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[3200]浦和 のぞみ 氏(nozomi-u@pc4.so-net.ne.jp) 2005/01/03 Mon 16:04:42
高崎さん

確かにCNNって繰り返しが多いですね。
American Morningも
3時間の間に同じこと繰り返してますし。

ちなみに私の英語力は
CNNを理解するにはまだまだ道のりは長いです。
よく見て気に入ってはいますが
その反面
「これはアメリカからみた世界なんだ」と
若干さめた目でもみてます。

フランスの
「死体の顔も報道される」というのを読んで
ふと、最近的フランス映画の
赤裸々ラブシーンに疲れちゃうことがあります。
年配の方には
「あれはフランス映画じゃない」という意見もあります。
なので
アジア映画の
内側に秘めた熱い感情を
描いた作品(最近では「小城之春」のリメイク「春の惑い」)を見ると
ほっとしちゃいます。

こうやって
国による報道の違いを知るのは勉強になりますね。

[3199] たかさき 氏 2005/01/03 Mon 09:23:50
浦和さん

CNNはたしかにどぎつい映像が多いのですが、悪い言葉で言うと、とくにCNNのニュース
はやっぱりニュースショーで、やたらと繰り返し。あとなんだかショー的になっていて
誇張されている。(と思います)

でも、映像がひどいのは実はフランスの方がひどいのです。
死んだ人の姿も顔も平気で写ったりします。津波に限らないです。でも、それを誇張す
ることなく淡々と報道する。ありのままを出そうとしているように思うのです。

上手く言えないのですが、そう思います。

どちらも日本のような遺族の映像はそれほどありませんね。
どうも日本の報道は感情的なような気がして・・・。

[3198]浦和 のぞみ 氏(nozomi-u@pc4.so-net.ne.jp) 2005/01/02 Sun 21:52:47
津波情報ですが
CNNではけっこう取り扱ってますね。
場所が欧米系に人気があるリゾート地で
欧米系の犠牲者が多かったからでしょうか。
もし、欧米系の犠牲者が無きに等しかったら
ここまで大きく取り扱うかな、とも思ってしまいます。
あと、文化の違いでしょうか。
死体が並んでいる画面が写るとどきっとしちゃいます。
日本のメディアではとりあつかわないですよね。
でも、こうやって現実を見るのも大事なのかな、と思います。

[3197] たかさき 氏 2005/01/02 Sun 04:00:26
あけましておめでとうございます。(と粥のHPで挨拶をさせてもらってすみません)

26日の地震と津波は驚きました。近くで起きたのですが、シンガポールでは全然問題無
しでした。
日本の報道、アメリカの報道、シンガポールの報道、フランスの報道と4つを見て思いま
すが、フランスF2の報道が一番事実を淡々と伝えているように見えます。フランスの犠
牲者も多く(確か日本より多かったですが、数を忘れました)毎日トップニュースです
が、煽る様子もなく、静かに事実を伝えているように思います。(フランスF2は、TV5と
いうフランス語の国際チャネルで見ています)よい印象を受けました。
シンガポールは淡々というより、時間が少ないです。どうしてかな・・・でも、こちら
も割と淡々とやっているように見えます。

因みに欧州からの犠牲者は、スウェーデンがトップだったと報道していました。
タイ航空がストックホルム直行便があることで分かるように、北欧からの旅行者が多い
と思うのですが、比較的人気のあるところだ、とスウェーデンに出張した時聞いたこと
があります。

そういえば、先日アドバイスいただいた財務に関しては、和訳の企業分析入門をアマゾ
ンで入手して読み始めました。ゆっくりですが。ボリュームが多いですが、ぼちぼちや
ります。

日本は寒いようですが、こちらも気温が低く(26度くらい)天気が悪いです。
雨季ですから仕方ないのかもしれませんが。

今年もどうかよろしく

[3196] 高橋 洋 氏 2004/12/31 Fri 17:34:34
アイセックの友達の皆様

雪の降る大晦日、いかがお過ごしでしょうか?西宮の実家より年末のご挨拶を申
し上げます。

思えば、丁度一年前はペルーのクスコにいました。たまたま今かけていたサイモ
ンとガーファンクルの古いCDからは、「コンドルは飛んで行く」が流れてお
り、懐かしく思い出しました。その後1年あっという間でしたが、会社を辞めて、
学生に戻って、富士山に登ってと、今年もいろいろあった充実した一年でした。
お力を貸して下さった方々に、心より御礼申し上げます。

日本では災害などいろいろありましたが、近しい友達という範囲で考えれば、体
調を壊す人、親が他界された人など、やはり年相応の出来事が多かったように思
います。私は幸い健康な限りですが、勉強のし過ぎか??この半年間で左目の視
力が急落しました。近々生まれて始めて眼鏡を作る予定です。

来年も皆様が健康で楽しく生活できますことを、心よりお祈り申し上げます。良
いお年を。

[3195] 西川武志 氏 2004/12/31 Fri 01:20:04
愛猫ユリアがPowerBookと私の間にどっしりと寝そべって私の腕を踏み踏みしてい
ます。いい加減眠らないと朝一で買い出しなので妻に叱られる。が、フジテレビ
「世界が見たニッポン! 」が面白い。「富士そば」が観光スポットになっている
とは。

本田勝一、アラビア遊牧民が面白かったと強く記憶に残っています。中国の旅
は・・・、我が祖父の一人が南京従軍しており祖父の自慢話(誇張があってもし
かりと思っていまるものです)との差があり、本田勝一も祖父の自慢話もどちら
もおかしいと思い始めたのは中2でした。三人祖父が居るのですが、南京従軍祖
父の弟である昨年12/21に他界した祖父は「戦場に架ける橋」を架けていました。
ちょっと脱線しましたが、脱線ついでに、娘が高校生ぐらいになったら平成版
「聞けわだつみの声」は読んで欲しいとも思っています。


さて、国語で「論述を明確にした文章を書く事」に力を入れて欲しいと言う私の
意見ですが、太田が述べているような内容はさすがに小学生には無理では?
小学校では、「事実」と「意見」の区別をつけて論述できるようになれば良いと
単純に考えています。
昨今の国会での討論等を聞いていると結構、「事実」と「意見」の区別をつけて
論点を明確に攻めるようになってきたなと感想を持ちます。ところが15年くら
い前までは事実と意見を区別する事無く論を述べる政治家が多かった事に失望し
ていました。
10年くらい前、大学院生になって大学学部生をティーチングアシスタントとし
て指導していた頃、そして最近の現役AIESECerとメールのやり取りをしている
と、大学生ぐらいでは事実と意見を明瞭に区別せず(できず)に文章を書いてい
る事に頭を抱えた経験があります。
そうしたことと、自分が学習指導要綱や他の教育評論等で調べてきた25年くら
い前から現在までの通常の国語教育(自分が受けた教育は特殊だったのでレファ
レンスにならない)が作品解釈や感情表現に偏り過ぎている事から論述を明確に
した文章を書く教育に舵取りをしてほしいと個人的に思うようになりました。

過去四半世紀の日記や生活作文では、観察日記や事実を述べるだけの文章は良く
無いものとされています。「ありのままに書きましょう」といいながら実際には
「感じたままそのまま書きましょう」と感情や感性に重きを置いた指導になって
います。

文章を綴るにはまずは模倣です。そして修辞法があるわけですが、そこは非常に
おろそかにされているわけで、模倣となるべき既存の文章を学ぶ量は少ないし、
文学作品に偏っています。

私の義務教育への二大要望は「社会生活を営む上で悪意のある人から騙されない
ようにする」ことと「社会生活を営む上で善意から欲する自己への不利益を回避
できる」ことです。
そのための基本がレトリックを理解する事だと思っています。
そしてその骨格に数学、理科、社会等の肉付けがなされて義務教育の目的がたっ
せられると考えています。

マイナスイオン、ダイオキシン騒動、BSE騒動なども感情に左右されずに理性的な
判断がされるようになれば不幸になる人が減るのにと思っています。
学問が成されていないばかりに弱者、敗者となる人が減る事を義務教育に望みます。

おやすみなさい。

[3194] 太田康広 氏 2004/12/30 Thu 21:24:01
[3188] 西川武志 氏
> 一般に、国語の時間には修辞法、特に論述を明確にした文章を書く事にもっ
> と力を入れて欲しい。感情表現・解釈に偏り過ぎている国語教育を修正して
> 欲しいです。

[3189] ようじろう 氏
> どうやら、西川兄の指摘通り「感情表現・解釈」に偏っているようです。

> 論理的表現は、ただし、論理的な思考を伴うものであって、数学や理科との
> 科目横断的な教育が効果的かも知れない。

論理的な思考と一言でいっても,そこにはいろいろなものがあると思います。

まず,概念の内包を定めれば外延がきちんと定まるという意味でwell-defined
なコンセプトを定め,これらを使って明確な命題(仮定)を準備してから行なう
厳密な論理があります。これは,まさに数学科でやるべき内容かと思います。
一般に,論理の厳密性が重要だということは,あまり見過ごされていませんし,
教える内容さえ減らさなければ,とくに問題はないように思います。

理科で教えるべきは,(1)予備的情報収集,(2)仮説の設定(理論の構築),(3)仮
説の検証といった科学的方法論,それに加えて,いくらかの個別知識といった
ところでしょう。これも,内容さえあらかじめ定めておけば,あまり問題はな
さそうです。

一番問題なのは,概念や仮定の変更に対して頑健な論理の修得だと思います。
典型的には,法解釈学で使われるようなロジックというか。

現実に有意義な結果を論理に頼って出そうとするならば,純粋論理学や数学で
の論理の用い方とは少しちがった論理法が必要とされます。現実世界では,普
通,概念は漠然とした内包をもって定義されます。(例:著作権法の創作性) こ
の場合,目の前の事象が,その概念に該当するかどうかに関して論争が生じて
しまう。そして,むしろ,そういう論争を通じて,概念の外延が明確になって
いくという側面があるわけです。また,議論の前提となる仮定そのものに関し
て十分な合意がない状態で推論せざるをえないケースも多いでしょう。

この場合,必要なのはロジックの頑健性です。概念のわずかな変更や前提のブ
レに対して,ロバストなロジックは何か。たとえば,社会科学では,背理法が
使われることは,(数理経済学などの一部をのぞいて)比較的稀です。これは,
設定の変更に対してセンシティブなロジックを避ける無意識の判断があるから
でしょう。

よくいわれるように,教授会で数学者が厳密な論理をふりかざして非常識な結
論を主張するのは,論理の頑健性に対する無理解から来るわけです。論理的に
正しいかぎり,結論を正しいと思ってしまうとこの罠にはまります。一般に,
頑健なロジックと脆弱なロジックがあり,概念や仮定に対して全幅の信頼がお
けない場合,この二つの峻別は重要です。そして,論理の頑健性については,
国語科で鍛えるべきものだと思っています。

# 理論経済学の切れ味のよさは,数学と同様,厳密な論理に依拠するところに
# あり,他方,理論経済学の結論の非常識さ加減は,論理の頑健性に対して無
# 頓着なところからきていると思います。

僕のみるかぎり,北米の学生は,数学的なオペレーションに弱い。しかし,ロ
ジックとその頑健性に関しては,実によく鍛え上げられています。

[3193] ようじろう 氏 2004/12/30 Thu 16:39:42
太田兄は表面的な言葉の伝達という意味での国語教育批判をしたのではなく、思想の伝
達を重視し、思想史上の断絶と国語教育が密接に関連していることを指摘したかったの
かな。とすればその論点は非常に重要かと思います。

以上の理解に基づいて言えば、実は国語教育から思想性を排除することはできない、と
いうことになるのだろうけれど、義務教育で許容される思想性は、国民各層がだいたい
合意できる水準のものであることが求められるわけで、それは何か、ということになる
のではないでしょうか。

そうすると思想性を排除する議論よりも、日本人のメンタリティの中で脈々として生き
続けているものは何か、という話にもなるような気がします(自意識過剰に陥りがちな
ので、日本人が日本人論をやるくらい傍目に醜いものはないとも思いますが)。

ということで、吉田松蔭「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大
和魂」、本居宣長「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」あたりが原点かな、
と。でもこれじゃあテクストの話にはならないですね。困った。

ちょうど来日中の李登輝氏にでもお話を伺ってみたいものです。氏の「武士道解題」は
面白かった。

あと、文部省推奨図書、というのは、世上言われているからそう書いただけで、実は図
書館協会とかPTA協議会とかが作っているリストのことです。紛らわしいことをしてごめ
んなさい。
彼らは一応文部省の所管法人なので、世間的にそう喧伝しているのですが、文部省サイ
ドは書籍の選定をすると教科書問題みたいな議論が出てくるので中立を維持する姿勢を
見せている(実際にどの程度関与しているかは不明)、ということでしょうね。

[3192] ひらしま 氏 2004/12/30 Thu 13:43:49
3週間ほど旅してまして、久しぶりにアクセスしました(怒られそうですが、
今年は米国内だけで延べ90日程まわり、色々と興味深かったです。主に投資
と商流という観点からまわろうと思ったのですが、それ以外が面白かったです)

名文の件、私も司馬遼太郎も平易さ+情緒を排そうとする乾いた視点で
良いと思います(あと個人的には安岡正篤ならOKかと。。。)

他には例えば吉田松陰なんてどうでしょう。勿論おもいっきり思想性が
入っていますが、一方でそれをすこーんと突き抜けた、明るさというか
眩しさというかあるいは初々しさというべきなのかというものがあって
かつ文章にリズム感があるので、
(国語教育の観点から名文がどのようなものであるべきか把握できていない
のですが)すっと心に入りやすい文章だと思います。「留魂録」というのが
多分一番有名だと思いますが、「講孟箚記」なんてのもよいかと。

話は変わって論語の件ですが、特定の宗教とつながっていない自分に
とっては、プラクティカルなストック・フレーズとしての役割の一部を
今でも果たしています(=ので自分にとってはやはり名言集なのかもしれ
ません。)言葉は悪いかもしれませんが、便利で手軽な内省ツールのひとつ
なのだと思います。例えば最近だと「下学して上達す」とか「士にして居を
居を懐うは、以て士と為すに足らず」とかです。

ただ「論述の明確な表現」という観点からいうと、確か司馬遼太郎の
文章からの引用ですがーなので、不適切な単語の使用はご容赦くださいー
WASPのアメリカ人曰く論語は「インディアンの酋長の教え」
のようなのだそうです。「論述を明確にした文章を書くこと」を常に求められ
ている人からみると、固有の文化と密接に結びついていて、読み手各人の
「解釈」が大事にになってくる論語はそう見えるのだろうと司馬遼太郎が
書いてていた記憶があります。

一方で年齢を経ることによって解釈の変化を許したりたくさんある
フレーズの中で、省みてなる程と思う部分が変われるところが、
自分にとっては便利でありますが。

[3191] 太田康広 氏 2004/12/30 Thu 13:21:59
# 字数制限がきついので分割。

(内野氏)
> キング牧師の演説を引用するならば(そういう思想的・政治的主張のもとに
> 「貧困でない」テクストを求めるならば)教科書にガンディーの日記の邦訳
> でも載せるかい?そういうことじゃないだろう?

それに匹敵する,目新しいコンセプトがどれくらいあるだろう,ということ。
日本になければ,翻訳でも何でも載せるしかないでしょう。

> でも、教育勅語は除くとしても、それ以外の安岡生篤の文章は如何?文学者
> で言えば永井荷風など名文かと(悪いけど「学問ノススメ」は名文とは言い
> がたいと、個人的には思うけどね)。

「学問ノススメ」に関していうと,後半あたりはあまり今日的な意義はないか
もしれません。しかし,あの最初の部分は,当時の一般人に強烈にメリトクラ
シーを植え付けたという歴史的意義がある。「天は人の上に人を造らず」。ゲー
ム理論的にいえば,自然(nature)はすべてのプレイヤーを平等に造ったにもか
かわらず,結果において平等にならないのは,学問があるかないか(どれだけ個々
人が自分の能力を高める努力をしたか)に依存している,だから,みんな学問に
励め!というわけです。(ここでいう学問は,読み書き算盤に加えて,簿記,会
計,語学,政治学,経済学といった実学を指す。) 今日の競争社会と成果主義
を肯定する重要なテキストでしょう。

これがどれくらいオリジナルの思想かといえば,かなりの部分,西洋(とくに
Political Economy)に由来しているのは確かだと思います。ただ,それを日本
人にわかりやすく説き,しかも日本初のベストセラーとなって,人々の考え方
に影響を与えたわけです。日本社会に根ざした,影響力あるテキストという意
味で看過できない文章でしょう。

ま,ここで僕がいっていることを要するに「文学的な意味の格調の高さは二の
次。それがどれくらい現代に通じているかが重要」ということ。

> 「なんもないじゃないか!」と、クレームつけるのは簡単。でもそれは僕ら
> が当時のテクストをよく知らないからじゃないかな。

それはそう。しかし,いったんは埋もれてしまったという意味で,我々の世代
まで生き残ってきたテキストが少ないということでもあると思います。

「最近の若者は古典を読まない」とよくいわれるけれど,逆にいえば,そうい
う人が若い頃「古典」だと信じていたものが,たかだか数十年で読まれなくな
る程度のテキストだったということでもあるのでしょう。百年,二百年を生き
残れなければ,五百年,千年は生き残れない。

> みんなで探さないか?

賛成。

> 文部省推奨図書なんか、結構、良い線いってると思うんだけどなあ・・・。

この推薦図書の一覧ってインターネット上のどこかにある?ちょっと探してみ
たけど見つからなかった。

> 僕は「ごんぎつね」が今の教科書にも載っているのはとっても良いことだと
> 思うけどなあ。

うん,「ごんぎつね」はいいね。

[3190] 太田康広 氏 2004/12/30 Thu 13:20:05
(内野氏)
> 自国語つまり日本語のテクストが貧困である、との立論は、どうして出てく
> るのかなあ?理解不能。

山形浩生氏の議論を全面的に支持するわけではないけれど,次の文章は一見の
価値あり。

http://www.genpaku.org/aozora.html#yokel

僕が思うに,第一に時間の長さの問題があります。日本人が日本語でまともな
ことを記述し始めてから,まだたかだか百数十年しかたっていない。

そして,日本語の変化のスピードが速すぎることもあります。一部は,悪名高
き戦後の国語改革のせいで,我々は,戦前の思想と切り離されてしまっている
ということですが,かりにそれを別にして考えても,日本語の変化のスピード
は速い。ま,このこと自体は,必ずしも悪いことじゃなくて,日本語のダイナ
ミックな特性と柔軟性を表わしているとは思うけれど,結果として,我々は日
本語の古いものを気軽に読めないわけです。

そして,やっぱり,日本人がオリジナルかつ独創的に考えだした思想で,我々
の現代生活に直結する重要なものがあまりない,ということ。基本的には,輸
入概念ばっかりなのよ。

もちろん,日本の過去にも現代と類似の偉大な思想はあるでしょう。しかし,
現代までとどいていない。たとえば,和算の関孝和は微積分の一歩手前までいっ
ていた,とか,行列式(解伏題之法)を使いはじめたのはライプニッツより数年
早かったといってみても,現代我々が使っている微積や行列式は西洋伝来のも
のなわけ。明治維新で過去と切れ,大東亜戦争敗戦でまた過去と切れてしまった。

[3189] ようじろう 氏 2004/12/30 Thu 11:58:51
思想性を排除した上で名文を探すのは難しい。

安岡正篤も永井荷風もダメ?じゃあ誰が良いかな・・・義務教育だから確かにもっと平
易で、一応、多くの人がそれなら、といってくれる相応の文章・・・司馬遼太郎とか?
あれ、また外した?

テレビ等の演出家の鴨下信一なる人が「忘れられた名文たち」という本をものしていま
す。鴨下氏の文章自体はどうもしっくりこないのですが、紹介されている文章は面白い
ですね。円谷幸吉の遺書(「○○様、××美味しうございました」が続くやつ)は川端
康成をして「おのれの文章をかへりみ、恥じ、いたむ」と言わしめたとか。で、鴨下氏
によると「いま高校生レベルの読むべき名文集に収録されている」とのこと。なんだ、
そんな教育用の名文集がすでにあるのか、と思った次第。僕らの頃もありましたっけ?

本田勝一は「中国の旅」(だっけ)が面白かったですね。その後は段々詰まらないもの
ばかり書き散らすようになって、読まなくなりました。
別に染まったわけではないけれど、当時の時代風景として、僕らも影響を受けたのは事
実でしょう。

今、国語の時間に何を教えているのか知らないけれど、「ゆとり教育」(中央教育審議
会はこんな言葉は使っていないのだが!)とやらで批判を受ける前の中学校学習指導要
領は、「国語」の「目標」として、「国語を正確に理解し適切に表現する能力を高める
とともに、思考力や想像力を養い言語感覚を豊かにし、国語に対する認識を深め国語を
尊重する態度を育てる」となっています(「国語に対する認識」ってなんのこっちゃ)。

で、さらに詳しい内容は「表現」と「理解」に分かれているのだけれど、論理的な文章
を書く訓練をするべきとの姿勢は非常に希薄に見えます。中学三年でわずかに「意図が
相手に伝わるように、根拠を明らかにし、効果的な論理の展開を工夫して表現するこ
と」とあるくらい。

どうやら、西川兄の指摘通り「感情表現・解釈」に偏っているようです。

論理的表現は、ただし、論理的な思考を伴うものであって、数学や理科との科目横断的
な教育が効果的かも知れない。総合的な学習の時間が意識的にそういう方向に行ってい
ると良いのですが、これもなかなか・・・教師の技量が問われますな。

[3188] 西川武志 氏 2004/12/30 Thu 09:47:20
どうも雪は富山ではそれほどでも無いそうです。今年は年末年始はつくばなので
年越しにすき焼き肉を実家から送ってもらう事にしていたら今朝実家から電話が
あり、雪はたいした事が無いと。

[3187] ようじろう 氏
陽明学者の言は私は好きですが、むむむ娘に安岡正篤の文章は、永井荷風のエロ
ジジイも。適当に自律心を持ってから触れて欲しいです。
若い時に思想性が強いものに触れるのはどうかと、天皇を敬うように教育された
り、論語素読させられたり、土建業界のダークサイドを見たりした中学生の私は
共産主義思想や本田勝一に染まりかけました。灰谷健次郎とかも読みあさりまし
た。

ただ名文に触れるのは国語の授業よりも読書として別の時間の方が良いと考えて
います。実際、一部の学校では10分間毎日読書の時間というのをとりいれてい
るそうで、その習慣を娘にもと考えています。あとまともな翻訳であれば、元の
言語が何であれ世界中の偉人の言葉を知るというのは良いのでは?思想性を排除
するとほとんど残らないだろうけれど。

一般に、国語の時間には修辞法、特に論述を明確にした文章を書く事にもっと力
を入れて欲しい。感情表現・解釈に偏り過ぎている国語教育を修正して欲しいで
す。

[3187] ようじろう 氏 2004/12/30 Thu 04:30:23
自国語つまり日本語のテクストが貧困である、との立論は、どうして出てくるのかな
あ?理解不能。
キング牧師の演説を引用するならば(そういう思想的・政治的主張のもとに「貧困でな
い」テクストを求めるならば)教科書にガンディーの日記の邦訳でも載せるかい?そう
いうことじゃないだろう?

思想的な傾向を忌避することから、昔日の「格調高い」とされるテクストを無条件で排
除するケースは確かにあるけどね。教育勅語は怪しからん、とか。

でも、教育勅語は除くとしても、それ以外の安岡生篤の文章は如何?文学者で言えば永
井荷風など名文かと(悪いけど「学問ノススメ」は名文とは言いがたいと、個人的には
思うけどね)。

「なんもないじゃないか!」と、クレームつけるのは簡単。でもそれは僕らが当時のテ
クストをよく知らないからじゃないかな。みんなで探さないか?文部省推奨図書なん
か、結構、良い線いってると思うんだけどなあ・・・。
あと、教科書の文章が無意味だというような主張をする向きもあるけれど、年齢相応の
発展段階に応じた内容になっていることはよく理解した方が良いのでは?
戦前も「サクラサク」とかやってたわけで。大人になってから読み返して「意味ないじ
ゃん!」とか言ってもしょうがないでしょ?こどもにはこどもの視点があるんじゃない
の?僕は「ごんぎつね」が今の教科書にも載っているのはとっても良いことだと思うけ
どなあ。

[3186] 西川武志 氏 2004/12/30 Thu 03:24:47
進学をきっかけに都会に出た若者が田舎に帰らない(帰られない)問題について
ですが、働くべき職場が無いから戻りたくても戻れないという事情は即効性のあ
る解決策は無いと思います。

ただ、人口が減って地方税収が上がらなくなるという問題に関しては、都会から
地方へ地方出身者の意思に基づいた送金(税源委譲)により地域発展の為の原資
を確保すると言うアイデアがあります。もっとも元は私のアイデアでは無く、別
れた前の奥さん(これまた高岡高校同窓生)のアイデアです。前にも書いたよう
な記憶がありますが、塩野七生のローマ人の物語を読んで、私が修正した提案で
す。

・所得税(国税)の一部を納税者の本籍地に割り振る(元妻アイデア)
・相続税(国税)の一部を被相続人および相続人の本籍地に割り振る(私のアイ
デア)

こうすれば故郷(生まれたところとは限らない)を愛している人は本籍地を故郷
にして国から地方へ個人の意志で財源が移譲されます。地方自治体の競争にもな
ります。
こうして得た財源は地方の一般財源として組み入れたとしても、地方自治体は、
いかに良い故郷として認めてもらうかを競い合う事になり、その財源を有効に使
うことになりませんか?

[3185] 西川武志 氏 2004/12/30 Thu 03:04:32
[3184]浦和さん、こんばんは
首都圏高岡高校同窓会には一度も出席した事の無い西川です。
ちなみに、最近、この掲示板に現れませんが、世界一周した高畠君も高岡高校同
窓生です。もっとも彼はコンクリート校舎卒業生で、浦和さんのお母様と伯父様
が卒業された木造校舎の最後の卒業生が私の世代です。

高岡ネタついでに
[3176] 太田康広 氏 2004/12/24 Fri 21:19:07でも触れられていますが
(戸矢氏)
> こういう考え方は、教育が重要な事項ですべての人に機会が与えられなけれ
> ばならないが故に、学校の数が少ない田舎はどうするのだ、などいろいろ反
> 発があるでしょうか、それは田舎の生徒が優れた学校に行けるように配慮す
> ればいい話で、そのために学校同士の競争を制限しなければならない理由は
> ないと思います。)

(粥川氏)
> 「田舎の生徒が優れた学校に行けるように配慮すればいい」と言えば、では
> 「優秀な若者は田舎を出ろ」ということか、と反論されます。
(太田氏)
>優秀な若者の定義によりますが,一般には田舎を出るしかないでしょうね。

富山県高岡高校では大学進学では田舎を出ることが当たり前の事でした。それは
過去の実績がそうですし、現時点では過去ですが私が高校生の時も半数以上が富
山県外に出て行きます。もっとも隣の都会の金沢、金沢大学に行く人が半数です
が。
学校間競争というのはあるようで内容で、富山、高岡、富山中部が御三家と呼ば
れる進学校ですが、富山が元気がなくなり、砺波高校と言う高岡より田舎にある
高校がのびてきています。あと蜃気楼で有名な魚津の魚津高校があります。
こういった高校では進学と言うと基本的に田舎を出るのが当然、いや、田舎を脱
出する手段は進学が障害が少ないというべきでしょうか?


粥川氏に聞きたいことがあります。
『「優秀な若者は田舎を出ろ」ということか、と反論されます。』と反論した人
は田舎の人でしょうか?都会の人が言ったのではないでしょうか?
優秀の定義にもよりますが、「優秀」な若者で田舎を出たく無い人はとても少数
のような気がします。

進学、教育問題では田舎の方が公教育が現在でもしっかりしており(田舎の相互
監視、良く言えば密接な人間関係に立脚していますが)、教育を受けられるかど
うかは問題が少ないと言えます。都会に出るには費用がかかるとありますが、歴
史的に都会に学問に行く習慣が根付いている地域では、そういうものだという備
えが家庭にも地域にもあります。地方独自の奨学制度(給費や割安な宿舎提供)
が根付いています。問題は出て行った若者が戻ってこない(これない)というこ
とが深刻です。これについては別途提案(前もしたような)。

ただ、地方中核都市というか県庁所在地とそれ以外の経済格差の拡大は是正すべ
きと考えます。なぜなら教育でも各地域の独自性を担保するのは結局、公教育で
あってもバックアップする地域の経済状況に依存するからです。
寂れる高岡びいきかもしれませんが。

浦和さん、1992年と言えば高岡が活気が無くなって行き始めた頃ですね。
そのあと2002年頃までどん底に向かって行きましたが、2003年に底を打ち、2004
年から上向き始めた(かな?)という状況です。

[3184]浦和 のぞみ 氏(nozomi-u@pc4.so-net.ne.jp) 2004/12/30 Thu 00:31:31
西川さん こんにちは
TOLC90、東洋英和女学院大学の浦和 のぞみです。
 
かゆさんのHP見たのですが
西川さん、富山県立高岡高校出身だったんですね。
 
実は私の母と伯父が卒業生なのです。
 
「高岡」ですが
もう10年以上行ってません。
 
最後に行ったのは1992年だったのですが
街全体が
活気がなくなった印象がしました。
今はどうなっているのかわからないです。
 
富山県は
海も山も楽しめていいですね。
 
BUT私は寒いの苦手で・・・。
 
私の母は
雪が降ると
まっさきに雪かきに情熱を注いでました。

きっと昨日の雪も張り切っていたかも・・・。

[3183] 西川武志 氏 2004/12/29 Wed 23:16:20
学校教育うんぬんの前にキツい性格の娘の教育に悩んでいる西川です。
おそらく滅多にいない論語の素読をさせられた人間として一言、止めた方が良い
です。論語には現在も通じるものが確かにありますが、役に立たない事が多いで
す。何よりも理解できませんよ、小学生くらいでは。高校生のとき、富山県立高
岡高校理数科だったため、理系であっても東大受験用に漢文が授業にあり、漢文
はほぼ解釈などで良い成績でしたが・・・、受験時に出題されなかったです。

教養として、現代語訳された古典を娘には勧めるつもりです。
娘は父が親しんだ十八史略を気に入るか?
日本書紀、古事記、万葉集、源氏物語も私が小学生に読んでいた現代語訳を実家
から取ってこないと。
まあ、まずは「あさきゆめみし」とかからでしょうか?
学問のすゝめもそのうち勧めるつもりです。福翁自伝も。


ちなみに娘は私のお下がり「よいこの学習百科」を見ています。
https://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=
%82%e6%82%a2%82%b1%82%cc%8a%77%8f%4B%95%53%89%c8

もはや絶版ですが、ヤフーオークション等に出展されているので、AIESEC関係者
も知っている人が多いのでは?

[3182] ちゃっく 氏(michi-yo@bc4.so-net.ne.jp) 2004/12/29 Wed 22:54:42
掲示板へは、お久しぶりです。皆様、お元気でお過ごしでしょうか?
なにやら、「教育論」が熱いですね。ここで、私も一言! というわけではない
のですが、次世代を創り続けることが大事。教育が大切なのは良く判る。けれ
ど、教育を受ける子供の数の方が大切よね。と、最近(昔から?)、深く考えるこ
とをしていない私は単純に思ってしまう。

さて、本日は、教育論に参加表明でなく、中部地区の新年会のご案内です。
何と無く、毎年やってますが、今年は1月3日です。PCを新しくしてから、アド
レス帳を整理することなく、ダラダラとメールしているため人々を網羅している
かどうか良くわかりません。メールを受け取っていない方でも、3日(1時30分〜
夜)に名古屋駅周辺にいらっしゃる方がみえたら、ご一緒にどうですか? 
ご連絡ください。

では、皆様、良いお年を〜

[3181] 太田康広 氏 2004/12/29 Wed 19:47:01
(内野氏)
> 太田兄、自分の子供に論語の素読を教え込むつもり?

子どもができたらどうするか考えます(^^;。

> 僕も、教育の要諦は日本や中国の古典に親しむこと、と思ってはいるのだけ
> れど、文語調を口語調に換える世の中で、論語の素読をさせるべき!と言い
> 張っても、それはなかなか・・・

さすがに,漢文の素読の復活はむずかしいでしょうし,たぶん,やるべきでも
ないでしょう。やっぱり,よその国の古典ではなくて,自国の文化的遺産でや
りたいところ。

しかし,江戸時代までインテリが漢文をメインとして知的活動をしてきたとい
う文明辺境地の悲しさか,自国語の良質の文章が非常に乏しいわけですね。ひ
らがなで書かれた文章は,他愛のないものがほとんどのわけで...。どうしても,
主として,明治以後の文章から拾うほかはない。

話は変わりますが,ここ,数日,ワシントンDCに出かけ,観光をしてきました。
リンカーン・メモリアルにいって強く思ったのですが,アメリカはたかだか二
百数十年の歴史しかないのにもかかわらず,独立宣言,合衆国憲法,ゲティス
バーグ演説,キング牧師の"I have a dream"演説など,世界に誇りうる良質の
テクストを生み出し,しかもこれを大切にしようとしています。これらに比肩
しうる良質のテクストが日本にどれくらいあるのか,と考えざるをえませんで
した。

不勉強のため,あまり思いつかないのですが...。『學問のすすめ』とか!?

本当は,釈月性の『将に東遊せんとして壁に題す』なんて個人的に大好きで,
院生時代に何かあるといつも眺めていたけれど,やはり,やまと言葉で書かれ
ていないので無条件には推奨できないかな。

[3180] ようじろう 氏 2004/12/27 Mon 04:12:49
クリスマスに暫しメールアクセスしていなかったら(色気がある話ではないのが「残
念!」)議論がずいぶん展開してますね。

一言だけ。

太田兄、自分の子供に論語の素読を教え込むつもり?

僕も、教育の要諦は日本や中国の古典に親しむこと、と思ってはいるのだけれど、文語
調を口語調に換える世の中で、論語の素読をさせるべき!と言い張っても、それはなか
なか・・・自分の子供にそれを教えるためには、自分自身がまずはもっと教養をつけね
ば、という強迫観念に、結婚前なのにかられてしまう自分は考えすぎなのでしょうか
(笑)。

[3179] 太田康広 氏 2004/12/25 Sat 08:11:27
(太田)
> 各種,中央統制を多極統制に移行させられるだけの地方中核都市を育てるた
> めには,地方自治の単位をもっと大きくし,権限の委譲をもっと大きくする
> 必要があるでしょう。今も,大きな流れとしては,この方向ですが,現状で
> はいかんせん,変革スピードが遅すぎます。

(粥川氏)
> と言われると、ではスピードを上げるために、現実論としてどういう手を打っ
> ていけばよいのか、と言いたくなって仕舞うのですよね、"守旧派"としては
> (笑)。

いや,それは守旧派ではなくて,過剰な現実主義でしょう:-p。現実主義と理
想主義は,ともにほどほどのバランスで両方必要です。

市町村合併が速やかに進まない最大のネックは「住民投票」だと思います。そ
んなことをしていては,迅速に合併が進まない。ま,自分の慣れ親しんだ地名
がなくなるのをいやがる気持ち,市町村合併を機に富の再分配が起きるから損
だという気持ち,なども理解できますから,無理に合併を進めるわけにもいか
なさそうですが...。

どっちにしろ,市町村を責任センターにするのは小さすぎて意味がなさそうで
す。県という単位でも小さすぎる。

やはり,よくいわれているように道州制を入れるのがよさそうですね。たぶん,
地方自治法の第一条の三第二項の普通地方公共団体にもう一階層上のランクと
して,道とか州とかをつくり,それに関して詳細な規定を作ればいいでしょう。
基本的に,国防,外交,治安維持,文化的に最低水準の生活の保証の四点のみ
中央政府に残し,あとはすべて道とか州とかにまかせることにすればいいので
はないでしょうか。

さて,どうやって,地方自治法を改正するか...。そのレベルになると特段の
戦略はありません。まずは,輿論に訴える!?

[3178] 粥川善洋 氏 2004/12/24 Fri 22:39:27
(太田氏)
>「春の小川」という唱歌がありますね。オリジナルは,「春の小川はさらさら流る」
ですが,現行は「春の小川はさらさらいくよ」です。

それを言うなら是非こちらも。「蛍の光」の4番です。
 千島のおくも、沖縄も、八洲(やしま)のうちの、守りなり。 
 至らん国に、いさおしく。 つとめよ わがせ、つつがなく。
ロシアで唄うのは控えましょう。話がズレましたね。

[3177] 粥川善洋 氏 2004/12/24 Fri 22:35:17
>この「国土の均衡ある発展」というコンセプトがよくわかりません。
確かに一般的には道路を始めとする「列島改造」論的な公共事業礼賛の文脈で使われる
ことが多いのは事実ですが、狭義の国土開発のみならず、都市・地方に関わらず凡ゆる
生活基盤を"平等"に保とうという、本来は美しく、現実に今となってはそれが
不可能で
あることが明らかになりつつある思想を示しています。
太田殿の述べておられることは私の述べていることと同じ方向性だと思います。

>現状ではいかんせん,変革スピードが遅すぎます。
と言われると、ではスピードを上げるために、現実論としてどういう手を打っていけば
よいのか、と言いたくなって仕舞うのですよね、"守旧派"としては(笑)。

>東京一極集中のほうは,かなり人為的な現象ですから,政策によりある程度は変更が
>可能です。
政策により可能であればそれに越したことはありませんし、そうなるべきだと思いま
す。ただこれが可能であったとしても、地方中核都市と過疎化の一層の進行という事実
は変わりませんし、これを許容する、或いはさせるためにどの様な手を打つか、という
話に結局はなるでしょう。

う〜ん、一寸堂々巡りかな、、、

[3176] 太田康広 氏 2004/12/24 Fri 21:19:07
(戸矢氏)
> こういう考え方は、教育が重要な事項ですべての人に機会が与えられなけれ
> ばならないが故に、学校の数が少ない田舎はどうするのだ、などいろいろ反
> 発があるでしょうか、それは田舎の生徒が優れた学校に行けるように配慮す
> ればいい話で、そのために学校同士の競争を制限しなければならない理由は
> ないと思います。)

(粥川氏)
> 「田舎の生徒が優れた学校に行けるように配慮すればいい」と言えば、では
> 「優秀な若者は田舎を出ろ」ということか、と反論されます。

優秀な若者の定義によりますが,一般には田舎を出るしかないでしょうね。
「優秀な」というのは,何らかの側面で優れた,ということでしょう。その才
能をトコトンまで活かすためには,経済活動の分業が必要です。そして,分業
を可能とするためには,ある程度の人口が必要です。たとえば,数学者として
暮らしていくためには,数学が重要だと思ってファンディングしてくれる組織
が必要です。仮に大学で教えるとすれば,数学を習いたいと入学してくる学生
も一定数必要です。ロビンソン・クルーソー経済では分業はまったく不可能で,
田舎もこれに準じます。

> この前、日本の改革のための最大のネックは「国土の均衡ある発展」だとい
> うことで、三浦章豪氏と意見が一致しましたが、少子化社会、人口減少社会
> になれば一人当たり住居面積が増えて幸福、というのは全くの幻想で、恐ら
> くは都心は何も変わらず、地方では地方中核都市と過疎地の格差が一層拡大
> する、即ち過疎地は消滅していく、ということが予想されます。詰まり好む
> と好まざるとに関わらず「国土の均衡ある発展」という今となっては幻想の、
> しかしながら70年代半ばまで、高度成長期までではわが国最大の目標であっ
> て思想は成立し得なくなります。

この「国土の均衡ある発展」というコンセプトがよくわかりません。何をもっ
て「均衡」というのか...。たんに,日本列島改造論よろしく,あちこちに採算
性の怪しい道路をいっぱい作りましょう,という話のような...。

個人的には,地方中核都市と過疎地の格差の拡大という議論と東京一極集中と
いうのはわけて考えたほうがいいと思っています。地方中核都市と過疎地の格
差の拡大は,ある程度やむをえません。国際的分業という観点からみても,日
本の過疎地を活性化させるドライビングフォースは見いだしがたい。

ただ,東京一極集中のほうは,かなり人為的な現象ですから,政策によりある
程度は変更が可能です。象徴的にいえば,関西起源,中部起源の優良企業が,
その起源地の本社と同時に東京本社をもたざるをえなくなるような要因を取り
除けばいいわけです。

各種,中央統制を多極統制に移行させられるだけの地方中核都市を育てるため
には,地方自治の単位をもっと大きくし,権限の委譲をもっと大きくする必要
があるでしょう。今も,大きな流れとしては,この方向ですが,現状ではいか
んせん,変革スピードが遅すぎます。

[3175] 太田康広 氏 2004/12/24 Fri 14:50:41
(粥川氏)
> 一寸議論から離れた隙(笑)に太田・内野論争が繰り広げられていて管理者の
> 立場としては非常に有り難いのですが、「本誌主幹」として全く参画してい
> ないのも失礼かつ政治を目指すものとしては参画すべきだと考え、ここから
> では入り難いですが(笑)、感想のみ申し上げます。

うーん,つまんないコメントをすると,政治を目指すものとしては,おもしろ
がってナチュラルにコメントするようにならないといけないんじゃん。

# あと,ベタテキストでなくて,改行,改パラグラフを入れてくれぃ。

(太田)
> 特定の層に対する「詰め込み教育」は絶対に必要だと思いますが,どの段階
> で詰め込むのがいいのかについては,再考の余地があります。詰め込む内容
> は,職業に応じて実践的であったほうがいいですから,もう少し,職業選択
> がはっきりしてからのほうがいいでしょう。十代でやる必要はなさそうです
> し,全員が同じ内容をやる必要もなさそうです。

(粥川氏)
> 同感出来る意見だと思いますが、言う迄もなくそのためには日本の雇用・労
> 働システム全体から変えないと年齢の高くなってからの詰め込み境域、は成
> 立しないでしょう。

ま,でも,国内MBA大学院受験専門予備校(http://www.windmill-edu.com/)なん
ていう代物まである時代だから,今後,焦点は修士課程に移行するんじゃない
かしらん。# 理系はとっくにそうなっているし。

MBAプログラムあたりで,ムチャクチャな詰め込み教育をするのは十分に可能。
働きながらの夜間大学院じゃ無理ですけど。

> また更に言えば、「詰め込み教育」は「職業に実践的」であるべきだけでは
> なく、教養として恐らく職業選択をする頃、或いはある程度してからの教育
> においては、時間的にも決して詰め込む余裕のなくなる様な類の教養を、若
> くその価値も判らない時点で詰め込んでおくことも必要ではないか、と思い
> ます。

これはある程度賛成。

話は飛ぶようですが,「春の小川」という唱歌がありますね。オリジナルは,
「春の小川はさらさら流る」ですが,現行は「春の小川はさらさらいくよ」です。

http://hp.vector.co.jp/authors/VA025950/songs/haruno_ogawa.html

いわゆる「進歩主義的教育」は子どもを甘やかしすぎ,という面はあるでしょ
う。子どもにわかりにくいからといって文語調の曲の歌詞まで変えてしまう。

これの対極にあるのは漢文の素読です。ただ,毎日,音読させるだけで,意味
解釈は一切与えない。逆に,子どもの側が,自発的興味を持って調べ,その思
想を体得していくという教育です。

子どもにわかることだけ教えるというのは大正デモクラシー以後の「進歩主義
的教育」ですが,そろそろ,これにストップをかける時期にきているのかもし
れません。

# 自分のときの小学一年生の教科書を思い出しても,意味のある文章はほとん
# どなかった。

[3174] 粥川善洋 氏 2004/12/24 Fri 12:47:15
最後に[3163]まで戻りますが、(戸矢氏)
>こういう考え方は、教育が重要な事項ですべての人に機会が与えられなければなら
>ないが故に、学校の数が少ない田舎はどうするのだ、などいろいろ反発があるで
>しょうか、それは田舎の生徒が優れた学校に行けるように配慮すればいい話で、
>そのために学校同士の競争を制限しなければならない理由はないと思います。)
全くその通りですが、また守旧派の意見に聞こえる危険性を顧みず(笑)述べれば、「田
舎の生徒が優れた学校に行けるように配慮すればいい」と言えば、では「優秀な若者は
田舎を出ろ」ということか、と反論されます。戸矢氏の述べておられる様「中央官庁の
関与を最低限にして競争をさせる」としても、ではその「中央官庁の最低限の関与」と
は何か、それはナショナル・ミニマムの部分である、となると高速道路を最低限あと1.4
倍程度作らなければならないという話と変わりません(断っておきますが高速道路をも
う作る必要がないと言っているのではありませんし、無料化論にも組みしません)。

この前、日本の改革のための最大のネックは「国土の均衡ある発展」だということで、
三浦章豪氏と意見が一致しましたが、少子化社会、人口減少社会になれば一人当たり住
居面積が増えて幸福、というのは全くの幻想で、恐らくは都心は何も変わらず、地方で
は地方中核都市と過疎地の格差が一層拡大する、即ち過疎地は消滅していく、というこ
とが予想されます。詰まり好むと好まざるとに関わらず「国土の均衡ある発展」という
今となっては幻想の、しかしながら70年代半ばまで、高度成長期までではわが国最大の
目標であって思想は成立し得なくなります。
問題なのは現実に成立し得なくなるからそれに応じた政策を用意する、ということと意
図的に更にそうなる様な政策を打つ、ということでは国民の反応は大きく異なるという
ことで、言うまでもなく政権与党が後者を声高に述べることは、国民ひとりひとりに事
実認識を持って貰い、国民の理解の下に政策を進めると言えば実に美しいですが、実際
には自らの首を絞める様なもので不可能です。ではどうするかというと、@前者(都市
と過疎地の二極化拡大)に進むことを前提に対応を用意しておく)で以て緩やかに進め
ていくか、或いは政権交替によってその作業を反対党に委ねるか、でしょう。(これも
断りますが、民主党政権を望んでいる訳ではありません。本来、都市と地方を意図的に
対立させる様な政策は好ましくなく、それを民主党が行って使命を全うすれば、再び自
民党政権にということが望ましいと考えます)

随分と本題から反れましたが、規制改革、民間活力・競争の導入といった話は「国土の
均衡ある発展」という看板とどう整合性を取るのか、或いは取らないならばどう国民を
説得、悪く言えば気付かない内に多くの国民に取っては望ましい方向に持っていくか、
という視点を除いては提示出来ないだろう、ということです。従って、戸矢氏の論には
同感出来ますが、実際問題どの論理構成で提示出来るのかという点も提示出来なければ
一足飛びに賛成とは言い難いと感じました。

[3173] 粥川善洋 氏 2004/12/24 Fri 12:38:46
一寸議論から離れた隙(笑)に太田・内野論争が繰り広げられていて管理者の立場として
は非常に有り難いのですが、「本誌主幹」として全く参画していないのも失礼かつ政治
を目指すものとしては参画すべきだと考え、ここからでは入り難いですが(笑)、感想の
み申し上げます。

(太田氏)
>特定の層に対する「詰め込み教育」は絶対に必要だと思いますが,どの段階で
>詰め込むのがいいのかについては,再考の余地があります。詰め込む内容は,
>職業に応じて実践的であったほうがいいですから,もう少し,職業選択がはっ
>きりしてからのほうがいいでしょう。十代でやる必要はなさそうですし,全員
>が同じ内容をやる必要もなさそうです。
同感出来る意見だと思いますが、言う迄もなくそのためには日本の雇用・労働システム
全体から変えないと年齢の高くなってからの詰め込み境域、は成立しないでしょう。ま
た更に言えば、「詰め込み教育」は「職業に実践的」であるべきだけではなく、教養と
して恐らく職業選択をする頃、或いはある程度してからの教育においては、時間的にも
決して詰め込む余裕のなくなる様な類の教養を、若くその価値も判らない時点で詰め込
んでおくことも必要ではないか、と思います。以前述べた世界史の知識とか、を指して
いるのですが。

(内野氏)
>太田兄も教育についてこれだけ憂いているのだから、さらにマスコミ等にも寄稿する
>などしてみたら如何?役人に任せていてはダメだ、と、皆声高に言う割に、実際に
>行動に移す人って少ないんですよね、結局誰かがやるだろう、ということになる。
というのは全く同感。ただそれは太田氏を責めているのではなく、日本で行政に携わっ
ていない人が何等かの行動を起こそうとなると、結局圧力団体を作って政治家を使うか
マスコミの寵児になって本業に身が回らなくなる、という程度の手段しかないという無
力感があります。そういう意味では役所に限らず米国型の「回転ドア」雇用システムと
いうのも、@現にその業界に身を置いた人間の体感したモノを政策にし得る、A所謂
「官僚の無謬性」に陥らず政策転換がし易い、という点では評価に値するのかなと思い
ます(但しこれは長期雇用の利点を否定するものではなく、両者を如何に組み合わせる
かという難題が慣用、ということですが)。なお現にその業界なりに身を置いた人間が
体感したモノを政策にする地位に、という意味ではわが国にも「選挙に打ってでる」と
いう手段があるのは言うまでもありません。リスクが大き過ぎることが難点ですが。
また文部省の方を持つつもりはないですが、著しい「ゆとり教育」に転換したのはここ
10年程度であって、そこからの政策転換が遅いということに付いては、成熟した国家に
おいては情報公開、広く一般に意見を求める等手続きが煩雑にならざるを得ないがため
に時間が掛かるのはある程度やむを得ないし、また時流に乗るだけで政策転換を判断し
ないがために敢えてそうしているという面もある、というのは洋次郎氏と同感です。
(それを割り引いても文部行政は余りにも稚拙の感はあります。ただそれは文部省だけ
の問題というより日教組の存在、教師の資質、「象牙の塔」型の閉ざされた世界、とい
った教育界全体の構造の問題という気がします)

最後に[3163]まで戻りますが、(戸矢氏)
>こういう考え方は、教育が重要な事項ですべての人に機会が与えられなければなら
>ないが故に、学校の数が少ない田舎はどうするのだ、などいろいろ反発があるで
>しょうか、それは田舎の生徒が優れた学校に行けるように配慮すればいい話で・

[3172] 太田康広 氏 2004/12/24 Fri 09:27:35
# 字数制限があるので分割。

(内野氏)
> 求めるレベルをよく理解すれば、本質的な「学力」を問える出題ができるは
> ずであるのに、手抜きの故か目先の校務の忙しさ故か、いい加減な出題でご
> まかしている学校が多いことこそが問題[...]と、どうしても思ってしまいま
> す。

そういうのは簡単だけど,作問側からしたらなかなか厳しいものがあると思い
ますよ。いい問題は,パターンにはまっていないユニークな問題のケースが多
いから,作問自体も大変だけど,採点時に採点ミスを誘発しがち。そして,ミ
スがあったら大変なことに...。そして,あまりに材料が少ないと,本質的な
「学力」を問う出題がむずかしいのも事実です。

ま,でも,大学受験であらかた決まってしまうようなスキーム自体が時代遅れ
になりつつあるかも。

今の勤務先は,北米のほとんどの大学と同様,アドミッションオフィス方式
(AO方式)なので,一部委員をのぞいて,教員は大学入試にノータッチです。そ
して,うちの学科は,カナダの研究大学にある学部ビジネススクールとしては,
もっとも入試が簡単な学科の一つのはずです。(そもそも,ビジネス専攻が,全
専攻中,一番人気なので,これでもあまり簡単ではありませんが...。) 入学式
みたいなものもとくになく,オリエンテーションがあって,普通に講義が始ま
ります。

しかし,毎学期,相当数脱落していくので,学生の頑張りは相当なものです。
うちの retention rate (生存率)はカナダ最低に近いと思います。キャンパス
でみていても,一年生は多いけど,四年生はかなり少ないですね。

この強制退学プレッシャーはかなりきついようです。日本の大学受験勉強が延々
四年間続く感じですね。結果として,卒業式は大なり小なり「愛と青春の旅立
ち」になります。Bachelor の学位をゲット!という調子。大はしゃぎしますね。

先日,大学院受験用の推薦状を頼みにきた昔の学生が「卒業して就職したから,
今はかなり楽なんですよ」というのを聞きながら,日本では社会人が「学生は
楽でいいよな」というのを思い出していました。

[3171] 太田康広 氏 2004/12/24 Fri 09:24:46
(内野氏)
> アクロバティックな出題、との批判は、どの学校のどんな出題を指している
> のでしょう?

中学受験をやったことのない県立高校出にそういう質問をしてもねぇ...(笑)。

何かの機会に見た問題が,ある意味,くだらなかったということです。もう一
段階上のコンセプトを知っていれば,あっさり解ける問題が,そのコンセプト
を知らない人にとっては,難問奇問になるというような...。

ま,作問側からすれば,これが一番安易な途ですね。

> 理解すること自体がなかなか大変なことを、ナショナルミニマムで教えろ、
> と言った瞬間に、それが理解できない人間は「ナショナルミニマムを満たさ
> ない」ことになるわけで、そのラベリングがどんな意味をもつかを考えるで
> はないか?と、つい、思ってしまうのですが。

ただ,そういう意味では,高校教育は義務教育ではないわけ。(「理解するこ
と自体がなかなか大変なこと」は高校の話だったはず。)

現状でも,かなりの普通科高等学校で,授業内容を理解することが困難な生徒
がいます。しかし,そこに照準をあわせるのが適切かどうかは議論の余地があ
るでしょう。

> 入学試験がスクリーニングになっていることと、国民みんなに一定の知的レ
> ベルを求める、ということは、ちょっと方向が違う話であって、受験が技術
> 的になるのは出題者が愚かだからだ、という思いが、どうしても拭えません。

普通科高校生もいろいろなので,同じ年齢で同じ内容を修得してもらうのは現
実的に無理です。しかし,大学入試の出題可能範囲がナショナルミニマムに制
約される以上,これをあまり限定しすぎてはまずい。両者を別々に切り離すの
も一案。

カナダの場合,高校生の授業のなかで,履修する必要がないレベルのものがい
くつかあります。しかし,これを履修していないと,あるレベル以上の大学に
は入れない。僕の勤務先は,高校最終学年の数学を履修していない高校生にも
入学を許可していますが,そういう学生は,一年次に基礎数学が追加必修になっ
ています。これを必修科目登録前に取らないといけないので,結果として卒業
が遅れがち。

日本でも,こういうフォローができるなら,高校の任意科目みたいなものをい
くつかつくって,そこでむずかしいことをやればいいと思います。現在でも,
商業高校生が数学に代えて簿記で商学部に入った場合,ある程度,数学の補講
が必要でしょう。

[3170] ようじろう 氏 2004/12/24 Fri 02:31:21
あれこれ言うつもりはもうないのですが、どうしても一言反論したい。

アクロバティックな出題、との批判は、どの学校のどんな出題を指しているのでしょう?
太田の言う「二世代にわたって『ゆとり教育』の毒がまわった」試験を、現実に受けた
側の実感からすれば、今思えば文部省の言っている「生きる力」を身に付けさせるよう
な試験があったような気がする。
僕が武蔵中学校で受けた理科の試験は、封筒の中に三種類の岩石が入っていて、それぞ
れを観察した上で比較してその違いを説明せよ、というものだった。これを「アクロバ
ティック」というかどうか。

理解すること自体がなかなか大変なことを、ナショナルミニマムで教えろ、と言った瞬
間に、それが理解できない人間は「ナショナルミニマムを満たさない」ことになるわけ
で、そのラベリングがどんな意味をもつかを考えるではないか?と、つい、思ってしま
うのですが。

入学試験がスクリーニングになっていることと、国民みんなに一定の知的レベルを求め
る、ということは、ちょっと方向が違う話であって、受験が技術的になるのは出題者が
愚かだからだ、という思いが、どうしても拭えません。求めるレベルをよく理解すれ
ば、本質的な「学力」を問える出題ができるはずであるのに、手抜きの故か目先の校務
の忙しさ故か、いい加減な出題でごまかしている学校が多いことこそが問題であって、
それは結局、太田も問題視している大学の教員のレベルアップの議論にも直結する話で
はないか。それを学習指導要領のレベルの話に矮小化してはいけないのでは?と、どう
しても思ってしまいます。

[3169] 太田康広 氏 2004/12/23 Thu 11:56:12
(内野氏)
> 52年改訂以後の指導要領の内容自体は、但し、そんなに低レベルとも思えない。

> 52年改訂以後も依然として受験競争は厳しかったし、指導要領自体を紐解い
> ても、ナショナルミニマムとして考えれば、全国民に遍く教えるべき内容と
> してはまあ適当なような気がします。

うーん,受験競争は本質的に椅子取りゲームだから,その激しさは,入学定員
と入学希望者数の比率で決まるものであって,指導要領の内容とは直接の関係
はないような...。

指導要領は,ナショナルミニマムとはいうものの,この内容が試験問題作成可
能範囲を拘束するんですよね。となれば,受験生は試験にでない範囲は勉強し
ない。そして,試験で問える範囲が限定されればされるほど,出題はアクロバ
ティックになっていきます。ちょうど,一部の私立中学の入試問題のよう
に...。

たとえば数学の場合,大学教養程度の線形代数と解析を高校に降ろしてしまえ
ば,基本的な内容をきちんと理解するだけでなかなか大変ですから,テキスト
の練習問題をちょっと捻った程度の出題になるでしょう。時間の使い方として
そのほうが生産的だと思います。

# もちろん,アクロバティックな問題のほうがスクリーニングには有効という
# 議論はあるでしょうが。

> 太田兄も教育についてこれだけ憂いているのだから、さらにマスコミ等にも
> 寄稿するなどしてみたら如何?役人に任せていてはダメだ、と、皆声高に言
> う割に、実際に行動に移す人って少ないんですよね、結局誰かがやるだろう、
> ということになる。

いや,現実に影響力のありそうな官僚のかたがたに説いて,間接的な意味で行
動に移しているつもりなんですけど(^^;。

マスコミ...は,カナダからではね。それと活字メディアでモノをいうためには
相当な下調べが必要です。ちょっと Google で調べて,思いつきを掲示板
に...というわけにはいかない。ま,日本に帰ったら考えます。

[3168] ようじろう 氏 2004/12/23 Thu 08:18:59
中央教育審議会の1976年12月答申というのは文部科学省のHPでは見当たらないのです
が、51年というタイミングから見ると、恐らく52年の学習指導要領改訂における「よと
りと充実」を指しているのでしょうから、その前の教育課程審議会の答申ということで
しょうか。残念ながら文部科学省HPは過程審の古いものは載っていませんので、詳細
のフォローができませんでした。

52年改訂以後の指導要領の内容自体は、但し、そんなに低レベルとも思えない。平成8
年答申を受けた指導要領の内容が、円周率を3で教えるとか、そんな内容で厳しい批判
を受けたわけですが、52年改訂以後も依然として受験競争は厳しかったし、指導要領自
体を紐解いても、ナショナルミニマムとして考えれば、全国民に遍く教えるべき内容と
してはまあ適当なような気がします。

してみると、問題はやはり「ゆとり」の名前のもとに、指導要領の内容を的確に指導し
てこなかった側にあるのではないか。
そして、教育の地方分権の名のもとに、その対応は全て都道府県(公立学校教職員の任
命権者)に委ねられていたわけ。文部省は、各県を「指導」するのみで、補助金の分配
に差をつけることもできなかった(法令上何らの強制権限もなかった)。

ところで昔から文部省は学習指導要領の改訂には非常に時間をかけて討議を行ってきて
いるようです。私が指摘した平成8年答申を受け、教育課程審議会が答申を出したのが
平成10年7月。これを受けて学習指導要領の改訂作業が開始され、それが順次実施され
ていくのにまた数年(教科書検定なども含みます)かかる。例えば昭和62年の課程審答
申の内容が小・中・高の教育課程に実際に反映され出したのは平成4年以降です。あま
りに時間が掛かり過ぎるわけで、ここは迅速化が必要ですね。ただ、猫の目みたいに教
育課程が変わってよいのか、というのは一つの課題であって、手続の慎重さを求めるが
故により確からしい結論(裁判が典型ですが、太田はこれにも批判的でしょうね)を出
すということからすると、一定程度の審議時間が確保される必要があるのは間違いなさ
そうです。

マスコミは審議会を傍聴できるので報道は先行できるし、配布資料はもちろん議事要旨
等も全面公開されていますので、これからどうするか、という点については、文部省が
どうこう、というよりも正面から「民度」が問われるところ。太田兄も教育についてこ
れだけ憂いているのだから、さらにマスコミ等にも寄稿するなどしてみたら如何?役人
に任せていてはダメだ、と、皆声高に言う割に、実際に行動に移す人って少ないんです
よね、結局誰かがやるだろう、ということになる。

[3167] 太田康広 氏 2004/12/23 Thu 07:17:53
(内野氏)
>「ゆとり教育」は、中央教育審議会の平成8年答申が発端と考えてよいでしょ
> うか。

いや,そんなに最近の話なら,学力低下もすぐに元に戻るわけで,ここまで深
刻な問題になっていないと思います。

僕が一番最初にこの言葉を聞いたのは,自分が小学生として「ゆとりの教育」
の対象になるという文脈でした。「ゆとりの教育」の名の下に何かの授業をつ
ぶして,クラスでレクリエーションの機会をやった記憶があります。つまり,
我々自身,すでに「ゆとりの教育」のせいで学力が低下しはじめている世代な
のです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%81%A8%E3%82%8A%E6%95%99%E8%82%B2
> 1976年(昭和51年)、加熱する受験戦争や学校教育が知識偏重であるとの批
> 判に対応する形で、中央教育審議会の昭和51年12月答申において"ゆとりと充
> 実" という表現を用いて学習内容の削減を提言した。このことから、学習内
> 容を減らす傾向を指してこのように呼ばれる。

もう二世代にわたって「ゆとりの教育」の毒がまわってしまっているというこ
とですね。

(内野氏)
> 今これを詳細に読んでみると「なんじゃこりゃ」ですが「後から批判するだ
> けならK米宏でもできる」ということですかね。[...]基礎学力を徹底的につ
> けることが重要だ、というメッセージを、そのような場面で送ることができ
> たのかな、と、ちょっと文部科学省に同情したくなる私もやっぱり霞ヶ関の
> 住人ですね(苦笑)。

この件に関しては,旧文部省に同情の余地なし,です。「後から批判」という
弁護はあたりません。すでに二十数年の批判の歴史があり,これを旧文部省が
無視し続けてきたにすぎません。(批判が激しくなったのはここ数年ですが。)

とくに,1998年以降の激しい批判を受けても,方針転換ができなかったのは致
命的です。今のように,誰の目にも壊滅的なダメージが明らかになってから方
針変換するなんていうのは拙劣にすぎる。(それでも方針転換しないよりはは
るかにマシです。メンツが丸潰れになったので逆に依怙地になりそうなところ
をグッとこらえたと考えれば,大英断といえるかもしれません。)

ただ,1976年以前に戻せばいいかというと,そうともいえなさそうですね。こ
こで,一度,抜本的に考えなおしたほうがいいのではないかと...。とくに,現
在,大学受験が,主要なスクリーニングになってしまっているのは,年齢的に
ちと早すぎる。学部等,専門の選択を高校生にさせるのも非現実的です。

特定の層に対する「詰め込み教育」は絶対に必要だと思いますが,どの段階で
詰め込むのがいいのかについては,再考の余地があります。詰め込む内容は,
職業に応じて実践的であったほうがいいですから,もう少し,職業選択がはっ
きりしてからのほうがいいでしょう。十代でやる必要はなさそうですし,全員
が同じ内容をやる必要もなさそうです。

[3166] ようじろう 氏 2004/12/23 Thu 00:29:44
確かに、天才を「育てる」というのは誤りですね。真意はむしろ「放任主義は」の文言
にあります。

オリンピックの成果をシステム云々のお陰とする報道があったのは知っていますが、罵
詈雑言を浴びている文部科学省がその部分だけは立派な仕事をした、ということになる
わけで、そこはちょっと違和感。ホントにシステムのお陰かな?
別に「ゆとり教育」のお陰だというつもりもなくて、屈託なく自由に活躍しているよう
だ、と書いたのも、ゆとり教育を揶揄したつもりだったのですが(苦笑)。

「ゆとり教育」は、中央教育審議会の平成8年答申が発端と考えてよいでしょうか。
8年答申は、「生きる力」と「ゆとり」をキーワードにしつつ、学校・家庭・社会の連
携を強調して、過度の受験競争などによって生じる弊害を除去しつつ、国際化等の変化
に対応するのだ、というような意欲的!な内容だったように思います。

今これを詳細に読んでみると「なんじゃこりゃ」ですが「後から批判するだけならK米
宏でもできる」ということですかね。マスコミは受験競争・いじめ・不登校を批判し、
産業界は「創造力がない人間ばかりが育ってきている」と批判し。基礎学力を徹底的に
つけることが重要だ、というメッセージを、そのような場面で送ることができたのか
な、と、ちょっと文部科学省に同情したくなる私もやっぱり霞ヶ関の住人ですね(苦笑)。

[3165] 太田康広 氏 2004/12/22 Wed 09:01:44
(内野氏)
> 放任主義は1人の天才を育てるために99人を犠牲にする、管理主義は過半
> 数の秀才を育てるために残りの人間を犠牲にする、と聞いたことがあります。

# 天才が 1 パーセントもいたら大変なことだと思いますが...。

たぶん,天才は育てられないのでしょう。せいぜい天才が才能を発揮するのを
邪魔しないようにするくらいしか方法がなさそうです。確率ゼロでしか生じな
いような特異な才能に焦点をあわせてシステムを設計するわけにはいかないの
で,そういう人が出てきたら,特例をつくって柔軟に対応するしかないんじゃ
ないでしょうか。そういう意味では,ニュートンやラマヌジャンの活動を邪魔
しないよう,ルールを曲げて対応したイギリスのようなアプローチがよさそう。
悪平等主義が一番の敵でしょうね。

> 確かにスポーツ選手は昔より屈託なく自由に活躍しているように見えます
> が???

詳しくは知りませんが,先般のオリンピックのメダルラッシュは,スポーツ選
手に対する待遇というか,インセンティブシステムの変更の成果みたいですね。
やはり,制度というかシステムの問題は大きいと実感しました。

> いわゆる詰め込み教育が横行した時期、経済界が「学校が記憶ばかりに重点
> を置くから創意工夫をする人材が育たない」「教育は会社でやるから、もっ
> とアイデア豊かな人間を作れ」と言っていた時期もあったように思います。

昔,「教育は会社でやる」=学校教育は役に立たない,みたいな謬論はかなり
ありましたね。ま,ある種の極論であって,誰も本気で信じてはいないでしょ
うが...。

ビジネス教育にかぎっても,もう少し,学校(大学院)の比重が高くなっても
いいな,という気がします。すべて会社で教育するとなると,会社固有の知識
の比重が高くなりがち,経験則を重視しがちになると思います。しかし,環境
が変化すると,今までの経験則が役に立たなくなることが多いわけで,そうい
うときこそ,一歩退いて全体を俯瞰するような一般的な知識が必要になるので
はないでしょうか。

...なんて,教育産業にいるものが,自業界の重要性を強調するなんていう,
つまらないことになりました(^^;。

[3164] 上村 さと子 氏 2004/12/15 Wed 00:30:58
かるべ様

お初です。TO90の上村(旧姓:いとさと)と申します。ウチの長女(5歳、14.5kg)
は幼稚園の年中組で、現在園生活をフルに楽しんでいます。親に似てアッケラカ
ンとしており、園であった事を尋ねても、楽しかった事しか帰って来ない脳天気
なヤツです。先日長女の幼馴染みで同級生の女の子のママから、どうも2人がシッ
クリ行っていないらしいと連絡を頂き、かなり驚きました。長女にそれとなく尋
ねても、特に問題は無いという返答…。園での事は本人の話と先生からの連絡に
全てを委ねている私は、あれこれ詮索するのも嫌だったのですが、気になったの
で一応先生に尋ねてみたりして、情報を集めてみました。結局そのお友達の方は
感受性が豊かなのか、どうもかなり細かい事も気にして1つ1つ彼女のママに話す
らしく、ママの方はそれを聞いてウチの長女とシックリ行っていない、と判断し
たようです。

様々な親子の形があるので、きっとどれが正しいというのは無いと思いますが、
私自身子供の話は勿論信用してはいるものの、半分位に割り引いて聞くのが丁度
良いかと思っています。私自身にも覚えがありますが、西川さんのお嬢さんの様
に、幼稚園くらいの子供の話は、常に自分が1番でいかにスゴイか、が原点となっ
ている為、かなりデフォルメされているのが当然だからです。嘘ではなくホラと
言いますか…(失礼!!)。何かしらそれらしき事があったのは事実でも、尾ひれ背
びれ+胸びれくらいは付いて当然なのが、子供の会話だと思います。

つまりお友達のママがわざわざ教えて下さったのは、確かに有難い事ですが、自
分の子供の言う事のみを100%信じる(鵜呑みにする)のもどうかと…。誰もが
皆、自分の子は1番可愛いものですが、信じてやりながらも公平な視点で判断しな
いと、よその子ばかりを攻撃していれば、いずれしっぺ返しが来る様な気がします。

結局私もそれ以上どうしようもなく、放ってありますが、子供の喧嘩に親は口出
すな、的考え方は、無責任なのでしょうか?

[3163] とや 氏 2004/12/11 Sat 14:24:56
一昨日出た週刊新潮を読んでいたら、野口悠紀雄が「アメリカの教育のレベルは大学院で
の詰め込み教育によって支えられている」という趣旨のことを書いていました。(連載「
21世紀のゴールドラッシュ」)何かどこかで読んだな、と思っていたら、太田さんが先
月末に[3146] で同じことをおっしゃっていましたね。
さて、私は掲示板からしばらくご無沙汰していて、その間に熱い議論が盛り上がっていた
ことに最近気がついたばかりなのですが、少々つたないながら意見を書かせていただきま
す。義務教育国庫負担金問題も、つきつめれば公立学校の教員の給料・配置体制を誰が決
めるか、膨張する一方の費用を誰が負担するのか、という問題であり、カリキュラムの問
題も含めて、根本には、何万もの人が食べている巨大な体制をどう管理し、自己改革をさ
せ続けていけるのかという問題なのだと思います。
一般的な組織や産業には寿命があって、常に自分をupdateして世の中についていけるのは
一部で、少しずつ古いものが数を減らしていき、新勢力が伸びていくのが常ですが、そこ
からのアナロジーで考えると、今の既存の教育界(中央官庁から各教育委員会を経て学校
まで)の構成員・体制の大部分をそのままにしたままで、利害を調整して、多様な意見を
集約し、自己変革をするというのは大変なことなので、半分以上無理なのではないかと。
むしろ、中央官庁で既存の学校の経営や教え方の細かい内容を心配する程度を低くして、
新しい学校の設置や実験的な取り組みを助けるような政策に変え、良い学校が生徒を集め
られるようにし、組織が硬直化して生徒を集められない学校から教員が逃げていき、有望
な学校にいい教員が集まる、というようにしていくーそのためには生徒の集まらない学校
は容赦なく統廃合し、教員の異動システムを公募方式のようなものに変え、というように
ある種「何でもあり」となるようにする、すなわち国の関与は教える最低限をおおまかに
定め、だめになった学校に死刑宣告をする、影響を受ける田舎の生徒に行きたい学校に行
けるよう奨学金を出す、というくらいにするーそうした中で教育内容が新勢力と一部の既
存勢力の切磋琢磨によって進化し、教育の競争力が維持されていく、というシナリオしか
ないのではないか、というか、ここ数十年の我が国では、そうやってきた分野しか競争力
を維持していないのではないか、という風に思います。
(こういう考え方は、教育が重要な事項ですべての人に機会が与えられなければならない
が故に、学校の数が少ない田舎はどうするのだ、などいろいろ反発があるでしょうか、そ
れは田舎の生徒が優れた学校に行けるように配慮すればいい話で、そのために学校同士の
競争を制限しなければならない理由はないと思います。)
おおざっぱな暴論だと言われるかと思いつつ投稿しますが、反論お待ちしています。

[3162] ようじろう 氏 2004/12/11 Sat 02:03:04
放任主義は1人の天才を育てるために99人を犠牲にする、
管理主義は過半数の秀才を育てるために残りの人間を犠牲にする、
と聞いたことがあります。
今の学校が前者だとすると・・・天才はいずこ?北島康介?確かにスポーツ選手は昔よ
り屈託なく自由に活躍しているように見えますが???

いわゆる詰め込み教育が横行した時期、経済界が「学校が記憶ばかりに重点を置くから
創意工夫をする人材が育たない」「教育は会社でやるから、もっとアイデア豊かな人間
を作れ」と言っていた時期もあったように思います。
世論が極端に振れて、それにやみくもに呼応しすぎるのも問題。かつての詰め込み教育
も、問題は「憶えさせる」こと自体にあったのではなく、その手法にあったはず。
改革が変な方向に行ったうらみはありますね。

今回の学力低下を受けての方針転換自体は歓迎すべきことなのでしょうが、また変な方
向に舵を切ることだけは避けてほしいですね。

[3161] 太田康広 氏 2004/12/08 Wed 16:36:34
しつこいようですが...。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041208-00000000-mai-soci
> <学力低下>「悲惨な結果」と専門家 OECD調査
> 日本の15歳(高校1年生)の読解力低下をあらわにした経済協力開発機構
> (OECD)の03年学習到達度調査(PISA)。読解力だけでなく、
> 「1位グループ」(文部科学省)とされた数学的活用力でさえ「明らかに低
> 下している」ととらえる教育関係者も少なくない。

早く方針転換してくれるといいのですが...。

[3160] 西川武志 氏 2004/12/04 Sat 01:31:31
修羅場を半分超えたかな?あとは5月のシンガポールでの国際会議の論文と
A4、1ページにどんなに細かい文字でもいいからすべてを詰め込んだ某経○省
フォーマットの上の方にプロジェクト承認をとるやつと特許明細と何だっけ?
まあ来週一杯まで地獄で、土日は大田こみでみんなに会って生き返る予定。その
後は京都へ三泊四日の学会出張(でも夜は原稿書き)

修羅場の間に教育論議が進んで終わっていました。
来年の諭吉生誕日に満四歳になる我が娘ですが、来年4月から自宅から徒歩3分
くらいのつくば市立の幼稚園に入園予定です。集団生活になじめるか心配と言え
ば心配です。集団生活に向いていない両親の子供だから、まあなじめなかったら
仕方がないかなと。

それよりも気の強さに参っています。
勝つことや一番になることにこだわる性格が現れてきました。
幼稚園で度が過ぎないことを祈るのみ。

自分が勝つまでジャンケンを続ける娘に子供の頃の自分を写し見た西川でした。

[3159] かるべ 氏 2004/12/03 Fri 09:40:38
じゅんちゃん久しぶり! なかなか会えないけど、元気そうでう嬉しいです。

うちの娘も女の子ならではの、友達付きあいに一時悩んでいたときがありました。
そんなにへこんでいるなら、「やられたらやり返してきたら?」と言うと、
「そんなことかわいそうでできない」と泣く始末。感受性のある子は、一度へこむ
と復活が難しい場合もあるようです。幼稚園の先生にも相談したり、他の子と遊ぶ
機会を設けたり、本人も強くなってきて、今はあまりめげなくなってきました、

周りの大人(先生)が、助けてくれるというのは本当に大事みたいです。幼稚園は
初めての親から離れての集団生活で、大人を信頼するかどうかの最初の入り口だそ
うです。先生がちょっと抱っこしてくれるだけで、子供って元気になるからね!
そういう家の娘は上背も高いが、もう20キロです。重い…。まだ4才なのに

[3158] 岡 氏 2004/12/02 Thu 11:08:23
かるべ、こんにちは。
ますます魅力的なママになってる感じ。きっとお子様もハッピーでしょう。
生き物を飼育してうまくいかず死なせてしまう。。。って悲しい体験。でも死を通
じていろんなことを知るのでしょうね。
手をかけないとだめ、手をかけすぎてもだめ、もしかしたら自分の努力や誠意があ
ってもお別れする運命の出会いだったのかもしれない。
。。。なんて肌で感じたら、きっと優しいお子さんになるでしょう。

おとなになったら人間同士のお別れをたくさん経験するから、その前に小さいうち
に感受性を育ててあげることが、周りのおとなの大事なお仕事かなあと思います。
賢い子も悪くないけど、優しい子がいいな。

[3157] 小倉京子 氏 2004/12/02 Thu 10:13:19
こんにちは。学力の低下について議論されているのですが、問題は幼稚園でも起き
ているようです。

先生方によると、最近は過干渉または放任されている子供が目立つとのこと。昔の
幼稚園児は、今の子供よりよく指示を聞けて、たくましかったようです。私の娘の
行っている幼稚園では年長になるとお泊まり保育として夏に御岳山に一泊してハイ
キングを楽しんできます。しかし、最近は体力の低下が著しく、普段の保育にドッ
ジボールやドロケイ(刑事と泥棒というゲーム:みんなやった?)を取り入れるな
ど工夫していました。最近の小学生も、遠足で歩ききれず先生におんぶされて山を
おりてくるようです。普段の買い物でも歩かないで、車や自転車に乗せて連れてい
くことが影響しているのでしょうか?

色々な意見もあるとは思いますが、やはり朝早く起きて、よく外で遊んで、仲間同
志でけんかもし、夜は早く寝るのが子供のうちは一番だと思います。ついテレビに
頼りがちになってしまうのですが、よく遊んできた日は子供も機嫌が良いし、色々
学んできます。その成長は親が色々指導したり、習い事をするより、沢山学んでい
るんだろうなと、感心してしまいます。自分たちでマフラーを編んだり、どんぐり
で笛を作ったり、本当に楽しそう。私が替りに行きたいくらい。

今は外遊びを知らない親が多いせいか、子供と外遊びをするマニュアル本まででて
います。その本には子供が虫を持って帰りたいと言ったときには、どのように対処
するかなどという模範解答までついているんです!私には信じられない!
ダンゴムシくらい一緒に探してあげようよ、すぐ死んじゃうかもしれないけど、
飼いたいといったら飼ってあげようよと思うのは、私だけでしょうか?
そういう私の娘は、ダンゴムシに霧吹きをかけすぎて溺死させていました…。
結構飼育って難しい

[3156] 内野洋次郎 氏 2004/12/02 Thu 01:45:03
エリート教育は私立に任せろとまで言い切るつもりもなく、単なる思い付きです。
公立学校の工夫として、僕が非常に感銘を受けたのが「朝の読書」という習慣です。
漫画以外の活字の本、内容は何でも良いので、自分の好きな本を生徒がめいめい選ん
で、始業前の10分(だったかな)だけ揃って自席で読む、というだけのこと。感想文も
何にもなし。とにかく毎日10分だけ、好きな本を読む。
これが読書の習慣付けに非常に有効で、おまけに生徒に落ち着きが出てきたということ
です。給食開始後5分だけは喋るのを禁止して落ち着かせる、というのと同じ効用もあ
るのでしょう。朝礼で校長先生のお話をガマンしながら聞くよりも気が利いていると思
いますね(いや、立派な校長先生も多いですけど)。

世界遺産といえば、私はこの夏に南紀白浜から熊野古道を少しだけ歩きました。地元の
人に誘われて魚釣りがてらに出かけたのですが、台風に当たって海は全然ダメでした。
それにしても古道の険しさ、あれを踏破するのは並大抵ではないですね。南方熊楠記念
館も行きましたが、酒好きだったとのくだりを読み、偉人になぜか親近感(笑)。

[3155] 小倉京子 氏 2004/11/30 Tue 23:59:08
こんばんは。メールアドレス変更になります。QWL05124@nifty.com です。
よろしくお願いします。

[3154] 岡(坂本) 淳子 氏(jujurbar@hotmail.com) 2004/11/30 Tue 17:55:50
最近世界文化遺産づいて、吉野(これはしょっちゅう)と宮島に行きました。
吉野は登録記念に金峯山寺蔵王堂の権現様が御開帳となり、仲良くしていただいて
いるお坊様からお誘いをいただいて。。。うーん、すごいです。
HPもあるから興味のあるかたは金峯山寺で調べてみてください。
もっと興味が出ましたら、やはりぜひぜひ直接に。

宮島は初めて行きまして(広島も初めて)、これも感激。
神の島だからという理由で、大部分を原生林のままにしているそうですね。
道もつけていないそうです。

教育問題を討論されていますが、日本はそう捨てたものじゃないですね。
やはり他国の憧憬の的となるいい精神がある。それは、もとは旧いものだとしても
維持させているのは私たちと同じ時代の日本人です。
たとえばそのお坊様は、私と同じ年齢だったりして。

あるものを大事にする、出会ったひとを大事にする、この能力は結構高い民族じゃ
ないかなと思います。
なんといっても八百万の神様ですから。

自分にゆとりがあれば他人にも寛容になれますでしょう。

[3153] 三浦章豪 氏 2004/11/29 Mon 19:08:10
国語力の低下って、やはり本を読まなくなっていることが原因として大きいんですかね
ぇ。(しかし、昔と比べ受験が大変だとか騒いでいる割に子供の学力が低下していると
いうのはどういうことなんでしょうか。)

我が家の子供が通っている小学校では「音読カード」なるものが配布されて、毎日、子
供が本を音読して、親が、はっきり読めたか、句読点に気を付けて読めたか、情景を思
い浮かべながら読めたかなどについて○△×を付けるということが行われています(ち
なみに最近の流行で色々な小学校でやっているらしい)。最初の頃はカードを埋めるた
めという感じでしたが、最近はなかなか楽しそうに本を読んでいて、こういったことが
先々聞くのかなぁと思ったりします。また、毎週1、2回、図書館に希望する子供が集
まり、先生や近所の大学の教育学部の学生に、宿題を見てもらったり、授業の分からな
いところをフォローしてもらったりといったことをやっていたりします。

エリート教育は私立に任せれば良いというのは洋次郎の言うとおりだと思いますが、他
方、公立の学校でも工夫次第でまだまだできることはあるのではないでしょうか。

[3152] 太田康広 氏 2004/11/28 Sun 09:46:26
洋次郎のコメントで収束したようですが...。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041124-00000000-san-soci
> 大学生の「日本語力」が低下し、中学生レベルの国語力しかない学生が国立
> 大で6%、四年制私立大で20%、短大では35%にのぼることが独立行政
> 法人「メディア教育開発センター」(千葉市)の小野博教授(コミュニケー
> ション科学)らの調査で分かった。

> その結果、中学生レベルと判定された学生は、五年前に行われた調査と比較
> して、国立大が0・3%から6%、私立大が6・8%から20%、短大が1
> 8・7%から35%と、数年間で大きく増加していることが分かった。

日本で教壇に立っている友人は「そんなことはいわれなくてもわかっているよ」
とコメントしていました。年々,明らかに学力が衰えていく学生を前に講義を
し,はじめは怒りっぽくなり,そして,諦め,達観の域に達したそうです。

やはり,現場で学生と向き合う教師の危機感が一番強い。学生が携帯からタメ
口の無題一行メールを送ってくるらしい(^^;。いや,学生に悪意はなく,ちゃ
んとした日本語が書けないだけなんでしょうけど。

何とかならないものでしょうか。

[3151] 内野洋次郎 氏 2004/11/27 Sat 00:04:12
ちょっと挑発が過ぎましたか、すみませんでした。それにしても短時間の間に中身の濃
い書き込みが相次いでいますね、おそろしい(これだからネットでの討論はツライ)。

これまでの教育制度をどう変えていくかに論点が移ってきていますが、どうも国民の教
育水準が高くなり社会が成熟してくると、画一的教育により機会均等を保障するよりも
多様性を求める意見が強くなるように思います。
公教育の水準を高めれば高めるほど良いという考え方もあるでしょうが、他方で、高度
な教育(これは大学とかそういう意味ではなくて、幼稚園でもエリート養成があっても
良いという意味)は私立に委ね、公教育はナショナルミニマムを保障することに徹す
る、ということでも良いかも知れません。
[3101-3150]