■再会いんデンバー
全国十回生会議は11月26日夜コロラド州デンバー国際
空港での集合から始まった。過去盟友の平田氏と旅行
する度に、待ち合わせがうまくいかない、ドタキャン
をくらう、などのハプニングを経験している筆者は、
今回の会合には細心の注意を払った御蔭か、河田氏と
の再会にやや手間取ったものの、基本的に問題なく集
合することができた。過去と異なり、河田氏が携帯電
話という近代兵器を持参したことが功を奏したとも言
える。
何とスキー板専用のバゲッジクレームまである巨大な
空港でクライスラーのジープをレンタルした3人は、
足取りも軽やかにデンバーを後にし、Winter Park
Ski Resortへと向かった。途中3300mの峠越えの際に
突然目の前に現れた積雪にタイヤが取られかかること
もあり、結局、3泊の宿Super 8 Motelに到着したのは
深夜の1時半であったものの、3人は6月29日、日本で
の送別会以来5ヶ月ぶりの再会と一面の銀世界に心高
ぶっていた。はやる心を押え、一先ず酒屋の存在を確
認したのみで、この夜は早々に就寝した。
■Winter Park Ski Resort
その夜はかなりの積雪であったが、翌日は止んでおり
ゲレンデは絶好のコンディションであった。Winter
Park Ski Resort は、苗場を3つ合せた程の広大なエ
リアに高速クワッドリフトが効果的に配置されており
標高3600mから2700mの滑走が楽しめる、理想的なスキ
ー場であった。富士山山頂から八ヶ岳山頂へ滑り降り
る、と言えば、そのすごさが理解して頂けるであろう
か。その広大なエリアにスキーヤーは恐らく苗場の半
分程しかおらず、感謝祭の4連休というのに殆どリフ
ト待ちはなかった。
第一日目の午前中は一先ず足慣らしとして初中級者コ
ースを中心に滑っていたが、お昼を挟んだ午後、早く
も御老体2名が脱落してしまった。昼食時にビールを
体に流し込んだのがまずかったようである。日頃の運
動不足も崇り、特に来米以降変容が激しいともっぱら
の噂(但し、今回の全十会で「事実」であることが判
明)の河田氏の「俺もう滑れない」宣言が発せられる
に至り、3人のチームは2つに分解された。両氏は標
高の高さを息切れの理由にしていたが、やはり体力の
衰えと見るのが一般的な見方であろう。
■ワーキンググループ
その夜、感謝祭の七面鳥の豪華夕食と共に、いよいよ
ワーキンググループが始まった。歴史・国際政治分野
に一日の長がある筆者の東ローマ帝国談義から始まり
金融の専門家平田氏を囲んでの日本の今後の討論など
議題は多岐に渡った。河田氏のアメ車はやはりだめだ
議論を頂点とした日米文化論も、滞米者の集まりなら
ではの話題であった。部屋に戻り、ナチョス、サルサ
ビール、ウオッカで話をすると、さらに議論は白熱し
て、やはり?下世話なちょっと具体的には記述できな
い話題にも及び、会は最高潮に達した。
今回の結論からいくつかを挙げるならば、
・「いいおんな」ほど恋愛に苦労する。
・アメリカのアイスクリームとオレンジジュースは
美味しい。
・女に永世中立国は存在しない。
・タイのマッサージは新式も古式もグー。
(芝村茂樹氏推奨)
・not only mentally but also physically
などであろう。
ここで両氏にも登場してもらうことにしよう。
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河田浩氏)スキーは最下部のリフトこそ混んでいた
ものの上に上がると人も少なく本当に4連休の最中な
のか信じられない状態。雪質も完璧、スキー板もほと
んど新品、長い滑降コース。でも…。スキー初中級者
の私にとっては2人のペースについていくのが大変で
息がすっかり上がり、夕方には足がつりそうになって
しまい、遂にギブアップ宣言!。お昼に飲んだビール
の悪作用もあり同様にへばった平田氏と共に早々にホ
テルに引き上げた。ホテルのカウンターで息も絶え絶
えに「近くに温泉(ホットバス)はありませんか?」
と聞いたところ、「このホテルの別棟にあります」と
のこと。トランクスを履いたままお湯につかる。これ
が気持ちがよい。ついつい長風呂をしてしまう。平田
氏は2泊目にのぼせてしまった。
平田泰隆氏)確かに体力不足も一因。しかしかく言
う高橋氏も日中こそ若ぶって元気に滑っていたものの
夜には秘伝のマッサージにヒーヒーと声を上げ、親父
振りを露呈していたことにも留意の要。しかし、小西
賢ちゃんじゃないけど、色々思い出したなぁ、この晩
は。
スキー2日目は脱落者を出さずに無難にこなしたもの
の、ジャグジー付きのスパの甲斐も無く、その夜は中
華料理を食べた所で疲労のピークに達してしまった。
よって討論は早々に切り上げて、眠りについた。平田
氏は良く眠れなかったようだが。
■別れ
さて、3泊2日という贅沢な休暇を雪の中で過ごした3
人は、29日元気に空港へ向かう。結局今回は、完璧な
プランニングの元に、「ハプニングも少しくらいは有
った方がいいなーなどと」軽口を叩きながら、雪の峠
もなんのその、4WDのジープは快調にとばしていた。
空港まであと30分程度まで迫った所、州際高速道路を
時速 110kmで走行中、突然エンジンは停止した。何度
エンジンを掛け直してもかかる気配がない。何故だ?
運転していた筆者は焦った。筆者の飛行機の離陸は後
1時間15分後に迫っていた。
河田氏の冷静な判断の元、またもや近代兵器の携帯電
話と活用してレンタカー会社に電話するが、その車を
そのまま高速道に放置し、タクシーで空港まで迎えと
のこと。しかし今からタクシーに乗っても間に合うの
か? 一先ず3人は徒歩で高速道路を降り、近くのガ
ソリンスタンドからタクシーを呼ぶ。そのタクシーが
到着した時には、既に飛行機の時間までは1時間を切
っていた。
いかにも地元民というタクシーのおっちゃんに事情を
説明し、法律を無視してとばしてもらった。タクシー
のおっちゃんは、のんびりした口調で「You will make
it.」と繰り返しながら、絶対に地元民しか知らない近
道も駆使し、何と空港到着は離陸の20分前であった。
別れの言葉もそこそこに、筆者は巨大な空港を自らの
ターミナルへと掛けて行った。その後ろには、広大な
地平線が広がるグレートプレーンズの果てに、突如そ
そり立つロッキーの山並みが白く光っていた。
総合文責:高橋洋(旧東京大学委員会副委員長、
現フレッチャー大学院生)
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