平成12年度 プロ野球大予想 結果発表
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最高得点者:坂井一彦氏

 第3回プロ野球大予想は、坂井一彦氏が最高得点を獲得。
  関係者では平島俊彦氏(=評論家・遠藤明夫氏)が3位入賞、辻貴文氏(NA88)が
  6位と健闘。昨年度優勝の夢眠氏(TO89)は9位だった。

 御参考:
平成12年度予想結果
 なお、平成13年度プロ野球大予想もスタート(11/1)。皆様の多数の参加をお待ちしたい。

インディアナ二木家訪問記
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 [インディアナ発=高崎裕氏(AG88)、写真も]
9月30日 土曜日。
 タカサキは、その日は土曜日にしては早起きをし、空港に向かっていました。行き先はインディアナ州ブルーミントン。アメリカの地理には明るいほうの僕でも、いったいどこだろう、と地図をひろげたくらい、これといって名所が有るところではありません。そんなところに行くのには、訳が有りました。なんだか、知らないうちに10年近く付き合い続けた、二木に会うためです。いや、会うと言うより、邪魔しに行くと言ったほうがよかったのかも知れませんが。
 出張の決まったタカサキは、駄目で元々、アメリカに来る前からメールで尋ねていました。「2ヶ月もミルウォーキに滞在しているので、一寸行ってもいいか。」と。サマースクールを終え、ようやく新学期を迎えたばかりの彼には、ちょっと悪いな、と思いながら返ってきた返事は、「是非来てください。」それを真に受けてから、1ヶ月が経ちました。

 天気は良すぎました。中西部のこの日の天候は、絶好の好天、フライトは遅れること無く定刻通り、デトロイトを経由し、インディアナポリスへ到着しました。
 朝出るころは、シャツ1枚じゃ寒かったのに、薄らと汗をかいていました。この時分のこの辺の好天をインディアンサマーと言うそうですが、まさにそれでした。 空港からレンタカーに乗り、I−465からHWY37にのり、トウモロコシ畑と途中1つだけワイナリーがあるだけの、のどかな景色を南下すること1時間以上。二木の不親切なDirectionにもかかわらず、予想に反して全く迷わず目的の待ち合わせ場所のマリオットに着き、電話。ロビーで待つこと約15分。彼が現れました。サマースクールで焼けたという顔は一寸だけ頬が光っていて、元気そうでした。そして、新居(といっていいのでしょうか、)に案内され、桂子夫人とも久しぶりの再会を果たしました。こちらも元気そうでした。
 
 新居は、文字どおり新築で、2ベッドルーム。1部屋は勉強部屋となっているようです。電話、部屋の設備など、大体が揃ったばかりで、「大変だった」と言っていました。
 イリノイに頻繁に通い、日本の食材を手に入れられるタカサキは、雑誌や豊水梨などの土産を渡しながら、タカサキが飢えていた、日本語の楽しい会話が始まりました。昼飯がまだということで話が一致したので、昼と晩の食事の買出しに出掛けることにしました。ダンナは早速、「二人で行ってきて」というので、ダンナを残し、スーパーへ行きました。スーパーでは驚くほどのアジア人、日本人を見ました。ここのスクールは、韓国人、インド人等が多く、日本人の比率はそれに比べると、高くないのだそうです。
 ここでダンナの生活について少し。授業は月曜から木曜で午後だそうです。3度の食事を自宅で取れており、なんとか6時間の睡眠は確保しているそうです。スクールのグループも仲が良くラッキーだったと言っていました。
 さて、桂子夫人の実家の蕎麦等をご馳走になり、腹の満たされた3人はゴルフの打ちっぱなしに出掛けました。
完全に野外で広々として、天候も手伝い、最高でした。その後、大学を案内してもらい、お茶をし、帰宅して今晩のスキヤキの支度にかかりました。この時もダンナは居間にはいませんでした。スキヤキは、タカサキの一方的にリクエストしたものでした。リクエストに答えてくれて本当に感謝でした。
やがて、食事となり、仕事のこと、ウチのこと、学校のこと、今のことも将来のことも多いに語り合いました。スキヤキの味は、以前の伊豆で食べたものには叶わなかったけれど、本当に美味しかった。出張の疲れが吹っ飛びました。その後、バナナスプリット(注)を食べに町に繰り出し、そろそろ寝ようかと言ったのは12時を回っていました。桂子夫人もタカサキも就寝した後でも、ダンナは机に向かっていました。何時までやっていたのでしょうか。
 そう言えば、桂子夫人のこと。ダンナを本当に気遣い、勉強に入るたびに飲み物や食べ物はと訊ねる姿に、MBAって大変なんだな、と感心させられました。
 大変な生活にもかかわらず、ダンナが血色良く見えていたのは彼女のお陰の他にはないでしょう。

 
10月1日 日曜日
 7時頃、タカサキは体内時計のせいで目を覚ますと、ダンナがベッドルームから勉強部屋に移って行ったのが分かりました。どうせ、帰りは飛行機で寝ればいいと勝手に決め、ダンナから昨晩借りた、統計の本でも読もうかと、起床しました。タカサキも、仕事で正規分布だの、ポワソン分布だのやっていたので、関心が有りました。そうこうしていると、夫人起床。
 朝飯は、豪華和食でした。梅干しは本当に旨かった。その梅干しを土産に貰い、帰途に着きました。ダンナは、「気晴らしになった。来てくれて有り難う。」と言ってくれて、ただ邪魔だけして帰らずに済みそうだとほっとしましたし、桂子夫人も、「遊んでもらって有り難う。」と言ってくれて、来て良かったなと思いました。
 一人でドライブの帰り道ながら、タカサキは、たった1ヶ月の単身で出張生活で感じるストレスに対する不満を猛省していました。だって、すでに何ヶ月もタカサキ以上に大変な生活を送っている二木は、これまでの彼と同様、不満一つ言わず、自分の目標に向かって、打ち込んでいるのですから。
 あと、1ヶ月、いやその後の分まで、タカサキに頑張るパワーを与えてくれて有り難う、と感謝した素晴らしい週末旅行でした。


(注)ボートの形をした入れ物に大量のアイスクリームとバナナが入っていて、その上にチョコレートやナッツなどのトッピングがされている、アメリカ中西部で良く見られる食べ物。如何にもアメリカに多数生息する超デブの素と言えそうな食物。バナナを何故か縦切りにして添えることがその名の由来か?二木夫妻の今後が心配。
年貢を納める 〜上田谷真一氏御成婚へ
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 旧TO88世代きっての"プレイボーイとして名を馳せた(「偉そう
  なこと言える程もててません。恐縮です」上田谷氏談。「そんな
  ご謙遜を」編者注)"上田谷真一氏が遂に年貢を納める。お相手
  は大学時代のテニス・サークルの1年後輩、細井留美氏。同氏
  は都内女子高等学校にて数学教諭を勤めており、同校の春休み
  に当たる明年3月31日に御成婚することが、正式に決定した。

 両氏は出会いから10年超。長年の交際の後、「2年間のブランク」
  (留美氏)を経て昨年秋に復活。満を持してこの度のゴールイン
  となった。披露宴は行わず、代官山ボールルームにて挙式・二次会を開催する。
「踊るYMO」
  以来2年振りとなる「再生ニセYMO」の出演が検討されている。

 「夜の舞踏隊」活動でも上田谷氏の盟友、和里田義博氏
 「ダニオ」というニックネーム。それは「上田谷=ウエタダニ」という舌を噛みそうな苗字の発音に対する解決策として自然発生した。いや個人的には、「ウエダタニ」なのか「ウエタダニ」なのか、なかなか覚えられないので、便利なREMINDERとして「ダニオ」という呼び方を採用したという方が正しい。そしてこの「ダニオ」という名の響きは、どこか愛らしく「くぼきりこ」の漫画のキャラクターのような顔をしている彼、普段はガキっぽい無神経さを見せる彼にはピッタリだった。

 彼に初めて出会ったのは、東大アイセック1年のときだった。いや、厳密にいうと、白百合とのキャピキャピ合同テニスサークルの新歓合宿である。第一印象は「ベビーフェイスで髭を含めた体毛が殆どない中性的な奴」、しかし一方で、そういう「HARMLESS」な外見をしていながら「ズケズケと無神経に直言・暴言を繰り出して人を怒らすデリカシーのない奴」というアンバランさが面白い、というものだった。そんな彼は、上下関係を全く感じさせないフラットな東大アイセックの中で、「暴言癖」も彼のアイデンティティとして愛され、伸び伸びと生きていた。僕が彼と仲良くなったのも、僕が持っている「ガキっぽさ」に、彼のそれが共感したからなのかもしれない。そして長く付き合っていくうちに、「中性的な外見」と「無神経さ」の2大特徴が、彼のすごさを支えていると認識するようになる。

 彼の「中性的外見」、そしてそれに一致するかのような性格に警戒心を抱く者はいない。皆に好かれる愛嬌のある奴である。センスもレベルが高い。しかしこれはまた、天性の女性に対する罠でもある。警戒されないから、蜘蛛のように巣で待っていれば良いのである。これは、すぐに「エッチなフェロモン」が前面に出てしまう僕の及ぶところではない。ただ、何回かの「夜の舞踏隊活動」では、マーケット・セグメント・カバレッジが競合しないので、パートナーとして動きやすい面であった。

 一方、彼の「無神経さ」は「腹の座った、心臓に毛が生えた奴」という評価に繋がってくる。いや、彼の場合は心臓に毛が生えているのではなく、心臓がそもそもないから「ビビる」というような感覚がないのではないか。彼は「わが道を行く度胸」を有し、そして逃げない。最近では猫も杓子も「ドットコム」「ビットバレー」とベンチャーに走る者が増えたが、彼はそんな時代の流れが来るのよりずっと前、1995年頃からベンチャーのインキュベーションに関わる仕事をしていた。いろいろ大変な苦労もしただろう、一時は本当に孤独な戦いをしていて心配したこともあった。でもそれを経た彼は、今となっては年季さえ感じさせる。そして本当に充実した顔をして前に突き進んできる。そんな彼はよく言う。「仕事で必要な人材とは、土壇場で逃げない奴」だと。

 アイセックという組織は、ある意味稀な学生組織だった。周りの仲間は友人でもあり、仕事のパートナーでもあった。しかも、ボランティアで結構キツイ仕事をしろ、という組織である。そこで発見したことは良い友人でも、必ずしも良い仕事のパートナーとは限らない、そして、一旦、修羅場で相手に幻滅すると友人には戻れない、ということだ。これは恋愛に似ている。真剣な恋愛、それはある意味で人生の修羅場かもしれない。

 そして、その恋愛が壊れたとき、その2人が友人に戻ることは非常に努力のいることで難しい。「友人として失いたくないから、恋愛関係に陥りたくない」というフレーズは良く聞く。「体の良い断り文句」としても有効だが、それ自体真実だと思う。そういう意味では、友人のままいられる普通の学生サークルと違い、仲間と半ば強制的に仕事という「恋愛関係」に入らなければならないアイセックという組織は、ある面で、学生時代に経験する組織としては「不幸な組織」だったかもしれない。ましてや、組織のトップであれば、自分が好むと好まざると、一方的に「片想い」から始めなければならないのだから。僕が組織のトップだったときは色々な人間を発見した。「逃げないと見せかけて土壇場で逃げる奴」、「大花火の打ち上げに群がりながら、負の遺産には知らん振りしている奴」、「批判、足の引っ張りばかりで建設的な代案を出さない万年野党の奴」。一方、「表面的には身を引いているようなクールさを出しながら最後まで裏では逃げない奴」、「あまり自己主張しないが、地道にしっかり責任をまっとうする奴」も発見した。彼らは、友人であると同時に、仕事のパートナーという「恋愛関係」に入っても失望しない人間ということができるだろう。ダニオという男は、僕にとってその典型といえる。

 彼はアイセックの活動自体に対しては距離を置いていた。しかしなぜか、東大アイセックの仲間の中では皆から愛される中心的存在で、ずっと裏から僕を元気づけてくれる存在でもあった。社会人になっても、粥川君と同様、あらゆる結婚式2次会の「凝りに凝りまくった」アレンジで自らリーダー役を買って出、仕事上の厳しい戦いを他人には全く感じさせないスケールの大きい奴だった。今、彼は色々なタイプの人間をマネージする立場で活躍しているが、その苦労話には自分の体験と重なり、強く共感するところが多い。苦労して初めて出てくる言葉「信ずべきは逃げない奴」。この言葉の意味を、同じ言語で彼と共有できることに僕は大きな喜びを感じる。これもただの「友人集団」で卒業できないアイセックに身を置いたからだろう。

 最近になって、ダニオと仕事での接点が少しではあるが出てきた。アイセックのトップを経験して、友人と「仕事上のパートナー」という「恋愛関係」に入ることにどうしても慎重になってしまう僕にとって、彼ほど一緒に仕事をしてみたいと思う友人は少ない。今後どこかで一緒に仕事をするようになる気もする。それが何なのか、いつなのか、どこなのか、全く分からないが、今から楽しみだ。そのダニオがついに結婚する。結婚観も共有でき、「まだ先だろう」とタカを括っていたが、ついに彼も我がバチェラーズ・チームを去る。少しさびしい気もするが、こんなに嬉しいことはない。ダニオ、おめでとう。結婚式直前のバチェラー・パーティは当然俺に任せてくれ。飛びっきりの場を用意しよう。