻薬などの密輸だ。とくに自動車に対するパキスタンの税率は高い
らしく、その目をかいくぐる密輸はかなりの利益になっているらしい。日本で買い付け
られた車が、中東のドバイまで船で運ばれ、イランに陸揚げされる。陸路でアフガニス
タンを通過し、カイバル峠の向こうで一旦解体される。3つ程度に分解したものをラク
ダに引かせて、山を越えトライバルエリアに持ち込み再度組み立てられて国内市場に入
る仕組みであることを現地の人から聞いた。最新技術の結晶であるニューモデルのラン
ドクルーザーが分解され、原始的な輸送手段のラクダに引かれて山を越えているシーン
は想像するだけでも面白い。

つづく

[2625] いも 氏 2002/11/15 Fri 08:47:57
たかばたけさんの講演会、友達と行きたいと思います。
楽しみにしています!

[2624] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/14 Thu 12:38:48
【解説】
正直言って、アフガニスタンなどへ行くつもりは、さらさらなかった。打ち続く内戦、
NYテロに続く米軍の侵攻、命の惜しい僕は、できればこの国の周辺は避けて通りたいと
思っていた。

転機はギリシャで訪れた。時間の関係で、当初予定していた中央アジアルート(グルジ
ア・アゼルバイジャン・トルクメニスタン・ウズベキスタン・カザフスタン・中国)が
取れないことが判明。現在のルートへの修正を余儀なくされる。

トルコでアフガン帰りの旅人と出会い、アフガン旅行が安全であることを聞かされる。
しかし、“アフガニスタンは危ない”という思い込みが頭からなかなか離れず、
“都合があえば、行ってもいいかな“ 程度にしか考えていなかった。

(アフガンの玄関口)
イスラマバードで中国ビザを取得した僕は、パキスタン中西部最大の都市ペシャワルへ
と向かった。ここはアフガニスタンへの玄関口。カブール行きの手続きをするための町
でもある。アフガンでの単独行動はやめておいた方がいいと聞いていた。とりあえずこ
の町にやってきたが、もし同行者が見つからなければアフガン行きは取りやめる予定だ
った。

バックパッカー向けの安宿に泊まる。客は誰もいない。“この町で同行者を見つけるな
んてなんて甘い考えだったか・・・”と、途方に暮れる。だが夜になると、ひょっこり
日本人の若者が現れる。北部のカシミール地方から、一週間くらいかけて山を越えてき
た旅人だった。聞くと彼もアフガンに向かうと言う。一緒に出発することになった。

(出発準備)
ペシャワルのアフガン領事館でビザを申請し、出入国事務所でパキスタンの再入国ビザ
も申請する。アフガンビザ代はUS$30。取得に3日かかった。だが運悪く、一緒に行く
と言っていた彼の再入国ビザが、手違いで降りなかった。どう頑張っても無理で、一人
で行ってくれと言われる。

僕は迷った。すっかりアフガン旅行を楽しむ気になっていたのだ。しかし、もともと単
独での越境はやめようと思っていたので、涙を呑んで中止しようと思った。治安は改善
しているとはいえ、一人では何かが起こった場合には心もとない。

ラワールピンディへ戻るための荷造りをしていると、別の部屋に宿泊していた外人二人
がやってくる。彼らもアフガン行きを予定しているらしく、なんと一緒に出発してもい
いというのだ。急転直下、2時間で越境のための必要書類を作成し、翌朝出発となった。

その二人というのはロシア人の青年とアメリカ人の女性だった。三人ともほぼ同世代で
一人旅同士。ロシア人の彼はモスクワ大学出身のエリートで中央アジアを旅行している
らしい。おぼっちゃんのように見えるが結構頭は切れそうだ。アメリカ人の彼女はもう
パキスタンに数ヶ月滞在しているおり、自己主張の強いやり手タイプだ。20年間にわ
たってアフガニスタンが泥沼の内戦に突入するきっかけを作ったロシア人と、今回民間
人も含め徹底的な爆撃を加えたアメリカ人。一緒に向かう僕はこのすごい組み合わせに
おののいた。しかし二人とも、そんなことは全く気にしていないようだ。恐れ入った。

翌日、3人はチャーターしたランドクルーザーに乗り込んだ。国境のカイバル峠を越
え、旅行者とは無縁だったあのアフガニスタンに入るのだ。

つづく

[2623] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/14 Thu 12:38:10
【世界視察31-1】アフガン潜入ゴールデントリオ結成!アフガニスタン編

[アフガニスタン(8/23-25)] 
8/23 カブール(アフガニスタン):ペシャワルよりジープ・タクシー・ミニバス計11
時間
8/25 ラワールピンディ(パキスタン)へ:タクシー2台・バス2台計12時間

【訪問先】

★★       カブール:涸れ川(ワジ)を中心に広がる丘陵都市で、建物も風景も一面
が砂色に染まっている。荒涼としている割には多くの人々が生活しており、たくさんの
露天で中心部は賑わいをみせている。打ち続く内戦で、主なものはほとんど破壊されて
おり、見所はほとんど残ってはいない。

[2622] Hiro3SH 氏 2002/11/13 Wed 23:15:31
「79オフ〜80シーズン中」のページ「シーズン中」に記載している「行沢(日・内)−吉岡
(西・内)」のトレードは、1979年シーズン中の誤りですよ。

[2621] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/13 Wed 10:59:30
≪講演会のお知らせ≫

多くの方々からの御要望にお応えして、今回の旅の報告講演会を開くことになりまし
た。どなたでも御参加いただけます。是非お越し下さい。

【タイトル】「たかばたけたけしが見た世界-65ケ国400日-」

【日時】12月14日(土)2時〜4時(1時半開場)

【内容】
 ☆全ルートの解説
 ☆世界の見所ベスト10
 ☆ビックリ仰天トラブル、こんなはずじゃなかった苦労話
 ☆あなたの知らない世界の現実
などなど(質疑応答あり・スライドも用意しています)

【会場】港区芝公園福祉会館 3F
 東京都港区芝公園2−7−3/03−3438ー0395
 都営三田線「芝公園」A3出口1分(階段を上がって左手の建物)
(100人程度の会場です)

【参加費】1000円

【参加方法】Eメールで下記にお申込下さい(ccに僕のアドレスを入れて下さるとあり
がたいです)。名前を伝えるだけで結構です。興味のあるお友達などにもご紹介下さい。

申し込み先:
spa-spa@ma2.justnet.ne.jp(河野カチヒコ)
harucon@clubaa.com(袴田春子)

[2620] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/13 Wed 10:53:20
【世界視察30-5】怖〜い宿の話!南部パキスタン編

パキスタンというと危ないというイメージがあるが、実際に旅行者がトラブルに遭うこ
とは非常に稀である。インドとの間でカシミール地域を巡って50年も紛争が続いている
が、戦場は山の向こうのインド側である。パキスタン側に戦火が及ぶことは実際にはま
ずないようだ。

治安もよい。隣のインドと比べても犯罪に巻き込まれるケースは驚くほど少ない。たま
に盗難などの話は聞くが、(信じられないことだが)解決するケースが多い。

一般に発展途上国では警官を信用するなといわれる。給料が安いので、小遣い稼ぎに犯
罪に手を貸しているケースが多いのだ。だが、パキスタンは別格だ。警官が頼りになる
のだ。

バスの車内でカメラを盗まれた旅行者がいた。犯人もわからず、警察に届けたら、数日
後に盗難品が戻ってきたそうだ。犯罪者の少ないこの国では、容疑者を特定するのは難
しくないらしい。戻ってこないケースでも、警察がバス会社に言って弁償させたという
話も聞いた。嫌がらせを受けた旅行者をかばい、悪者を鉄拳パンチで退治してくれたと
いう話も聞いたことがある。この国では警察官の権威は絶大で、逆らう人はほとんどい
ないらしい。そして国家の威信をかけて旅行者の味方になってくれるらしい。僕は幸い
お世話になることはなかったが、この国で何かあった際には警察に頼るのがよいようだ。

比較的治安のいいこの国でも、泥棒が多いので有名な場所がある。インド国境に近いラ
ホールという大都市だ。ここの名物が “泥棒宿”だ。知っている人はこの町を避ける
が、インドからやってきたばかりの旅行者は、知らずに泊まって被害に遭うケースが多
い。

この町の駅の周りには多くのホテルが立ち並んでいる。そしてそのほとんどが、宿に
“仕掛け”のある泥棒宿なのだ。その仕掛けというのが面白い。
@	たんすの中に隠し扉があり、別の部屋から人が出入りできる。
A	天井が外れ、人が出入りできる。
B	壁を押すと隣の部屋への通り道が現れる。
まるで忍者屋敷だ。夜も更け寝静まった頃に、誰か(ホテル専属の泥棒だろう)がから
くりを使って、こっそり忍び込み、貴重品を盗んでいくらしい。

一晩だけ泊まった若い夫婦から聞いた話だ。チェックインした部屋に音楽用のスピーカ
ーが置いてあった。側を通ったときにふと何気なく、スピーカーのネットの中を覗く
と、そこにはこっちを見つめる二つの目があったそうだ。恐ろしい・・・。

不運にもAのケースに遭遇した人の話を聞いたことがある。その女性は夜中にふと目を
開けると、天井の隅の板が外され、人が下りてくるところだったらしい。気づいたもの
の、怖くて声も出せず必死で寝たふりをしていたそうだ。自分も同じ目に合えば、怖く
て同じようにしたかもしれない。実際、旅行中何度か同じような夢を見た。鍵の閉まっ
ているはずのドアが静かに開き、夜陰にまぎれて男が部屋に侵入してくる。怖くて緊張
で体がこわばる。必死に叫ぼうとするのだ、声がでないという内容だ。

インドではアグラ(インド編参照)、パキスタンではラホールには近づかない方がいい
だろう。

次回からは、いよいよ緊迫のアフガニスタン潜入記です。

[2619] 合田紀子 氏(DZZ04112@nifty.nejp) 2002/11/12 Tue 22:36:24
Hi, everyone!
10年祭では、同期の皆さんと会うことができて嬉しかったです。不思議とタイムスリッ
プしたかのように大学生の頃に戻って、お互い楽しくお話ができて、感動的でした。
子どもたち(jungle babies)もアイセックファミリーの一員として暖かく迎えてくだ
さり、ありがとうございました。
ゴルフのスコアはあれ!?という感じでしたが、また、お仲間に入れていただきたいな
と思っています。5組の前ちゃん、北方くん、とむーthanks!
最後に幹事の方々、ありがとう。
また、輝きに満ちた皆さんと会える日を楽しみにしています。
   chao, Norikita

[2618] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/12 Tue 12:28:09
[パキスタンという名前、どこからきているか知ってますか?]
これは地名ではない。PAKISTANはイスラム教徒の国なのだが、独立前の英領インドで
イスラム教徒の多い地方名をとって作った造語なのだ。つまりパンジャブのP、アフガ
ンのA、カシミールのK、シンドのS、バローチタンのSTAN、これにイスラムのIを加え
て作ったものだ。47年に初めてこれが国名に制定された。

もともと英領インドは、セポイの反乱でイギリスに攻め滅ぼされたムガール帝国という
イスラム教国が支配していた土地だ。現在でこそ、その大部分はヒンズー教国のインド
が占めているが、歴史ある大帝国の流れを引くのは、このパキスタンであると言えるの
かもしれない。

[パキスタン最大の輸出品、それは“人”である]
ただ、手工業など当時の工業地帯のほとんどがインド領に編入されてしまったので経済
的基盤は弱い。唯一の資源といえば、1億5千万人の“人”ではなかろうか。出稼ぎの
パキスタン人を外国で見かけることは多い。例えば、オイルマネーで潤う中東湾岸諸国
の3大出稼ぎ民族はインド人・パキスタン人・スリランカ人だ(略してイン・パキ・ス
リと呼んだりもする)。なかでもパキスタン人は警察官や軍隊に多い。周辺国への影響
力を高めるためにパキスタン政府が、なんと“警察”や“軍隊”を丸ごと貸し出してい
るようなのだ。以前仕事で駐在したことのあるバーレーンの警察もパキスタン人だっ
た。豊富な“人的資源”を輸出し、最大限に活用しているのには恐れ入った。

つづく

[2617] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/12 Tue 12:27:35
【世界視察30-4】インド人とパキスタン人、どこが違うの?南部パキスタン編

 [インド人とパキスタン人の違いをどの程度知っていますか?]
外見的にはほとんど変わらぬインド人とパキスタン人。たいして違いはないだろうと、
訪問前は僕も一括(くく)りに考えていた。しかし実は、この二つの民族は全く違うの
だ!特に違いを感じたのは以下の3つだった。

@旅行者に対する態度
インド人は自分のことで手一杯の人が多く、旅行者を見ても特別なことをする人はあま
り見かけない。ところがパキスタン人は(イラン人ほどではないものの)外来者に対し
とても親切だ。どこで道を聞いても丁寧に教えてくれ、目的地まで付き添ってくれる人
も多い。電話をかけてバスの手配をしてくれる人までいて、驚いた。

イランやトルコを始めシリアやヨルダンなどイスラムの国々は旅人に対してとても親切
だ。これはおそらく“巡礼”の影響であろう。イスラム教ではメッカへの巡礼の習慣が
あるため、旅人のことを思いやることが自然と身についているのではないかと考えられ
る。

A生きざま
インドで触れた多くの人々はどこか卑屈なところが感じられた。他人に対し、いつもど
こかで自分を押し殺している。“旦那様”に対し、へつらっている執事か召使のような
感じだ。一方パキスタンは皆のびのびと生活しているように感じられる。自然体で、さ
さやかな夢とプライドを持っている人が多いように感じられた。

この違いはインドに色濃く残るカースト制によるものではなかろうか。実際インドでも
上位カーストと思われる人達の態度はのびのびとしたものだった。これに対し、パキス
タンでは四民平等、貧富の差も比較的小さい。“自分は皆と平等である”という意識を
持つだけで、生き方は随分自発的になるものだと感じた。極言すれば“人に上下はな
い、上にあるとすればそれは神だけだ”、といった意識(別に狂信者の考えではない)
が素直に浸透しているように感じられた。

B食文化
豊かな食文化のインド。庶民向けの安食堂から高級店まで様々なレパートリーとメニュ
ーがそろっており、中には日本でも通用するほどのおいしいお店もある。一方のパキス
タンにはほとんど食文化は感じられない。空腹をみたせばよいという感じだ。ホテルの
レストランは閑散としている。町角の食堂はメニューもなく見て選ぶ、といったところ
が多かった。

この違いは所得格差からきているように考えられる。平均年間所得自体はインドの$4
40に対しパキスタンの方が$470と高い(ともに98年)。だが、所得格差はインド
の方がかなり大きいようだ。実際パキスタンでは成金めいた人も家もあまり見かけない
が、インドではいかにも“お金持ち”といった人々がきらびやかな衣装で汽車の一等に
乗っていたりする。(統計的にも所得上位/下位10%の所得比はインドの10倍に対し、
パキスタンは7倍となっている。)お金持ちの多い国は食文化が花開く。貧しい人々は
生きるために食べるが、豊かな人にとっては楽しむための食事だ。僕の経験でもイラン
やキューバ、中央アジアの旧共産圏など所得格差のほとんど無い地域ではおいしいもの
はあまり見かけなかった。

[2616] たかばたけたけし 氏 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/11 Mon 11:35:49
一日でも時間を無駄にしないようにここまでやって来た僕は、ここで更に三日も待たさ
れることがショックだった。更に恐ろしいことに、聞くと何人ものパキスタン人が何日
も連続して通っているらしい。長い人はもう3週間近く毎朝列に並びつづけていた。こ
れは困った!日本ではありえない話が、ここでは現実になっている。こんなことを毎日
繰り返していたのでは、いつ日本に帰れるか分かったものではない。どうにかせねば、
と考えた。

そこで外人であることを利用して正門から堂々と入り、大使館員に直接お願いしてみ
た。しかし、やはり特別扱いはできないと言われ、来週早朝から並べという。9時の開
門なのに朝5時から並んでいる人もいるらしい。・・・その日は仕方なく諦めて宿に帰
った。お先真っ暗だ。


イギリスはレディーファーストの国といわれる。しかし更に上をゆく世界一のレディー
ファーストの国がある。それがここパキスタンだ。普段女性を町角で目にすることはほ
とんどない(女性はほとんど家から出歩かない)。しかしいざ現れた場合はどこでも最
優先されるのだ。それはバスや役所だけでなく,大使館のビザセクションでも同じらし
かった。

そこで、普通に並べば来年までかかりそうな中国ビザを、数日で取る方法を考えてみた。

@性転換手術で女になる
Aかつらをかぶって女のふりをする
Bだれか女性に大使館に同行してもらう

僕はBを選んだ。たまたま宿が同じだった日本人女性旅行者が、月曜にビザが出来上が
ることになり、一緒に行ってくれることになったのだ。

そして当日。朝7時過ぎに宿を出発し、大使館開門の一時間前の8時に到着。もう既に15
人くらいが並んでいる。大丈夫かなぁ・・・と心配しながら9時を迎えると、不思議や
不思議。9時の開門と同時に、我々二人は特別扱いされ、最前列へ。彼女は最優先でビ
ザを受け取り、僕は一番乗りでビザの申請手続きをさせてもらえた。そしてその日のう
ちにビザは発給。金曜とはまったくの別待遇に僕は驚いた。

この後、一緒に食堂に行ったりバスに乗ったりしたが、どこでも最優先、VIP扱いを受
けた。なんと男女差別の甚だしい国なのだろうか。パキスタンでは女性は神のような存
在であること実感した。

次回はちょっとしたパキスタンの説明です。

[2615] たかばたけたけし 氏 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/11 Mon 11:35:15
【世界視察30-3】世界一のレディーファースト!南部パキスタン編

パキスタンを北上し、ラワールピンディーへやってきた目的は、隣町のイスラマバード
(パキスタン首都)で中国ビザを取ることだ。中国はイランやパキスタンと同じく、通
るだけでもビザがいる。簡単にとれるよ、という噂を聞いていたが、現実はとんでもな
かった。再び壁にぶち当たった。

クエッタから到着した翌日(金曜)すぐにイスラマバードの大使館地区へ向かった。ど
ういう縁か、隣はアメリカ大使館だ。そのため非常に物々しい警備を受けた。なんとバ
スや車はすべて3kmも(!)離れた手前でストップさせられる。そこで、身体検査を受
け、手荷物を預けさせられる。そこからマイクロバスのピストン輸送により、中国大使
館前まで僕は運ばれた。アフガン空爆の後だけに警察官はみなピリピリしていた。

バスを降りて目を疑った。そこには黒山の人だかりができているではないか。30〜4
0人くらいが、僕の目指す“ビザ申請者用”玄関に群がっているのだ。遅れてはならな
い!と、僕もゲートに詰め寄る。もちろん列はない。彼らは並ばないのだ。

詰め寄せるパキスタン人の気迫もすごく、汗をだらだら流し、「入れろ!」「次は俺だ
っ!」などと大声で叫び、みな殺気だっていた。お互いを牽制しながら、制服を着たガ
ードマンに詰め寄っている。もうかなり長く待たされているようだ。皆に混じって、押
し合い、へし合いするが、慣れていない日本人は気迫負けしてしまう。ニュースや映画
の亡命シーンで同じような光景は見たことがあるが、自分もやることになるとは思わな
かった。

皆でワーワー騒ぎ立てると、係員が方向を示し、並べという。並んではみるものの、一
向に列は縮まらない。途方に暮れる。

こんなとき、外国人は優遇されることがあることを思い出した。そこで、
「俺は日本人だ!」
と言ってみた。
“だから何?”という顔をされる。もちろん入れてはもらえなかった。
そこで、間を置いて、
「俺は中国人だ!」
と言ってみた。
一瞬まわりは静まったが、やっぱり無理だった。
それどころ、隣の殺気立ったパキスタン人に
「お前もちゃんと並べ!」
という目をされる。

諦めて、おとなしく皆と一緒に並ぶ。“確かに横入りはいけない”と自分に言い聞かせ
ながら・・・。

しかし申請締め切りの正午がきた。10時から並んでいるのに一向に列は進まない。締め
切り時間がきたら、並んでいる人が全員入れるのかと思っていたが、期待は見事に裏切
られた。ガードマンは無常にも
「時間だ!」
と言って、並んでいる我々を追い出し、ゲートを閉めようとする。
「もう二時間も待っているのに、なぜ入れてくれない!」
と詰め寄っても、
「来週(その日は金曜日)また来い!」
と言い放ち、ピシッとゲートを閉め、中に入っていった。

[2614] 西川武志 氏(lo8@xd5.so-net.ne.jp) 2002/11/11 Mon 10:45:00
粥川氏「サワリの部分」掲載ありがとう。参加できなかったため非常にありがた
いです。みんなに会いたかったけれども未だに回復せず、さらに悪化の一途。
肺がゴポゴポ鳴る。まずい、去年肺炎になったときと同じ症状なのでこれから医
者に行ってきます。

[2613] 高橋 洋 氏(arnie@pf6.so-net.ne.jp) 2002/11/11 Mon 10:06:37
10年祭、無事大成功に終わりましたね。あれだけの多くの方々にお会いできて、本当に
楽しかったです。でも全ての人とちゃんとお話ができたわけではないのが残念。ま、残
りは次回にとっておくということで。総合幹事の粥川殿、本当にお疲れ様でした。

私の方は、昨日、2次会・宿泊の後、10名程の参加者を引き連れてお台場散策ツアーへ行
ってきました。若干体力の消耗があったものの、天気にも恵まれ、東京湾を軽く周遊し、
合田スターライト兄弟と共に飲茶を食べてきました。またこのHPにてご報告させてもら
います。

ではまた会える日まで。

[2612] 松田 浩 氏(matsuda-h@amy.hi-ho.ne.jp) 2002/11/11 Mon 00:52:00
 10年祭お疲れ様&ありがとうございました。
22:30に姫路に戻ってきました。
あっという間の2日間でしたが、とても楽しかったです。
現役の頃をついこの間の事のように思っていましたが、
皆一人ひとりに様々な10年間の苦楽があり、短いようで
実は長い、濃密な10年間だったのかと再認識しました。
「節目」という意味で、みんなの話しを聞き、自分自身の
10年を振り返れたことはとても意味があったなあと思います。
 平成24年の『20年祭』に向けてこれからの10年、
日々、大事に生きていきたいですね。
 きっと10年後は和里田君をはじめ、みな更に体型が崩れていると
思いますが、とりあえず元気に、健康で、また皆で集まりたいです。

 粥ちゃんのお陰で大成功でした。本当にどうもありがとう。
司会のルーサー、二次会の高橋洋君、ゴルフでは河田浩君、
準備を含めてどうもお世話になりました。
あと本日のゴルフでは大変な賞を頂いてしまい、どうも
ありがとうございました。コンペはぜひ来年もやりましょう。
どうもお疲れ様でした。

[2611] へぼゴルファー 氏(yoshi-hs@mx6.nisiq.net) 2002/11/10 Sun 21:38:15
 2日間に渡り、10年祭幹事団の皆様、大変お世話になりました。
皆さんの元気な顔を見ることが出来、10年前に戻ったようでした。
 また今日はゴルフに大西、豊田の御大にまでご出陣いただき、スコアはともかく
楽しく回ることが出来ました。密かにベスグロをねらっておりましたが、
不本意なスコアでした。またの機会に向けて練習しておきます。
 それではまた。

[2610] 西川武志 氏 2002/11/09 Sat 23:40:41
のどは相変わらず荒れていますが、気管支の痛みと言うか痒みが治まってきました。
もう1,2日早く治っていれば良かったのですが、残念。
16日から24日までBaltimoreに長期出張なので今回は大事を取りました。

さてどの様な状況なのでしょうか?

年末か年始にイベントがありましたら是非。

[2609] いも 氏(gyzzmo@ab.cyberhome.ne.jp) 2002/11/09 Sat 21:27:41
1次会のみ参加してきました。
懐かしい顔ばかり。。。
変わらないようでいて、みなさんステキに年齢を重ねていらっしゃるようで。。。
世界一周のたかばたけさんはきてたのかなあ?
しかし、楽しい時間はあっという間に過ぎちゃうものですね。
2次会も出たかったなりー
これから子供を生んだ妹が里帰りしている実家に帰るだー
法政のかしわぎさん、お話できて楽しかったです。ありがとうー。

[2608] 西川武志 氏 2002/11/09 Sat 17:49:06
そろそろ皆さんTWIN STARにお集まりでしょうか?
私は多少回復したものの気管支炎、全快とは至りません。だいたいいつも娘から
風邪をもらって2,3日で娘は治るものの私が4,5日から1週間は風邪、そし
て気管支炎でダウンするパターンを3ヶ月くらい毎に繰り返しています。

話がそれました。
現地レポートを楽しみにしています。

[2607] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/08 Fri 09:40:53
この路線はアフガニスタン近辺を通るためか、途中何度も検問があった。夜間ふと気が
つくと、銃を持った軍のジープがバスを先導している。このあたり(バローチスタン地
方)は政府の力があまり及ばず、盗賊の多い地域だったことを思い出した。軍の護衛付
きとはありがたい。しかしバスの狭さと揺れがあまりにもひどく、意識は朦朧としそん
なことはもうどうでもいいように思えてきた。

草木一本なかった砂漠が、木々のまばらに生えるステップ気候にかわり、大河インダス
にぶつかる。川を渡ると再び砂漠気候になって、バスは終点ラワールピンディーに到着
した。ようやく解放されたのだ。もうしばらくは移動する気にもならない。

イランからパキスタンにかけて通った、今回の広大な砂漠のある地方はバローチスタン
地方とよばれ、南アジアと中近東の文化を分断させている。面積はパキスタン全体の
40%もあるのに、過酷な環境のため人口は5%にすぎない。高山病で苦しんだ10ヶ月前
のチベット入境ルート、7ヶ月前の東アフリカ・タンザニアの1000kmの砂利道と並んで、
もう二度とこのルートは通りたくない。

次回は血も涙もない中国大使館の対応についてです。

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たかばたけたけし(高畠猛嗣)
takaba888@hotmail.com

[2606] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/08 Fri 09:40:15
【世界視察30-2】軍の護衛つき!南部パキスタン編

イラン国境を出発したバスは翌朝7時過ぎ、ようやくクエッタに到着した。この町はイ
ラン・パキスタン・アフガニスタンへの基点都市として重要な役割を担っているはずだ
が、活気があるわけでもない。パキスタン政府の支援を受けて94年にタリバンが旗揚
げしたのは、もともとこの町だった。その後彼らは山を越えてアフガニスタンのカンダ
ハルに侵攻し、アフガニスタンの9割を支配するに至った。

バスを降りると小さな町一面に、霧のような細かい砂が漂っている。視界は数百メート
ル。1700mの高地にあるためか、それとも砂で太陽が遮られているせいだろうか、涼し
い。これまでの灼熱のイランとは大違いだ。

体はぐったり。おしりにあざができるほど大変なバスの旅だった。すぐにラワールピン
ディ行きの足を確保するために、駅へと向かう。もうバスは真っ平だ。今度は優雅に移
動しよう、と一等寝台を予約に行くと、満席で数日間は切符が手に入らないとのこと。
二等寝台はあったが、これだと熱気と入り込んでくる砂で気が変になると聞いている。
34時間もかかるため普通座席は論外だ。

体を休めたかったが、さしていい宿もなかったので、その日のうちに発つことに決める。
再び“大好きな”夜行バスに乗る。これならたったの23時間で目的地に着くのだ!他
に手段がないので仕方ない。

今度のバスは前にも増して辛い道のりだった。今回もバスは満杯。与えられたスペース
はたったの30cmx50cm。23時間の間、シートの上であぐらをかいたり、立て膝ついた
り、体育座りをしたりとただひたすら忍耐力を試された。途中まともなレストランなど
なく、翌日まで口にしたのは一本のミネラルウォーターとナツメヤシの実を数粒。この
実は“デイツ”と呼ばれ、一粒で一食分の栄養があるといわれている砂漠の非常食だ。
こんな食生活をすると砂漠の民の心境がわかるような気がしてくる。水は2リットル近
く飲んだのに、トイレに行ったのはたった一回。空気はカラカラに乾燥しているため、
ほとんどの水分が皮膚から蒸発しているようだ。さながら“現代の奴隷船”だった。

バスの中で意外なものを見かけた。通路に投げ出してある、荷物の1つ(ダンボール)
が目にとまる。なんと「魚沼産コシヒカリ」と印刷されているではないか!稲穂の絵ま
で描かれている。このダンボールは紛れも無く日本からやってきたものだ。思わず周り
を見渡したが、乗客はほぼ全員パキスタン人。どうみても日本と行き来しているような
人達ではない。ここは首都からも遠く離れた田舎道。どうしてこんなところに、こんな
場違いなものがあるのだろうか。きっとダンボールだけ使いまわしているうちに、巡り
巡って辿り着いたのであろう。祖国からやってきた漂流物を目にして、僕は懐かしさの
あまりほのぼの嬉しくなる。あとどれくらいこの旅を続ければ、ふっくらした日本のお
米を食べることができるのだろうか。

[2605] たかさき 氏(ytakasaki@aol.com) 2002/11/08 Fri 07:37:29
高崎@パリです。
フランスに来てまもなく2週間近くになり、引継ぎも半分のところまで
やってきました。小さな事務所とはいいながら、若干30くらいの人間、
ひとりにフランスのビジネスを任される責任を感じつつあるところです。

ここのところのパリは天気がめまぐるしく変わり、今日は晴れ時々雨
という感じでした。そのため、Opera界隈でみた、ほんのわずかの晴れ間
に見える虹がとてもきれいでした。
それにしても、日本人の観光客が絶えません。さすがにパリ、秋の街を
歩くのも悪くはないからでしょうか。でも、町の紅葉は終わってしまいましたが。

そんなわけで、生活は楽しいです。

メールは開通しましたが、まだホテル暮らしです。12月終わりには、すでに
決まっているアパートの入居がかなうと思います。

10周年式典出られませんが、ご来仏の際は、ご連絡お待ちしております。

高崎

[2604] 西川(気管支炎)武志 氏 2002/11/08 Fri 07:35:50
残念無念、十年祭欠席します。風邪から咽頭炎そして気管支炎と私の長引く風邪
のパターンにはまってしまいました。
後日のこの掲示板やWebでの十年祭の報告を楽しみにしております。

[2603]西川(風邪で週末危うし)武志 氏 2002/11/07 Thu 21:30:59
日本の宇宙開発に貢献し1週間で25万円の成功報酬のアルバイトしませんか?
つくばまでの交通宿泊費も負担!
自分のホームページではなく案内のURLを張っておきました。

参加者要件
・	性別:男女不問
・ 年齢:40代前半程度まで
・ 学歴:大学卒業以上
・ 語学:日常英会話程度ができること
・ 医学的条件:健康であること(医学検査の実施予定)
・	心理的条件:協調性、適応性、情緒安定性、意志力等の特性を備えていること
・ その他:宇宙医学ないし閉鎖系での精神心理状態について専門的興味を持って
いればさらに望ましい

なのでAIESEC関係者は該当者が多いのではと思い案内します。

なお私は閉所&暗所恐怖症のため絶対に無理です。

[2602] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/07 Thu 11:34:38
つらい旅もここからが本番。ここからターミナル都市のクエッタまで13時間のバスの旅
だ。出発まで3時間あったが、人と荷物がどんどん詰め込まれていく。結局僕は一番後
ろの座席となり、ほとんど足の踏み場も無くなった通路を荷物の山を越えながら席に着
いた。

いよいよ出発。砂まみれの一本道を走り出したバスは、しばらくして突然、砂丘のなか
を進みだした。事故か何かで幹線道路が通行止めになっているらしい。かすかに轍(わ
だち)の残る道をバスは進む。”荷物を満載したバス”と”砂漠”・・・。これはヤバ
いな、と思っていると不安は的中。タイヤが砂に埋まりバスは動かなくなる。

パキスタンのバスは事故などで遅れることが多い、と聞いていたが早速砂漠の真ん中で
一晩過ごすのか・・・と途方に暮れる。南アジアでは、いろんなことが起こるだろうと
覚悟はしていたが、あまりに早いトラブルの到来だった。

全員バスから降ろされ、しばらく砂丘を歩かされる。砂漠の中の巡礼者のようだ。日は
沈み、あたりは暗闇に包まれていく。パキスタン人もぶつぶつ文句を言いながら歩いて
いる。何人かアフガン人も混じっており、“困ったね”と言葉をかわす。浅黒いインド
系のパキスタン人に対して、アフガン人は中央アジアの血が混じっているため日本人に
顔立ちが似ている。だからお互いなんとなく親しみが湧く。何語で交わしたのかは覚え
ていないが、目と表情で気持ちは伝わる。

老若男女約50人で東に向かって砂漠をしばらく歩いていると、幸いにも砂から抜け出
せたバスが後ろから追いついてくる。砂の上で寝る心配がなくなり、僕らはほっと胸を
なでおろした。国境でバスが走り出して以来、“いくら舗装してあるとはいえ、こんな
でこぼこの道を走るなんて、やってられない”、と思っていたが、今ではバスが動いて
僕らを運んでくれるだけでもありがたいと思えるようになった。

動き出したと思った矢先、またバスが止まる。またトラブルかと思って窓の外を見る
と、砂の舞う中、運転手が小さなじゅうたんを抱えて砂漠の中へ走っていく。何が始ま
ったのかと、見ていると、靴を脱ぎ、それを砂の上に敷いてうずくまる。どうやらお祈
りの時間のようだ。ほっとすると同時に、パキスタン人の信仰心の深さに驚いた。いく
らイスラム教国でも、これほど厳格にお祈りをしている国はほとん見かけない。イラン
ですら運転の合間にドライブインの“お祈り部屋”を使う程度だ。ところがここパキス
タンではお祈りの時間になると、仕事を中断しその場でお祈りを始める人は多い。この
後も、同様の光景は国内のあちこちで見かけることになる。

その後バスは順調に進んだが、あまりに揺れが激しく寝られたものではない。さらに砂
漠の夜は冷え込む。なのに社内の冷房は止まらない。明け方には車内は冷凍庫のように
冷え込み、手ぬぐいを首に巻き、風呂敷で頭を覆って寒さをしのいだ。僕はさながら浮
浪者のようだった。

次回につづく。バスの旅はまだ続きます。

[2601] たかばたけたけし 氏(takaba888@hotmail.com) 2002/11/07 Thu 11:34:09
【解説】
(日本→東アジア→南アジア→中東→アフリカ→中南米→北米→ヨーロッパ→イラン→
“パキスタン”→アフガニスタン→パキスタン→中国→日本)

パキスタンはアメリカのアフガン侵攻(空爆)以来、日本の外務省からも退避勧告など
が出されている。近寄りたくはないと僕も思っていた。だが、実際に滞在していた多く
の旅人の証言によると、国内は平和そのものだそうだ。一人で砂漠や山の中に入り込ま
ない限り、治安の面でも全く問題ないらしい。これらの情報をもとに思い切ってパキス
タンを抜けて中国へ向かうことにした。

イラン・パキスタン国境の道はヨーロッパに上陸して以来、最大の難所だった。イラン
の小ポンペイ・バムからバスで5時間。イラン側ターミナル都市(ザヘダン)に到着。
ガイドブックには国境行きのバスがあると書いてある。しかし、現地の人に聞いても、
誰も知らなかった。

途方に暮れて
「パキスタン、パキスタン」
と叫んでいると親切なイラン人が地元人相手のタクシーをつかまえてくれる。英語など
一言も理解できない運転手に、彼は説明して見送ってくれた。もはやこの国では人の親
切を受けるのに抵抗がなくなってくる。困ったときは、現地の人の言うがままにするの
が一番だ。大概それでうまくいく。

10分ほどで国境の手前の町に到着。今度は乗合タクシーに乗り換える。周囲は何もな
い白色砂漠。天候はくもり。視界は500mもない。砂混じりの風が強さを増し、砂の波が
アスファルトに打ち寄せては消えてゆく。

時速140km近くで40分くらい走っただろうか。砂嵐の真っ只中で、今度はたくさんの荷
物に、国境行きのトラックに乗り換えだ。辛うじてドアが閉まる程度のオンボロトラッ
ク。窓ガラスはないため、熱い砂が直接顔に吹き付けてくる。周囲を見渡すと、地元の
商人たちが買い出しの荷物を山のように抱え、メェメェうるさい山羊などと一緒にトラ
ックに詰め込んでいる。インド文化圏に入ったことが実感できた。隣のおじさんもイラ
ン人からパキスタン人やアフガン人に変わる。装束も代わり、パキスタン風の丈の長い
上着にだぶだぶのズボンをはいている(イランは普通の洋服が多かった)。

まっ平らな砂漠のすぐ左手にはあるところから突然険しい山並みがそびえている。どう
やらその向こうがアフガニスタンで国土全体が険しい山国のような印象を受ける。5分
くらいでパキスタン国境に到着。360度見渡す限りのグレーの砂漠で国境の鉄条網と税
関の建物以外には何も無い場所。風がビュービュー吹き付け、口の中まで砂まみれとな
る。

そんな場所で、昼休みだといわれ一時間くらい屋外で待たされた。荷物にも体にも砂が
つもり、“勘弁してよ”と思ったが仕方ない。旅では状況に自分を適応させるしかない
のだ。イスタンブールでパキスタンビザを取得しておいたので、問題無くイラン・パキ
スタン国境を抜ける。
[2551-2600]